七輪
片づけが済んで夕飯の準備に取り掛かると、さらに外は暗さを増していた。
僕は器を持ちながら家の向かいにある納屋の方へと向かう。台所は今のところやることがないので母さんに任せている。
納屋の前では父さんが石の上に腰を下ろしながらうちわを仰いでいた。その目の前には七輪が置かれていて、パチパチと音を立てながら紅い光と熱を発している。ミョウガを焼いてつまみにするらしく、足元にはビールが置かれている。
「父さん、はい味噌」
「…おう、砂糖は?」
「入ってる」
時間が経ったからか、ぎこちなさに間を置いたものの、その声には墓場の時のような怒気はなかった。
僕は器を父さんにそのまま手渡す。受け取るや否や、父さんは器に入っているスプーンで味噌を練りながら七輪の方へ手を伸ばす。
父さんは七輪の上からミョウガの四、五個ささった鉄串を取るとスプーンで味噌をべっとりと塗りたくる。
「父さんはホントそれ好きだよね」
「まぁな、この島に来る時の楽しみだからな」
味噌でコーティングされたミョウガはそのまま七輪に戻される。父さんの手はまた次の串へと伸びていく。
「継、ミョウガ、嫌いなんじゃないのか?」
「嫌いだよ、でも…父さんが作ってるのを見ているのは好きだ」
「きもちわりいぞ」
思わず柄にもないことを言ってしまって少し恥ずかしい、自分でも意味がわからないことを言っていると思う。だが、そんな馬鹿げた言葉のおかげか、なんとなく父さんの顔のこわばりが和らいだ気がする。
父さんは味噌を塗り終わると、そのまま器を置いてうちわに持ち帰る。僕もその辺に落ちている文庫本サイズの石を拾い上げると、七輪を挟んで向かい側に置いて座椅子代わりにする。
僕は早速話そうとした―――が、口から次の言葉が出てくることはなかった。このあとどうやって話を聞けばいいかがわからない。
今日一日いろいろ話を聞いたが、思えば誰もが自分から話しだしてくれたから、どう聴きだすかなんてことは考えていなかったことにいまさら気づいたのだ。
相手は慣れ親しんだ家族なのに、バイトの面接官に会っているかのような落ち着かなさがさらに僕の焦りに拍車をかける。
「…俺も渡志も、異国の文化や未知のものが好きでな」
ふいにポツリと、父さんは口を開けてつぶやいた。珍しく叔父さんの名前を呼ぶので僕は思わず大げさに父さんの顔を凝視してしまう。
「当時、中学生の俺は都会に、小学生の渡志は海外に。お互い詳細は違うが同じように夢を抱いていた。港近くのボロい売店で二人で買った魔物の図鑑や都会の写真を買って眺めては妄想を語り合ったりな。この島では他にやることもないから仕方なかったんだが」
足元のビールはすでに二、三本ほど空になっていた。きっと酔いが回っているのだろう。懺悔のように父さんは言葉を繋げていく。
「だが、問題があった。親父のこの畑を、この家をどうするかだ。当時まだ農家は今ほど衰退していなかったが、俺たち二人は継ぐ気なんて一切なかった。夢を追いかけたいというのが男ってもんだからな。」
叔父さんの夢のことまでは父さんも知っていたのか。それも小学生の頃からずっと。僕以上に知っている。
僕は一瞬、その夢のために叔父さんがタガネや僕を騙していたことについて聞こうと思ったが、話すことに集中している父さんの邪魔になりそうだったのでやめた。何よりも叔父さんの過去が気になってそんなことを聞いている場合ではなかった。
「今の寡黙な親父からは想像できないだろうが、昔は本当に亭主関白でな。当時の長男の俺に島を出ることなんて許さなかった。ひどいもんだったぞ、お前はこの畑のために生きて死んでいくんだ、なんて子供に言うセリフかよ、しまいにゃ殴り合いのケンカになるほどさ」
父さんは自虐気味に笑みをこぼす。僕には想像もつかない場面だ。僕の中では爺ちゃんはテレビの前で静かに茶を飲みながら煙草をふかしているイメージだからだろうか。
「親父を説得してみたものの、全く馬の耳に念仏だった。もういっそ勘当されてでも出ていくしかないと考えていたな。渡志も同意見だった。そこで、俺たちはお互いに高校と中学を卒業をする3月に島を出て行こうと決めていた。」
父さんは、ビール缶を持って一気に煽るが、中身がなかったのかため息を軽く漏らす。
ミョウガをひっくり返して、焼け具合を確かめながら父さんは続けざまに言葉をつむぐ。
「…だが、俺が高校三年の夏、突然、渡志は俺に話があるといってきた。」
「…話って?」
「…自分が農家を継ぐことになった。兄さんは一人で夢をかなえてくれってな。」
僕は父さんの言葉に耳を疑う。話の流れからも、未だに夢にこだわっている今の叔父さんからもおかしなことだった。
「叔父さんがそんなこと、言ったの?」
思わず声に出してしまった。
「…妙だと思うだろう?俺も最初は急な言い出しでびっくりしたさ。理由を何度も聞こうとはした、だが「心境の変化だよ」の一点張りで何もいってはくれなかった。そしてあいつは何も語らず、ただ着々と親父の傍について今まで乗り気じゃなかったはずの農作業をこなしていた。正直少し堪えた。ずっとお互いの夢については尊重し合ってきたんだからな…それからすぐだったかな、喰人鬼があらわれたのは」
父さんは一度呼吸を吸うと、目にぐっと力をこめた。これから先が本番だといわんばかりに。
父さんは語りだした。25年前を、事の発端を。そして、彼女の始まりを。
僕は器を持ちながら家の向かいにある納屋の方へと向かう。台所は今のところやることがないので母さんに任せている。
納屋の前では父さんが石の上に腰を下ろしながらうちわを仰いでいた。その目の前には七輪が置かれていて、パチパチと音を立てながら紅い光と熱を発している。ミョウガを焼いてつまみにするらしく、足元にはビールが置かれている。
「父さん、はい味噌」
「…おう、砂糖は?」
「入ってる」
時間が経ったからか、ぎこちなさに間を置いたものの、その声には墓場の時のような怒気はなかった。
僕は器を父さんにそのまま手渡す。受け取るや否や、父さんは器に入っているスプーンで味噌を練りながら七輪の方へ手を伸ばす。
父さんは七輪の上からミョウガの四、五個ささった鉄串を取るとスプーンで味噌をべっとりと塗りたくる。
「父さんはホントそれ好きだよね」
「まぁな、この島に来る時の楽しみだからな」
味噌でコーティングされたミョウガはそのまま七輪に戻される。父さんの手はまた次の串へと伸びていく。
「継、ミョウガ、嫌いなんじゃないのか?」
「嫌いだよ、でも…父さんが作ってるのを見ているのは好きだ」
「きもちわりいぞ」
思わず柄にもないことを言ってしまって少し恥ずかしい、自分でも意味がわからないことを言っていると思う。だが、そんな馬鹿げた言葉のおかげか、なんとなく父さんの顔のこわばりが和らいだ気がする。
父さんは味噌を塗り終わると、そのまま器を置いてうちわに持ち帰る。僕もその辺に落ちている文庫本サイズの石を拾い上げると、七輪を挟んで向かい側に置いて座椅子代わりにする。
僕は早速話そうとした―――が、口から次の言葉が出てくることはなかった。このあとどうやって話を聞けばいいかがわからない。
今日一日いろいろ話を聞いたが、思えば誰もが自分から話しだしてくれたから、どう聴きだすかなんてことは考えていなかったことにいまさら気づいたのだ。
相手は慣れ親しんだ家族なのに、バイトの面接官に会っているかのような落ち着かなさがさらに僕の焦りに拍車をかける。
「…俺も渡志も、異国の文化や未知のものが好きでな」
ふいにポツリと、父さんは口を開けてつぶやいた。珍しく叔父さんの名前を呼ぶので僕は思わず大げさに父さんの顔を凝視してしまう。
「当時、中学生の俺は都会に、小学生の渡志は海外に。お互い詳細は違うが同じように夢を抱いていた。港近くのボロい売店で二人で買った魔物の図鑑や都会の写真を買って眺めては妄想を語り合ったりな。この島では他にやることもないから仕方なかったんだが」
足元のビールはすでに二、三本ほど空になっていた。きっと酔いが回っているのだろう。懺悔のように父さんは言葉を繋げていく。
「だが、問題があった。親父のこの畑を、この家をどうするかだ。当時まだ農家は今ほど衰退していなかったが、俺たち二人は継ぐ気なんて一切なかった。夢を追いかけたいというのが男ってもんだからな。」
叔父さんの夢のことまでは父さんも知っていたのか。それも小学生の頃からずっと。僕以上に知っている。
僕は一瞬、その夢のために叔父さんがタガネや僕を騙していたことについて聞こうと思ったが、話すことに集中している父さんの邪魔になりそうだったのでやめた。何よりも叔父さんの過去が気になってそんなことを聞いている場合ではなかった。
「今の寡黙な親父からは想像できないだろうが、昔は本当に亭主関白でな。当時の長男の俺に島を出ることなんて許さなかった。ひどいもんだったぞ、お前はこの畑のために生きて死んでいくんだ、なんて子供に言うセリフかよ、しまいにゃ殴り合いのケンカになるほどさ」
父さんは自虐気味に笑みをこぼす。僕には想像もつかない場面だ。僕の中では爺ちゃんはテレビの前で静かに茶を飲みながら煙草をふかしているイメージだからだろうか。
「親父を説得してみたものの、全く馬の耳に念仏だった。もういっそ勘当されてでも出ていくしかないと考えていたな。渡志も同意見だった。そこで、俺たちはお互いに高校と中学を卒業をする3月に島を出て行こうと決めていた。」
父さんは、ビール缶を持って一気に煽るが、中身がなかったのかため息を軽く漏らす。
ミョウガをひっくり返して、焼け具合を確かめながら父さんは続けざまに言葉をつむぐ。
「…だが、俺が高校三年の夏、突然、渡志は俺に話があるといってきた。」
「…話って?」
「…自分が農家を継ぐことになった。兄さんは一人で夢をかなえてくれってな。」
僕は父さんの言葉に耳を疑う。話の流れからも、未だに夢にこだわっている今の叔父さんからもおかしなことだった。
「叔父さんがそんなこと、言ったの?」
思わず声に出してしまった。
「…妙だと思うだろう?俺も最初は急な言い出しでびっくりしたさ。理由を何度も聞こうとはした、だが「心境の変化だよ」の一点張りで何もいってはくれなかった。そしてあいつは何も語らず、ただ着々と親父の傍について今まで乗り気じゃなかったはずの農作業をこなしていた。正直少し堪えた。ずっとお互いの夢については尊重し合ってきたんだからな…それからすぐだったかな、喰人鬼があらわれたのは」
父さんは一度呼吸を吸うと、目にぐっと力をこめた。これから先が本番だといわんばかりに。
父さんは語りだした。25年前を、事の発端を。そして、彼女の始まりを。
15/02/24 00:29更新 / とげまる
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