連載小説
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夕暮れ
あれから家族が待つ墓場に戻った僕を待っていたのは、怒気を帯びた父さんだった。叔父と全く同じ方向から帰ってきたことからして、何をしていたかはすでにばれていたようだった。僕は逃げることもせずに、ひたすらそのまま父さんの怒号を浴びていた。
 いや、本当は逃げるとかそんなことはどうだってよかった。顔を真っ赤にしながら説教をする父さんの声は僕の頭にはほとんど入っていなかった。
 
 あの墓の前に、今にも泣きそうな顔のタガネを置いてきてしまったことが心の奥で引っかかったままだったからだ。

 なにかしてやれたかもしれない、なにかを。
考えても仕方ないことだけがぐるぐると頭の上で回っていた。

 そのまま十分ほど経っただろうか、不意に父さんの肩が後ろからポンと叩かれる。
「もういいじゃないか、ちゃんと継を見てなかった俺が悪い」

 叔父さんだった。
さっきのドス黒い笑顔はそこからは微塵も感じられなかった。どこかの小説で読んだ二重人格のように、その叔父はおかしなほどにほんわかとしたいつもの「叔父さん」だったのだ。

 それは返って僕の猜疑心を掻き立てる。僕は顎を引いて叔父を見つめ返す。
一体なにを企んでいるのか。今更僕にあの歪みを隠すこともないはずだ。 
それとも、僕以外の家族には秘密にしているのだろうか。だとしたら今までの優しさは全て僕を陥れるためにやった演技だったのかもしれない。だが、父さんはタガネの存在は知っている。一体、誰に何を秘密にしたいのだろうか。

 次々と、僕の頭の中で叔父さんへの不信感が芋づる式に大きくなっていく。そんな僕の様子に気づいたのか、叔父さんは手を膝について僕の顔をのぞき込む。

「継、彼女に何もされなかったかい?」

 白々しい。自分の眉間に皺がよっているのがわかった。

 タガネを投げ出した直後だというのにも関わらず叔父さんは以前の通りに気づかいをしてきた。一体誰のせいでタガネが悲しんでいると思っているのだ。

僕はそんな叔父さんの態度に苛立ちがこみあげてきた。
ぎゅうっと爪が指の付け根の肉に食い込んでいるのが分かる。奥歯を噛みしめ、耳の下の筋肉が突っ張る。息は荒立てないように小さく口を開けてゆっくりと呼吸をする。

そうだ、叔父のせいだ。
さっきは躊躇したけど今度こそは…やってやる。




「…大丈夫だよ、おじさ」

「ん」と同時に拳を振り上げようとした瞬間、叔父さんがぐいっと僕の頭を掴む。


 …いや、頭を撫でている?乱暴で抑え込むようだが、確かに撫でている。
 
 突然の叔父さんの行動に僕は完全に出鼻をくじかれてしまった。
おかげで、僕の髪の毛をグリグリ動かす叔父さんに喋りだす機会を与えてしまった。

「そうか、可哀想に…大変だったね」

「おい…まだ話は」
 父さんは納得していないようで、食って掛かるように叔父を睨み付ける。
だが、叔父さんはそれをものともしない飄々とした様子で父さんに近寄る。
「落ち着いてよ兄さん、今一番動揺しているのは継だ。無理やり喋らせたって支離滅裂になるだけだ」

 叔父さんは諭すような口ぶりで説得を試みる。熱くなりやすい父さんを制するのはそう簡単ではないが、叔父さんの落ち着いた雰囲気は今の父さんには効果が大きかったようだった。

不意に、叔父さんはスっと父さんの方に1歩踏みだし、耳打ちをする。

「…それに今朝に精は俺から摂取したばかりだから、そんなすぐに何度も襲ったりしないよ」
 その声はとても小さく、辛うじて僕にも聞き取れたぐらいだった。後ろの方で説教の終了を待っている母さんに爺ちゃん、そして婆ちゃんには遠すぎて聞こえないだろう。
 
「継も、疲れただろう?家で少し休んだ方がいい」

 叔父さんは僕の方に向き直ってそう答えるとニコリと微笑む。先ほどの歪んだ笑顔を見た後でなければ、僕は警戒心を解いてしまっただろう。

しまった、と僕はここでようやく先ほどの叔父さんの行動の意味に気づく。

これでは僕が父さんに何を言っても、何をしてもまともに取り合ってくれない。全て「混乱した息子のおかしな言動」になってしまう。

「…まぁ、ここでいつまでもいても仕方ないか。とにかく帰るか」

 叔父さんの仲介でクールダウンしたのか、父さんは深く息を吐くと振り返って車の方へくいっと顎をふる。

「…じゃあ継も、帰ろうか?」

 叔父さんは僕にそう促すと同じようにくるりと背中を向ける。
さっきと同じ微笑みのままなだが、僕には違いが分かった。今度はどこか得体のしれなさを感じさせられる。あの歪みが、この笑顔の裏に。あの悪意が、確かにある。


二人とも背を向けている今なら、もう一度。

 再度、僕は拳を握りしめる。さっき強く握ったせいで少しばかり痺れているが気にしない。
 意味のないことだと理屈や頭ではわかっていても心はどうしようもなかった。ただ、叔父さんをそのまま家に帰らせるのはどうしても許せなかった。

殴る。一発でいい。とにかく、殴ってやる。




―――誰か一人が悪いわけじゃないの。


 怒りの感情が最高に膨れ上がった瞬間、不意にタガネの言葉が頭をよぎる。

あの言葉は、どういう意味で言っていたのだろう?
 叔父さんを殴って、それで―――どうする?叔父さんをまたタガネの元に引きずっていくのか?


そんなことが、僕が彼女にしてやれることだというのか?


 僕は腕から力を抜くと、大きく一息を吐く。さっきまでの憑りつかれたような緊張感が身体中の筋肉からも離れていくのも分かった。

 落ち着け、叔父さんの言うとおり、今日は色々なことがあって精神がつかれているのは事実だ。
 
 分かってるはずだ。この勢いで叔父さんを殴ったところで、何も解決しない。それこそただのキレたガキのおかしな行動に過ぎない。
 プラモを組み立てるように丁寧に理屈を頭の中で並べる。すると次第に、冷たい感覚が胸の下から浮かんできた。

 今はそう、少し休んで頭を冷やそう。
僕はそのまま何も考えず、駐車場まで二人と家族の後をひたすらに俯いたままついていくことだけに集中した。しばらくすると、土の地面が開けているだけの簡素な駐車場にたどり着く。

そこに止めてあった父さんの運転する赤い車に乗り込むと、シートに自分の全体重を預ける。エンジンの起動の音が車内に響き、車はお粗末な土の空間を出発する。

 叔父さんが自分の車で後をつけてくる。父さんの車には乗り切らないので爺ちゃんと婆ちゃんが叔父さんの車に乗っている。

 車内にこもる熱気に当てられたせいか、目の奥の方から眠気がじわじわと沸きあがってきた。砂利道の振動がシートから伝わってくる。僕のまぶたはそのリズミカルな揺れ具合に抗えない。そういえばタガネに精を取られてから、墓参りの準備で忙しくて結局休めていなかったな。

 眠気の漣の押し寄せる車内で、僕は先ほどのことをぼんやりと考えていた。

 さっきの叔父さんの行動は、たぶん他の家族の前で僕に余計なことをさせないための抑制だったのだろう。父さんとのやりとりから考えて、あくまで予想だがきっと他の家族、少なくとも父さんには僕を「故意にタガネに会わせたことやその計画」については秘密にしているようだ。
 しかし、僕が今それを父さんに言ったところでまともに取り合ってくれるかわからない。それどころか下手に口や手を出して収拾がつかなくなるかもしれない。
 みんなから聞きだしたり話したりするのは気を付けた方がいいかもしれない。タイミングを計らなければ僕がおかしいと思われてしまう。
それに、どうせ人付き合いの苦手な僕が下手に立ち振る舞ったところで信じてもらえるかは微妙なところだ。

 まずは、とりあえず帰ったらどこかで父さんと二人だけで話せないだろうか。そういえばミョウガを焼く手伝いをする約束だったはず…。

…そうだ、タガネからも話を聞かないと…


 タガネの別れ際の嗚咽混じりの声を思い出す。
あの時振り向かなかった後、タガネはどんな気持ちで一人でいたのだろう?
あの後、あの紅い目からは、涙が出たのだろうか?


紅い、紅い目…。そういえば小さい頃、どこかで一度見たような気がする。

 僕の頭の奥深くから、少しずつ糸を引くように記憶が引きずりだされていく。

あれはたしか、幼稚園の頃だったはず―――

 はじめに浮かんできた映像は、ちいさな一軒家だった。僕は誰かの手を引かれてその一軒家に招かれていた。
 そうだ、僕はたしかその時浮かれていたのだ。相手は年の近い仲の良かった女の子で、その家はその女の子の家だったからだ。名前も顔も覚えてはいない。思い出せるのは、その子が綺麗なブロンドの髪と青い瞳をしていたということだけだった。
 僕はドキドキしながらその家に入って、そして女の子の部屋に案内される。

そして、その子にいわれるがままベッドに座った次の瞬間―――

 僕は頭を掴まれて、うつ伏せにベッドに押し付けられる姿勢にされていた。
慌てて立とうとしても、押さえつける力が大人のように強くてどうにもならない。何が起きたか理解できないまま僕は辛うじて首を回して押さえつけている相手の方を向く。

 押さえつけていたのは、その女の子だった。
彼女は僕の頭と肩を押さえつけたまま息を荒げながら僕に言った。

――舐めて―――

 その時の彼女の声はまるで別人になってしまったような雰囲気で、僕は完全に怯えていたのを覚えている。
 押さえつけられた頭の先には、彼女の股間があった。そこには本来あるはずの布はなかった。
 僕は、最初はいうことを聞かなかった。当時5歳の男の子だった僕には、女性のそこを舐めるというその行為の意味は全く理解できなかったが、何か汚くて良くないことであることだけははっきりとわかっていたのだ。
 
 その態度に彼女は腹を立てたのか、僕の髪の毛を引っ張って、肩を引っ掻き、更に強要する。彼女の見た目からは想像もできないほどの力だった。
その時、ちらりと見えた彼女の顔が視界に入った。


彼女の目の色は紅く染まっていた―――



―――気がつくと、墓場を出た車はいつの間にか祖母の家の近くの割れたコンクリートの道を走っていた。窓の外では薄ぐらい夕暮れの空の下で、暗闇に薄れて緑色の稲が高速で視界の端へと消えていく。


 ぼんやりと考えていたらいつの間にか眠っていたようだ。頭が肉体と切り離されて昔に飛ばされていたかのような感覚だ。
 今の自分が眠る前の自分でなくなるような、まるでずっと遠くの長旅からようやくこの場所へ帰ってきたみたいな懐かしさに似たそれは不思議と心地よく、僕を落ち着けるのだった。
 
 僕は今まで見ていた夢の時期の頃のことを詳細に思い出そうとするが、バケツの底が抜けたかのように内容がこぼれていてどうにも思い出せなかった。
  幼稚園の時の記憶が全く記憶にないわけではないのだが、自分のことなのに思い出せないというのはどうにも不思議な感覚だった。あれはいったいどこで起きた出来事だっただろうか。よく覚えていない。


「ついたぞ。」

 家の前の石壁のある下り坂を下りきると、父さんが声を上げる。
 木の年輪がむき出しの昔の木造建築のような家が僕の祖母の家だ。全体的に茶色くて二階はない。竹や杉の木が家の周りをぐるりと囲んでいて、家の前には広々と畑や農具の詰まった小屋が並んでいる。

 僕はそのままシートの隣においてある桶と杓文字を抱え上げると、車を降りて台所へ向かう。こんな面倒な片づけはとっとと済ませてしまう。

「まってー継」
 
後ろから母さんの無駄にかん高いが聞こえる。小柄で若く見える身体で、寝ている間に途中のスーパーに寄っていたのか、いくつもの買い物袋をプルプルと震えながら抱えている。
「ヘルプー!継ヘルプー!」
「無理すんなよおば」
「ふんっ!」
僕の腹にレジ袋が叩きこまれた。父さんのビールが入っているせいなのかやたら重みがある一撃だった。
「母親をオバさん呼ばわりする輩にはアサヒ●ーパードルァァイよ!」

 だから年のこと気にし過ぎだろうこの人。むしろそれさえしなければ多分バレないだろうに。
鳩尾をさすりながら僕はうずくまる。心のどこかで妙な不安感があった。

 ここ数日、家族が何を考えているのか疑ってばかりだった。
でも仮に今までの日常が偽物でも僕にとってはこれが日常さ、とそんな風に達観した老人のように考えることで目を逸らしていた。

 だが今日になって一度明確に疑いを持ってしまえば、そんなとってつけたようなことは簡単に吹き飛んでしまうのだと思い知らされた。
 今だって母さんとのこの馬鹿なやりとりにどんな裏があるのか、これまで考えたこともないことを考えて始めている自分に驚きと気味悪さを隠せない。


 だが、ここで思考を止めればただの中学生の妄想と変わらない。

 疑いがあるのなら、真相を知ってしまえばいい。僕にはまだわからないことがたくさんあるのだ。

だからこそ、みんなからもっと話を聞くべきなのかもしれない。一つずつそれぞれが考えていることを。隠しているのならその理由を。

「あらやだ、この子笑ってる…。腹の打ち所が悪かったかしら?」
「ほっといてよ、つか腹打たれて笑うとか変態じゃあるまいし」
「お腹大丈夫?変態」
「早速認定すんな」

いつものそんなふざけた会話をしながらも、僕はいつものお盆の片づけ作業と夕飯準備に移ることにしたのだった。

15/02/22 19:11更新 / とげまる
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■作者メッセージ
書くたびに文章力と話の構成力のなさが浮きぼりになってきますね…。
矛盾することがあってもどうか優しく指摘してください。


※少し追加修正しました。(2/22)

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