連載小説
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扶美
 昼食後、僕は台所に立っていた。

 僕は包丁を握り、ザクザクと茄子と胡瓜を正方形になるように刻んでいた。水場にはアルミのザルがボウルの上に重ねられていて、すでに切られた野菜がごろりと将棋崩しのように山を作っている。もちろん墓への供え物として持っていくためにだ。


僕はこの作業が案外嫌いではない。

 まな板の上で瑞々しい野菜が切断され、刃先がトントンと板にぶつかる音はどこか軽快で、何かを工作をしているように感じられて気持ちがいいのだ。
 
毎年こうやって、母と分担して墓参りの支度をするのが恒例の行事となっている。正直面倒といえば面倒なのだが、こんな風呂場にガスもない田舎では面倒な仕事でもあった方がましだ、ともいえる。


 今日の午後に出かける墓地は昨日とは違うところだ。

 昨日のタガネと会った家の近所の場所ではなく、30分以上車に乗って向かうような距離だ。この島は車で一周しても丸一日はかかるくらいには規模が大きい。加えて、祖父母の友人の墓も掃除を頼まれることもよくあることだ。
で、結局そのまま継続的に頼まれて続けて、お墓の掃除のボランティアみたいになっているのが現状だったりする。

僕は手を止めずに、ぼんやりと昼飯前のことを反芻する。

 父さんには彼女に近づかないようにといわれたが、あんな話の後で一切関わらないようにする方が難しいだろう。

 僕が午後も外出することを知ってからはずっと渋っていたが、僕はさながら言い聞かせるように勢いに任せて父さんに説得を試みた。

「じいちゃんとばあちゃんが絶対に行くといっているよ。家族の行事なら、付き合わないわけにはいかないんだろ?母さん一人に任せるのもアレだし…それに、タガネはここの場所を知っている。家に一人の方が危ないんじゃない?」

 多少卑怯な言い回しをしてしまったのが心残りだが、父さん自身の口癖を使ったことが決定打になったらしく父さんはとうとう折れてくれた。

 だが実際のところをいうと、もう一度タガネに会って話をしたいというのが本音だ。

 昼食前の父さんが話したことが本当であるのなら、タガネが初めて僕と会った時になぜ僕をあの墓場であのまま最後まで犯さなかったのか。そうすれば彼女の力で僕はこの島から離れられなくなり、彼女は餌を確実に一人確保できる。
 
 それを考えると、彼女がそうせずに僕に優しく送り返したのには理由があるはず。
 それに、あの優しさの裏に何かがあるのだとしても、そんな打算的なことで苦手だといった日光の中を付き合って肩を貸してくれるだろうか?
 
 父さんの話を信じたくないなんて手前勝手だけど、なんとなく彼女がそういう理由で動く人間、否、死体だとは思いたくなかった。


 タガネのことがさっぱりわからない。
 
どこまでも謎に包まれた彼女のことがどうしても気になって仕方なかった。
どうにかして父さんの目を盗んでタガネに会う方法は無いだろうか?
 
 そんな風にもやもやと考えて横にあるアルミざるに手を伸ばすと、いつの間にか野菜を全て切り終わっていたことに気づく。

 僕はそのままの流れで包丁やまな板を洗う作業に移る。



「継、赤飯あるー?」


 後ろから聞き覚えのある高い女性の声が聞こえてくる。
振り向いた先の右後ろの戸からひょっこりと声の主が顔を出すと、ブロンドの髪が現れた。その髪は後ろで束ねてあり、サイドの髪が茄子のヘタのようにぴょんと跳ねるように揺れている。

「赤飯は…そこのレンジの近くにあるのがそうじゃない?」

 僕は水道を止めると、顎で僕と彼女の間の棚にある茶色い油汚れで変色したレンジを示す。そうとう古いらしく文字がほとんどかすれて読めなくなっていて時間を感じさせる一品となっている。

 その近くに大きめの桶が床に置かれてあり、そこに薄く赤っぽい色のついた蒸し布が広げて桶の中全体に被せてある。

「えーと、あ…これだこれだ。サンキュー」

 彼女は桶に近づくとちょこんと座りこみ、蒸し布をつまんでのぞき込むように量を確認する。

「あー…こりゃ夕飯もこれ食べないとだめっぽいね。まだいっぱい残ってる」

「だから作りすぎっていったんだよ母さん」

「いやぁ悪い悪い、もっと継がいっぱい食べるのかと思っててね」

 彼女、佐島扶美ははにかむ様にして僕にそう答えるが、あまり反省の色は見られない。

 僕の母さんである「佐島扶美(ふみ)」は見た目がとにかく若い。今年で42歳とは思えないくらいに肌は透き通るように白くて、20代のようなハリがある。いまだに都会を歩いているとインタビューなどに大学生と間違われることもあるほどだ。
 加えて小柄で言動もどこか子供っぽいところがあり、若々しさにさらに拍車をかけていた。本人は「女っていうのはいつまでもキレーでいたいのよ!」などとふざけて言っているが、実際に本当に昔から全く変わらないので最近では人間じゃないのでは?と疑ってすらいる。
 
「元がそんなに食べないし、いくら食べ盛りでも限度があるよ…」

「何言ってるのー、成長期なんだから食べないとダメじゃない。歳とるとお父さんみたいにそのうち食べたいものも食べられなくなるのよ、お父さんみたいに」

「なんで二回いうの」

 父さんの高血圧にも困ったものだ。そのくせビールをアホみたいに飲むし脂っこいものも大好きなのでなおさらである。「酒は少量ならむしろ健康にいいんだよ」とどこからか仕入れた中途半端な雑学をこれ見よがしに振りかざして言い訳にしている。

「よっし!じゃあこれ玄関までもってく…おっと」

 母さんは小さい身体で桶を持ち上げるが、予想以上の重さなのか足元がフラフラとしていておぼつかない。
僕はつい心配になり、母さんの手からひょいと桶を取り上げる。

「ほら、母さんはいいから…そういう力仕事は僕がやるから」

「いやん♥継ってばイケメンじゃない!お母さんときめいちゃう!」

母さんはくねくねと腰をおどらせて猫撫で声(42歳)を出す。


「自分の倍以上の年の人のときめきとか(笑)」
「くらえ、小豆つぶし!」
「目があああああ!」


 僕の目の中に赤飯の小豆がねじ込まれる。というかこれじゃつぶれるのは僕の目の方じゃないか?

「いっけない!お餅かと思ってぜんざいにしようと思ったら目玉だった!間違えちゃったテヘ」

「年齢に過剰反応し過ぎだろ…」

 
 小豆が目に染みて思わず片膝をついてしまったが、それでも桶を手放さなかったことだけは褒めてもらいたい。あと僕はぜんざいよりおしるこ派だ。


「じゃあー継に赤飯は任せるとして、あとは何かないかな?」

 母さんは何事もなかったかのように首をひねって考える素振りを見せる。
最近、息子の扱いがぞんざいすぎる気がします。

「…日傘と日焼け止め、ちゃんと持った?」

 僕は台所の水道で目を洗いながらそう答える。こればかりは必需品だから母さんに毎回聞いている。

「大丈夫大丈夫、心配し過ぎよ」

 先ほどより少しテンションの低い声で母さんは返事をする。

 若々しさゆえのリスクなのか、母さんはとても肌が弱い。
 特に日光には敏感で、日差しをあびるとすぐに真っ赤になってしまう。だから常に母さんは夏でも長袖を着ている。
 この夏の時期に30分でも直射日光をあびようものなら、翌日は丸一日泣きながら日焼けと闘うことになるだろう。

 僕がお盆の手伝いをするようになった経緯も母さんのその体質が理由でもあった。日に弱い癖に手が空くとこんな日差しの中でも働こうとするので気を使うのも大変だ。
おまけに筋力もないのに力仕事もやろうとするので危なっかしくてしょうがない。

「もう一度確認しなよ、ないのが一番困るんだから」

 僕は念を押すように母さんにそう告げる。

「はいはい、わかったから、すればいいんでしょー?」

 母さんは少々ふてくされつつも、頷くと頬を膨らませたまま台所を出ていった。というか本当に何歳児だ貴方。
めんどくさいのはこちらは承知だが、自分の身のためなので常に心がけてもらいたいものだ。



 僕は目と食器を洗い終わると、赤飯の桶と野菜の入ったボウルを抱えて、僕は外に止めてある車へと向かう。
台所を出て廊下をわたると、桶を抱えた分の重みのせいかいつもより大きく床と柱がギシギシと音を立てる。玄関までの途中にある居間まで来ると入り口のガラス戸にも振動が伝わり、更に大きな音の合唱を奏でる。

 僕はその古ぼけた居間のガラス戸に目をやると、先ほどの昼食から家族に違和感を感じていたことを思い出していた。

 いや、特別普段と変わったところがあるわけではなかった。
むしろ父さんや叔父さんは僕がタガネについて知ってしまったというのに「何も変化がない」ことに僕は異様な不自然さを感じてしまってならなかった。



――茄子のシソ巻、うまいなぁ

――あ、俺にもそれとって

――お父さん、後で畑でピーマンとってきてよ

――婆さんトマト喰いな

――おぅ、おおぅ


 まるで、まるで変化のないはずのいつも通りの会話の飛び交う食卓だった。
父さんも叔父さんも母さんも爺さんも婆さんも、誰しもが示し合せたかのように変わらないその空間を作り出していた、全くもって奇妙なくらいに「日常」が絶えなかったのだ。

だからだろうか。
 僕はそれがどうにも嘘くさく感じてしまう。いつもの自分の家族がとたんに分からなくなっていた。

 叔父さんのことと関係しているかはわからない。

 だが僕が生まれる前から、この食卓風景が意図的に作られていたものとするならば、言い方は悪いが僕は生まれてこの方ずっと騙されてきたことになる。

 それにこれは想像だが、隠し事をしているのは叔父さんと父さんだけじゃないのだろう。
 何か根拠があるわけではない。なにかを僕に知られないようにしている、とまで言うと流石に被害妄想が過ぎるが、なんとなくそんな気がするのだ。


 玄関を出て、外の赤い車のところまでたどりつくと僕は供え物を積み込む。あとは人間を乗せればもう準備は完了だ。

 蝉たちが頭上で騒がしく泣きわめく。僕の足元にはセミの抜け殻が家の壁に張り付いていた。

 どこからか聞こえてくる蝉の声の大群に一つだけ、その生まれて間もないのか他の蝉よりも短い時間しか鳴けていないものがあった。それでも懸命に苦しそうな音で、少しでも強く長く鳴きたいといわんばかりに不細工な音を絞りだしていた。


15/01/03 02:53更新 / とげまる
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■作者メッセージ
ちなみにぜんざいとおしるこって関西とか地方だと定義が違うらしいですね

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