剛樹
「えっ…」
父さんの不意打ちじみた一言に、僕は思わず固まってしまう。
なんと返せばいいか、言葉が見つからなかった。
いや、それより…化け物、あのタガネが?
「化け物…って、誰のこと?」
何か言葉を返そうと思ったがどうにも頭がついていかず、そんな間抜けな回答しか出てこない。
目が泳いでしまってしどろもどろになっている。
「…何?じゃなくて誰?って言い方をするってことは、墓地の喰人鬼にあったんだな?」
「あっ」
僕はそういわれてまで自分が墓穴を掘ったことに気づいてもいなかった。
そんなことに気づかないくらいには支離滅裂な状態だったということだろうか。
自分から聞くつもりだったのに先回りをされてしまい、とたんに対応が分からなくなってしまう。口をパクパクと開閉して慌てている僕をよそに、父さんは言葉を続ける。
「まぁいい、お前にはちゃんと話すつもりだったんだ。バカな弟がバラシちまったんだからな」
父さんはいつもの口調だが、出てくる言葉にはいつもの優しさが含まれていないように感じる。それどころか、何か毒を含んだような印象だ。
僕が今までみたことのない黒い雰囲気を醸し出していた。
「そう身構えるなよ、別にお前が悪いわけじゃないんだから」
「そう…なの?」
父さんは手に持ったバケツを足元のジャリの上にとんと置く。
父さんのなだめるような言葉はあくまで僕に対してのみで、そこに含まれたヘドロのような毒の感情は別の誰かに向けられている気がした。
灰にかけられた水が坂の下の方まで流れつくまで、僕は息を飲んで父さんの次の言葉を待つ。
「そう…お前は悪くない、悪いのは…あの喰人鬼なんだ」
父さんは吐き捨てるようにそう言い放った。最後の方は語気が荒くなっていた気がする。
タガネが悪いとはどういうことだろう、僕は今聞いた言葉を頭の中で反芻する。確かに初対面では恐ろしい体験をしてしまったが、その後はとても甲斐甲斐しく接していてくれたのも事実だ。
だが、その優しさにも違和感があったのを思い出す。
射精する前と後のまるで別人のような態度の変化。あれはただの思い過ごしだろうか?それとも二重人格とかなのだろうか?
父さんの言葉の真意が分からず、何ともうまく答えられない。
それに、まだ知り合って間もなく親しいというわけでもない。彼女の何を知っているかといわれればそこまでだ。
だが、彼女を一方的に全否定されるのはどうにも納得がいかなかった。
「どうして…タガネが悪いの?何か悪いことでもしたの?」
僕は父さんを刺激しないようにそっと、下手に出るような弱い口調で小さな反論を切り返した。
「…そうだ、悪いことをした。いや、今もしている」
父さんは自分が興奮していることに気が付いたようで、返事に少々間を置いた後、ゆっくりと言葉を機って落ちつかせるように声を出す。
「あれは、うちの家族を食い物扱いしている、25年も前からずっとだ」
25年も…タガネは僕が生まれるより前といっていたがそんなに前だったのか。僕は内心驚いていたが、父さんは全く気にせずそのまま言葉を続ける。
「丁度…俺がお前と同じくらいの年の頃だ、あの喰人鬼が現れて…バカ弟が強姦された」
「ご…」
言葉の響きについ肩がすくんでしまう。
昨日その現場を見たばかりだが、改めてこうやって言葉として聞かされるとやはり恐ろしい行為だということを認識させられる。
「叔父が強姦される」という言葉が、僕の頭の中で一瞬全くもって未知で恐ろしいものに感じられた。
「俺が当時18歳だから、あいつは確か15歳だな…ひどいもんだったさ」
父さんは一つ息を漏らして多少言いよどむ。そして、隣りの石垣を見つめながらぼそりと呟くように続けた。
「…逃げられないように足をへし折られていてな、涙や涎をまき散らしてわめいても、下半身から糞尿や血を垂れ流しても一向に喰人鬼は止めようとはしなかった。本物の強姦って言うのはこうも恐ろしいものなのかと思えたよ。」
「そんな…」
僕は思わず絶句する。
タガネが、叔父さんをそんな風にしたというのか。
背中にぞくりと冷や汗が垂れる。
さっきまで肩を貸してくれた彼女がそのような悪魔のような貪欲さをもっているというのだろうか。
あまりに驚愕な事実に、僕は認めたくない、否定してやりたい気持ちでいっぱいになった。
だが、同時に不吉な心当たりが脳裏に浮かんできた。
それは昨日見た叔父の虚ろな顔だった。
涎を垂れ流し、死体のように瞳に光がないあの顔。
さらに、その叔父の下半身を夢中で貪るタガネの姿も。
あれがタガネの本性なのだとしたら?
さっきの優しさがもし僕を騙す演技だとしたら?
心臓の音がバクバクと僕の脳に響く。頭の上から日光がジリジリと僕を攻めたてる。
彼女の恐ろしさは最初からお前が一番知っているだろう?と諭すかのごとく、心臓は何度も僕の心を揺さぶってきた。
結局、反論は一切僕の口から出てこなかった。夢にまで出た彼女への恐怖が否定することを許さなかったのだろう。
「のちに聞いたが、喰人鬼は男の精を主食にしているらしいな。一度やつに喰われて唾液を飲まされたやつは、定期的に喰人鬼のもとに戻らないとならない強迫観念に襲われるそうだ。全くふざけた習性だ…」
話の中で、父さんのタガネへの静かな敵意が感じられる。
相当彼女を憎んでいるのだろう。
僕はただ父さんの憎悪の言葉を受け取るだけになっていた。
下り道を伝い終わった水の跡は上流の方から徐々に渇いていき、元の砂利道の色を取り戻しつつあった。
「で…継、お前、喰人鬼とヤったのか?」
「…はぁっ⁉」
唐突に食い込まれた質問をされて、また僕は慌ててしまう。さっきから取り乱してばかりだ。
もう少し順番に話をしてほしいとも思ったが、僕の父さんにそんな器用な真似はできるはずもなかった。我が強く、思いついたことを片っ端から喋る様な人なのだからしょうがない。
「おい、どうなんだ?」
父さんが目を見開いて僕を見つめる。
言葉上だけの意味なら、息子の性事情を詮索するアレな親父だが、こんな真面目な形相で迫られたら答えないわけにもいかなかった。
「その…ちん、こには、触られてないんだ…射、精はしたけど」
普段とは違うとはいえ、なぜ父親にこんなことを話さないといけないのか切なくなったが、いつ以来かわからない父の真面目な威厳に気圧されてしまった。
父さんは僕の答えを聞くと安心したかのように大きく息を漏らす。
「…ならいい。やつと性交すると洗脳される、この島から遠くに離れられなくなるんだ、そうなったらもう…」
父さんはそれだけ言うと口を紡ぎ、鼻から大きく息を漏らす。
そこまで聞いて、僕は自分が先ほどの墓場でどれだけ大変な目に遭ったのかをようやく理解できたような気がする。
叔父さんが一人で島近くの漁港に住む理由はきっとそういうことなんだろう。遠くに行けないなんて、そんな事情を抱えていたら家を島に近づけるしかない。
僕の目尻に水気が帯びる。叔父がそんなことを抱えていたことも知らずに、興味本位の暇つぶし程度で後をつけてしまったことをひどく後悔する。
「俺が毎年この島に来るのはあいつを放っておけないからだ。いつかあいつを喰人鬼から引き離してやりたい。俺は、あいつの兄貴だからな」
父さんの最後の言葉には強い意志が込められていた。
叔父さんへの普段のよそよそしい態度の理由ももしかしたらこれが理由なのかもしれない。
きっとそうだ、家族なのだから。支え合って生きていくものなのだ。
普段の頑固な父さんからはわからないが、確かな正義感を持っている。
かけがえのない弟のために、25年もの間ここに通い続けてこれたのだろう。
父さんの内なる決意に、僕は…
「ふぅ…さて、もう昼飯ができたころだな、行くぞ継」
「えっ、ちょっと…」
父さんはあっさりと話を終了し、バケツを拾い上げてくだり坂の下にある家に向かってさっさと歩き出していた。
「待ってよ!まだ聞きたいことはたくさんあるんだ!」
いくらなんでもここで終わりは中途半端すぎる。
僕は慌てて父さんを引きとめるが、父さんはあっけらかんとした表情で返事をする。先ほどまでの険しい表情は一体どこに忘れてきてしまったのかと思えるくらいの豹変ぶりだ。
「落ち着け、この話は長いんだ、後でミョウガでも焼きながら話そう、というか、俺が腹減って最後まで話せる気がしねぇ」
「…っ」
「いいか継、あの喰人鬼にはなるべく遭わないようにな…二の舞になるぞ」
誰の二の舞なのか、父さんはそれ以上は言わなかった。
父さんはとにかく頑固だ。一度決めたことを変えようとはしない。
有無も言わさないその背中に僕は続きを聞き出すのをとうとうあきらめて、父さんの背を追うように家まで坂道を下っていったのだった。
父さんの不意打ちじみた一言に、僕は思わず固まってしまう。
なんと返せばいいか、言葉が見つからなかった。
いや、それより…化け物、あのタガネが?
「化け物…って、誰のこと?」
何か言葉を返そうと思ったがどうにも頭がついていかず、そんな間抜けな回答しか出てこない。
目が泳いでしまってしどろもどろになっている。
「…何?じゃなくて誰?って言い方をするってことは、墓地の喰人鬼にあったんだな?」
「あっ」
僕はそういわれてまで自分が墓穴を掘ったことに気づいてもいなかった。
そんなことに気づかないくらいには支離滅裂な状態だったということだろうか。
自分から聞くつもりだったのに先回りをされてしまい、とたんに対応が分からなくなってしまう。口をパクパクと開閉して慌てている僕をよそに、父さんは言葉を続ける。
「まぁいい、お前にはちゃんと話すつもりだったんだ。バカな弟がバラシちまったんだからな」
父さんはいつもの口調だが、出てくる言葉にはいつもの優しさが含まれていないように感じる。それどころか、何か毒を含んだような印象だ。
僕が今までみたことのない黒い雰囲気を醸し出していた。
「そう身構えるなよ、別にお前が悪いわけじゃないんだから」
「そう…なの?」
父さんは手に持ったバケツを足元のジャリの上にとんと置く。
父さんのなだめるような言葉はあくまで僕に対してのみで、そこに含まれたヘドロのような毒の感情は別の誰かに向けられている気がした。
灰にかけられた水が坂の下の方まで流れつくまで、僕は息を飲んで父さんの次の言葉を待つ。
「そう…お前は悪くない、悪いのは…あの喰人鬼なんだ」
父さんは吐き捨てるようにそう言い放った。最後の方は語気が荒くなっていた気がする。
タガネが悪いとはどういうことだろう、僕は今聞いた言葉を頭の中で反芻する。確かに初対面では恐ろしい体験をしてしまったが、その後はとても甲斐甲斐しく接していてくれたのも事実だ。
だが、その優しさにも違和感があったのを思い出す。
射精する前と後のまるで別人のような態度の変化。あれはただの思い過ごしだろうか?それとも二重人格とかなのだろうか?
父さんの言葉の真意が分からず、何ともうまく答えられない。
それに、まだ知り合って間もなく親しいというわけでもない。彼女の何を知っているかといわれればそこまでだ。
だが、彼女を一方的に全否定されるのはどうにも納得がいかなかった。
「どうして…タガネが悪いの?何か悪いことでもしたの?」
僕は父さんを刺激しないようにそっと、下手に出るような弱い口調で小さな反論を切り返した。
「…そうだ、悪いことをした。いや、今もしている」
父さんは自分が興奮していることに気が付いたようで、返事に少々間を置いた後、ゆっくりと言葉を機って落ちつかせるように声を出す。
「あれは、うちの家族を食い物扱いしている、25年も前からずっとだ」
25年も…タガネは僕が生まれるより前といっていたがそんなに前だったのか。僕は内心驚いていたが、父さんは全く気にせずそのまま言葉を続ける。
「丁度…俺がお前と同じくらいの年の頃だ、あの喰人鬼が現れて…バカ弟が強姦された」
「ご…」
言葉の響きについ肩がすくんでしまう。
昨日その現場を見たばかりだが、改めてこうやって言葉として聞かされるとやはり恐ろしい行為だということを認識させられる。
「叔父が強姦される」という言葉が、僕の頭の中で一瞬全くもって未知で恐ろしいものに感じられた。
「俺が当時18歳だから、あいつは確か15歳だな…ひどいもんだったさ」
父さんは一つ息を漏らして多少言いよどむ。そして、隣りの石垣を見つめながらぼそりと呟くように続けた。
「…逃げられないように足をへし折られていてな、涙や涎をまき散らしてわめいても、下半身から糞尿や血を垂れ流しても一向に喰人鬼は止めようとはしなかった。本物の強姦って言うのはこうも恐ろしいものなのかと思えたよ。」
「そんな…」
僕は思わず絶句する。
タガネが、叔父さんをそんな風にしたというのか。
背中にぞくりと冷や汗が垂れる。
さっきまで肩を貸してくれた彼女がそのような悪魔のような貪欲さをもっているというのだろうか。
あまりに驚愕な事実に、僕は認めたくない、否定してやりたい気持ちでいっぱいになった。
だが、同時に不吉な心当たりが脳裏に浮かんできた。
それは昨日見た叔父の虚ろな顔だった。
涎を垂れ流し、死体のように瞳に光がないあの顔。
さらに、その叔父の下半身を夢中で貪るタガネの姿も。
あれがタガネの本性なのだとしたら?
さっきの優しさがもし僕を騙す演技だとしたら?
心臓の音がバクバクと僕の脳に響く。頭の上から日光がジリジリと僕を攻めたてる。
彼女の恐ろしさは最初からお前が一番知っているだろう?と諭すかのごとく、心臓は何度も僕の心を揺さぶってきた。
結局、反論は一切僕の口から出てこなかった。夢にまで出た彼女への恐怖が否定することを許さなかったのだろう。
「のちに聞いたが、喰人鬼は男の精を主食にしているらしいな。一度やつに喰われて唾液を飲まされたやつは、定期的に喰人鬼のもとに戻らないとならない強迫観念に襲われるそうだ。全くふざけた習性だ…」
話の中で、父さんのタガネへの静かな敵意が感じられる。
相当彼女を憎んでいるのだろう。
僕はただ父さんの憎悪の言葉を受け取るだけになっていた。
下り道を伝い終わった水の跡は上流の方から徐々に渇いていき、元の砂利道の色を取り戻しつつあった。
「で…継、お前、喰人鬼とヤったのか?」
「…はぁっ⁉」
唐突に食い込まれた質問をされて、また僕は慌ててしまう。さっきから取り乱してばかりだ。
もう少し順番に話をしてほしいとも思ったが、僕の父さんにそんな器用な真似はできるはずもなかった。我が強く、思いついたことを片っ端から喋る様な人なのだからしょうがない。
「おい、どうなんだ?」
父さんが目を見開いて僕を見つめる。
言葉上だけの意味なら、息子の性事情を詮索するアレな親父だが、こんな真面目な形相で迫られたら答えないわけにもいかなかった。
「その…ちん、こには、触られてないんだ…射、精はしたけど」
普段とは違うとはいえ、なぜ父親にこんなことを話さないといけないのか切なくなったが、いつ以来かわからない父の真面目な威厳に気圧されてしまった。
父さんは僕の答えを聞くと安心したかのように大きく息を漏らす。
「…ならいい。やつと性交すると洗脳される、この島から遠くに離れられなくなるんだ、そうなったらもう…」
父さんはそれだけ言うと口を紡ぎ、鼻から大きく息を漏らす。
そこまで聞いて、僕は自分が先ほどの墓場でどれだけ大変な目に遭ったのかをようやく理解できたような気がする。
叔父さんが一人で島近くの漁港に住む理由はきっとそういうことなんだろう。遠くに行けないなんて、そんな事情を抱えていたら家を島に近づけるしかない。
僕の目尻に水気が帯びる。叔父がそんなことを抱えていたことも知らずに、興味本位の暇つぶし程度で後をつけてしまったことをひどく後悔する。
「俺が毎年この島に来るのはあいつを放っておけないからだ。いつかあいつを喰人鬼から引き離してやりたい。俺は、あいつの兄貴だからな」
父さんの最後の言葉には強い意志が込められていた。
叔父さんへの普段のよそよそしい態度の理由ももしかしたらこれが理由なのかもしれない。
きっとそうだ、家族なのだから。支え合って生きていくものなのだ。
普段の頑固な父さんからはわからないが、確かな正義感を持っている。
かけがえのない弟のために、25年もの間ここに通い続けてこれたのだろう。
父さんの内なる決意に、僕は…
「ふぅ…さて、もう昼飯ができたころだな、行くぞ継」
「えっ、ちょっと…」
父さんはあっさりと話を終了し、バケツを拾い上げてくだり坂の下にある家に向かってさっさと歩き出していた。
「待ってよ!まだ聞きたいことはたくさんあるんだ!」
いくらなんでもここで終わりは中途半端すぎる。
僕は慌てて父さんを引きとめるが、父さんはあっけらかんとした表情で返事をする。先ほどまでの険しい表情は一体どこに忘れてきてしまったのかと思えるくらいの豹変ぶりだ。
「落ち着け、この話は長いんだ、後でミョウガでも焼きながら話そう、というか、俺が腹減って最後まで話せる気がしねぇ」
「…っ」
「いいか継、あの喰人鬼にはなるべく遭わないようにな…二の舞になるぞ」
誰の二の舞なのか、父さんはそれ以上は言わなかった。
父さんはとにかく頑固だ。一度決めたことを変えようとはしない。
有無も言わさないその背中に僕は続きを聞き出すのをとうとうあきらめて、父さんの背を追うように家まで坂道を下っていったのだった。
14/12/29 02:52更新 / とげまる
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