先輩と春風
「もうそろそろ桜も散る頃か」
「そうですね。梅雨も近いですし」
窓際にもたれかかってグラスを傾けつつ外を眺めている先輩を見ながら、弁当に箸を進める。
春の日差しに照らされる先輩は、いつものように優雅だった。
「先週に桜を見に行ったばかりなのにな。儚いものだ」
「あの日だって桜の花びらが散りまくってたじゃないですか。毎日あんな感じじゃすぐハゲますよ」
「そうだな。後輩もいつかは頭の花が散るんだし、自然の循環か。諸行無常」
「ハゲる話にシフトしないでくださいよ……」
仕草は優雅でも話すことはおっさんみたいなの、どうにかしてほしい。
いや、自分から言ったのが悪いのはわかってるけど。
「それにしたってもっと春気分を味わっていたいな。一年中ずっと春であってほしいくらいだ」
「過ごしやすいですからね。この後待ってるのがじめじめする梅雨ですし」
「そうだ。梅雨から夏は汗でじっとりしてワイシャツが透ける。ブラを付けたくないというのに、私の乳首を公衆の面前にフリーシェアすることになってしまう」
「カーディガン着てりゃいいじゃないですか……」
「私は部室ではクールビズするつもりだからな。きみが胸に目をやった回数をカウントしておく」
「勘弁してください」
普段からカウントされてたら恐ろしい数になってそうだ。先輩の胸は自己主張が強いせいで、意識して見ないようにしても目が行ってしまう。
先輩はこっちの思考を知ってか知らずか、じっと見返してきて妖艶に微笑む。心臓が高鳴る。
「ああ、いくらでも見ていい。減るものじゃないんだから、お代は勘弁してあげよう」
「――っ、あー、タダより怖いものはないんですよ」
「ふふ、美人局だったりするかもしれない。詐欺にあわないよう注意しなきゃ」
一際強い風が部室に入り込んで、先輩のカールした栗毛の髪がさらさらと揺れる。
それと同時に、ふわりと迷い込んだ桜の花びらが一枚。
「風に乗ってこの階まで上がってきたのか。縁起がいいな」
「お守りにでもしますか?美術部の備品借りてラミネートしたりとか」
「いや、いい。面倒だ。私にそういう乙女チックなのは似合わないからね」
机に乗った花びらを摘みとり、しげしげと観察する先輩。
「ふむ。後輩、食べてみるか」
「……花びらを?」
「うん。どうだ?」
「どうだじゃないですよ。もしかして俺ってなんでも食べるヤツみたいに思われてました?」
「……そんな悲しそうな顔をしないでくれ。冗談だから。セクハラに繋げるつもりだったんだ、そういうわけじゃない。悪かったよ」
「セクハラもやめてくださいよ……」
チェリーってことか。こうやってすぐ言いたいことを察せるって、魂のステージが先輩レベルに近くなってることを実感する。上がってるのか下がってるのかわからないけど。
「お詫びに私の花びらでも見るか。こっちはずっと散らないぞ。ロータス・ピンクだ」
「自前の桜の花で十分なんで……」
「くそ、それ私が言いたかったやつ」
「見え見えなんですよ、先輩のやりそうなことが」
もっとこう、両思いらしい雰囲気の話とかできないものかな、と無い物ねだりを考えてしまった。
*
天気が良いので、食後にテラスに出てみようということになった。
購買の近くに設けられた、おしゃれな机と椅子のセットがいくつか並べられたスペース。晴れの日限定で机が外に出されるので、春だとテラスが盛況だ。
「案の定満席か。どこもかしこもカップルだらけだ」
「みんな考えることは一緒ですね。戻りますか?」
「問題ない。花見に座る場所はいくらでもあるさ。ついてこい」
先輩に手を引かれながら向かった先は、校庭前に設置された花壇だった。
「花見、だろう?」
「た、たしかにそうですけど……」
「こんなものは口実さ。花の種類は関係なく、きみと仲良くできればなんでもいい」
「……ふつうは言い難いことをざっくり言いますね」
「花より団子なんだよ、私はね」
この場合は男子かな、とおもしろそうに笑う先輩。
「ほら、後輩。座って」
「え、はい」
促されるまま、花壇の小さな煉瓦塀に腰を下ろす。そうして先輩に目を向けると、今まさに俺の膝に座ろうとしているところだった。しかも向かい合う形。
「ちょっ、先輩」
「こら、椅子が暴れるな」
「誰が椅子ですか。立って立って」
「断る。嬉しいくせに照れるな照れるな」
「っ!」
色艶のあるふさふさの毛並みの山羊足が、俺の膝を跨ぐようにして座っていて。もちろんスカートだから、先輩のおしりの感触が直に膝に。
抵抗しようにも、それを抑えこむように首に手を回して正面から抱きしめてくる。必然、先輩の大きな胸が押し付けられて。
「せ、せんぱ――」
「たまにはいいだろう、こういうのも。青姦一歩手前だ」
「ほんとにまずいですって!」
「なにがまずいものか。傍目にはカップルがいちゃついてるようにしか見えないさ。放送コードもバッチリ遵守」
「普段からピー音レベルのこと言いまくってる人が何言ってんですか!離れてくださ、あの!」
「最近は後輩に免疫ができてちょっとやそっとじゃ動じなくなっていたが、やはりそういう童貞らしい反応が一番いい。見栄張ってかっこつけなくてもいいんだよ」
耳元で、諭すように囁いてくる。一本芯の通ったアルトの声も、先輩の魅力の一つなんだと改めて気付かされる。
「……」
「ふふ、さっきは照れるなと言ったが、訂正だ。思う存分、そうして照れててくれ。普段真面目なきみがそういう表情を見せてくれるのが私の楽しみなんだ」
「それ、先輩だけじゃないですか……楽しいの」
「きみは私の楽しそうな顔を見れる。二人とも幸せじゃないか」
「調子いいですね……」
なんか、雰囲気が変な方向に行ってる気がする。
白磁の首筋から香る、先輩の色の匂い。一つ息を吸うだけで先輩に染まっていくような錯覚。いや、きっと既に先輩に染まってるんだろうけど。
「汗の匂いはえっちだな」
「……」
「後輩のフェロモンを嗅いでるだけで昂ぶってくる。もしかすると、私たちは体の相性バッチリなのかもしれないな」
「ちょっと……」
先輩はといえば、こっちの首筋に鼻を押し付けて深呼吸。無遠慮で人の目を気にしてない。吐き出す息に震えるような恍惚さが混じってる。
これは、ちょっとどころじゃなくまずい。
「なあ……」
「先輩、ほんとダメですって、離れて落ち着いて」
「……"今日だけ"。ちゃんと"場所も移そう"。それでも、ダメかな」
「ダメなものはダメなんです、マジで……冷静に……」
「春の陽気ってやつかな……悪いが、どうも止められそうにない」
きゅ、と抱きしめられる力が強まる。より密着して、先輩の体温と女性の強い甘い匂いが直接浸透してくる。なにかわけのわからないものに揺さぶられて、頭がくらくらしてくる。
そうして唐突に、きいいん、と耳鳴りが襲ってくる。ぞくりと背骨を登る震え。下半身に突っ張る感触。ダメだろ、ダメだ。
「"今日だけ"だ。"約束する"。頼む」
「先輩、……」
「後輩……大好きだよ」
無理。これ、午後サボる流れだ。
「そうですね。梅雨も近いですし」
窓際にもたれかかってグラスを傾けつつ外を眺めている先輩を見ながら、弁当に箸を進める。
春の日差しに照らされる先輩は、いつものように優雅だった。
「先週に桜を見に行ったばかりなのにな。儚いものだ」
「あの日だって桜の花びらが散りまくってたじゃないですか。毎日あんな感じじゃすぐハゲますよ」
「そうだな。後輩もいつかは頭の花が散るんだし、自然の循環か。諸行無常」
「ハゲる話にシフトしないでくださいよ……」
仕草は優雅でも話すことはおっさんみたいなの、どうにかしてほしい。
いや、自分から言ったのが悪いのはわかってるけど。
「それにしたってもっと春気分を味わっていたいな。一年中ずっと春であってほしいくらいだ」
「過ごしやすいですからね。この後待ってるのがじめじめする梅雨ですし」
「そうだ。梅雨から夏は汗でじっとりしてワイシャツが透ける。ブラを付けたくないというのに、私の乳首を公衆の面前にフリーシェアすることになってしまう」
「カーディガン着てりゃいいじゃないですか……」
「私は部室ではクールビズするつもりだからな。きみが胸に目をやった回数をカウントしておく」
「勘弁してください」
普段からカウントされてたら恐ろしい数になってそうだ。先輩の胸は自己主張が強いせいで、意識して見ないようにしても目が行ってしまう。
先輩はこっちの思考を知ってか知らずか、じっと見返してきて妖艶に微笑む。心臓が高鳴る。
「ああ、いくらでも見ていい。減るものじゃないんだから、お代は勘弁してあげよう」
「――っ、あー、タダより怖いものはないんですよ」
「ふふ、美人局だったりするかもしれない。詐欺にあわないよう注意しなきゃ」
一際強い風が部室に入り込んで、先輩のカールした栗毛の髪がさらさらと揺れる。
それと同時に、ふわりと迷い込んだ桜の花びらが一枚。
「風に乗ってこの階まで上がってきたのか。縁起がいいな」
「お守りにでもしますか?美術部の備品借りてラミネートしたりとか」
「いや、いい。面倒だ。私にそういう乙女チックなのは似合わないからね」
机に乗った花びらを摘みとり、しげしげと観察する先輩。
「ふむ。後輩、食べてみるか」
「……花びらを?」
「うん。どうだ?」
「どうだじゃないですよ。もしかして俺ってなんでも食べるヤツみたいに思われてました?」
「……そんな悲しそうな顔をしないでくれ。冗談だから。セクハラに繋げるつもりだったんだ、そういうわけじゃない。悪かったよ」
「セクハラもやめてくださいよ……」
チェリーってことか。こうやってすぐ言いたいことを察せるって、魂のステージが先輩レベルに近くなってることを実感する。上がってるのか下がってるのかわからないけど。
「お詫びに私の花びらでも見るか。こっちはずっと散らないぞ。ロータス・ピンクだ」
「自前の桜の花で十分なんで……」
「くそ、それ私が言いたかったやつ」
「見え見えなんですよ、先輩のやりそうなことが」
もっとこう、両思いらしい雰囲気の話とかできないものかな、と無い物ねだりを考えてしまった。
*
天気が良いので、食後にテラスに出てみようということになった。
購買の近くに設けられた、おしゃれな机と椅子のセットがいくつか並べられたスペース。晴れの日限定で机が外に出されるので、春だとテラスが盛況だ。
「案の定満席か。どこもかしこもカップルだらけだ」
「みんな考えることは一緒ですね。戻りますか?」
「問題ない。花見に座る場所はいくらでもあるさ。ついてこい」
先輩に手を引かれながら向かった先は、校庭前に設置された花壇だった。
「花見、だろう?」
「た、たしかにそうですけど……」
「こんなものは口実さ。花の種類は関係なく、きみと仲良くできればなんでもいい」
「……ふつうは言い難いことをざっくり言いますね」
「花より団子なんだよ、私はね」
この場合は男子かな、とおもしろそうに笑う先輩。
「ほら、後輩。座って」
「え、はい」
促されるまま、花壇の小さな煉瓦塀に腰を下ろす。そうして先輩に目を向けると、今まさに俺の膝に座ろうとしているところだった。しかも向かい合う形。
「ちょっ、先輩」
「こら、椅子が暴れるな」
「誰が椅子ですか。立って立って」
「断る。嬉しいくせに照れるな照れるな」
「っ!」
色艶のあるふさふさの毛並みの山羊足が、俺の膝を跨ぐようにして座っていて。もちろんスカートだから、先輩のおしりの感触が直に膝に。
抵抗しようにも、それを抑えこむように首に手を回して正面から抱きしめてくる。必然、先輩の大きな胸が押し付けられて。
「せ、せんぱ――」
「たまにはいいだろう、こういうのも。青姦一歩手前だ」
「ほんとにまずいですって!」
「なにがまずいものか。傍目にはカップルがいちゃついてるようにしか見えないさ。放送コードもバッチリ遵守」
「普段からピー音レベルのこと言いまくってる人が何言ってんですか!離れてくださ、あの!」
「最近は後輩に免疫ができてちょっとやそっとじゃ動じなくなっていたが、やはりそういう童貞らしい反応が一番いい。見栄張ってかっこつけなくてもいいんだよ」
耳元で、諭すように囁いてくる。一本芯の通ったアルトの声も、先輩の魅力の一つなんだと改めて気付かされる。
「……」
「ふふ、さっきは照れるなと言ったが、訂正だ。思う存分、そうして照れててくれ。普段真面目なきみがそういう表情を見せてくれるのが私の楽しみなんだ」
「それ、先輩だけじゃないですか……楽しいの」
「きみは私の楽しそうな顔を見れる。二人とも幸せじゃないか」
「調子いいですね……」
なんか、雰囲気が変な方向に行ってる気がする。
白磁の首筋から香る、先輩の色の匂い。一つ息を吸うだけで先輩に染まっていくような錯覚。いや、きっと既に先輩に染まってるんだろうけど。
「汗の匂いはえっちだな」
「……」
「後輩のフェロモンを嗅いでるだけで昂ぶってくる。もしかすると、私たちは体の相性バッチリなのかもしれないな」
「ちょっと……」
先輩はといえば、こっちの首筋に鼻を押し付けて深呼吸。無遠慮で人の目を気にしてない。吐き出す息に震えるような恍惚さが混じってる。
これは、ちょっとどころじゃなくまずい。
「なあ……」
「先輩、ほんとダメですって、離れて落ち着いて」
「……"今日だけ"。ちゃんと"場所も移そう"。それでも、ダメかな」
「ダメなものはダメなんです、マジで……冷静に……」
「春の陽気ってやつかな……悪いが、どうも止められそうにない」
きゅ、と抱きしめられる力が強まる。より密着して、先輩の体温と女性の強い甘い匂いが直接浸透してくる。なにかわけのわからないものに揺さぶられて、頭がくらくらしてくる。
そうして唐突に、きいいん、と耳鳴りが襲ってくる。ぞくりと背骨を登る震え。下半身に突っ張る感触。ダメだろ、ダメだ。
「"今日だけ"だ。"約束する"。頼む」
「先輩、……」
「後輩……大好きだよ」
無理。これ、午後サボる流れだ。
16/09/30 17:21更新 / 鍵山白煙
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