先輩と後輩
昼休み、二人きりの部室。
「前から気になっていたんだが、後輩の中学時代はどうだったんだ?」
「時代って……まだ一年くらい前のことなんですが」
わくわくと期待に満ちた瞳で、先輩が机の向こう側から話を切り出してきた。頬杖をついている先輩に目を向けると、肘の近くでビニール袋が口を小さく結ばれて転がっていた。
この人、本当に食べるのが早い。
「中学生と言えば、性欲盛んな時期だろう。ぜひその辺を聞きたいな。言い難いなら私のショーツをプレゼントしてもいい」
「…………いりませんからやめてください」
「いま一瞬考えたな!?よしきた!」
「座れ!」
「ぅへぁ」
喜色満面にがたっと立ち上がった先輩に向けて弁当の蓋を投げた。鼻頭にクリーンヒット。
飛んでいった蓋を回収するために席を立ちながら、横目で鼻を抑えて座る先輩を見る。
「後輩、女性に手を上げてはいけないと教えなかったか……?反抗期?」
「先輩に育てられた覚えはないんですが。襲いかかろうとしてる野獣から身を守っただけです」
「うう……甲子園目指せる球速だった……鼻血出てない?出てないな、よし」
先輩の目がかなり本気になっていたせいで咄嗟に物を投げたけど、ちょっと涙目になっている先輩を見て胸にちくりとした罪悪感が生まれる。飯時に不衛生なことしようとする先輩も悪いんだけど、過剰防衛すぎた。謝ろう。
「あの、先輩。ごめんなさい」
「……マジのトーンで謝られても。私も悪かった。いきなりすぎたな」
「いえ」
弁当を食べるのを再開。ちら、と上目に先輩を見る。居心地が悪そうな表情。
重い。空気が。気まずい。
「……最近すこし、後輩にちょっかいをかけすぎてるんじゃないかと心配してたんだ。私ばかりに付きあわせてるだろう」
「別に、そんな。嫌だったら逃げてますし……」
「先走りすぎてしまうのかもしれないな、私は。許してくれ」
「許すもなにも、」
「罰として私の身体を好きにしてもいいぞ!」
「元気になるの早くないですか?」
*
「なんでしたっけ。中学校の頃の話?」
「そうそう。まだ記憶も新しいだろうから、なにかおもしろいことでもなかったかな、とね」
「うーん」
洗い終わった弁当箱を日なたに置いてタオルで手を拭きつつ、中学の時を思い出す。おもしろいこと、先輩が好きそうな話か。といっても、普通に話してるだけでも先輩は楽しそうだよな。
「中学校の時も料理部に入ってたんですよ。クラブでしたけど」
「うん。それは知ってる」
「言いましたっけ?それで、最初の頃は幽霊部員で友達と遊んでばっかりだったんですけど、出ろ出ろ言われて仕方なく参加して」
「不良だったのか。そうは見えないんだが」
「普通にサボってただけ……不良か。不良でした。それで料理クラブに参加していくうちに、料理の楽しさっていうのに目覚めた、みたいな」
「ん?もしかして最初は素人だったのか?」
「今でも素人ですけど……まあ、はい」
先輩は少し意外そうな表情を見せた。
「君は子供の頃から料理が得意だとばかり思ってたが……」
「小学校まで一切やったことないですし、小学校の調理実習だっててきとうに済ませてました。料理が大好きになったのは中学からですね」
「大好き、良い響きだな。私は高校からだ」
「知ってます。中学三年間みっちり料理クラブで活動して、先生にも教わったりしてました。急にやる気を見せ始めたのでびっくりしてましたね」
「不良が部活によって更生される、なんてフィクションの王道じゃないか。私はそういうの好きだぞ」
よし、と心のなかでガッツポーズ。自分の身の上話くらいで上機嫌になるなら楽なものだ。
「私は中学では何にも所属していなかったからな……君が羨ましいよ。なにかやっておけばよかったかな」
「そういえば、先輩と中学も同じでしたっけ。全然見覚えなかったですけど……中学の時って一年違うだけですごく離れてるように思えるんですよね」
「……そうだな。年の差は一年しかないのに、すごく大人に見える。逆も然り、ひとつ下ってだけで子供扱いだ。広いくくりから見れば同年代だというのに」
年上は自分よりも格が上で近寄りがたい、なんて勝手なことを考えて敬遠してしまうのは、きっと自分だけではなかったと思う。
「それで、後輩は中学の時は週何回オナニーしてたんだ」
「そうですね、週……」
そこまで考えて、はたと気づいた。
「なにさり気なく聞いてるんですか……」
「はっはっは、同年代のよしみで教えてくれてもいいだろう」
「一個上の先輩からのセクハラとして訴えますよ。ていうか知ってどうするんですかこんなん」
「そりゃあ、興奮する」
渾身の決め顔で性癖を暴露してくる先輩に対処する術を誰か教えてほしい。いまのところ、呆れるくらいしかできなかった。
☆
放課後、部活動が終わったあと。夕暮れのオレンジが、蛍光灯で明るい調理室に色を付ける。
「部長、副部長、さよならー」
「はい、さよーなら」
残っていた部員も手を振りながら帰っていき、部室には先輩と俺だけになる。
「……あの、先輩」
「なにかな。告白タイム?」
「違います。ちょっと前から気になってたんですけど、いつから俺は副部長になったんですか」
「さあ。民意とか、かな」
「……つくづく思うんですが、魔物娘ってみんな強引すぎませんか」
副部長に任命された覚えは全くない。だけどどうしてか、先輩以外の部員は副部長と呼んでくるようになった。最近の話だ。
先輩は部活で作ったワッフルに舌鼓を打ちながら、もがもがと答える。
「私たちは人の本質を見抜きやすい性質を誰しも持ってる。信頼されてると喜ぶべきところだよ」
「行儀悪いですよ」
「失礼」
懐から取り出したハンカチで口を拭う先輩。この人はちょっとした動作でもかっこよく美しく見えるのがすごいと思う。なんていうか、すごく自然にキザだ。ずるい。
「真面目に話そう。そもそもこの部は、私と君以外はみんな彼氏持ちのうら若き乙女だ」
「まあ、そうですね。惚気大会を毎日やってますし」
「だろう。それだから彼氏といちゃつくのに忙しいんだ。だが、君は暇だ。じゃあ副部長だ。よし」
「今の話のどこによしって言う要素があったんですか?」
暇なのは否定できない自分が憎い。
「別に不満もないだろう。副部長とはいえ、なにか面倒事が増えるわけでもない。強いて言うなら部活で作るものを決めたり食材を卸したりだ」
「……ちょ、ちょっと。俺がずっと部長にやらされてたことじゃないですか!」
「卵が先か鶏が先か、ということだな」
謀られた……!入部して一年経って高校二年生になって、もはや自分がやることが定番になってしまったそれら雑事が自らの首を締めていたなんて……。
がっくりと頭を抱える。
「ほら、問題ない。いつもどおりということだ。よし」
「俺が一年生の頃は先輩命令だって言ってたじゃないですか……」
「そうだ。その先輩命令に付随して『副部長の業務』という大義名分がひょっこり生えてきたんだな」
「うう……いじめじゃないですか」
「聞き捨てならないな。これはいじめじゃないよ」
傍に歩み寄ってきた先輩にワッフルを差し出され、受け取ろうとして、
「あーん」
「……」
「あーんだよ、あーん。ほら口開けて」
「……恥ずかしいんですけど」
「これは単なる部下への労いだ。いじめと違って、ね」
「口だけは上手いんだから……」
大人しく口を開いて、先輩に食べさせてもらう。たしかに先輩にこういうことをされるのは、報酬としては悪い気はしないかもしれない。
先輩が作ったであろうほくほくした甘いワッフルが、学校と部活で疲れた頭に癒やしをもたらしてくれる。これ、牛乳が飲みたくなるなぁ。
「美味しい?」
「んぐ……美味いですよ。やっぱ焼き立てって大事ですね」
「同感だ。もぐ」
「あ……」
止める間もなく、先輩は俺が口をつけたところを食べる。
涼しい表情だ。どんなことでも全く何も気にしてないように振る舞うのが先輩だけど、こういう時ばっかりは自分だけ意識してるように思えて恥ずかしくなる。
「ん、ふふ。何を赤くなっているのか当ててやろう」
「え……いや別に」
「君のいやらしいものを私の口に突っ込む想像をしていたな?水臭い、溜まっているなら言ってくれればいくらでも――」
「お疲れ様でした」
くねくねし出した先輩を放置してさっさと帰った。
「前から気になっていたんだが、後輩の中学時代はどうだったんだ?」
「時代って……まだ一年くらい前のことなんですが」
わくわくと期待に満ちた瞳で、先輩が机の向こう側から話を切り出してきた。頬杖をついている先輩に目を向けると、肘の近くでビニール袋が口を小さく結ばれて転がっていた。
この人、本当に食べるのが早い。
「中学生と言えば、性欲盛んな時期だろう。ぜひその辺を聞きたいな。言い難いなら私のショーツをプレゼントしてもいい」
「…………いりませんからやめてください」
「いま一瞬考えたな!?よしきた!」
「座れ!」
「ぅへぁ」
喜色満面にがたっと立ち上がった先輩に向けて弁当の蓋を投げた。鼻頭にクリーンヒット。
飛んでいった蓋を回収するために席を立ちながら、横目で鼻を抑えて座る先輩を見る。
「後輩、女性に手を上げてはいけないと教えなかったか……?反抗期?」
「先輩に育てられた覚えはないんですが。襲いかかろうとしてる野獣から身を守っただけです」
「うう……甲子園目指せる球速だった……鼻血出てない?出てないな、よし」
先輩の目がかなり本気になっていたせいで咄嗟に物を投げたけど、ちょっと涙目になっている先輩を見て胸にちくりとした罪悪感が生まれる。飯時に不衛生なことしようとする先輩も悪いんだけど、過剰防衛すぎた。謝ろう。
「あの、先輩。ごめんなさい」
「……マジのトーンで謝られても。私も悪かった。いきなりすぎたな」
「いえ」
弁当を食べるのを再開。ちら、と上目に先輩を見る。居心地が悪そうな表情。
重い。空気が。気まずい。
「……最近すこし、後輩にちょっかいをかけすぎてるんじゃないかと心配してたんだ。私ばかりに付きあわせてるだろう」
「別に、そんな。嫌だったら逃げてますし……」
「先走りすぎてしまうのかもしれないな、私は。許してくれ」
「許すもなにも、」
「罰として私の身体を好きにしてもいいぞ!」
「元気になるの早くないですか?」
*
「なんでしたっけ。中学校の頃の話?」
「そうそう。まだ記憶も新しいだろうから、なにかおもしろいことでもなかったかな、とね」
「うーん」
洗い終わった弁当箱を日なたに置いてタオルで手を拭きつつ、中学の時を思い出す。おもしろいこと、先輩が好きそうな話か。といっても、普通に話してるだけでも先輩は楽しそうだよな。
「中学校の時も料理部に入ってたんですよ。クラブでしたけど」
「うん。それは知ってる」
「言いましたっけ?それで、最初の頃は幽霊部員で友達と遊んでばっかりだったんですけど、出ろ出ろ言われて仕方なく参加して」
「不良だったのか。そうは見えないんだが」
「普通にサボってただけ……不良か。不良でした。それで料理クラブに参加していくうちに、料理の楽しさっていうのに目覚めた、みたいな」
「ん?もしかして最初は素人だったのか?」
「今でも素人ですけど……まあ、はい」
先輩は少し意外そうな表情を見せた。
「君は子供の頃から料理が得意だとばかり思ってたが……」
「小学校まで一切やったことないですし、小学校の調理実習だっててきとうに済ませてました。料理が大好きになったのは中学からですね」
「大好き、良い響きだな。私は高校からだ」
「知ってます。中学三年間みっちり料理クラブで活動して、先生にも教わったりしてました。急にやる気を見せ始めたのでびっくりしてましたね」
「不良が部活によって更生される、なんてフィクションの王道じゃないか。私はそういうの好きだぞ」
よし、と心のなかでガッツポーズ。自分の身の上話くらいで上機嫌になるなら楽なものだ。
「私は中学では何にも所属していなかったからな……君が羨ましいよ。なにかやっておけばよかったかな」
「そういえば、先輩と中学も同じでしたっけ。全然見覚えなかったですけど……中学の時って一年違うだけですごく離れてるように思えるんですよね」
「……そうだな。年の差は一年しかないのに、すごく大人に見える。逆も然り、ひとつ下ってだけで子供扱いだ。広いくくりから見れば同年代だというのに」
年上は自分よりも格が上で近寄りがたい、なんて勝手なことを考えて敬遠してしまうのは、きっと自分だけではなかったと思う。
「それで、後輩は中学の時は週何回オナニーしてたんだ」
「そうですね、週……」
そこまで考えて、はたと気づいた。
「なにさり気なく聞いてるんですか……」
「はっはっは、同年代のよしみで教えてくれてもいいだろう」
「一個上の先輩からのセクハラとして訴えますよ。ていうか知ってどうするんですかこんなん」
「そりゃあ、興奮する」
渾身の決め顔で性癖を暴露してくる先輩に対処する術を誰か教えてほしい。いまのところ、呆れるくらいしかできなかった。
☆
放課後、部活動が終わったあと。夕暮れのオレンジが、蛍光灯で明るい調理室に色を付ける。
「部長、副部長、さよならー」
「はい、さよーなら」
残っていた部員も手を振りながら帰っていき、部室には先輩と俺だけになる。
「……あの、先輩」
「なにかな。告白タイム?」
「違います。ちょっと前から気になってたんですけど、いつから俺は副部長になったんですか」
「さあ。民意とか、かな」
「……つくづく思うんですが、魔物娘ってみんな強引すぎませんか」
副部長に任命された覚えは全くない。だけどどうしてか、先輩以外の部員は副部長と呼んでくるようになった。最近の話だ。
先輩は部活で作ったワッフルに舌鼓を打ちながら、もがもがと答える。
「私たちは人の本質を見抜きやすい性質を誰しも持ってる。信頼されてると喜ぶべきところだよ」
「行儀悪いですよ」
「失礼」
懐から取り出したハンカチで口を拭う先輩。この人はちょっとした動作でもかっこよく美しく見えるのがすごいと思う。なんていうか、すごく自然にキザだ。ずるい。
「真面目に話そう。そもそもこの部は、私と君以外はみんな彼氏持ちのうら若き乙女だ」
「まあ、そうですね。惚気大会を毎日やってますし」
「だろう。それだから彼氏といちゃつくのに忙しいんだ。だが、君は暇だ。じゃあ副部長だ。よし」
「今の話のどこによしって言う要素があったんですか?」
暇なのは否定できない自分が憎い。
「別に不満もないだろう。副部長とはいえ、なにか面倒事が増えるわけでもない。強いて言うなら部活で作るものを決めたり食材を卸したりだ」
「……ちょ、ちょっと。俺がずっと部長にやらされてたことじゃないですか!」
「卵が先か鶏が先か、ということだな」
謀られた……!入部して一年経って高校二年生になって、もはや自分がやることが定番になってしまったそれら雑事が自らの首を締めていたなんて……。
がっくりと頭を抱える。
「ほら、問題ない。いつもどおりということだ。よし」
「俺が一年生の頃は先輩命令だって言ってたじゃないですか……」
「そうだ。その先輩命令に付随して『副部長の業務』という大義名分がひょっこり生えてきたんだな」
「うう……いじめじゃないですか」
「聞き捨てならないな。これはいじめじゃないよ」
傍に歩み寄ってきた先輩にワッフルを差し出され、受け取ろうとして、
「あーん」
「……」
「あーんだよ、あーん。ほら口開けて」
「……恥ずかしいんですけど」
「これは単なる部下への労いだ。いじめと違って、ね」
「口だけは上手いんだから……」
大人しく口を開いて、先輩に食べさせてもらう。たしかに先輩にこういうことをされるのは、報酬としては悪い気はしないかもしれない。
先輩が作ったであろうほくほくした甘いワッフルが、学校と部活で疲れた頭に癒やしをもたらしてくれる。これ、牛乳が飲みたくなるなぁ。
「美味しい?」
「んぐ……美味いですよ。やっぱ焼き立てって大事ですね」
「同感だ。もぐ」
「あ……」
止める間もなく、先輩は俺が口をつけたところを食べる。
涼しい表情だ。どんなことでも全く何も気にしてないように振る舞うのが先輩だけど、こういう時ばっかりは自分だけ意識してるように思えて恥ずかしくなる。
「ん、ふふ。何を赤くなっているのか当ててやろう」
「え……いや別に」
「君のいやらしいものを私の口に突っ込む想像をしていたな?水臭い、溜まっているなら言ってくれればいくらでも――」
「お疲れ様でした」
くねくねし出した先輩を放置してさっさと帰った。
16/09/30 16:44更新 / 鍵山白煙
戻る
次へ