エンクレイヴィング・レイヴンクロウ・アット・ジュウゴ=ナイト
満月が暗い夜に光をもたらし、高速道路傍のラブホテルの屋上に立つ一人の女性を照らし出していた。彼女の名はシラコ。またの名を、シロライト。彼女は魔物ガールであり、クノイチであった。
「朧月/思い浮かびし/君の顔……」
シロライトは今宵十七個目のハイクをしたため、これを腰のホルスターへと差し込んだ。静かな夜だった。マチダ・ステーションに程近いホド・ジャンクションの交通封鎖とトレーラーたちの光を遠巻きに眺め、それから問題の場所へと目を移す。
そこでは、マスター・ワン教団幹部のドラ息子が自らの暴走族仲間たちと共に高速道路レースを楽しんでいた。カナガワと北陸を結ぶ重要な貿易交通路である高速道を、何の前触れもなしに数キロに渡って封鎖したのだ。
そして、カナガワを支配する教団には貿易が一夜滞ったところで痛痒もない。実害を被るのは教団に搾取されている哀れな貿易トレーラー運転手たちだ。一夜の損失はその分のトレーラー運転手賃金をゼロにして賄い、批判は黙殺。常套手段だ。
何たる圧制的理不尽市民搾取構造か!しかし、運転手たちには養うべき家族がいる。教団からの重圧を受ければ受けるほど、奴隷じみて運転手たちは教団の保護を頼らざるを得ないようになっているのだ。ナムアミダブツ……!
しかし読者の皆様には怒りの拳を収めていただきたい。教団をこうまで上位階級たらしめているのは、レジスタンス存在である魔物ガールと対等に渡り合うことのできる者が存在するからだということを忘れてはいけない。
彼らの名はヒーロー。教団が崇拝する神、マスター・ワンからの祝福を受けて生まれたからこそ魔物ガールと同等の実力を持ち、教団を守ることができている。今この時でさえ、暴走族が遊んでいられるのはヒーローが傍にいるからこそだ。
シロライトはそのヒーローの苦虫を噛み潰したような横顔に、胸を痛ませる。そう、このヒーローこそがエボニーバイト。本名、クロキヒトキ……そして、シラコが思いを寄せる男子でもあった。
今宵、エボニーバイトは彼らの守衛を任命された。何にも邪魔されないように。そして彼らのご機嫌さえも取らなければいけない。反逆すれば、彼の両親の命はないといういつもの脅迫をも含めて……。シロライトは恨めしげに幹部のドラ息子を睨む。
Beep!突如、耳骨伝導マイクロフォンが振動する。素早くフォンを操作し、着信を受け取る。相手を確認せずともよいのは、この時に着信してくる相手は一人しかいないことを知っているからだ。
「生活棟内部に侵入し、資料からクロキ=サンのご家族が住んでいるブロックを突き止めた。そちらは」「機会を伺ってる。クロキ=サンから離れようとしない」「早くやることを推奨する」
通話の相手は、今回の作戦に協力してくれたクノイチのユシミ=サンだ。彼女のスニーク能力は高く、諜報役としてかなりの貢献をクノイチにもたらしている。しかし、未だに見初めた男がいないという。
「シラコ=サン、アンサツは簡単なことじゃないとしても、遅かれ早かれアタックを仕掛けねば機会が逃げる。早起きは三円得するのコトワザもある」「わかってる。……わかってる」「それならいいけど」
ユシミ=サンは小さく嘆息し、
「こちらの任務はしっかりとこなしておく。バレないうちに早くアンサツしなさい」
そう言って、通話が切れる。シラコは自分でも早くアタックを仕掛けねばと理解はしている。けれど、いざ彼と事を構えようと思うと、どうにも恥ずかしくて一歩を踏み出すことができないのだ。
クノイチは仕事のために自分を殺し、教団を打倒するために暗躍する種族。故に、アンサツは大きな意味を持つ。アンサツ……即ち、気に入った相手を表社会から消して自分のムコにすること。クノイチにとっての人生最大のイベントである。
そしてヒーローを相手としたアンサツは、魔物ガールたちにとっても多大な貢献となる。教団のヒーローと婚姻する行為は純粋に教団の戦力を削ぐことに繋がるし、ヒーローと子作りをすれば強力な魔物ガールが生まれる。メリットしかない。
故に、クノイチ本部はヒーローを相手取ったアンサツを志願する者に大きなバックアップを施す。そうしてたくさんの仲間に援助されたからこそ、アンサツの絶好の機会が訪れたのだ。
待つこと二時間にしてようやく、教団幹部のドラ息子がエボニーバイトから離れて車に乗り込む。一団がサービスエリアから離れていき、エボニーバイトはタイマー係として残る。数分もすれば戻ってくるだろう。アンサツはこの瞬間しかない。
「Wasshoi!」
シロライトは自らを奮い立たせながら跳躍し、安堵しているエボニーバイトへとアンブッシュを仕掛ける!腰のホルスターに差し込んであるハイク・カミを抜き取り、スリケンめいて投擲!
「キエーッ!」「ムッ!?イヤーッ!」KBAM!KBAM!
ハイクスリケンの飛来を素早く察知したエボニーバイトはエンジェル・ケンを抜き放ち一閃!込められた魔力の小爆発が近接信管めいてエボニーバイトを襲うも……無傷!
シロライトはエボニーバイトの二十フィート先に着地し、彼の素早く正確無比な剣筋に冷や汗を感じた。ハイクスリケンに込められた魔力が、一粒も彼にかかっていないのだ……!ゴウランガ!
「ドーモ、エボニーバイト=サン。シロライトです」「ドーモ、シロライト=サン。好機と見て殺しに来たか……だが、私は負けないぞ」「かもしれない。だから、あなたにニュースが一つと提案が一つある」「ほう」
「まずニュース。あなたのご両親は私の仲間が助け出し、安全なところに連れて行く手筈がある」「……!」「決して乱暴はしていないことを誓う。向かう先はフェアリーの国。中立地帯であるあそこならあなたも安心できるはず」
しかし、エボニーバイトに漲る殺気の質は変化したままだ。それほどに彼は両親を大切に思い、彼に預かり知らぬところで運命を弄ばれているのに腹立たしく感じている。わかっていることとはいえ、シラコの胸中に苦しさが募る。
「……提案とは?」「その前に、追加でもう一つだけ、あなたにわかってほしいことがある」「早くせよ」「……私達魔物ガールは、あなたたちが教えられたような凶暴なものではない」「何?」
「私達は人を殺さない。食べない。暴虐を与えることは決してない。私達は人々と共に生き、人々と同じように考え、人々と同じように心を持つ。そして、人々と同じように……恋をする」「フン」エボニーバイトは鼻を鳴らした。
「信じて!あなたたちが見てきた魔物ガールの強襲は、教団が自作自演した市民への攻撃なんだよ!」「その手の話はよく聞く。信じるに値しない与太話としてな」「私だって教団に殺されかけた」「よくあることだ」「人間の時に!」「何だと?」
「私は元々、人間だった。ハチオウジ・ディストリクトの壁の中で、教団の搾取構造にずっと働かされていた。両親はカロウシして死に、私一人だけで生きていく決心がついた時には反乱分子として教団員が押し寄せてきた」
シラコは思いを止められなかった。こんなことを話すつもりではなかったというのに、彼へ打ち明けたいという心が抑えられなかった。彼も私も似たもの同士。それをわかってほしかったのだ。
「死ぬと思った。もうダメだって。でも、その時に魔物ガールになった。慌てて逃げる教団員たちを見て、もうこんな悲しいことは止めなきゃいけないって思ったんだ……」シラコの涙は、もはやクノイチの鉄面皮が崩壊したことを意味する。
だが、エボニーバイトはただ大きく嘆息するのみだった。そして尚、剣を構えるのみ。
「話は終わりか。私の家族を返してもらおう」「え……」「そんな法螺話で私が剣を収めると思っていたのか。君と私は敵同士だ。敵同士が意気投合することなどは断じてない!」「そんな」「行くぞ!イヤーッ!」
エボニーバイトはエンジェル・ケンを中段に構え、アスファルトに踏み込みの足跡を残しながらシロライトへと跳躍!これは大上段から剣を叩きつけるヒーロー剣技、エンジェルフォールだ!アブナイ!
「キエーッ!」シロライトはすんでのところで横合いにステップし回避!「待って!」「待つものか!イヤーッ!」アスファルトに深い亀裂を刻みつけたエボニーバイトは素早く姿勢を回復させシロライトへ向けて斬り上げる!ハヤイ!
「キテ!」「ヌウーッ!」
シロライトの後ろ腰に帯びた鞘からコガタナが翻り、エボニーバイトの致命的剣閃を逸らす!やや膂力ではシロライトに不利か!魔物ガールへの種族肉体的不利を跳ね返す、ヒーローに宿った祝福の力は伊達ではないのだ!
「私達は敵じゃない!」「敵だ!レジスタンスは!イヤーッ!」「キエーッ!」袈裟懸けに体重の乗ったエンジェル・ケンが襲い来る!これは逸らせないと瞬時に判断したシロライトはブリッジ回避し跳躍、十五フィート距離を離す。
エボニーバイトはすぐには追いかけない。相手の出方を伺いながらジリジリと距離を詰め、しかしシラコは未だエボニーバイトと戦う気になれずにいた。
「……私がさっきの話をしたのは、あなたを傷つけたくないからなんだ」「実力に劣るものが上位者を口で丸め込む。典型的な口車だ」「そう、じゃなくて……私は、私は」一瞬の躊躇い。とうとう真なる思いを告げてしまう時。
「私は、クロキ=サンのことが大好きなの!」「……」エボニーバイトはそこでスリアシを止め、構えを崩さない。「あなたの優しい笑顔が。人の力になりたいって温かさが。両親を愛する心が、そんなクロキ=サンが……大好きなんだ」
「初めて見たのは、私がメグロで潜入調査をしている時……あなたは、苛められている子どもを見て庇っていた。いじめっ子を追い払って、そいつらの代わりにその子と遊んであげていた」「……だからなんだ」「良い人だなって思ったんだ」
「それからずっと、あなたのことが気になっていた。ヒーローであることは一目見てわかっていたけど、でも、あなたのような高潔な人はそう多くはない。すぐに調べがついて、何もかもを知った」「……」
「あなたはすごく良い人。聞き込む度に、みんながみんなあなたのことを褒めていた。すべての人に愛されていた。だから……」「ふざけるな」「え?」
エボニーバイトはアスファルトに強く剣を叩きつけ、大きな破壊音が周囲をこだました。「ふざけるな!お前が、魔物ガールが何をわかった振りをしているんだ!」「え?」
「私が助けたあの子は数日後、ヒーローから助けられたということで大人からさえリンチを受けていた!私が荷物を運んであげた老婆は、その後ムラハチされた!全て!全てが私の親切心で、だからこそヒーローは誰も助けるべきじゃなかった!」
ヒーローは神の祝福を受けた、教団支配権における絶対の存在。場合によっては神と同一視されることもあるほどに、全ての者からの信頼を勝ち得ている特別性を持つ。そしてそれ故に、彼らに助けられるというのは重大なリスクを伴う。過激派はどこにだって潜んでいるのだ。
「何が優しさだ!何が温かさだ!そんなものは一円の得にもならない!この社会に必要なのはビジネスだけ!金が全てを支配するんだ!」「……」シラコはぎゅっと胸の前で拳を握る。彼は追い詰められていた。そっと彼へ近づいていく。
「ヒーローの家族だからと、いつも無邪気に笑っていた妹はどこへ行ったかわからなくなった!両親は特別監獄でマケグミ生活!俺だけが特別扱いされて、俺以外は特別じゃなかった!俺はそれに酔ってさえいた!クソ野郎だ!」「もう、いいよ」
シラコはクロキを優しく抱きしめ、背中を撫でる。クロキの涙がシラコの肩を濡らし、キモノへと染みこんでいく。「そんなに自分を責めないで」「お前に、お前に何が……」「わかってなかった。わかった振りして、ごめんなさい」
「でも、あなたの言葉を聞いて……あなたのことがもっと好きになった。あなたは優しい人なんだ」「俺はひどい奴だ……」「ひどくない。酷いのは、教団と社会なんだ」「……」クロキの小さな嗚咽が場を支配する。
「逃げよう?」「え?」シラコの唐突な言葉に、クロキは問い返すことしかできなかった。「もう、こんなところからオサラバしよう?あなたが背負うべきものはないよ。自分を殺さないで。もっと、自分が好きなことをできるところへ逃げよう」
「でも、俺の父さんと母さんが」Beep!シラコへの着信。ビデオ通話だ。スマートディスプレイを取り出し、それを一瞥するとクロキに画面を見せる。「え?」
「おー、ヒトキじゃないか!久しぶりだなあ!男がなに泣いてんだお前!」「え?」そこに映るのは、クロキ・ヒトキの父親の元気な笑顔だった。傍らには微笑む母親もいた。「大丈夫か?お前は昔っから泣き虫だったからなあ」「父さん?」
「言ったでしょ、私の仲間が助けだしたんだ」シラコが言うのと同時に、画面の横にアップでユシミの顔が映る。「そういうこと。今、フェアリーの国に向かう最終電車に乗ってる。安心して」「ちょっとヒトキ!アタシこんなベッピンさん初めて見たよォ!」「母さん」
「その子でしょ?アンタが好きだって子。話聞いたけどね、アンタにゃ勿体無いくらいだよ!母さんは息子の結婚式が早く見たいんだからね!」「おい母さん、そりゃあ俺だって同じだぞ!なあヒトキ!可愛い子じゃないかシラコ=サンも」「父さん……」
クロキは絶えず涙を流し、しかしその顔は恥ずかしげに笑っていた。シラコはその横顔を見て微笑む。ああ、この顔が見たかったんだ。「というわけなので、こちらの任務は完了。あとは若い二人に任せて」「そうだな!後でまた話そうヒトキ」「うん……」
そうして通話が終了し、スマートディスプレイは暗い画面に戻る。月の光の反射によって、二人の顔が横並びに映る。「どうかな」「……」「もう、全部安心していいんだよ。私達も一緒に、フェアリーの国に行こうよ」
クロキは言葉を返さなかった。だが、その両腕は優しくシラコを抱きしめた。満月に浮かぶ微笑みドクロが、二人を祝福しているかのようだった。
◆エンクレイヴィング・レイヴンクロウ・アット・ジュウゴ=ナイト 了◆
「朧月/思い浮かびし/君の顔……」
シロライトは今宵十七個目のハイクをしたため、これを腰のホルスターへと差し込んだ。静かな夜だった。マチダ・ステーションに程近いホド・ジャンクションの交通封鎖とトレーラーたちの光を遠巻きに眺め、それから問題の場所へと目を移す。
そこでは、マスター・ワン教団幹部のドラ息子が自らの暴走族仲間たちと共に高速道路レースを楽しんでいた。カナガワと北陸を結ぶ重要な貿易交通路である高速道を、何の前触れもなしに数キロに渡って封鎖したのだ。
そして、カナガワを支配する教団には貿易が一夜滞ったところで痛痒もない。実害を被るのは教団に搾取されている哀れな貿易トレーラー運転手たちだ。一夜の損失はその分のトレーラー運転手賃金をゼロにして賄い、批判は黙殺。常套手段だ。
何たる圧制的理不尽市民搾取構造か!しかし、運転手たちには養うべき家族がいる。教団からの重圧を受ければ受けるほど、奴隷じみて運転手たちは教団の保護を頼らざるを得ないようになっているのだ。ナムアミダブツ……!
しかし読者の皆様には怒りの拳を収めていただきたい。教団をこうまで上位階級たらしめているのは、レジスタンス存在である魔物ガールと対等に渡り合うことのできる者が存在するからだということを忘れてはいけない。
彼らの名はヒーロー。教団が崇拝する神、マスター・ワンからの祝福を受けて生まれたからこそ魔物ガールと同等の実力を持ち、教団を守ることができている。今この時でさえ、暴走族が遊んでいられるのはヒーローが傍にいるからこそだ。
シロライトはそのヒーローの苦虫を噛み潰したような横顔に、胸を痛ませる。そう、このヒーローこそがエボニーバイト。本名、クロキヒトキ……そして、シラコが思いを寄せる男子でもあった。
今宵、エボニーバイトは彼らの守衛を任命された。何にも邪魔されないように。そして彼らのご機嫌さえも取らなければいけない。反逆すれば、彼の両親の命はないといういつもの脅迫をも含めて……。シロライトは恨めしげに幹部のドラ息子を睨む。
Beep!突如、耳骨伝導マイクロフォンが振動する。素早くフォンを操作し、着信を受け取る。相手を確認せずともよいのは、この時に着信してくる相手は一人しかいないことを知っているからだ。
「生活棟内部に侵入し、資料からクロキ=サンのご家族が住んでいるブロックを突き止めた。そちらは」「機会を伺ってる。クロキ=サンから離れようとしない」「早くやることを推奨する」
通話の相手は、今回の作戦に協力してくれたクノイチのユシミ=サンだ。彼女のスニーク能力は高く、諜報役としてかなりの貢献をクノイチにもたらしている。しかし、未だに見初めた男がいないという。
「シラコ=サン、アンサツは簡単なことじゃないとしても、遅かれ早かれアタックを仕掛けねば機会が逃げる。早起きは三円得するのコトワザもある」「わかってる。……わかってる」「それならいいけど」
ユシミ=サンは小さく嘆息し、
「こちらの任務はしっかりとこなしておく。バレないうちに早くアンサツしなさい」
そう言って、通話が切れる。シラコは自分でも早くアタックを仕掛けねばと理解はしている。けれど、いざ彼と事を構えようと思うと、どうにも恥ずかしくて一歩を踏み出すことができないのだ。
クノイチは仕事のために自分を殺し、教団を打倒するために暗躍する種族。故に、アンサツは大きな意味を持つ。アンサツ……即ち、気に入った相手を表社会から消して自分のムコにすること。クノイチにとっての人生最大のイベントである。
そしてヒーローを相手としたアンサツは、魔物ガールたちにとっても多大な貢献となる。教団のヒーローと婚姻する行為は純粋に教団の戦力を削ぐことに繋がるし、ヒーローと子作りをすれば強力な魔物ガールが生まれる。メリットしかない。
故に、クノイチ本部はヒーローを相手取ったアンサツを志願する者に大きなバックアップを施す。そうしてたくさんの仲間に援助されたからこそ、アンサツの絶好の機会が訪れたのだ。
待つこと二時間にしてようやく、教団幹部のドラ息子がエボニーバイトから離れて車に乗り込む。一団がサービスエリアから離れていき、エボニーバイトはタイマー係として残る。数分もすれば戻ってくるだろう。アンサツはこの瞬間しかない。
「Wasshoi!」
シロライトは自らを奮い立たせながら跳躍し、安堵しているエボニーバイトへとアンブッシュを仕掛ける!腰のホルスターに差し込んであるハイク・カミを抜き取り、スリケンめいて投擲!
「キエーッ!」「ムッ!?イヤーッ!」KBAM!KBAM!
ハイクスリケンの飛来を素早く察知したエボニーバイトはエンジェル・ケンを抜き放ち一閃!込められた魔力の小爆発が近接信管めいてエボニーバイトを襲うも……無傷!
シロライトはエボニーバイトの二十フィート先に着地し、彼の素早く正確無比な剣筋に冷や汗を感じた。ハイクスリケンに込められた魔力が、一粒も彼にかかっていないのだ……!ゴウランガ!
「ドーモ、エボニーバイト=サン。シロライトです」「ドーモ、シロライト=サン。好機と見て殺しに来たか……だが、私は負けないぞ」「かもしれない。だから、あなたにニュースが一つと提案が一つある」「ほう」
「まずニュース。あなたのご両親は私の仲間が助け出し、安全なところに連れて行く手筈がある」「……!」「決して乱暴はしていないことを誓う。向かう先はフェアリーの国。中立地帯であるあそこならあなたも安心できるはず」
しかし、エボニーバイトに漲る殺気の質は変化したままだ。それほどに彼は両親を大切に思い、彼に預かり知らぬところで運命を弄ばれているのに腹立たしく感じている。わかっていることとはいえ、シラコの胸中に苦しさが募る。
「……提案とは?」「その前に、追加でもう一つだけ、あなたにわかってほしいことがある」「早くせよ」「……私達魔物ガールは、あなたたちが教えられたような凶暴なものではない」「何?」
「私達は人を殺さない。食べない。暴虐を与えることは決してない。私達は人々と共に生き、人々と同じように考え、人々と同じように心を持つ。そして、人々と同じように……恋をする」「フン」エボニーバイトは鼻を鳴らした。
「信じて!あなたたちが見てきた魔物ガールの強襲は、教団が自作自演した市民への攻撃なんだよ!」「その手の話はよく聞く。信じるに値しない与太話としてな」「私だって教団に殺されかけた」「よくあることだ」「人間の時に!」「何だと?」
「私は元々、人間だった。ハチオウジ・ディストリクトの壁の中で、教団の搾取構造にずっと働かされていた。両親はカロウシして死に、私一人だけで生きていく決心がついた時には反乱分子として教団員が押し寄せてきた」
シラコは思いを止められなかった。こんなことを話すつもりではなかったというのに、彼へ打ち明けたいという心が抑えられなかった。彼も私も似たもの同士。それをわかってほしかったのだ。
「死ぬと思った。もうダメだって。でも、その時に魔物ガールになった。慌てて逃げる教団員たちを見て、もうこんな悲しいことは止めなきゃいけないって思ったんだ……」シラコの涙は、もはやクノイチの鉄面皮が崩壊したことを意味する。
だが、エボニーバイトはただ大きく嘆息するのみだった。そして尚、剣を構えるのみ。
「話は終わりか。私の家族を返してもらおう」「え……」「そんな法螺話で私が剣を収めると思っていたのか。君と私は敵同士だ。敵同士が意気投合することなどは断じてない!」「そんな」「行くぞ!イヤーッ!」
エボニーバイトはエンジェル・ケンを中段に構え、アスファルトに踏み込みの足跡を残しながらシロライトへと跳躍!これは大上段から剣を叩きつけるヒーロー剣技、エンジェルフォールだ!アブナイ!
「キエーッ!」シロライトはすんでのところで横合いにステップし回避!「待って!」「待つものか!イヤーッ!」アスファルトに深い亀裂を刻みつけたエボニーバイトは素早く姿勢を回復させシロライトへ向けて斬り上げる!ハヤイ!
「キテ!」「ヌウーッ!」
シロライトの後ろ腰に帯びた鞘からコガタナが翻り、エボニーバイトの致命的剣閃を逸らす!やや膂力ではシロライトに不利か!魔物ガールへの種族肉体的不利を跳ね返す、ヒーローに宿った祝福の力は伊達ではないのだ!
「私達は敵じゃない!」「敵だ!レジスタンスは!イヤーッ!」「キエーッ!」袈裟懸けに体重の乗ったエンジェル・ケンが襲い来る!これは逸らせないと瞬時に判断したシロライトはブリッジ回避し跳躍、十五フィート距離を離す。
エボニーバイトはすぐには追いかけない。相手の出方を伺いながらジリジリと距離を詰め、しかしシラコは未だエボニーバイトと戦う気になれずにいた。
「……私がさっきの話をしたのは、あなたを傷つけたくないからなんだ」「実力に劣るものが上位者を口で丸め込む。典型的な口車だ」「そう、じゃなくて……私は、私は」一瞬の躊躇い。とうとう真なる思いを告げてしまう時。
「私は、クロキ=サンのことが大好きなの!」「……」エボニーバイトはそこでスリアシを止め、構えを崩さない。「あなたの優しい笑顔が。人の力になりたいって温かさが。両親を愛する心が、そんなクロキ=サンが……大好きなんだ」
「初めて見たのは、私がメグロで潜入調査をしている時……あなたは、苛められている子どもを見て庇っていた。いじめっ子を追い払って、そいつらの代わりにその子と遊んであげていた」「……だからなんだ」「良い人だなって思ったんだ」
「それからずっと、あなたのことが気になっていた。ヒーローであることは一目見てわかっていたけど、でも、あなたのような高潔な人はそう多くはない。すぐに調べがついて、何もかもを知った」「……」
「あなたはすごく良い人。聞き込む度に、みんながみんなあなたのことを褒めていた。すべての人に愛されていた。だから……」「ふざけるな」「え?」
エボニーバイトはアスファルトに強く剣を叩きつけ、大きな破壊音が周囲をこだました。「ふざけるな!お前が、魔物ガールが何をわかった振りをしているんだ!」「え?」
「私が助けたあの子は数日後、ヒーローから助けられたということで大人からさえリンチを受けていた!私が荷物を運んであげた老婆は、その後ムラハチされた!全て!全てが私の親切心で、だからこそヒーローは誰も助けるべきじゃなかった!」
ヒーローは神の祝福を受けた、教団支配権における絶対の存在。場合によっては神と同一視されることもあるほどに、全ての者からの信頼を勝ち得ている特別性を持つ。そしてそれ故に、彼らに助けられるというのは重大なリスクを伴う。過激派はどこにだって潜んでいるのだ。
「何が優しさだ!何が温かさだ!そんなものは一円の得にもならない!この社会に必要なのはビジネスだけ!金が全てを支配するんだ!」「……」シラコはぎゅっと胸の前で拳を握る。彼は追い詰められていた。そっと彼へ近づいていく。
「ヒーローの家族だからと、いつも無邪気に笑っていた妹はどこへ行ったかわからなくなった!両親は特別監獄でマケグミ生活!俺だけが特別扱いされて、俺以外は特別じゃなかった!俺はそれに酔ってさえいた!クソ野郎だ!」「もう、いいよ」
シラコはクロキを優しく抱きしめ、背中を撫でる。クロキの涙がシラコの肩を濡らし、キモノへと染みこんでいく。「そんなに自分を責めないで」「お前に、お前に何が……」「わかってなかった。わかった振りして、ごめんなさい」
「でも、あなたの言葉を聞いて……あなたのことがもっと好きになった。あなたは優しい人なんだ」「俺はひどい奴だ……」「ひどくない。酷いのは、教団と社会なんだ」「……」クロキの小さな嗚咽が場を支配する。
「逃げよう?」「え?」シラコの唐突な言葉に、クロキは問い返すことしかできなかった。「もう、こんなところからオサラバしよう?あなたが背負うべきものはないよ。自分を殺さないで。もっと、自分が好きなことをできるところへ逃げよう」
「でも、俺の父さんと母さんが」Beep!シラコへの着信。ビデオ通話だ。スマートディスプレイを取り出し、それを一瞥するとクロキに画面を見せる。「え?」
「おー、ヒトキじゃないか!久しぶりだなあ!男がなに泣いてんだお前!」「え?」そこに映るのは、クロキ・ヒトキの父親の元気な笑顔だった。傍らには微笑む母親もいた。「大丈夫か?お前は昔っから泣き虫だったからなあ」「父さん?」
「言ったでしょ、私の仲間が助けだしたんだ」シラコが言うのと同時に、画面の横にアップでユシミの顔が映る。「そういうこと。今、フェアリーの国に向かう最終電車に乗ってる。安心して」「ちょっとヒトキ!アタシこんなベッピンさん初めて見たよォ!」「母さん」
「その子でしょ?アンタが好きだって子。話聞いたけどね、アンタにゃ勿体無いくらいだよ!母さんは息子の結婚式が早く見たいんだからね!」「おい母さん、そりゃあ俺だって同じだぞ!なあヒトキ!可愛い子じゃないかシラコ=サンも」「父さん……」
クロキは絶えず涙を流し、しかしその顔は恥ずかしげに笑っていた。シラコはその横顔を見て微笑む。ああ、この顔が見たかったんだ。「というわけなので、こちらの任務は完了。あとは若い二人に任せて」「そうだな!後でまた話そうヒトキ」「うん……」
そうして通話が終了し、スマートディスプレイは暗い画面に戻る。月の光の反射によって、二人の顔が横並びに映る。「どうかな」「……」「もう、全部安心していいんだよ。私達も一緒に、フェアリーの国に行こうよ」
クロキは言葉を返さなかった。だが、その両腕は優しくシラコを抱きしめた。満月に浮かぶ微笑みドクロが、二人を祝福しているかのようだった。
◆エンクレイヴィング・レイヴンクロウ・アット・ジュウゴ=ナイト 了◆
15/11/08 13:09更新 / 鍵山白煙