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シ隠神ト士楽イ習見
シ隠神ト士楽イ習見


僕は廊下を少し息を切らしながら急いでいた。約束に遅れているのだ。

『すみません、少し遅くなってしまいました。"こんちぇると"の楽譜が余りにも面白かったのでつい。……観賞会まだ大丈夫ですか?』

ガラリと資料館の引き戸を開けると物静かな"れでぃ"が座っていた。彼女は薫子さん。この牡丹の花もかくやと言う黒髪の乙女は僕の身の周りの世話をしてくれている。

『はい。大丈夫ですよ。……では坊っちゃま、このスコア譜を手に。今日はガブリエリ・フォードのレクイエムを。指揮者はレオナルド・コストコスキです。』

『たしかその指揮者は合衆国人でしたね?』

『はい。……お好きですか?』

『えぇ。しかし……彼の指揮はかなり先進的で神聖なフォードの合唱とは相性が良くないのでは?』

『ふふふ……それは聴いてからのお楽しみに。さぁ、蓄音機にレコードを。』

円盤を手渡され、僕はゼンマイを巻き、意味も無く慎重に蓄音機の大きな朝顔を僕と薫子さんの座る席へと向ける。

そして、ひとたび針が音楽を記憶した円盤に落とされれば、壮麗たるレクイエムの調べと神聖への響きが僕と彼女を煩わしい世界から隔離するのだ。

正和16年……僕は父から『おまえは虚弱だから、知り合いの療養所に行きなさい。』と帝都藝術大学を休学して山ノ梨県の高原地帯のとある療養所へと押し込められたのだ。



その意味する事は僕にも察しが付いた。



僕の父親は四菱重工に勤める設計家であった。

第一次人間大戦、空中戦闘において航空機では魔物娘の有機的、生物的な飛行能力に対して全く対応出来ないと証明された。人魔中立国であるアルカナ合衆国との軋轢を深めた今次、強力な航空勢力を持つそれらの国に対し驚異と危機感を感じた我が国は航空技術の抜本的な改革を余儀なくされたのだ。

その様な状況に置かれ、魔力蒸気機関を用いての立体機動装置の開発に着手した。僕の父は立体機動装置における姿勢制御ともう一つなにかの機械の開発に携わっていたようだ。

そうして社会的な地位を得た父は、僕が兵役に取られ無いように私的に権力を使い、僕を戦争から遠ざける為に山深いこの療養所へと追いやったのだ。

尤も、生来身体が余り丈夫では無いので僕が軍隊に志願するなり、赤紙を頂戴したとしても、とてもでは無いが到底御国の役に立つ事は出来ないであろう。

この山は良い。澄んだ空気と、もえるような緑は不思議と体に馴染む様な気がして、ともなれば音楽家を目指す自身にはお誂え向きの環境と思えてやまない。

マスメディアたるラジオもラウンジに一つ古いのがポツリとあるだけで、新聞は来ない。

世俗とは隔離されてしまっているようだが、ここに居れば下界では聴く事が出来ない仮想敵国である合衆国やブリタニア連合王国やファラン共和国、シャーロ共産連邦の音楽、スコアーに譜面、それらの国で書かれた小説や童話や寓話や絵画に触れられるのだ。

まるで都会の喧騒を嫌い、愛人と2人ひっそりと山奥に引き篭もった印象作曲家……例えばクプラン氏のようなロマンチズムを満喫していた。

薫子さん……僕の事を坊っちゃまと呼ぶ彼女はこの療養所の看護師で、身の回りの世話をしてくれている。少し目上で、美しく、上品で理知的であり、芸術にも深い趣向を持つようで、貴い生まれの御息女か、それとも名のある旧家の令嬢か。何故こんな所でこんな看護の仕事をしているのかと尋ねてみれば、花嫁修行の一貫とそう言っていた。僕との話しも合い、観賞会と称して時折療養所にある資料館にて音楽の喜びを分かち合っている。

きっかけは、暇を持て余したのでアップライトのピアノでセバスチャンのクラビア上下巻を取り寄せ練習していた時で、薫子さんの方から声をかけてくれたのだ。





正直に言うと……僕は彼女を崇拝している。





そうしてレクイエムの最後の曲である楽園音楽イン・パラディウムが終わり、僕は何にも変え難い音楽の余韻と蓄音機の針の擦れる音が空間を支配した。今正に僕と彼女はこの聖なる時間にいる。


すると…………


『田中 英雄 君、ばんざぁーい!!』

ばんざぁーい!!

ばんざぁーい!!

ばんざぁーい!!


療養所の玄関から僕を現実へと引き摺る様に連れ戻す節操のない万歳三唱が聞こえて来たのだ。

『……慌ただしいですね。』

『えぇ……確かあの方は、四月に入って来たばかりの若い先生です。今日出立なさるのでしょう。』

『戦争が近いのですね。……軍用車……という事は彼は志願されたようですね。』

『えぇ、軍医准尉さんだそうですよ。私、戦争は嫌です。』

同感する。下界……帝都にいる時も感じていたが、戦争前夜の空気と言うものは高揚と熱を帯びた狂気を孕んでいる。きっと古今東西、戦の前とはそう言うものなのであろう。

尤も、僕を含む学生や一部のインテリジェンスはそう言った社会的共通認識においてのイデオロギヰに対して冷笑的であった。

此処に居ればその様な下界の煩しさからは無縁で居られるのに……

古代、遠く離れた山の頂から人々が争い右往左往しているのを見下ろして、あぁ……世はみだれている。……などと言っている当時の知識人はさぞ楽しかったのであろう。

出来れば僕もそうしたいのだ。

そのような事で、僕には志願した彼を動かしたナショナリズムや民族的思想、それらに基づく使命感や情熱を持つ事は到底出来ない。

『時代……なのでしょうね。』

僕は彼女を見る事が出来なかった。



そして……



"臨時ニュース ヲ 申シ上ゲマス。臨時ニュース ヲ 申シ上ゲマス。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。大ジパング帝国陸海軍ハ、本8日未明、西 大平洋ニオイテ アルカナ、ブリトニア連合軍ト戦闘状態ニ入レリ。大ジパング帝国陸海軍ハ、本8日未明、西 大平洋ニオイテ アルカナ、ブリトニア連合軍ト戦闘状態ニ入レリ。今朝、大ジパング帝国大本営陸海軍部カラ コノヨウニ発表サレマシタ。繰リ返シマス。大本営陸海軍部……"


遂に戦争が始まってしまったのだ。


ラジオによると、大ジパング帝国は連合に宣戦布告後、金剛石湾(ダイヤモンドハーバー)に駐屯していた連合軍基地に向け空中空母から飛び発った航空兵が奇襲を成功させたらしい。

遽には信じられない。詳しい事はわからないが、まだ帝都の自宅に居た時に父の書斎に乱雑に置かれていた計算書や設計図の残骸を見た事がある。父の影響で幼い時分に少々齧った程度の拙い知識だが、ただ飛ぶなら兎にも角、父達が作った零式戦闘立体機動装置はとてもではないが生身の人間に扱える代物では無いのだ。魔石燃料を使ったとしても圧倒的にエネルギイが足りない筈だ。

姿勢制御装置の他に父は何を作ったのだろう……

いや、そんな事を考えてどうするのだ。僕に出来る事は何も無い。

『……どうかされましたか?』

ふと見ると薫子さんが酷く心配そうな顔をして僕を見ていたのだ。

『あぁ、なんでもありません。』

彼女は『そうですか……』と心配そうな顔のままにそう呟くと僕の隣に座り澄み渡る山々から流れ出る雲を眺めた。

それから数ヶ月が過ぎた春の日のこと。

日差しの心地良い日で、僕は何時ものように楽譜を読み漁り、ピアノを練習していた。

丁度リヒターの"えちゅーど"を引き終えると、手と手を打ち合わせる乾いた低い音が僕の背中から聞こえて来たのだ。

『ダス・イスト・ゲール!(素晴らしいデス。)』

僕に拍手を送ったのは茶色い背広を着込んだ背の高い白人だった。

『ダンケシェン。……ハゥト・ディル・マイン・アゥフトゥリッ・ゲーファレン?(ありがとうございます。僕の演奏は楽しめましたか?)』

その方は手に持つタバコを吸い、ふぅ〜っと白い煙を口から吐くと満面の笑顔を見せた。

『ナトゥリヒ!(もちろん!)……アナタ、ピアノもクラーヴェ語もトテモ上手デス。スゴく勉強しましたネ?』

『はい。僕のピアノの先生が昔オーケストリアに住んでいたそうなのでクラーヴェ語は彼から勉強しました。』

『そうデスかー。……アナタ、病気ではありませんネ?……タバコ嫌がらナイ。』

『…………なぜそう思いますか?』

そう僕が尋ねると彼はまた笑いながらまたタバコを口へと運んだ。

『……ココ、ホントの病人少ナイ。ツェーリの山の病院、病気のヒト沢山。タバコ嫌がル。ココのヒト、タバコ嫌がらナイ。政治や軍の偉い人、お金持ちの家族多い。ミンナ何かヲ諦めてル。アナタもデスネ?』

彼の青い目は全てを見透かす様で、しかしどこか現実味が無いのだ。彼の言う通り、僕は虚弱ではあるが病人では無い。この療養所は僕と同じような理由や境遇でここに押し込められた偉いさんの息子や娘や警備の若い制服さんばかりだ。

そのような事を乾いた笑い声を出して考えていると……

『シュピーゲル殿!……シュピーゲル・フォン・リリエンタール殿は何処かぁ!』

部屋の外からドカドカと節操の無い声と足音が近づいて来て、その足音はこの部屋で止まり、今度はこれまた節操無くひどく乱暴にドアをバタリと開ける音が僕の耳に飛び込んできたのだ。

『シュピーゲル殿、困りますなぁ!休養中と言えど、許可なく勝手に出歩かないで頂きたい。』

『オー、ゴメンナサーイ。……デァ・ピアノニスト、また聴きに来マスネ?』

シュピーゲルと呼ばれた彼は声の大きい制服さんの言う事なぞ気にも止めない様子で一言笑いながら謝ると、僕の耳元でそう囁き、表情から肯定したと受け取った笑顔のシュピーゲル氏は少しムッとした表情の制服さんと一緒にこの部屋を後にした。


『彼は一体何者なのだろう……』


少々の疑問を胸に留めつつ、何日か経ったある日の夜のこと。ピアノを練習しているとシュピーゲル氏が現れたのだ。

『スバラシイ。ブラーボ……こんなに感動したのは、1940年……ドレス市でカザルフスキー氏のチェロ聴いた時以来デス。ソチラの女性ハ?』

『ダンケ……デァ・シュピーゲル。彼女は僕の身の周りの世話をしてくれています。薫子さんといいます。』

薫子さんはシュピーゲル氏に慎ましやかに頭を下げた。それを見た彼は何かを納得したように挨拶を返すと、それを飲み込むようにタバコを吸った。

『……今夜、ワタシ1人。制服サン居マセン。アナタに会いに来たのハ、2つ、聞きたイ事アリマス。ソノ前に、カーテンヲ閉めてクダサイ。』

シュピーゲル氏は小声でそう言うと、木の枝を象ったような燭台をカバンから取り出して9本の蝋燭を立てた。それを見た薫子さんは、大慌てでカーテンを閉め、遮光布まで下ろしてしまった。

シュピーゲル氏はタバコで蝋燭に火を灯しながら、薫子さんの方を見て目を細めていた。

『薫子サン、アリガトウゴザイマス。……デァ・ピアニスト、ワタシとアナタ方、会ってから時間短いデス。シカシ、ワタシ達はトモダチデス。その証二、ワタシのヒミツ……アナタ方に教えマシタ。』

何の事かは分からない。しかし、優しい灯りを放つその燭台と薫子さんの行動、そしてシュピーゲル氏の言葉から彼は彼に纏わる何か重要な事を僕に教えてくれたのだと確信した。

『シュピーゲルさん、僕に何の用ですか?』

『ハイ。2つの質問……その前ニ……クラーヴェやロマーナの人工勇者ヲ知ってイマスカ?』

『はい……噂には。主に魔物国家の翼を持つ魔物娘や竜騎兵に対抗するべく、勇者の力を人為的に複製した生きる万能兵器。クラーヴェ社会主義労働党のアドラー氏が心血を注いでいると言うあの……』

『……アィニ・グッッペラン・フォン・シェッケレン(彼らハならず者ノ集団デス。』

彼はクラーヴェ人であるはずだ。愛国心を持ってはいないのだろうか?

『オォ、ムスメサンもクラーヴェ語ワカリマスネ?』

薫子さんは表情を曇らせたままだ。

『スミマセン、お話ニ戻りマショウ……人工勇者ガ扱う戦闘用立体起動装置は大きなチカラ、ヒトに与えマス。デスが、トテモ沢山エネルギー使いマス。人間では勇者と人工勇者、彼らの他ハ特別な魔道士や魔法使いしか扱えマセン。しかし……ジパングに勇者イマセン。アナタ方ジパング人作った零式戦闘立体起動装置アマテラス、動かナイハズ。デモ、ジパングの兵隊ハ空ヲ飛びマシタ。ダイヤモンドハーバー襲いマシタ。一体ナゼ?どうやって?……アナタのファーター……オトウサンの事デス。彼は四菱重工の開発責任者デスネ?1つ目の質問です。彼は一体何を作ったのデスカ?』

『それは、僕にも分かりません。僕の父は零式立体機動装置における姿勢制御ともう一つなにかの機械の開発に携わっていたとしか……。』

『ソウデスカ……。いぇ、アリガトウゴザイマス。』

彼はそう言うと蝋燭の灯りの中、顎に手を当てて何やら考え始めた。その目の奥は何を考えているのか……それはわからない。ただ、薫子さんはシュピーゲル氏を心配しているような、そんな素振りを微かだが出していた。

『……シュピーゲルさん。それで、もう1つの聞きたい事とは何ですか?』

『あぁ、ハイ。……2つ目の質問……でもコレは質問では無く、リクエストです。……デァ・ピアニスト、セバスチャンは引けますか?』

そう屈托のない笑顔で僕に語りかける彼の小さな願いを叶える為、僕は練習の為に側の机の上に乱雑に置いた楽譜の中からセバスチャンのピアノ曲集を取り出し、それをピアノの楽譜立てにばさりと置き、適当にめくり、そして僕の手は一曲の小品で止まった。

『ディル……フィル・アイネ・クライネ・ナハト・コンサルト……ゲニフンジ・ジィ・セバスチャン(では、この小さな夜のコンサートの為に……セバスチャンをお聴き下さい。』






そうして僕はセバスチャンのピアノ曲からアリオーソを演奏した。






『アリガトウ……アリガトウ。……ソノ曲ハ……娘のテレサが好きな曲デス……。ジパングの友人ヨ、私はアナタを、今日と言う日ヲ忘れマセン……。』

演奏が終わって、後ろを向くとシュピーゲル氏は静かに涙を流していた。僕の敬愛する作曲家、ヨハネ・セバスチャンの曲の中でアリオーソは一際美しい曲なのである。僕は主神なぞ信じてはいまいし、他の宗教も信じてはいまいが、もしかしたら……本当に神はいるのではないか?この曲を演奏している間はそう思わずにはいられないのだ。

慈しみ深い旋律がヤーコフの梯子のように天から降りてくるようで、少なくともこの曲は脆弱な僕に誰かの心を一時救うだけの力を与えてくれるのかもしれない。

僕は僕と言う人間を決して良い人間だとは思ってはいない。

けれども、そんな幻想を抱けるくらいには僕は善良なのかも知れない。

彼は見習い楽士の拙い演奏に感動してくれたようだが、何か申し訳ない。どう声を掛けたら良いか?そんな事を考えていると、彼は燭台の上のすっかり短くなった蝋燭を全て外してしまい、その内の4〜5本を灯りの為に近くの机の上に置いて、後の残りの蝋燭は火を消して、燭台と一緒にカバンに仕舞い込んでしまった。

『デァ・ピアニスト。最後に私から忠告シマス。……親と言う生き物ハ、子供のタメならば何でもシマス。時には悪魔ニモ魂ヲ売りマス。……アナタをコノ山に入れたアナタのオトウサンの気持ち凄く理解デキマス。恐らく彼ハ、アナタを戦争から遠くにしたかった……ソウ思いマス。』

『はい。』

『将来……アナタはアナタのオトウサンを憎むかも知れマセン。デスガ……赦してあげてクダサイ。……アウフ・ヴィーダシェン・マイン・フリーデ……(さようなら、私の友よ。』

その後、部屋から出て行ってしまったシュピーゲル氏とはそれきり会う事は無かった。翌朝に酷く慌てた様子の制服さんから彼が姿を消した事を聞かされて、何か事情は知らないかと怒鳴られたのだ。

無論、僕も薫子さんも何も答えられなかった。 

その制服さんの慌て振りから彼はクラーヴェの外交官かスパイであったのだろう。そして、彼は僕の知らない父の何か重大な事を知っていて、恐らくはあの夜の僕との会話から何か確信を得たのだ。

後で薫子さんから聞いたのだが、あの燭台と9本の蝋燭はユタ人を表すものである事を聞いた。

クラーヴェのユタ人の扱いについては世間知らずの僕でも知っている。

もし僕がシュピーゲル氏なら、事故か何かで死んだ事にして何処か戦争の影響の少ない国か、さもなくばアルカナ合衆国に亡命するか、それが叶わないのなら隠者のように身を隠そうとするだろう。

今となっては彼が無事である事を祈るしかない。

それから穏やかな日々が続いた。音楽に触れ、文学を楽しみ、薫子さんと近くの草原や森、山々を歩き、ピアノを練習して……




けれども、戦争はこんな田舎の山にも暗く影を落とすのだった。




それは真っ先に食事に現れるのだ。日に日にスープや味噌汁からは実が減り、米は次第に麦の量が多くなり、次に粥になり、とうとう栗芋に変わった。野菜なぞも、おまえはいったい何処のものだ?と聞きたくなるような野草に取って変わり、それすらも無くなってしまう有様だ。 

ラジオで流れて来る戦果報告も信憑性の無いものとなっていった。華々しい戦果とは裏腹に、生活は苦しくなり、此処からでもわかる程に世間を包む雰囲気が悪くなっている。

それから制服のお偉いさんや療養所に居る人の家族がとんと訪れなくなって、変わりに近くに疎開に来た痩せこけた学童や先生方が幾度か挨拶に来たのだった。少なくとも表向きは療養中で暇な身の上である僕は、週に何度か薫子さんに頼んで付いてきてもらい、学童達に音楽を教えに行く習慣が出来た。それは少し嬉しくある。






しかし……






この国は確実に破滅へと向かっている。








この山でこの有り体なのだ。帝都や下の街々はどの様な事になっていようか?

時だけがいたずらに過ぎていった。気付いた時にはおおよそ3年の月日が流れていた。

薫子さんと散歩に出かけたある日の夕刻の事……

『坊っちゃま!あちらの茂みに!!早く!!』

と手を引かれ、帰り道に茂みへと逃れて、空を見上げてみれば、夥しい数の空中戦艦が僕達の頭の上を通り過ぎていった。

『あれは……アルカナの……』

『はい……きっと、街を焼きに行くのです…………』


その日の夜、西の空は焼けたままだった……。


その頃からアルカナ合衆国の空中戦艦が僕達の頭の上を通り過ぎる事は珍しい事では無くなったのだ。


そうして春が過ぎ、少し暑くなり始めたその年の5月11日。その日はいやに騒がしくて療養所にいる他の患者や看護婦さんや先生方までラウンジにあるラジオの前にいた。僕はそこにはいなかったから詳しくはわからないが、話し声から遂にクラーヴェが連合国に対して全面降伏をしたとあった。

もうファスケス党ロマーナも、アドラー氏のクラーヴェも降伏した。

霧の国を舞台にしてアルカナ合衆国との魔石燃料の利権争い、経済的対立は当事国同士はもとより、エウロパス(西の大陸)列強諸国との溝をも深めた。我が国はそれらの列強諸国から植民地にされ、搾取されている南方諸国を解放し、経済を始め世界各国と様々な分野で対抗して行く為に大ジパング共栄圏樹立と言う大義名分を掲げた。

そうして起きたこの戦争は僕の目にも行き場を失っているように見えるのだ。

『歴史が動く度に、歴史は血を求め、人は血を流す。それをいとわない。薫子さん、この国はいったい何処に向かっているのだろう……』

『坊っちゃま…………』

薫子さんはそれ以上何も言わずに僕の隣に座って夕暮れた空を眺めた。一緒に居てくれる人がいる。それだけで救われた気持ちになる。



人間とはそれほど弱い生き物なのだろう。



時ばかりが歌のように過ぎていく。そんなすっかり暑くなり、蝉の鳴き音も覚えて久しい夏の頃…………。


"""""

然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ

忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ

萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス…………

""""""


その日、ラジオの前で皆、頭を垂れ皇帝陛下の御言葉を聞いていた。


3年8ヶ月にも及んだ戦争が終わったのだ。


ん……?陛下は今、残虐ナル爆弾……と?


あぁ、きっと空襲の事だ。きっとそうに違いない……

そして慌ただしい毎日が始まった。


『あっ、お歌の先生ー!こんにちはー!』

この日、疎開の学童達を訪ねて見れば墨汁の匂いがぷんと鼻を刺し、学童達は外で遊んでいる様子は無いのにいつにも増して汚れていた。

『こんにちは、みなさん。……おやおや、そんなに墨で頬や手を汚してしているのですか?』

『教科書を塗り潰せって、先生が言うんだー。なんでだろー?』

『それより、お歌を歌いましょ?……我はー官軍、我が敵はー♪天地容れざる朝敵ぞー♪敵の大将なる者はー、古今無双の英雄でー♪♪伴に従う兵はー♪共に慓悍决死の士ー♪鬼神に恥じぬー……』

子供が元気良く歌うと、直ぐに血相を変えて学童達の先生が飛んで来て少女を怒鳴り付けた。

『こらーーーっっ!!!そんな歌、歌ってはいかん!!』

『先生、ごめんなさい……』

『わかったら宜しい。もう行きなさい。』

そうして学童達は教科書を墨で塗り潰す作業に戻って行った。

『……すいません、若先生。今は軍人さんの事や戦争中に教えた事を教えてはならんのです。あの子らにしたら、迷惑な話しですが……時代なのですなぁ。』

……だから、教科書に墨を。

歌も、あの学童達は軍歌しか知らないだろうに。

戦後は戦前とは打って変わって皆、戦争の事を毛嫌いしていた。

万歳、万歳!と兵隊さんを送り出していたのが嘘のようだ。

皆、海の中の昆布のように、あっちへユラユラ、こっちへユラユラ。忙しい事だ。

『……もうすぐ私たちはここから横ヶ浜市に帰ります。若先生はどうされるのですか?』

『はい。帝都に戻る前に長ノ崎市に行こうと思います。帝都藝大に復学する前に恩師を訪ねてみようと……』

そう言うと学童先生の顔が見る見る青ざめていった。

『今は行かん方がいい!!』

そして、大声でそう言ったのだ。

『それは、どう言う事ですか?』

『どう言うって……あんたさん、新聞読んでないのかい!?』

『はい。……あの療養所は新聞は来ないのです。』

『そうですか……。ちょっと待っててください!』

そう言うと学童先生は僕達を引き止めて大急ぎで駆け出して、数分後に新聞の束を持って来た。

『………………。』

思わず絶句してしまった。

亜留加那合衆国 人間軍 空中戦艦 広ノ島市、長ノ崎市へ原子力爆弾ヲ投下シセリ。文明ヲ滅シタル残虐兵器。

見出しの写真は瓦礫ばかりが写り、焼け爛れた不死者の妖娘(魔物娘)が彷徨い歩いてる地獄絵図の様な有り様だった。

『原子力……と言うのを使った爆弾が投下されたんです。街は爆弾の爆風で跡形も無く吹き飛んで、そこにいた市民は皆例外なく……。放射能とか放射線って何とかで近く事すらできんのです。近々、合衆国主導の戦後処置で死人系魔物娘以外存在出来ない暗黒魔界になるそうです。』

『そうですか…………。』

『若先生……お気の毒に…………。』

恐らく先日の玉音放送で陛下が仰っていた残虐ナル爆弾とは、コレの事のようだ。

圧倒的な破壊と殺戮……

この様な兵器を使い続けたら人間は……人間の文明はどうなってしまうのだろうか?



それから数日経って、委員長先生の下に2人の制服さんがやってきた。海軍さんであろう白い軍服は所々くすんでいて、1人は士官さんなのだろう。制帽姿であった。

廊下を通っていたら委員長先生の執務室のある二階から話し声が聞こえて来たのだ。制服さんの声は大きい。謀らずとも盗み聞きをしてしまった。

『ご報告申し上げます!……田中 英雄 軍医殿は、立派に職責を果たし、数々の戦友を救いました!しかし、連合軍の攻撃は激しく、味方の損耗は大きく、御国を護る為と敵艦隊に向けての特攻隊へ志願され、行方不明に。その後………軍医殿の物と思わしき遺留品が見つかり……遺留品が見つかり…………彼は、二階級特進を遂げましたっ!!!』

敬礼をしたのであろう。踵を打ち鳴らす音が聞こえて来たのだ。委員長先生は一言悲しげに『そうですか……。』と呟いただけだった。

少しの沈黙の後で、士官さんが小さい溜息を吐くと、なんとも言いづらそうに落ち着いた声で話しだした。

『それで、お話はもうひとつあります。四菱重工の設計主任の息子さんがここにいますね?』

『えぇ……いますが、それがどうされましたか?』

『彼の父親……主任さんが戦犯容疑を掛けられていて現在、拘束中にあります。……彼の息子さんにお知らせお願いできますか?』



ガチャ……

『どう言う事ですか?』



気付いたら、僕は扉を開けていた。



『君が息子さんか……。聞いていたのかね?』

『えぇ、はい。……そうです。』

『そうか……聞いた通りだ。あなたのお父上は戦犯容疑に掛けられている。しかも悪いことにA級戦犯でだ。』

再度告げられた事実。受け付けられない自分と事実を知ろうとする自分がチグハグになる感覚が脳を襲った。

『何故です?彼はただの一介の設計家の筈では?』

震える声を抑え切れないで、自分の喉から出た声と思考が働かない脳が捻り出した質問は酷く間抜けな有様だ。

『君は、君の父上が何を作っていたか、何も知らないのかね?』

僕の質問に驚いた士官さんは、哀れみを含んだ視線を僕に向けたのだった。

『……御国の為に敵国航空勢力に対抗するべく立体起動装置を作っていたと言う事は知っています。でも、それが何故戦犯なんかに……。しかもA級って……』

『…………そうか。お父上は君に何も話してないのか…………。』

すると、士官さんは失礼と一言呟いて胸のポケットからタバコを取り出すと黙って火を付けた。

『……いずれ知る事になるだろう。遅いか早いかだけだ。私の口から言っても差し支えは無い。それに知る義務もある。……君のお父上は零式戦闘立体機動装置アマテラスを開発した。それだけでは君の言う通り、戦犯には問われ無いだろう。しかし、立体機動装置にはある機能が取り付けてある。それが問題なんだ。』

『ある機能?』

『……そうだ。そもそもアマテラスは、飛行能力を持つ魔物娘兵、ドラゴン、龍騎兵や一般人間兵でも扱える戦闘用立体機動装置を装備した合衆国やエウロパス(西の大陸)人間部隊の航空機動兵に対抗する為に開発され、開発当時の1940年、圧倒的な性能を誇った。内燃機に魔石燃料を使用する超小型魔力蒸気機関を持ち、航空機では持ち得ない物理法則をねじ曲げる程の有機的機動力。強力な破壊力。本来なら扱えるのは特別な才能と魔力を持つ一部の魔導兵と半妖(インキュバス)だけだ。当初は前者のエースの為に開発された兵器である為に、十分な性能を発揮させるには一般兵では魔石燃料を使用したとしてもエネルギーが圧倒的に足りない。かと言って半妖は扱えども敵を殺せない。兵器としては致命的だ。……そこで、君のお父上は一般兵でも扱えるように、スサノオ機関と言うものを開発をした。』

『………………。』

『ふぅ……。所で、君は同盟国であったクラーヴェやロマーナの人工勇者を知っているかい?』

『……主神教の勇者が起こした奇跡で、勇者の力を分け与えられた一般兵……ですか?』

『一般的にはそう言われているが実際は違う。……人工勇者とは1938年以後、ルドルフ・アドラー率いるクラーヴェ社会主義労働党主導の下、犯罪者や強制収容所に連行されたユタ人を使用し、あらゆる人体実験を繰り返し、最終的に勇者の脊髄細胞を培養。そうして作った人工の脊髄を対象に移植。不完全ながら勇者の能力を再現した人間兵器だ。その代償は大きく、暴走、拒絶反応、精神汚染、遺伝子劣化……人工勇者達は主神の力に命を吸われて滅んでいったと聞く。しかし、不完全な量産勇者とて戦場では恐るべき脅威となった。』

『そ……そんな…………。』

『我が国も発想は違うが、同じだ。同じ事をした。クラーヴェの人工勇者実験の結果のみを追い求め、実現した機能。それが、君のお父上が開発したスサノオ機関だ。外殻状の立体機動装置を纏うと、背骨に細い針が刺さる。そこからスサノオ機関へ生命エネルギーと供給すると共に、複雑な操作を省いた状態でアマテラスを直接的に脳から送られる電気信号で操縦する。戦闘で性能を発揮させるエネルギーを無理矢理に引き出す。簡単に言うと……兵の命で機械を動かすのだ。彼は零式立体機動装置を使用する人間を立体機動装置の制御装置と見做したんだ。』

『…………使用した兵隊さんはどうなるのですか?』

『…………当然、戦闘で使用する度に寿命を減らし、最後は……死ぬ。』

『……もしかして、特攻とは……。』

『恐らく、君の考えている通りだ。私と君の間には共通的認識が確立されていると確信する。』

『何人……何人死んだのですか!?』

『…………少なく見積もっても、航空兵士で5万……特攻で2万は下らないだろう。』


バタン!!


気が付いたら部屋を飛び出して走っていた。

嘘であって欲しい……

何かの間違いであって欲しい……

僕の父が……そんな物を……そんな恐ろしい物を作ったのだなんて……

たぶん、特攻は……スサノオ機関に命を過剰に送り込んで敵ごと自爆するんだ。

((将来……アナタはアナタのオトウサンを憎むかも知れマセン。デスガ……赦してあげてクダサイ。))

その時、彼の言葉が頭を過った

シュピーゲルさん……あなたは……あなたは、いつ気が付いたのですか!!??

『ぁぁああああああ!!!』

僕の口から狂人のような叫び声が出た。

『ぁぁああああああ……』

草原の草を毟った……。

冷静な自分が何処かに居て、そんな事をして何になるのかと問い掛けるも、そうする以外僕には何も出来ない。

そうしないと本当に気が狂ってしまいそうで……

いつの間か日が山の峰に消えようとしている。

紅くて……紅くて……

血を零した様に紅くて……

僕にはあの美しい夕焼けの紅い色が何万人もの血の海に見える……

それだけの血を贖えるのだろうか?

それだけの犠牲の上に立って僕はのうのうと、やれ芸術だ、やれ音楽だと日々を無為に過ごしていた。そして、もしこの事実を知らなかったとして、これからもそう言う風に生きていたのだろう。

だが、もうそれは出来ない。

遠く離れた山の頂から人々が争い右往左往しているのを見下ろして、

あぁ……世はみだれている。

などと言ってしまえるような者には僕は成れそうもない。

僕と父の手は血で濡れ過ぎている。

草を毟り続けて、その手に涙が落ちていた。

何が悲しいのか?

何が憎いのか?

何故、僕のような者が生きていて

何故、彼らが死なねばならなかったのか?

何故生きた!何故生きた!

死なねばならなかったのは僕の筈だ!!

何故!!!

『坊っちゃま…………』

その時、僕の赤切れた手を温かい何かが触れた。

『薫子さん……僕は……僕は……』

『坊っちゃまは、お優しいお方でございます。辛いのでございますね……』

薫子さんの手だった。彼女は僕の手を優しく包むと着物の袖から白いガーゼのハンケチを取り出して汚れを拭ってくれた。

『僕は……僕の父はっ……』

『存じております。』

『じゃあ、君は初めから……』

薫子さんは黙って頷いた。

『もし……私が人間で坊っちゃまのお父様でも、同じ事をしたと思います。』

『沢山の人を……それを使った人をも殺す機械を作ってもですか!?』

『はい。……坊っちゃまから戦争を遠ざけようとするでしょう。……親と言う生き物は子供の為ならば何でもします。時には悪魔にでも魂を売るのでございます。』

『あぁ…………』

『……お父様から私は坊っちゃまを頼むと言われました。』

何時の間にか薫子さんの様子が変わっていた。

『私は、坊っちゃまを山から出すことは出来ませんよ?……と答えました。』

頭から……狐の耳が……

『彼はそれでも構わない、息子が生きていればそれで良いと……そう仰いました。』

4本のふさふさとした尾と手が僕の背中に回り、抱き寄せられた。

『坊っちゃまは繊細で……優しくて……優しすぎるのです。』

ふわりと甘い花の香りがする……

『けど、僕は何も……何も出来なかった……。』

『それは私とて同じでございます。坊っちゃまは悪くありません……。誰でも強い訳では無いのです。世界は優しくはございません。』

『世界が?』

『はい。……世界が間違っているのです。お一人で抱え込まないで下さい……坊っちゃまには私がいます。例え世界が坊っちゃまを蔑もうと、私がお側にいます。』

もう何も……僕には……

『けれども……優しすぎる坊っちゃまには……この憎しみと悲しみに溢れた世界は辛過ぎます。なら……いっそ……』

『なら……いっそ……?』

『私と一緒に、この世界の何もかも捨ててしまいませんか?』

薫子さんと一緒に……

世界を捨てる……?

あぁ……良いかもしれない……

気付くと僕は首を縦に振っていたようで、薫子さんの心底嬉しそうな紅い瞳が涙に濡れて潤んでいた。



『さぁ……行きましょう……坊っちゃま…………』




すっかり日の暮れた草原には誰も居なくなった。


その後、2人を見た者はいない。



おわり。
20/02/03 23:28更新 / francois

■作者メッセージ

この前友人との会話で……

友『……チミの書くSSは設定とか時代背景とか人間模様とか妙に生々しいよねー。』

f『へ?……』

友『ネタがマニアックなせいか、閲覧数少ないよねー。宗教臭い描写多いし。』

f『ぐふぅ!』(グサッ

友『あと、ヒロイン全員地雷女(魔物娘)じゃね?何コレ、そう言う性癖なの?』

f『げふぅぅう!!』(クリティカル☆

友『だいたいさー。チミのSSの読者はストーリー目当てで、サキュバス的なの求めて無いから。』

f『さ、さいですか…………』(瀕死……

↑と言うやりとりがありました。

書いてて思いましたが、この世界の核兵器は使った後、アンデットにしちゃえば良いじゃない?とか言うヤツが出て来そうで、ともなれば現実世界よりお気兼ねなく使われそうです。

ばふぉー更新前にやりたかったお話しです。暗くてすみません。

何はともあれ、お読み頂きありがとうございます。次回は、ばふぉー軍曹の続きやります。

ではまた!

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