連載小説
[TOP][目次]
胎の牢


カンカン!!

『静粛に!』

法廷に裁判官が振るう木槌の甲高い音が響く。

『判決!被告人、ノーマン・ビショップを胎牢の刑に処す。』

被告人席には30代半ばであろうか、ノーマンと呼ばれた栗毛と緑目の主神教の聖職者はやつれた顔で力なくうな垂れていた。

しかしながら、彼を裁いているのは王でも、司教でも、貴族でも、ましてや人間の裁判官でもない。サキュバスであろうか?法衣を着る裁判官の女の頭には大きく捻れた角が。背中には蝙蝠のような羽があり、足元の尻尾が時折パタパタと床を叩いていた。

『被告人、ノーマン・ビショップ主神教司教はこの度の戦争に直接的な関わりはないものの、主神教会への信仰いう名の下、民に対する収奪と軍への資金援助に一部関与し、戦争で苦しんでいた民をさらに苦しめた罪は決して軽いとは言えない。よって、胎牢の刑に処すものである。罪を償い、文字通り生まれ変わりなさい。…これにて閉廷!』

カンカン!!








裁判が終わり、ノーマンは両脇を憲兵であろう魔物に固められ長い廊下を歩く。途中途中に魔物の舐め回すような視線を感じ、それを無視しながらただ漠然と歩きながら自分が人生の中でして来た事を思い出していた。









主神教司祭であるノーマン・ビショップは主神教国であるイスパール教国に生まれ、戦争孤児として主神教会の教会孤児院で育った。幼い頃は聖堂騎士になる事を夢見たが、身体を動かす事にからきし向かず、聖堂騎士どころか、軍隊に入るのも諦めた。

ノーマンは騎士には向かなかったが、頭が良く謙虚で聡明な性格が孤児院の院長神父の目に止まり、神父学校に入学した。ビショップという彼の苗字はその時に院長神父から名付けられたものである。学校では当初から優秀な成績で、ノーマンは学友と夢や理想を語り合い、議論をした。

18歳、西方主神教会聖ヨハネス神父学校を卒業した後は、主神教会の中枢である聖都クレドにある、都と同じ名前の教会に配属された。言うなれば皆が羨む聖職者のエリートコースであった。

しかし、主神への祈りと、信仰と、聖徒達との交流、人々の心を救う事に情熱と理想を持ち、自身の人生の意味を見出していたノーマンは教会に赴任して直ぐに現実に打ちひしがれる事になる。


貴族や商人からの賄賂


聖職者の姦淫


貴族や権利者らの立身出世に加担した不当な宗教裁判や罪の隠蔽


農村や民衆への収奪や異教徒や異端派への執拗な弾圧


資金集めを目的とした信徒への免罪符の交付…


など西方主神教の腐敗は挙げたらキリが無かった。

『天の御国は貧しき彼らの為にあるのではないのですか!?聖典に書かれている事とは、まるで正反対ではないか!』

と、最初は反発したノーマンだったが、策略により賄集の片棒を知らぬ間に担がされ、その事を脅迫され、やむなく協力せざるを得なくなった。

ノーマンは身勝手な事と知りながら

『主神よ、天の王よ。教会は腐敗しています。ですが私には力がありません。どのような事をしても私が権力を持ち、主神教と信徒を正しい道に導きます。ですから、私の罪をお許しください。』

と祈った。

しかし、結局はノーマンも腐敗に飲まれて行った。自分が理想とはかけ離れた存在になってゆく事に罪悪感と嫌悪感を感じるも、主神への信仰は欲に、救うべき信徒への心は利害に変わり、教理は自身を正当化する為の方便へと成り下がった。西方主神教会は主神教国の王侯貴族の特権政治に加担する形で、その正当性を認め、富を蓄えていった。ノーマンはその中で次第に頭角を現していった。

『神父様。いやはや、あなたは徴税人か商人になっても大成するでしょうな。』

そう言うふうにノーマンは役人に褒められた事を覚えている。

さて、ノーマンが司祭になった頃、当時の主神教会は西方主神教会内の腐敗と不正に反発する形でアルマティン神父という人物を中心として聖典に基づく信仰を教理とし、主神教会の改革を目的とした福音主義派が起こった。当然、これを善としない西方主神教会はアルマティン神父を破門とし、福音主義派の弾圧を行なった。福音主義派は貧しい民や搾取される農民や虚しい辺境の教会の指示を得て、彼等を引き入れながら拡大してゆき、各地で王侯貴族への反乱が起こっていた。特にクラーヴェ公国で起きた農民の反乱とその弾圧は苛烈を極めた。

『司祭様、また多くの血が流れてしまいます。僕は悲しいです。』

『主神様の為に流された尊い犠牲だ。悲しむことはない。』

新任の神父が祈っているのを見て、ノーマンはそう言った事を覚えている。

ノーマンはイスパール諸侯による福音主義派の弾圧に経済面での協力をする傍らでイスパール教国の役人や商人と協力して、クラーヴェの王侯貴族側と農民軍の両方に資金や武器を援助して、富と自身の地位を築いていった。

クラーヴェの農民戦争により、農民達が王侯貴族に対して一定の条件を認めさせ、集結した頃にノーマンは司教となった。

『主神への信仰と教理を歪んだ形で捉え、富を何よりも愛する何処の馬の骨とも解らない私のような男が司教様などとは笑い話も良いところだ。』

と自身を冷笑した。


ノーマンが司教になって程なく、オランジュ公爵という人物がイスパール教国からクラーヴェ公国に亡命した。彼は自身の領地で福音主義派に寛容を与え、厚遇した事で、イスパール教国の王侯貴族らによって、領土や財産を没収された。クラーヴェ公国に渡ったオランジュ公爵は、農民や自身と同じ境遇の没落貴族や商人らと共に、複音主義派解放軍として旗を挙げ、農民軍と合流し、クラーヴェ公国にほど近い自身の領地を奪還した。その後、程なくしてオランジュ公爵は軍備を整えてイスパール教国に独立を求めた。

オランジュ公爵の領地はイスパール教国から与えられた領地である。従って、少なくともこの時点ではオランジュ公爵に不当に占領されたイスパール教国の領土であった。独立など当然認められない。イスパール王は主神教教皇に戦争の許可を求め、教皇はそれを受諾した。

オランジュ独立戦争の始まりであった。

ノーマンはオランジュ独立戦争の機運を逸早く察知すると、イスパール教国と西方主神教会を勝たせるべく、軍資金を調達する為に役人と協力し、あらゆる税金の、特に輸出に関する関税の吊り上げを行なった。町民への締め付けは緩いが、農村部の農民や力のない弱小貴族や商人に対して多大な負担をかけるものであった。金のない農民に対しては債務書を発行し、収穫された作物の20%を納めさせた。

『ノーマン司教猊下。恐れながらこの様な事をなさいますと、多くの農民が農奴へと身を落とし、飢えるものが出るでしょう。各地で飢饉も起きています。どうか、この様な政策は…』

『役人よ…。我々がそうするのも神の計画だ。それに余計な人口が減って良いではないか。それとも、お前がその尊い犠牲になろうというのか?』

と、役人は顔を青くして慌てて逃げ出した。

役人が危惧した通り、この政策により多くの農民が農奴へと身を落とし、多くの貧乏貴族や商人が没落した。

また、ノーマンは一部の税金に対して免税を認める交付書を、一定の寄付金を教団に献金した者らに交付した。その免税交付書の献金がイスパール教国の国庫にあてられたのだ。こうして、ノーマンの作略により多くの軍資金が集まった。

こうして戦争はノーマン司教が望んだとおり、イスパール教国の優勢で進んだ。想定した以上に農民らの逃亡による複音主義派への流出が多かったが、事が済んだ後にイスパール教国を始めとする西方主神教諸国の農奴を投入すれば済む話であった。


ところが、オランジュ公爵はノーマン司教が予想もしてなかった手を打ってきた。











オランジュ公爵が建国宣言をし、自身の領土を人魔中立国家とする事で魔物と折り合いを付け、手を組んだのだ。











イスパール教国を始めとする西方主神教国家は親魔界国家と不可侵条約を結んでいる。ここ何十年か西の大陸では、西方主神教諸国を中心に、宗教内の争いが原因で、戦争や内乱が起きている。それらの問題に対して魔物の脅威があるのは喜ばしくない。

一方、数の上で圧倒的不利を喫する親魔物国家側は一部の過激派を除き、主神教国家との全面的な争いに消極的である。

西方主神教諸国と親魔物諸国は、主神教国側で犯罪等を犯した罪人を、流刑と称し親魔物国家に引き渡す罪人譲渡を条約に組み込んだ。これにより魔物の介入を許したく無い主神教国と人間を欲し、なおかつ大規模な戦争を回避したい親魔物国家双方の利害は一定の譲歩を持ち一致し、不可侵条約締結合意に至った。


しかし今回、オランジュ公爵の建国宣言を受け、親魔物諸国は正式な国家としてこれを認め、条約を結び、同盟国とした。

イスパール教国にとっては領土回復戦争であるが、親魔物国側からしてみれば、同盟国家の中立国であるオランジュ公国に対し、イスパール教国が侵略して来た…と言う図式となる。侵攻を続けるイスパール教国は親魔物国家に対して、オランジュ独立戦争に介入する大義名分を与えてしまった。

オランジュ側に魔物が付いた事により、形勢は一気に逆転してしまった。

主神の加護を受けた勇者達や、精鋭の軍団が次々と敗れていく中、慌てたイスパール教国王はついに停戦をオランジュ公爵と協議した。その会談にて、イスパール教国はオランジュ公爵の領土を正式に国家と認め、親魔物諸国と同様の条約を結んだ。それは事実上、オランジュ独立戦争におけるイスパール教国の敗北であった。

終戦条約の内容はいかなる侵略行為、略奪行為、武力的干渉の不可、戦争犯罪人の引渡し、税率や通商の制限に関するものから亡命者の保護の保証などがある。


オランジュ独立戦争の終戦に際してノーマンはイスパール教国の王立憲兵隊に身柄を拘束された。


それは貴族や役人や豪商達が戦争犯罪人間として魔物に裁かれる事を逃れるために、罪人を親魔物諸国とその同盟国に流刑として引き渡す罪人譲渡条約を利用し、ノーマン司教にその諸々の罪をかぶせ、彼を蜥蜴の尻尾として突き出したのだ。もっとも、効果は無かったが…


こうして今現在、ノーマン・ビショップは戦争犯罪人としてオランジュ公国に連行され、裁判を受け、胎牢の刑に処すると言い渡され、内容も知らされないまま、刑を受けんとする為に長い長い廊下を歩いている。



『…ここだ。』


扉の前につくと、ノーマンはそう憲兵に告げられた。すると扉はひとりでに開きノーマンを招くように周りの空気を吸い込んでいる。

『お入りなさい…』

鈴を鳴らすような美しい女性の声が扉の中から聞こえてくる。

ノーマンはおそるおそる扉の中入っていった。中に入るとバタンとひとりでに扉が閉じた。

がらんとした虚しい石畳みの部屋で、ゆったりとした白いローブを着た女が1人椅子に座っているだけだ。蝋燭の光だけが頼りなくその女を照らしている。

青い肌、

大きなねじれた角、

夜を溶かしたような大きな蝙蝠羽と尻尾

沈む日のような赤い瞳がノーマンに優しく微笑みかけていた。

『さぁ…こっちにいらっしゃいな。わたしのかわいい坊や。私はエルザ。母にお前の顔をよく見せておくれ…』

『…あなたのような母親を持った覚えはない。私は孤児だ。』

『ふふふ…いまから、お前は私の子になるのよ?』

『なっ…!!どういう事だ!?』

すると、魔性の女は慈悲深い笑顔をノーマンに向け、穏やかな口調で話を続ける。

『それが胎牢の刑…。お前はわたしの子供としてもう一度生まれ変わり、今まで生きた記憶を失い、人生をやり直すの。』

ノーマンは未来に希望など持ってなどいなかったが、その仕打ちには承伏しかねる。

『…そんな勝手な事があるか!』

『これまでお前のして来た事の報いだ。それにもう遅い…』

そう言い終わると、ノーマンの体は動かなくなった。

『何をした!悪魔め!…主よ…主よ…!!』


『主神は誰も救わないとお前自身が1番良く知ってるであろうに…少し大人しくなさいな。』


エルザは着ていたローブをするりと脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿になった。名だたる芸術家や彫刻家が命を懸け練り上げた大作も霞む程に美しい裸婦。本来は不気味でならないその青い肌も美しさを引き立てる為のアクセントになっていた。

『な…何を…!?』

エルザは動けないノーマンの法衣をするすると脱がして丸裸にしてしまった。

『レヴォースクェ・クァーエルソ・アド・メ……』

そう短く呪文を唱えると、エルザの下腹部…子宮があるであろう場所を中心に紅く光を帯びる文様が現れた。


ちゅ…


『プレミ・メイ・カリシーミ…』


エルザはノーマンの額にキスをし、呪文を唱えるとノーマンの身体に紅く光を帯びた文様が浮かび上がった。するとノーマンの臍とエルザの臍が紅い紐の様な光で結ばれる。


『悪魔め…なぜ、お前が教典の…神の言葉を!』


『お前達だけが、知恵を持つわけではない。この呪いはお前に相応しい古い古い呪文だよ。そうさね…主神教徒であれば、誉れであろう。救世主と呼ばれた勇者と同じく、処女から産まれる経験ができるのだよ?どれ…やや子はもう眠いであろうに…お休みなさいな…』

『くそ!くそ!…くそぅ…ぅ……』

『愛しい坊や…お前は荒れ野のような心をしている……安心なさいな。お前はわたしが必ず幸せにするから…』

エルザが子供を寝かしつけるようにそうノーマンに囁くと、ノーマンは意識を失い、光の束になってエルザの臍に吸い込まれていった。











トクン…

(あたたかい…暗い…心地よい…ここ…は…?)


ノーマンが意識を戻す。自分の体が水に浮かんでいるようにふわふわと心地よく、暗く、あたたかい。意識と頼りない感覚だけがあった。


(気がついたようね。…坊やがいるのはわたしのお腹の中…)


エルザが自身の妊娠10ヶ月ほどに大きくなったお腹を撫でると、ノーマンの身体に多幸感がじんわりと広がっていった。幸せで心地よく、抗え難い…それは無償の愛と言うのであろう。

(悪魔よ…私は、持っている記憶を失い、お前の子として呪われた生を生きるのでは無いのか?)

(わたしのかわいい坊や…。お前の記憶と意識は私が持っているの。だから、坊やと私が繋がっている間は、自分の事を覚えていられるの。)

(悪魔よ、私を…どうしようと言うのだ?)

(そうさね……時が来ればお前を産まなくてはならない。臍の緒が離れれば、お前は何もかも忘れて無垢なやや子に生まれ変わるのよ。)

(殺せ!!…一思いに殺せ!!!)

ノーマンは抵抗をしようと暴れようとするも、ろくに動けもせず、せいぜいエルザのお腹の中を力無く蹴るので精一杯であった。

『ヴェニト・アド・ルシウム…』

そうエルザが唱えると、ノーマンの頭の中に部屋の景色が写しだされた。白い壁、カーテンから漏れる光が優しく部屋を照らしている。

景色が下に移ると、青い手が愛おしそうに大きくなったお腹を撫でている。

(悪魔よ…これはお前が見ている景色か?)

(そう。わたしがお前を産む前に、お前は知らなければならない。お前がした事の結果をわたしの目を通して見せよう…)

こうして、ノーマンはエルザに連れられ旅に出る事になった。







イスパール教国の聖都をエルザはみすぼらしいボロボロの服を着て歩いている。魔法で人間に化け、貧民街に来ているのだ。

柄の悪そうな男達に囲まれ髪を剃られる若い女や、歯を抜かれる年端のいかない男の子がいる。ノーマンがなぜそのような事をしているのかとエルザ訪ねたところ

(美しく若い女の髪や、健康な男の子の歯はカツラや義歯の良い材料になるの。可哀想に…あの者達はその様に身を売らなくては生きてはいけないのだろう…。)

(なぜこんな事に?)

(お前が1番良く知っていよう……。)

エルザは泣き腫らす男の子と若い女を呼び、抱き寄せ、苦しみを共にした。エルザの胎の中にいるノーマンにも彼女の心が伝わってきた。それは純粋な慈しみと彼らを救いたいと言う気持ちだった。


それからしばらく歩くと、今度は路地裏の隅で寒さに震えながら、寄せ集まる子供達がいた。皆酷く痩せ細り、汚れている。人々は彼らを汚いモノを見る様な目で見て、時折罵声を浴びせる者や面白半分にゴミを投げつけたり棒で殴りつける者もいた。

(…彼らを守る家族や慕しい者はいないのか?)

(戦争に取られ、還らぬのだろうさ…)

(そんな…あんまりでは無いか!?)

(主神様の為に流された尊い犠牲だ。悲しむことはない。…そうお前は言ったのであろう?)

(………………。)

ノーマンは何も言うことが出来なかった。

エルザは彼らに近づき、抱き寄せ静かに涙を流した。その中にいた女の子が

『優しいおねーちゃん。いつか、わたしたちを主神様や天使様が助けてくださるから、だから泣かないで。』

とエルザに話した。

ノーマンは沈黙を貫く主神に届かぬと知っていても祈らずにはいられなかった。司教である彼よりも目の前の少女はよほど敬虔で穢れないのだから。

エルザは着ていた大きなケープを少女に掛けてやり、持っていたビスケットを手渡しその場を後にした。








次に来たのはオランジュ公国にほど近い所にあるイスパール領内の貧しい農村であった。荒れ果てた田畑ばかりが広がるわびしい所で、しばらく歩き回ると

『呪われてしまえ!呪われてしまえ!皆呪われるがいい!!』

声に驚き振りかえると、杖をついた窶れた老人が叫んでいた。すると、すぐにその老人のもとに痩せこけ年老いた神父とシスターがやってきて泣き叫ぶ老人をなだめ、連れて行った。老神父は後の事をシスターに任せ、此方にやってきた。

『身重のあなたを驚かせて申し訳ない。巡教徒と見受けますが?』

『はい…この子が産まれる前にお祈りを。…あの老人は?』

エルザが老神父に尋ねると、老神父は哀しい目をして遠くを見ると口を開いた。

『あの老人は農夫のベンと言います。先の戦争で1人息子を取られ、長年付き添った妻は飢饉の折、黒死病に倒れてお亡くなりに…あの方だけではありません。若い男は皆戦争に取られ、女子供は飢饉や黒死病を恐れて村を棄てました。残った者は皆年寄りだけで、イスパールや教団本部が掛ける重い税に苦しみ、死の影に怯えています。』

『そうですか…』

(………………。)

『わびしい村の小さな教会ですが、ご案内しましょう。この後ちょうどミサがありますから』

エルザは老神父に連れられ町外れの小さな教会へとやってきた。開かれたミサに来るのは老人ばかりであった。

ミサが終わり、エルザは教会の仕事を手伝う事にした。ミサの後にミルク粥の炊き出しをするようだ。


皆、身を寄せ、助け合いながら暮らしているのがわかる。協力し合い、優しさを持ち寄り、同じ釜で茹でた粥を啜っていた。

(この村の神父や老人達はお前達聖職者よりも余程、聖典の中身を理解しておるな。)

(ふん……。)

手伝いが終わり、すっかり暗くなった教会に戻ると、聖堂で老神父が跪いて必死に祈っていた。

『天にまします我が父よ、天の王様よ。どうか我らをお救い下さい。我らの糧は尽きかけ、病に倒れ、もう隣人を埋める土地ありません。実りを取る友の手は厳しく、しかし友の助けもありません。あなたが世界の最初の日にそうしたように、あなたの僕に光をお与え下さい。聖なる書物にあるようにあなたの愛と奇跡をお示し下さい。しかしながら、我らの運命はあなたのご意志のままに……』

しかし、幾ら祈れども主神は沈黙を続け、イスパール王国や西方主神教会からも助けの手は無い。

その姿にノーマンはかつての自分自身を重ねていた。

(あの老神父は、助けも無く、主神が沈黙を続けている事を分かっていながら祈らずにはいられないのだろう。私にも覚えがある…)

ノーマンがそう呟くとエルザは優しくお腹を撫でた。

(坊や…それでその時、主神はお前の祈りを聞いたのか?)

エルザはそう尋ねる

(悪魔よ…私にはそれすらもわからない。ただ…祈っている間は心が救われたことを覚えている。)


(そうさね…いつの時代も我々を救うのも害するのも、神ではなく他者であるのだよ…だから、人は神に祈り自分の心を救うのであろう…)


『彼らが救われますように…ベネディクト・ディ・ディレクティオーネ…』


エルザはそう唱え、祈ると闇夜に消える様に去った。






その後も、エルザは西の大陸の各地を回った。ノーマンはエルザの目を通じて様々なものを見た。ある時彼はエルザに

(悪魔よ、なぜ私のことを“愛しい坊や”と呼ぶのだ?)

と訪ねたところ、彼女は

(わたしの愛しい坊や…わたしはずっとずっと、お前の様な者をさがいていたの。初めてお前を見た時、無償の愛を知らない憐れな目をしていた。だから、わたしはお前を愛そうと決めたのだよ。)

そう答え、お腹を愛おしそうに優しく撫でた。



そして、最後に訪れたのは戦場となったオランジュ公国にほど近いクラーヴェ公国寮内の平原であった。

草木の生えない夕暮れの野原に、火薬の嫌な匂いが風に乗って香る。歩きながら辺りを見渡すと激しい戦いを物語る様に焼け焦げた地面に朽ち掛けた馬防柵やマスケット銃が転がっていた。

(見えるかい?わたしの坊や…これが我々の罪だよ……。)

(我々の…?)

(そうだよ。人と魔物の罪だ。)

(なぜだ?これは人間の戦争だ。私達人間が戦場に兵を送り、そして不可侵条約によって我々がお前達魔物に手を出させないようにしたのだ。だからお前達魔物には関係無い。)

(そう…だから、こんな事になるまでわたし達魔物娘は、ただ手を拱いて見ている事しか出来なかったんだよ。もし…魔物の国が無理に介入して聖戦軍が起こったら、教団国と魔物や人間同士の大きな戦争が起き、もっと多くの人々や魔物娘が苦しむ。それを恐れたんだ。)


エルザは一瞬、言葉を詰まらせた。エルザの痛いほど悲しいという気持ちがノーマンに伝わってくる。


(だから、ここで血を流した者たちを…わたし達は救う事が出来なかった…)


エルザから流れてくる歪んだ風景には、赤く染まった夕日の野原に、たくさんの剣や槍が地面に刺してあった。恐らく戦没者の墓だろう。名も無く、身元も解らない、そんな者たちを埋めたのだろうか…


(悪魔よ…あなたと会う前の私なら、これも神の計画だ。余計な人口が減って良いでは無いかと、そう言うであろう。私はなんと醜いのであろうか…薄暗い聖堂に閉じこもり、金貨を数えるだけで、旅をする事もなく、何も見えてはいなかった。)


ノーマンは生まれて初めて、心から自分の行いを嘆いた


(無為に生きてしまった!他者を呪い苦しめ、大切にするべきものを何処かに捨て、自分を縛る鎖を自分でひとつひとつ紡いでしまった。私は救世主を裏切ったユタスのように、人々を災うために生まれ、呪われているのかもしれない。地獄を作ってしまったのだから……だが、もし過去に戻れるのならば……私は……)


その時、エルザの身体が柔らかな光に包まれた。エルザは全てを悟るとノーマンに語りかけた。


『愛しい坊や…お前にかけられた呪いが解けた。お前は心を取り戻し、罪を悔い改め、自ら縛られた鎖が解けた。時が来た……お前は生まれ変わる』


(お願いだ、待ってくれ!悪魔よ!…私が見て来た貧民街の少年や女の子や、農村の老人達はどうなるのだ!?)


『彼等はわたしたち魔物娘が必ず救い出す。ここで血を流した者達も……。わたしがお前を愛したように、あの者達を愛するだろう。』

(それでも、私のように間違を犯す者が必ず出る。憎しにみに囚われる者や、呪う者が出るだろう…)

『そうしたら、何度でもやり直し、何度でも愛せば良いんだよ……。人間と魔物娘の違いがあるけどわたし達は隣人……いつかきっと必ず手を取りわかり合える。さぁ、やや子は眠いであろう……もう、おやすみなさいな……明日はきっと優しいから……』

(あぁ……もっと早く……自身の…過ちに……気づいていたら……彼らが……救われ…ます…よう……に…………)


西の空が赤く染まる中、ノーマンは意識を手放した。

エルザの身体に紫色の光が文様を描いていく。




レヴォースクェ・クァーエルソ・アド・メ
私に還りなさい

プレミ・メイ・カリシーミ
わたしの愛しい坊や

ヴェニト・アド・ルシウム
お前に光をやろう

ベネディクト・ディ・ディレクティオーネ
祝福と愛を与えよう

ベストリ・レジェネターリ
お前は生まれ変わる

エト・クィス・クァム・イノセンティウス
無垢なる者に



光の中から美しい歌が聴こえてくる。エルザは産みの痛みに身体を強張らせ、喜びに心を満たしている。


『ゔ……はぁ…いぎぃ……ぁぁぁああああ!!!!』







おぎゃあ!!


おぎゃあ!!


太陽が西の空に沈む頃、エルザはノーマンを産んだ。愛おしそうに抱き寄せて、頬ずりをし、額と頬にキスをする。



『はぁ…はあ……わたしの…愛しい坊や……』



その姿は聖女のようであった。
17/05/13 03:25更新 / francois
戻る 次へ

■作者メッセージ
と言うわけで、ノーマンは無事に生まれ変わる事が出来ました。

自分悪を成していると解っていても、自分の保身や欲望の為に行動してしまう、そんな人間の弱い所を表現出来ていればと思います。

ではまたU・x・Uつ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33