第4章 ふたりの馴れ初め 1
「…本日の加工および出荷は以上です。それでは今日も気を付けて作業してください。」
今日の朝礼も終わり、俺は早速社長のもとに行った。
「おはようございます。社長、例の機械の精度が前日から出ていないのですが…」
「ああ。おはよう。そうか、相変わらず調子悪いな…」
報告を聞いているのはどう見ても幼い女の子にしか見えない。だが彼女はれっきとした大人の魔物娘であるドワーフの桃里社長だ。
俺は彼女の経営する金属加工の町工場に勤めているが、従業員数十名のうち社長以下社員のほとんどは魔物かインキュバスだ。無論その中には俺も含まれているのだが。
報告を聞いていた桃里社長だが、突然ふんふんと鼻を鳴らして可愛らしい笑顔を見せた。
「森宮君。今日も朝からお楽しみだったようだが…相変わらず有妃とは仲良くやっているみたいだな。」
「いや…そんな。すみません。」
出勤前に本番こそしなかったが、有妃と俺はお互いの唇と舌を散々貪りあったのだ。それを社長に見抜かれてしまい、つい意味もなく謝ってしまった。
「いやいや。仲睦まじくて結構な事だよ。私も家に帰ったら旦那と仲良くするかな。どうせ明日から休みだし。」
仲良く、という部分を強調して言うと、社長はアハハと笑った。そう。この桃里社長の仲立ちによって有妃と俺は知り合い、そして夫婦になる事が出来たのだ。有妃の様な素晴らしい女性と引合せてくれた社長は、間違いなく恩人と言っていい。
だが、有妃と知り合った前後は、俺は人魔問わず女性と親密な関係になる事を、正直あまり望んでいた訳では無かったのだ…
それは今日と同じように翌日から休みを控えていたある日の事だった。仕事もようやく終わり、後はタイムカードを押すだけという一番気分がはずむ時間帯だ。そんな時、俺は社長からふいに声を掛けられた。
「森宮君。ちょっといいか?」
まさかこんな間際になって休日出勤を頼まれるのか…そんなこと今までにあった訳では無いのだが、思わず不安になり表情が強張る。
「安心しろ。明日出てこいなんて事は言わないから。そんな顔しなくていい。」
俺はほっと胸をなでおろした。そんな姿を見て社長は苦笑する。
「いや、ちょっと聞きたい事があってな…。ええと…。森宮君は彼女とかはいるのか?」
「いやいや…御冗談を。いつも一人で寂しいものですよ。」
「そうか…。それなら魔物娘の事はどう思っている?」
一体突然何を言い出すのだろう。俺は疑問に思ったが、なにせ明日からお休みである事から少々浮かれており、社長の言葉を深く考える事は無かった。
「魔物娘さんですか?そうですねえ…。とても可愛くて、男の事をずっと愛し続けてくれるんですよね。社長の御亭主が羨ましいですよ。どうか僕の所にも来てほしいものです。」
魔物娘が経営する会社に勤めるぐらいなので当然魔物には興味はある。俺は当然の様にそう言ってしまった。社長はそんな姿を見て満足したようだ。
「そうかそうか。それならラミア系の種族はどうだ?」
「ラミアさんですか?ロールミーでしたっけ?僕もラミアさんにぐるぐる巻きにされてずっと抱きしめられたいですねえ…。」
調子に乗って続けた俺に社長はなぜかほっとした様な笑みを見せた。
「うん、わかった。ありがとう。帰り際に悪かったな。」
「いえいえ。とんでもないです。それではお先に失礼します。」
「ああ。お疲れ様。」
この時はただそれで終わった。少々訝しく思ったものの、休み前日の楽しい気分がそれをすぐに忘れさせた。それからしばらく経ったある日の事だ。ちょうど仕事終わりで帰宅間際だったのは前と同じだ。俺が駐輪場でスクーターに乗って、いざ帰ろうと思ったその時。
「森宮君お疲れ。」
「あ、社長。お疲れ様です。」
「ええと…。ちょっといいか?」
「はい。なんでしょうか」
社長は何か言いにくそうにうーんと唸るような声を出していた。俺の担当箇所で何かクレームでも来たのか?ミスの無いように注意を払って仕事はしているが、さすがに不安になる。
「すみません。なにかクレームでもありましたか?」
「ああ…いや。そうじゃない。仕事の事じゃないから安心してくれ。」
俺の心配そうな表情を見た社長がなだめるように言う。
「ちょっと森宮君に頼みがあってな…。」
「頼みと言いますと?」
「今週の土曜日だが、私と付き合ってもらえないか。」
「はい…?」
思わずあっけにとられた声が出てしまった。付き合うってどういう事だ?大体社長にはとても仲の良い旦那さんがいるはずだ。魔物娘の例に漏れず週末はお楽しみではないのか?思わずいけない考えが浮かんでしまい、幼女の様なその姿をまじまじと見つめてしまう。
「何を勘違いしているか知らんが多分それは違うぞ。私と一緒に会ってもらいたい人が居るっていうだけの事だ。」
俺の表情から不道徳な考えを見抜いたのだろう。社長が半ば呆れたように言った。でも会ってもらいたいとはどういう事だろう?全く見当もつかない。
「いや…。そんな。とんでもない…。それで会ってもらいたい人とはどういう事でしょうか?」
社長は少々迷っていたが意を決した様に語りだした。
「そうだな。単刀直入に言おう。独身の魔物娘を紹介してやる。種族は白蛇。美人で優しくてとても面倒見が良い奴だ。もちろん家事万端完璧にこなす。どうだ?会ってくれないか?」
「はい?」
想像もしていなかった答えに先ほど以上に間抜けな声が出てしまった。
「森宮君はこの間魔物娘を嫁にしたいって言ったよな。それにラミアにずっと抱きしめていてもらいたいと。知っていると思うが白蛇はラミアの一種だからな。
有妃は…。ああ、その白蛇の事だが、とっても情が深い奴だから、喜んで君の事をぐるぐる巻きにしてくれるぞ。」
「いや…。ちょっと待ってください。突然そんな事をおっしゃられても。」
「なあ。たのむ。独身の男がいるなら紹介しろと言われていたんだ。有妃の奴には借りがあってな…。私の顔を立てると思って会うだけでも会ってくれないか。この通りだ。」
慌てる俺を無視するかのように言葉を続けると社長は頭を下げた。社内での独身者は俺ただ一人だけなので、それで声をかけたのだろう。桃里社長には色々良くしてもらっている。彼女に頭を下げて頼まれては断る訳にいかなかった。それにこの会社は俺にとってとても良い環境だ。長く勤めていたいので社長の印象を悪くする事は出来ない。
「はい…。わかりました。本当に会うだけでよろしいのですね?それ以上の事はお約束出来かねますが…。」
「ああ。もちろんだ。会ってもらえるだけでいいんだ。いや。ありがとう。本当に助かった。前から散々言われていてな。独身は森宮君一人だけだろ。私もどうしようか困っていたんだ。」
困りながらも承諾した俺を見て、社長も安堵と申し訳なさを綯い交ぜにした様な表情を見せた。
その後詳しく話を聞いた所、桃里社長と白蛇、有妃は相当長い付き合いで、互いに貸し借りのある腐れ縁のような関係だとの事だ。かつて有妃は某企業の役員を務めており、その仲介があったおかげで桃里社長は大変重要な契約を結ぶことが出来たらしい。社長はその事を未だに恩義に感じているようなのだ。
家に帰っても色々考え込んでなかなか寝られなかった。全く思いもかけぬ事だ。でも、本当にうかつだった。以前社長に聞かれたときのニュアンスで、女性を紹介する、しないの話になる事は当然予測できたはずなのだ。休み前だからと言って浮かれた気分になっていた俺を怨みたかった。
大体会うだけとは言っても、魔物娘と付き合う=結婚に等しい、と言う事は広く知れ渡っている。会っただけで済むとは到底思えない。確かに魔物娘には好感は持っている。少なくとも会社にいる魔物に嫌な奴はいない。それに並の人間以上に魔物について関心を持っているだろう。
だが個人的に深く関わるのは映像や絵の中だけで十分だ。決して三次は惨事と言えるほど達観した賢者では無いし、女性は将来の不良債権なんて言えるほど立派な人間でもない。だが、魔物娘とはいえ女性である以上、将来結婚なんて事になれば色々面倒で煩わしいはずだからだ。
だが、そうだ。よく考えれば半分世捨て人の様な生き方をしている俺だ。企業の重要なポストに付いていた様な女性に好かれる要素なんか全く無かったのだ。早い話俺という人間がありのままに有妃に知られれば、すぐに嫌われる事間違いなしだ。そうだ。嫌われれば当然付き合う事もないのだ。俺のありのままの姿を見せるだけでいいのだ…。
そう思うと幾分気が楽になりようやく眠りにつくことが出来た。嫌われてまで女を避けようとする己自身に幾分の嫌悪を感じながら…。
そもそも俺が桃里社長の工場に就職したのには、別にたいした理由があった訳では無い。
あの世に何かを置いて生まれてきたのだろう。とにかく俺は静かで平穏で安らかな生き方がしたかった。そして生きる為に必要なだけ働きたかった。そんな俺にとって、働くために生きることを強いるような企業では到底勤まらないという自覚はあった。そして世間はそういった会社の方が圧倒的に多数派だと言う事も理解していた。
だが、魔物が経営する会社ならば話は別だ。愛する夫との交わりを最優先にし、仕事などはないがしろにされがちと言われる魔物の経営する会社ならば、毎日適度に働くだけで済むのではないか、という考えがあった。
魔王の統べる王国と国交が結ばれて数十年。それまで人に隠れた存在だった魔物娘との共存も進んできている。今では彼女たちが経営する企業もよく見かけるようになってきた。俺はその一つ、比較的近所にある桃里社長の工場の求人を見つけ出した。
実際その考えは正しかった。給料は安いが残業や休日出勤は全くと言っていいほど無く、従業員もほぼ魔物かインキュバスだ。皆、勤務時間中は真面目に働くし、気のいい連中が多いが、そんな環境でバリバリ仕事をしようという者はいるはずもない。俺は望み通り穏やかで静かな毎日を送るようになった。
無論、こんな日がいつまで続くかどうか分からない。良いか悪いかと言われれば自分でも良いと言える自信は無い。心の中には将来への不安が渦巻いている。だが、続く限りこの生活を続けよう。その後の事はその時に考えればよい…。
こんなロクデナシの俺だ。女性を好いたり好かれたりといった関係を作れるはずはなかった。欠陥のある性格を補う以上の何かを持ち合わせている訳では無く、事実女性から声を掛けられたことすらなかった。また女性に関わる事によって、自身の小さな平穏を乱されるのが恐ろしかった。
男に対し積極的な魔物娘と、幼い頃より交流があればまた変わってきたのだろうが、あいにくと子供時代は彼女たちと親しむ環境にはなかったのだ。だからこそ自分の鬱屈を晴らすかのように二次元の世界、それも魔物娘系の作品に没頭していた。
そんな無為の日々の中で起こった今回の出来事だ。
そして瞬く間に金曜日がやってきた。明日はいよいよ白蛇と会わねばならない。正直言って不安は消せない。俺は明日の事について再度確認するために社長のもとに行った。
「社長。明日の件ですけれど…。」
「ああ、森宮君。明日はよろしく頼む。ええと、それで場所は駅前の狸茶屋と言う事になったから。」
「ええっ?狸茶屋ですか?」
俺は思わず大きな声が出てしまった。狸茶屋とは刑部狸が経営する街では有名な喫茶店なのだが、経営者が魔物と言う事もあり客の大半は魔物娘かインキュバスだ。そしてこの店を有名にしているのは、彼女や嫁が欲しい男が店に入れば100%の確率で手に入れる事が出来る、という噂によるものだ。無論ここでいう彼女や嫁とは『魔物娘の』彼女や嫁という事だが、婿探しをしている魔物が多数入り浸っている店なので、この噂はほぼ事実に近いと言っていい。
だが多くの種族の魔物娘が出入りする店なので、必ずしも好みの子を彼女に出来るとは限らない。目当ての子が居なくて帰ろうにも別の魔物に襲われてしまうからだ。
その結果、ホルスタウロスに癒されたかった男がミノタウロスに犯され続けたり、キキーモラのメイドにお世話されたかった男が主夫としてアマゾネスの世話をする事になったり、ラミアにロールミーされたかった男がアラクネの糸でぐるぐる巻きにされたり…といった珍事が多発しているらしい。
もちろん魔物に魅了されればどんな種族と番になっても確実に「幸せ」になる事は出来る。だが、自分の将来を賭けて無茶な事は出来ない、と言う事で魔物好きの独身男にとって、興味はあるが怖くて行けない場所になっているのだ。
結果、狸茶屋に入っていくのは、この先も寂しい独身生活を続けるくらいならここで大勝負しよう、と思っている必死の男たちが大多数だった。現に同僚の黒川もそうだった…
「森宮。俺はもう限界だ…。二次元の妹達を欲望の捌け口にする生活には、もう疲れ果てた。こうなったら狸茶屋に行ってアリスを嫁にしてお兄ちゃんって言ってもらうしかない…。」
「おい、落ち着けよ黒川。あそこで好みの種族と結ばれるのは難しいって話じゃないか。それにアリスなんて、めったにお目に掛かれる魔物じゃないだろ。それならいっそのことサバトにでも入信したらどうだ?」
思い詰めた様子で訴える黒川に、俺はなんとか思いとどまらせようとした。
「サバト?なんか色々面倒くさそうじゃないか。だいたいこんな地方都市にサバトの支部なんかあるのか?」
「いや…俺はそっちの趣味はあまり無いからよく知らないけど…。」
「ほらみろ!どうせ俺は報われないマイノリティーなんだ!まあいい。見ていてくれ森宮。店から帰ってきたら、妹は俺の嫁状態になっているだろうから。」
黒川は半ば自暴自棄になっていたのだろうか。俺が何度も止めるのも聞かず店に出かけて行った。その結果、黒川は確かに以前と変わった。アリスのお兄ちゃんになる代わりに、ダークエルフの召使いになるという違いはあったが…。まあ当然彼も幸せに暮らしているので、結果オーライと言えるのだが。
俺も当然狸茶屋には興味はあったが、黒川の事もあり店に足を踏み入れる事は無かった。それがこの事態だ。
「ちょっと待ってください社長。あの店はどうも…。」
俺は不安のあまり尻込みした。
「なんだ。あの店は嫌か?色々噂はあるけれど、なかなかいい所だぞ。それに私たち魔物が目立たずに話が出来ると言うとあの店が一番なんだ。」
「ですが…。」
「ああ、魔物に襲われるのが心配か?大丈夫だ。私や有妃が付いているから何も怖がることは無い。悪い虫が寄って来たら追い払ってやるよ。」
社長に胸を張って断言されたので俺はそれ以上の事は言えなかった…
今日の朝礼も終わり、俺は早速社長のもとに行った。
「おはようございます。社長、例の機械の精度が前日から出ていないのですが…」
「ああ。おはよう。そうか、相変わらず調子悪いな…」
報告を聞いているのはどう見ても幼い女の子にしか見えない。だが彼女はれっきとした大人の魔物娘であるドワーフの桃里社長だ。
俺は彼女の経営する金属加工の町工場に勤めているが、従業員数十名のうち社長以下社員のほとんどは魔物かインキュバスだ。無論その中には俺も含まれているのだが。
報告を聞いていた桃里社長だが、突然ふんふんと鼻を鳴らして可愛らしい笑顔を見せた。
「森宮君。今日も朝からお楽しみだったようだが…相変わらず有妃とは仲良くやっているみたいだな。」
「いや…そんな。すみません。」
出勤前に本番こそしなかったが、有妃と俺はお互いの唇と舌を散々貪りあったのだ。それを社長に見抜かれてしまい、つい意味もなく謝ってしまった。
「いやいや。仲睦まじくて結構な事だよ。私も家に帰ったら旦那と仲良くするかな。どうせ明日から休みだし。」
仲良く、という部分を強調して言うと、社長はアハハと笑った。そう。この桃里社長の仲立ちによって有妃と俺は知り合い、そして夫婦になる事が出来たのだ。有妃の様な素晴らしい女性と引合せてくれた社長は、間違いなく恩人と言っていい。
だが、有妃と知り合った前後は、俺は人魔問わず女性と親密な関係になる事を、正直あまり望んでいた訳では無かったのだ…
それは今日と同じように翌日から休みを控えていたある日の事だった。仕事もようやく終わり、後はタイムカードを押すだけという一番気分がはずむ時間帯だ。そんな時、俺は社長からふいに声を掛けられた。
「森宮君。ちょっといいか?」
まさかこんな間際になって休日出勤を頼まれるのか…そんなこと今までにあった訳では無いのだが、思わず不安になり表情が強張る。
「安心しろ。明日出てこいなんて事は言わないから。そんな顔しなくていい。」
俺はほっと胸をなでおろした。そんな姿を見て社長は苦笑する。
「いや、ちょっと聞きたい事があってな…。ええと…。森宮君は彼女とかはいるのか?」
「いやいや…御冗談を。いつも一人で寂しいものですよ。」
「そうか…。それなら魔物娘の事はどう思っている?」
一体突然何を言い出すのだろう。俺は疑問に思ったが、なにせ明日からお休みである事から少々浮かれており、社長の言葉を深く考える事は無かった。
「魔物娘さんですか?そうですねえ…。とても可愛くて、男の事をずっと愛し続けてくれるんですよね。社長の御亭主が羨ましいですよ。どうか僕の所にも来てほしいものです。」
魔物娘が経営する会社に勤めるぐらいなので当然魔物には興味はある。俺は当然の様にそう言ってしまった。社長はそんな姿を見て満足したようだ。
「そうかそうか。それならラミア系の種族はどうだ?」
「ラミアさんですか?ロールミーでしたっけ?僕もラミアさんにぐるぐる巻きにされてずっと抱きしめられたいですねえ…。」
調子に乗って続けた俺に社長はなぜかほっとした様な笑みを見せた。
「うん、わかった。ありがとう。帰り際に悪かったな。」
「いえいえ。とんでもないです。それではお先に失礼します。」
「ああ。お疲れ様。」
この時はただそれで終わった。少々訝しく思ったものの、休み前日の楽しい気分がそれをすぐに忘れさせた。それからしばらく経ったある日の事だ。ちょうど仕事終わりで帰宅間際だったのは前と同じだ。俺が駐輪場でスクーターに乗って、いざ帰ろうと思ったその時。
「森宮君お疲れ。」
「あ、社長。お疲れ様です。」
「ええと…。ちょっといいか?」
「はい。なんでしょうか」
社長は何か言いにくそうにうーんと唸るような声を出していた。俺の担当箇所で何かクレームでも来たのか?ミスの無いように注意を払って仕事はしているが、さすがに不安になる。
「すみません。なにかクレームでもありましたか?」
「ああ…いや。そうじゃない。仕事の事じゃないから安心してくれ。」
俺の心配そうな表情を見た社長がなだめるように言う。
「ちょっと森宮君に頼みがあってな…。」
「頼みと言いますと?」
「今週の土曜日だが、私と付き合ってもらえないか。」
「はい…?」
思わずあっけにとられた声が出てしまった。付き合うってどういう事だ?大体社長にはとても仲の良い旦那さんがいるはずだ。魔物娘の例に漏れず週末はお楽しみではないのか?思わずいけない考えが浮かんでしまい、幼女の様なその姿をまじまじと見つめてしまう。
「何を勘違いしているか知らんが多分それは違うぞ。私と一緒に会ってもらいたい人が居るっていうだけの事だ。」
俺の表情から不道徳な考えを見抜いたのだろう。社長が半ば呆れたように言った。でも会ってもらいたいとはどういう事だろう?全く見当もつかない。
「いや…。そんな。とんでもない…。それで会ってもらいたい人とはどういう事でしょうか?」
社長は少々迷っていたが意を決した様に語りだした。
「そうだな。単刀直入に言おう。独身の魔物娘を紹介してやる。種族は白蛇。美人で優しくてとても面倒見が良い奴だ。もちろん家事万端完璧にこなす。どうだ?会ってくれないか?」
「はい?」
想像もしていなかった答えに先ほど以上に間抜けな声が出てしまった。
「森宮君はこの間魔物娘を嫁にしたいって言ったよな。それにラミアにずっと抱きしめていてもらいたいと。知っていると思うが白蛇はラミアの一種だからな。
有妃は…。ああ、その白蛇の事だが、とっても情が深い奴だから、喜んで君の事をぐるぐる巻きにしてくれるぞ。」
「いや…。ちょっと待ってください。突然そんな事をおっしゃられても。」
「なあ。たのむ。独身の男がいるなら紹介しろと言われていたんだ。有妃の奴には借りがあってな…。私の顔を立てると思って会うだけでも会ってくれないか。この通りだ。」
慌てる俺を無視するかのように言葉を続けると社長は頭を下げた。社内での独身者は俺ただ一人だけなので、それで声をかけたのだろう。桃里社長には色々良くしてもらっている。彼女に頭を下げて頼まれては断る訳にいかなかった。それにこの会社は俺にとってとても良い環境だ。長く勤めていたいので社長の印象を悪くする事は出来ない。
「はい…。わかりました。本当に会うだけでよろしいのですね?それ以上の事はお約束出来かねますが…。」
「ああ。もちろんだ。会ってもらえるだけでいいんだ。いや。ありがとう。本当に助かった。前から散々言われていてな。独身は森宮君一人だけだろ。私もどうしようか困っていたんだ。」
困りながらも承諾した俺を見て、社長も安堵と申し訳なさを綯い交ぜにした様な表情を見せた。
その後詳しく話を聞いた所、桃里社長と白蛇、有妃は相当長い付き合いで、互いに貸し借りのある腐れ縁のような関係だとの事だ。かつて有妃は某企業の役員を務めており、その仲介があったおかげで桃里社長は大変重要な契約を結ぶことが出来たらしい。社長はその事を未だに恩義に感じているようなのだ。
家に帰っても色々考え込んでなかなか寝られなかった。全く思いもかけぬ事だ。でも、本当にうかつだった。以前社長に聞かれたときのニュアンスで、女性を紹介する、しないの話になる事は当然予測できたはずなのだ。休み前だからと言って浮かれた気分になっていた俺を怨みたかった。
大体会うだけとは言っても、魔物娘と付き合う=結婚に等しい、と言う事は広く知れ渡っている。会っただけで済むとは到底思えない。確かに魔物娘には好感は持っている。少なくとも会社にいる魔物に嫌な奴はいない。それに並の人間以上に魔物について関心を持っているだろう。
だが個人的に深く関わるのは映像や絵の中だけで十分だ。決して三次は惨事と言えるほど達観した賢者では無いし、女性は将来の不良債権なんて言えるほど立派な人間でもない。だが、魔物娘とはいえ女性である以上、将来結婚なんて事になれば色々面倒で煩わしいはずだからだ。
だが、そうだ。よく考えれば半分世捨て人の様な生き方をしている俺だ。企業の重要なポストに付いていた様な女性に好かれる要素なんか全く無かったのだ。早い話俺という人間がありのままに有妃に知られれば、すぐに嫌われる事間違いなしだ。そうだ。嫌われれば当然付き合う事もないのだ。俺のありのままの姿を見せるだけでいいのだ…。
そう思うと幾分気が楽になりようやく眠りにつくことが出来た。嫌われてまで女を避けようとする己自身に幾分の嫌悪を感じながら…。
そもそも俺が桃里社長の工場に就職したのには、別にたいした理由があった訳では無い。
あの世に何かを置いて生まれてきたのだろう。とにかく俺は静かで平穏で安らかな生き方がしたかった。そして生きる為に必要なだけ働きたかった。そんな俺にとって、働くために生きることを強いるような企業では到底勤まらないという自覚はあった。そして世間はそういった会社の方が圧倒的に多数派だと言う事も理解していた。
だが、魔物が経営する会社ならば話は別だ。愛する夫との交わりを最優先にし、仕事などはないがしろにされがちと言われる魔物の経営する会社ならば、毎日適度に働くだけで済むのではないか、という考えがあった。
魔王の統べる王国と国交が結ばれて数十年。それまで人に隠れた存在だった魔物娘との共存も進んできている。今では彼女たちが経営する企業もよく見かけるようになってきた。俺はその一つ、比較的近所にある桃里社長の工場の求人を見つけ出した。
実際その考えは正しかった。給料は安いが残業や休日出勤は全くと言っていいほど無く、従業員もほぼ魔物かインキュバスだ。皆、勤務時間中は真面目に働くし、気のいい連中が多いが、そんな環境でバリバリ仕事をしようという者はいるはずもない。俺は望み通り穏やかで静かな毎日を送るようになった。
無論、こんな日がいつまで続くかどうか分からない。良いか悪いかと言われれば自分でも良いと言える自信は無い。心の中には将来への不安が渦巻いている。だが、続く限りこの生活を続けよう。その後の事はその時に考えればよい…。
こんなロクデナシの俺だ。女性を好いたり好かれたりといった関係を作れるはずはなかった。欠陥のある性格を補う以上の何かを持ち合わせている訳では無く、事実女性から声を掛けられたことすらなかった。また女性に関わる事によって、自身の小さな平穏を乱されるのが恐ろしかった。
男に対し積極的な魔物娘と、幼い頃より交流があればまた変わってきたのだろうが、あいにくと子供時代は彼女たちと親しむ環境にはなかったのだ。だからこそ自分の鬱屈を晴らすかのように二次元の世界、それも魔物娘系の作品に没頭していた。
そんな無為の日々の中で起こった今回の出来事だ。
そして瞬く間に金曜日がやってきた。明日はいよいよ白蛇と会わねばならない。正直言って不安は消せない。俺は明日の事について再度確認するために社長のもとに行った。
「社長。明日の件ですけれど…。」
「ああ、森宮君。明日はよろしく頼む。ええと、それで場所は駅前の狸茶屋と言う事になったから。」
「ええっ?狸茶屋ですか?」
俺は思わず大きな声が出てしまった。狸茶屋とは刑部狸が経営する街では有名な喫茶店なのだが、経営者が魔物と言う事もあり客の大半は魔物娘かインキュバスだ。そしてこの店を有名にしているのは、彼女や嫁が欲しい男が店に入れば100%の確率で手に入れる事が出来る、という噂によるものだ。無論ここでいう彼女や嫁とは『魔物娘の』彼女や嫁という事だが、婿探しをしている魔物が多数入り浸っている店なので、この噂はほぼ事実に近いと言っていい。
だが多くの種族の魔物娘が出入りする店なので、必ずしも好みの子を彼女に出来るとは限らない。目当ての子が居なくて帰ろうにも別の魔物に襲われてしまうからだ。
その結果、ホルスタウロスに癒されたかった男がミノタウロスに犯され続けたり、キキーモラのメイドにお世話されたかった男が主夫としてアマゾネスの世話をする事になったり、ラミアにロールミーされたかった男がアラクネの糸でぐるぐる巻きにされたり…といった珍事が多発しているらしい。
もちろん魔物に魅了されればどんな種族と番になっても確実に「幸せ」になる事は出来る。だが、自分の将来を賭けて無茶な事は出来ない、と言う事で魔物好きの独身男にとって、興味はあるが怖くて行けない場所になっているのだ。
結果、狸茶屋に入っていくのは、この先も寂しい独身生活を続けるくらいならここで大勝負しよう、と思っている必死の男たちが大多数だった。現に同僚の黒川もそうだった…
「森宮。俺はもう限界だ…。二次元の妹達を欲望の捌け口にする生活には、もう疲れ果てた。こうなったら狸茶屋に行ってアリスを嫁にしてお兄ちゃんって言ってもらうしかない…。」
「おい、落ち着けよ黒川。あそこで好みの種族と結ばれるのは難しいって話じゃないか。それにアリスなんて、めったにお目に掛かれる魔物じゃないだろ。それならいっそのことサバトにでも入信したらどうだ?」
思い詰めた様子で訴える黒川に、俺はなんとか思いとどまらせようとした。
「サバト?なんか色々面倒くさそうじゃないか。だいたいこんな地方都市にサバトの支部なんかあるのか?」
「いや…俺はそっちの趣味はあまり無いからよく知らないけど…。」
「ほらみろ!どうせ俺は報われないマイノリティーなんだ!まあいい。見ていてくれ森宮。店から帰ってきたら、妹は俺の嫁状態になっているだろうから。」
黒川は半ば自暴自棄になっていたのだろうか。俺が何度も止めるのも聞かず店に出かけて行った。その結果、黒川は確かに以前と変わった。アリスのお兄ちゃんになる代わりに、ダークエルフの召使いになるという違いはあったが…。まあ当然彼も幸せに暮らしているので、結果オーライと言えるのだが。
俺も当然狸茶屋には興味はあったが、黒川の事もあり店に足を踏み入れる事は無かった。それがこの事態だ。
「ちょっと待ってください社長。あの店はどうも…。」
俺は不安のあまり尻込みした。
「なんだ。あの店は嫌か?色々噂はあるけれど、なかなかいい所だぞ。それに私たち魔物が目立たずに話が出来ると言うとあの店が一番なんだ。」
「ですが…。」
「ああ、魔物に襲われるのが心配か?大丈夫だ。私や有妃が付いているから何も怖がることは無い。悪い虫が寄って来たら追い払ってやるよ。」
社長に胸を張って断言されたので俺はそれ以上の事は言えなかった…
17/03/06 23:16更新 / 近藤無内
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