読切小説
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しあわせな取引
「さてと……今週もお疲れ様…… 乾杯!」

「乾杯! 」

咲はジョッキを掲げると朗らかに笑った。
俺も陽気に乾杯を返すと、ジョッキに口をつけて一気にあおる。
たちまち冷えたビールの爽快感が喉を通り抜けた。

「〜〜〜〜っ!」

休日前の解放的な気分で飲むビールは格別だ。
思わず変なうめき声が出てしまうが、咲も喉を鳴らして夢中で飲んでいる。
別に気にする素振りを見せない。

俺は残っていたビールを飲み干すと、一息ついて辺りを見回した。
繁華街にある居酒屋の一室で俺たちはくつろいでいた。
ほの暗い部屋は幻想的な暖色の明かりで照らされている。
室内は品よくまとめられており、なかなか居心地がいい。

週末の今日。俺は咲に誘われて一週間の慰労も兼ねて飲みに出かけたのだ。
咲はいつも行く居酒屋ではなく、明らかにランクが上のおしゃれな店に連れ込んだ。
最初は尻込みしてしまったが、いつも世話になっているから今日は私が持つと言われて安心してしまったのは情けない。

テーブル越しの咲は、柔らかい毛に包まれた耳をぴくぴくと動かしている。
太い尻尾も機嫌よさそうに揺れている。
愛くるしい仕草に俺は微笑みを抑えきれない。

「仕事終わりに飲む酒ってなんでこんなにうまいのかな? いや。きみと飲んでいるからなんだろうね……」

もう酔いが回ったのだろうか。咲は頬を朱に染めて、テーブルに肘をついている。
潤んだ金色の瞳がねっとりと俺を見つめている。
急に蠱惑的な雰囲気を醸し出す咲に俺は息をのんだ。

当然咲は人間ではなく魔物娘。刑部狸という種族だ。

魔王の統べる王国と国交が結ばれて数十年。
魔物娘は身の回りに当たり前に存在しており、彼女たちが経営する会社や店も数多い。
俺もドワーフが社長を務める工場で働いているが、咲とは同期の間柄だ。

咲の面倒見よく気さくな人柄は魅力的で、俺はたちまち惹きつけられていた。
幸いな事に咲も俺を気に入ってくれたようだ。
いつの間にか親しく付き合う様になっていった。

もっとも現状は親しい友人でしかない。咲とはそれ以上になりたいのだが…… 

「咲ちゃんにそう言ってもらって嬉しいね……」

好きな人に、きみと飲む酒は美味しいと言われて嬉しくないはずがない。
咲がそう言ってくれるのだ。勇気を持って関係を進めればいい。
でも、それは無理だ。できない理由がある。
幾分暗い気分になった俺は俯いた。

「そうかい。それはなによりだね。自分の店で飲むのはいささか気恥ずかしかったけど、誘ったかいがあったというものだよ。」

「え? 自分の店ってどういう……」

素直に喜ぶ咲だったが、彼女から発せられた言葉に思わず口をはさんでしまった。

「あれ? 今度うちの店で飲もうと言ったはずだったんだが。」

「いやいや! そんなこと初耳だよ。店を持ってること自体知らなかった。」

「ふうん。自分ではすっかり話した気になってたな。」

咲は意外そうにビールを口にした。俺は何度もかぶりを振る。
突然の事で驚いたが、でもよく考えれば咲は商才に長けている刑部狸だ。
店の一軒や二軒持っていてもおかしくはない。

「なるほどね。どおりでさっき困った顔をしていたわけだ。」
 
先ほどの俺の狼狽ぶりを思い出したのだろう。
咲はジョッキをテーブルに置くと悪戯っぽい眼差しになった。

「だって咲ちゃんの店って相当レベル高いよ。色々気にもなるさ。」

「まあ安心してくれ。私は富む者からは頂き、貧しき者には施しを、っていうのを心がけているんでね。君だったら喜んでごちそうするさ。」

「なんか耳の痛い事を言われてる気がするけど。たしかに反論できないなあ……」

咲は俺が貧乏なのを皮肉っているんだろうか。
今勤めている会社は良い所なのだが、給料が安い事だけは残念だ。
自分の薄給ぶりを嘆いてため息をつくと、咲は優しく声をかけてきた。

「おいおいどうしたんだい。私は君と一緒だったら楽しく飯を食えると言いたいだけなんだよ。」

「それはどうも……」

俺が肩をすくめると咲は楽しそうに笑う。
ちょうどその時、店員が料理をもって入ってきた。

「お待たせしました。魔界豚の角煮です。」

「お。来たな! これは君に是非食べてもらいたいんだ。」

咲は待ちに待ったとばかりに顔をほころばせる。
サキュバスだろうか? 翼と角がある店員は皿を置き、親しげに話しかけてきた。

「こんばんはオーナー。今日は彼氏さんとご一緒ですか? ラブラブで結構なことですねえ。」

「……っ!」

突然変な事を言われた俺はむせてしまうが、咲は驚きもせずにうなずいた。

「せっかくの週末だからね。気分良く過ごせる奴と飲みたいさ。」

「いいなあ…… あたしもオトコ欲しいなあ…… いいコいたら紹介してくださいよ。っていうかちょうどいいですから今紹介してください!」

興奮したように目を輝かせ、足をばたばたさせるサキュバスに咲は苦笑する。

「わかったわかった。考えておくから今は仕事に戻ってくれないかな? ほら。お客様もだいぶお見えになったようだし。」

「あら。あたしとしたことが失礼いたしました…… 」

咲がそっとたしなめると、サキュバスの店員は照れてはにかんだ。
この部屋は店の奥という事もあり声はさほど聞こえない。
だが外の様子をうかがうと、確かに客でにぎわう店内が見える。
サキュバスは頭を下げるとそそくさと戻っていった。

「全く困った奴だ。あ、うちの店の者が失礼したね。」

「ううん全然。楽しそうで良いじゃない。」

呆れたような咲だったが俺はすぐにかぶりを振る。
俺たちは顔を見合わせて笑いあった。
咲は話がそれてしまったねと呟くと、卵入りの豚の角煮を勧めてきた。

「そうそうこの魔界豚、角煮にしたんだがどうだろう?うまいならメニューに加えたいんだ。ちなみに卵は普通の鶏卵だから安心してくれ。」

最近では魔界に関する食材も広まっているが、魔界豚は高級品も多い。
実際、今までの生涯で食べたことは数えるほどしか無い。
俺は小綺麗な皿に盛りつけられている豚の角煮をじっと見つめる。

「でもいいのか? 魔界豚ってなかなかのものじゃないか?」

「これは試食も兼ねているんだよ。君が協力してくれればとても助かるんだ。」

おずおずと問いかけると、咲は遠慮しないでいいとばかりに優しく勧めてくれた。
気遣ってくれているのはわかったが、アルコールが入った腹は空腹を訴えている。
俺は遠慮なく頂くことにした。

「ありがとう。それじゃあ早速頂きます……」

箸でつまんで口に入れた俺は目を見開いた。
なにこれ…… これが魔界豚?

口に入れた肉片はすぐにとろけ、濃厚な味わいが口の中に広がる。
もっともっと食べたくなる。
たちまち俺はこの肉を食らう事しか頭になくなった。

「どうだい? 」

「……む。むう。 」

俺は咲の問いかけに無言で頷くと、さらにもう何切れかを口に放り込んだ。
何度も咀嚼して溢れる肉汁と信じられないうまみを存分に味わう。
やがて音を立てて飲み込むと、ようやく一息ついた。

「これってすごいよ! うまい……うますぎる! 」

俺は感動して思わず叫んでしまった。
今まで食べた魔界豚と称する物はなんだったんだろう? 天と地ほどの差がある。

「そうかうまいか!? いやあ良かったよ喜んでくれて。君に試食して欲しいメニューは他にもいろいろあるんだ。さ、どんどん食べてくれ!」

咲は嬉しそうに声を上げると、整った顔立ちに満面の笑みを浮かべた。


















それから俺たちは飲んで食べて笑って、休日前のひと時を楽しんだ。
咲と一緒にいると落ち着くし安心できるが、いつもこうして会えるわけではない。
勤務中は休憩時間に話せるだけだし、魔物娘が多い会社とはいえ人の目は気になる。
気兼ねなく過ごせるのはどうしても週末だけになってしまう。

「君はワインは大丈夫かな? どうだい。陶酔の果実のワインでもいかがかな?」

ぼんやりと考えていた俺の目に、咲が手に取ったワインボトルが目に入る。
陶酔の果実は魔界原産の果物だ。
下になる実ほど高級品と聞いているが、今まで食べたことも飲んだことも無かった。
見た所、相当年代物と思えるボトルだけでも価値がありそうだ。

「へえ。これが陶酔の果実のワイン? 飲んだこと無いけどどんななの?」

ワイン自体あまり飲まないが、興味が沸いてきて問いかける。
咲は得意そうに言った。

「ふふん。聞いて驚くな! これは陶酔の果実の一番下の実だけを使って、さらに十分に寝かせた逸品だよ!」

「おお〜! 」

相当酔っているのだろう。咲は芝居がかった様子で大げさに胸を張る。
俺も調子を合わせて感心すると手を叩いた。

「でも一番下の実だけ使ったワインって超高級品じゃないのか?」

「ああ。仕入れたのはいいが、誰も注文しやしない。埃をかぶったまま置いておくよりは、君が飲んでくれたほうがワインも幸せだろう。」

「そうか……」

飲んでみたいがこれは先ほどの魔界豚以上に値が張るものだ。
俺が遠慮して手を出せないでいると、咲は意地悪くボトルを遠ざけた。

「すまない。どうやらワインは嫌いなようだね。無理に勧めて悪かったよ。」

「いや。待ってよ。欲しいから。飲んでみたいって! 」

慌てた俺が手をやって止めると、咲はしてやったりとばかりに大笑いした。

「ほらみろ。今さら遠慮なんかしないでいいんだよ。さ、一緒に飲もうじゃないか。」

咲はいつの間にか俺の隣に座っていた。
グラスにワインを注ぐと俺に手渡して、自分のグラスにも入れる。

「じゃああらためて乾杯……」

グラスを掲げ妖しく微笑む咲だったが、すっかり酔った俺はただ呆けた様に見つめる。
意識もせずに暗紅色のワインを一気に飲み干した。
その途端、適度な酸味と濃く芳醇な味わいが口に広がる。
若干の渋みと苦みが良いアクセントになっているようだ。

「うん。これもすごくおいしいよ……」

「良かった。気に入ってくれたようだね。」

俺はうなずきながらワインを味わっていたが、不意に甘い声が耳元で聞こえた。
気が付くと咲は俺にぴったり身を寄せていた。彼女の柔らかい体を感じてしまう。
ふさふさの毛でおおわれた尻尾が、俺の肩を抱くように覆っている。
穏やかに見つめる咲の金色の瞳に吸い込まれそうだ。

異様なほどの心地よい酩酊感と多幸感が心に満ちていた。
咲とは親しく付き合っているが肉体関係は無い。
ここまで身を触れ合わせる事など今までなかった。
だが動揺も焦りも一切なく、ただ咲の温かさを感じていた。

なるほど陶酔の果実というだけの事はある。これが効果なのか。
そんな無駄な事を思うが、心地よさの中に消えていった。
俺もいつしか咲に身を委ねてしまう。

「おや。酔ってしまったのかい? 大丈夫。このまま酔いが冷めるまでいればいいさ。」

咲は優しく言うと俺の肩を抱いてくれた。

ああ……
温かい……
心地よい……

このままずっと蕩けていたい。
ずっと愉しい時間を過ごしていたい。
咲とは親しい友達以上になりたい。そうすればこのままいられるのだ。
咲に対する想いで溢れそうになる。

だが、少し気にもなる。

そもそも咲は俺に友達以上の想いを抱いてくれでいるのだろうか。
正直それを知るのは怖い。咲の面倒見はよすぎるぐらいだから。
実際、彼女は幼馴染の弟分の事は色々気にかけている。
俺もその弟分と同様、世話を焼かれている男の一人にすぎないのではないか。

いや。俺の気持ちなどどうでもいい。もっと肝心な事がある。
俺はあの事を思い出す。いやでも思い出してしまう。
少なくとも現状のままではだめだ。このままでは咲を不幸にしてしまうだけだ。

俺はわずかに残った理性が消えないように意識を強く持った。



















そのまま陶酔の海を漂い続けるも、なんとか己を保ち続けた。
だが、咲に抱きしめられる幸福感には抗えない。
うっとりとしている俺の耳に、咲の澄んだ声が聞こえてきた。

「おっと。そうだった。また言い忘れるところだったよ。」

咲は自分のカバンの中から書類らしきものを何枚か手に取った。
それを半ば意識が朦朧としている俺に見せつける。
金銭消費貸借契約書。
冒頭にあるその文字に気が付いた俺は、はっとして恍惚状態から覚めた。
そのまま電気が走ったように身を起こすと書類に目をやる。

「咲ちゃん…… いったいなんで君がこれをもってるのっ!」

思わず大声を出す俺の目の前には、皮肉な眼差しで微笑む咲がいた。














俺は憑かれたように書類を読む。借金の証文に間違いない。借主の名義は俺の親だ……

実家は以前から酒屋を営んでいたが、スーパー等の進出も相次ぎ、経営状況は悪化の一途をたどっていた。
逆転を狙った両親は、とあるフランチャイズチェーンに加盟した。
だがその甲斐なく一向に経営は改善せず、赤字は増えるばかりだった、
結果借金を重ね、今では首も回らない状況に陥っている。

親だからといって借金の返済義務は無いし、連帯保証人になっているわけでもない。
でもこれまでの人生でずっと世話になってきた。見捨てるなんてできない。
俺は力になろうと覚悟を決めていた。

貧乏な俺にとって借金は目もくらむ額だ。
そんな悲惨な状況で咲との関係を進めるわけにはいかない。
仮に結婚できても借金付きでは申し訳なさすぎる。
俺は告白したい気持ちを必死に抑えて咲と接していたのだ。

「見てのとおり、君のご両親の借金は私が全部買い取ったよ。」

「買い取ったって……いったいなんで。」

「もちろん私が直接ってわけじゃないけどね。親戚筋にはそっち方面で事業をしている連中も多いんだよ。」

俺は震える手で証文を取ろうとする。
咲はすぐにその手をかわすと静かに言葉を続けた。

「なぜかって? 私がこの証文を破り捨てたいからだよ。そうすれば君のためにもなるんじゃないのかい?」

本当ならばいくら礼を言っても足りないぐらいだ。
それどころか一生返せない借りが出来てしまったも同然だ。
だが、余りに想像外の事でお礼を言う事すら忘れていた。

「でもどうして咲ちゃんがそこまで…… 君の目から見ても結構な金額だろ…… ていうかなんで親の借金の事まで……」

「そうすれば君もちゃんと言ってくれると思ったからさ。ほかの事はどうでもいい。」

半ば上の空でつぶやく俺に咲は毅然と言い放った。

「わかるかい? 君の口から直接私への想いを聞きたかったんだよ。こう見えても私は古風でね。告白は気になる男のほうからして欲しいんだ。」

そうか。咲は俺が踏み切れるように悩みを取り去ってくれたのか?
わざわざ気を使ってくれたのか?一瞬そう思う。
だが、俺の心を見越した様に咲は口の端を歪めた。

「君はお人好しでとってもいい子だ。私が借金を肩代わりすれば、君の心に私は絶対消せない存在として刻み込まれるはずだ。君は何があっても私の事が頭から離れられなくなるはずなんだ。生涯を私と生きていくしかないと覚悟するほどにね。」

淡い光に人懐っこい咲の笑顔が照らされていた。語り続ける口調も柔らかい。
だがその言葉には妙な凄みがにじみ出ている。異様に空気が重くなった。

圧迫感から逃れるように俺はジョッキに口を付けていた。
まるで気付け薬を飲むかのように残りを飲み干す。
すっかりぬるくなったビールの味。無性に嫌な苦みが口に広がった。

俺の戸惑いを察したのだろうか。咲ははっとした表情で俯いた。
両手で頭を抱え、何度も掻きむしるとうめき声をあげた。

「ほんとずるいな私は。保険をかけたうえで返答を迫っているんだから。結局は君を縛ろうとしているんだ。」

「咲ちゃん……」

「君に選択の余地を与えないで返事させようなんて卑怯だな。でも、こうでもしないと不安なんだよ。笑えるだろ。君が私をどう思っているのか知るのが怖いんだ。」

咲は瞳に切なげな色を浮かべて微笑んだ。

俺がどう想っているか知るのが怖い。咲の口から出た予想外の言葉に愕然とする。
いつも飄々として陽気な咲が不安な想いを抱えていたなんて。
しかもそれは俺の事についてだ。

咲は俺を想ってくれていたんだ……
俺の困惑と動揺はたちまち消えていった。

「よかったよ。咲ちゃん前から例の幼馴染の事すごく心配していたじゃないか。俺、てっきり君がその彼の事好きなのかもって。」

ほっとした俺は表情を和らげたが、咲はからかうように目を細めた。

「うれしいね。妬いていてくれたのかい?」

「いやっ!? その、ヤキモチとかそういうんじゃなくて……」

慌てる俺を見て咲は大笑いしたが、すぐに真面目な表情を見せる。

「ああ。あいつは駄目な弟みたいなものなんだよ。駄目だからこそ可愛いし、出来るだけ幸せにもなれる手伝いもしたい。でも、一緒に夢を見たいと思えるのは君しかいないんだ。」

「夢っていうと?」

「私達と一緒にこの国を、いや。世界を変えないか?」

咲は咳払いすると俺の目を真正面から見据える。
突然の中二っぽいセリフだったが、なぜか昔を思い出していた。

別に高邁な理想や信念があったわけではない。
ただ、みんなが笑顔で幸せに暮らせる社会。
そんな社会を作ろうと、かつては仲間たちと情熱を燃やしていたから。
親が金で苦労しているのを見てきたのも大きかったのだろう。

今思えばただの夢想や妄想にすぎなかったのだが……

理想と現実のギャップに悩んだ俺はすぐに脱落してしまった。
結果として転向者になってしまったが仲間たちは優しかった。
今でも当時と変わらない付き合いをしてくれる。

咲の言葉を聞いて、往時の青臭い自分が嫌でも思い起こされてしまう。

「君も望んでいるんだろう? 優しい世界を。」

急に図星を突いてくる咲だ。黒歴史同然の俺の過去を知っているのだろうか?
でも、今日は色々と驚かされた。この様子では知っていてもおかしくはない。
俺はため息をついた。

「ええと。咲ちゃん。 もしかして俺の過去。」

「すまないね……」

申し訳なさそうに語尾を濁す様子からは、確実に知っていることが伺えた。

「いや。いいんだ。恥ずかしい過去だけど隠し通せるものじゃないしね。」

俺は陽気に言うと笑顔を見せた。
実際咲に想いを告げるときは、自分の過去は包み隠さず話すつもりだった。

「でも世界を変えるなんて、咲ちゃんこそ噂の過激派でもやってるの? 」

「あの人たちと付き合いはあるけど……まあ是々非々ってところかな? 共闘できるところはしてるけど。私自身は過激派のつもりはないよ。」

話を変えると咲は嬉しそうに乗ってきた。
世界全土を魔界に変え、女性もすべて魔物化する事を目指す過激派の魔物。
魔界化、魔物化こそ希望であり幸福なのだという、そんな人間の賛同者も少なくない。

「私は人も魔物も生きやすく幸せになる社会を作りたいだけだよ。君と一緒にね。」

咲は気取った様子でグラスを回すとワインを飲んだ。

そういえば昔の仲間が言っていた。
最近ではどこからか大量の資金が供給されるようになった。
ロビー活動していてもなぜかみんな好意的になった。
もしかして過激派が陰で援助しているのかなと笑っていた。

きっと咲達も一枚かんでいるのだろう。
刑部狸が金持ちなのは知られているし、影の権力者という噂もあるぐらいだ。
政治経済の中枢に食い込むことも可能なはずだ。

魔物がこの世界を変えようとするなら容易に事は運ぶだろう。
人の命と愛情を何より大事にする魔物だ。
彼女たちが築こうとする世界は、俺が願っているものと同じはずだ。

咲たちが本気で動き出しているのなら。それなら。
俺も咲と一緒に叶えられなかった夢の続きを見たい。
こんな俺でも咲の手助けぐらいはできるはずだ……

「よしよし。乗り気みたいで嬉しいよ。あとはこれを処分すれば終わりだね。」

俺は久しぶりに高揚とした気分を味わう。
咲も満面の笑みを浮かべて証文を破ろうとした。
ごく当たり前の様にその光景を見つめていた俺だが、ふと思い出す

そうだ…… 
想像外の事態に我を忘れていたけど、咲にここまでさせるわけにはいかない。

「だめだって! こんなことしたらいけない。」

俺は声を上げると慌てて咲の腕を掴む。
さすがの咲も驚いたのだろうか。目を丸くしてじっと俺を見た。

「ありがとう。君の気持ちは本当に嬉しいよ。でも、それじゃああまりにも申し訳ない。だから借金を返し終わるまでは、証文はそのまま持っていてほしい。」

いつになるか知らないけど金は絶対に返そう。
決意を固める俺の手を咲は優しく握ってくれた。
そのままかぶりを振ると少し意地悪な笑みを浮かべる。

「嫌だよ。これは私の権利だからどうしようと勝手だよ。だからやる。今からこれを破り捨てる。」

「待ってくれ咲ちゃん。」

「わかっているよ。君は私に借りを作りたくないんだろ? そういう律儀なところも素敵だねえ…… 」

咲はほんの少し手に力を入れた。
するとたちまち俺の体の力は抜けて、崩れるように咲の体にもたれかかった。

「ちょっと咲ちゃんっ。」

俺は慌てて起きようとするが、咲は大丈夫だと優しくなでてくれた。
ふさふさの尻尾も柔らかく首を覆ってくる。
そのまま甘い声で俺の耳元でささやき続けた。

「いいんだよ。私からどんどん借りればいい。いや……私のものは全て君のものだ。
喜んですべてをあげるよ。」

「ずるいよ。そんなこと言われたら……」

「ずるい女は嫌いかい?」

咲はニヤリと笑う。手に持った証文が音を立てて引き裂かれた……


















「ただいま〜。」

「お疲れさん! 大変だったね。」

すっかり日も落ちた夕暮れ時。ようやく配達を終え帰宅してすぐドアを開いた。
温かな明かりが玄関先を照らし、エプロン姿の咲がねぎらいの言葉をかけてくれる。
俺は全然大丈夫だよと微笑んだ。

「今日はもう配達はないんだろ?」

「ああ。これで終わり。」

「よし。それじゃあご飯にでもするか。」

咲はうなずくとキッチンに向かった。
以外(というのは失礼だが)にも咲は料理名人だ。
俺も待ちかねて彼女の尻尾に後ろから抱き着く。温かでふわふわの感触が心地よい。

「お腹すいたな…… 」

「おいおい…… すぐに用意するから待っていてくれ。な。 」

咲は苦笑して俺の頭を撫でてくれた。
すっかり当たり前になった優しく穏やかな日常。

咲の目論見どおりなのだろうか。あれから俺たちはすぐに結婚した。

結局親の跡を継ぐために退職する事になったが、咲も一緒に会社を辞めて店を手伝ってくれている。
咲は店の経営をすぐに立て直したので、さすがは刑部狸だと感心してしまった。
実際はどう見ても咲が経営者なのだが、出しゃばるのは嫌だと裏方に徹している。

店を取り巻く環境も劇的に変化した。
なぜか加盟しているフランチャイズチェーンが契約内容を大幅に改善して、予想外の事態に大喜びしたのだ。

咲に聞いたら、会社の経営陣も大株主も銀行も、刑部狸の勢力が抑えたからとの事。
すでに業界全体、というかこの国の隅々まで魔物娘の影響力が及んでいるらしい。
世界各国の状況も似た様なものだそうだ。

ずっと願い続けてきた、みんなが笑顔で幸せに生きていける社会。
それは彼女たちの手によって完成されようとしていたのだ。
もっとも、出来るだけ反感を買わない様に水面下で工作しているようだけど。

咲は一緒に国を変えようと言ったが、すでにもう終わっていたようなものだ。
でも、いくら魔物が優れていても彼女たちの目に留まらない人も多い。
少しでもその人たちの力になりたくて出来るだけの事をしている。
もちろん俺の隣にはいつも咲が一緒にいてくれる。

「で、味はどうだい?」

「もちろんおいしいよ。」

夕飯を食べていたら咲が心配そうに聞いてくるので、安心させるように答えた。
今日のメニューは魔界豚の角煮。そのとろける様な味わいに夢中になる。

「……ん。ならいいんだ。角煮作るのは久しぶりだったからね。」

咲はとたんに笑顔になる。

はじめて咲と過ごした一夜。そういえばあのときも一緒に魔界豚を食べた。
あれからずっと楽しい日々だ。咲と過ごす日々は幸せ以外のなにものでもない。
魔物によって世界は確実に良い方向に向かっている事もわかった。

まるでおとぎ話のよう。ご都合主義だけど素敵なハッピーエンドの……

俺は無性に感慨深くなって隣にいる咲を見つめ続ける。
咲は眼差しに耐えかねた様に口を尖らせた。

「どうしたんだいずっと私の顔なんか見て? 照れるじゃないか。」

「いや……なんか今までずっと夢を見てるみたいだなあって。」

我ながら訳の分からない事を言ってしまったと思う。
だが咲は何もかも承知している風にうんうんと頷いた。

「知らなかったのかい? 狸は人を化かすんだよ。」

咲は尻尾で俺に触れると悪戯っぽく笑った。














17/10/30 21:49更新 / 近藤無内

■作者メッセージ
刑部狸の 「人間社会そのものを手に入れようと暗躍している」「人間社会を掌握しようとするのは、魔物の夫婦がより幸せに暮らせるようにする事が目的」 という設定を読んでのお話です。
刑部狸さんが私たちの世界にも進出してきて、表でも裏でも支配して欲しいですねえ……

今回もご覧いただきありがとうございます。

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