番外編 魔物喫茶にようこそっ! 2
「うわぁ…。今日もあのデュラハンさんいる…。」
ため息にも似た私のつぶやきにエステルも相づちを打った。
「ほんと。店の真ん前に陣取ってるわね…。」
支度を終えホールに出てきた私たちの目の前。扉越しには凜とした女性の姿があった。
明るい陽光の中、彼女は幾分不機嫌そうに眉をひそめ、腕組みして立っている。
彼女はリボンの付いた可愛らしい服を着ているが、その仕草と全く合ってない。
尖った耳と美貌。青色の髪を見れば彼女が魔物娘だって事は明らかだ。
「今日はドアを開けるのはエレンの順番よね。わたくしは昨日開けたわ…。」
エステルは尻込みするように私の後ろに逃げた。
魔王の娘がこんな姿を見せていいんだろうか…。呆れて力が抜けてしまう。
「ねえエステル…。立場的にはデュラハンよりあなたの方が圧倒的に上なんでしょ。」
「わたくしは母上に黙って故郷を出てきてしまいましたし。魔王軍の者とはあまり関わりあいたく無いわ。」
エステルは渋い表情でなんども首を横に振る。
実際の所彼女が旅立った理由は諸国遊歴なんてかっこいいものじゃないそうだ。
色々悩んだ結果、家族に黙っての家出に近いものだったらしい。
いまでも魔王様には時々便りするぐらいで帰郷はしていないらしい。
彼女がこのデュラハンとはじめて会ったとき、もしや殿下であらせられますか?
とずいぶん詰め寄られたものだ。エステルの容姿は目立つのでそれも仕方ない。
結局ごまかすことには成功したけど。
そういう私も色々あって一触即発の事態になりかけた。
このデュラハン〜レジーナという〜が最初店に来た時、お客さんと喧嘩しそうになった。
慌てて止めに入った私もつい荒い言葉を吐き話がこじれて…というわけ。
あの時は強気だったけど正直ひやひやものだった。
あのお客さん。可愛かったな。衝動的に私のものにしかけたけど邪魔されちゃった…
状況を全く考えずに妄想に耽ってしまいふと気がつく。
ドアのガラス越しのレジーナの視線が突き刺さるよう。
つい焦ってしまうが、よくよく見ると開店時間を過ぎている。
「エレン。もう開店時間ではなくて?」
気が付いたエステルも心配そうに声をかけてきた。
「わかってる。いま開けるわ。」
私は急いでドアを開けると笑顔を見せ声を上げた。
「おはようございます!いらっしゃいませ。」
そのまま店内に戻ろうとした私の心中を見透かしたようにレジーナは声をかけてくる。
「待ってくれ。少しよいかな。」
「はあい…。」
詰問するようなレジーナの声。
いったい何だというのだろう?私は内心ため息をつきながら振り返る。
「どうなさいましたレジーナさん?」
「どうなさいました、ではない。もう開店時間をとっくに過ぎているではないか。」
「あ、はい…。」
「私は店が開くのを今か今かと待ちわびておったのだぞ。」
やっぱりその事か。私の顔が曇る。
レジーナは種族がらか、規律とか礼儀にうるさいのだ。魔物とは思えないぐらい。
マリ姉とエステルにその事を愚痴ったら、あなたもひとの事言えないと笑われてしまった。
そうだろうか?いくらなんでも私は彼女ほどじゃないと思う。
「この世界の時間の単位で言えば5分と12秒の遅れだな。」
レジーナは真面目な顔で手に持ったスマホを見せてきた。
はっ?魔界じゃ5分どころか5日も10日も店を開けない所もあるじゃない!
心にそんな不満が湧き起こるが、ここは人間の世界。我慢我慢…。私は頭を下げる。
「どうもすみません。」
殊勝な私の姿に気持ちを和らげたのだろうか。
レジーナは何度かかぶりを振ると優しく語り出した。
「いや…。厳しいことを言って悪かった。だがわかってくれぬか。ここは人間界でも時間に神経質な国なのだと言うことを。」
「はい…。」
「この国でも魔物娘の存在は市民権を得られるようにはなった。だがまだまだ我らに向けられる奇異の眼差しは多い。魔物娘の行い一つ一つが人間達に否応なく注目されてしまうのだ。我々がよからぬ振る舞いをすれば、それはすなわち魔物娘全体の悪評につながりかねない。だから我々は仲間のためにも常に自らを律して、襟を正して生きてゆかねばならぬ………」
夢中になって語っていたレジーナだったが、ここで後ろを振り向いた。
いつしか何人もの魔物娘やインキュバスが店に入ろうと待ち構えていた。
レジーナは彼女達に向かっても声を張り上げて語り出す。
「これはこの店だけの話ではない。皆の問題として考えてくれぬか。誤解しないで欲しいが当然私自身の課題でもある。私はこれを自戒の念を込めて言っておるのだ………」
何を思ったか、レジーナは道徳やら倫理やら矜持やらと言って長々演説し続けている。
周りの魔物娘達も、苦虫をかみつぶしたような顔こそしているが黙って聞いている。
彼女にとってはこれが平常運転。レジーナは少々、いや。相当めんどくさい性格だ。
でもまあ…レジーナはとても頼りになる子だ。
誰かが困っている事を知れば、嫌な顔一つ見せずに積極的に動いてくれる。
この街で彼女に恩義がある魔物娘は多いだろう。
以前、なんでそんなに世話焼きなんですか?と聞いたら、
「市井の民を護るのは騎士たる私の役目。たとえこの世界に来ようがそれは変わり無い。」
当然の様にそう言って笑顔を見せたのだった。
そんなレジーナをみんな知ってるからこそ、多少のことは気にしないでいる。
でも、あまりにも話が長いのでもう我慢できない。つい貧乏揺すりとかしてしまう。
それにそういうレジーナのせいで5分どころか相当開店が遅れている。
私は斜め後ろにいるエステルに囁いた。
「ねえ殿下…。殿下のご威光でレジーナちゃんの演説止めさせること出来ない?」
冗談のつもりだったが、エステルは不服そうに口を尖らせた。
「いやよぉ…。きっとこの子は自分の信念の為なら、わたくしの母上相手でも命がけで諫言してくるわよ。下手に物言ったら何を返されるか。それとその殿下と言うのは止めてくださる?」
「だよねぇ…。」
私も納得してうなずいた時だった。不意に魔物集団の後ろから苛立たしげに声が上がった。
「あんたの話は大変に興味深いが、あいにく私は喉が渇いていてな。もう我慢できないのだ。
先に店に入らせてもらうぞ。」
その声の方を見れば、他の魔物達より頭一つ抜き出た姿があった。
灰色の髪に鍛え抜かれた精悍な体。鋭い眼光はレジーナに引けを取らない。
彼女は胸と腰を隠す以外はエロい体を惜しげも無く晒していた。
最近よく見かけるようになったアマゾネスのお客さんだ。
彼女は鼻を鳴らすと傲然と肩をそびやかす。
レジーナに鋭い一瞥をくれると当然の様に店に入ろうとした。
ほんの一瞬、拍子抜けしたようなレジーナだったが、すぐに大声を上げる。
「待てっ!」
レジーナは目にもとまらぬ早さでアマゾネスの手首をつかんだ。
「おいおまえ。これは何の一体何の真似だ…。誰が私に触れて良いと言った…。」
アマゾネスはレジーナの振る舞いに怒りを隠さない。鋭い視線をますます怖いものにした。
けどレジーナは、アマゾネスの威嚇の声を全く気にする様子も無い。
「私が先ほどから一体誰に向けてものを言っているのか、全くわかっていないようだな。」
「なんだと?」
「私はそなたのような者にこそ、一番に考えて行動してもらいたいのだぞ。」
「なにを馬鹿な事を!」
「そなた達は男とみれば所構わず攫い、犯し、勝手に夫にしてしまう。我らの故郷であればあたりまえだが、この世界ではそうはいかん。当然知っておるだろう。
そなた達の無法によって、この国に陛下の名代として赴任されているリリムのミリエル殿下。あのお方がどれだけ心労を重ねておられるのか考えたことはあるのか?」
レジーナとアマゾネスはにらみ合っている。
アマゾネスは手を振りほどこうとしているが、レジーナはそれを許さない。
急激に困った状況になったが私は呆然と見つめているだけだ。
「ミリエルというのはわたくしの姉よ。この国に大使としてきているの。魔物の子が騒ぎを起こすたびに姉の所に抗議が来るようで、もみ消すのが大変だってこぼしていたわ。」
エステルは解説するようにそっと耳打ちしてきた。
私たち魔物は男の事になると見境が無くなる。温厚の代名詞のようなマリ姉ですらそうだ。
以前マリ姉は男に積極的にアピールしていたのに、相手は鈍くて全く気がつかなかった。
とうとう我慢しきれなくなったマリ姉は暴走して襲い、無理矢理旦那さんにしてしまったのだ。
まあ、旦那さんもマリ姉に想いを寄せていたそうなので、これはこれでいい。
温厚といわれる種族ですらこうなのだ。
凶暴とか淫乱と恐れられる子達はどうなるか推して知るべし、と言ったところだ。
人間の人達からすればいいかげんにしてと、そう文句も言いたくなるかもしれない。
アマゾネスもよく男狩りをするので凶暴なほうに入るのだろう。
うん。その淫乱と言われる中にはダークスライムも入っているんだけど…。
「何を言う!男とみれば奪い去り、花婿とするのは我らの古来からの慣わしだ。いちいち文句を言われる筋合いなど無い!」
「いいか良く聞け。この世界では我らの世界以上に勝手に男を攫うのは御法度だ。なぜそれを理解し、行動を自重しようとはせん。それにこの世界での我らの立場はまだ完全では無い。わざわざ無用の軋轢を生み出してどうするというのだ。」
「ならばその男達から助けを求められでもしたか?魔物に奴隷にされ、苦しめられているとでの訴えでもあったか?」
「それは…。」
あいかわらず激しい口論は続いていたが、アマゾネスの刺すような声にレジーナは言葉を失った。
「だろうな。そのような事ありえるはず無い!もし男を苦しめているものがあれば、たとえ同族だろうと私は容赦しない!」
堂々と言い放ったアマゾネスは胸を張る。まあ、彼女の言うことに一応間違いは無い。
私たち魔物は人間の男大好きだ。捕まえた男は自分の事以上に愛情を注ぐ事になる。
始まりは拉致監禁逆レイプだったとしても、結局は深い愛情にほだされてしまうだろう。
己を攫った魔物娘が、何よりも大切な存在になってしまうことは間違いないのだ。
魔物との生活が苦しくてつらいから助けてなんてありえない。
正直私もレジーナよりアマゾネスの言ってることのほうが理解できる。
「いや。私の言いたいのはそれぞれ種族によってお互いに異なる法や規範があり、それは尊重しなければならないと………」
レジーナは負けずに食い下がったが、アマゾネスは苛立たしげに叫んだ。
「ええい。いい加減にしろ!私が大人しくしていればいつまでもごちゃごちゃ叫きおって!
前から思っていたがおまえは一体なんなのだ?我らにああしろこうしろうるさく指図して!
我が族長や魔王陛下でもないおまえに。どこの馬の骨とも分からないおまえに命令されるいわれなど無いっ!」
この手を放せ。アマゾネスはそう吐き捨てると握られていた手をようやく振り払った。
レジーナはアマゾネスの罵声に口をわなわなと振るわせる。
「馬の骨だと!?無礼なっ!曲がりなりにも私は陛下の直臣たる騎士だぞ。私はこの地における魔物娘を護り導く責任があるのだ!」
レジーナの激しい声をアマゾネスは冷笑で受け止める。
「で、その立派な騎士様がなんでわざわざこんな地にいるのだ?騎士ならば陛下を守るため御前に控えているのが当然ではないのか?ま、おおかた陛下の不興を買って左遷でもされたのだろうがな。」
嘲笑うアマゾネスの甲高い声にレジーナは鋭く反応した。
「度重なる暴言許さんっ!」
レジーナの手は本来なら彼女が帯剣してある場所にさっと伸びた。
だが、そこには何も無かった。レジーナは悔しそうに舌打ちする。
この国では剣を帯びるのは厳禁なのだそうだ。
レジーナも最初の頃は竹刀やら木刀やら色々腰に差して頑張っていたけど、
皆が変な目で見るからと言ってとうとう止めてしまった。
顔を歪ませ黙り込むレジーナにアマゾネスは追撃を加える。
「どうした。それで終わりか?ご立派な騎士様は剣が無ければ何も出来ないのか?文句があるならかかってこい!」
アマゾネスは哄笑を上げ続ける。レジーナはじっと身を固くして俯いていた。
けど、刺のある声にとうとう我慢できなくなったのだろう。
血の気の引いた顔を上げると、怒りに燃える眼差しでアマゾネスを睨んだ。
たちまちのうちにポケットから掴んだ何かをアマゾネスに投げつける。
「貴様ごとき私の拳さえあれば十分だっ…。立ち合えアマゾネス!」
アマゾネスは歯をむき出して笑うと、己に投げつけられた白い手袋を握りつぶした。
「おうっ!望むところだ!」
拳を突き出し決闘だと叫ぶレジーナにアマゾネスは嬉しそうに応える。
成り行きがどうなるか、ただ傍観するしかなかった私たちに、レジーナは不意に目を向けた。
「店主。店主はおらんか。」
突然呼びかけられた私たちは慌ててマリ姉に声をかける。
「マリ姉…呼ばれてるよ。」
「さ、マリ姉様前に出てくださる?たぶん決闘の立会人だわ。」
「はわわわ…。え?ダメですよ。私はただの乳牛ですから!闘牛じゃないんですよお!」
私とエステルは後ろで尻込みするマリ姉を無理矢理押し出した。
「と、とにかくレジーナさん。喧嘩は駄目ですから…。二人とも落ち着いてぇ…。」
泣きそうな声で訴え、震えるマリ姉を安心させる様にレジーナは微笑んだ。
「店先を騒がして大変に申し訳ない。この不始末、どうか許して欲しい。」
レジーナは深く頭を下げると言葉を続ける。
「だがあのような無頼の輩、放置しておっては騎士たる者の面目が立たぬ。なあに案ずるな。あやつなど一撃…一撃で片を付けてくれる。すぐに済むから心配はいらんぞ。」
優しい眼差しと、穏やかな口調で語るレジーナ。こうしてみると礼儀正しい騎士様だ。
実際店でも静かに飲んだり食べたりしているだけだ。騒いだのは最初の日だけ。
そう。レジーナが別に悪い子じゃないのはわかっている。
責任感の強い優しい子だ。時々妙なスイッチが入るのが問題だというだけで。
アマゾネスは話しているレジーナに痺れを切らした様に挑発してきた。
「そうだ。この騎士様のいう通りだぞ。ただし、一撃でのされるのはそいつのほうだがな!」
「吠えるな蛮族っ!」
レジーナは吐き捨てるとアマゾネスと向かい合い、真正面から見据える。
お互いの眼差しには強い怒りの感情がほとばしっている。
だがなおもアマゾネスはからかうような口調で言った。
「どうやら騎士様は徒手格闘は不慣れなようだな。果し合いにあたり一応取り決めをしてやってもいいぞ。」
「騎士たる者は常在戦場だ。好きにかかってきて一向にかまわん。それとも貴様はそのような甘い覚悟で戦士を名乗っておるのか?」
口調は静かだがレジーナは馬鹿にするように鼻で笑う。
「くっ………。」
アマゾネスは一本とられたと言わんばかりに歯がみした。
再び二人は無言で向かい合う。
「お願いです…。止めてくださいよお…。」
すすり泣くようなマリ姉の声が響いた。
二人は身構えながら円を描くように動いている。どうやら相手の隙を伺っているようだ。
周囲には重くるしい空気が満ちている。心躍るような晴天に似合わない緊迫感。
いけない。これはまずい。とにかく止めないと!私は急いで周りを見回した。
周囲の魔物娘とインキュバスは面白がって歓声を上げるものが数名。
残りは迷惑そうに眺めている。どっちにしても積極的に仲裁するような子はいない。
私も力ずくでこの二人を止めることなんて無理。
よし。それなら…。私は精神を集中させ魔力を一点に集めた。
そしてこの場を解決するにふさわしい魔術の言葉を意識の深層から探ろうとする。
けどそれは隣にいるエステルの笑い声で乱された。
「うふふっ。でもレジーナも立派な事は言うけど、最初店に来た時は散々だったわよね?
お客さんの独身男に絡んで大騒ぎして、あなたとドワーフの子に説教されていたじゃない。
こういうのをおまえが言うな。っていうのよね?」
「えっ?そうだったわね…。って今それどころじゃないでしょ!状況わかっているのエステル!」
確かにそうだけど、エステルが話しかけてきたせいで呪文を覚えきれなかった。
のんきに苦笑してやれやれという表情のエステルに私は文句を言う。
「どうするのよ!呪文頭から消えちゃったわよ!また最初からやり直さないと。」
「大丈夫!わたくしに任せて!」
詰め寄る私にエステルは笑顔で胸を張った。
深呼吸して空間に印を結ぶと呪文を詠唱し始めた。
私とは圧倒的に違う強力な魔力が周囲に満ち始める。
聞いているとこれは眠りの魔術の中でも相当難易度の高いもの。
私も呪文は知っているが到底使えない強力な魔術。
エステルは自分は姉妹の中で最も劣っていると嘆いているが、
それでもこんな魔術を平気で使いこなすから恐ろしい。
「これでみんなには少し眠っていただくわ。」
「みんなって。レジーナとアマゾネスだけでしょ。」
半ばうつろな声のエステルに妙な不安を覚える。私は気になって聞いてみた。
「いいえ。ここにいるみんな。わたくしは器用じゃないわ。魔力の範囲を制限することは無理なのよ。」
冗談じゃない…。私は考え無しのエステルに唖然とする。
いつしか騒ぎを聞きつけたギャラリーも多く集まってきた。
こんな状況で全員眠らせたら後始末だけでもえらいことだ…。
「何言ってるの!もう何十人も集まってるのよ!そんなことしたら逆にどれだけ騒ぎになるか!」
「ならいったいどうすればいいのかしら?」
必死になる私になおもゆとりある様子のエステル。
あきれた私が言葉を続けようとした時だった。
ため息にも似た私のつぶやきにエステルも相づちを打った。
「ほんと。店の真ん前に陣取ってるわね…。」
支度を終えホールに出てきた私たちの目の前。扉越しには凜とした女性の姿があった。
明るい陽光の中、彼女は幾分不機嫌そうに眉をひそめ、腕組みして立っている。
彼女はリボンの付いた可愛らしい服を着ているが、その仕草と全く合ってない。
尖った耳と美貌。青色の髪を見れば彼女が魔物娘だって事は明らかだ。
「今日はドアを開けるのはエレンの順番よね。わたくしは昨日開けたわ…。」
エステルは尻込みするように私の後ろに逃げた。
魔王の娘がこんな姿を見せていいんだろうか…。呆れて力が抜けてしまう。
「ねえエステル…。立場的にはデュラハンよりあなたの方が圧倒的に上なんでしょ。」
「わたくしは母上に黙って故郷を出てきてしまいましたし。魔王軍の者とはあまり関わりあいたく無いわ。」
エステルは渋い表情でなんども首を横に振る。
実際の所彼女が旅立った理由は諸国遊歴なんてかっこいいものじゃないそうだ。
色々悩んだ結果、家族に黙っての家出に近いものだったらしい。
いまでも魔王様には時々便りするぐらいで帰郷はしていないらしい。
彼女がこのデュラハンとはじめて会ったとき、もしや殿下であらせられますか?
とずいぶん詰め寄られたものだ。エステルの容姿は目立つのでそれも仕方ない。
結局ごまかすことには成功したけど。
そういう私も色々あって一触即発の事態になりかけた。
このデュラハン〜レジーナという〜が最初店に来た時、お客さんと喧嘩しそうになった。
慌てて止めに入った私もつい荒い言葉を吐き話がこじれて…というわけ。
あの時は強気だったけど正直ひやひやものだった。
あのお客さん。可愛かったな。衝動的に私のものにしかけたけど邪魔されちゃった…
状況を全く考えずに妄想に耽ってしまいふと気がつく。
ドアのガラス越しのレジーナの視線が突き刺さるよう。
つい焦ってしまうが、よくよく見ると開店時間を過ぎている。
「エレン。もう開店時間ではなくて?」
気が付いたエステルも心配そうに声をかけてきた。
「わかってる。いま開けるわ。」
私は急いでドアを開けると笑顔を見せ声を上げた。
「おはようございます!いらっしゃいませ。」
そのまま店内に戻ろうとした私の心中を見透かしたようにレジーナは声をかけてくる。
「待ってくれ。少しよいかな。」
「はあい…。」
詰問するようなレジーナの声。
いったい何だというのだろう?私は内心ため息をつきながら振り返る。
「どうなさいましたレジーナさん?」
「どうなさいました、ではない。もう開店時間をとっくに過ぎているではないか。」
「あ、はい…。」
「私は店が開くのを今か今かと待ちわびておったのだぞ。」
やっぱりその事か。私の顔が曇る。
レジーナは種族がらか、規律とか礼儀にうるさいのだ。魔物とは思えないぐらい。
マリ姉とエステルにその事を愚痴ったら、あなたもひとの事言えないと笑われてしまった。
そうだろうか?いくらなんでも私は彼女ほどじゃないと思う。
「この世界の時間の単位で言えば5分と12秒の遅れだな。」
レジーナは真面目な顔で手に持ったスマホを見せてきた。
はっ?魔界じゃ5分どころか5日も10日も店を開けない所もあるじゃない!
心にそんな不満が湧き起こるが、ここは人間の世界。我慢我慢…。私は頭を下げる。
「どうもすみません。」
殊勝な私の姿に気持ちを和らげたのだろうか。
レジーナは何度かかぶりを振ると優しく語り出した。
「いや…。厳しいことを言って悪かった。だがわかってくれぬか。ここは人間界でも時間に神経質な国なのだと言うことを。」
「はい…。」
「この国でも魔物娘の存在は市民権を得られるようにはなった。だがまだまだ我らに向けられる奇異の眼差しは多い。魔物娘の行い一つ一つが人間達に否応なく注目されてしまうのだ。我々がよからぬ振る舞いをすれば、それはすなわち魔物娘全体の悪評につながりかねない。だから我々は仲間のためにも常に自らを律して、襟を正して生きてゆかねばならぬ………」
夢中になって語っていたレジーナだったが、ここで後ろを振り向いた。
いつしか何人もの魔物娘やインキュバスが店に入ろうと待ち構えていた。
レジーナは彼女達に向かっても声を張り上げて語り出す。
「これはこの店だけの話ではない。皆の問題として考えてくれぬか。誤解しないで欲しいが当然私自身の課題でもある。私はこれを自戒の念を込めて言っておるのだ………」
何を思ったか、レジーナは道徳やら倫理やら矜持やらと言って長々演説し続けている。
周りの魔物娘達も、苦虫をかみつぶしたような顔こそしているが黙って聞いている。
彼女にとってはこれが平常運転。レジーナは少々、いや。相当めんどくさい性格だ。
でもまあ…レジーナはとても頼りになる子だ。
誰かが困っている事を知れば、嫌な顔一つ見せずに積極的に動いてくれる。
この街で彼女に恩義がある魔物娘は多いだろう。
以前、なんでそんなに世話焼きなんですか?と聞いたら、
「市井の民を護るのは騎士たる私の役目。たとえこの世界に来ようがそれは変わり無い。」
当然の様にそう言って笑顔を見せたのだった。
そんなレジーナをみんな知ってるからこそ、多少のことは気にしないでいる。
でも、あまりにも話が長いのでもう我慢できない。つい貧乏揺すりとかしてしまう。
それにそういうレジーナのせいで5分どころか相当開店が遅れている。
私は斜め後ろにいるエステルに囁いた。
「ねえ殿下…。殿下のご威光でレジーナちゃんの演説止めさせること出来ない?」
冗談のつもりだったが、エステルは不服そうに口を尖らせた。
「いやよぉ…。きっとこの子は自分の信念の為なら、わたくしの母上相手でも命がけで諫言してくるわよ。下手に物言ったら何を返されるか。それとその殿下と言うのは止めてくださる?」
「だよねぇ…。」
私も納得してうなずいた時だった。不意に魔物集団の後ろから苛立たしげに声が上がった。
「あんたの話は大変に興味深いが、あいにく私は喉が渇いていてな。もう我慢できないのだ。
先に店に入らせてもらうぞ。」
その声の方を見れば、他の魔物達より頭一つ抜き出た姿があった。
灰色の髪に鍛え抜かれた精悍な体。鋭い眼光はレジーナに引けを取らない。
彼女は胸と腰を隠す以外はエロい体を惜しげも無く晒していた。
最近よく見かけるようになったアマゾネスのお客さんだ。
彼女は鼻を鳴らすと傲然と肩をそびやかす。
レジーナに鋭い一瞥をくれると当然の様に店に入ろうとした。
ほんの一瞬、拍子抜けしたようなレジーナだったが、すぐに大声を上げる。
「待てっ!」
レジーナは目にもとまらぬ早さでアマゾネスの手首をつかんだ。
「おいおまえ。これは何の一体何の真似だ…。誰が私に触れて良いと言った…。」
アマゾネスはレジーナの振る舞いに怒りを隠さない。鋭い視線をますます怖いものにした。
けどレジーナは、アマゾネスの威嚇の声を全く気にする様子も無い。
「私が先ほどから一体誰に向けてものを言っているのか、全くわかっていないようだな。」
「なんだと?」
「私はそなたのような者にこそ、一番に考えて行動してもらいたいのだぞ。」
「なにを馬鹿な事を!」
「そなた達は男とみれば所構わず攫い、犯し、勝手に夫にしてしまう。我らの故郷であればあたりまえだが、この世界ではそうはいかん。当然知っておるだろう。
そなた達の無法によって、この国に陛下の名代として赴任されているリリムのミリエル殿下。あのお方がどれだけ心労を重ねておられるのか考えたことはあるのか?」
レジーナとアマゾネスはにらみ合っている。
アマゾネスは手を振りほどこうとしているが、レジーナはそれを許さない。
急激に困った状況になったが私は呆然と見つめているだけだ。
「ミリエルというのはわたくしの姉よ。この国に大使としてきているの。魔物の子が騒ぎを起こすたびに姉の所に抗議が来るようで、もみ消すのが大変だってこぼしていたわ。」
エステルは解説するようにそっと耳打ちしてきた。
私たち魔物は男の事になると見境が無くなる。温厚の代名詞のようなマリ姉ですらそうだ。
以前マリ姉は男に積極的にアピールしていたのに、相手は鈍くて全く気がつかなかった。
とうとう我慢しきれなくなったマリ姉は暴走して襲い、無理矢理旦那さんにしてしまったのだ。
まあ、旦那さんもマリ姉に想いを寄せていたそうなので、これはこれでいい。
温厚といわれる種族ですらこうなのだ。
凶暴とか淫乱と恐れられる子達はどうなるか推して知るべし、と言ったところだ。
人間の人達からすればいいかげんにしてと、そう文句も言いたくなるかもしれない。
アマゾネスもよく男狩りをするので凶暴なほうに入るのだろう。
うん。その淫乱と言われる中にはダークスライムも入っているんだけど…。
「何を言う!男とみれば奪い去り、花婿とするのは我らの古来からの慣わしだ。いちいち文句を言われる筋合いなど無い!」
「いいか良く聞け。この世界では我らの世界以上に勝手に男を攫うのは御法度だ。なぜそれを理解し、行動を自重しようとはせん。それにこの世界での我らの立場はまだ完全では無い。わざわざ無用の軋轢を生み出してどうするというのだ。」
「ならばその男達から助けを求められでもしたか?魔物に奴隷にされ、苦しめられているとでの訴えでもあったか?」
「それは…。」
あいかわらず激しい口論は続いていたが、アマゾネスの刺すような声にレジーナは言葉を失った。
「だろうな。そのような事ありえるはず無い!もし男を苦しめているものがあれば、たとえ同族だろうと私は容赦しない!」
堂々と言い放ったアマゾネスは胸を張る。まあ、彼女の言うことに一応間違いは無い。
私たち魔物は人間の男大好きだ。捕まえた男は自分の事以上に愛情を注ぐ事になる。
始まりは拉致監禁逆レイプだったとしても、結局は深い愛情にほだされてしまうだろう。
己を攫った魔物娘が、何よりも大切な存在になってしまうことは間違いないのだ。
魔物との生活が苦しくてつらいから助けてなんてありえない。
正直私もレジーナよりアマゾネスの言ってることのほうが理解できる。
「いや。私の言いたいのはそれぞれ種族によってお互いに異なる法や規範があり、それは尊重しなければならないと………」
レジーナは負けずに食い下がったが、アマゾネスは苛立たしげに叫んだ。
「ええい。いい加減にしろ!私が大人しくしていればいつまでもごちゃごちゃ叫きおって!
前から思っていたがおまえは一体なんなのだ?我らにああしろこうしろうるさく指図して!
我が族長や魔王陛下でもないおまえに。どこの馬の骨とも分からないおまえに命令されるいわれなど無いっ!」
この手を放せ。アマゾネスはそう吐き捨てると握られていた手をようやく振り払った。
レジーナはアマゾネスの罵声に口をわなわなと振るわせる。
「馬の骨だと!?無礼なっ!曲がりなりにも私は陛下の直臣たる騎士だぞ。私はこの地における魔物娘を護り導く責任があるのだ!」
レジーナの激しい声をアマゾネスは冷笑で受け止める。
「で、その立派な騎士様がなんでわざわざこんな地にいるのだ?騎士ならば陛下を守るため御前に控えているのが当然ではないのか?ま、おおかた陛下の不興を買って左遷でもされたのだろうがな。」
嘲笑うアマゾネスの甲高い声にレジーナは鋭く反応した。
「度重なる暴言許さんっ!」
レジーナの手は本来なら彼女が帯剣してある場所にさっと伸びた。
だが、そこには何も無かった。レジーナは悔しそうに舌打ちする。
この国では剣を帯びるのは厳禁なのだそうだ。
レジーナも最初の頃は竹刀やら木刀やら色々腰に差して頑張っていたけど、
皆が変な目で見るからと言ってとうとう止めてしまった。
顔を歪ませ黙り込むレジーナにアマゾネスは追撃を加える。
「どうした。それで終わりか?ご立派な騎士様は剣が無ければ何も出来ないのか?文句があるならかかってこい!」
アマゾネスは哄笑を上げ続ける。レジーナはじっと身を固くして俯いていた。
けど、刺のある声にとうとう我慢できなくなったのだろう。
血の気の引いた顔を上げると、怒りに燃える眼差しでアマゾネスを睨んだ。
たちまちのうちにポケットから掴んだ何かをアマゾネスに投げつける。
「貴様ごとき私の拳さえあれば十分だっ…。立ち合えアマゾネス!」
アマゾネスは歯をむき出して笑うと、己に投げつけられた白い手袋を握りつぶした。
「おうっ!望むところだ!」
拳を突き出し決闘だと叫ぶレジーナにアマゾネスは嬉しそうに応える。
成り行きがどうなるか、ただ傍観するしかなかった私たちに、レジーナは不意に目を向けた。
「店主。店主はおらんか。」
突然呼びかけられた私たちは慌ててマリ姉に声をかける。
「マリ姉…呼ばれてるよ。」
「さ、マリ姉様前に出てくださる?たぶん決闘の立会人だわ。」
「はわわわ…。え?ダメですよ。私はただの乳牛ですから!闘牛じゃないんですよお!」
私とエステルは後ろで尻込みするマリ姉を無理矢理押し出した。
「と、とにかくレジーナさん。喧嘩は駄目ですから…。二人とも落ち着いてぇ…。」
泣きそうな声で訴え、震えるマリ姉を安心させる様にレジーナは微笑んだ。
「店先を騒がして大変に申し訳ない。この不始末、どうか許して欲しい。」
レジーナは深く頭を下げると言葉を続ける。
「だがあのような無頼の輩、放置しておっては騎士たる者の面目が立たぬ。なあに案ずるな。あやつなど一撃…一撃で片を付けてくれる。すぐに済むから心配はいらんぞ。」
優しい眼差しと、穏やかな口調で語るレジーナ。こうしてみると礼儀正しい騎士様だ。
実際店でも静かに飲んだり食べたりしているだけだ。騒いだのは最初の日だけ。
そう。レジーナが別に悪い子じゃないのはわかっている。
責任感の強い優しい子だ。時々妙なスイッチが入るのが問題だというだけで。
アマゾネスは話しているレジーナに痺れを切らした様に挑発してきた。
「そうだ。この騎士様のいう通りだぞ。ただし、一撃でのされるのはそいつのほうだがな!」
「吠えるな蛮族っ!」
レジーナは吐き捨てるとアマゾネスと向かい合い、真正面から見据える。
お互いの眼差しには強い怒りの感情がほとばしっている。
だがなおもアマゾネスはからかうような口調で言った。
「どうやら騎士様は徒手格闘は不慣れなようだな。果し合いにあたり一応取り決めをしてやってもいいぞ。」
「騎士たる者は常在戦場だ。好きにかかってきて一向にかまわん。それとも貴様はそのような甘い覚悟で戦士を名乗っておるのか?」
口調は静かだがレジーナは馬鹿にするように鼻で笑う。
「くっ………。」
アマゾネスは一本とられたと言わんばかりに歯がみした。
再び二人は無言で向かい合う。
「お願いです…。止めてくださいよお…。」
すすり泣くようなマリ姉の声が響いた。
二人は身構えながら円を描くように動いている。どうやら相手の隙を伺っているようだ。
周囲には重くるしい空気が満ちている。心躍るような晴天に似合わない緊迫感。
いけない。これはまずい。とにかく止めないと!私は急いで周りを見回した。
周囲の魔物娘とインキュバスは面白がって歓声を上げるものが数名。
残りは迷惑そうに眺めている。どっちにしても積極的に仲裁するような子はいない。
私も力ずくでこの二人を止めることなんて無理。
よし。それなら…。私は精神を集中させ魔力を一点に集めた。
そしてこの場を解決するにふさわしい魔術の言葉を意識の深層から探ろうとする。
けどそれは隣にいるエステルの笑い声で乱された。
「うふふっ。でもレジーナも立派な事は言うけど、最初店に来た時は散々だったわよね?
お客さんの独身男に絡んで大騒ぎして、あなたとドワーフの子に説教されていたじゃない。
こういうのをおまえが言うな。っていうのよね?」
「えっ?そうだったわね…。って今それどころじゃないでしょ!状況わかっているのエステル!」
確かにそうだけど、エステルが話しかけてきたせいで呪文を覚えきれなかった。
のんきに苦笑してやれやれという表情のエステルに私は文句を言う。
「どうするのよ!呪文頭から消えちゃったわよ!また最初からやり直さないと。」
「大丈夫!わたくしに任せて!」
詰め寄る私にエステルは笑顔で胸を張った。
深呼吸して空間に印を結ぶと呪文を詠唱し始めた。
私とは圧倒的に違う強力な魔力が周囲に満ち始める。
聞いているとこれは眠りの魔術の中でも相当難易度の高いもの。
私も呪文は知っているが到底使えない強力な魔術。
エステルは自分は姉妹の中で最も劣っていると嘆いているが、
それでもこんな魔術を平気で使いこなすから恐ろしい。
「これでみんなには少し眠っていただくわ。」
「みんなって。レジーナとアマゾネスだけでしょ。」
半ばうつろな声のエステルに妙な不安を覚える。私は気になって聞いてみた。
「いいえ。ここにいるみんな。わたくしは器用じゃないわ。魔力の範囲を制限することは無理なのよ。」
冗談じゃない…。私は考え無しのエステルに唖然とする。
いつしか騒ぎを聞きつけたギャラリーも多く集まってきた。
こんな状況で全員眠らせたら後始末だけでもえらいことだ…。
「何言ってるの!もう何十人も集まってるのよ!そんなことしたら逆にどれだけ騒ぎになるか!」
「ならいったいどうすればいいのかしら?」
必死になる私になおもゆとりある様子のエステル。
あきれた私が言葉を続けようとした時だった。
16/12/25 03:29更新 / 近藤無内
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