番外編 魔物喫茶にようこそっ! 1
「まったくもう…。あの二人は!」
しんと静まり返る誰もいない厨房。その静寂を破って私の声が響き渡る。
我ながら苛立っているのが良く分かる甲高い声。
だって…もう準備しないと開店時間に間に合わない。
なのにあの二人はまだ姿を見せないから。
電話やメール、さらには念話まで使って連絡を取ろうとしたけど、全然返事も無い。
「ああ…もう!私一人じゃどうにもならないってのに!」
念話を使ったのは本当に久しぶり。魔力も消耗してしまった。
そのせいか余計苛々が抑えきれない。誰もいないのに大声で当り散らしてしまう。
ほんとうにバカみたいだと思う。だけどこれもみんなあの二人のせい。
全く…あの子達には困ったものだ。
でも、私も人間界に染まって来たのかな。
魔界のお店はこっちの世界のように、きちんと時間を守るなんて事はありえない。
そもそもいつ店を開けるかすら、はっきりとしていない所がほとんどだった。
私も最初、時間を守るという風習には相当戸惑った。
むしろ異様なほど潔癖で神経質な因習だとすら思ったものだ。
それがいつしか馴染み。すっかりこちらの流儀が当たり前のようになってしまった。
良い事なのか悪い事なのかわからないけど…
ため息を着く私だったけど、そのとき通用口のドアが開く音が聞こえてきた。
続けて透明感あふれる女性の声が耳朶に響く。
「エレンおはよう。」
私は思わず挨拶する声の主に非難を浴びせていた。
「おはようエステル………。で、一体今何時だと思っているのよ!」
やれやれ。ようやく出勤してきた。彼女が「あの二人」のうちの一人。
罵声に気を悪くする訳でもなく、悪びれる訳でもなく、目の前の女性は笑顔を見せた。
真紅の瞳に純白に輝く長髪。そして魔物の私でも虜になってしまいそうな絶世の美貌で…。
それなりに付き合いは長いんだけれど、彼女の笑顔の魅力には抗いがたいものがある。
彼女はリリムのエステル。当然だけれど魔王陛下の姫君の一人。
諸国遊歴の果てに、次元の扉を超えてこの世界まで流れついたらしい。
最初会った時、彼女は自分の事を色素異常のただのサキュバスといっていた。
色々口さがない事を言われるのが嫌であえて嘘を付いていたようだ。
のちにリリムだという事を打ち明けられて随分驚いたものだ。
その後色々あったが今ではごく親しい友人として付き合っている。
「ごめんなさいエレン…。うちの弟くんがわたしと離れたがらなくて。お姉ちゃんにもっとぎゅってされたい、って駄々をこねちゃったのよ。」
どことなくうっとりとした目でエステルは言った。
この弟というのは彼女が将来を誓ったひと。早い話夫という事だ。
彼女たちが出会ってからしばらくは姉弟同然のつきあいだったそうだ。
今でもその当時の呼び方が癖になってしまっているらしい。
愛する旦那様と散々まぐわって寝過ごしたのだろう。エステルは小さなあくびをした。
のんきなその様子に私は気勢を削がれてしまう。呆れてため息をついた。
「まあ、いいわ。とにかく開店の準備をしましょう。で、姉さんは?」
私の問いにエステルは首をかしげた。
「あら?マリ姉様もいないの?」
「エステルも知らないの?ああもう!どっちにしても姉さんがいないと店は回らないじゃないの!」
「ふふっ。いいじゃない。回らなければ回さなければいいわ。今日は店をお休みしましょう。わたくしも家に帰って弟くんといいことしたいし…」
エステルは苛立つ私を挑発するような太平楽な言葉を吐いた。
育ちの良さがわかる気ままな様子だが、つい八つ当たりをしてしまう。
「はあっ?そんな無責任な事できるわけないでしょ!」
むきになる私の言葉をエステルはさらりと受け流した。
「あら?なにを怒っているのかしら?そんなこと言うなんてエレンまるで人間みたい。」
エステルはおかしそうに口を押さえてくすくす笑った。
無邪気そのものといった様子に私は言葉を無くす。
なにかしら含みがあるならともかく、彼女に悪意が無いのはわかっているから。
でもこのままではどうもしゃくに障る。お返しとばかりに私は言葉を返す。
「人間で悪かったわねっ。誰かさん達がまじめに仕事しないから私がこうなっているんですけど!」
エステルはまじめな様子でかぶりをふった。
「違うわエレン。人間は素晴らしい存在よ。悪いなんて事あるわけないわ…。」
深紅の瞳は純粋そのもの。とても真っすぐだ。
皮肉を言われているとわかっているのだろうか…。
思わず脱力してしまう私の耳に、通用口から柔らかな女性の声が聞こえてきた。
「みなさんおはようございます〜。」
「おはようマリ姉。」
「マリ姉様おはよう…。」
「エレンちゃんエステルちゃんおはようございます〜。」
姿を見せた女性は手に持ったミルク缶を置くと私たちと挨拶を交わした。
「そうそうマリ姉様。例のあれ、どうなったかしら?」
「ああ〜。その事なんですけどねぇ〜。」
彼女とエステルは、ほのぼのと世間話をし始める。
時間までに間に合わないかもしれないのにこの二人は…。私は慌てて口を挟んだ。
「マリ姉さんエステル!口を動かすより体を動かす方が先っ!開店時間迫ってるわよ!」
私の鋭い声に二人は慌てて動き出す。
「ごめんなさいエレンちゃん。うちの旦那様にお乳絞ってもらっていたら気持ちよくなっちゃって。そのまま旦那様とお楽しみしていたの〜。」
エステルと話をしていた女性は頭を下げたが、相変わらず気楽な様子だ。
緊張感というものが全く伝わってこない。
彼女が「あの二人」のうちの残りの一人。ホルスタウロスのマリ姉さん。
この店で使われているミルク担当。そして一応店長。
マリ姉さんは豊満という言葉すら足りないほどの豊かな胸を揺らしている。
つぶらな瞳。どことなく幼さを残した顔立ちが可愛らしい。
おっとりとした雰囲気も相まって、とても店長を任されているようには見えない。
それに「姉さん」とは言っているが、年は私とほとんど変わらないはず。
でも、彼女と一緒にいると包み込まれるような安心感がある。
穏やかで温かなマリ姉と一緒に過ごしていると、私の心も落ち着き満たされる。
エステルも年齢的には遙かに年上にも関わらず、なぜかマリ姉様と読んでいるぐらい。
きっとマリ姉さんの醸し出す柔らかな空気が、エステルにとっても心地よいのだろう。
マリ姉さんがいなければ私とエステルの関係も全く違ったものになっていたはず。
私とエステルはマリ姉さんを通じて絶妙に結ばれているといって過言では無い。
こうしてみると彼女を店長に据えたオーナーは見る目があったのだろう。
「あら?マリ姉様も旦那さんとお楽しみだったの?」
「えへへ…。そうなんですよ〜。」
「わたくしもなの。うちの弟君もね………」
「マリ姉。エステル。二人ともいい加減にしなさい!」
また無駄話を始めた二人に私も言葉が荒くなる。
「そうね。急ぎましょう…。」
「はい〜。そうしましょう。」
急いで開店準備をする二人。私もため息をつくと自分の作業にいそしみ始めた。
ついイラついてしまったけど、でもそれは彼女達が無駄話をしていた事だけじゃない。
私はまだ独り身。旦那様となるべき人と出会ってすらいないのだ…
そんな状況でのろけ話をされるのは相当つらいものがある。
「あ〜あ…。私もあなたたちみたいに旦那さんとエッチして遅刻してみたいわぁ…。」
思わずきつい言葉を口にした私に、二人は困ったような笑みを見せた。
実際パートナーがいないからこそ、一応まじめに仕事が出来ている。
もし旦那さんと一緒にいるなら、労働よりも絶対にセックスに夢中の生活だ。
私だって魔物らしく?働く事など好まない。
やむを得ず働くにしろ、ため息をつきながら嫌々働いてこそ魔物娘の誇りを守る事になる。
そんな妙にゆがんだ信念すら持っていたぐらい。
それが働こうと思い立ったのは、独身の男がこの店にいつも大量にいるという噂を
何人もの魔物娘から聞いたからだ。
私は故郷の魔界を旅立ち、旦那様を求め続けた末にようやくこの地に落ち着いた。
落ち着いたのはいいけど、結局理想の男には巡り会えなかった…。
毎日精補給剤を食らいながら、心の中の旦那様とのエロ妄想に身を焦がしていた私。
そんな私にとってこの店の求人募集は、まさに天国への切符に等しいものだったのだ。
魔物が天国とは我ながらどうかと思うけど、そんな細かい事はまあどうでもいい…。
言い忘れてたけど、私が勤めているのはこの喫茶店。「魔物喫茶狸茶屋」っていう。
センス無いネーミングだけど、これはオーナーの命名なので大目に見て欲しい。
その名の通りオーナーは刑部狸。でもあまり姿は見せない。
あとのメンバーはさっき言った店長のマリ姉。厨房担当のエステル。私は接客担当だ。
オーナーは「この店は魔物と人との出会いと交流の場」などとご立派な事を言ってる。
でも私もその一人の様に、実質は魔物娘による男漁りの場だ。
この街の住民にも広く知れ渡っており、色々な噂が尾鰭をついて流されている。
まあ、コーヒーや軽食も美味しい店なんだっていうことは一応言っておこう………
「大丈夫ですよ〜。エレンちゃんはとってもいい子なんですから、絶対に素敵な方と一緒になれます!」
「そうよ。あなたはいい男を見つけて幸せになる権利があるのよ。幸せになれないなんてそんなこと絶対に間違っているわ。」
つい憂鬱な気持ちで仕事をしていたら、二人が声をかけてくれた。
良く見れば私のことを慰めるような優しい表情。
別に二人は悪いことをした訳では無い。魔物娘の本能に忠実なだけなのだ。
なのに私は勝手にイライラして八つ当たりしてしまった…。
「二人ともごめんね…。」
恥ずかしさと申し訳なさから頭を下げる私に、二人は朗らかに笑ってくれた。
「何言っているの。エレンは何も悪くないわ!悪いのは店員が男を食べちゃうのを認めないオーナーのせいよ。」
エステルが幾分憤慨するように声を上げた。
彼女の言うとおりだ。オーナーは私たち店員が客を差し置いて男を選ぶのを認めない。
そんな事したら店の信用に関わる。というのがオーナの言い分だ。
魔界にあるここと似たような店では、店員は当然の様に客の男を好きにお持ち帰りできる。
なので私は、てっきり店員はいいオトコ選び放題だと勘違いしていた。
事実を知ったときは、冷や水を浴びせられたような気分になったものだ。
ずいぶん怒りもし、こんな店やめてやろうとも思った。
「ねえエレンちゃん。わたしからオーナーさんにお願いしましょうか〜?」
マリ姉も優しく気遣ってくれる。
「ありがとう。でも大丈夫だから…。」
私は心配そうな二人に微笑んでみせた。
このままやめてもいいんだけど…でも、なんかもったいない。
この二人と過ごす時間。愛おしいというか離れがたいというか、
今では私にとってもかけがいの無いものになってしまった。
まあ、男の事以外は相当な好待遇だし、
精補給剤を手に入れるのには、嫌でも稼がなければならないっていうのもあるんだけど…
「エレンちゃんエステルちゃん。今日も一日頑張りましょう〜。」
「ええ!」
「みんな。怪我の無いように気をつけてね。」
私たちは気分を切り替えるように明るい声を出した。
しんと静まり返る誰もいない厨房。その静寂を破って私の声が響き渡る。
我ながら苛立っているのが良く分かる甲高い声。
だって…もう準備しないと開店時間に間に合わない。
なのにあの二人はまだ姿を見せないから。
電話やメール、さらには念話まで使って連絡を取ろうとしたけど、全然返事も無い。
「ああ…もう!私一人じゃどうにもならないってのに!」
念話を使ったのは本当に久しぶり。魔力も消耗してしまった。
そのせいか余計苛々が抑えきれない。誰もいないのに大声で当り散らしてしまう。
ほんとうにバカみたいだと思う。だけどこれもみんなあの二人のせい。
全く…あの子達には困ったものだ。
でも、私も人間界に染まって来たのかな。
魔界のお店はこっちの世界のように、きちんと時間を守るなんて事はありえない。
そもそもいつ店を開けるかすら、はっきりとしていない所がほとんどだった。
私も最初、時間を守るという風習には相当戸惑った。
むしろ異様なほど潔癖で神経質な因習だとすら思ったものだ。
それがいつしか馴染み。すっかりこちらの流儀が当たり前のようになってしまった。
良い事なのか悪い事なのかわからないけど…
ため息を着く私だったけど、そのとき通用口のドアが開く音が聞こえてきた。
続けて透明感あふれる女性の声が耳朶に響く。
「エレンおはよう。」
私は思わず挨拶する声の主に非難を浴びせていた。
「おはようエステル………。で、一体今何時だと思っているのよ!」
やれやれ。ようやく出勤してきた。彼女が「あの二人」のうちの一人。
罵声に気を悪くする訳でもなく、悪びれる訳でもなく、目の前の女性は笑顔を見せた。
真紅の瞳に純白に輝く長髪。そして魔物の私でも虜になってしまいそうな絶世の美貌で…。
それなりに付き合いは長いんだけれど、彼女の笑顔の魅力には抗いがたいものがある。
彼女はリリムのエステル。当然だけれど魔王陛下の姫君の一人。
諸国遊歴の果てに、次元の扉を超えてこの世界まで流れついたらしい。
最初会った時、彼女は自分の事を色素異常のただのサキュバスといっていた。
色々口さがない事を言われるのが嫌であえて嘘を付いていたようだ。
のちにリリムだという事を打ち明けられて随分驚いたものだ。
その後色々あったが今ではごく親しい友人として付き合っている。
「ごめんなさいエレン…。うちの弟くんがわたしと離れたがらなくて。お姉ちゃんにもっとぎゅってされたい、って駄々をこねちゃったのよ。」
どことなくうっとりとした目でエステルは言った。
この弟というのは彼女が将来を誓ったひと。早い話夫という事だ。
彼女たちが出会ってからしばらくは姉弟同然のつきあいだったそうだ。
今でもその当時の呼び方が癖になってしまっているらしい。
愛する旦那様と散々まぐわって寝過ごしたのだろう。エステルは小さなあくびをした。
のんきなその様子に私は気勢を削がれてしまう。呆れてため息をついた。
「まあ、いいわ。とにかく開店の準備をしましょう。で、姉さんは?」
私の問いにエステルは首をかしげた。
「あら?マリ姉様もいないの?」
「エステルも知らないの?ああもう!どっちにしても姉さんがいないと店は回らないじゃないの!」
「ふふっ。いいじゃない。回らなければ回さなければいいわ。今日は店をお休みしましょう。わたくしも家に帰って弟くんといいことしたいし…」
エステルは苛立つ私を挑発するような太平楽な言葉を吐いた。
育ちの良さがわかる気ままな様子だが、つい八つ当たりをしてしまう。
「はあっ?そんな無責任な事できるわけないでしょ!」
むきになる私の言葉をエステルはさらりと受け流した。
「あら?なにを怒っているのかしら?そんなこと言うなんてエレンまるで人間みたい。」
エステルはおかしそうに口を押さえてくすくす笑った。
無邪気そのものといった様子に私は言葉を無くす。
なにかしら含みがあるならともかく、彼女に悪意が無いのはわかっているから。
でもこのままではどうもしゃくに障る。お返しとばかりに私は言葉を返す。
「人間で悪かったわねっ。誰かさん達がまじめに仕事しないから私がこうなっているんですけど!」
エステルはまじめな様子でかぶりをふった。
「違うわエレン。人間は素晴らしい存在よ。悪いなんて事あるわけないわ…。」
深紅の瞳は純粋そのもの。とても真っすぐだ。
皮肉を言われているとわかっているのだろうか…。
思わず脱力してしまう私の耳に、通用口から柔らかな女性の声が聞こえてきた。
「みなさんおはようございます〜。」
「おはようマリ姉。」
「マリ姉様おはよう…。」
「エレンちゃんエステルちゃんおはようございます〜。」
姿を見せた女性は手に持ったミルク缶を置くと私たちと挨拶を交わした。
「そうそうマリ姉様。例のあれ、どうなったかしら?」
「ああ〜。その事なんですけどねぇ〜。」
彼女とエステルは、ほのぼのと世間話をし始める。
時間までに間に合わないかもしれないのにこの二人は…。私は慌てて口を挟んだ。
「マリ姉さんエステル!口を動かすより体を動かす方が先っ!開店時間迫ってるわよ!」
私の鋭い声に二人は慌てて動き出す。
「ごめんなさいエレンちゃん。うちの旦那様にお乳絞ってもらっていたら気持ちよくなっちゃって。そのまま旦那様とお楽しみしていたの〜。」
エステルと話をしていた女性は頭を下げたが、相変わらず気楽な様子だ。
緊張感というものが全く伝わってこない。
彼女が「あの二人」のうちの残りの一人。ホルスタウロスのマリ姉さん。
この店で使われているミルク担当。そして一応店長。
マリ姉さんは豊満という言葉すら足りないほどの豊かな胸を揺らしている。
つぶらな瞳。どことなく幼さを残した顔立ちが可愛らしい。
おっとりとした雰囲気も相まって、とても店長を任されているようには見えない。
それに「姉さん」とは言っているが、年は私とほとんど変わらないはず。
でも、彼女と一緒にいると包み込まれるような安心感がある。
穏やかで温かなマリ姉と一緒に過ごしていると、私の心も落ち着き満たされる。
エステルも年齢的には遙かに年上にも関わらず、なぜかマリ姉様と読んでいるぐらい。
きっとマリ姉さんの醸し出す柔らかな空気が、エステルにとっても心地よいのだろう。
マリ姉さんがいなければ私とエステルの関係も全く違ったものになっていたはず。
私とエステルはマリ姉さんを通じて絶妙に結ばれているといって過言では無い。
こうしてみると彼女を店長に据えたオーナーは見る目があったのだろう。
「あら?マリ姉様も旦那さんとお楽しみだったの?」
「えへへ…。そうなんですよ〜。」
「わたくしもなの。うちの弟君もね………」
「マリ姉。エステル。二人ともいい加減にしなさい!」
また無駄話を始めた二人に私も言葉が荒くなる。
「そうね。急ぎましょう…。」
「はい〜。そうしましょう。」
急いで開店準備をする二人。私もため息をつくと自分の作業にいそしみ始めた。
ついイラついてしまったけど、でもそれは彼女達が無駄話をしていた事だけじゃない。
私はまだ独り身。旦那様となるべき人と出会ってすらいないのだ…
そんな状況でのろけ話をされるのは相当つらいものがある。
「あ〜あ…。私もあなたたちみたいに旦那さんとエッチして遅刻してみたいわぁ…。」
思わずきつい言葉を口にした私に、二人は困ったような笑みを見せた。
実際パートナーがいないからこそ、一応まじめに仕事が出来ている。
もし旦那さんと一緒にいるなら、労働よりも絶対にセックスに夢中の生活だ。
私だって魔物らしく?働く事など好まない。
やむを得ず働くにしろ、ため息をつきながら嫌々働いてこそ魔物娘の誇りを守る事になる。
そんな妙にゆがんだ信念すら持っていたぐらい。
それが働こうと思い立ったのは、独身の男がこの店にいつも大量にいるという噂を
何人もの魔物娘から聞いたからだ。
私は故郷の魔界を旅立ち、旦那様を求め続けた末にようやくこの地に落ち着いた。
落ち着いたのはいいけど、結局理想の男には巡り会えなかった…。
毎日精補給剤を食らいながら、心の中の旦那様とのエロ妄想に身を焦がしていた私。
そんな私にとってこの店の求人募集は、まさに天国への切符に等しいものだったのだ。
魔物が天国とは我ながらどうかと思うけど、そんな細かい事はまあどうでもいい…。
言い忘れてたけど、私が勤めているのはこの喫茶店。「魔物喫茶狸茶屋」っていう。
センス無いネーミングだけど、これはオーナーの命名なので大目に見て欲しい。
その名の通りオーナーは刑部狸。でもあまり姿は見せない。
あとのメンバーはさっき言った店長のマリ姉。厨房担当のエステル。私は接客担当だ。
オーナーは「この店は魔物と人との出会いと交流の場」などとご立派な事を言ってる。
でも私もその一人の様に、実質は魔物娘による男漁りの場だ。
この街の住民にも広く知れ渡っており、色々な噂が尾鰭をついて流されている。
まあ、コーヒーや軽食も美味しい店なんだっていうことは一応言っておこう………
「大丈夫ですよ〜。エレンちゃんはとってもいい子なんですから、絶対に素敵な方と一緒になれます!」
「そうよ。あなたはいい男を見つけて幸せになる権利があるのよ。幸せになれないなんてそんなこと絶対に間違っているわ。」
つい憂鬱な気持ちで仕事をしていたら、二人が声をかけてくれた。
良く見れば私のことを慰めるような優しい表情。
別に二人は悪いことをした訳では無い。魔物娘の本能に忠実なだけなのだ。
なのに私は勝手にイライラして八つ当たりしてしまった…。
「二人ともごめんね…。」
恥ずかしさと申し訳なさから頭を下げる私に、二人は朗らかに笑ってくれた。
「何言っているの。エレンは何も悪くないわ!悪いのは店員が男を食べちゃうのを認めないオーナーのせいよ。」
エステルが幾分憤慨するように声を上げた。
彼女の言うとおりだ。オーナーは私たち店員が客を差し置いて男を選ぶのを認めない。
そんな事したら店の信用に関わる。というのがオーナの言い分だ。
魔界にあるここと似たような店では、店員は当然の様に客の男を好きにお持ち帰りできる。
なので私は、てっきり店員はいいオトコ選び放題だと勘違いしていた。
事実を知ったときは、冷や水を浴びせられたような気分になったものだ。
ずいぶん怒りもし、こんな店やめてやろうとも思った。
「ねえエレンちゃん。わたしからオーナーさんにお願いしましょうか〜?」
マリ姉も優しく気遣ってくれる。
「ありがとう。でも大丈夫だから…。」
私は心配そうな二人に微笑んでみせた。
このままやめてもいいんだけど…でも、なんかもったいない。
この二人と過ごす時間。愛おしいというか離れがたいというか、
今では私にとってもかけがいの無いものになってしまった。
まあ、男の事以外は相当な好待遇だし、
精補給剤を手に入れるのには、嫌でも稼がなければならないっていうのもあるんだけど…
「エレンちゃんエステルちゃん。今日も一日頑張りましょう〜。」
「ええ!」
「みんな。怪我の無いように気をつけてね。」
私たちは気分を切り替えるように明るい声を出した。
16/12/11 23:56更新 / 近藤無内
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