わたつみに抱かれて…
目の前に広がるのは果てしない海。月明かりも無い漆黒の闇。遥か足元では岩場に叩き付ける波音。吹きすさぶ潮風は体を凍らせ、遠くでは足跡を辿る猟犬の遠吠え。
僕は追い詰められた…………。
偉大なるレスカティエ。主神様が護りたもう煌びやかな都。そこから遠く離れた寒村に僕は生まれた。貧しい村の中でも最も貧しい家の生まれ。生活に困った両親は物心ついて間もない僕を……奴隷に売った。奴隷制は法で禁じられていたが…そんなものは建前にすぎなかった。
悲惨で残酷な奴隷の生活。耐えかねた僕はとうとう逃げ出したが、身元すら定かでない逃亡奴隷に安息の日々はこなかった。
奴隷以上に惨めに這いずり回った挙句…。ついには無実の罪を着せられ追われ続けた。圧政に苦しむ庶民にとって、罪人の処刑は格好の不満のはけ口。捕えればいくばくかの報奨金も期待できる。僕は彼らからも狙われた。
そんな中、味方と言える奴がたった一人いた。逃亡の旅路で知り合った同じく逃亡中の陽気な盗賊。しばらく旅を共にしたが、追われる途中ではぐれてしまった。彼は無事に逃げ続けているのだろうか…。
そして…孤独に逃れ続けた果てに、この断崖の上に追い詰められた…………。
暗い海。荒れ狂う波音を聞きながら思い出す。幼い頃旅の吟遊詩人から聞いた詩。海には主神様とは別の女神さまがおわすという。心優しきその女神さまは、海で亡くなった者を御許に受け止め、永遠の安らぎを与えると…。
ますます近づく猟犬の鳴き声。警吏に捕えられれば、残酷な拷問を受けた後の処刑。逃れられない運命…。
ならば…海の女神さまの加護を願ってこの身を捧げよう…。
夜の闇の中で僕はひざまずいて、女神さまに祈りをささげる。
女神さま…女神さま。どうか僕をお憐れみください…
女神さま…女神さま。どうか僕をお救い下さい…
よろよろと立ち上がり…足元を見る。
足元は漆黒の闇。荒れ狂う波音。背後からは迫る猟犬の鳴き声…。絶望と恐怖に身を震わす。
ああ…今度生まれてくるのなら…。いや、苦しみだけの生など、もううんざりだ。今は海の女神さまの御許で……永遠に安らぎたいだけ。
しばし逡巡する。が…追手はすぐそこ。もう………終わりにしよう。
僕は暗闇の中に飛び降りた……。
僕は暗闇の中を落ちる…。
僕は暗闇の中を落ち続ける…。
落ちる…。
落ちる…。
落ちる…。
落ちる…。
落ちる…。
落ちる…。
落ちる…
…
…
…
…
…
…
…
…
「アレクさん…」
「アレクさん…」
「大丈夫ですか…アレクさん…」
「ねえ…しっかり…アレクさんっ!」
「アレクさぁんっ!!」
僕の名を呼ぶ女性の声…不安げな…女性の叫び声が聞こえる…。その声ではっと目を覚ました。
「………………………。」
「アレクさん…気が付かれましたか!」
目の前にいるのはぞっとする様な冷艶な女性。彼女は僕が目を覚ましたのを見てほっとした表情をする。
そう。あれは最近よく見る夢。女神さまの御許に旅立とうとした時の事。その時の事を感度も繰り返し夢に見る。
「良かったぁ…。大丈夫ですか?アレクさんずうっとうなされていましたよ。」
「あ…うん。心配かけてごめんね。」
詫びる僕を見て彼女はにこやかに笑う。透き通る様な白い肌。腰まで伸びるさらさらの長髪は薄紫色に輝いている。髪と同色の切れ長の瞳も美しい。さらに豊かな胸とくびれた腰…。一見したところどんな高級娼婦も及ばない淫らな魅力だ。
だが……その下半身は驚くべきものだ。本来2本の足がある部分からは、イカの様な10本の触手が伸びている。それは僕に優しく絡みつき、温かく包み込んでいるのだ。
彼女は異形の抱擁を強める。そして僕の頭をはち切れんばかりの胸に抱いた。
「また…あの夢でしょうか…。」
「うん……。」
「そうですか…おかわいそうに…。」
魔性の女性は優しく労わる眼差しをする。目を閉じると何やらぶつぶつ呪文を詠唱し出す。
その途端…。僕を包む彼女の体から蕩けるような力が流れ込んだ。温かい力の流れは体全体に染みわたり、いまだ残る夢の恐怖を洗い流してくれた。僕の頭は甘く蕩ける。
「ああ…気持ちいいよ…。いつもありがとうね……ララ。」
「いいえ…わたしこそもっと高度の治癒魔法を修めておくべきでしたわ…。アレクさんがこれほど苦しんでいらっしゃるのに…ろくな手助けも出来ないなんて…。」
「そんなこと言わないで…。ララがこうしてくれるからとっても落ち着くんだよ…。」
悲しげに…申し訳なさそうに俯く妖女━ララの頭を撫でる。ララは切なげにそっと笑った。
あの日………。海の女神さまの加護を願って飛び降りた僕は、ララに助けられた。あわや岩場に叩きつけられるかという寸前…彼女の十本の触手が僕を受け止めたのだ。
急に月が見たくなったというララは珍しく海上に出てきていた。残念ながら月は見られなかったが、代わりに旦那様を手に入れる事が出来たと喜んだそうだ。
当然というべきか彼女は人では無い。海に住むクラーケンという種族の魔物娘だ。主神様の教えが絶対であるレスカティエ出身の僕。魔物は人を食らう憎むべきものだという教えを疑う事はなかった。
せっかく助けてくれた彼女を僕は半狂乱で拒んだ。さらにララは絶世の美女だが、その美しさは一見したところ冷たく…嗜虐的にすら感じられた。魔物が人を食らうというのが嘘である事はすぐにわかったのだが…怯えは消えなかった。所詮僕は囚われの身。彼女が機嫌を損ねたら一巻の終わりだ…。恐怖心は常に心に渦巻いていた。
そんな僕がいかにして彼女を受け入れるに至ったか?まあ…人魔の夫婦にはありきたりの事なのだろう。十本の足に全身を包み込まれ…。執拗に…それでいて優しく愛情を注がれ続けた結果だ。
幸いなことにララはとても穏やかな気性だった。そして、溢れんばかりの愛情の持ち主だという事も良く分かった。いつしか心をゆるし、今では僕にとって最も大切な存在になっている。
「良かった…。落ち着かれたようですね。」
穏やかに語るララ。その温かな魔力に癒されて僕は憩う。胸に顔を埋めて艶めかしい体を抱きしめる。彼女の十本の触手もそれに応じて僕に絡みつく。全身に優しくちゅうちゅうと吸い付く吸盤が心地良い。思えば最初吸盤に吸い付かれたときは背筋に震えが走ったものだが…。変われば変わるものだ。
「うふふ…。アレクさんすっかりよいお顔をされて…。このままわたしの足をお布団にしてお休みになられますか?」
「うん…少し横になりたいな…。あ……それと……。」
「はい。わかっておりますわ!枕にもして下さいね!」
苦笑する彼女の足に頭を乗せて身を横たえる。全身を十本の足が布団のように包み込む。
ララは僕に身を寄せて胸を押し付けると、きゅっと手を握ってくれた。僕も柔らかい手をそっと握り返ず。
全身を愛するひとに包まれて僕はすっかり安らいだ。ララは微笑むとまた吸盤で全身を吸う。全身にキスされるかのような感覚に僕は甘い吐息をつく。
「よしよし…。もう大丈夫ですからね〜。わたしがこのままお守りいたしますから…。悪夢なんか追い払って差し上げますよ〜。」
僕を落ち着かせる優しく穏やかな声。それを聞いていると僕は周囲を見回す余裕が出て来た。
僕が居る所は彼女の住みか。光も届かぬ海の底だ。だがその周囲は海の女神さまの力が満ちており、意外なほどの明るさを保っている。
揺らめく水中。幻想的な淡い光の中。僕たちの他にも数多くの人魔の番が睦みあっている。皆、優しく穏やかな表情だ。
ああ…。吟遊詩人が詩った事は本当だったな…。あらためてそう思う。みんな地上の憂いや苦しみから解放され、愛情深い魔物達と交わり合っている。このまま心優しい海の女神さまの御許で憩えばよい…。
すっかり気持ちが楽になる。身を弛緩させてララに委ねていると、彼女は不意に非難がましい声音で語りかけてきた。
「それにしても…司祭さんはよっぽどお楽しみのようですねえ…。肝心な時に私たちの所にいらっしゃらないなんて…。」
「あはは…」
思わず苦笑いしてしまう。ララが言ったのはシービショップの司祭さんの事。僕が海中で暮らしていける様に儀式をしてくれた方だ。
温厚で面倒見がよく、管区の信者の事をとても気にかけていた。僕たちの所にも良く訪れていた。司祭と言えば信者の献金で肥え太っている偽善者。という印象しか無かったが、彼女のおかげで考えを改める事ができた。
それが先日…とうとう念願の夫を手に入れたとの事で、それ以来ひたすらまぐわい続ける日々を送っているのだそうだ。
「まあまあ…あの人も随分独り身が長かったそうじゃない。仕方がないよ…。」
「はい。嬉しいのはわかります…。お世話になっている方ですから…文句を言いたくはありません。でもアレクさんが苦しんでいらっしゃるのに…いつまでも放っておかれるのはどうにも…」
シービショップは司祭という立場上、強力な神聖魔法を行使できるのだろう。司祭さんなら僕をこの悪夢から解放してくれるのかもしれない…。見上げるとララは渋面を作っている。
ララの愛情を受けて…僕の心の傷は癒えたかに見えた。だがあの日の夜。心に刻み込まれた恐怖と絶望の記憶は消せなかった。
最近は頻繁に悪夢に悩まされるようになってしまった。僕が断崖から身を投げる場面…。それを繰り返し繰り返し夢に見てしまうのだ。
ララも治癒魔法は使えるが、その効果は限定的なものだ。でも僕が悪夢を見ない様に、出来るだけの事をしてくれるのが本当に有難い。そして申し訳ない。
「司祭さんが結婚した日…。そう言えばあの日は華やかでしたねえ…。司祭さんの他に何百人もの人たちが同時に結婚して…。あれほど盛大な結婚式が行われたのは過去に例がありませんわ。」
「そうだったね………。」
ララが何かを思い出して夢見るような表情をする。あの日は多くの避難民を乗せた船が何隻もやってきた。そして海の魔物たちに襲われ…結局僕たちの仲間になったのだ。念願の夫を手に入れられたと大喜びしている魔物たち。彼女達の歓喜に溢れる表情は今でも忘れられない。
司祭さん達が結婚したのは故国レスカティエからの避難民。レスカティエは魔物の攻撃により陥落し…今では国全土が魔界化したそうだ………。
ウィルマリナ…。ミミル…。サーシャ…。他国にまでその名を轟かせている。数多の勇者達が護るレスカティエ…。
例え魔王その人が百万の軍勢で押し寄せようとも、決して落ちる事は無いと言われた不落のレスカティエ…。
吟遊詩人達が人類の希望と詩っていたレスカティエ…。
常に追われ。苦しめられ。僕にとっては憎むべきレスカティエ…。
その誇り高き故国は、たった一人のリリムの奇襲を受けてあっけなく落ちた…。混乱の極みという状況で一人の死者も…いや、怪我人すらほとんど出なかったという。
今では国内の全ての者が愛欲の中で溺れているそうだ。僕を売った両親。奴隷の僕を責め虐げた主人。無実の僕を追い続けた役人たち。みんな僕の事など忘れて蕩けているのだろう。
それなのに僕はあの日々を忘れられない。忘れたくても悪夢となって襲いかかってくる…。
あまりの理不尽さに、やりきれない思いで俯いてしまう。顔を曇らせた僕を見たララは、瞳に憐れむような色を浮かべた。
「ねえアレクさん…どうでしょうか?司祭さんとはすぐに連絡は取れないでしょうから…私の知り合いの心の専門家に癒して頂くというのは…。」
「心の専門家?」
「はい。」
「へえ…ララの知り合いにそんなひといたんだ。でも、司祭さんの他に魔法が得意そうなひとって…誰だろう…。」
予想もしなかった勧めについ興味が沸いてきてしまう。気が紛れた様子の僕を見てララもほっとした様子だ。
「はい…。そのひとの上半身はとても美しい女性の姿ですが…下半身は私同様に、何本もの触手を持つお方です…。」
「え?それって…たまに遊びに来るスキュラさんの事?」
陽気でさっぱりとした気性のスキュラさん。ララとは親戚みたいな付き合いをしており、僕とも顔見知りだ。
だけど…彼女が魔法を得意としているなんて聞いた事も無い。怪訝そうな僕を見てララは苦笑する。
「いやですよお…。あの方は私以上に魔法とか魔術は苦手なんですから。」
「それなら一体だれ…。」
「その方はご自身の事を大地と海の狭間の混沌から生まれた…とかなんとか言っておりますが…。」
ララは真面目な顔で語りだす。妙な事を言われた僕は言葉も無く黙り込んでしまった。
「伝説ではわたしたちが住む海よりずっとずっと深い場所は…海の女神さまの支配が及ばぬ混沌の世界だそうですね。彼女はそこから来たと称しております。」
「それって…怪しすぎる…。」
「はい。わたしもワケわかんないことおっしゃる方だなあと最初思いました。
でも、彼女が放つ気配は…わたし達海の魔物とは明らかに異質です。もちろん陸の方とも違いますね…。」
「じゃあ…本当に…こんとんのせかい…?っていう所から来たひとなの?」
益々興味が沸いてきて身をのりだして問いかける。ララは目を細めると僕の頭を優しく撫でた。
「さあ…どうでしょうか…。わたしも魔物学には疎いもので。それこそ今旦那様といちゃいちゃしている司祭さんに…。博識なあの方にお伺いしなければわからないでしょうね。」
そういってララは悪戯っぽく笑った。
「でも、わたし達に対しては好意的、だという事は間違いなく言えますよ〜。現にその方のおかげで日々のプレイの幅が広がったと、なかなかの評判ですから。」
「プレイ…っていうと?」
「うふふっ。その方はご自身の足?を男の方の耳に差し込んで…頭の中をクチュクチュするのですよ。そうすると男の方の精神が変えられて…心の底から色々なものになり切ってしまうのです。」
「へえ〜。耳を…。」
「ですので真に迫ったなりきりプレイを提供してくれる方。という事で結構有名なのですよ。
精神操作の効果が切れれば元通りになれますし、一線を越えない配慮はして下さっているので、皆さん気を許しておりますね。」
知られざる魔物の逸話に僕はすっかり夢中になってしまった。
「それで…どうでしょう?その方の持つ力であれば、アレクさんの心の傷を完全に癒すことが出来ると思うのですが…。」
語り終えるとララは僕の様子を見守った。決して無理強いする訳では無く、こういう方法もあるよ。と優しく勧めてくれる彼女の気遣いが嬉しい。でも…耳の中…か…。正直言って相当抵抗がある…。
「ええと…耳の中を…。」
「はい。アレクさんの耳の中です。」
「ずぶっと…。」
「はい。アレクさんの耳をずぶっとです。」
ララはからかう様に笑うと、自分の触手を僕の両耳にあてがった。そして優しくこちょこちょとくすぐり続けた。すっかり馴染んだララの感触に思わず身悶えする。だが…これを耳の中に入れるのか…。
うーん呻くとしばらく考える。これがララ本人だったら抵抗ないだろう。彼女の触手の優しい蠢き。すっかり虜になってしまっている。だが、見ず知らずのひとにされるのは…。
「ごめん…やっぱりやめておくよ。」
「あ〜。そうですか…。そうおっしゃるなら…。」
「ララがしてくれるというのなら喜んでお願いするけど…。ほかの人に頼むのは抵抗あるんだ…。」
僕の言葉を聞いたララは目を潤ませる。そして歓喜の声を上げて抱き締めてきた。
「まあ!わたしの事をそこまで信頼して頂けるなんてっ!」
十本の触手は僕に念入りに絡みつく。彼女も興奮しているのだろうか。吸盤に全身を舐めまわす様に吸い付かれる。その快楽にうっとりとして身を弛緩させる。
「らら…きもちいい…。」
心から愛するひとの蕩けるような抱擁。僕は喘ぎ声を抑えきれない。
「ふふっ。アレクさんとっても可愛らしいですわ…。よしよし。もっと甘えて下さいね…。」
あやす様な優しい声で僕の耳元で語りかける。ララは僕の頭を胸に抱き、手をそっと絡ませ合う。恍惚とした時間が流れた。
「承知しました。でも…アレクさんをこのままにはできません。やはり司祭さんに連絡いたしましょう。」
暫く考えた後にララは言った。相変わらず彼女に身を寄せ、甘えていた僕は顔を上げる。
「え…いいよ。全然平気!僕は大丈夫だよ!」
司祭さんはようやく見つけた旦那さんと楽しんでいる最中だ。迷惑はかけられない…。僕は明るい声であえて笑顔を作る。そんな僕を見つめてララはつらい顔になった。
「アレクさん。いけませんよ…。そんな悲しい嘘をおっしゃらないで下さい…。」
「ララ…。いや、でもね…。」
「駄目ですよ!アレクさんはご自身のお心の事だけを考えて下さい。下手な遠慮はご無用に願います!」
なおも言い張る僕だったが、ララは厳しい声でぴしゃりとはねつけた。今まであまり聞いた事のない強い声。僕は驚く。
だが、思わず見つめたその表情にあったのは愛情といたわり。僕に対する心からの思いやりだった。
その気持ちはとても嬉しい…。でも…。意を決した僕は心の底にある思いを打ち明ける。
「ねえ…ララ。僕はあの時君に助けられなければ確実に死んでいた…。
それを今こうして安らかに暮らしていけるのは…きっと海の女神さまの、おまえは死んではならない、というご意志によるものなんだよ。」
静かに語り始めた僕。ララは穏やかな眼差しで見つめ続ける。言葉を区切って様子を伺うと「どうぞ。続けて下さい。」と優しく言ってくれた。
「もうすでに僕は女神さまの恩寵を十分すぎるほど受けている。誰にも虐げられない平和で穏やかな日々と…とっても綺麗で素敵な奥さんも与えて下さったよね。」
僕の言葉を聞いたララは白い頬を赤く染める。恥ずかしげに俯く彼女が愛らしい。
「だから…これ以上女神さまに我がままを言ってはいけないんだ。せっかく僕を憐れんでくださった女神さまの…御心のままに生きなければ駄目なんだよ…。大丈夫。僕は大丈夫だから…。」
笑ってうなずく僕をララは泣きそうな目で見つめていた。だが、ひとつため息を着くと優しく諭しはじめる。
「アレクさん。お言葉ですが…。そのような事を司祭さんに告解したら、間違いなく叱られますよ。」
「え……。」
「海の女神…ポセイドン様はとても愛情に満ちたお方です。そのおかげでしょうか…私達海の魔物達も、仲間の事は皆兄弟姉妹の様に愛おしいものなのですよ。仲間が困っていれば喜んで助け合うものです。」
「でも…」
「こらっ。アレクさん!まだ言いますか!」
僕が言葉を続けるよりも早くララは口づけしてきた。頭をしっかり抱き抱えると舌を入れてくる。
強情を張る僕へのおしおきとばかりに、念入りに舌を吸い、口中をねっとり舐めまわす。ただ僕は愛するひとの…心地よい唇と舌の感触を堪能し続けた。
暫く互いの唇舌を貪り続けていたが、やがてそっと離れた。僕たちの唇から糸を引く唾液が水中を漂う。
「ね…。アレクさん。司祭さんも思いは同じです。アレクさんが苦しんでいるなら、すぐに駆けつけてくれますよ。」
愛情深く言葉を続けるララを僕はただ見つめる。
「逆にこの事を隠していたら、私が司祭さんに叱られてしまいますわ。なんでこんな大事な事を黙っていたのですかっ!って…。」
司祭さんの口真似をするララに思わず吹き出してしまった。落ち着いた僕の様子。それを見てララも安心したかのように笑う。
ちょっぴり冷たい美貌だけど…だがその裏にある無限の愛情を込めて。
「わかったよ。ありがとう…。それじゃあ好意に甘えさせてもらっていいかな?」
「もちろんですよ。アレクさんは遠慮しないで好きなだけ甘えて下さって良いのです。
今度もし司祭さんが助けを求める事があれば…その時は私達が力をお貸しすれば良い。ただそれだけの事ですよ。」
「ララ…」
ララは語り終えると触手で優しく包んでくれた。そうだ…。ララは常にいたわりと思いやりを込めて僕を護ってくれるんだ。感極まった僕はララを抱きしめ返す。
「大丈夫ですよ!もうアレクさんを苦しめるものは何もないのですから…。わたしがいつもお守りします…。
ですからこれからもずっと一緒に…楽しく安らかに暮らしていきましょうね…。」
穏やかに語り終えると、ララは慈愛を込めた眼差しで僕を見つめる。全身を包むララの温かさ。その中で僕は涙ぐんだ……………
僕は追い詰められた…………。
偉大なるレスカティエ。主神様が護りたもう煌びやかな都。そこから遠く離れた寒村に僕は生まれた。貧しい村の中でも最も貧しい家の生まれ。生活に困った両親は物心ついて間もない僕を……奴隷に売った。奴隷制は法で禁じられていたが…そんなものは建前にすぎなかった。
悲惨で残酷な奴隷の生活。耐えかねた僕はとうとう逃げ出したが、身元すら定かでない逃亡奴隷に安息の日々はこなかった。
奴隷以上に惨めに這いずり回った挙句…。ついには無実の罪を着せられ追われ続けた。圧政に苦しむ庶民にとって、罪人の処刑は格好の不満のはけ口。捕えればいくばくかの報奨金も期待できる。僕は彼らからも狙われた。
そんな中、味方と言える奴がたった一人いた。逃亡の旅路で知り合った同じく逃亡中の陽気な盗賊。しばらく旅を共にしたが、追われる途中ではぐれてしまった。彼は無事に逃げ続けているのだろうか…。
そして…孤独に逃れ続けた果てに、この断崖の上に追い詰められた…………。
暗い海。荒れ狂う波音を聞きながら思い出す。幼い頃旅の吟遊詩人から聞いた詩。海には主神様とは別の女神さまがおわすという。心優しきその女神さまは、海で亡くなった者を御許に受け止め、永遠の安らぎを与えると…。
ますます近づく猟犬の鳴き声。警吏に捕えられれば、残酷な拷問を受けた後の処刑。逃れられない運命…。
ならば…海の女神さまの加護を願ってこの身を捧げよう…。
夜の闇の中で僕はひざまずいて、女神さまに祈りをささげる。
女神さま…女神さま。どうか僕をお憐れみください…
女神さま…女神さま。どうか僕をお救い下さい…
よろよろと立ち上がり…足元を見る。
足元は漆黒の闇。荒れ狂う波音。背後からは迫る猟犬の鳴き声…。絶望と恐怖に身を震わす。
ああ…今度生まれてくるのなら…。いや、苦しみだけの生など、もううんざりだ。今は海の女神さまの御許で……永遠に安らぎたいだけ。
しばし逡巡する。が…追手はすぐそこ。もう………終わりにしよう。
僕は暗闇の中に飛び降りた……。
僕は暗闇の中を落ちる…。
僕は暗闇の中を落ち続ける…。
落ちる…。
落ちる…。
落ちる…。
落ちる…。
落ちる…。
落ちる…。
落ちる…
…
…
…
…
…
…
…
…
「アレクさん…」
「アレクさん…」
「大丈夫ですか…アレクさん…」
「ねえ…しっかり…アレクさんっ!」
「アレクさぁんっ!!」
僕の名を呼ぶ女性の声…不安げな…女性の叫び声が聞こえる…。その声ではっと目を覚ました。
「………………………。」
「アレクさん…気が付かれましたか!」
目の前にいるのはぞっとする様な冷艶な女性。彼女は僕が目を覚ましたのを見てほっとした表情をする。
そう。あれは最近よく見る夢。女神さまの御許に旅立とうとした時の事。その時の事を感度も繰り返し夢に見る。
「良かったぁ…。大丈夫ですか?アレクさんずうっとうなされていましたよ。」
「あ…うん。心配かけてごめんね。」
詫びる僕を見て彼女はにこやかに笑う。透き通る様な白い肌。腰まで伸びるさらさらの長髪は薄紫色に輝いている。髪と同色の切れ長の瞳も美しい。さらに豊かな胸とくびれた腰…。一見したところどんな高級娼婦も及ばない淫らな魅力だ。
だが……その下半身は驚くべきものだ。本来2本の足がある部分からは、イカの様な10本の触手が伸びている。それは僕に優しく絡みつき、温かく包み込んでいるのだ。
彼女は異形の抱擁を強める。そして僕の頭をはち切れんばかりの胸に抱いた。
「また…あの夢でしょうか…。」
「うん……。」
「そうですか…おかわいそうに…。」
魔性の女性は優しく労わる眼差しをする。目を閉じると何やらぶつぶつ呪文を詠唱し出す。
その途端…。僕を包む彼女の体から蕩けるような力が流れ込んだ。温かい力の流れは体全体に染みわたり、いまだ残る夢の恐怖を洗い流してくれた。僕の頭は甘く蕩ける。
「ああ…気持ちいいよ…。いつもありがとうね……ララ。」
「いいえ…わたしこそもっと高度の治癒魔法を修めておくべきでしたわ…。アレクさんがこれほど苦しんでいらっしゃるのに…ろくな手助けも出来ないなんて…。」
「そんなこと言わないで…。ララがこうしてくれるからとっても落ち着くんだよ…。」
悲しげに…申し訳なさそうに俯く妖女━ララの頭を撫でる。ララは切なげにそっと笑った。
あの日………。海の女神さまの加護を願って飛び降りた僕は、ララに助けられた。あわや岩場に叩きつけられるかという寸前…彼女の十本の触手が僕を受け止めたのだ。
急に月が見たくなったというララは珍しく海上に出てきていた。残念ながら月は見られなかったが、代わりに旦那様を手に入れる事が出来たと喜んだそうだ。
当然というべきか彼女は人では無い。海に住むクラーケンという種族の魔物娘だ。主神様の教えが絶対であるレスカティエ出身の僕。魔物は人を食らう憎むべきものだという教えを疑う事はなかった。
せっかく助けてくれた彼女を僕は半狂乱で拒んだ。さらにララは絶世の美女だが、その美しさは一見したところ冷たく…嗜虐的にすら感じられた。魔物が人を食らうというのが嘘である事はすぐにわかったのだが…怯えは消えなかった。所詮僕は囚われの身。彼女が機嫌を損ねたら一巻の終わりだ…。恐怖心は常に心に渦巻いていた。
そんな僕がいかにして彼女を受け入れるに至ったか?まあ…人魔の夫婦にはありきたりの事なのだろう。十本の足に全身を包み込まれ…。執拗に…それでいて優しく愛情を注がれ続けた結果だ。
幸いなことにララはとても穏やかな気性だった。そして、溢れんばかりの愛情の持ち主だという事も良く分かった。いつしか心をゆるし、今では僕にとって最も大切な存在になっている。
「良かった…。落ち着かれたようですね。」
穏やかに語るララ。その温かな魔力に癒されて僕は憩う。胸に顔を埋めて艶めかしい体を抱きしめる。彼女の十本の触手もそれに応じて僕に絡みつく。全身に優しくちゅうちゅうと吸い付く吸盤が心地良い。思えば最初吸盤に吸い付かれたときは背筋に震えが走ったものだが…。変われば変わるものだ。
「うふふ…。アレクさんすっかりよいお顔をされて…。このままわたしの足をお布団にしてお休みになられますか?」
「うん…少し横になりたいな…。あ……それと……。」
「はい。わかっておりますわ!枕にもして下さいね!」
苦笑する彼女の足に頭を乗せて身を横たえる。全身を十本の足が布団のように包み込む。
ララは僕に身を寄せて胸を押し付けると、きゅっと手を握ってくれた。僕も柔らかい手をそっと握り返ず。
全身を愛するひとに包まれて僕はすっかり安らいだ。ララは微笑むとまた吸盤で全身を吸う。全身にキスされるかのような感覚に僕は甘い吐息をつく。
「よしよし…。もう大丈夫ですからね〜。わたしがこのままお守りいたしますから…。悪夢なんか追い払って差し上げますよ〜。」
僕を落ち着かせる優しく穏やかな声。それを聞いていると僕は周囲を見回す余裕が出て来た。
僕が居る所は彼女の住みか。光も届かぬ海の底だ。だがその周囲は海の女神さまの力が満ちており、意外なほどの明るさを保っている。
揺らめく水中。幻想的な淡い光の中。僕たちの他にも数多くの人魔の番が睦みあっている。皆、優しく穏やかな表情だ。
ああ…。吟遊詩人が詩った事は本当だったな…。あらためてそう思う。みんな地上の憂いや苦しみから解放され、愛情深い魔物達と交わり合っている。このまま心優しい海の女神さまの御許で憩えばよい…。
すっかり気持ちが楽になる。身を弛緩させてララに委ねていると、彼女は不意に非難がましい声音で語りかけてきた。
「それにしても…司祭さんはよっぽどお楽しみのようですねえ…。肝心な時に私たちの所にいらっしゃらないなんて…。」
「あはは…」
思わず苦笑いしてしまう。ララが言ったのはシービショップの司祭さんの事。僕が海中で暮らしていける様に儀式をしてくれた方だ。
温厚で面倒見がよく、管区の信者の事をとても気にかけていた。僕たちの所にも良く訪れていた。司祭と言えば信者の献金で肥え太っている偽善者。という印象しか無かったが、彼女のおかげで考えを改める事ができた。
それが先日…とうとう念願の夫を手に入れたとの事で、それ以来ひたすらまぐわい続ける日々を送っているのだそうだ。
「まあまあ…あの人も随分独り身が長かったそうじゃない。仕方がないよ…。」
「はい。嬉しいのはわかります…。お世話になっている方ですから…文句を言いたくはありません。でもアレクさんが苦しんでいらっしゃるのに…いつまでも放っておかれるのはどうにも…」
シービショップは司祭という立場上、強力な神聖魔法を行使できるのだろう。司祭さんなら僕をこの悪夢から解放してくれるのかもしれない…。見上げるとララは渋面を作っている。
ララの愛情を受けて…僕の心の傷は癒えたかに見えた。だがあの日の夜。心に刻み込まれた恐怖と絶望の記憶は消せなかった。
最近は頻繁に悪夢に悩まされるようになってしまった。僕が断崖から身を投げる場面…。それを繰り返し繰り返し夢に見てしまうのだ。
ララも治癒魔法は使えるが、その効果は限定的なものだ。でも僕が悪夢を見ない様に、出来るだけの事をしてくれるのが本当に有難い。そして申し訳ない。
「司祭さんが結婚した日…。そう言えばあの日は華やかでしたねえ…。司祭さんの他に何百人もの人たちが同時に結婚して…。あれほど盛大な結婚式が行われたのは過去に例がありませんわ。」
「そうだったね………。」
ララが何かを思い出して夢見るような表情をする。あの日は多くの避難民を乗せた船が何隻もやってきた。そして海の魔物たちに襲われ…結局僕たちの仲間になったのだ。念願の夫を手に入れられたと大喜びしている魔物たち。彼女達の歓喜に溢れる表情は今でも忘れられない。
司祭さん達が結婚したのは故国レスカティエからの避難民。レスカティエは魔物の攻撃により陥落し…今では国全土が魔界化したそうだ………。
ウィルマリナ…。ミミル…。サーシャ…。他国にまでその名を轟かせている。数多の勇者達が護るレスカティエ…。
例え魔王その人が百万の軍勢で押し寄せようとも、決して落ちる事は無いと言われた不落のレスカティエ…。
吟遊詩人達が人類の希望と詩っていたレスカティエ…。
常に追われ。苦しめられ。僕にとっては憎むべきレスカティエ…。
その誇り高き故国は、たった一人のリリムの奇襲を受けてあっけなく落ちた…。混乱の極みという状況で一人の死者も…いや、怪我人すらほとんど出なかったという。
今では国内の全ての者が愛欲の中で溺れているそうだ。僕を売った両親。奴隷の僕を責め虐げた主人。無実の僕を追い続けた役人たち。みんな僕の事など忘れて蕩けているのだろう。
それなのに僕はあの日々を忘れられない。忘れたくても悪夢となって襲いかかってくる…。
あまりの理不尽さに、やりきれない思いで俯いてしまう。顔を曇らせた僕を見たララは、瞳に憐れむような色を浮かべた。
「ねえアレクさん…どうでしょうか?司祭さんとはすぐに連絡は取れないでしょうから…私の知り合いの心の専門家に癒して頂くというのは…。」
「心の専門家?」
「はい。」
「へえ…ララの知り合いにそんなひといたんだ。でも、司祭さんの他に魔法が得意そうなひとって…誰だろう…。」
予想もしなかった勧めについ興味が沸いてきてしまう。気が紛れた様子の僕を見てララもほっとした様子だ。
「はい…。そのひとの上半身はとても美しい女性の姿ですが…下半身は私同様に、何本もの触手を持つお方です…。」
「え?それって…たまに遊びに来るスキュラさんの事?」
陽気でさっぱりとした気性のスキュラさん。ララとは親戚みたいな付き合いをしており、僕とも顔見知りだ。
だけど…彼女が魔法を得意としているなんて聞いた事も無い。怪訝そうな僕を見てララは苦笑する。
「いやですよお…。あの方は私以上に魔法とか魔術は苦手なんですから。」
「それなら一体だれ…。」
「その方はご自身の事を大地と海の狭間の混沌から生まれた…とかなんとか言っておりますが…。」
ララは真面目な顔で語りだす。妙な事を言われた僕は言葉も無く黙り込んでしまった。
「伝説ではわたしたちが住む海よりずっとずっと深い場所は…海の女神さまの支配が及ばぬ混沌の世界だそうですね。彼女はそこから来たと称しております。」
「それって…怪しすぎる…。」
「はい。わたしもワケわかんないことおっしゃる方だなあと最初思いました。
でも、彼女が放つ気配は…わたし達海の魔物とは明らかに異質です。もちろん陸の方とも違いますね…。」
「じゃあ…本当に…こんとんのせかい…?っていう所から来たひとなの?」
益々興味が沸いてきて身をのりだして問いかける。ララは目を細めると僕の頭を優しく撫でた。
「さあ…どうでしょうか…。わたしも魔物学には疎いもので。それこそ今旦那様といちゃいちゃしている司祭さんに…。博識なあの方にお伺いしなければわからないでしょうね。」
そういってララは悪戯っぽく笑った。
「でも、わたし達に対しては好意的、だという事は間違いなく言えますよ〜。現にその方のおかげで日々のプレイの幅が広がったと、なかなかの評判ですから。」
「プレイ…っていうと?」
「うふふっ。その方はご自身の足?を男の方の耳に差し込んで…頭の中をクチュクチュするのですよ。そうすると男の方の精神が変えられて…心の底から色々なものになり切ってしまうのです。」
「へえ〜。耳を…。」
「ですので真に迫ったなりきりプレイを提供してくれる方。という事で結構有名なのですよ。
精神操作の効果が切れれば元通りになれますし、一線を越えない配慮はして下さっているので、皆さん気を許しておりますね。」
知られざる魔物の逸話に僕はすっかり夢中になってしまった。
「それで…どうでしょう?その方の持つ力であれば、アレクさんの心の傷を完全に癒すことが出来ると思うのですが…。」
語り終えるとララは僕の様子を見守った。決して無理強いする訳では無く、こういう方法もあるよ。と優しく勧めてくれる彼女の気遣いが嬉しい。でも…耳の中…か…。正直言って相当抵抗がある…。
「ええと…耳の中を…。」
「はい。アレクさんの耳の中です。」
「ずぶっと…。」
「はい。アレクさんの耳をずぶっとです。」
ララはからかう様に笑うと、自分の触手を僕の両耳にあてがった。そして優しくこちょこちょとくすぐり続けた。すっかり馴染んだララの感触に思わず身悶えする。だが…これを耳の中に入れるのか…。
うーん呻くとしばらく考える。これがララ本人だったら抵抗ないだろう。彼女の触手の優しい蠢き。すっかり虜になってしまっている。だが、見ず知らずのひとにされるのは…。
「ごめん…やっぱりやめておくよ。」
「あ〜。そうですか…。そうおっしゃるなら…。」
「ララがしてくれるというのなら喜んでお願いするけど…。ほかの人に頼むのは抵抗あるんだ…。」
僕の言葉を聞いたララは目を潤ませる。そして歓喜の声を上げて抱き締めてきた。
「まあ!わたしの事をそこまで信頼して頂けるなんてっ!」
十本の触手は僕に念入りに絡みつく。彼女も興奮しているのだろうか。吸盤に全身を舐めまわす様に吸い付かれる。その快楽にうっとりとして身を弛緩させる。
「らら…きもちいい…。」
心から愛するひとの蕩けるような抱擁。僕は喘ぎ声を抑えきれない。
「ふふっ。アレクさんとっても可愛らしいですわ…。よしよし。もっと甘えて下さいね…。」
あやす様な優しい声で僕の耳元で語りかける。ララは僕の頭を胸に抱き、手をそっと絡ませ合う。恍惚とした時間が流れた。
「承知しました。でも…アレクさんをこのままにはできません。やはり司祭さんに連絡いたしましょう。」
暫く考えた後にララは言った。相変わらず彼女に身を寄せ、甘えていた僕は顔を上げる。
「え…いいよ。全然平気!僕は大丈夫だよ!」
司祭さんはようやく見つけた旦那さんと楽しんでいる最中だ。迷惑はかけられない…。僕は明るい声であえて笑顔を作る。そんな僕を見つめてララはつらい顔になった。
「アレクさん。いけませんよ…。そんな悲しい嘘をおっしゃらないで下さい…。」
「ララ…。いや、でもね…。」
「駄目ですよ!アレクさんはご自身のお心の事だけを考えて下さい。下手な遠慮はご無用に願います!」
なおも言い張る僕だったが、ララは厳しい声でぴしゃりとはねつけた。今まであまり聞いた事のない強い声。僕は驚く。
だが、思わず見つめたその表情にあったのは愛情といたわり。僕に対する心からの思いやりだった。
その気持ちはとても嬉しい…。でも…。意を決した僕は心の底にある思いを打ち明ける。
「ねえ…ララ。僕はあの時君に助けられなければ確実に死んでいた…。
それを今こうして安らかに暮らしていけるのは…きっと海の女神さまの、おまえは死んではならない、というご意志によるものなんだよ。」
静かに語り始めた僕。ララは穏やかな眼差しで見つめ続ける。言葉を区切って様子を伺うと「どうぞ。続けて下さい。」と優しく言ってくれた。
「もうすでに僕は女神さまの恩寵を十分すぎるほど受けている。誰にも虐げられない平和で穏やかな日々と…とっても綺麗で素敵な奥さんも与えて下さったよね。」
僕の言葉を聞いたララは白い頬を赤く染める。恥ずかしげに俯く彼女が愛らしい。
「だから…これ以上女神さまに我がままを言ってはいけないんだ。せっかく僕を憐れんでくださった女神さまの…御心のままに生きなければ駄目なんだよ…。大丈夫。僕は大丈夫だから…。」
笑ってうなずく僕をララは泣きそうな目で見つめていた。だが、ひとつため息を着くと優しく諭しはじめる。
「アレクさん。お言葉ですが…。そのような事を司祭さんに告解したら、間違いなく叱られますよ。」
「え……。」
「海の女神…ポセイドン様はとても愛情に満ちたお方です。そのおかげでしょうか…私達海の魔物達も、仲間の事は皆兄弟姉妹の様に愛おしいものなのですよ。仲間が困っていれば喜んで助け合うものです。」
「でも…」
「こらっ。アレクさん!まだ言いますか!」
僕が言葉を続けるよりも早くララは口づけしてきた。頭をしっかり抱き抱えると舌を入れてくる。
強情を張る僕へのおしおきとばかりに、念入りに舌を吸い、口中をねっとり舐めまわす。ただ僕は愛するひとの…心地よい唇と舌の感触を堪能し続けた。
暫く互いの唇舌を貪り続けていたが、やがてそっと離れた。僕たちの唇から糸を引く唾液が水中を漂う。
「ね…。アレクさん。司祭さんも思いは同じです。アレクさんが苦しんでいるなら、すぐに駆けつけてくれますよ。」
愛情深く言葉を続けるララを僕はただ見つめる。
「逆にこの事を隠していたら、私が司祭さんに叱られてしまいますわ。なんでこんな大事な事を黙っていたのですかっ!って…。」
司祭さんの口真似をするララに思わず吹き出してしまった。落ち着いた僕の様子。それを見てララも安心したかのように笑う。
ちょっぴり冷たい美貌だけど…だがその裏にある無限の愛情を込めて。
「わかったよ。ありがとう…。それじゃあ好意に甘えさせてもらっていいかな?」
「もちろんですよ。アレクさんは遠慮しないで好きなだけ甘えて下さって良いのです。
今度もし司祭さんが助けを求める事があれば…その時は私達が力をお貸しすれば良い。ただそれだけの事ですよ。」
「ララ…」
ララは語り終えると触手で優しく包んでくれた。そうだ…。ララは常にいたわりと思いやりを込めて僕を護ってくれるんだ。感極まった僕はララを抱きしめ返す。
「大丈夫ですよ!もうアレクさんを苦しめるものは何もないのですから…。わたしがいつもお守りします…。
ですからこれからもずっと一緒に…楽しく安らかに暮らしていきましょうね…。」
穏やかに語り終えると、ララは慈愛を込めた眼差しで僕を見つめる。全身を包むララの温かさ。その中で僕は涙ぐんだ……………
17/10/30 21:51更新 / 近藤無内