わたしが応援してあげるっ!!
「あ…おかえり!これそうよね?さっき見たら届いていたわよ。」
「………うん。ありがとう。」
もうすっかり暗くなった冬の夕暮れ時、バイトから帰宅した僕に彼女が声をかける。どんなモデルも及ばない見事なスタイルと、抜群の長身の女性だ。そのためいつも僕は見下ろされるような感じだが、それもまた心地よい。彼女は神妙な表情で封筒を差し出す。そこには……先日就職試験を受けた企業名が記されていた。
ああ…とうとう運命の日が来た。だが、一体これで何社目になるのだろうか。先の見えないアルバイト生活がいつまで続くのだろうか。不安で言葉も無く黙り込んでしまう。
「大丈夫?」
心配そうに見つめる僕の彼女…美夜子という。燃える宝石の様な真紅の瞳に、夜を思わせる紫の長髪の持ち主だ。肌は病的なまでに青く、尖った耳と漆黒の翼、二本の角が強い印象を与える。ぞっとするほど退廃的で淫らな顔立ちだが、それでいて驚くべき美貌を誇っている。
当然彼女は人では無い。デーモンと言う魔物娘の一種族だ。
「ね…。つらいのなら私が最初に見てあげようか?結果はキミの心を魔法で保護してから伝えるっていうのはどう?」
弱弱しい微笑みを浮かべる僕を見かねたのか、労わる様な眼差しをする。よそではいつも鋭い眼光を崩さない彼女だ。だが僕に対してはいつも優しく穏やかな表情を見せてくれる。
美夜子は力づける様に長い尻尾を絡ませてきた。僕はなんとか気力を振り絞って答える。
「ううん。大丈夫。ごめんね。心配かけちゃって…… 」
覚悟を決めて深呼吸して…そして封を切る。そこには………今後のご健闘をお祈りいたします、の文字…。ああ…今回も不採用だった…。
今度こそ、今度こそと願い続けてこれが何回目の不採用通知だろうか。ショックのあまり崩れ落ちる様に座り込んでしまう。深いため息を着くと俯き続ける。
「そっか……。残念だったわね……。」
美夜子は僕に寄り添うと、そっと抱きしめてくれた。漆黒の翼も広がって覆ってくれる。包み込まれるような温かさにほっとして顔を上げると、そこには慈愛に満ちた微笑み。
「……………。」
思わず泣きそうになってしまった僕は、とうとう我慢できずに豊満な胸に顔を埋めた。
「よしよし。キミが一生懸命頑張っているのは良く分かっているわよ。くじけないで努力しているのもね…。」
柔らかい胸の感触。美夜子は穏やかに、そして甘く慰めてくれる。温かく包まれて僕は安らぐ。
だが、そんな僕を優しく見つめながら、彼女は少々意地悪く問いかけた。
「あら。遠慮なんかする必要は無いわよ。私の胸の中で泣いちゃえばいいのよ。いつもみたいに、いい子いい子してあげる…。」
「そんなこと…。」
「いいのよ。我慢しないで泣いちゃいなさい…。思いっきり泣けばすっきりするから…。」
僕の頭を抱くと優しく何度も撫でてくれる。愛情深い慰めの声が心を蕩けさせる。僕はとうとう涙ぐむと嗚咽を上げて泣き始めた…。
魔王の統べる王国と国交が結ばれて数十年…。今では魔物娘との共存は当然の事となっている。僕も美夜子とは高校時代に出会い…契約を結んだ。
もっとも彼女の事は普通のサキュバスだと思っていた。実は私はデーモンだ、と正体を明かされ契約を迫られて驚いたのだ。いかに魔物との共存が進んでいても、過激派筆頭のデーモンと知れると色眼鏡で見られる。それも面倒なのでサキュバスに擬態しているのだと彼女は言った。
ちなみに契約にあたって美夜子の真の名も教えてくれた。だが、僕では発音すら出来ない様な奇妙な言葉によるものだった。困り果てた僕を見て、別に美夜子でいいよ、とからかう様に笑ったのが今でも忘れられない。
なんでこんな僕を選んだんだろう?そう思わざるを得ないほど、彼女と僕の落差は大きかった。人魔共学の学校だったゆえ、周りに美少女は当たり前のように存在した。だが、その中でも屈指の美しさであり、おまけに成績も校内で一、二位を争う実力。人を寄せ付けない雰囲気はあったが、それもまた魅力的だった。美夜子は常に注目の的だったのだ。
それに引き替え僕はどこにでもいる…いや。むしろ下から数えたほうが早い様なボンクラ高校生。人より秀でているものは全く無く、常に悶々としているコンプレックスの塊だった。
本当にこんな僕でいいのか?信じられずに何度も問いただす僕に彼女は言った。
「でも…それがいいんじゃない!キミは自分の事を知らなさすぎよ!」
華やかに笑う美夜子がとても新鮮だった。それまでは常に固い表情で笑顔など見た事は無かったのだ。
学校一の美少女に見初められて幸福の絶頂だった…。僕にだけは見せてくれる温かい笑顔と無償の愛情は、ますます彼女の虜にさせた。このままでは駄目だ…彼女にふさわしい男になろう…。そう誓って今まで諦めていた勉学にも励むようになっていった。
だが、それも空しかった…。やがて高校を卒業して…大学に進学し…そして社会人になるにつれて…彼女との格差はますます開いて行くだけだった。
美夜子は一流企業のビジネスパーソンとして(というのは表向きの顔で、実際は裏からこの国全体を魔界化するために、色々画策しているらしいのだが…)順調にキャリアを積んでいる。それに比べ僕はブラック企業に就職してしまい…耐えきれず辞めてからは、アルバイトを転々としている。無論就職するため努力しているのだが一向に結果が出ない…。
「ふふっ…。ごちそうさま。とっても可愛かったわよ。」
「僕も恥ずかしいんだよ…。なんでいつもこんな事を…。」
「言ったでしょう。キミの泣き顔って可愛いんだもん。いつでも見せてくれていいのよ…。」
温かい胸の中でひとしきり泣いて落ち着いた。本当は弱い面を見せたくないのだが…美夜子に抱きしめられると、なぜか僕の気持ちは溢れてしまう。
魔法でも使っているの?と聞いたら「あら。これがキミのためでもあるのよ」と当然のように肯定されて、何も言えなくなってしまった。
今も悪戯っぽくも優しい微笑みで僕を見つめている。この柔らかな笑顔にはいつも癒されている。苦しい時はいつも抱きしめ慰めてくれる。本当にどれほど救われているだろうか…。
でも、いつまでもこのままでいいのか…。美夜子に頼りっぱなしで、依存し続けでいいのだろうか…。実際今は生活のほとんどを彼女に頼っている。僕はヒモの様な…そんな存在だ。
美夜子にふさわしい男になろう。今日は無理でも明日はそうなろう。ずっとそう思い続けてきたが、このままでは到底かないそうもない。もうすべてを諦めて、流されていけばどれだけ気楽だろう…。自暴自棄な気持ちが抑えきれなくなる…。
「ね…。近いうち魔界に引っ越さない?」
僕が暗い想いを抱いていると、耳元にそっと問いかけてきた。
「魔界…」
「そう…魔界で身も心も蕩けて…すべてを忘れてのんびり暮らしましょう。」
突然の事に思わず美夜子の顔を見つめてしまう。麗しい真紅の瞳にあるのは労わりと優しさだった。
最近では国内でもあちこちに魔界が誕生している。魔界へは人魔の番の移住が相次いでおり、皆悦楽に溺れて暮らしているそうだ。
魔界での淫らだが平和で穏やかな暮らしぶりは伝わってきている。ますます悲惨になるこの国に絶望した者達も多く移住しているが、みんな「未来の同胞」「お婿さん候補」として歓迎されるらしい。
そうだ…美夜子と一緒に魔界に行けばいいだけの事じゃないか…。
「ほら…王魔界にいる私の身内にキミの事をちゃんと紹介したいし…。そのついでにあっちに住みついちゃいましょう!
王魔界が不安なら…近場にもあるでしょ。湖の畔の明緑魔界。別にそこでもいいんだけど…。」
「え…でも…美夜子には仕事…というか使命があるんじゃ…」
「ああ…そんなものはどうでもいいわよ。別に私の代わりはいくらでもいるもの…。私はキミの蕩けるような笑顔が見ていられればいいの…。」
彼女は苦笑いすると額に優しく口づけしてくれた。温かく柔らかな唇が荒んだ心を癒していく。
「正直言って……無理しているキミを見ているのはつらいのよ…。わかっているでしょう…。私はデーモン。何の見栄も意地もいらないわ。キミが本能と欲望に溺れてくれるだけで嬉しいのよ。だから…ね。」
今度は真正面から唇を奪うと濃厚なキスを交わす。僕は夢中になって彼女のぬるぬるの舌を味わった。
「一緒に行きましょう…。キミは十分に頑張ったわ。もう何も悩むことも苦しむ事もないのよ…。私が全部面倒見て幸せにしてあげる!」
僕が口を離すと慰める様に…柔らかく微笑んでくれた。どうこたえて良いか返答に困っていると、頭を胸に抱いて優しく撫でてくれる。
「でも……。」
「魔界ではね…みんな平和に暮らしているわ。争う事も無理やり競い合わされる事も無いし…不安や恐怖に怯える事も無いのよ。ただ愛する人と交わって、安らかに生きて行けばいいのよ…。」
それって素敵な事だと思わない?彼女はそう笑うと真紅の瞳でじっと僕を捕えた。その途端…温かな力が流れ込んできて、頭がぼうっとなってしまう。
そうだ…何も考える事は無い…。
美夜子はいつだって僕を護って、ずっと一緒に居てくれたじゃないか…。
愛する彼女の言う通りにすればいい…。
ずっと安らかに生きて行けばいい…。
「ふふっ。嬉しい…。その気になってくれたみたいね…。じゃあ…いつ引っ越すか決めましょうか?出来るだけ早い方がいいわよね?」
彼女は蠱惑的な甘い声で囁く。それだけで体に心地よい震えが走る。
深い愛情を込めた真紅の瞳が美しい…。ずっとこのまま見つめてほしい…。
僕を抱きしめる彼女の温かさに心は蕩けそう…。
ああ……もういいんだ。一緒に堕ちて行こう……………。
でも………
そうだ………彼女と結んだあの契約。
「えーっ!そんなのいらないわ。今のキミで十二分に満足してるから。何も無理しないで欲しいな…… 」
「ありがとう。でも、美夜子さんに全然ふさわしくないのは自分でわかってるから…… 出来るだけ頑張りたいんだ。」
「本当に?うーん…… ふふっ。仕方ないなあ。じゃあこんな感じでどう?」
僕のすべてが安らぎの甘い霧に包まれそうになった瞬間、かつての思い出が、そじて結んだ契約が心をよぎる。あの時の美夜子の驚きの表情と、それに続く困ったような笑顔も……
契約には僕が彼女にふさわしい男になる様に努力すると誓った条項があった。
彼女はそんな事しなくていいと笑ったが、僕の方が我慢できなかった。
余りにもかけ離れているが、僕なりに彼女に少しでも近づきたかった…。
つまらない意地だが心に持ち続けて居たかった…。
僕の意識が鮮明さを取り戻す…。
本当にいいのか?無理しないほうがいいんじゃないのか?
うん… よし。大丈夫…まだ頑張れそうだ…。
「ごめん……。そう言ってくれて本当に嬉しいよ。でも、もうすこしだけ頑張りたいんだ…。あと少しだけ契約を守りたいけど…ダメ…かな?」
契約という言葉を聞いて、美夜子は僕にはっとした表情を見せた。
素直に従えばどれだけ楽なのに…。本当に馬鹿だ…。おそらく泣きそうな表情で彼女に訴えていたはずだ。そんな僕を見て彼女は目を見張った。
彼女はしばらく僕の意思を確かめるかのような強い視線を浴びせ続けた。普段は決して僕に見せない美夜子の魔の眼力。それを受けて背筋に緊張が走る。
「本当にそれでいいの?」
「うん……。」
やがて美夜子の眼差しはいつもの温かなものになって行った。呆れたようにしかたがないなあ…と笑いだしたのを見てほっとする。
「まったく私も馬鹿よねえ…。キミの言う通りにあんな契約結んでしまうなんて…。でも、わかってるわよね。」
彼女は真面目な顔をして念を押してきた。
「契約には付帯条件があるのよ。ただし、私の方でキミがもう限界だと判断したら…その時点で即座にキミを保護する。っていう条件がね…」
「うん…。それはわかっているよ。だけどもう少し頑張りたい…。美夜子にふさわしくなりたいんだ。」
「もう…私がキミに地位や名誉なんか全く求めていない。って事は知っているでしょう?別に無理して頑張る事なんか無いのに…。本当に人間って変な意地を張るんだから…。」
哀願する僕に、なおもぶつぶつ言っていた彼女だったが…やがて諦めたように溜息を着いた。
「分かったわよ!好きなだけ意地を張ればいいわ!私がしっかりと見守っていてあげるから…。だから…気の済むまでやりなさい。
でも。いいわよね。もうダメだと思ったら… 有無を言わせず魔界に連れて行っちゃうんだからっ!」
美夜子はぷーっとむくれて見せると僕を優しく押し倒した。
「さ…。お話はこれで終わり。いやな事は全部忘れさせてあげるから…。明日からまた頑張ればいいわ…。」
彼女は慈愛溢れる笑みを見せると僕に覆いかぶさった。きめ細かい肌とみっちりと温かい肉圧を感じる…。とても心地よい美夜子の体。
まあ…つまらない意地なんだろう…。無駄な努力なんだろう…。近いうちに彼女に魔界に連れて行かれて、幸せになるのはわかり切っている…。
でも、いつか来るその日まで、この愛しい悪魔の好意に甘えよう…。あ、でもこれって結局彼女に頼っている事なんだよな…。結局僕は美夜子の手のひらで転がされているだけか…。
そんなとりとめもない思いを美夜子はたやすく見抜いた。
「ふふっ…。考え事もここまでよ…。キミの悩みなんかとろとろに溶かしてあげるんだからっ…。」
「美夜子…。ありがとう…。」
「もう…そんな顔されると徹底的に可愛がってあげたくなっちゃうじゃないのよ…。」
美夜子の魔物らしく悪戯っぽい瞳が濡れたように輝く。いつも見慣れているはずなのに、それが赤い宝石のように美しく光る。ああ…今にも吸い込まれそう…。
まあいい…今はただ美夜子に溺れよう。
僕は快楽の泥沼に溺れて行く……。
「………うん。ありがとう。」
もうすっかり暗くなった冬の夕暮れ時、バイトから帰宅した僕に彼女が声をかける。どんなモデルも及ばない見事なスタイルと、抜群の長身の女性だ。そのためいつも僕は見下ろされるような感じだが、それもまた心地よい。彼女は神妙な表情で封筒を差し出す。そこには……先日就職試験を受けた企業名が記されていた。
ああ…とうとう運命の日が来た。だが、一体これで何社目になるのだろうか。先の見えないアルバイト生活がいつまで続くのだろうか。不安で言葉も無く黙り込んでしまう。
「大丈夫?」
心配そうに見つめる僕の彼女…美夜子という。燃える宝石の様な真紅の瞳に、夜を思わせる紫の長髪の持ち主だ。肌は病的なまでに青く、尖った耳と漆黒の翼、二本の角が強い印象を与える。ぞっとするほど退廃的で淫らな顔立ちだが、それでいて驚くべき美貌を誇っている。
当然彼女は人では無い。デーモンと言う魔物娘の一種族だ。
「ね…。つらいのなら私が最初に見てあげようか?結果はキミの心を魔法で保護してから伝えるっていうのはどう?」
弱弱しい微笑みを浮かべる僕を見かねたのか、労わる様な眼差しをする。よそではいつも鋭い眼光を崩さない彼女だ。だが僕に対してはいつも優しく穏やかな表情を見せてくれる。
美夜子は力づける様に長い尻尾を絡ませてきた。僕はなんとか気力を振り絞って答える。
「ううん。大丈夫。ごめんね。心配かけちゃって…… 」
覚悟を決めて深呼吸して…そして封を切る。そこには………今後のご健闘をお祈りいたします、の文字…。ああ…今回も不採用だった…。
今度こそ、今度こそと願い続けてこれが何回目の不採用通知だろうか。ショックのあまり崩れ落ちる様に座り込んでしまう。深いため息を着くと俯き続ける。
「そっか……。残念だったわね……。」
美夜子は僕に寄り添うと、そっと抱きしめてくれた。漆黒の翼も広がって覆ってくれる。包み込まれるような温かさにほっとして顔を上げると、そこには慈愛に満ちた微笑み。
「……………。」
思わず泣きそうになってしまった僕は、とうとう我慢できずに豊満な胸に顔を埋めた。
「よしよし。キミが一生懸命頑張っているのは良く分かっているわよ。くじけないで努力しているのもね…。」
柔らかい胸の感触。美夜子は穏やかに、そして甘く慰めてくれる。温かく包まれて僕は安らぐ。
だが、そんな僕を優しく見つめながら、彼女は少々意地悪く問いかけた。
「あら。遠慮なんかする必要は無いわよ。私の胸の中で泣いちゃえばいいのよ。いつもみたいに、いい子いい子してあげる…。」
「そんなこと…。」
「いいのよ。我慢しないで泣いちゃいなさい…。思いっきり泣けばすっきりするから…。」
僕の頭を抱くと優しく何度も撫でてくれる。愛情深い慰めの声が心を蕩けさせる。僕はとうとう涙ぐむと嗚咽を上げて泣き始めた…。
魔王の統べる王国と国交が結ばれて数十年…。今では魔物娘との共存は当然の事となっている。僕も美夜子とは高校時代に出会い…契約を結んだ。
もっとも彼女の事は普通のサキュバスだと思っていた。実は私はデーモンだ、と正体を明かされ契約を迫られて驚いたのだ。いかに魔物との共存が進んでいても、過激派筆頭のデーモンと知れると色眼鏡で見られる。それも面倒なのでサキュバスに擬態しているのだと彼女は言った。
ちなみに契約にあたって美夜子の真の名も教えてくれた。だが、僕では発音すら出来ない様な奇妙な言葉によるものだった。困り果てた僕を見て、別に美夜子でいいよ、とからかう様に笑ったのが今でも忘れられない。
なんでこんな僕を選んだんだろう?そう思わざるを得ないほど、彼女と僕の落差は大きかった。人魔共学の学校だったゆえ、周りに美少女は当たり前のように存在した。だが、その中でも屈指の美しさであり、おまけに成績も校内で一、二位を争う実力。人を寄せ付けない雰囲気はあったが、それもまた魅力的だった。美夜子は常に注目の的だったのだ。
それに引き替え僕はどこにでもいる…いや。むしろ下から数えたほうが早い様なボンクラ高校生。人より秀でているものは全く無く、常に悶々としているコンプレックスの塊だった。
本当にこんな僕でいいのか?信じられずに何度も問いただす僕に彼女は言った。
「でも…それがいいんじゃない!キミは自分の事を知らなさすぎよ!」
華やかに笑う美夜子がとても新鮮だった。それまでは常に固い表情で笑顔など見た事は無かったのだ。
学校一の美少女に見初められて幸福の絶頂だった…。僕にだけは見せてくれる温かい笑顔と無償の愛情は、ますます彼女の虜にさせた。このままでは駄目だ…彼女にふさわしい男になろう…。そう誓って今まで諦めていた勉学にも励むようになっていった。
だが、それも空しかった…。やがて高校を卒業して…大学に進学し…そして社会人になるにつれて…彼女との格差はますます開いて行くだけだった。
美夜子は一流企業のビジネスパーソンとして(というのは表向きの顔で、実際は裏からこの国全体を魔界化するために、色々画策しているらしいのだが…)順調にキャリアを積んでいる。それに比べ僕はブラック企業に就職してしまい…耐えきれず辞めてからは、アルバイトを転々としている。無論就職するため努力しているのだが一向に結果が出ない…。
「ふふっ…。ごちそうさま。とっても可愛かったわよ。」
「僕も恥ずかしいんだよ…。なんでいつもこんな事を…。」
「言ったでしょう。キミの泣き顔って可愛いんだもん。いつでも見せてくれていいのよ…。」
温かい胸の中でひとしきり泣いて落ち着いた。本当は弱い面を見せたくないのだが…美夜子に抱きしめられると、なぜか僕の気持ちは溢れてしまう。
魔法でも使っているの?と聞いたら「あら。これがキミのためでもあるのよ」と当然のように肯定されて、何も言えなくなってしまった。
今も悪戯っぽくも優しい微笑みで僕を見つめている。この柔らかな笑顔にはいつも癒されている。苦しい時はいつも抱きしめ慰めてくれる。本当にどれほど救われているだろうか…。
でも、いつまでもこのままでいいのか…。美夜子に頼りっぱなしで、依存し続けでいいのだろうか…。実際今は生活のほとんどを彼女に頼っている。僕はヒモの様な…そんな存在だ。
美夜子にふさわしい男になろう。今日は無理でも明日はそうなろう。ずっとそう思い続けてきたが、このままでは到底かないそうもない。もうすべてを諦めて、流されていけばどれだけ気楽だろう…。自暴自棄な気持ちが抑えきれなくなる…。
「ね…。近いうち魔界に引っ越さない?」
僕が暗い想いを抱いていると、耳元にそっと問いかけてきた。
「魔界…」
「そう…魔界で身も心も蕩けて…すべてを忘れてのんびり暮らしましょう。」
突然の事に思わず美夜子の顔を見つめてしまう。麗しい真紅の瞳にあるのは労わりと優しさだった。
最近では国内でもあちこちに魔界が誕生している。魔界へは人魔の番の移住が相次いでおり、皆悦楽に溺れて暮らしているそうだ。
魔界での淫らだが平和で穏やかな暮らしぶりは伝わってきている。ますます悲惨になるこの国に絶望した者達も多く移住しているが、みんな「未来の同胞」「お婿さん候補」として歓迎されるらしい。
そうだ…美夜子と一緒に魔界に行けばいいだけの事じゃないか…。
「ほら…王魔界にいる私の身内にキミの事をちゃんと紹介したいし…。そのついでにあっちに住みついちゃいましょう!
王魔界が不安なら…近場にもあるでしょ。湖の畔の明緑魔界。別にそこでもいいんだけど…。」
「え…でも…美夜子には仕事…というか使命があるんじゃ…」
「ああ…そんなものはどうでもいいわよ。別に私の代わりはいくらでもいるもの…。私はキミの蕩けるような笑顔が見ていられればいいの…。」
彼女は苦笑いすると額に優しく口づけしてくれた。温かく柔らかな唇が荒んだ心を癒していく。
「正直言って……無理しているキミを見ているのはつらいのよ…。わかっているでしょう…。私はデーモン。何の見栄も意地もいらないわ。キミが本能と欲望に溺れてくれるだけで嬉しいのよ。だから…ね。」
今度は真正面から唇を奪うと濃厚なキスを交わす。僕は夢中になって彼女のぬるぬるの舌を味わった。
「一緒に行きましょう…。キミは十分に頑張ったわ。もう何も悩むことも苦しむ事もないのよ…。私が全部面倒見て幸せにしてあげる!」
僕が口を離すと慰める様に…柔らかく微笑んでくれた。どうこたえて良いか返答に困っていると、頭を胸に抱いて優しく撫でてくれる。
「でも……。」
「魔界ではね…みんな平和に暮らしているわ。争う事も無理やり競い合わされる事も無いし…不安や恐怖に怯える事も無いのよ。ただ愛する人と交わって、安らかに生きて行けばいいのよ…。」
それって素敵な事だと思わない?彼女はそう笑うと真紅の瞳でじっと僕を捕えた。その途端…温かな力が流れ込んできて、頭がぼうっとなってしまう。
そうだ…何も考える事は無い…。
美夜子はいつだって僕を護って、ずっと一緒に居てくれたじゃないか…。
愛する彼女の言う通りにすればいい…。
ずっと安らかに生きて行けばいい…。
「ふふっ。嬉しい…。その気になってくれたみたいね…。じゃあ…いつ引っ越すか決めましょうか?出来るだけ早い方がいいわよね?」
彼女は蠱惑的な甘い声で囁く。それだけで体に心地よい震えが走る。
深い愛情を込めた真紅の瞳が美しい…。ずっとこのまま見つめてほしい…。
僕を抱きしめる彼女の温かさに心は蕩けそう…。
ああ……もういいんだ。一緒に堕ちて行こう……………。
でも………
そうだ………彼女と結んだあの契約。
「えーっ!そんなのいらないわ。今のキミで十二分に満足してるから。何も無理しないで欲しいな…… 」
「ありがとう。でも、美夜子さんに全然ふさわしくないのは自分でわかってるから…… 出来るだけ頑張りたいんだ。」
「本当に?うーん…… ふふっ。仕方ないなあ。じゃあこんな感じでどう?」
僕のすべてが安らぎの甘い霧に包まれそうになった瞬間、かつての思い出が、そじて結んだ契約が心をよぎる。あの時の美夜子の驚きの表情と、それに続く困ったような笑顔も……
契約には僕が彼女にふさわしい男になる様に努力すると誓った条項があった。
彼女はそんな事しなくていいと笑ったが、僕の方が我慢できなかった。
余りにもかけ離れているが、僕なりに彼女に少しでも近づきたかった…。
つまらない意地だが心に持ち続けて居たかった…。
僕の意識が鮮明さを取り戻す…。
本当にいいのか?無理しないほうがいいんじゃないのか?
うん… よし。大丈夫…まだ頑張れそうだ…。
「ごめん……。そう言ってくれて本当に嬉しいよ。でも、もうすこしだけ頑張りたいんだ…。あと少しだけ契約を守りたいけど…ダメ…かな?」
契約という言葉を聞いて、美夜子は僕にはっとした表情を見せた。
素直に従えばどれだけ楽なのに…。本当に馬鹿だ…。おそらく泣きそうな表情で彼女に訴えていたはずだ。そんな僕を見て彼女は目を見張った。
彼女はしばらく僕の意思を確かめるかのような強い視線を浴びせ続けた。普段は決して僕に見せない美夜子の魔の眼力。それを受けて背筋に緊張が走る。
「本当にそれでいいの?」
「うん……。」
やがて美夜子の眼差しはいつもの温かなものになって行った。呆れたようにしかたがないなあ…と笑いだしたのを見てほっとする。
「まったく私も馬鹿よねえ…。キミの言う通りにあんな契約結んでしまうなんて…。でも、わかってるわよね。」
彼女は真面目な顔をして念を押してきた。
「契約には付帯条件があるのよ。ただし、私の方でキミがもう限界だと判断したら…その時点で即座にキミを保護する。っていう条件がね…」
「うん…。それはわかっているよ。だけどもう少し頑張りたい…。美夜子にふさわしくなりたいんだ。」
「もう…私がキミに地位や名誉なんか全く求めていない。って事は知っているでしょう?別に無理して頑張る事なんか無いのに…。本当に人間って変な意地を張るんだから…。」
哀願する僕に、なおもぶつぶつ言っていた彼女だったが…やがて諦めたように溜息を着いた。
「分かったわよ!好きなだけ意地を張ればいいわ!私がしっかりと見守っていてあげるから…。だから…気の済むまでやりなさい。
でも。いいわよね。もうダメだと思ったら… 有無を言わせず魔界に連れて行っちゃうんだからっ!」
美夜子はぷーっとむくれて見せると僕を優しく押し倒した。
「さ…。お話はこれで終わり。いやな事は全部忘れさせてあげるから…。明日からまた頑張ればいいわ…。」
彼女は慈愛溢れる笑みを見せると僕に覆いかぶさった。きめ細かい肌とみっちりと温かい肉圧を感じる…。とても心地よい美夜子の体。
まあ…つまらない意地なんだろう…。無駄な努力なんだろう…。近いうちに彼女に魔界に連れて行かれて、幸せになるのはわかり切っている…。
でも、いつか来るその日まで、この愛しい悪魔の好意に甘えよう…。あ、でもこれって結局彼女に頼っている事なんだよな…。結局僕は美夜子の手のひらで転がされているだけか…。
そんなとりとめもない思いを美夜子はたやすく見抜いた。
「ふふっ…。考え事もここまでよ…。キミの悩みなんかとろとろに溶かしてあげるんだからっ…。」
「美夜子…。ありがとう…。」
「もう…そんな顔されると徹底的に可愛がってあげたくなっちゃうじゃないのよ…。」
美夜子の魔物らしく悪戯っぽい瞳が濡れたように輝く。いつも見慣れているはずなのに、それが赤い宝石のように美しく光る。ああ…今にも吸い込まれそう…。
まあいい…今はただ美夜子に溺れよう。
僕は快楽の泥沼に溺れて行く……。
24/01/02 20:16更新 / 近藤無内