読切小説
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月曜朝の誘惑
「それじゃあ…いってきます。」

「行ってらっしゃいませ…。どうかお気をつけて…。旦那様の好物をたくさんお作り致してお待ちしていますね…。」

「ありがとう。今から楽しみだなあ…。」

 今日も愛しいお方を御見送りする時間がやって参りました。旦那様はいつも通りの優しい笑顔を浮かべ出勤なさいます。
旦那様に少しでも元気になって頂きたい…。と私も朗らかな笑みを返して、お姿が見えなくなるまでお見送り致します。

 これが私たちのいつもと変わらぬ朝の風景です………。

















 旦那様は本当に私にはもったいないぐらいの素晴らしいお方です。誠実で、優しくて、いつも人に対する細やかな気遣いを忘れないお方です。何よりも常に私だけを見て、ずっとそばにいて愛してくださいます。それがまた何よりも嬉しい事なのです。

 私自身は旦那様を縛り付けるような真似は出来るだけしたくありません。とはいえ、ラミア属の浅ましい身。いつも旦那様をそばに置いておきたくて…ずっとそばにいて頂きたくて…己の鬱々とした思いがはじけそうになるのを必死になって抑える事もありました。

 切なくも惨めな思いを察して下さったのか…旦那様は用事が無ければいつも私のもとに居てくださる様になりました。私に気を遣わせない様に、寂しくて君から離れたくないんだ…。と旦那様ご自身から私に抱き着いて下さいます。
そんな温かな心遣いがとても嬉しくて、私も全身全霊を上げて旦那様のお世話に励むのです。

 ああ…本当はこのまま旦那様を縛りつけたい…。もちろん監禁する様な真似は致しません。でも、どこに行くにも何をするにも私の蛇体を旦那様にしっかりと巻き付けていたい…。そしてお互いに安らぎと甘い快楽に浸って過ごしていたい…。最近ではそんな思いが抑えきれません。

 仲の良い同族によれば、いつかは衝動を抑えきれずに、白蛇の魔力を愛する旦那様に注ぎ込むことになる。と言うのですが、どうなんでしょう…。別に旦那様は浮気性ではありませんし、今でも私の傍にいて下さいます。魔力を入れる前からすでに私に堕ちて下さっている…と思うのは自惚れなんでしょうか…。

 そんな旦那様ご自身も、私に巻き付かれて日々を送るのを心から喜んで下さいます。とても安らいだお顔で私の抱擁を受け入れて下さるのは良く分かります。ですので、旦那様と一緒にずっといたいという想い。これは決して個人的な我がままではないでしょう…。

 でも…口惜しい事に旦那様は平日はお仕事です。いつも抱きしめている、という訳にはいかないのです。残念な事に…。ならば仕方がないですって?まあ、確かに日々の糧を得るために働かねばならないのなら仕方ないでしょうね。

 しかし私達白蛇は金運の神として祭られる者もいるぐらいです。不肖この私も、旦那様が働いて下さらなくとも楽に生活できる資産は持っております。愛する御方をお金の事で煩わせるつもりは全くありません。

 それに、私にとっては嬉しい事なのですが…旦那様ご自身も働くのはお好きではないようです…。朝出かける時も無理して笑っているのは良く分かりますし、特に月曜日の朝となると必死さが伝わってきて痛々しいぐらいです…。

 ええ!もちろん何度もおすすめしてきました。ご無理をなさらずともよいのです…。お金の事も衣食住の事も私に全部お任せください…。私は旦那様そのものをお慕いしております。働こうが働くまいが私の想いには無関係なのです…。と。

 とはいえ旦那様ご自身もヒモみたいな生活を送る事への抵抗があるのでしょうね。いつも笑って大丈夫だよ!と言うばかりで全く取り合って下さらないのです。
 もし旦那様が所謂ブラック企業の様な所に勤めていらっしゃるのなら話は簡単でした。有無を言わさずにすぐ辞めさせ、大切なお方を苦しめた会社には目にもの見せてやるでしょう…。

 それが皮肉なことに…魔物娘が経営する会社に勤めていらっしゃるので、労働時間も福利厚生も全く問題ないのです。そんな状況では強引な手段を取るのにはためらいがあります…。
 抑えきれない想いと旦那様の意思との間で板挟みになり、悶々とする日々が続きました。でも…もし旦那様がお仕事が大好き、と言うのであるならば無理やりその思いを阻むのは心が痛むでしょう。でも、仕事が嫌いな旦那様から仕事を取り上げた所で、それは旦那様を苦しめる事にならないと間違いなく言えます。

 それに魔王様の願いは魔物も人間も互いに淫らに愛し合いながら、永遠に蕩ける様な日々を送る事であるはずです。爛れた毎日を邪魔する仕事から旦那様を解放する事は、魔王様の御心にもかなう事になるでしょう…。

 そうです!なにも想いを抑えることなど無かったのです!私は持てる力を使って旦那様をお救いすればよいだけの事なのです!……長い煩悶の末にようやく心に決めました。
そう決まれば後はすることは一つです。今日は金曜日ですから…。来週明けの月曜日に決行しましょう。それまで十分に魔力を練り上げておきましょう。ふふっ…。お待ちしていて下さいね…。旦那様…。私が旦那様をお助け致しますので………















 月曜の朝…。旦那様はいつもの様に私の抱擁に身を委ねて、穏やかな眠りについていらっしゃいます。本当に可愛らしい寝顔です。今まではこの寝顔を心行くまで眺める事すら出来なかったのですが、明日からはそれも叶うのです。では…まずは旦那様を起こして差し上げましょう。

「おはようございます。旦那様…。朝ですよ…。」

 私は旦那様を優しく揺すります。それを何度か繰り返すうちに眠い目を開けて下さいました。

「ああ…おはよう…。」

「はい…。おはようございます。ご気分はいかがですか?」

「もちろん…今日も朝から…いい気分だよ…。」

 私の問いに旦那様は笑顔を浮かべてお答えになります。でも…なんと無理した苦しそうな笑顔なのでしょう…。きっと憂鬱な一週間のはじまりに、心の底では泣いていらっしゃるのでしょう…。お可哀そうに…。隠しても私には全てお見通しです。ふふっ…。お待ちください…。あと少しで旦那様を楽にして差し上げますので…。

 旦那様に優しい笑顔を向けながらも、私は絡みつけた蛇体を解こうとは致しません。しばらくじっとご覧になっていた旦那様ですが、とうとう痺れを切らしたようです。

「あの…悪いけれどそろそろ起きないと…。」

「大丈夫ですよ…。起きる必要はございません。お好きなだけお眠りになって下さい。」

「ははっ…。そうしたいのはやまやまだけれど…。仕事があるし。」

 苦しそうに笑ってため息をつくと旦那様は自嘲気味に呟かれます。どうやら私が冗談を言っていると思っていらっしゃるようです。

「お仕事はもうよろしいのですよ…。無理になさいませんでも全く問題ないのですから。あ…ご安心下さい!後の事はすべてこの私にお任せくださいませ!」

「う〜ん…そうだねえ…。君に任せちゃって二度寝しようかな…。」

 からかわれていると思われたのでしょう。旦那様もそっと笑って私に合わせて下さいました。が、凍りついたような笑顔を張り付けている私に、どうやらただ事ではないとお察しになったようです。

「まさか本気…なの?」
「はい…。」

 私は笑顔を崩さないでうなずきます。そんな様子を見た旦那様は再びため息をつくと、諭すように語りかけました。

「前にも言ったけれどそんな訳にはいかないよ…。君におんぶにだっこでは申し訳ないんだって。」

「どうしてですか?旦那様がお仕事に行かれるよりは、常にそばにいて下さった方がどれだけ嬉しいか分かりませんのに…。無論お金の事は全く心配しないでよろしいのですよ。私にお任せくださいね!」

「でも…。」

「それに…旦那様がお仕事が嫌いな事はとっくに承知しています。好きなら私も止めませんが、そうでないのら何もご無理なさることはありません。」

 旦那様が反論なされようとするのを私は無視して畳み掛けます。結果、きっかけを潰されてじっと押し黙ってしまわれました。ふふっ…。お気持ちが揺れていらっしゃるようですね。どうやら魅力的な提案だったようです。
 そんな時間がどれだけ流れた事でしょう。旦那様は今にも消えいりそうな声でおっしゃいました。
 
「それは好きか嫌いと言ったら嫌いだけれど…。この仕事は俺がやらないといけないんだ。それにかっこつけるようだけれど…仕事を通じてようやく社会の為に尽くしていると言えるんだ。仕事をしないと人は堕落するよ…。」

 『堕落する』ですって!?その言葉を聞いて思わず不快感を抱いてしまいました。少し厳しい目で旦那様を見つめてしまいます。
 別に私は堕落神の信徒ではありません。でも…魔物らしく愛する旦那様と一緒に堕ちて淫らな日々を送りたい…という願いはずっと持っているのです。まさかそれを否定するような物言いをなさろうとは…。

 苛立ちが抑えきれずに、知らぬ間に棘のあるきつい言葉が飛び出しました。

「旦那様っ…。お言葉を返すようですが…その人でなければ困る仕事など、選ばれたごく少数の者たちのみの話なのですよ。恐れながら旦那様が、無論この私もその選ばれた者であるとは到底思えませんっ。大多数の仕事は結局誰でも替えがきくのですっ。
 それに、旦那様はすでにもうインキュバスなのですよっ。仕事をする事が尊いなどと言う人の理に縛られるのは、いいかげんにおやめになって下さい!」

 旦那様は鋭くなった私の眼差しをじっと見つめていらっしゃいました。申し訳ない事をしてしまったとでもおっしゃりたそうな辛そうな表情です。

「ごめん…。君の言う通りだね。俺は何も無いつまらない男だよ。そんな大口を叩ける身分では無いんだよね…。」

 駄目ですよ旦那様!そこは否定するところですよっ。俺にも余人には変え難いものはあるんだと見栄を張っていいのですよっ。苦しそうにうなずく旦那様を見て思わず励ましたくなりました。自分から酷い事を言っておいて、ずいぶんとまあ身勝手な事とは思いますが…。

 でも、そんな素直すぎる旦那様が私にとってはとても愛おしいのでず。ああ…このお方をますます外に出しては置けなくなりました。いつかきっと性悪な者に傷つけられる事になるでしょう。それは何としてでも避けなければ…。私は万感の思いを込めて…この身に宿る魔力を全て込めて語りかけます。

「でも…私にとってはただ一人の旦那様なのですっ!ほかの誰も替えが聞かない大切な旦那様なのですよ!
 酷い事を言って本当に申し訳ありません…。でも、ずっと旦那様のおそばにいて…ずっとお世話して差し上げて…ずっと一緒に幸せに暮らす事が私の心からの願いなのです…。お願いです!どうかこんな私を哀れに思ってください…。」

 私は何かおっしゃろうとされた旦那様をぎゅっと胸に抱きました。耳元でねっとりと語りかけ、優しい手つきで愛撫して差し上げます。旦那様の大好きな私の蛇体でしっかりと巻き付き、念入りに包み込みます。

 しばらくその状態でいましたが、旦那様はようやく体を弛緩させて私に身を委ねて下さいました。
 そろそろです…。
 あと少し…。もう少しで旦那様が堕ちて下さるでしょう。

「旦那様…。こうして差し上げると気持ちいいですよね?」

「……………」

 旦那様はもう何も言葉が出ない様です。恍惚とした目で私をご覧になるとこくんとうなずきました。

「そうですよね…。そう言って頂いて大変うれしいです…。もしお仕事を辞められれば、ずっとこうして差し上げる事が出来ますよ。私も旦那様をぎゅってするのはとても嬉しい事なのですから。」

 なおも私は旦那様の頭を優しくなでて差し上げます。ああ…なんとうっとりとした可愛いお顔をなさるのでしょう…。さらに深く堕として差し上げるべく私は畳み掛けます。

「あと…二度寝もし放題ですよ。とっても気もちよいですよね。二度寝って。私と一緒に心行くまでおねんねしましょうね…。
 そうです!これからは時間はあるのです。色々できるじゃないですか…。楽しくなってきましたね…。したい事は何でも言って下さいね…。」

 もちろんここで旦那様の不安を解消して差し上げるのも忘れません。私は優しく慰める様に語りかけます。

「今後の事については何も心配はいりませんよ…。会社へは私から申し上げます…。拒否なんかさせません!それと旦那様の心も体も私が責任を持ってお護りしますので安心して下さいね。
 ですから旦那様…。すべて私に委ねて…。心を楽にして…。ず〜〜〜っと一緒に気持ち良くなりましょう。ね………。」

 旦那様は溶ける様に笑ってくださいました。徐々に虚ろな眼差しになって行き今にも眠りに堕ちそうです。本当に素敵なお顔です。これからはずっとこのお顔を堪能できます。私は感極まって旦那様を胸に抱き、蛇体での締め付けを少々強めます。

「これからもずっと一緒ですよ…。旦那様。二人で幸せになりましょう…。お望みはすべて私が叶えて差し上げますので。心からお慕いしておりますので…。ね…。」

 旦那様の温かな体温を感じます。それがとっても心地よくて…。これからはこの心地よさが私だけのものになると思って…。その途端…。私の心の中に今まで感じた事が無い程の強烈な独占欲が沸き起こりました。ああ…もう絶対に離さない!何があっても!たとえこのお方の心を焼き尽くしてでも!

 知らぬ間に私の右手に青白い輝きが煌めき、魔力の塊が生み出されました。それは大きく燃え上がる炎めいた揺らめきを見せています。私は止めとばかりに旦那様にその炎を押し当てました…………
















 と、まあ…その後は多くを語る事は無いでしょう。これ以上旦那様を困らせたくは無いので、会社には私が出向いて退職届を出しました。一悶着ある事は覚悟していましたが、以外にもあっさりと退社を認めて下さいました。魔物が経営する会社故にこういう事が起こるのは織り込み済みだったようです。

 結局旦那様には私の…白蛇の魔力を注ぎ込んでしまいました。それも渾身の力を込めたものを…。それゆえしばらくの間はお互いの体を際限なく貪りつづけあいました。私にとっては喜ばしい事ですが。
 そんな爛れた毎日もある程度過ぎれば落ち着き、今は暇なときは一緒にお散歩や買い物に行ったりしています。今後の予定はゆっくりと考えて行けば良いでしょう。

 後悔はしておりませんが、私は旦那様の意思を無視して己の望むものにしてしまいました……。旦那様からも「君にこうされて良かった。ありがとう。」とお礼を言われて、無性に申し訳ない気持ちで一杯になってしまいます。
 償いと言う訳ではありませんが、これからは旦那様には望むことを、好きな事をしていただきましょう。旦那様の喜ぶお顔を見るのが、私にとっても何よりうれしい事なのですから…。無論その隣には私が常に控えているのは言うまでもありませんが。



 そして今…。旦那様は私に抱きしめられてお休みになっていらっしゃいます。穏やかな寝顔は見ていて安らかな気持ちになれます。そう…。私達はこれからずっと素敵な毎日を送るのです。
 旦那様。これからもよろしくお願いしますね。私はつぶやくと温かなお体をぐるぐる巻きにするのでした。










17/10/30 21:52更新 / 近藤無内

■作者メッセージ
明日からまた仕事ということで…。つい衝動が抑えきれずに書いてしまいました…。
私も白蛇さんに堕とされて、ずっとそばにいてちゅっちゅし続けたいです。

今回もご覧いただきありがとうございます。

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