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ミコトとの日々
                      

                         

「ミコトちゃん。そろそろいいかな?」
「もうちょっと待って。たーくん。」

 ある暖かな日の午後、今日は久しぶりに彼女と一緒に出掛ける事になった。彼女は僕にはもったいないぐらいの良くできた人だ。我ながら駄目な奴だと思う僕をいつも優しく支えてくれる。

「でも本当にここでいいの?たーくんの気が乗らないなら別の場所にしよう。」
「ううん。ここだからいいんだよ。だってここは僕たちにとって記念の場所だからね。」
「へえ。たーくんってそういう事言う人だったんだ。」

彼女がいたずらっぽく笑う。

「ミコトちゃんやめてよ。言ってから急に恥ずかしくなってくるじゃないか…。」
「ごめんごめん。でも気にしてくれていて嬉しいよ。」

 そう言って微笑むと僕の手を優しく握る。今から行こうとする所。そこで僕は自分を終わらそうとしていた。いまはその傷も癒え毎日を心穏やかに過ごしているのだが、それも僕の彼女、というか実際は保護者であり、ある意味僕の支配者と言ってもいいミコトちゃんのおかげだ。
 まさかこんな事になるなんてなあ…。手をつないで一緒に歩きながらあの時の事を思いだす。それは数年ぶりにこの故郷の街に帰ってきたときの事だ…



                          











 「さて、ミコトちゃんにメールしよう。」

 街に着いた僕はつぶやいた。久しぶりの帰省だが、生きてミコトちゃんに会うのも、この街を見るのもこれが最後だろう。もう疲れた。なにもかも嫌になった。惨めで情けない人生にこれでピリオドを打つ。せめて最後は生まれ故郷のこの街で迎えよう。
 
 彼女は地元の白蛇を祭っている神社の巫女で僕の幼馴染。いつも色々と世話を焼いてくれた。両親が事故で無くなった時も一緒に住もうと言ってくれたほどだ。そんな彼女にいつのころからか心惹かれるようになったが、ついに思いを伝える事はできなかった。
 
 すべてを投げ出すように街から出て行く時も親の様に心配してくれた。そして、もういちど一緒に住もうと言ってくれた。本当はその時に伝えたかった。君が大好きだと。ずっと一緒にいてくれないかと。でも結局何も言わずに街から出て行った。
 僕なんかと一緒にいてもミコトちゃんは不幸になる。彼女を幸せにする自信なんかまったくない。結局僕は臆病だったのだろう…。当時を思い出しため息をつく。
 
 気が付くと携帯が鳴っている。もうミコトちゃんから電話が入った。

「もしもしたーくん?どうしたの急に。」
「うん、ちょっと有給が取れたんで久しぶりに帰って来たんだけど…。ミコトちゃんは変わりない?」
「わたしはいつも通りだよ。特に変わりなし。」
「そっか。それはなにより。それで、ひさしぶりにそっちに行きたいんだけど…いいかな?」
「えっ!来てくれるの!もちろんいいよ!で、いつ来るの?すぐ来られるんでしょ?」

 ミコトちゃんの楽しそうな声を聞くと思わず嬉しくなる。

「うん。今からでもいいかな?」
「もちろん!それじゃあ、神社で待ってるね!」

 良かった。喜んでくれているようだ。最期にミコトちゃんの笑顔を見られればもう思い残すことは無い。

 何度も通った神社への道を歩く。良く晴れた穏やかな日。僕が消えて行ってもこの街は何事もなく存在していくのだと思うと無性に泣きたくなった。
 でも悲しい顔は見せられない。ミコトちゃんは昔から感の鋭い子だ。僕の些細な気持ちの揺れを敏感に見抜いた。隠し事なんか出来たためしはなかったな…。そんな事を考えていると不意に後ろから声がかけられた。

「たーくんおひさしぶり!」

 そこには大好きな人の笑顔があった。真っ直ぐな黒髪。切れ長の美しい瞳。昔と全く変わらない。

「え?ミコトちゃん?神社で待っているはずじゃ…。」
「うん、いつもたーくんはこの道を通ってくるでしょ。だからここまで来たんだよ。」

とっさの事で少し驚くも、僕はすぐに笑顔を作る。

「そっか。本当に久しぶりだね。何年振りだろう。でもいつもミコトちゃんは電話してきてくれるから、あんまり久しぶりって感じがしないんだけど。」
「それはそうだよ。こう見えてわたしたーくんの事心配してるんだよ。あのときも突然出て行っちゃうし…。」
「ま、まあこんな所で話すのもなんだから。ね?」

 話が長くなりそうなので僕は口をはさんだ。

「それもそうだね。家でゆっくり話しましょ。」

 神社も昔と変わらない佇まいだ。白蛇をかたどった岩も以前見たまま。古びているが掃除も行き届いている。ミコトちゃんの管理がよいおかげだろう。
 僕は清冽な空気を胸いっぱいに吸い込み、なつかしい光景を目に焼き付ける。ミコトちゃんはそんな様子を訝しげに眺めた。慌てて僕は話をそらす。

「あ、そういえばこの間メールしてきてくれたよね。同級生の花菱君と桜庭さん、とうとう結婚したって。」
「そうそう、好き合っているのにお互いの家同士が喧嘩しちゃってて、ずっと駆け落ちしていたんだよね。それでね…」

 互いの近況、友人知人の消息、そして忘れられない思い出話。久しぶりに会った親友同士の楽しいひと時は、あっという間に過ぎ去った。


「でも今日は急だね。本当になんの理由もないの?」
「言ったでしょ。休みが取れたから久しぶりに帰ろうと思っただけだよ。」

気づかれたか?本当にミコトちゃんの感は鋭い。

「たーくん、何か隠してない?わかっていると思うけど、わたし嘘を見抜くのは得意なんだよ。」

ミコトちゃんの言葉に思わず体が硬くなる。

「昔からそうだよね。何かあっても誰にも言わずに一人で抱え込んで…。たーくんのそういった所は長所でもあるけど、そばにいるわたしからすればとっても心配なんだよ。
 ねえ、たーくん。約束してくれる?きみが困っていたり、何かつらい事があったりするなら何でもわたしに言って。わたしなら色々と力になれるはずだよ?お願いだから約束して。」

 ミコトちゃんは僕の目を真っ直ぐに見つめながら語りかけた。昔と変わらない彼女の癖だ。そんな姿を見ると思わず全部打ち明けそうになる。
 いや、話したところで何になるだろう。結局は自分しかわからない苦しみだ。それと、この期に及んで(人から見れば)些細な悩みを打ち明けてミコトちゃんに軽蔑されたくない。もう、終わりにすると決めたのだ。潔く消えて行こう…。僕は精一杯の笑顔を作った。

「大丈夫だよ。気のせい気のせい!最近仕事で色々あって疲れちゃって。今日はその気分転換だよ。」
「本当に?無理していない?もしかしてわたしにも話せないような事なの?」
「心配してくれてありがとう…。でも本当に大丈夫だよ。」

じっと僕を見つめるミコトちゃんを見返してそう答える。

「わかった…。たーくんを信じるよ。」

 そっとため息をついたミコトちゃんは、なおも心配そうな顔で僕を見つめた。

「それで、この後は?もう帰ってしまう訳じゃないんでしょ?」
「うん。明日の午前中には帰るつもりだけど。」
「どう?それじゃあ今日はうちに泊まって行けば?」
「気持ちはありがたいけどホテルを予約してあって。」

 優しく気遣ってくれるミコトちゃんの好意は泣きたくなるほど嬉しかったが、それを受けるわけにはいかない。

「そんな、お金がもったいないよ。あ、もちろん夕飯もご馳走するよ。」
「それは嬉しいけど、今からだとキャンセル料も払わなきゃならないし…。それに女の子一人の家に泊まるっていうのもどうかと思うよ。」
「何を今さら。お互い隣り合った布団で何度も寝た仲でしょ。恥ずかしがることなんかないじゃない。」

 ミコトちゃんが呆れた様な声を上げた。

「い、いやそれはまだ子供だった頃の話だし。さすがに今はまずいよ。」
「なんで?お互い独り身だからいいでしょ?もしかして彼女でも出来たの?それともわたしと一緒に寝るのはいや?」

 さっきのようにミコトちゃんが僕の目を見つめる。顔は穏やかだが目は笑っていない。そういえば僕が街を出る時もこんな感じだった。このままここにいて。私と一緒に住もう。何度もそう説得された事を思いだす。

「そんな!彼女なんかいないし、嫌な訳ないよ…。今日一晩一所にいたら明日別れるのが余計に辛くなっちゃうじゃないか…。それと一緒に寝る、って僕じゃなかったら多分誤解されているよ。」

 これ以上一緒にいたら決心が鈍る。間違いなくすべてを打ち明けてしまうし、ミコトちゃんと離れられなくなってしまう。

「本当にわたしと別れるのが辛いって思ってくれるの?」
「あたりまえだよ。離れたくない。ずっと一緒にいたいよ。」
「だったら一緒に居よう。たーくんが街を出て行く前にも言ったでしょ。わたしに何も気兼ねしなくていいんだよ。」

 僕は言葉もなくうなだれる。ミコトちゃんはそんな姿を見て小さくため息をついた。

「そんなにわたしに遠慮するなんて、よほどの事情があるのかな?もしかして借金が返済できなくて困ってるの?それとも変な隣人に嫌がらせされているとか?まさか会社でパワハラでも受けているの…
 大丈夫だよ!心配しないでわたしに任せて!何があってもたーくんは絶対に助けてみせるよ!」

「頼むから落ち着いて。別にそんな事じゃ無いんだから。」

 急に興奮し出したミコトちゃんを慌てて静止する。こんなに僕の事を心配してくれるなんて本当に有難い。そしてそんな人のもとを永久に去って行こうとする事に後悔の念が沸いてくる。
 でも僕は彼女を幸せにはできない。それならばこのまま別れたほうがいい。

「わかったから。ミコトちゃんわかったから…。とにかく一度帰ってから色々考えてみるよ。」
「ほんとうに?たーくん。絶対連絡してくれるよね。変なこと考えていないよね?なんか嫌な予感がするよ。」
「もう、変な心配しないでよ。ミコトちゃんを置いてどこにも行ったりする訳ないよ。だから、ね。」

 心臓が締め付けられるような思いを隠して僕は笑う。

 結局引き止められて、ミコトちゃん宅を辞したのは夕方近くになってしまった。

「それじゃあまた。近いうち連絡するよ。」
「きっとだよ。必ず連絡してね。」

 ミコトちゃんは握った僕の手をなかなか放さなかった。

 最期の別れも済んだ。もう心残りは無い。向かったのはホテルなどではなく、街を望む丘の公園。ここは隠れた夕焼けの名所でカップルも集まる所だ。僕はここから眺める夕日が好きだった。つらい時はあの夕日の向こうに飛んでいけたら…などと愚かな夢想にふけったものだ。
 
 到着したらちょうど夕日が公園を染めていた。よかった。街が一番美しくなる時になんとか間に合った様だ。もう何組かのカップルが来ていたが構わずベンチに腰掛けた。人生の最後にこんなきれいな夕日が見られるなんて…僕は思わず涙ぐむ。
 そしてカバンからウイスキーのボトルを取出し直に飲みだす。僕の方にチラチラ視線を送ってくる者もいるが、それを無視してひたすら飲んだ。夕日が沈み僕は人生を終え、あとは夜の闇が降りてくるだけ…。そんな言葉が酔った頭に浮かぶ。飲み干し空になった瓶を捨てると、さらにもう一つ取出しひたすら飲んだ。
 
 いつの間にか真っ暗になり周りには誰もいない。遠くには街の灯りが輝いている。もういい、おわりにしよう。僕は薬を取り出した…。



                          

 








 
 わたしはたーくんを見送った。見えなくなる直前にたーくんが手を挙げてあいさつする。わたしも何度も何度も手を振った。
 
 彼とはまだ幼いころに出会った。当時から穏やかでそして繊細すぎるほどの子だった。彼は神社でよく一人で遊んでいたが、あまり友人もいなかったのだろう。白蛇としての知恵と力を隠し、一人で巫女として生きていたわたしとはすぐに仲良くなった。
 
 こんな壊れそうな子はわたしが守らなければ、それが第一印象だ。そして保護者としての気持ちが、特別な感情へと変化していくのにはそう長い時間はかからなかった。
 放っては置けないというのか、守ってあげたいというのか、とにかく一緒にいてずっと可愛がって、世話を焼いてあげたい。そしてわたしという者をたーくんの心身に刻み込んで、永遠に離れられないようにしてあげたい。そんな衝動を感じて慌てて打ち消すこともあった。

 彼の両親が生きていた時は平穏な生活を送っていたようだが、一度に両親を亡くしてからは相当苦労したらしい。わたしも陰ながら力を貸したが、そんな日々にたーくんは耐えられなかったのだろう。わたしが一緒に暮らそうと何度も説得したが耳を貸さずに街を出て行った。
 そう、あのとき無理やりわたしのものにしていればよかったのだ。わたしの、白蛇の炎をたーくんに注ぎ込めば喜んで一緒にいてくれただろう。でも、出来なかった…。
 
 これが昔ならばなんのためらいもなかった。わたしと一緒にいればこの世の苦しみの多くから解放されるのだ。何を気にする必要があるだろう。だがここ数十年、この世はどんどん生きやすく快適になっていった。心を縛って無理やりわたしのもとに置く事こそ苦しめる事になるのではないか。愛するたーくんにそんな事は出来ない。愛するがゆえに見守る愛もある。誰かが言ったそんな言葉を何度も繰り返し、わたしはたぎる気持ちを抑えつけていた。

 それがたーくんの今回の帰省だ。久しぶりの再会に喜んだら明らかにおかしい。たーくんからの助けを求める叫びが心に鳴り響いた。わたしはたーくんが街を出て行く前に術をかけていた。もし彼が困っていたり悩んでいたりした時は、わたしのもとに彼の心の叫びが届くのだ。わたしの力では術の有効範囲はせいぜいこの街の中だけだが、それでも何かの力になれればと思っての事だ。
 
 どうして、なんで何も言ってくれないの?たーくんと話をしている最中も叫びはますます大きくなる。思い切って直接聞いても笑って何も言ってくれなかった。でも、一人で解決できる問題ならわたしがでしゃばる必要はない。たーくんは大丈夫だと言っているのだ。それを信じよう。わたしは自分にそう言い聞かせ、たーくんを見送った。
 
 その後も叫びは一向に消えない。どうしようか?このままたーくんが街を出て行ってしまったらもう手の打ちようがない。電話して無理にでも理由を聞きだすか?気が付けばもう夜。とにかく彼が今どこにいるだけでも探っておこう。わたしは心の叫びがどこから発せられているか耳を澄ませる。
 
 公園?なんでたーくんは公園にいるの?あそこは夕日の名所だけれどそれだけの場所。夜になってからはだれも訪れない所だ。不安が増すと共に叫びもますます大きくなる。もう限界だ。何があったのか知らないが放っては置けない。わたしが公園に向かおうとしたその時だった
 
 絶叫。絶望と恐怖を綯い交ぜにしたような絶叫が心に突き刺さる。いけない。最悪の事態だ。もう一刻の猶予もない。わたしは白蛇本来の姿に戻り、たーくんの心の叫びに自分の意識を同調させると力を解き放った。
 一瞬の後、わたしの目に飛び込んできたのはベンチに倒れ込んでいるたーくんの姿だった・・・。

 












 
 たーくんは眠り込んでいる。あれからわたしの家に連れて帰り、解毒の術と治癒の術を使い一命を取り留めることが出来た。どうして気が付いてやれなかったんだろう。なんで何も言ってくれなかったの。色々な思いが頭を駆け巡る。
 肉体的には悪影響は残らないだろうが、たーくんの心は大丈夫だろうか。不安な思いは尽きる事が無い。だが、こうなった以上わたしが面倒をみよう。少しでもたーくんが元気になるようにお手伝いをしよう。
 
 でも、その先はどうなる。彼は普通にこの世を生きて行けるような人間じゃない。また傷つき苦しみ同じことを繰り返すだけではないのか。そのとき心に閃く。
 だったら、わたしのものにしてしまえ。わたしのこの炎をたーくんに注ぎ込め。そうすれば彼はもう苦しむ事は無く、私も愛するたーくんとずっと一緒にいられる。すべてが丸く収まるじゃないか。たーくんもきっと喜んでくれるはずだ。
 
 わたしは手に生じた青白い炎をじっとみつめる。いや、だめだ。これはたーくんの心を決定的に変えてしまう。そんな事は出来ない。同族の中には気に入った男の心を炎で縛り、半ば無理やり犯し続ける者もいるらしいが、私は彼女達とは違う。昔はともかく少なくとも今は違う。
 答えの出ない問いにどうしようか悶々としていたが、その時たーくんの目が明いた。わたしは慌てて駆け寄る。

「たーくん?大丈夫?わたしが誰か分かる?」
「ミコトちゃん?なんでミコトちゃんが?」

 もうわたしは何も言えなかった。たーくんに抱き付きひたすら泣きじゃくった。


「何があったか話してくれるよね。」

 思う存分に泣いて少しは気持ちが落ち着いた。

「ごめん。何も話すことは無いんだ。」
「ね、お願い。君の力になりたいんだよ。それに話すだけでも楽になると思うよ。」
「ミコトちゃんには今まで色々助けてもらったけど、今回は無理だよ…。」

 わたしはたーくんの目を見つめる。たーくんは視線を合わそうとしない。沈黙の時間が流れた。

「疲れちゃったんだよ。孤独で、惨めで、何の希望もない人生をこれ以上生きて行くのが…」

 根負けしたようにたーくんが話し始めた。普通の人から見れば些細な事だ。なんでこの程度で、と思う様な事だ。でもその程度の事で打ちのめされてしまうたーくんの弱さと繊細さをわたしはよく知っていた。

「ねえ。わたしではたーくんを助けられないかな?わたしは何があっても君の味方なんだよ。」
「こんなこと結局どうにもならないよ。僕自身が始末をつけるしかない問題だからね。それとも君が魔法でも使って何かを変えてくれるとでもいうのかな?ミコトちゃん?」

 わたしなら出来るよと言いかけた言葉を慌てて飲み込む。普段の彼はこんな棘のある物言いをしないが、それほどまでに追い詰められているのだろう。そうだ。たーくんの心を変えてわたしのものにしてしまえばいい。再びそんな思いを抱いてしまい必死に押さえつける。

「この街を出れば何かが変わると思ったけど何も変わらなかった。当然だよね。どこに行っても僕自身が情けない事には変わりないんだから…。  
 ミコトちゃん。せっかく君に助けてもらった命だけど、ありがとうとは言えないな…。僕は臆病だからもう終わりにしようか、もう少し頑張ってみようかずっと迷い続けてきたんだよ。それがようやくあっちの世界に行く覚悟が出来て、安らかな気持ちで旅立っていけると思ったのに、君に引き止められちゃった。今はもう覚悟も気力も無くなっちゃったよ。今度はいつ決行できるんだろうね。
 あーあ。もう嫌になっちゃった。今夜寝ている間に苦しまずに逝く事が出来ればありがたいんだけどね…。」

 たーくんは己を痛めつけるような言葉を吐き続けている。ずっと苦しいのを我慢していたのだろう。今回の事で心の箍が外れてしまったのだろう。でもお願い。止めて…。これ以上そんな事言わないで。わたし、もう自分が抑えきれなくなる…。
 
「お願い…。そんな悲しい事言わないで…。」
「この世に生まれてこないのが最善、生まれてきたのならすぐにこの世を去るのが次善、とも言うじゃないか。俺の様な人間は自分で自分を終わらさない限り安らぎは来ないんだよ。」

 たーくんの苦痛がわたしの心にも伝わってくる。わたしを頼ってくれていいんだよ…。もっと甘えてくれていいんだよ…。だから、お願い…もう…。

「もう止めてたーくん…。お願いだから…。」 
「止めるも止めないもそれが事実だから。」 

 そうか。たーくんはそこまで言うのか…。だったら何をためらう事がある。別にいいじゃないか。本人がいらないと言っている命じゃないか。もういい。わたしのものにしろ!わたしだけのたーくんにしろ!それがたーくんのためでもあるはずだ。いや、だめだ。たーくんの一生を奪う様な事はしてはいけない!
 数多の心の声が叫びつづける。そして、とうとう私の中の何かが切れた。

「わかった。それならたーくんの事、わたしがもらうね…。」

                           

                        

 









 僕は思わず黙り込む。えっ?何を言っているんだろう。状況が呑み込めなかった。それと鳥肌が立つようなぞっとするような声。ミコトちゃんのこんな声を聞くのは過去に全く経験が無い。

「どうせ捨てちゃう命なんでしょ。もういらない命なんでしょ。だったらたーくんの事はわたしのものにするよ。」

 いったい何を、と言おうとした僕の前でミコトちゃんが光に包まれ変化していく。自慢の黒い髪は雪の様な白さに、瞳は血の様な朱色に、もともと白かった肌はさらに透き通る様な白さになっていく。そして、二本の足が溶けるように一つになり、蛇の様な白く長い体を形作っていく…。あまりの異常事態に僕は黙ってミコトちゃんを見つめるしかなかった。

「ん?どうしたのかしら。ユキタカくん?黙りこくっちゃって。」

 ミコトちゃんに声をかけられふと我に返る。そして以前見た図鑑の1ページをおもいだす。これって、ラミア?
 変わったのは姿だけじゃない。纏っている空気に近寄ると押しつぶされそうな、そんな錯覚すら覚える圧迫感だ。

「ああ、私のこの姿の事?見ての通り私はシロヘビ。この神社に神として祭られている存在よ。色々聞きたい事もあるでしょうけれど、それはまたおいおい説明するわね。」

そういってミコトちゃん?は今まで見た事のない様な皮肉な笑みを浮かべた。

「なんといっても私とユキタカくんにはこれからたっぷりと時間があるんだから。何も急ぐことはないわよね。」
「ミコトちゃん?ミコトちゃんなの?君はミコトちゃんなんだよね!?」

 恐怖に襲われて思わず大声で叫んでしまった。まさか…もしかしてミコトちゃんは魔物娘?この街では人と魔の共存は良く思われない。僕自身も全くと言っていいぐらい彼女達に出会ったことが無かった。
 街を出てからは当たり前のように会うようになったし、成人向けの魔物娘作品で自分を慰める事も多くなった。だが、それでも心の中には魔物に対して、不安と恐れに近い感情を持っている事を否定できない。

「怖いのユキタカくん。私は間違いなくミコトだから。人としての私は仮の姿。これが本来の姿だという事よ。」

 いつの間に目の前に近づいてきたミコトちゃんは、そーっと顔をなでる。そして、長い蛇体で僕の体に巻きつき、ぎゅっと抱きしめる。

「さて、これからどうしましょうか?もっと締め付けて欲しいのかしら?ユキタカくん。暴れちゃ駄目でしょ。」

 突然異形の体に抱きしめられた僕は思わず反射的につきとばしそうになる。そして、衝動的に酷い言葉を言い放ってしまった。

「はなせ化け物ッ!!」

 ミコトちゃんの動きが一瞬止まった。くしゃっと顔がゆがみ、泣きそうになったがそれはすぐに消えた。そして瞳に残酷な光が宿る。混乱している状態とはいえ、いったい僕は何てことを言ってしまったのだろう。いや、混乱しているからこそ正直にモノを言ってしまったというべきか。

「そうね。確かに私は人外の魔物。化け物と言われても仕方がないわ。でも、何を言われたからと言ってわたしは絶対に諦めない!ユキタカくんはもう私のもの!ずっと願い続けてきたものがようやく手に入ったのよ。もう絶対に手放さない。ユキタカくんは私のもの!!それに私のものになる事こそユキタカくんにとっての一番の幸せなのよ。だからユキタカくんは私のものにならなければいけないの!それがユキタカくんにとって最良最高の選択なの!」

 僕の言葉がミコトちゃんに火をつけてしまったようだ。彼女はどんどん興奮していく。同時に僕に絡みつく蛇体の締め付けが強くなり言葉を発する事も出来ない。僕ははただなすすべもなく見つめるしかなかった。

「どうやらユキタカくんには少しおしおきする必要があるわね。ね…。これはなにかしら?」

 ミコトちゃんはおもむろに手をかざす。そしてたちまちそこには青白い炎が燃えさかった。もしかして僕を焼こうというのか?どうやら取り返しのつかない状況に陥ってしまったようだ。恐怖のあまり顔が引きつるのが自分でもわかった。

「へぇー。ユキタカくんこわいの?さっきまであれほど死にたい死にたいって言ってたじゃない。これで憧れの彼岸にいけるかもしれないのよ。ユキタカくんにとっては望むところじゃないの?火傷するぐらいどうってことないはずよね。それとも死にたいは口先だけなの?かっこわるいわねー。」

 ミコトちゃんは赤い瞳に嗜虐的な輝きを浮かべている。そしてひたすら嘲笑し続けた。日頃の彼女から想像もできないふるまいに僕はただ困惑するばかりだ。

「さーて、どこを焼こうかしら?毎日毎日指を一本ずつ焼いていこうかな?それとも全身火傷させた上に塩水をかけて、ユキタカくんが、お願いだからもう殺してー。って泣き叫ぶのを聞くのもいいわね。おしおきにならないから殺すようなことは絶対にしないわよ。危なくなったらちゃんと治療してからまた火傷させてあげる。」

 あまりの恐怖に頭から血が引いていく。そして急に胸にこみ上げてきたものをミコトちゃんの蛇体の上に盛大に吐き出してしまった。ああ、これから地獄のような毎日がはじまるのか。

「えっ?いや、ちょっと。どうしたのたーくん?ねえ。大丈夫?」

 突然のことに慌てたミコトちゃんが僕を解放し横たえる。そして体に着いた汚れをふき取り優しく介抱してくれた。どうやら拷問されることは無さそうだ。よかった…。思わず胸をなでおろす。

「色々ありがとう。汚しちゃってごめんね。」
「ううん。謝るのはわたしの方だよ。本当にごめんね。やりすぎた…。ちょっとおどかすだけだったんだよ。たーくんを傷つけるような事は絶対にするつもりなかったから…。」

ミコトちゃんは僕を優しく抱きしめてくれている。本当に申し訳なさそうだ。ようやく混乱していた心が落ち着いた。すこしひんやりとした蛇体がとても気持ちいい。口調も雰囲気も普段通りに戻ったミコトちゃんを見て恐怖心も消える。

「あの…さっきは酷い事言ってごめん…。こんなこといって許してもらえるとは思わないけど…。」
「もういいんだよ。急にあんな事になれば誰だって驚いちゃうよね。仕方ないよ。」

 ミコトちゃんが優しく頭を撫でてくれるので、ついうっとりとしてしまう。先ほどとは打って変わった慈愛に満ちた笑みを見ていると、知らぬ間に僕の心は安らいでくる。

「そう言ってもらえれば救われるけど、でもミコトちゃんすごく怒ってたよね。」
「わたしが怒っているのは本当だよ。でもさっきたーくんが言った事なんかじゃないの。いや、少しはあるけど…。」

 そういってミコトちゃんは僕の目を見据える。今にも泣き出しそうな瞳に驚く。

「なんでわたしに何も言ってくれなかったのかって事。」
「たーくんは言ったよね。本当に大丈夫だって。その言葉をわたしは信じたんだよ?君のしたことはわたしの事も結果的に裏切ったことになるんだよ。」
「ミコトちゃん違う…。」

 あわてて言い訳しようとした僕をミコトちゃんは手を挙げて制した。そして穏やかな表情でかぶりを振る。

「わたしはたーくんのためなら何でもするつもりだったよ。君の悩みも苦しみもわたしなら解決することが出来た。もちろん人としてのわたしは力も限られるけど、なんで話すだけでも話してくれなかったの?昨日お願いしたよね?
 それともさっきたーくんが言ったみたいに、わたしなんかに話してもどうしようもないって思ったのかな。」

 ミコトちゃんは語り終えると寂しそうに微笑む。その笑みを見て申し訳なくなった僕は必死で訳を話す。

「違うんだよ…。つまらない悩みを話してミコトちゃんに軽蔑されたくなかったし。これ以上迷惑をかけたくもなかった。決めた以上は潔く消えて行きたかったんだよ。僕は君と一緒に居る資格なんかない。」
「ほらっ。昨日言ったでしょ。たーくんの悪い癖。何も言わずに一人で抱え込んで。どんな馬鹿げた悩みをもつたーくんでもいないよりはそばにいて欲しい。思わず軽蔑してしまうようなたーくんでも死んでしまうよりは生きていてほしい。たーくんがどんな人間であってもわたしは一緒に生きて行きたいんだよ。」

 決して責めるような口調ではなく、ミコトちゃんは僕に優しく諭すように語りかける。いつしか目には涙が浮かんでいた。

「ごめん、悪かったよ。本当にごめん…。」

 自分の行為がどれだけミコトちゃんを傷つけてしまったかようやく気が付く。僕も涙が抑えられず、彼女の胸に顔をうずめた。つくづく自分は馬鹿な男だ。

「もういいよたーくん。馬鹿なたーくんでいいんだよ。生きていてくれただけで嬉しい。」

 え?また僕の気持ちを読んだのか?本当に鋭い子だな…。そんな事を思う間もなくミコトちゃんは僕を抱きしめ返した。蛇体の心地よい圧迫感が体を包む。



                           










 「それでね。随分話がそれてしまったけど。」

ミコトちゃんが苦笑する。確かにそうだと僕もつられて笑う。

「やっぱり君をこのまま放っておけない。またいつ死神にとりつかれちゃうか心配だよ。ねえ、たーくんは色々疲れちゃったんだよね。だったら何にも心煩わされる事ない平穏な毎日が送れると言ったらどうする?」
「そうあって欲しいけど、生きている限り手に入りそうもないね…。」

 僕は力なく笑う。

「気が付いたかもしれないけど、本当の私は色々な力があるの。君をその苦しみから解放してあげることも出来るんだよ。だからその代りわたしのものになってくれるかな?これからは君の事はいつまでも護り続けるし、つらい思いもさせないから。
 ていうかたーくんがどれだけ反対してもわたしのものにするよ。これで決まり。」

 『わたしのもの』という強烈な支配欲を感じさせる言葉が若干気にはなったが、そう言ってくれて素直に嬉しかった。

「ありがとう。ミコトちゃんならきっと優しいご主人様になってくれるよね。」
「ん?何の事かな、たーくん?」
「だってミコトちゃんは僕の事を、わたしのものにする、って言ったよね。だから。」
「もう!ばかなこと言わないで!これは…わたしの彼氏に、恋人にするって言っているんじゃない…。」

 自分が何を言ってしまったか気が付いたかのように、はっとした表情を見せてからもじもじして、何度も僕から視線を外した。だが、ミコトちゃんはとうとう意を決したように話し出した。

「好き……。たーくんの事がずっと大好きだった……。」
「ミコトちゃん…。」

 ミコトちゃんは顔を真っ赤にして俯き、そして拗ねるように言った。そうだったのか…。
 姿かたちはどうであれずっと大好きだった人だ。そんな人がここまで僕を想ってくれるのだ。有難く受け入れよう。でも、これだけは言っておかなければ…。

「ねえミコトちゃん。君にそこまで想ってもらって嬉しいんだけど…。」
「なあに?」

「僕はどうしても自分にそこまでの価値があるとは思えない。僕はこんな些細な事で自ら命を捨てようとする臆病で弱すぎる人間なんだよ。君の買被りとしか思えないよ。」

「あのね、たーくん…。」
「僕はミコトちゃんに失望されるのが怖い。このまま一緒になっても将来は君に幻滅されるかもしれないのが怖い。僕は…。」

 すると、ミコトちゃんがいきなり僕の唇を奪った。あまりの事に言葉を失ってしまう。思わずまじまじと彼女を見つめた。僕はずっと彼女とキスできる事を願っていたのだ。皮肉な事にこういった事は突然訪れるのだろう。

「ねえたーくん。人の世界では美人でも、魚から見ればどうかな?鳥は?獣は?一体どれが本当の美しさを知っているのかな?」
「ミコトちゃん…。」
「確かに世間の人は君を評価しないかもしれない。でもそもそもわたしは人じゃないから、そんな価値は全く意味が無いんだよ。わたしはたーくんが大好きだし、君と一緒にずっと生きて行きたい。それで十分じゃない?」

 ミコトちゃんは朗らかに笑うと安心させるかのように何度もうなずく。そうだ。彼女はいつもこの優しい笑みで僕を安心させて、心に安らぎをもたらしてくれたのだ。
 今回も急激に自己嫌悪と劣等感が消えていくのを感じたが…それでもまだなお心に暗い念は燻っていた。

「ありがとう。ミコトちゃん。でも君が知らない僕の醜い面なんていくらでもあるから…。」
「たーくんがそこまで心配しているならあえて言うけど、わたしは君が心に秘めた思いや衝動を君以上に知りぬいている自信があるんだよ。だからいまさら失望や幻滅するなんてことはありえないの。安心して。」
「本当に?僕以上に僕の事を?それはちょっと信じられないな。」
「そう思う?」

 ミコトちゃんがいたずらっぽい表情を見せたので僕は少々不安になる。

「それならたーくんがどんな性癖を持っていて、いつも何をオカズにしているか教えてあげようか?」
「へっ?い、いったい何を言うんだよ!」
「だって信じられないんでしょ?それならその証拠を見せてあげる。」

 ミコトちゃんの目は先ほど僕を脅かしていた時と同じ光を帯びている。ああ間違いない。これは何もかも知っている目だ。全部知られているな。そう確信させる何かを感じてしまい背中に寒気が走る。

「わ、わかったから。信じるから。もう言わないで!」
「えー。遠慮しないでいいんだよ。教えてあげるよ。」
「ほんとにいいってば!」
「たーくんとわたしの仲じゃない。恥ずかしがらないでいいんだよ。」

 ミコトちゃんは笑い出した。どうやらからかわれていたらしい。もう、かなわないな…。思わず僕も苦笑してしまう。

「ごめん。僕が悪かったよ。ミコトちゃん。どうしようもない人間ですが、こんな僕で良かったらもらってやってください。よろしくお願いします。」

 僕はミコトちゃんがいつもするように真っ直ぐに目を見つめてから頭を下げた。そうだ…これからはミコトちゃんと一緒に生きていこう。
 思いもよらぬ形であるにせよ、ずっと好きだった彼女への思いがかなったのだ。

「はい、こちらこそよろしくお願いします。大丈夫だよ。わたしがたーくんを幸せにするからね。安心して。」

 ミコトちゃんは僕の手を握ってにっこりとほほ笑む。僕は思わず見とれてしまう。ミコトちゃんが今日はいつも以上に美しく感じる。



                         
                           











「で、これからたーくんはわたしのものになる訳だけど…。」
「え?僕はもうミコトちゃんのものになったつもりだったけど?」
「そう言ってもらえるとうれしいな。でもその前に一つもらって欲しいものがあるの。」

 ミコトちゃんは真剣な表情だ。え、それってもしかしてミコトちゃんの初めて…。緊張と期待を抱く色欲まみれの僕。

「ああごめんね。たーくんが想像している物じゃないよ。」

ミコトちゃんは苦笑する。本当に鋭すぎる。っていうか心でも読んでいるんじゃないだろうか。

「わたしの初めてをもらえるんじゃないかと思ったんでしょ。でも悪いねー。わたしって君が思っている以上に長生きしているので、それなりに経験あるんだよ。」

 そんなこと言わなくても…。僕は顔が真っ赤になる。
 
「ミコトちゃん…。そんなこと僕の顔にでも書いてあった?」
「うん、はっきりと!」
「い、いや違うよ!僕は別に君と一緒にいられさえすればいいよ。初めてかどうかなんて関係ないって!」
「大丈夫。わかっているよ。いいからいいから!」

 やれやれ、この分では先が思いやられる。でもミコトちゃんが楽しそうにしているので僕も嬉しい。

「ごめんね。また話がそれちゃった。で、もらってもらいたいものはこれ。」

 ミコトちゃんは手をかざす。するとたちまち先ほどの青白い炎が燃え上がった。え、どういう事?またミコトちゃんの気が変わったのか?僕が恐怖に包まれるより早くミコトちゃんに抱きしめられた。そして息苦しいほどに蛇体が絡みつく。

「怖がらないで。大丈夫だよ。これはたーくんを傷つけるものじゃないよ。」
「え、でもさっきは…。」
「言ったでしょう。あれはちょっと脅かしただけ。本当は熱くもなんともないんだよ。」

 そう言ってミコトちゃんは笑う。確かに彼女が僕の目の前まで炎を持ってきてもわずかな熱気すら感じない。

「これがたーくんを苦しみから解放してくれるの。これからは安らかな気持ちで生きて行くことが出来るよ。それとこれはわたしとたーくんの絆が今以上に強まるから、二人でずっと仲良く幸せに暮らせるんだよ。」
「あ、一応言っとくけど、断ったら無理にでも受け入れてもらうだけだから。でも、そうする事がたーくんにとっての一番の幸せだと信じているよ。」
「つまり、どちらにしても僕には選択権は無いと?」
「もちろん!」

 自信満々に答えるミコトちゃんを見て力が抜ける。でも、ずっと見守ってくれて命まで助けてくれた。僕の大好きなミコトちゃん。そんな人の言葉を疑わなければならない理由は無い。

「ミコトちゃんの好きにしてくれていいよ。一緒に穏やかな毎日が送れるなら、僕は君に血と魂も捧げるよ。

 恥ずかしいセリフを言った照れ隠しにミコトちゃんをぎゅっと抱きしめると、僕の体に巻きついた蛇体も軽く締め返される。

「もう、わたしはそんなひどいこと言わないよ。でも、嬉しいよたーくん…。これからはずっと一緒だよ…。」

 炎を纏った手が僕の体に優しく触れた…。



                          











 たーくんは静かな寝息を立てている。随分と疲れている様だ。あれから彼とはずいぶん長い間愛し合い続けた。わたしは愛する人の精を受け入れる喜びに久々に酔いしれ、たーくんを思う存分に何度も何度も搾り取ってしまった。
 十分な休憩と栄養補給は取ったつもりだが、色々なことが一度に起こったたーくんにとっては重い負担だったのだろう。ごめんね。たーくん。思わず彼に口づけする。
 
 わたしはため息をつく。あれほどたーくんには何でも話してと言ったのに、わたしは隠し事をしてしまった。彼に注ぎ込んだ炎、あれはわたしとたーくんの絆を深めるどころの代物ではない。彼の心を縛り、ずっと私を求めさせ、未来永劫に離れられなくするだろう。わたしはそのことを話せなかった……。
 
 でも、嘘は言っていない。無理やりにでもわたしに心を向けさせなければ、ずっと彼の心は苦しみに囚われ続けるだろう。そしてまたいつか今回の様に破滅的な行為をしてしまうとも限らない。
 それと、お人よしで内気なたーくんの事だ、世間の性悪な女に騙されるか、ずっとひとりぼっちかの二つに一つ以外は考えられない。それならばわたしが面倒を見たほうがいい。これはたーくんに幸せになってもらう為にはやむをえないことだ。そうだ、隠しはしたが嘘は言っていない…。
 
 全く。我ながらなんという詭弁だろう。そもそも彼の心に安らぎをとりもどそうとするだけなら、わたしの治癒の術で十分なはずだ。どんな女性を選ぼうともたーくんの意思を尊重するのが本当の愛のはずだ。私は彼が危険に陥らないように見守っていればいい。
 
 早い話、たーくんの苦境をこれ幸いにして私のもとに縛り付けただけなのだ。これでは嫉妬深く淫乱な同族逹と全く同じではないか。思わずもう一度ため息をつく。
 でも、彼を幸せにできるのは私だけ。繊細なたーくんが毎日を安らかに生きて行く事の手助けができるのも私だけ。わたしは決して間違った事はしていない。この信念だけは今でも全く揺らぎない。
 
 まあいい、今さら何を考えても無意味だ。とにかく、ようやく彼と一緒に生きて行ける。これからはずっと一緒にいることが出来る。たーくんと一緒に幸せな毎日を送ろう。わたしはたーくんを抱きしめ、全身を蛇の尾で絡みつける。暖かな体がとても気持ちいい。



                          











「んふふ…。たーくんあったかいよ。」

 ようやく目的地の公園に到着した。早速ミコトちゃんがぎゅっと僕を抱きしめてキスをする。周りには数組のカップルもいるが、僕たちの様に堂々と抱き合っている人はいない。ちなみに今回の様な外出時にはミコトちゃんは人の姿を取る。

「ちょっとミコトちゃん。周りに人が居るんだよ。恥ずかしいよ…。」
「大丈夫だよ。わたしが結界を張っているから。周りの人たちは私たちに全く意識が向いていないよ。」
「本当?でもなんか気になるなあ。」
「へー。そんなこと言うと結界を解いて、周りに私たちの熱愛ぶりを見せつけちゃうよ。」
「わ、わかったからそれはやめてよ…。」
「うそうそ。冗談だよ。ほんとたーくんって可愛いね。」

 ミコトちゃんは微笑むとまたキスをして舌を差し入れる。僕はうっとりして舌を吸い、そして夢中になって絡ませ続ける。

「これ以上するともう我慢できなくなっちゃう。」
「いいよたーくん。我慢することないよ。本当に周りの人からは気づかれないよ。」
「ごめんね。ミコトちゃん。」
「どうしたの?」
「毎日毎日したくなっちゃって。でもなんか変なんだよ。いつもミコトちゃんの事しか頭にないんだ。」

ミコトちゃんは僕の頭を抱いて優しくなでてくれる。

「ねえ。たーくん。たーくんがわたしのものである様に、わたしもたーくんだけのものなんだよ。だから遠慮なんかいらないよ。いつでも君のそばにいるから、したい時は言ってくれればいいの。」

そんな言葉を聞いて我慢できるはずはない。僕はたちまちミコトちゃんにむしゃぶりついた。



                            











「あー。良かったー。激しかったね。ケモノみたいなたーくんも好きだよ。」
「いや、そんな…。本当にこんなところでごめん…。」
「もー。何度も謝らないの。遠慮しないでいいって言ったでしょ。ね。」

 以前のミコトちゃんは物静かで憂いを帯びた雰囲気が印象的だったが、僕が彼女の「もの」になってからはずっと天真爛漫な姿を見せており、その変化に驚いている。毎回今日の様にやられっぱなしなのだが、いつもにこにこしているミコトちゃんを見るのも大好きだ。
 
 そういう僕も変わった。あの炎の影響だろう。いつも心を責め苛んでいた思いが消え去り、安らかな毎日を送っている。かわりにあるのがミコトちゃんへの思い。気が付けばずっと彼女の事を考えてしまい、いつも一緒にいたくて仕方がない。そしてそんな僕の思いにこたえてくれるかのように、ミコトちゃんもずっとそばにいてくれる。
 正直に言えば心の一部が自分のものではないような違和感が付きまとっているが、今までの悩みに比べればそんな事は些事にすぎない。
 
 いつの間にか日が沈み、西の空が赤く染まる。僕はただその光景に見入る。前回訪れたときはただ悲しさと絶望だけ。見ている景色は同じなのにこうも変わるとは。そしてすべてを変えてくれたのはミコトちゃんのおかげだ。

「見て。たーくん。綺麗な夕焼けだねえ…。」

 ミコトちゃんも感じ入っている。僕はその姿に思わず見入る。本当に綺麗だ。ミコトちゃん。

「ん?なあに?たーくん。」
「そうだね。本当に綺麗だね…。」







17/10/30 21:53更新 / 近藤無内

■作者メッセージ
拙い文章ですが最後までご覧いただきありがとうございます。
これが初投稿です。皆様の素晴らしいSSを拝見していたら、自分も意欲が抑えきれなくなりました。
当初ミコトはもっとシリアスな性格になるはずでしたが、結局明るい世話焼きおねえちゃんになってしまいました。すみません。私、世話焼きおねえちゃんが大好きなんです…。


最後になりましたが、ぜろトラ!様が描く甘々お姉ちゃんシロヘビ、永江さんを拝見した事が、私がシロヘビSSを書こうと思う直接のきっかけとなりました。
背中を押してくれたぜろトラ!様とここまで導いてくれたなが姉ちゃんには厚くお礼を申し上げます。

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