第二章 上・リリム様ご一行!
《オズ、力を貸してくれ》
《当然だ。リチャード陛下》
やり取りを水晶を通して見る者が数人。それは全てが異形であった。
その一人、リリムは最高の魔物である。それは最強を必ずしも意味しない。
地上の王者ドラゴン、間違いなく最強の魔物だ。それは必ずしも最高の魔物を意味しないことと同じく。
だが、極まった媚貌と、その才覚は例え魅了をせずとも、価値観の違いが無ければ間違いなく引く手数多であろう。歴戦の勇者ですら跪かせる事を強要するその魅了の性質は、対人戦は疎か対軍団用としても運用できる最強の剣である。
しかし、それで本当に彼女の望む伴侶は手に入れられるのだろうか。
否、彼女は人間を酷く、溺愛とも言って良い程に愛している。まるで出来の悪い弟妹に頼られる兄姉の様に、乳飲み子をあやす母の様に、彼女は人間の在り方を愛している。酷く冷えて、燃え盛る敵意すらも、いかなる手をも許容し、その制裁をも、受け入れる姿を、彼女は愛した。
「――決めたわ。この方こそ。私の伴侶となるべき方」
「難物が好みじゃのう、お主は。最大戦力がそがれる事を意味しておるが、まあ良かろう。姫様一人おらんでも十分戦えはしようからの」
異様な程に背の低い女が、呆れた様に、同時に納得したように言った。彼女はリリムの参謀であるバフォメット、普段サバトで見せる様な呑気さは欠片も無く、見た目に不相応な鋭利な思考を見せる。彼女は自ら戦場に出る事を禁じた。魔物軍は、この時点で最高の戦力を喪った、だがそれは、魔物達にとって、至極当然と受け入れられることであった。
「ええ、あの方の戦場を、魅了等で終わらせることなど、無粋の極み」
彼女が抱くは狂おしい程の愛。今ここで飛んで行って愛を叫びたい。魅了して、その豊かな胸元に飛び込ませ、その身が痛むほどに、強く抱きしめたい。
――その様な事が出来ようか。
否、出来はしない。愛すれば愛するほどに、この儘ならない身が呪わしく、愛を叫ぶこの魂が、何よりも愛おしい。あの人の冷酷なまでの忠誠心を其の侭に、私もその中に、含んで欲しい。
――愛する人と共に、その人が愛した物を者を――全てを愛したい。
「戦場に出りゃあすぐ終わるのに、リリム様は難儀だなあ」
「口が過ぎるぞ、カンナ」
黒い体毛を持った魔獣、ヘルハウンドのカンナが鎧に身を包んだ魔物、デュラハンにその物言いを咎められる。
「まあ、正常な判断じゃろうな。あの様な堅物、例え魅了したとしても残るのは殺意や悪意と言った、害意じゃ。一国と引き換えにダークマター級の爆弾を抱えるのは御免じゃて――」
「――ならばこそ、力攻めなどはせず、わらわ等は魔物らしく、手管の限りを尽くして陥落させようぞ。恐らく休戦直後にもう姫殿下が来たことは知られておらん様じゃ。このままリリムなどまだ来ていないことにして進めようぞ」
――ああ、なんと儘ならないことか。
ぞくりと、リリムは震えた。怖気ではない、興奮だ。ここから先は、彼と、私の競争だ。彼が私たちを追い出せば彼の勝ち、私が彼を堕落させれば私の勝ち。しかし、姉妹が良くやる様に、直接乗り込むのはご法度だ。姿を見せる事は必要だと彼女は考えた。
しかし、見せすぎるのは良くない。油断すれば一切の躊躇いなく斬り捨てるだろう。そう、一回、最初の遭遇だけで、オズワルドの脳裏に焼き付く程に、私と言う存在を刻み込まなければならない。寝ても覚めても、警戒し、思考から追い出させない。
――――――――――
ふと、カンナが疑問を口にした。
「そう言えばさあ、どうして塞国なんかに戦争を仕掛けたんだ? “顎”の要国でも“尾”の基国でも良かったと思うんだけど」
「カンナ、貴様の脳足りんっぷりにはため息すら出ん」
「ああ? ならそう言うお前こそ、理解してんのかよ」
欲望のままに生きるカンナと忠義に凝り固まったこのデュラハンとでは、仲が悪い、もっとも何となく気が合わない、と言うだけの事だが。
「――当然だ! ツェツィーリア殿下の考える事は全て正しいからな!」
いやその結論はねーよ。とカンナは吐き捨てた。脳足りんとこのデュラハンはカンナの事を評したが、そう言う自分も脳足りんではないか、と。
「まあ待てエルウェン、喧嘩はするでない。カンナの言う事も尤もじゃて。そうじゃのう。まずその二つの国家と、塞国の違いを考えて見ようかの」
地図を広げて、バフォメットが机に乗り出して指示する。その地図は、竜の背は疎か、竜の顎、竜の尾も含むことが出来る程大きいものであった。
「さて、ここが要国、そしてここが基国じゃの、そして塞国の間には決定的な差があるのじゃが、何でも良いから言ってみると良い」
「えーっと、オズワルドっていう勇者並みの武人? 結構噂は聞くけどそんなに強いのかよ」
「まあ、その回答だけでは及第点はあげられんのう。まだある」
カンナが頭を捻って考える。よくよく乱暴だと言われるヘルハウンドだが、彼女の様に効率的に狩りをする為に、考える癖を付けたヘルハウンドは居なくはないのである。尤もこれはツェツィーリアの躾の賜物であったが。
「……何してんだ?」
「頑張るカンナにわらわからのヒントじゃ」
何故か先ほどからジャンプを繰り返すバフォメットに、言わんとする事にカンナは気付く。
「高低差?」
「そうじゃ。要国も基国も山岳と言う程高い場所ではない。ほぼ平地同然じゃ、正直な所。ここを制圧しても勇者が来ようものならあっさり取り返されかねん。特にオズワルドの親友であるパーシヴァルと言うのが間違いなく来るじゃろうなあ。そして、一方の塞国じゃが、ここはじゃの」
とんとん、と白のコマ――リリムをイコン化したものを、竜の背の入り口に置いて、青いコマ、人間側の戦力を示すものを街道から少し離れた地点にいくつも置いて、その理由の一つを語る。
「塞国は天然の要害じゃ。護りやすい地形じゃが、逆に言えば、環境が寒冷で、大気が薄く、厳しいという事でもある。こう言った地形に慣れている勇者はそう多くは無い。理由は勿論高山病等の環境から来る病じゃな。じゃが此方にはそう言った地形に強いのが多く集まっておる。条件は寧ろ彼の二国を攻めるよりも良いぞ」
成程、確かにヘルハウンドの多くは高原に住んでいるし、今回の侵略部隊も高所に強い魔物が多い。だがそれだけでは理由にならないとカンナは思った。
「でもよ、パーシヴァルってのを呼ばれたら、間違いなく負けるんじゃないのか?」
「お前らしからぬ、弱気な発言だな」
「クレバーって言ってくれよ残念脳筋」
二人組の喧嘩を、咳払いで収めると、バフォメットが二つ目の理由を話す。
「そうじゃの、パーシヴァルまで来られたら勝てん。それこそ、物の例えじゃが、それこそデルエラ様を呼ぶような事態になりかねん――じゃが、来ない事は調査済みじゃよ」
「何でだ?」
カンナの疑問は至極もっともだ。パーシヴァルを出せば間違いなく勝てるのに、出さない。不思議でならなかった。
「強すぎる上に、塞国に同情的じゃから、じゃよ。オズワルドの親友、と言うのがネックなのじゃ。仮に派遣されたのならパーシヴァルが教団に牽制をかけるじゃろうな。そうすると
背後の脅威から放たれたオズワルドはわらわ達の兵站に襲撃を掛けるじゃろう。そうすると侵略側であるわらわ達は不利じゃ。しかしそんな事は教団側もしっかり判っておろう。教団は塞国に圧力を掛けつつ、塞国を使うためにはオズワルドが塞国に残らなければならぬ。勿論教団からしてみれば塞国からオズワルドが出て行けば万々歳なのじゃが、アーサー王子も出奔した故、あり得んじゃろうな」
「味方をけん制するのかよ。良く判んねえなあ。“せいじ”ってのは」
「まあ、気になる殿方がおったとするじゃろう。しかしライバルがそこに一人。そうすると?」
「どっちも食っちまえば良いだろ。メンドクサイ」
「……そういう事じゃないのじゃが……、まあ兎も角、パーシヴァルを出したが最後、教団は塞国を取り込むことが不可能になってしまう。つまり、教団は出さないし、パーシヴァルが出ない限りはオズワルドも塞国に貼り付けになる。という事でわらわ達は旗印としては兎も角、戦力としては二流三流の勇者を相手にするだけで済む。まあオズワルドが居る限りは旗印にもならんがのう、ニシシ」
「オズワルドってのは何度も聞くけど本当に強いのかよ。何度も強い強い言うけどよ」
「カンナはドラゴン数頭を、しかも油断も隙も無くて、空から絶対に降りて来ないのを相手に出来るかの? まあ最初は1頭ずつじゃが、最後は3頭が相手じゃ」
「無理」
バフォメットに問われて速攻でカンナは否定した。ドラゴン1頭とやり合うのすらお互いに骨が折れると言うのに、それが数頭かつ慢心していない。とは最早酔い覚ましの罰ゲームどころか拷問の領域だ。無論ヘルハウンドは弱い魔物ではない、寧ろ非常に強力な魔物だ。それこそ数匹で熟練の兵士の一軍は疎か、数倍の人数の騎馬騎士団すら平然と蹂躙する。
だが空は飛べない。逆立ちして飛べるならとっくにしている。地上の王者の異名は伊達ではないのだ。
「6年前塞国で暴れまわっていた若いドラゴン数頭を1人で叩きのめし、塞国近隣から追い出したそうじゃの。正直眉唾ものじゃったが、巣穴を埋められた地図を見る限りは恐らく本当じゃろう。最終的には3頭が結託したそうじゃが、当然の如く返り討ちじゃとか。最早強いとかそう言ったものじゃないのう――」
「――そして、パーシヴァルはこれと同等の戦力じゃと考えて良い」
「あり得ねえ……」
デルエラ様が出ざるを得ない状況になりかねない、と言う意味が漸くカンナには理解出来た。勇者と言っても、破落戸紛いの者から魔王の婿の様なものまでピンキリである。このオズワルドやパーシヴァルは間違いなく後者の類だ。成程デルエラ様が出なければならない、と言った意味も理解できる。だが、この戦場において、その様な事態は起こりようがないし、起こり得ない。
「しっかし、こんな小さな国に居なくてもどこでもやっていけそうなのにな」
「そんな小さな国を必死に守ろうとするからこそ、わらわ達は愛おしいのじゃよ。相手の感情は兎も角じゃがのう」
「ははっ。違いないね。惚れたら落っことし、惚れられたら惚れ返させるのがこっち流だ!」
お兄様にしたかったのう。と言うぼやきはカンナは無視した。姫殿下は確かに自分が落とす、と言ったが、そんな事は知ったこっちゃない。魔物の世界は何時だって落とした者勝ちなのだ。なおハーレム上等の模様。
脱線しかけた話を戻すべく、残る懸念をバフォメットは語った。
「さらにじゃ、塞国にはアズライトドラゴンの存在もある」
「まだ居んのかよ。あんだけ戦力出せる上にドラゴンまであちらさんの味方かよ。本当どうしてこんな戦力持ってるんだ?」
「そもそも、アズライトドラゴンが居た所に、初代の塞国王が赦しを得て建国したそうじゃから、居るのは当然じゃの。じゃから気配を断つことに優れた魔物を放り込んで、片っ端から魔物化させる方法は採れんの。こう言った常套手段を採ろうものなら間違いなく彼女の顰蹙を買うじゃろうな。今や老いて全盛期の力には程遠いが、それでも戦力として考えるには十二分に強いし、建国以来から見守っている事から権威もある。顰蹙を出来るだけ買わずに征服しようと思ったらデルエラ様は出て来れんの」
「指揮だけを執ってもらう事は出来ねえのかよ」
「お互いに間諜は絶やしておらん。仮に来たとしても、近い内にデルエラ様が来たことに気づくじゃろう。そうなれば間違いなく教団の計画は塞国の軍事拠点化では無く、デルエラ様討伐にシフトするじゃろうな。そうなればパーシヴァルを始めとした最高クラスの勇者を出さない理由など何もない。そうなれば間違いなく被害は果てしなく広がるじゃろうな」
「……要は、楽をしようとすると、敵さんも楽をしようとするってことだな」
「ま、そういう事じゃの。重要拠点の一つだけあって教団も本気じゃからな。禍根無く落そうとすれば、此方も頭を捻り続けるほかないのじゃ。まあアズライトドラゴンは塞国の在り方を変えない様であれば口出しはせんじゃろうな。要するに、人間自治の国家に留めておけば、問題はなかろう」
「はぁ、“せいじ”ってのは難しいんだな」
「それだけに、結果が出た時の達成感は理想のお兄様と会った事に匹敵するじゃろう」
それだけは理解出来ねえ。とカンナは言って、盤面の駒を眺めた。
――ヘルハウンドらしくないって言われるが、こうやって頭捻んのも悪くない。確かに人間がアタシ等をしょっちゅう“飼い慣らそう”とする理由も判る。
暴力的なセックスは嫌いじゃない。寧ろ、身を焦がすほどの交合こそ好む。だがこうやって、人間が飼い慣らそうとする理由を知るのも面白い。
「ま、やってやるさ、こういうのは“らしかない”けど“悪かない”からな」
「うむ。休戦が明けるまであと少しじゃ。早い所仕込みを済ませておこうぞ」
こうして、賑やかな魔物達の夜は過ぎてゆく。小さな国を巡って、策謀を張り巡らせ、その手に手繰り寄せる過程を楽しむ異形達の囁きが、陣幕に響く。
――――――――――
一方、参謀室で会話が広げられている中で、派遣組で一人別に兵士たちの指揮を執っているものが居た。パンツスタイルのスーツに身を包んだこのメガネのデーモンは、自ら志願して兵士たちの再編成に当たっているのだ。
複雑すぎる事情を持つが故に、力攻めが出来ないこの塞国遠征戦の肝の一人である参謀が一人、カティアである。
異世界から来た、と主張するニンゲンが持っていたこの衣装は、なかなかどうして体にフィットするものだ。寧ろ、このスーツこそが私の身に纏うべき正装である! と勇んで着たら、当の人間に、
「会社に居たお局を思い出すなあ。と言うかそれ男物なんだけど」
等と言われた。解せぬ。確かに胸も言う程は無いし、身長も高めだ。だがお局呼ばわりは無いだろうと喧嘩になった挙句――。
「その荷物はそこに置いて、ああそれはあっち」
何故か彼の方から言い包められて契約していた。“エイギョウブチョウ”なる職業に就いていた彼は中々どうして気が利くので、こう言った人員の整理整頓や、物資の管理(夫婦の
営みの為とか言いながらつまみ食いをするもののなんと多い事か!)に役に立っている。
お蔭で快楽に染まるとか染めるとか何というかそう言った話では無く、傍から見ると、彼曰く、辣腕キャリアウーマンとその上司、の様な関係になっていた。本当にどうしてこうなった。とため息を吐いていると、愛おしい夫、ヤマダがコーヒーを差し出していた。
「はい、コーヒー」
「ありがとう、アナタ? 何か欲しいものはある? ――そうね、これが終わったら、可愛がってあ・げ・る」
契約のせいもあるが、お互いに健康状態はおろか、思考までありとあらゆる情報は筒抜けだ。夫婦の間に隠し事は無い。夫の求めるものを読み取ったカティアは、疼く感情を抑え込もうとして、尻尾に刺激が走る。
「んっ……あん……」
そう、お互いの感情は、筒抜けなのだ。
「どうしたんだい? そんな声出して?」
「い、じわる……知ってる癖に」
お互いに交わした契約は、お互いをもっと知りたい、という単純なもの。それ故に、お互いの感情が、思考が即座に流れ込む。
――かわいい。抱きたい、もうベッドに行きたい。
――そこ、もっと強くして、良いのッ、ん……。
お互いに交わした思考が、指一つ触れることなく官能を高め合う。無限とも言える思考の中で幾度白く染め上げられ、絶頂の余韻に浸る夫の顔を見下して、愉悦に浸った事か。コーヒーが冷める中、お互いの思考はデッドヒートして……。
「ヤマダさーん。この資料何処に置いとけばいいですかー?」
魔女の呑気な声に中断される。続きはベッドの中となりそうだ。血肉で繋がりを得て、心で犯し合う。肉体は既に征服しきっているのに、心は蹂躙される。この倒錯、魔薬めいた快楽に彼女は、完全に中毒を起こして居る。契約した当初は可笑しな人間だと思ったが、中々どうして、病みつきになる。仲間にも勧めて見たらセックスどころではなくなったらしい。
まあ、頭の中で別な事をしながら交わる、と言うのは中々難しいものである。
15/10/10 20:34更新 / Ta2
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