第四十四話〜鏡合わせのジェミナスタンゴ〜
一般的に兄弟という物は仲が良い物、悪いもの、どうでもいい物に大別される。
仲が良ければ互いに助けあったり、補いあったりするだろう。
仲が悪ければ喧嘩もする。どうでも良ければ何も起こらない。
では、会ったこともないような兄弟と遭遇した時は一体何が起こるのだろうか。
互いに馬が合うかどうかも分からない以上、何が起こるかも分からない。
俺?俺は……まぁひどい目にあったとだけ言っておく。
〜冒険者ギルド ロビー〜
季節は夏。厳しい暑さの中如何お過ごしだろうか。
森林からはセミの鳴き声がひっきりなしにラブコールを発し、照りつける太陽は灼熱の太陽光線を地上へと照射してくる。
それでもここモイライの湿度はヨーロッパクラスなので日本の夏ほど蒸し暑くはない。
そう、蒸し暑くはないはずなんだ。
「あつい〜」
「あついよ〜」
「あついのじゃ〜」
「あち〜」
「………………」
蒸し暑くは……
「だ〜!お前らこのクソ暑いのになぜべったりとへばりついてくる!暑いだろうが!」
「離れると誰かに独占されそうなのじゃ〜」
「おにいちゃんといっしょにいられるならがまんする。」
「擬似蝋燭プレイ」
「みんなのまね〜♪」
こいつらは……
しかも周りは止める様子もなく、強制我慢大会を強いられている俺をニヤニヤと眺めている。誰か止めろ。
「あらあら、モテモテじゃない。」
「そりゃどうも。熱中症で倒れたら労災入るんだろうな?これは。」
「まさか。どう見てもプライベートが理由でしょ。」
ミリアさんはやはり茶化すことしかしない。最近この人が悪魔なんじゃないかと思えてきた。というより悪魔だった。
『そんなに暑いのであれば何か冷たい物でも食べに行ってみてはどうでしょうか?』
「グッジョブラプラス!いい提案だ!」
「残念、そんなアルテア君にお仕事で〜す♪」
泣きたい。
〜クエスト開始〜
―ドッペルゲンガーの調査―
『近頃教会の領内でアルテアに似た人物の目撃例が多数寄せられている。
街の中で話しかける分には何もされない(というより反応されない)のだが、一度魔物や、それに同行している人物を見つけると即座に抹殺行動に移るという。
これに関する真相を調べていただきたい。
冒険者ギルド本部 情報部』
「ついに本部からのお声がかかりましたよ……っと」
「そうですね……でもなんでそのドッペルゲンガーってアルテアさんに化けているんでしょうか?もしかしてアルテアさんを狙っているおと」
「やめろ。その先を言うな。」
表向きはドッペルゲンガーの調査となっているが……
「ミリアさん、この間話したことは本部には?」
「報告済みよ。尤も、ごく一部の人間しか知らないでしょうけどね」
となると今回の依頼……というか命令はその後始末でもしろって事だろう。
「やれやれ……随分と厄介な事を押し付けられたものだ。」
『とは言えこれは私達の問題です。私達以外に任せるのは……』
「わかっている。自分のケツじゃないが俺が拭わなきゃいけないんだろう?ならやるしかないじゃないか。」
「あ、あの!」
出かけようとすると後ろから呼び止められた。つい最近ギルドの受付になったエンジェルの少女……シェリアとか言ったか。
「ミシディアの近くで倒れていたり隠れている兵士がいたら……仔細を漏らさずに報告していただけませんか?」
「あぁ……あんた離れ離れになっちまった元部下達を探してるんだっけ。」
大体そんな事をミリアさんから聞いたような気がする。
まぁ自分としてもそのぐらいの助力は惜しまないつもりだ。
「りょーかい。ま、見つかったら報告するよ。」
「おねがいしますっ!」
深く頭を下げる彼女に背を向け、後ろ手に手を振ってギルドを出る。
運良く見つかりゃそれでよし。見つからなきゃ……彼女には気の毒だが何も無しと言うしかないだろうな。
〜ミシディア近郊〜
旅の館からカードポータルで転送可能圏ギリギリの所へ飛ばしてもらう。
流石に街の中へ直接飛ばしたら騒ぎが大きくなる。なにせこういう転送技術は向こうには無いそうだから、親魔物領から来ましたと看板をぶら下げて歩くような物だからだ。
「っほ!っと。」
この移動方にも慣れてきた。宙返りをうって着地する。
「さて、行きますか。」
『言動には十分注意してください。即捕縛という事はないでしょうが、不審に思われると後が面倒ですから。』
俺のドッペルゲンガーが目撃されるのはこのミシディア付近が最も多いそうだ。
ということはそいつの活動拠点として使われていてもおかしくない。
俺は遠くへ見える壁で囲まれた街へと向かっていった。
〜聖廟都市ミシディア 下水道〜
え?何で門から堂々と入らないんだって?そんなことしたら身元がバレるだろうが。
持ち物検査なぞされたら一発だ。
「とはいえ……この匂いはきっついな。」
『嗅覚センサーが無くて良かったと今日ほど思うことはありませんね。』
まぁシモが流れている水路だ。当然匂いもきっつい。
それでも定期的に聖水(?)が流されている効果なのかバブルスライムはいなかったが。
「上がれる所まであとどのぐらいだ?」
『事前に配布された資料によりますとあと100メートル前後ですね。蛍光塗料で目印がつけてあるはずです。』
アポロニウスで照らしながら暗くて汚い下水道を進む。
あと一時間と言わず、30分もいたら匂いで鼻が麻痺しそうだ。
「どんな美人でもシモは臭い〜って言ったら怒られるかね。」
『口は災いの元です。うかつな発言はやめたほうがよいかと。』
馬鹿話をしていると、照らし出された壁に蛍光塗料で×印がつけてあった。
隣にはハシゴも上へと伸びている。
「ビンゴだ。上がるぞ。」
『周囲には十分気をつけてください。』
〜聖廟都市ミシディア〜
「どうだ?」
『人通りは無いようです。問題ありません。』
フェアリーを偵察としてマンホールから飛ばして周囲を観察。
特に人通りも無かったのでマンホールから出る。
「うわ……くさ……」
『森林の行軍ならともかく、街の調査では目立ちますね。調査の前に身体と服の洗浄が先決です。』
マップを開いてお目当ての施設を検索する。
「え〜と、あった。」
マーカーを付けた場所は公衆浴場。なんでも神殿を作るような大工が手がけたすごい場所らしい。
「ランドリーは……無いよな。」
『むしろあったほうが驚きですが。』
「ランドリー……だよな。」
『ランドリー……ですね。』
公衆浴場に到着し、代金を払って(予め教会領で使える通貨を用意しておいた)入った時に見たのは中でゴウンゴウンと音を立てて服が回転する鉄製の箱だった。
「おや、アルター。貴方が此処に来るのは珍しいですね?」
物腰の落ち着いた神父らしき人が俺に声を掛けてきた。
口ぶりからするに『アルター』を知っている奴だろうか?
「その服……いつもの執行官のコートはどうしたのですか?それにやけに匂いますが……」
「あ、あぁ……道で転んでドブに突っ込んだ。余所行きの服だったんだが汚物まみれだ。ヒドイ話だろう?」
「そう、ですか。それは災難でしたね。それでしたらウォッシャー……でしたね。それで洗うといいでしょう。洗濯から乾燥までを自動で行ってくれるなんて、良いものを考案してくれたものです。」
あのランドリーはウォッシャーと言うらしい。というかこの世界の技術じゃないような……
「ちなみにあのウォッシャーっていうのは誰の考案だっただろうか?」
「何を言っているのですか?貴方が技術提供をしてくれたのではないですか。」
目を丸くする俺。アルターの奴……色々と黒い噂が絶えないと思っていたが案外いい奴なのか?
「そうだったな。済まない、ド忘れしていた。」
「そうですか。それはそれは……」
神父は微笑むとその場を去っていった。
そして……
「あと……本物のアルターはそんな言葉遣いはしませんよ……」
「!?」
振り返った時には神父は既に居なかった。
「……バレたか?」
『確実にバレましたね。今後の調査に悪影響を与えなければ良いのですが。』
それからというもの、俺は事あるごとにアルターと間違えられた。
なんだか喋ってボロが出るのもマズいので、何もしゃべらなかったら特に咎められなかった。おそらくアルターは普段から無口なのだろう。
「(それにしても殆どヒーロー扱いだな)」
『(彼らから見れば悪しき魔物を葬り去る無敵の戦士ですから。)』
食料を求めてパン屋に行けばおまけをしてもらえるし、道行く修道士からは手を組んで祈りを捧げられる。
町娘からは何かと言い寄られる。……普通の人間に言い寄られたのに少しびっくりした俺である。
「(あまり目立つのも困りものだ。隠れながら行こう。)」
『(了解。ルートを設定します。)』
表示されたマップの道にいくつかの赤いラインが走る。
おそらくそこが人通りの少ない場所なのだろう。
「(結構歩くな……最終目的地は……教会の聖堂か?)」
『(先程の神父の話の通りならばアルターは執行官という役職についています。ならば公的機関……ここの場合は教会ですね。そこへ行けば遭遇する可能性も無いわけではありません。)』
鉢合わせして……撃ち合いにならなきゃいいが。
〜聖廟都市ミシディア セント・ジオビア教会大聖堂〜
街の中心の聖堂へとたどり着いた。
……此処に来るまでに随分と苦労したが。
「路地裏通るたびに浮浪者に施ししていたらすっからかんだよオイ。」
『マスターと違って彼は敬虔な神の僕のようですね。見習ってはどうですか?』
やなこった、と内心で舌を出しながら聖堂を覗き込む。
中には白いコートを纏った誰かが一人佇んでいる。
「……誰かいるな。少し話を聞いてみるか。」
『十分注意してください。ここではマスターは有名人とそっくりなのですから。』
気配を消してその人物へと近づいていく。
彼は静かに祈りを捧げているようだ。
「礼拝中悪いな。少し聞きたいことがある。」
「………………」
そいつは音もなく立ち上がると、こちらへ向き直った。
「……な……あ……」
「……………………」
そいつは……『俺』だった。
「お前が……アルター……か……」
手には俺と同じような黒く大型の銃を所持している。
藍染めのズボンと黒いインナーに白いロングコートを纏い、白いコートには金糸で十字架が縫いこんである。得物と服装がなんともミスマッチだ。
「少し話したいことがある。お前は何故魔物を抹殺する?魔物と遭遇したのなら教会の異常性に気づかないはずは……」
「最優先ターゲット……アルテア=ブレイナー発見……殺害する。」
そいつが、静かに『キマイラ』を構える。
片手で。
『オクスタンランチャー展開。モードB』
機械的な男性の声と共にアルターの持つキマイラが変形していき、約2メートル程度の細長いランチャー形態になった。
オクスタンランチャー……ATX計画の内の一機と同じ物の武器だ。
「っ!?」
咄嗟に横へと転がり、無理矢理に射線から体を外す。
背後に走る衝撃。発射の轟音で耳が遠くなり、キマイラから放たれた砲弾が教会の柱を砕く。
そのあまりの威力に背筋が薄ら寒くなった。
「クソッ!問答無用かよ!ラプラス、応戦を……」
『許可できません。至急退却してください。』
また新たな砲弾が足元へ着弾。大理石の礫が俺の体を叩く。
『アルターの戦闘能力は未知数な上、私のプロトタイプであるキマイラも鵺と違い完全なコンディション下にあると推測。さらにあの重量と衝撃を片手で支えるほどの筋力。身体能力はマスターとは比べ物になりません。』
俺の全身から血の気が引く。
要するに化け物になった俺のような物だ。
「チキショウ!やってられるか!」
『スモッググレネード展開。』
アルターに向けてスモッググレネードを放つ。
それを奴は鷲掴みにしてキャッチした。
それを投げ返してくる。
うなる風切り音と共に煙幕弾が頭の横を掠めていく。
「あっぶね!」
『当たれば負傷は免れませんね。』
しかし、幸い煙幕は張られ始めた。あとは逃げるだけだ。
「スタコラサッサだ!逃げるぞ!」
聖堂の出口へ向けて駆け出す。そして煙幕を貫くように弾丸が飛んでくる。
『サーモスキャンですね。完全に狙われています。』
「だーもう!自分の力が自分に跳ね返ってきやがる!」
追加でフラッシュバンを後ろに打ち込みながら走る。光が炸裂するとようやく追撃の手が緩んだ。
「今のうちに脱出!1にも2にもにげろぉーーーーー!」
路地裏を走っていると足元に銃弾が打ち込まれた。
「げぇ!?もう追いついてきやがった!」
とっさに脇道へ逃げこむ。直線で遮蔽物が無いのは危険だ。
「クソっ!狭い道を逃げながら鵺で戦うのは分が悪いぞ!」
『取り回しのいい武器を使えば良いのです。デザートイーグル展開。』
グリップを引き抜くとデザートイーグルが取り付けられている。マガジンはグリップの下から排出されるようだ。
「ライフルにゃ劣るが仕方ないか!」
9ミリ弾を角から曲がってきたアルターへ打ち込んでやる。
全弾外れ。そりゃ逃げながらなのだから仕方がない。しかし、足止め効果はあったようで、もう一度角へ隠れてくれた。
「リロード!」
『どうぞ。』
後部ハッチにマガジンを放りこみ、上部からせり出したマガジンへ叩き付けるようにリロード。
また後ろへ向けて撃ちながら走る。
「せめてカードが使える場所へ……」
不意に左右の壁が途切れる。辺りには多くの人が行き交っていた。
「しまった!路地を出ちまった!」
このままではアルターの放った銃弾が民間人へと当たる。流石にそれはマズい。
『今のうちにカードを使ってください。今ならうかつに射撃は出来ません。』
「そうか!さすがに奴だって無闇に信徒には……」
カードを取り出しながら振り向くと……
「……狙い撃つ」
『Lock on』
ライフルを構えたアルターが。容赦なしにトリガーを引く。
「やめろぉぉぉぉおおおおおお!」
カードが発動すると同時に発砲音。
銃弾が俺の脇腹や足を貫通し、カードの端を削りとる。
後ろから悲鳴。断末魔の声。
視界が光に包まれた後、意識が暗転した。
〜???〜
『マスター、起きてください。マスター。』
マスターが目を覚まさない。心拍数低下中。大量ではないものの、出血も確認。
銃弾は威力のあるものだったため貫通こそしているものの、ショック症状が心配されます。
おまけにポータルカードの発動と同時にカードが損傷し、予期せぬ場所へと転送されたようです。
『マスター。しっかりしてください。マスター』
意識も不明……完全に気絶している模様。早めに手当をしなければ命の危険があります。
しかし、自分では何も出来ない。マスターの腕のコントロールの掌握はマスターの意識がなければ不可能。
「あれ……人が倒れて……うわ!血まみれ!?」
倒れているマスターに気が付き、少年が近寄ってきた。
私はその少年に対して呼びかける。少なくとも負傷している人間を放って置く人間はいない筈。
『誰か救護のできる人物を呼んできてください。このままではマスターの命に関わります。』
「わ、わかった!ちょっとまってて!」
少年が元来た道を駆け出す。暫くすると一人の女性が少年に手を引かれてやってきた。
灰色のしっぽと、耳。あれは……
「人が倒れているって……え……貴方は!」
『お久しぶりです。いきなりですみませんが、マスターの手当をお願いしたいのですが。』
以前、マスターがE-クリーチャー化を解いたワーウルフの女性だった。
IF〜えらいことになってしまった〜
逃げるようにモイライの街からすっ飛ぶこと数時間。俺は未だに着地すること無く飛び続けている。
着地する場所を探しているのだが、眼下は禍々しい森ばかり。
空は薄紫色に曇り、時折稲光が走る。
右を向けば岩山、左を向いても岩山。どう見ても正面衝突で即死コースだ。
いくらフィールドに守られているからといって、中身は生身の人間だ。強烈な衝撃に耐えられるような作りにはなっていない。
「おい、どこまで飛ぶつもりだ?」
『少なくとも不時着ができそうな場所までは降りられないでしょう。こちらも熱が溜まって処理が遅くなっているのです。我慢してください。』
本気で心配になってきた……。
ため息を吐きながら前方へと目線を向けると、何やら立派な城が見えてきた。
あれは一体……。
「おい、ラプラス。もうちょい高度上げろ。このままじゃあの城に正面衝突するぞ。」
『………………』
「……おい、まさか……。」
ブリッツランスのシェルブースターがキュルキュルと嫌な音を立て始めた。
心なしか高度も下がっているような……。
『極度に熱が蓄積されたことにより、出力が低下しています。地面に進行方向を向けて墜落するか城に衝突して無理矢理止めるかを選んで下さい。』
「選べるかボケェェェェェエエエエ!」
殆ど慣性の法則に従い、滑空するように城へと向けて突進し続ける俺達。
墜落すれば衝撃で放り出されるだろう。この速度で地面を転がっていくことはすなわち、生きた人間をおろし金ですりおろすことと同義だ。
だとすれば取れる方法はひとつ……
「どうか死にませんよーに。」
『祈る神はこないだ砲撃しませんでしたっけ?』
「……あぁ、死んだな。」
そこからはもはや一瞬の出来事だった。
あっというまに下に見える城下町を飛び越し、城の周りに張り巡らせてあるバリアのようなものを突き破り、石造りの壁に突っ込んでぶち破り、さらに内部の壁を幾つもぶち破って漸く止まった。
「……天国ってこんな場所だったんだな。」
『勝手に死なないで下さい。』
そう言うなり、ラプラスがブリッツランスを格納。鵺のハッチというハッチを開放し、砲身すら開ききり、普段開けることの無い場所まで開いて動かなくなった。
『オーバーヒート寸前です。暫くは各機関冷却のため全機能を凍結します。』
「マジか。」
穴という穴からもやが立ち上る程に熱気を放っている。
熱すぎて思わず鵺を取り落としてしまった。
「やれやれ……こんな得体も知れない場所で丸腰か。助かったと思いきやピンチにはかわりな……」
「……誰?」
背後から女性の声がする。
こういう時の嫌な予感というのは恐ろしいほど当たるものだ。
振り返ってその姿を確認する……
「いきなり壁を突き破って……何者?衛兵を呼ぶべきかしら。」
白くてサラサラしたロングヘアー、真紅の瞳、大胆に胸元が開いたドレス。
そして、美人。……ただの美人だったらよかったんだがなぁ……
角、尻尾、羽。明らかに人間じゃねぇ。
記憶の奥底から魔物図鑑を引っ張り出し、そいつがなんなのか検索を掛ける。
そして、条件に合う奴が1件ヒット。この状況では……最も会いたくない魔物ナンバーワンだ。
「り、リリム……!」
「まぁ、そうだけど……私としては貴方の正体がなんなのかの方が知りたいわね。」
どうやってこの場から逃げ出そうか画策している内に、崩れた壁の向こうの廊下からドカドカと足音が向かってきた。
この状況は、ヤバい。明らかに『壁をぶち破って現れた襲撃者と命を狙われた魔王の娘』の図だ。
「……こっち。」
「は?」
彼女は俺の足元に落ちていた鵺を拾い上げて俺に押し付け(滅茶苦茶熱かった)、腕を引っ張ってクローゼットを開けるとその中に押し込んだ。
中は大量の服によって窮屈で、体に密着する鵺がジリジリと体を焼く……ってマジであちぃ!?
「お嬢!お怪我はありませんか!?」
「いえ、怪我は特に無いわ。察するに侵入者の事かしら?」
外で先程のリリムと誰かが話している……というか今すぐにでも飛び出したい。
今の俺はまさに焼け石を抱かされて縄で縛られているようなものだ。
あぁ……化学繊維の溶ける匂いが……ってマジでやべぇ!?
「ここには……いないようですね。何処へ言ったかは見ていますか?」
「すぐに廊下へ飛び出して何処かへ行ってしまったわ。お母様狙いの勇者の可能性もあるけど……放っておいても問題無いのではないかしら。単身で魔王城へ特攻してきて無事であるとは思えないわ。」
素数を数えた所でこの灼熱地獄はどうにもならないだろう。
心頭滅却……だめだ、周りの服に染み付いた女性特有のいい匂いと化学繊維が溶ける匂いが混ざって頭の中がカオスになっている。
「しかし追いかけないわけにも行きますまい。」
「そうね……。多分上の方へ行ったんじゃないかしら。ここへ来るってことは何かしら目的があったのでしょうし。」
「そうですね。それでは侵入者の捕縛へ行ってまいります。」
「えぇ、気をつけてね。」
ドカドカと部屋から靴の音が遠ざかっていく。
それと同時に我慢が限界を超え、クローゼットの中から飛び出した。
あぁ、新鮮な冷たい空気がうめぇ!
「はぁ……はぁ……マジで死ぬかと思った……。」
「別に見つかっても死ぬことはないでしょうけど……少なくとも誰か独身の魔物に宛てがわれる事はまず間違いないでしょうね。」
「わかってるよ……だが身柄が拘束されるのは俺にとってあまり好ましくないからなぁ……。」
それにしてもここからどうやってぬけだそ……
「……待て、何かさっきの会話の中に恐ろしい単語が入っていた気がするぞ。」
「独身の魔物に宛てがわれる?」
「いや、もっと前だ。え〜と……」
──単身で魔王城へ特攻してきて──
記憶の中を掘り出して出てきた単語に、今度は滝のように汗が出てくる。
ってことはつまり何か。この中世の洋城を思わせるこの建物は……
「ここ、魔王城?」
「うん。」
「ラストダンジョンにして世界の半分を分けてやろう〜的な?」
「なにそれ……少なくともここは魔王城だし、それ以上でもそれ以下でもないわ。」
先程ぶち抜いてきた壁の方へ目線を向ける。
なんという事でしょう。匠の破壊者の手によって風通しが3倍増に。
外の景色も一望でき、プライベートなどどこ吹く風……。
「おいラプラス、デザートイーグル出せ。今すぐ自殺する。」
『………………』
「はい凍結中ー!うんともすんともいわねー!」
「何やってるのよ……」
呆れたように額に手を当ててため息を吐くリリム。ええい……呆れられてしまったではないか。
「ともかくここにいてはマズイわね……いつ見つからないとも限らないし。」
「見つかっちゃまずいとはいえ……この格好はごまかしようがないだろう。」
青のジャンパーはどう贔屓目に見てもこの世界の物ではない。=浮きまくる。
「とりあえずその上の服だけでもクローゼットの中に入れて……そうね、木を隠すなら森の中だわ。食堂へ行きましょう。今の時間なら結構人がいるし、みんなイチャイチャするのに忙しいから他人の事なんて気にしないわ。」
彼女の言う通り少し溶けかけたジャンパーをクローゼットの中へと押し込み(彼女は匂いに若干顔をしかめていたが)、食堂へと逃げるように立ち去った。
なぜか……好奇の目に晒されているような気がした。
「あ、そうだ……もしかして貴方って妙な香水つけていない?」
「……あぁ、ここへ来た原因もそれだよ……。」
食堂に行く前に医務室へ寄って中和剤をもらった。流石魔王城、至れり尽くせりだ。
〜魔王城 一般兵卒用食堂〜
確かに食堂はごった返していた。
7割が魔物で、3割が人間といった所だろうか。男は全員誰かしらとくっついて食事をしている。
「ここなら多少の内緒話は周りの喧騒にかき消されるわ。私なんて気にも止めない人ばかりでしょうし。」
「いや……仮にもお前って魔王の娘だろう?それが注目を集めないってどうなんだ?」
俺は彼女に促されるままに隣の椅子へと腰掛けた。
俺の疑問に少し影の差す表情でどういうことかを彼女が語ってくれた。
「えと……私ってね、リリムの中でも落ちこぼれの部類に入るの。魔力なんかはインプなんかと遜色ないくらいに。」
リリムは例外なく強大な魔力を持っているものだとばかり思っていたのだが……意外と例外はいるものらしい。
そういえば図鑑に書かれているような魔力の塊も彼女には付いていない。
「バカにされることはないけれど、他の姉様や妹達みたいに尊敬もされない。ま、気が楽といえば気が楽だけれどね。」
そういえばリリムがその場に居合わせると、男も女も魅了されてしまうのだとか……それが無いということは彼女の言うことは本当なのだろう。
もし魅了が俺へと向けられているのであれば、セキュリティが検知するだろうし。
「って私の事はどうでもいいの。貴方一体何者?いきなり襲撃してきた割には敵意もへったくれもない……というよりあまり驚いていないみたいだし。」
「ん、そうだな。俺は……こういう者だ。」
ギルドの登録証を彼女に見せる。
それを物珍しそうにまじまじと眺める彼女……というか、まだ名前すら聞いていなかったな。
「冒険者ギルド モイライ支部構成員……アルテア=ブレイナー?冒険者が何故魔王城に襲撃を?」
「事故だ、事故。速度の出る移動手段で逃げていたらここに突っ込んでしまったという次第。というか、そろそろあんたの名前を教えてもらってもバチは当たらないと思うのだが。」
今更気付いたのか、はっとした表情で居住まいを正す彼女。もしかしたら意外と抜けているのかもしれない。
「そうね……私はアリシア。現魔王の第86子……ってここまで来ると殆ど継承権から外れているからこの辺はお飾りなんだけどね。」
自虐的に自己紹介をする魔王の娘。貫禄とかカリスマとかそういうのからは完全に逸脱しているが、下手に畏怖を抱かない分親しみやすそうだ。
『機能回復。全機能の凍結を解除します。』
ようやく放熱が終わったのか、ラプラスが応答を返すようになった。
声がどこから聞こえてくるのかわからないようなので鵺をテーブルの上に載せてやる。
『アリシア様、ですね。私は自己推論進化型戦術サポートAI、個体名称は『ラプラス』です。以後お見知りおきを。』
「うわぁ……これリビングアイテム?随分と精密な作りをしているわね……。」
つんつんと鵺をつつきまわすアリシア。まぁその程度では暴発はしないだろうから特には止めなかったが。
「こいつに搭載されている武装の一つでここまで来たんだ。鵺という何でもトンデモ兵器だな。」
『なんという酷い言い草。そのトンデモ兵器に何度も命を救われているのはどこの誰ですか?』
「悪い悪い。信頼の裏返しとして取っておいてくれよ。」
どうしようもない言い合いを見て彼女がクスクスと忍び笑いを漏らしている。
むぅ……自覚はないのにどうしてか周囲を笑わせるような言い合いになってしまうんだよな。
「仲がいいのね、貴方達。」
「半分自分自身みたいなもんだしな。」
『学習が進むに連れてマスターと思考パターンが似てくるように造られていますからね。今マスターがアリシア様の事を悪からずと思っている事も手に取るようにわかります。』
「何人の頭の中をぶちまけちゃってんのかなこの子は。」
グリグリと鵺に拳を押し付ける様子を見てまたクスクスと笑い出す。なんだか楽しそうだな……。それに笑っている顔が可愛らし……
「待て、俺今何を考えようとした?」
『笑って「シャットダウン」
頭の中身を再び暴露しようとしたラプラスを強制終了する。
何を言おうとしたのかがイマイチわからないのか、彼女が小首をかしげている。
何故だ、妙にドギマギしてしまう。セキュリティを見ても特に精神操作を受けたような形跡はない。と言うことは……
「(天然……か……!)」
「どうかした?」
軽く戦慄を覚えながらも平常心を保つ努力をする。
落ち着け、この程度の誘惑ならいつも振り切っているじゃないか……いや、振り切れていないか?
「そ・れ・よ・り〜♪貴方、壁をいくつ破って入ってきたのかしら。」
「………………」
そうだ、天下の魔王城へ突入した挙句、内部を滅茶苦茶に破壊したのだ。
現世界の文化財を破壊したら一生かかっても返し切れない程の借金を負うだろう。
それが現役で使われている施設を破壊したとしたら……。
「弁償?」
「うん、弁償♪」
そう言うと彼女はポケットから細い鉄の棒のような物を取り出した。
それを耳に当てて片方の先端を口元に持ってくる……ってまるで旧世代の携帯電話だな。
「あ、姉さん?アリシアだよ〜♪元気〜?うん、こっちは変わりなくのんびりと過ごしているよ。え〜……早く恋人見つけろって?まぁその事込みで連絡入れたんだけど……。」
そう言うと彼女が俺の方を見てニヤりと笑う。なんだかこの笑顔……どこかで見たことがあるな。
「姉さんのギルドの人……うん、そう彼。アルテアって言ったよね?今ここにいるんだ〜。え、早くこっちへ帰せって?う〜ん……すぐに返してもいいんだけどさ……」
彼女のニヤニヤが止まっていない。うん、そうだ。この笑顔、何処かで見たことがあると思ったら、悪巧みをしているミリアさんと瓜二つなのだ。
「彼……魔王城の壁を幾つもぶち壊して侵入したんだよね。修理に……そうだなぁ、金貨1万枚くらいかかるかも。それを肩代わりしてくれるならすぐに返してもいいよ〜♪」
待て、金貨1万だと?現世界の価値に換算して1億円だぞ?そんなにかかるのか?
「もし〜払えないっていうのならぁ……彼、私に譲ってくれないかしら?え?何に使うかって?それ言わせるの〜?スケベ。」
なんだか俺のあずかり知らぬ場所でどんどん話が進んでいっている気がする。
というか、地味に俺ピンチ?
「どうする〜?払えるなら〜……別に今すぐにでも送り返してもいいよ?城下町には旅の館もあるし。え?人でなし?何いってんの〜私達人じゃないよ♪」
もはや嫌な予感しか無い。
先程からあの装置よりヒステリックな叫び声が聞こえてくる。なんかどこかで聞き覚えがあるのだが……
「ん〜?いいの?結構大事な人なんでしょ?背に腹は変えられないからいいって?ありがとう!お姉ちゃん大好き!」
そう言うなり鉄の棒から耳を離すと、鉄の棒が淡く光った。
回線が切れたということだろうか。
「そんなわ・け・で♪」
彼女はテーブルに置いてあった俺のギルドの登録証を拾い上げると、同じくテーブルの上に立ててあったロウソクへ近づけて燃やす……っておい!?
「ちょ、何してんだ!?」
「ん〜?いいのいいの。アルテアはもう冒険者ギルドのメンバーじゃなくなったから。」
先程の会話と今の発言がつながっていく。
もしかして今話していた相手は……
「話していた奴ってまさか……ミリアさんか?」
「ピンポ〜ン。せーかい♪」
なんてこった。今目の前にいるこの腹黒女はミリアさんの妹か。
って……待てよ?
「ミリアさんは普通のサキュバスだぞ?少なくともリリムじゃ……」
「あ〜……あれ?リリムとしての魅了も魔力も全部封印して姿まで変えているだけだよ。普通に暮らす分には邪魔になるんだって。」
驚愕の真実をこんな場所で聞く事になるとは。
なんだか普通ではないとは思っていたが……あの人リリムだったのか。
「ま、そんな訳でアルテア君。キミには2つの選択肢が残されています。」
アリシアが人差指と中指を立ててピースサインを作る。
「一つは私の夫になって生涯を共にすること。中々魅力的でしょう?」
「あぁ。素敵に傍若無人だ。」
俺の言い様にも特に反応を示さず、指を1本折る。残っているのは人差指。
「もう一つは、アルテアが私の奴隷になること。金貨1万枚なんて普通の人が一生稼いでも返し切れないわよねぇ。だから、私が貴方の借金を肩代わりしてあげる代わりに私に一生仕えるの。どう?どっちも魅力的でしょ?」
「……ちなみに俺に拒否権は?」
彼女は、極上の笑みで俺に言い放った。
「なし♪」
「ですよねー♪」
どっちを選ぼうが俺はこのお嬢様に一生縛られることになるらしい。
なぜあの時素直に地面へと墜落を選ばなかったのだろうか。あの時の自分を殴ってでも墜落させてやりたい気分だ。
「ちなみに奴隷を選んだ場合どうなるんだ?」
「やることは変わらないわよ。私の呼び名がご主人様に変わるだけ〜♪」
「……夫で……お願いします……」
「よろしい♪」
なんつーかもう無茶苦茶だ。初めて会った相手に「夫にする?奴隷にする?」とは一体どこの国のプロポーズだ。というか俺はこいつの事を何一つ知らないというのに。
「なぁ……そんなんで人生のパートナー選んで嬉しいか?」
「…………」
俺の一言で彼女が固まる。そりゃそうだ。俺が言っているのはあくまで正論。
彼女が言っているのは借金を盾にした唯の我儘だ。
「……だって……」
顔を伏せて何かに耐えるように肩を震わせる彼女。
なんというか……泣いているのか?
「私……魅了も使えなくて……鈍臭いし……魔力も無いし……こんな事でもしなきゃ……しなきゃ……」
彼女の膝の上の握りこぶしにポタポタと何かの雫が落ちる。
言われずとも分かる。これは……彼女の涙なのだろう。
「振り向いてくれる人なんて……ひとなんてぇ……」
「もういい。何も言うな。」
震える彼女の頭の上に手の平を置いてやる。
サラサラと振れる彼女の髪の毛の感触が心地よい。
不思議と周囲の喧騒が遠く聞こえた。
「お前が俺を引き止める方法に納得した訳じゃないが……いいぜ。お前に付き合ってやる。ただ……」
両手で彼女の頭をこちらへと向ける。
案の定、彼女の目からは涙の跡が走っていた。
「お前がお前自身の取り柄を探す事……それが条件だ。あんまり我儘言うと城全壊させて逃げちまうぞ?こっちにはそういう前例があるんだ。」
無論、最後は冗談なのだが。
「うん……うん、私……頑張るよ。お金の事とかそんなのが無くても……アルテアを振り向かせるようになってみせる。」
「ん、いい子だ。頑張れよ。」
とは言ったものの、こいつが見た目通りの年齢であるはずが無いんだよなぁ……自分より遥かに年上であろう相手にいい子だって……何様だ俺は。
その後はまぁ言うに及ばず……彼女と共に暮らすようになった。
しかし俺というのはとことんトラブルを引き寄せる性質があるようで……
まずは向こうに俺がいなくなった事により、ミストがこちらへと戻ってきてアリシアと俺を取り合いし始めた。
次に、ミリアさんがギルドの運営やらなにやらをシェリアに丸投げして魔王城へと帰ってきた。無論、アニスちゃんも連れて。当然取り合いに参加。
さらにニータが無理矢理こちらへ転勤願いを出し、エルファが本気を出してこちらと向こう側を無制限に繋ぐことのできるポータルゲートを創りだした。無論、二人共取り合いに参加。
一応リリムの夫になったのだからとメイドを宛てがわれたが、そいつがなんとプリシラだった。
彼女曰く、「アルテアさんは自分がいないとダメだから」らしい。俺はお前にクエストの受付業務以上のことをしてもらった覚えは無い。
さらにさらに、フィーとチャルニはというと魔王軍に転向。俺の剣術指南と称しては試合に持ち込もうとしてくる。そうそう、なぜか俺は剣術をやらされている。筋は……悪いらしい。
アリシアの夫、という肩書きがある以上は皆積極的にくっついてくる事は無くなったものの、隙あらば取り入ろうと虎視眈々と狙っているのは……まぁ言うまでもない。
アリシアにはエクセルシアと俺の世界の事を話した。
すると、二つ返事で回収に協力してくれる事になった。ギルドの承認無しに旅の館が使えるようになったのは大きかったな。
で、最終的にエクセルシアを全て回収して現世界への道を開いたんだ。
何が起きたかって?アリシアが覚醒して一緒に道を通って現世界まで付いて来ちまったんだよ。
こちらでは空気中の魔力が極端に薄いせいか、やたらめったら求めてきて大変だった。
うん、自慢する気はないぜ?
これとは別件で結局あちらへと戻るハメになるんだが……ま、それは追々話そう。
で、こちらの世界に戻ってからの事だ。
俺は完全に戦いから足を洗って比較的魔界化が進んでいない土地で暮らしていた。
何故そこか、というのもこれまた理由があるのだが……これもまだ先だな。
色々と複雑過ぎて説明が面倒くさいのもあるが、また今度だ。
「ね、アルテア。私達って結婚式はまだだったよね?」
「あ〜……うん、忙しかったからな。」
「ね……しよ?」
「……そう、だな。一区切り着いたし……それもいいかもしれん。」
これからも俺達は幸せに包まれて生きていくのだろう。
それは多分……俺が傭兵暮らしでは一生手に入らなかった物に違いない。
だから……俺が傭兵でない限りはこの幸せを噛み締めてもバチは当たらないよな?
仲が良ければ互いに助けあったり、補いあったりするだろう。
仲が悪ければ喧嘩もする。どうでも良ければ何も起こらない。
では、会ったこともないような兄弟と遭遇した時は一体何が起こるのだろうか。
互いに馬が合うかどうかも分からない以上、何が起こるかも分からない。
俺?俺は……まぁひどい目にあったとだけ言っておく。
〜冒険者ギルド ロビー〜
季節は夏。厳しい暑さの中如何お過ごしだろうか。
森林からはセミの鳴き声がひっきりなしにラブコールを発し、照りつける太陽は灼熱の太陽光線を地上へと照射してくる。
それでもここモイライの湿度はヨーロッパクラスなので日本の夏ほど蒸し暑くはない。
そう、蒸し暑くはないはずなんだ。
「あつい〜」
「あついよ〜」
「あついのじゃ〜」
「あち〜」
「………………」
蒸し暑くは……
「だ〜!お前らこのクソ暑いのになぜべったりとへばりついてくる!暑いだろうが!」
「離れると誰かに独占されそうなのじゃ〜」
「おにいちゃんといっしょにいられるならがまんする。」
「擬似蝋燭プレイ」
「みんなのまね〜♪」
こいつらは……
しかも周りは止める様子もなく、強制我慢大会を強いられている俺をニヤニヤと眺めている。誰か止めろ。
「あらあら、モテモテじゃない。」
「そりゃどうも。熱中症で倒れたら労災入るんだろうな?これは。」
「まさか。どう見てもプライベートが理由でしょ。」
ミリアさんはやはり茶化すことしかしない。最近この人が悪魔なんじゃないかと思えてきた。というより悪魔だった。
『そんなに暑いのであれば何か冷たい物でも食べに行ってみてはどうでしょうか?』
「グッジョブラプラス!いい提案だ!」
「残念、そんなアルテア君にお仕事で〜す♪」
泣きたい。
〜クエスト開始〜
―ドッペルゲンガーの調査―
『近頃教会の領内でアルテアに似た人物の目撃例が多数寄せられている。
街の中で話しかける分には何もされない(というより反応されない)のだが、一度魔物や、それに同行している人物を見つけると即座に抹殺行動に移るという。
これに関する真相を調べていただきたい。
冒険者ギルド本部 情報部』
「ついに本部からのお声がかかりましたよ……っと」
「そうですね……でもなんでそのドッペルゲンガーってアルテアさんに化けているんでしょうか?もしかしてアルテアさんを狙っているおと」
「やめろ。その先を言うな。」
表向きはドッペルゲンガーの調査となっているが……
「ミリアさん、この間話したことは本部には?」
「報告済みよ。尤も、ごく一部の人間しか知らないでしょうけどね」
となると今回の依頼……というか命令はその後始末でもしろって事だろう。
「やれやれ……随分と厄介な事を押し付けられたものだ。」
『とは言えこれは私達の問題です。私達以外に任せるのは……』
「わかっている。自分のケツじゃないが俺が拭わなきゃいけないんだろう?ならやるしかないじゃないか。」
「あ、あの!」
出かけようとすると後ろから呼び止められた。つい最近ギルドの受付になったエンジェルの少女……シェリアとか言ったか。
「ミシディアの近くで倒れていたり隠れている兵士がいたら……仔細を漏らさずに報告していただけませんか?」
「あぁ……あんた離れ離れになっちまった元部下達を探してるんだっけ。」
大体そんな事をミリアさんから聞いたような気がする。
まぁ自分としてもそのぐらいの助力は惜しまないつもりだ。
「りょーかい。ま、見つかったら報告するよ。」
「おねがいしますっ!」
深く頭を下げる彼女に背を向け、後ろ手に手を振ってギルドを出る。
運良く見つかりゃそれでよし。見つからなきゃ……彼女には気の毒だが何も無しと言うしかないだろうな。
〜ミシディア近郊〜
旅の館からカードポータルで転送可能圏ギリギリの所へ飛ばしてもらう。
流石に街の中へ直接飛ばしたら騒ぎが大きくなる。なにせこういう転送技術は向こうには無いそうだから、親魔物領から来ましたと看板をぶら下げて歩くような物だからだ。
「っほ!っと。」
この移動方にも慣れてきた。宙返りをうって着地する。
「さて、行きますか。」
『言動には十分注意してください。即捕縛という事はないでしょうが、不審に思われると後が面倒ですから。』
俺のドッペルゲンガーが目撃されるのはこのミシディア付近が最も多いそうだ。
ということはそいつの活動拠点として使われていてもおかしくない。
俺は遠くへ見える壁で囲まれた街へと向かっていった。
〜聖廟都市ミシディア 下水道〜
え?何で門から堂々と入らないんだって?そんなことしたら身元がバレるだろうが。
持ち物検査なぞされたら一発だ。
「とはいえ……この匂いはきっついな。」
『嗅覚センサーが無くて良かったと今日ほど思うことはありませんね。』
まぁシモが流れている水路だ。当然匂いもきっつい。
それでも定期的に聖水(?)が流されている効果なのかバブルスライムはいなかったが。
「上がれる所まであとどのぐらいだ?」
『事前に配布された資料によりますとあと100メートル前後ですね。蛍光塗料で目印がつけてあるはずです。』
アポロニウスで照らしながら暗くて汚い下水道を進む。
あと一時間と言わず、30分もいたら匂いで鼻が麻痺しそうだ。
「どんな美人でもシモは臭い〜って言ったら怒られるかね。」
『口は災いの元です。うかつな発言はやめたほうがよいかと。』
馬鹿話をしていると、照らし出された壁に蛍光塗料で×印がつけてあった。
隣にはハシゴも上へと伸びている。
「ビンゴだ。上がるぞ。」
『周囲には十分気をつけてください。』
〜聖廟都市ミシディア〜
「どうだ?」
『人通りは無いようです。問題ありません。』
フェアリーを偵察としてマンホールから飛ばして周囲を観察。
特に人通りも無かったのでマンホールから出る。
「うわ……くさ……」
『森林の行軍ならともかく、街の調査では目立ちますね。調査の前に身体と服の洗浄が先決です。』
マップを開いてお目当ての施設を検索する。
「え〜と、あった。」
マーカーを付けた場所は公衆浴場。なんでも神殿を作るような大工が手がけたすごい場所らしい。
「ランドリーは……無いよな。」
『むしろあったほうが驚きですが。』
「ランドリー……だよな。」
『ランドリー……ですね。』
公衆浴場に到着し、代金を払って(予め教会領で使える通貨を用意しておいた)入った時に見たのは中でゴウンゴウンと音を立てて服が回転する鉄製の箱だった。
「おや、アルター。貴方が此処に来るのは珍しいですね?」
物腰の落ち着いた神父らしき人が俺に声を掛けてきた。
口ぶりからするに『アルター』を知っている奴だろうか?
「その服……いつもの執行官のコートはどうしたのですか?それにやけに匂いますが……」
「あ、あぁ……道で転んでドブに突っ込んだ。余所行きの服だったんだが汚物まみれだ。ヒドイ話だろう?」
「そう、ですか。それは災難でしたね。それでしたらウォッシャー……でしたね。それで洗うといいでしょう。洗濯から乾燥までを自動で行ってくれるなんて、良いものを考案してくれたものです。」
あのランドリーはウォッシャーと言うらしい。というかこの世界の技術じゃないような……
「ちなみにあのウォッシャーっていうのは誰の考案だっただろうか?」
「何を言っているのですか?貴方が技術提供をしてくれたのではないですか。」
目を丸くする俺。アルターの奴……色々と黒い噂が絶えないと思っていたが案外いい奴なのか?
「そうだったな。済まない、ド忘れしていた。」
「そうですか。それはそれは……」
神父は微笑むとその場を去っていった。
そして……
「あと……本物のアルターはそんな言葉遣いはしませんよ……」
「!?」
振り返った時には神父は既に居なかった。
「……バレたか?」
『確実にバレましたね。今後の調査に悪影響を与えなければ良いのですが。』
それからというもの、俺は事あるごとにアルターと間違えられた。
なんだか喋ってボロが出るのもマズいので、何もしゃべらなかったら特に咎められなかった。おそらくアルターは普段から無口なのだろう。
「(それにしても殆どヒーロー扱いだな)」
『(彼らから見れば悪しき魔物を葬り去る無敵の戦士ですから。)』
食料を求めてパン屋に行けばおまけをしてもらえるし、道行く修道士からは手を組んで祈りを捧げられる。
町娘からは何かと言い寄られる。……普通の人間に言い寄られたのに少しびっくりした俺である。
「(あまり目立つのも困りものだ。隠れながら行こう。)」
『(了解。ルートを設定します。)』
表示されたマップの道にいくつかの赤いラインが走る。
おそらくそこが人通りの少ない場所なのだろう。
「(結構歩くな……最終目的地は……教会の聖堂か?)」
『(先程の神父の話の通りならばアルターは執行官という役職についています。ならば公的機関……ここの場合は教会ですね。そこへ行けば遭遇する可能性も無いわけではありません。)』
鉢合わせして……撃ち合いにならなきゃいいが。
〜聖廟都市ミシディア セント・ジオビア教会大聖堂〜
街の中心の聖堂へとたどり着いた。
……此処に来るまでに随分と苦労したが。
「路地裏通るたびに浮浪者に施ししていたらすっからかんだよオイ。」
『マスターと違って彼は敬虔な神の僕のようですね。見習ってはどうですか?』
やなこった、と内心で舌を出しながら聖堂を覗き込む。
中には白いコートを纏った誰かが一人佇んでいる。
「……誰かいるな。少し話を聞いてみるか。」
『十分注意してください。ここではマスターは有名人とそっくりなのですから。』
気配を消してその人物へと近づいていく。
彼は静かに祈りを捧げているようだ。
「礼拝中悪いな。少し聞きたいことがある。」
「………………」
そいつは音もなく立ち上がると、こちらへ向き直った。
「……な……あ……」
「……………………」
そいつは……『俺』だった。
「お前が……アルター……か……」
手には俺と同じような黒く大型の銃を所持している。
藍染めのズボンと黒いインナーに白いロングコートを纏い、白いコートには金糸で十字架が縫いこんである。得物と服装がなんともミスマッチだ。
「少し話したいことがある。お前は何故魔物を抹殺する?魔物と遭遇したのなら教会の異常性に気づかないはずは……」
「最優先ターゲット……アルテア=ブレイナー発見……殺害する。」
そいつが、静かに『キマイラ』を構える。
片手で。
『オクスタンランチャー展開。モードB』
機械的な男性の声と共にアルターの持つキマイラが変形していき、約2メートル程度の細長いランチャー形態になった。
オクスタンランチャー……ATX計画の内の一機と同じ物の武器だ。
「っ!?」
咄嗟に横へと転がり、無理矢理に射線から体を外す。
背後に走る衝撃。発射の轟音で耳が遠くなり、キマイラから放たれた砲弾が教会の柱を砕く。
そのあまりの威力に背筋が薄ら寒くなった。
「クソッ!問答無用かよ!ラプラス、応戦を……」
『許可できません。至急退却してください。』
また新たな砲弾が足元へ着弾。大理石の礫が俺の体を叩く。
『アルターの戦闘能力は未知数な上、私のプロトタイプであるキマイラも鵺と違い完全なコンディション下にあると推測。さらにあの重量と衝撃を片手で支えるほどの筋力。身体能力はマスターとは比べ物になりません。』
俺の全身から血の気が引く。
要するに化け物になった俺のような物だ。
「チキショウ!やってられるか!」
『スモッググレネード展開。』
アルターに向けてスモッググレネードを放つ。
それを奴は鷲掴みにしてキャッチした。
それを投げ返してくる。
うなる風切り音と共に煙幕弾が頭の横を掠めていく。
「あっぶね!」
『当たれば負傷は免れませんね。』
しかし、幸い煙幕は張られ始めた。あとは逃げるだけだ。
「スタコラサッサだ!逃げるぞ!」
聖堂の出口へ向けて駆け出す。そして煙幕を貫くように弾丸が飛んでくる。
『サーモスキャンですね。完全に狙われています。』
「だーもう!自分の力が自分に跳ね返ってきやがる!」
追加でフラッシュバンを後ろに打ち込みながら走る。光が炸裂するとようやく追撃の手が緩んだ。
「今のうちに脱出!1にも2にもにげろぉーーーーー!」
路地裏を走っていると足元に銃弾が打ち込まれた。
「げぇ!?もう追いついてきやがった!」
とっさに脇道へ逃げこむ。直線で遮蔽物が無いのは危険だ。
「クソっ!狭い道を逃げながら鵺で戦うのは分が悪いぞ!」
『取り回しのいい武器を使えば良いのです。デザートイーグル展開。』
グリップを引き抜くとデザートイーグルが取り付けられている。マガジンはグリップの下から排出されるようだ。
「ライフルにゃ劣るが仕方ないか!」
9ミリ弾を角から曲がってきたアルターへ打ち込んでやる。
全弾外れ。そりゃ逃げながらなのだから仕方がない。しかし、足止め効果はあったようで、もう一度角へ隠れてくれた。
「リロード!」
『どうぞ。』
後部ハッチにマガジンを放りこみ、上部からせり出したマガジンへ叩き付けるようにリロード。
また後ろへ向けて撃ちながら走る。
「せめてカードが使える場所へ……」
不意に左右の壁が途切れる。辺りには多くの人が行き交っていた。
「しまった!路地を出ちまった!」
このままではアルターの放った銃弾が民間人へと当たる。流石にそれはマズい。
『今のうちにカードを使ってください。今ならうかつに射撃は出来ません。』
「そうか!さすがに奴だって無闇に信徒には……」
カードを取り出しながら振り向くと……
「……狙い撃つ」
『Lock on』
ライフルを構えたアルターが。容赦なしにトリガーを引く。
「やめろぉぉぉぉおおおおおお!」
カードが発動すると同時に発砲音。
銃弾が俺の脇腹や足を貫通し、カードの端を削りとる。
後ろから悲鳴。断末魔の声。
視界が光に包まれた後、意識が暗転した。
〜???〜
『マスター、起きてください。マスター。』
マスターが目を覚まさない。心拍数低下中。大量ではないものの、出血も確認。
銃弾は威力のあるものだったため貫通こそしているものの、ショック症状が心配されます。
おまけにポータルカードの発動と同時にカードが損傷し、予期せぬ場所へと転送されたようです。
『マスター。しっかりしてください。マスター』
意識も不明……完全に気絶している模様。早めに手当をしなければ命の危険があります。
しかし、自分では何も出来ない。マスターの腕のコントロールの掌握はマスターの意識がなければ不可能。
「あれ……人が倒れて……うわ!血まみれ!?」
倒れているマスターに気が付き、少年が近寄ってきた。
私はその少年に対して呼びかける。少なくとも負傷している人間を放って置く人間はいない筈。
『誰か救護のできる人物を呼んできてください。このままではマスターの命に関わります。』
「わ、わかった!ちょっとまってて!」
少年が元来た道を駆け出す。暫くすると一人の女性が少年に手を引かれてやってきた。
灰色のしっぽと、耳。あれは……
「人が倒れているって……え……貴方は!」
『お久しぶりです。いきなりですみませんが、マスターの手当をお願いしたいのですが。』
以前、マスターがE-クリーチャー化を解いたワーウルフの女性だった。
IF〜えらいことになってしまった〜
逃げるようにモイライの街からすっ飛ぶこと数時間。俺は未だに着地すること無く飛び続けている。
着地する場所を探しているのだが、眼下は禍々しい森ばかり。
空は薄紫色に曇り、時折稲光が走る。
右を向けば岩山、左を向いても岩山。どう見ても正面衝突で即死コースだ。
いくらフィールドに守られているからといって、中身は生身の人間だ。強烈な衝撃に耐えられるような作りにはなっていない。
「おい、どこまで飛ぶつもりだ?」
『少なくとも不時着ができそうな場所までは降りられないでしょう。こちらも熱が溜まって処理が遅くなっているのです。我慢してください。』
本気で心配になってきた……。
ため息を吐きながら前方へと目線を向けると、何やら立派な城が見えてきた。
あれは一体……。
「おい、ラプラス。もうちょい高度上げろ。このままじゃあの城に正面衝突するぞ。」
『………………』
「……おい、まさか……。」
ブリッツランスのシェルブースターがキュルキュルと嫌な音を立て始めた。
心なしか高度も下がっているような……。
『極度に熱が蓄積されたことにより、出力が低下しています。地面に進行方向を向けて墜落するか城に衝突して無理矢理止めるかを選んで下さい。』
「選べるかボケェェェェェエエエエ!」
殆ど慣性の法則に従い、滑空するように城へと向けて突進し続ける俺達。
墜落すれば衝撃で放り出されるだろう。この速度で地面を転がっていくことはすなわち、生きた人間をおろし金ですりおろすことと同義だ。
だとすれば取れる方法はひとつ……
「どうか死にませんよーに。」
『祈る神はこないだ砲撃しませんでしたっけ?』
「……あぁ、死んだな。」
そこからはもはや一瞬の出来事だった。
あっというまに下に見える城下町を飛び越し、城の周りに張り巡らせてあるバリアのようなものを突き破り、石造りの壁に突っ込んでぶち破り、さらに内部の壁を幾つもぶち破って漸く止まった。
「……天国ってこんな場所だったんだな。」
『勝手に死なないで下さい。』
そう言うなり、ラプラスがブリッツランスを格納。鵺のハッチというハッチを開放し、砲身すら開ききり、普段開けることの無い場所まで開いて動かなくなった。
『オーバーヒート寸前です。暫くは各機関冷却のため全機能を凍結します。』
「マジか。」
穴という穴からもやが立ち上る程に熱気を放っている。
熱すぎて思わず鵺を取り落としてしまった。
「やれやれ……こんな得体も知れない場所で丸腰か。助かったと思いきやピンチにはかわりな……」
「……誰?」
背後から女性の声がする。
こういう時の嫌な予感というのは恐ろしいほど当たるものだ。
振り返ってその姿を確認する……
「いきなり壁を突き破って……何者?衛兵を呼ぶべきかしら。」
白くてサラサラしたロングヘアー、真紅の瞳、大胆に胸元が開いたドレス。
そして、美人。……ただの美人だったらよかったんだがなぁ……
角、尻尾、羽。明らかに人間じゃねぇ。
記憶の奥底から魔物図鑑を引っ張り出し、そいつがなんなのか検索を掛ける。
そして、条件に合う奴が1件ヒット。この状況では……最も会いたくない魔物ナンバーワンだ。
「り、リリム……!」
「まぁ、そうだけど……私としては貴方の正体がなんなのかの方が知りたいわね。」
どうやってこの場から逃げ出そうか画策している内に、崩れた壁の向こうの廊下からドカドカと足音が向かってきた。
この状況は、ヤバい。明らかに『壁をぶち破って現れた襲撃者と命を狙われた魔王の娘』の図だ。
「……こっち。」
「は?」
彼女は俺の足元に落ちていた鵺を拾い上げて俺に押し付け(滅茶苦茶熱かった)、腕を引っ張ってクローゼットを開けるとその中に押し込んだ。
中は大量の服によって窮屈で、体に密着する鵺がジリジリと体を焼く……ってマジであちぃ!?
「お嬢!お怪我はありませんか!?」
「いえ、怪我は特に無いわ。察するに侵入者の事かしら?」
外で先程のリリムと誰かが話している……というか今すぐにでも飛び出したい。
今の俺はまさに焼け石を抱かされて縄で縛られているようなものだ。
あぁ……化学繊維の溶ける匂いが……ってマジでやべぇ!?
「ここには……いないようですね。何処へ言ったかは見ていますか?」
「すぐに廊下へ飛び出して何処かへ行ってしまったわ。お母様狙いの勇者の可能性もあるけど……放っておいても問題無いのではないかしら。単身で魔王城へ特攻してきて無事であるとは思えないわ。」
素数を数えた所でこの灼熱地獄はどうにもならないだろう。
心頭滅却……だめだ、周りの服に染み付いた女性特有のいい匂いと化学繊維が溶ける匂いが混ざって頭の中がカオスになっている。
「しかし追いかけないわけにも行きますまい。」
「そうね……。多分上の方へ行ったんじゃないかしら。ここへ来るってことは何かしら目的があったのでしょうし。」
「そうですね。それでは侵入者の捕縛へ行ってまいります。」
「えぇ、気をつけてね。」
ドカドカと部屋から靴の音が遠ざかっていく。
それと同時に我慢が限界を超え、クローゼットの中から飛び出した。
あぁ、新鮮な冷たい空気がうめぇ!
「はぁ……はぁ……マジで死ぬかと思った……。」
「別に見つかっても死ぬことはないでしょうけど……少なくとも誰か独身の魔物に宛てがわれる事はまず間違いないでしょうね。」
「わかってるよ……だが身柄が拘束されるのは俺にとってあまり好ましくないからなぁ……。」
それにしてもここからどうやってぬけだそ……
「……待て、何かさっきの会話の中に恐ろしい単語が入っていた気がするぞ。」
「独身の魔物に宛てがわれる?」
「いや、もっと前だ。え〜と……」
──単身で魔王城へ特攻してきて──
記憶の中を掘り出して出てきた単語に、今度は滝のように汗が出てくる。
ってことはつまり何か。この中世の洋城を思わせるこの建物は……
「ここ、魔王城?」
「うん。」
「ラストダンジョンにして世界の半分を分けてやろう〜的な?」
「なにそれ……少なくともここは魔王城だし、それ以上でもそれ以下でもないわ。」
先程ぶち抜いてきた壁の方へ目線を向ける。
なんという事でしょう。匠の破壊者の手によって風通しが3倍増に。
外の景色も一望でき、プライベートなどどこ吹く風……。
「おいラプラス、デザートイーグル出せ。今すぐ自殺する。」
『………………』
「はい凍結中ー!うんともすんともいわねー!」
「何やってるのよ……」
呆れたように額に手を当ててため息を吐くリリム。ええい……呆れられてしまったではないか。
「ともかくここにいてはマズイわね……いつ見つからないとも限らないし。」
「見つかっちゃまずいとはいえ……この格好はごまかしようがないだろう。」
青のジャンパーはどう贔屓目に見てもこの世界の物ではない。=浮きまくる。
「とりあえずその上の服だけでもクローゼットの中に入れて……そうね、木を隠すなら森の中だわ。食堂へ行きましょう。今の時間なら結構人がいるし、みんなイチャイチャするのに忙しいから他人の事なんて気にしないわ。」
彼女の言う通り少し溶けかけたジャンパーをクローゼットの中へと押し込み(彼女は匂いに若干顔をしかめていたが)、食堂へと逃げるように立ち去った。
なぜか……好奇の目に晒されているような気がした。
「あ、そうだ……もしかして貴方って妙な香水つけていない?」
「……あぁ、ここへ来た原因もそれだよ……。」
食堂に行く前に医務室へ寄って中和剤をもらった。流石魔王城、至れり尽くせりだ。
〜魔王城 一般兵卒用食堂〜
確かに食堂はごった返していた。
7割が魔物で、3割が人間といった所だろうか。男は全員誰かしらとくっついて食事をしている。
「ここなら多少の内緒話は周りの喧騒にかき消されるわ。私なんて気にも止めない人ばかりでしょうし。」
「いや……仮にもお前って魔王の娘だろう?それが注目を集めないってどうなんだ?」
俺は彼女に促されるままに隣の椅子へと腰掛けた。
俺の疑問に少し影の差す表情でどういうことかを彼女が語ってくれた。
「えと……私ってね、リリムの中でも落ちこぼれの部類に入るの。魔力なんかはインプなんかと遜色ないくらいに。」
リリムは例外なく強大な魔力を持っているものだとばかり思っていたのだが……意外と例外はいるものらしい。
そういえば図鑑に書かれているような魔力の塊も彼女には付いていない。
「バカにされることはないけれど、他の姉様や妹達みたいに尊敬もされない。ま、気が楽といえば気が楽だけれどね。」
そういえばリリムがその場に居合わせると、男も女も魅了されてしまうのだとか……それが無いということは彼女の言うことは本当なのだろう。
もし魅了が俺へと向けられているのであれば、セキュリティが検知するだろうし。
「って私の事はどうでもいいの。貴方一体何者?いきなり襲撃してきた割には敵意もへったくれもない……というよりあまり驚いていないみたいだし。」
「ん、そうだな。俺は……こういう者だ。」
ギルドの登録証を彼女に見せる。
それを物珍しそうにまじまじと眺める彼女……というか、まだ名前すら聞いていなかったな。
「冒険者ギルド モイライ支部構成員……アルテア=ブレイナー?冒険者が何故魔王城に襲撃を?」
「事故だ、事故。速度の出る移動手段で逃げていたらここに突っ込んでしまったという次第。というか、そろそろあんたの名前を教えてもらってもバチは当たらないと思うのだが。」
今更気付いたのか、はっとした表情で居住まいを正す彼女。もしかしたら意外と抜けているのかもしれない。
「そうね……私はアリシア。現魔王の第86子……ってここまで来ると殆ど継承権から外れているからこの辺はお飾りなんだけどね。」
自虐的に自己紹介をする魔王の娘。貫禄とかカリスマとかそういうのからは完全に逸脱しているが、下手に畏怖を抱かない分親しみやすそうだ。
『機能回復。全機能の凍結を解除します。』
ようやく放熱が終わったのか、ラプラスが応答を返すようになった。
声がどこから聞こえてくるのかわからないようなので鵺をテーブルの上に載せてやる。
『アリシア様、ですね。私は自己推論進化型戦術サポートAI、個体名称は『ラプラス』です。以後お見知りおきを。』
「うわぁ……これリビングアイテム?随分と精密な作りをしているわね……。」
つんつんと鵺をつつきまわすアリシア。まぁその程度では暴発はしないだろうから特には止めなかったが。
「こいつに搭載されている武装の一つでここまで来たんだ。鵺という何でもトンデモ兵器だな。」
『なんという酷い言い草。そのトンデモ兵器に何度も命を救われているのはどこの誰ですか?』
「悪い悪い。信頼の裏返しとして取っておいてくれよ。」
どうしようもない言い合いを見て彼女がクスクスと忍び笑いを漏らしている。
むぅ……自覚はないのにどうしてか周囲を笑わせるような言い合いになってしまうんだよな。
「仲がいいのね、貴方達。」
「半分自分自身みたいなもんだしな。」
『学習が進むに連れてマスターと思考パターンが似てくるように造られていますからね。今マスターがアリシア様の事を悪からずと思っている事も手に取るようにわかります。』
「何人の頭の中をぶちまけちゃってんのかなこの子は。」
グリグリと鵺に拳を押し付ける様子を見てまたクスクスと笑い出す。なんだか楽しそうだな……。それに笑っている顔が可愛らし……
「待て、俺今何を考えようとした?」
『笑って「シャットダウン」
頭の中身を再び暴露しようとしたラプラスを強制終了する。
何を言おうとしたのかがイマイチわからないのか、彼女が小首をかしげている。
何故だ、妙にドギマギしてしまう。セキュリティを見ても特に精神操作を受けたような形跡はない。と言うことは……
「(天然……か……!)」
「どうかした?」
軽く戦慄を覚えながらも平常心を保つ努力をする。
落ち着け、この程度の誘惑ならいつも振り切っているじゃないか……いや、振り切れていないか?
「そ・れ・よ・り〜♪貴方、壁をいくつ破って入ってきたのかしら。」
「………………」
そうだ、天下の魔王城へ突入した挙句、内部を滅茶苦茶に破壊したのだ。
現世界の文化財を破壊したら一生かかっても返し切れない程の借金を負うだろう。
それが現役で使われている施設を破壊したとしたら……。
「弁償?」
「うん、弁償♪」
そう言うと彼女はポケットから細い鉄の棒のような物を取り出した。
それを耳に当てて片方の先端を口元に持ってくる……ってまるで旧世代の携帯電話だな。
「あ、姉さん?アリシアだよ〜♪元気〜?うん、こっちは変わりなくのんびりと過ごしているよ。え〜……早く恋人見つけろって?まぁその事込みで連絡入れたんだけど……。」
そう言うと彼女が俺の方を見てニヤりと笑う。なんだかこの笑顔……どこかで見たことがあるな。
「姉さんのギルドの人……うん、そう彼。アルテアって言ったよね?今ここにいるんだ〜。え、早くこっちへ帰せって?う〜ん……すぐに返してもいいんだけどさ……」
彼女のニヤニヤが止まっていない。うん、そうだ。この笑顔、何処かで見たことがあると思ったら、悪巧みをしているミリアさんと瓜二つなのだ。
「彼……魔王城の壁を幾つもぶち壊して侵入したんだよね。修理に……そうだなぁ、金貨1万枚くらいかかるかも。それを肩代わりしてくれるならすぐに返してもいいよ〜♪」
待て、金貨1万だと?現世界の価値に換算して1億円だぞ?そんなにかかるのか?
「もし〜払えないっていうのならぁ……彼、私に譲ってくれないかしら?え?何に使うかって?それ言わせるの〜?スケベ。」
なんだか俺のあずかり知らぬ場所でどんどん話が進んでいっている気がする。
というか、地味に俺ピンチ?
「どうする〜?払えるなら〜……別に今すぐにでも送り返してもいいよ?城下町には旅の館もあるし。え?人でなし?何いってんの〜私達人じゃないよ♪」
もはや嫌な予感しか無い。
先程からあの装置よりヒステリックな叫び声が聞こえてくる。なんかどこかで聞き覚えがあるのだが……
「ん〜?いいの?結構大事な人なんでしょ?背に腹は変えられないからいいって?ありがとう!お姉ちゃん大好き!」
そう言うなり鉄の棒から耳を離すと、鉄の棒が淡く光った。
回線が切れたということだろうか。
「そんなわ・け・で♪」
彼女はテーブルに置いてあった俺のギルドの登録証を拾い上げると、同じくテーブルの上に立ててあったロウソクへ近づけて燃やす……っておい!?
「ちょ、何してんだ!?」
「ん〜?いいのいいの。アルテアはもう冒険者ギルドのメンバーじゃなくなったから。」
先程の会話と今の発言がつながっていく。
もしかして今話していた相手は……
「話していた奴ってまさか……ミリアさんか?」
「ピンポ〜ン。せーかい♪」
なんてこった。今目の前にいるこの腹黒女はミリアさんの妹か。
って……待てよ?
「ミリアさんは普通のサキュバスだぞ?少なくともリリムじゃ……」
「あ〜……あれ?リリムとしての魅了も魔力も全部封印して姿まで変えているだけだよ。普通に暮らす分には邪魔になるんだって。」
驚愕の真実をこんな場所で聞く事になるとは。
なんだか普通ではないとは思っていたが……あの人リリムだったのか。
「ま、そんな訳でアルテア君。キミには2つの選択肢が残されています。」
アリシアが人差指と中指を立ててピースサインを作る。
「一つは私の夫になって生涯を共にすること。中々魅力的でしょう?」
「あぁ。素敵に傍若無人だ。」
俺の言い様にも特に反応を示さず、指を1本折る。残っているのは人差指。
「もう一つは、アルテアが私の奴隷になること。金貨1万枚なんて普通の人が一生稼いでも返し切れないわよねぇ。だから、私が貴方の借金を肩代わりしてあげる代わりに私に一生仕えるの。どう?どっちも魅力的でしょ?」
「……ちなみに俺に拒否権は?」
彼女は、極上の笑みで俺に言い放った。
「なし♪」
「ですよねー♪」
どっちを選ぼうが俺はこのお嬢様に一生縛られることになるらしい。
なぜあの時素直に地面へと墜落を選ばなかったのだろうか。あの時の自分を殴ってでも墜落させてやりたい気分だ。
「ちなみに奴隷を選んだ場合どうなるんだ?」
「やることは変わらないわよ。私の呼び名がご主人様に変わるだけ〜♪」
「……夫で……お願いします……」
「よろしい♪」
なんつーかもう無茶苦茶だ。初めて会った相手に「夫にする?奴隷にする?」とは一体どこの国のプロポーズだ。というか俺はこいつの事を何一つ知らないというのに。
「なぁ……そんなんで人生のパートナー選んで嬉しいか?」
「…………」
俺の一言で彼女が固まる。そりゃそうだ。俺が言っているのはあくまで正論。
彼女が言っているのは借金を盾にした唯の我儘だ。
「……だって……」
顔を伏せて何かに耐えるように肩を震わせる彼女。
なんというか……泣いているのか?
「私……魅了も使えなくて……鈍臭いし……魔力も無いし……こんな事でもしなきゃ……しなきゃ……」
彼女の膝の上の握りこぶしにポタポタと何かの雫が落ちる。
言われずとも分かる。これは……彼女の涙なのだろう。
「振り向いてくれる人なんて……ひとなんてぇ……」
「もういい。何も言うな。」
震える彼女の頭の上に手の平を置いてやる。
サラサラと振れる彼女の髪の毛の感触が心地よい。
不思議と周囲の喧騒が遠く聞こえた。
「お前が俺を引き止める方法に納得した訳じゃないが……いいぜ。お前に付き合ってやる。ただ……」
両手で彼女の頭をこちらへと向ける。
案の定、彼女の目からは涙の跡が走っていた。
「お前がお前自身の取り柄を探す事……それが条件だ。あんまり我儘言うと城全壊させて逃げちまうぞ?こっちにはそういう前例があるんだ。」
無論、最後は冗談なのだが。
「うん……うん、私……頑張るよ。お金の事とかそんなのが無くても……アルテアを振り向かせるようになってみせる。」
「ん、いい子だ。頑張れよ。」
とは言ったものの、こいつが見た目通りの年齢であるはずが無いんだよなぁ……自分より遥かに年上であろう相手にいい子だって……何様だ俺は。
その後はまぁ言うに及ばず……彼女と共に暮らすようになった。
しかし俺というのはとことんトラブルを引き寄せる性質があるようで……
まずは向こうに俺がいなくなった事により、ミストがこちらへと戻ってきてアリシアと俺を取り合いし始めた。
次に、ミリアさんがギルドの運営やらなにやらをシェリアに丸投げして魔王城へと帰ってきた。無論、アニスちゃんも連れて。当然取り合いに参加。
さらにニータが無理矢理こちらへ転勤願いを出し、エルファが本気を出してこちらと向こう側を無制限に繋ぐことのできるポータルゲートを創りだした。無論、二人共取り合いに参加。
一応リリムの夫になったのだからとメイドを宛てがわれたが、そいつがなんとプリシラだった。
彼女曰く、「アルテアさんは自分がいないとダメだから」らしい。俺はお前にクエストの受付業務以上のことをしてもらった覚えは無い。
さらにさらに、フィーとチャルニはというと魔王軍に転向。俺の剣術指南と称しては試合に持ち込もうとしてくる。そうそう、なぜか俺は剣術をやらされている。筋は……悪いらしい。
アリシアの夫、という肩書きがある以上は皆積極的にくっついてくる事は無くなったものの、隙あらば取り入ろうと虎視眈々と狙っているのは……まぁ言うまでもない。
アリシアにはエクセルシアと俺の世界の事を話した。
すると、二つ返事で回収に協力してくれる事になった。ギルドの承認無しに旅の館が使えるようになったのは大きかったな。
で、最終的にエクセルシアを全て回収して現世界への道を開いたんだ。
何が起きたかって?アリシアが覚醒して一緒に道を通って現世界まで付いて来ちまったんだよ。
こちらでは空気中の魔力が極端に薄いせいか、やたらめったら求めてきて大変だった。
うん、自慢する気はないぜ?
これとは別件で結局あちらへと戻るハメになるんだが……ま、それは追々話そう。
で、こちらの世界に戻ってからの事だ。
俺は完全に戦いから足を洗って比較的魔界化が進んでいない土地で暮らしていた。
何故そこか、というのもこれまた理由があるのだが……これもまだ先だな。
色々と複雑過ぎて説明が面倒くさいのもあるが、また今度だ。
「ね、アルテア。私達って結婚式はまだだったよね?」
「あ〜……うん、忙しかったからな。」
「ね……しよ?」
「……そう、だな。一区切り着いたし……それもいいかもしれん。」
これからも俺達は幸せに包まれて生きていくのだろう。
それは多分……俺が傭兵暮らしでは一生手に入らなかった物に違いない。
だから……俺が傭兵でない限りはこの幸せを噛み締めてもバチは当たらないよな?
12/01/16 23:56更新 / テラー
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