Act.2<Blind belief>
今日もまた、各地に出現した自分の分身達を処分し、帰りの馬車でモイライへと帰るクロア。
隣にはサラも一緒だ。
基本的に任務を遂行する場合は二人とも別行動だが、それ以外の時間はほぼ常にと言ってもいいぐらい一緒に行動していた。
ギルドで二人を見た者達は大抵二人の仲を勘ぐる物だが、この二人はそういう関係になった事は一度もない。
そうなった時点で終わってしまうことを知っているからだ。
いかに化け物のような力を振りかざすクロアでも疲労は来る。
馬車にゆられてうつらうつらと船を漕いでいると、不意に馬車が急停車した。
浅い眠りから起こされて不機嫌そうに窓の外を見るクロア。
外には十字の鎧を着込んだ騎士たちがバリケードのような物の側に立ち、検問を行っているようだ。
この付近は教会の領地に近いため、不定期にこういった検問所が立つことがある。
お咎めなしになるまでが長いので魔物とは関係無い者にも評判が悪かった。
「(めんどくせェ……)」
心底嫌そうに頭をガシガシと掻くクロア。
彼自身神というものを毛嫌いしている事もあり、神という名の付く物は(それこそそれが幸運の神だったとしても)可能な限り避けていた。
しかし、彼らの目的からすると無視すれば余計に面倒なことになるのは目に見えている。
「どうする?変装用のアクセサリーは持ってきていないぞ?」
「潰す。その方が手っ取り早いし二度手間にもならねぇだろ。」
どの道サラが変装できないのであれば見咎められるのは時間の問題であるし、見咎められれば即戦闘に突入する。それならばいっそのこと先手を打ってしまったほうがその分楽である。
彼は腰のホルスターからナハトを引きぬき、無造作に馬車から出て行った。
それを見た兵士が一人こちらへと近づいてくる。
「馬車の中に戻れ。まだ検問が終わっていな……」
「うるせぇよ」
ナハトをその兵士の頭に突きつけ、発砲。
打ち出したのは貫通性の魔力弾。当然兜を貫通して中身がトマトを握りつぶしたような惨状になる。
周囲の兵士はそれをみて何が起きているのか理解できないようでポカンとしている。
背中からヴァーダントを引きぬき、少し離れたところで別の馬車の検問をしていた兵士(やはりこちらを向いて呆然としている)へ向けて投擲。
ブレストプレートを貫いて深々とヴァーダントが突き刺さった。
悠然と歩いてそれを回収する頃には事態を把握した兵士達に包囲されていた。
「貴様!何をしているのか分かっているのか!?」
「あん?何って……」
ヴァーダントが突き刺さっていた死体を片手で持ち上げると……
「ゴミ掃除だよ。見りゃわかんだろ。」
それを兵士の一団へと放り投げた。
鉄と肉の塊が高速で飛来し、兵士たちが吹っ飛ぶ。
あまりの衝撃に死体の腕がもげて飛んでいった。
「あ〜あ〜……まぁた散らかしちまった。こりゃ後片付けが面倒だな。」
人が死んでも眉ひとつ、それどころか汗ひとつ流さずに、それも心底楽しそうに笑うクロアを見て教会の兵士達はジリジリと後ずさっていく。
彼らの目にはクロアが人間ではなく、何か恐ろしい化け物が人間の皮を被っているように見えるのだろう、
「貴方は……一体何をしているのですか!?」
不意に甲高い声がクロアの耳に届いた。
「(どいつもこいつも第一声は何をしているのか、かよ。つまらねぇな。)」
声のする方へ目線を向けると、白い羽を生やした女性が浮かんでいた。
それを見てクロアが獰猛な笑顔を形作る。
「よう、誰かと思えばクソ野郎の使いっパシリか。今日も今日とてパシリごくろーさん」
彼の不遜な態度に彼女の顔が見る見るうちに赤くなっていく。
それもそうだ。敬愛する神をここまでボロクソに言われれば誰だって怒りの感情の一つも沸くだろう。
「百歩譲って私どもの兵士が無礼を働いたのであればお詫びしましょう。殺さなければならないほど腹が立ったのであれば私が代わりに傷を負いましょう……ですが。」
彼女はその端正な顔を怒りに歪めて彼を糾弾する。
「貴方には誰かを敬う気持ちという物が無いのですか!?私どもをおつくり下さった主にそんな呼び方を……」
「クソ野郎はクソ野郎だろうが。肝心なときに手を差し伸べるどころか谷底に叩き落とすようなクズに敬意を払う必要なんてさらさらねぇよ。それともアレか?お前はどんなに虐げられても全ては主の導きですぅとか言って受け入れる変態マゾか?」
クロアの物言いにさらに顔を真赤にするエンジェル。
周囲の兵士はそのエンジェルの様子を見て彼女から距離を取り始めた。
それもそのはず、彼女の周囲の小石が浮き始めたのだ。
「貴方は神を……神を、冒涜するというのですか!?」
「ッハ!テメェが誰を敬おうが崇めようが勝手だがな、それを誰かに押し付けようなんて考えはお門違いだぜ?ましてや毛嫌いしているような奴に主を信じなさい〜とか。アホかテメェは。」
致命的な音と共に今度こそ完全にエンジェルの堪忍袋の緒が切れてしまった。
空には暗雲が立ち込め、雷鳴が轟いている。
「貴方はもう救いようがありません……神の名のもとに裁きを受けなさい!」
その一声に合わせるようにヴァーダントを上空へ放り投げる。
するとそのヴァーダントへ雷が吸い寄せられ、さらにそこから導かれるようにエンジェルへと雷が直撃した。
「きゃっ!?な、なんで……」
「側撃雷……って知っているか?」
落ちてきたヴァーダントを片手でキャッチし、円を描きながら衝撃を殺す。
片手を肩の高さまで上げ、肩をすくめるクロア。
「神の裁きだ神の怒りだとか言っているが所詮は電気の塊だ。結局は近いものに引き寄せられるし、近くに導電体があればさらにそこへ引き寄せられる」
地面へと剣を突き刺し、それに片手を添えてもたれかかる。
至極余裕の表情だ。
「あとは神の名のもとにじゃなくて自分がブチ切れたから〜って風にすりゃ100点満点だ。おしかったなぁ?」
あまりにも馬鹿にした態度に再度エンジェルが激昂。
またも雷を呼び寄せ、クロアへと直撃させる。しかし彼がダメージをうけた様子はさほど見られない。
「ま、また……」
「言っただろうが。所詮は電気だって。金属製品で全部電流を地面に逃がしてやりゃあ本人は無傷だ。魔力で体全体を覆ってやりゃあ尚更にな。」
わなわなと震えるエンジェル。もはや雷は効かないと悟ったのか、今度はどこからか弓矢を取り出した。
「っく!」
それを連射してくるのだが、当たらない。それもそのはず、彼女の手はブルブルと震え、狙いをつけるどころではない。
けだるそうにナハトを片手で構えてエンジェルへと照準を向ける。
「甘すぎだぜ?飛び道具ってのはこう使うもんだ。」
極めて冷静に、しかも冷酷にエンジェルへと照星を向ける。
引き金を引くと、エンジェルの純白の羽がパっと散った。
バランスを崩して彼女は地へと倒れ伏す。
「っう……ぐぅ……」
余程屈辱だったのだろう。ボロボロと涙を零しながらクロアを睨みつける。
彼はため息を吐いてヴァーダントを引きぬき、彼女へ近寄って顔の目の前の地面に突き立てた。
「盲目的にあのクソ野郎を信じるお前らに一つ面白いことを教えてやる。帰ったら少年の形をした生物兵器と機械人形について聞いてみろ。もっとも、それを知った時点でお前らには帰る場所がなくなるかもしれねぇがな。」
ヴァーダントを背中のホルダーへ留め、先頭の馬車にもう行っていい旨を伝えると、慌ててその場を駆け去った。
彼は元々乗っていた馬車へと乗り込むと出発を促す。
そして辺りには取り残されたエンジェルと教会の兵士達だけが残っていた。
「おつかれ。私が出るまでもなかったな。」
「はん……祈りを捧げるばっかで自己鍛錬を怠る怠け者に負けるかよ。」
揺れる馬車の中で再び寝入ろうとするクロアにサラがニヤリと口元を歪める。
「所で……任務外の殺害は始末書だって言ってあったな?忘れたか?」
「……チッ」
今から寝入って現実逃避をするか、それとも今から始末書の内容を頭に描いておくか。
結局、彼はそのまま寝入って現実逃避をするのだが。
〜聖廟都市ミシディア セント・ジオビア教会 司祭執務室〜
「ご苦労。今回は失敗してしまったようだが……何、気にすることはない。あの化物相手であれば失敗もやむなしだ。」
検問での失態を報告したエンジェルは、あの時のことを思い返していた。
少年の形をした生物兵器と機械人形……あれはどういう意味なのだろうか。
いくら気に入らない相手だとはいえ、彼は何か重大な秘密を知っているようだった。
「司祭、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何かね?何でも言ってみなさい。」
エンジェルの立場は教会の中でも高い位置にある。
それこそ目の前の司祭にも匹敵する……もしくはそれすら追いぬく程の地位を与えられている。
いくら司祭とはいえ、自分の言葉を安々と撥ね付ける事はしないだろう。
「少年の形をした生物兵器と、機械人形。この言葉について何かご存知ありませんか?」
彼女が発言した時、部屋の中の空気が凍りついた。
司祭は若干頬を引きつらせている。
「それを、どこで?」
司祭は無理矢理に態度を取り繕うと、再度エンジェルへ質問する。
「今日の襲撃者が語っていた事です。一体生物兵器とは何なのですか?それに機械人形とは?」
エンジェルは至って真面目に詰問する。彼女には、それが何なのかはわかっていない。
それが、教会の暗部に触れることだとも知らずに。
司祭は手を三度鳴らした。外から兵士が二人ほど入ってくる。
兵士はその合図の意味が分かっているようで、無言でエンジェルの両腕を取る。
「っ!?司祭!一体どういうつもりです!?」
「その話は知ってはならない事だ。貴方もこの件に関わらなければ長生きできたものを……連れていけ。」
兵士たちは何も言わず、エンジェルを引っ張って部屋の外へと歩き出す。
彼女は顔面蒼白のまま、彼らに連れられて行った。
「…………」
彼女は未だに信じられないでいた。
彼も人間なのである程度後ろ暗い所はあるだろうとは思っていたが、まさか天の使いである自分を拘束する程の暗部があったとは。
両側の兵士は振りほどこうとすれば振りほどけただろうが、神の信徒を無闇に傷つけたくはない。
結果的に、エンジェルはろくな抵抗もできずに地下牢の前まで連れてこられた。
「私を……どうするつもりですか……」
それに対する返答はない。
彼らの歩みもピタリと止まる。
大きな金属音と共に。
彼らの体から力が抜け、ガシャガシャという音をたてながら地面へと倒れ伏した。
無論彼女には何が起きたのかわからない。
振り返ってみると……
「貴方達……!」
「お迎えにあがりましたよ、プリンセス。」
「全く……冗談じゃねぇな。捕まったら極刑モンだぜ。」
自分の配下の兵士が、メイスを持って立っていた。
先程の大きな金属音は、彼らの棍棒が彼女を拘束していた兵士を殴り倒した音だったのだ。
「報告書で今日の襲撃事件の事を提出したら私達全員上に拘束されそうになりましてね。このままでは弁明も受けずに処分されると判断したので上官を簀巻きにして全員逃亡しました。」
「あのザマは笑えたな!いつも威張り散らしているハゲ親父の顔!今思い出しても腹が痛くなってくるぜ!」
彼らは自分たちが処分される危険をおかしてまでも彼女を助けに来たのだった。
彼女の瞳に涙が浮かぶ。
「すみません……私のせいで……」
「貴方のせいではありません。どの道、私達が聞いたことが上層部の耳に届いたら私達も処分されていたでしょう。まったく、彼も面倒な置き土産を残してくれたものです。」
ため息をついてブラウンの髪の方の兵士が首を振る。紳士的な言葉遣いとは打って変わって、心底面倒そうだ。
「ま、俺としては教会の教えに妙なところがあるとは思っていたからな。この機会に離れられるなら万々歳……っと、これはあんたの前で話すことじゃなかったな。」
歯を見せて笑いながらそういう金髪の方の兵士。確かにエンジェルである彼女の前で話す事ではない。彼女も苦笑する。
「今は一刻も早くここを離れましょう。いつ追っ手が来るかわかりません。さぁ、お手を拝借。」
「お、この状況でナンパか?随分余裕だな」
彼女に手を差し出す茶髪の兵士を笑う金髪。
彼女はこの状況においても変わらない二人に苦笑すると、ランスの手を取った。
「えぇ、行きましょう。アレン、ランス!」
「了解しました。」
「合点承知!」
〜交易都市 モイライ 冒険者ギルド〜
時刻は夕刻。
クロアとサラは漸くギルドへと戻ってきた。
ギルドの扉を押し開けると(極最近内開きに改築された)、カウンターからギルドマスターの娘が顔を覗かせた。
「いつもの魔女はどうした?」
「ぷりしらおねえちゃんはおにいちゃんといっしょにしゅっちょうちゅうだよ。わたしはおねえちゃんのだいり!」
どうやら彼女の兄(彼女が勝手にそう呼んでいるだけだろうが)は遠くのギルドへ出張に行ったようだ。
ロビーのテーブルにはよく利用している情報屋がいた。最近はここによく入り浸っている。
「あ、おかえり。どうだった?」
「ものの見事にアタリだよ。尤も、既に全滅していたがな。」
彼女はため息をつくと、彼を睨みつけた。
「行動が遅いんじゃないの?アルだったらもっと早く助けられたよ?」
「お前のお気に入りとシーフギルドの情報の速さと俺の足の速さを比べるな。こっちは旅の館が使えないんだ。」
彼の身分上、利用記録が残る旅の館は使えない。移動は殆どの場合が馬車か徒歩だ。
それに付き合っているサラも割と根気強いと言えるだろう。
「で、何か新しい情報は入っているか?」
「ん〜……なんかどうでもよさそうな情報が一つ入ってるよ。」
彼女はポーチから手帳を取り出すとペラペラとめくりだす。
目的のページで手を止めるとその内容を確認している。
「なんでも教会の領地から兵士が二人とエンジェルが一人逃亡中だってさ。逃走ルートは今現在使われていない街道……ケリウム旧道だね。そこを西に行ってるみたい。なんでこいつらは追われることになったのかな……」
手帳をパタリと閉じると彼女がこちらを見てくる。
彼は腰に下げてある巾着から金貨を一枚取り出すと、彼女の方へと弾いて渡す。
彼女はそれを器用に空中でキャッチした。
「随分太っ腹だね。」
「まぁな。情報感謝する。」
彼は踵を返すと、ギルドの出入口の方へと足を進めた。
すれ違い様に、サラに声を掛けられる。
「報告書は私が書いておこう。半分だけな。帰ったら残りはお前が書け。」
「りょーかい……んじゃ、行ってくる。」
これは暗に絶対に帰ってこいというやり取りだったりするのだが、傍から見たら報告書の押し付け合いにしか見えないのが玉に瑕だ。
〜シルヴァリア領 ケリウム旧道〜
「はぁ……はぁ……しつこいな、あいつら!」
「余程知られたくない事なのでしょうね。出来ることなら捕まりたくないものです。」
今は使われていない道を馬に乗って全力疾走する。
ランスの後ろにはエンジェルが乗っていた。
彼女は弓矢で応戦しているのだが、追っ手の数は一向に減らない。
彼女は最初ランスにしがみついているだけだったのだが、殺さない範囲で応戦を頼まれたので渋々ながらも後ろに矢を放っているのだ。
尤も、照準がブレすぎでまともに当たらないのだが。
「どうしましょう……このままでは追いつかれてしまいます。」
彼女がポツリと漏らした言葉を、二人は耳ざとく聞きつけた。
お互いに顔を見合わせ、頷く。
「天使様、貴方は一人でお逃げください。」
「……え?」
彼女は最初、ランスが言った言葉を理解できなかった。
「ここは私共で時間を稼ぎます。その間に貴方は出来る限り遠くへお逃げください。」
「なぁに、魔物の軍勢にぶつけられるぐらいならこっちのほうが簡単そうだ。後のことは任せて姫さんはさっさと尻尾巻いて逃げな!」
彼らは馬の足並みを緩めると、馬の頭を追っ手の方へ向けた。
さらに背中に留めてある槍を引き抜く。
「で、でも……」
「ご心配なく。私共の腕は貴方が一番よく知っているはず。あの程度の数、造作もありません。」
「そうそう、碌に訓練もしていない連中に俺らが負けるはずないだろ?一捻りにしたら追いかけるから、さっさと先へ行きな。」
ランスは後ろに乗っている彼女を抱き上げると、地面へと下ろした。
「無茶です!貴方達の腕を認めない訳ではありませんが、あの数相手ではどうしようも無いんですよ!?」
「無茶でも、男であればやらねばならない時があるのです。」
「少しは格好つけさせてくれよな?ただでさえ昼間の襲撃じゃコテンパンにされているんだからよ。」
彼らが前進する。こちらを押し潰そうとする敵へと牙を剥かんが為に。
「「だから……」」
声を揃え、共に叫ぶ。
「「早く、逃げろ!」」
「っ!」
彼女は彼らに背を向け、飛び去った。その後には光る雫が後を引いていた。
「さて、ランス。言い残したいことはあるかよ?」
「ふむ……そうだな。」
ランスは顎に手を当てて少し考えると、合点がいったように頷いた。
「私はお前のその軽い性格が好きではなかった。」
「ッハ!奇遇だな。俺もお前のお高く止まった調子が嫌いだったんだ。」
二人は槍を構え、追撃者の襲撃に備える。
「なんだかんだ言って俺らって相性が悪かったのかもな。いい意味で。」
「それには同感だ。なぜなら……」
もう敵の蹄の音はすぐ近くまで迫ってきている。激突は、近い。
「「例えお前が倒れようと、気にせず戦える!」」
強い雨が降っている。
降り注ぐ雨は容赦なく彼女をずぶ濡れにし、服を体にまとわりつかせる。
彼らの犠牲を無駄にしたくない。その一心で飛んでいた。
しかし、昼間にうけた傷が癒えておらず、バランスを崩して地面へと墜落してしまう。
口の中に泥が入り込む。もはや全身水浸しの泥まみれだ。
無理矢理に起き上がって再び逃げようとすると、蹄の音が近づいてきた。
「(アレン……ランス……!)」
彼らは、やられてしまったのだろう。生かしておく意味などないだろうから。
私に関わったせいで、彼らは死んでしまった。
そして、彼らの犠牲もまた、ここで無駄になる。おそらく、この蹄の音が近くまで来たときに私の命運も尽きるのだろう。
神に祈る、という選択肢はもはや無かった。
逃げている最中に何度も祈った。しかし、神が助けてくれることはなかった。
蹄の音が近づいてくる。しかし、ふと違和感を覚える。
なぜ、前の方から聞こえてくるのだろうか。
蹄の音がごく近くの所で止まった。見上げるとそこにいたのは、馬に乗った……
「いい格好しているな。天使様よぉ。」
昼間の、襲撃者だった。
「今更……何をしに来たのですか!」
クロアが派手な泥飛沫を上げながら地面へと飛び降りる。
彼女が歯噛みしてクロアを睨みつける。その顔には憎悪の表情がありありと浮かんでいた。
「いい表情だ。この世の全てに絶望し、不条理に憤るいい顔をしている。」
「ふざけないで下さい!この上私達に……私達に何をしようというのですか!」
それはクロアという理不尽に牙を向く獣の姿だった。
その姿が、過去の彼の姿と重なる。
「神サマには祈ったか?」
「っぐ……」
当然、彼はその質問の答えを知っている。彼自身がそうであったように。
「いくら祈っても神サマは助けちゃくれない。いくら願っても奇跡は起きちゃくれない。」
「なら……なら!私にどうしろと言うのですかぁ!」
彼女はボロボロと涙を零し、彼へ言葉を叩きつける。
彼女は生まれて初めて、神という存在に疑問を抱いている。自分を生み出した存在にもかかわらずだ。
「手を伸ばせ。懇願しろ。助けてくださいって、言え。」
「あなた……あなたなんかに……!」
ギリギリと歯噛みをする彼女。悔しい、惨め、そういった感情が伝わってくる。
しかし、本当に助けて欲しいのであればその感情は飲み込まなければならないのだ。
「もう一度言う。神サマは助けちゃくれない。ただ上から嘲笑って見ているだけだ。本当に誰かに助けて欲しいなら目の前の誰かへ手を伸ばせ。助けを乞え。」
彼女は地についた手をぐっと握り締める。
柔らかな泥が彼女の手の間からはみ出てくる。
そして、彼女は口を開いた。
「助けて……あの二人を……」
彼は黙って彼女の言葉を待つ。
「あの二人を!助けてください!」
そして、とうとう彼女の口から言葉が紡がれた。
神様相手ではなく、現世に生きる彼へと向けて。
「上出来だ。」
口の端を歪めて笑うと彼は彼女の脇を通って道の奥へと駆けていく。
彼女は、遠ざかっていく彼の足音をただ黙って聞いていた。
馬上から叩き落され、アレンが地へと倒れ伏す。
体の所々には受け流しそこねて出来た細かな傷と、大腿部を貫いている刺し傷。
左腕は不自然な方向へと曲がり、動く度に彼は顔を顰める。
「よう……ランス……生きてるか……?」
「生憎と……まだ死に損なっているよ……」
アレンは地へ這い蹲りながらも同僚へと声をかける。
ランスの方も似たり寄ったりな状況だ。
額が浅く切れて血がべっとりと顔を覆っている。
「ったく……難儀な人生だよな……上へ疑問を持たなきゃのうのうと暮らしてられたってのに……」
「だが……後悔はしていないだろう?あんな美人な……天使様の為に死ねるんだ。でっぷりと肥え太った中年オヤジの為に死ぬより数万倍は良い……」
それを聞いてアレンが大笑いする。
既にボロボロになりながらも笑い続ける彼に、追手は軽くたじろぐ。
「お前がそんな口利くとはなぁ……あのハゲが聞いたら頭まで真っ赤にして激怒するぜ。」
「私だって忠誠を誓っていない相手には不遜な言い方ぐらいする。私が忠誠を誓ったのは神であり、あの法衣を着込んだ豚ではないのだから。」
囲まれながらもふらふらと立ち上がる二人。
既に追手の何人かは彼女を追って行ったが、あの程度の人数に手こずるような彼女ではないだろう。
ならば、自分たちがこの数を抑えておけば彼女が生き残る確率はぐんと上がる。
ここで倒れる訳にはいかないのだ。
「さぁ、テメェら……俺らはまだ生きているぜぇ?グズグズしないでさっさとかかってこいよ……」
「どうしました……?貴方達の相手は私です。こんな手負いの二人、あなた方なら軽く捻れるで……」
ランスが言葉を紡ぎかけて、それを飲み込んだ。
アレンが不審に思い、ランスの視線の先を辿ると……
追手の一人の胸から、血を滴らせながら大剣の切っ先が生えていた。
その切っ先が引っ込むと、兵士がどうと倒れ、水しぶきが上がる。
兵士の後ろに立っていたのは……
「よう、お二人さん。姫様のナイトご苦労さん。」
昼間の襲撃者その人だった。
新たな闖入者に、兵士たちがざわめき立つ。
クロアへ向けて一斉に兵士たちが槍を向けた。
「危ねぇから身を低くしてな。間違えて斬っちまうかもしれん。」
そう言うと、爆発的に加速して兵士の一人へ肉薄。ヴァーダントにより槍を叩き斬り、返す刃で胴体から上を鎧ごと切り飛ばす。
別の兵士が突き出してきた槍を左手で掴みとり、引き寄せて奪う。
「ッハッハァ!」
その槍を構え直すとその兵士の腹に強引に突き刺し、何度も穿ち抜く。
絶命したのを確認すると、
「受け取んな!」
それを蹴り飛ばして新たに迫ってきた一団へと突っ込ませる。
もんどり打った3人に向けてフルチャージを行ったミタクでペネトレイトショットをお見舞いする。
鎧を貫かれ、魔力の弾丸によって体をズタズタに引き裂く。
3人からはすぐに赤黒い水が流れだしてきた。
その光景を見て、リーダー格らしき一人が撤退の合図を出した。
流石にこの化物相手にはまともに付き合っていられないと判断したのだろう。
合図を受けて兵士達が次々と撤退していく。
「はん……腰抜けばっかりか。」
逃げ出す兵士たちを目で追い、しかし今更同行する必要は無いと判断したのかすぐに目を離すクロア。
あれだけの殺戮を行って尚、彼の息は乱れていなかった。
「あんた……助けてくれたのか?」
「感謝しろよ?お前らの姫様の要望で助けてやったんだからよ。」
ミタクをホルスターへ戻し、ヴァーダントを背中のホルダーへと固定する。
しっかり固定したのを確認すると、彼らに背を向けて元来た道を引き返し始めた。
「自力で歩けるか?何なら手を貸すが。」
「大丈夫だ……少なくとも馬は無事みたいだしな。」
彼らは律儀に待っていた馬によろよろと跨ると、馬に体を預けてそのまま気を失ってしまった。
馬は器用にそれを落とさないようクロアに付いてくる。
「よく訓練されてるねぇ……こりゃ教会所属の騎士様の認識を改めなきゃならんかな。」
印象が良くなったわけではないが、と自分に言い聞かせてエンジェルの所へ戻っていく。
雨は既に上がり、空には満天の星空が輝いていた。
彼らを連れて戻ると、彼女は大泣きして二人に泣きついた。
その衝撃で二人は馬から落ちて悲鳴を上げるのだが、彼女は良かった良かったと二人に抱きついて泣きじゃくるだけだった。
〜冒険者ギルドモイライ支部 ロビー〜
「あの……私がここにいたら変じゃないでしょうか……」
「ぜ〜んぜん。どの道行く宛が無いんでしょ?だったらこのままここで受付と事務の仕事でもしてなさいな。」
あの後、彼女達を保護するという名目で冒険者ギルドへ連れ帰った途端、エンジェルはミリアに拉致されてそのまま事務の仕事を叩きこまれ、カウンターに立っている。
いつまでも娘に代役を頼むわけにはいかないということらしい。
で、アレンとランスはというと……
「うひゃー!綺麗なお姉ちゃん一杯!魔物娘サイコー!」
「こら、アレン!みっともないからはしゃぐな!あ、すみません……あまりくっつかないでくれると助かるのですが……」
アレンはアレンで生来の女好きを遺憾なく発揮し、ランスは買い出しの時に目を付けられたワーキャットに擦り寄られている。
「お前はまた犠牲者を出したのか……」
「コントロールできないんだから仕方がねぇだろうが。あの程度でボロ雑巾になるあいつらが悪い。」
クロアはというと、殺害した兵士の分の始末書をサラに尻を叩かれながら書いている。後には報告書も控えている辺り今日は事務仕事一辺倒になりそうである。
「所で……貴方、まだ心配事があるんじゃない?」
「わかりますか……」
浮かない顔をしているエンジェルの心配事をミリアさんが見抜く。
彼女の観察眼は伊達ではない。
「察するに離れ離れになってしまった自分の部下の消息が心配って所かしら?」
「はぁ……なんだか貴方には隠し事ができない気がします。」
彼女は溜息をつくと、頭を横に振った。
魔物がどうのこうの、という考えはもう既にどこかへ消し飛んでしまったらしい。
いくら神に仕える彼女でも、助けられた相手には恩義を尽くすという事だろう。
「丁度腕のいい情報屋もいることだし……彼女に貴方の部下の捜索を頼んでみたらどうかしら。情報料はここで稼いで、ね。」
おそらくアレンとランスも怪我が治ったらここで冒険者として再出発する事になるだろう。
彼女も、今後の身の振り方を決めなければならない。
ならば、ここで行方不明の部下達の消息を探ってもらうのもいいかもしれない。
彼女は、少し離れたテーブルで手を振っているラージマウスの少女を見ながらそう思ったのだった。
「だから!状況はもっと正確に書けと言っているだろうが!
「うるせぇ!ズガーンのドガーンのバーンでいいだろうが!」
「いい訳あるか馬鹿者!」
11/08/31 20:55更新 / テラー
戻る
次へ