回想録〜呪い〜
朝靄が辺りに立ち込めている。草木に付いた霧はそこで水滴となって音もなく地面へと滴っていく。
空気は澄み渡り、凛とした清廉な大気は激しい運動をして上がった体温を下げてくれた。
「いちっ!にぃっ!いちっ!にぃっ!」
「腕が上がっていない!足さばきも雑になっているぞ!」
僕は木剣を使って素振りをしている。
しているのだが……効率がいまいちだ。なぜなら……
「いちっ……!に……!いち……!に……」
この1ヶ月。サラさんの言うとおりに木剣で素振りをして、その後走りこみをしているのだが一向に体力も筋力も付かない。
それどころか僕の二の腕はまだぷにぷにのままだ。
なんだか泣きたくなってくる。
「も……だめ……す……」
体力の限界を迎えて地へと倒れ伏す僕。息が上がり、腕が鉛のように重い。
足は棒のようになって感覚もなく、心臓は早鐘のように鳴っていた。
サラさんは僕を呆れたように見下ろしている。
「いくらなんでも基礎体力が低すぎだろう……5分休憩だ。」
僕の方へ水筒を放ってくれた。言う事を聞かない腕をなんとか動かしてそれを掴む。
蓋を取って水をガブ飲みしていたらすぐに無くなってしまった。
「一体何なのだ?お前の体は。普通一ヶ月も体づくりをすればどんなもやしっ子でもそれ相応の体力は付くものだぞ?」
「自分でも恨めしいですよ……この体は。」
どんなに体を動かしても体力が付かない。
どんなに沢山食べて、沢山動いても全く筋肉がつかない。
おまけに童顔。
「もはやお前の脆弱さは呪いレベルだ……ん?」
「……?どうかしましたか?」
サラさんが顎に手を当てて何かを考えている。
こうしてみるとやはりサラさんは綺麗だ。無駄な脂肪は一切つかず、かと言ってやたらゴツゴツした筋肉も付いていない。
女性らしいスラリとした体躯には、見かけからは想像もつかない程の力が秘められているのにだ。
「……そうだな。少しその線に当たってみるか。クロア、着いて来い。出かけるぞ。」
「あ、はい!」
サラさんのあとを追って立ち上がろうとして……コケた。
足が笑って立つことが出来ない。
「し、師匠……足が震えて立てません……」
結局、僕はサラさんに背負われて自分の小屋まで戻り、歩けるようになるまで休むことになった。
〜モイライ魔術師ギルド ティリアサバト〜
サラさんとミリアさんに連れてこられたのは魔術師ギルドだった。
正直、魔物のお姉さんが沢山いるところは苦手だ。
誰も彼もが僕のことをジロジロと見てきて居心地が悪いし、ヘタをすると物陰に連れ込まれそうになる。
今はその度にサラさんが助けてくれるからいいのだけれど、あまり気分のいい物ではない。
「ティリアー!入るわよー!」
ミリアさんが執務室と書かれたプレートが貼りつけられている部屋をノックして入っていく。
ノックしても返事が帰ってくるまでは入っちゃいけない物なんじゃないかなぁ……
「まったく、お主はいつもいきなりじゃのぉ。こっちが致していたらどうするつもりなんじゃ?」
「勿論混ぜてもらうに……嘘よ、冗談に決まっているじゃない。だから鎌を振り上げないの。」
ミリアさんの冗談はいつもキツい。
具体的には怒ったバフォメットのお姉さんに鎌で刈り取られそうになるぐらい。
「ふぅ……冗談はその辺にして本題に入ってもらえるかのぉ?こちらとしてもあまり暇ではない身分での。」
「そうね。今回の要件というのは他でもない……サラ?」
僕はサラさんに肩を押されてバフォメットのお姉さんの前まで連れてこられた。
見た目は僕より小さいけど、僕よりずっと年上……らしい。
よくわからないけど。
「こいつの体に何か呪いでも掛かっていないか調べて欲しい。体の成長が止まるような物があるかもしれない。」
バフォメットのお姉さんは僕の全身をまじまじと眺めている。
なんだか居心地が悪い……
「ふむ……この子は例のアレかの?」
「えぇ。この間話した例の子よ。貴方はこの子をどう診るかしら?」
彼女はモフモフした手で僕の腕を握ってみたり頬をぷにぷにしてみたり……
なんだか僕のほうが恥ずかしくなってきた。
「この子は今何歳じゃったかの?」
「外見から判断するしかないけれど……多分12歳。もしかしたら13かもしれないわね。」
その後もミリアさんとティリアさんはあーでもないこうでもないと言い合って、最終的に何か魔方陣を書いて僕をその上に乗せ、何か詠唱すると、僕を別室で待たせた。
応接室……なのだと思う。
シックな感じの椅子やテーブル、落ち着いた雰囲気の照明器具以外は特に何も無い部屋だった。
出されたお茶をすすりながら一人で呼ばれるのを待つ。
ふと、視線を感じて扉を見ると……。
「…………」
「…………」
小さな目がこちらを見ていた。
比例するように目の位置も低い。
「どうか……したの?」
恐る恐る声を掛けてみるとその目の主が部屋の中に入ってきた。
さっきのバフォメットのお姉さんと同じような角をした女の子だ。
ただ、身長は彼女より低く、もっと幼い感じだ。
「にいさま、だれ?」
これは……名前を聞かれているのかな?
彼女は人差し指を口に入れたまま首をかしげている。
「僕はクロアって言うんだ。君は?」
「えるふぁー♪」
エルファちゃん、と言うらしい。
結構人懐っこい性格らしく、人見知りもせずに僕の近くへちょこちょこと寄ってきた。
「にいさまはここでなにしてるの?」
「僕が呪いが掛かっていないかどうか検査だって。今はその結果が出るのを待っているところだよ。」
魔物のお姉さんというのは総じて僕を獲物か何かを見るような目で見てくるけど、この子は純粋に僕がなんなのかという好奇心だけで近寄ってきているようだ。
こういう相手は大人の女の人より安心できる。
「にいさま、のろわれちゃったの?だれに?」
「う〜ん……わからないんだ。」
そう、分からない。強いて言うならあの暗い部屋に出入りしていた誰か。
名前も、そこがどこなのかも、何が目的なのかもわからない。
僕が教えられていた事や、アレクさんに教えられた事を鑑みるに教会という組織のどこか……なのは確かかもしれない。
「わるいひと?」
「どうなんだろう……もしかしたらそうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。」
もしかしたら彼らには彼らなりの正義というものがあったのかもしれない。
最近わからないことがやたらと増えた気がする。
いや、以前は疑問にも思わなかったはずだから、増えた、というよりは気づいたの方が正しいのかもしれない。
「にいさま、だいじょうぶ?くるしいとこ、ない?」
「うん、だいじょうぶだよ。どこも苦しいところは無いから。エルファちゃんは優しいね。」
頭を撫でてあげると表情を崩して笑った。なんだか凄く可愛いなぁ……
その後はミリアさん達が来るまで膝の上に座ったエルファちゃんの頭を撫でて過ごした。
「あらまぁ♪」
「ふむ、ずいぶん気に入られたようじゃの。」
ミリアさん達が部屋に入ってきた時の第一声は驚き半分、微笑ましさ半分のような声だった。
「おい、アレク。あまり気に入られるような行動は……」
「大丈夫です。この子は賢いですから、話せばきっと分かってくれますよ。」
膝の上でご満悦だったエルファちゃんを床に下ろして、席から腰をあげる。
彼女は若干不満そうだったが、頭を撫でてあげるとすぐに機嫌が直った。
「やはりお前には呪いが掛けられていたようだ。それもざっと3種類程な。」
「そう、ですか。」
どうやら僕の成長が遅いのはその呪いのせいのようだ。
ティリアさんは一回咳払いをすると、僕に掛けられた呪いについて説明してくれた。
「一つ目は肉体の年齢を進めなくする呪いじゃな。『身体時縛呪』という。本来であれば魔女が肉体を若く保つために使われるのじゃが……今の時代の魔女というのは何もせんでもわしらの魔力の影響で若いままじゃ。自然と廃れていったものをどこかの誰かが掘り起こしてお主に掛けたのじゃろう。」
そう言えばアレクさんの家に来てから二ヶ月程度が経つが、未だに背が高くなったというふうに感じることが無かった。
育ち盛りの筈なのにおかしいとは思っていたけれど。
「二つ目は肉体の再生……つまり肉体を毎日決められた時刻に、定められた状態まで戻す呪いじゃな。『肉体再生呪』という。これは本来傷ついた肉体を毎日無理矢理に回復させる目的で使われるのじゃが……おぬしの場合には付いた筋力を元の状態まで落とす事を目的に使われたようじゃな。つまりこの二つがかかっている内はおぬしは一生ショタボディのままじゃ。」
そういえばいくら稽古で怪我をしても翌日には疲れも傷も綺麗サッパリ消えていたっけ……
自分でも気味が悪いとは思っていたけどまさかそんな呪いまで掛かっていたなんて……
というかショタボディって何ですか。
「三つ目、これが一番性質が悪い。精神を未熟な状態のままに留める呪い、『魂魄制縛呪』じゃ。これが掛かっている限りおぬしの精神年齢は何時まで経っても子供のまま……なのじゃが……」
そう言うとティリアさんは僕を不思議な物を見るような目で見てきた。
一体どうしたというのだろうか?
「おぬし、この呪いをほぼ自力で解きかけているぞぃ?一体何があったんじゃ?」
「解けかけている……?」
どういう事なのだろうか。僕自身呪いに関する知識なんて皆無だし、何か特別な事をした覚えもない。
あったとしたらこれまで幾度もひどい目に遭った、という事ぐらいだ。
「この呪いは心に箍(たが)を嵌めて無理矢理に成長を阻害するような術じゃ。余程心に強い負荷が掛かったり、強力な向上心、自我の急成長が無い限りは解けるような呪いではないのじゃが。」
なるほど。
「強い心の負荷に強力な向上心……さらには自我の急成長……ですか。えぇ、覚えはありますよ。」
自分のせいで今まで何人もの魔物のお姉さん達を死に追いやった。
アレクさんを失ったことで神へ牙を向くという目標ができた。
支えを失ったことで、一人で生きていかざるを得なくなり、サラさんと出会ったことでアレクさんの遺志を継ぐという使命ができた。
条件は、十分だったということだろう。
意識してみれば、頭の中が何か鎖のような物で縛り付けられているような感覚を覚える。
我ながらなぜ気づかなかったのだろうか。
自覚してしまえば後は簡単だった。僕は、この鎖の引きちぎり方を知っている。
別に難しい事じゃなかった。多分、この呪いは自分の可能性を知覚させず、先に進ませることを阻害させるような物なのだろう。
でも、僕は先に進む方法を知っている。こんなものは障害でもなんでもない。
自分を信じる限り、僕はどこまでも歩いていけるはずだから。
そう思い浮かべた瞬間、鎖がはじけ飛ぶ感覚と共に頭の中の違和感がなくなった。
思考は極めてクリアで、思い浮かべること一つ一つに明確な答えが出てくる。
「なんと……」
「へぇ……」
ティリアさんとミリアさんは呪いを打ち破った事が分かったのだろう。
清々しい表情をした僕を見て感嘆の声を上げた。
「自力で呪いを打ち破るか。面白い小僧を見つけたもんじゃのう?」
「えぇ……最初は頼りない坊やかと思ったけど、中々やるじゃない。」
サラさんは何も言わなかった。言わなかったというよりはびっくりして声も上げられない、という体だったけど。
残り二つの呪いは流石に自力では解けなかったので、ティリアさんに解呪してもらった。
呪いが解けた後の僕の体は羽のように軽くて、今直ぐにでも辺りをかけ回りたいのを抑えるのがやっとだった。
「すまんの……お主のその体質はどうやら呪いとは別の物で構成されておるようじゃ。わしではとても治してやることは……」
「いいんです。体の成長速度が戻るだけでも十分ですよ。」
結局、僕の精液に触れると魔物が焼失する、という体質は呪いとは別な部分にあることがわかり、治すことは出来なかった。
幸い、僕自身さほど不便を感じている訳ではないのであまり気にしなかったけど。
僕が魔術師ギルドを去るとき、裾を誰かに引っ張られた。
視線を落とすと、エルファちゃんが僕の裾にしがみついていた。
「ほれ、エルファや。邪魔をしてはいかんだろう。」
「あはは……エルファちゃん?また来るからその手を離してくれないかな?」
しかしエルファちゃんは頑なに手を握りしめたままだ。離す気配は全くない。
「かあさま。」
「ん?なんじゃ?」
真剣な表情でエルファちゃんがティリアさんに向き直った。
一体何を言うつもりだろうか。
「くろあにいさま、まだのろいがとけていないんでしょ?ぜんぶ、といてあげなきゃ。」
「エルちゃん……。」
ティリアさんは額に手を当てて悶絶している。
聞き分けの無い娘にどうやって言い聞かせたものかと悩んでいるのだろう。
「エルよ……この問題はわしらではどうにもならないのじゃ。もっと別の方法を見つけなくては……」
「なら、えるがみつける!くろあにいさまののろいをといてあげたい!」
幼いながらにも、その瞳には決意の炎が燃えていた。
この子は困っている人がいると見捨てられないような優しい子なのだろう。
「並大抵の事ではないぞ?山ほど勉強して、研究して、それでも見つけられないかもしれんのじゃぞ?」
「やる!このままじゃくろあにいさまがかわいそう!」
健気な幼い決意に、目頭が熱くなる。
僕が魔物達にしてきた事を考えれば見捨てられても文句は言えない。
しかし、彼女はかわいそうの一言で僕を助けようとしてくれる。
「ありがとう。待っているよ。」
「うん!える、がんばる!きっと、にいさまののろいをとくほうほうをみつけてあげる!」
いじらしく決意を表明する彼女の頭をくしゃくしゃと撫でてあげる。
すっかり癖になっちゃったなぁ……。
「お主、自分の言った事には十分に責任を取るんじゃぞ?」
「……どういう事ですか?」
ティリアさんはしたり顔で腕を組んでいる。
どうでもいいけど見た目小さい子が腕を組んでも精一杯背伸びしているようにしか見えない。
「我らバフォメットは魔術にも呪術にも通じている種族。もしかしたら本当にお主のその体質を改善する策を見つけてしまうかもしれん。そうなったら……この子はお主の恩人じゃ。責任ぐらいは取らねばならんかもしれんのぉ。」
「まじですか……」
これは……とんでも無い約束をしてしまったかもしれない。
家に帰ったらあとはいつも通りだった。
素振りをして、サラさんと稽古の名目で打ちのめされ(もう慣れた)、かいた汗を水浴びで流し、夕食を食べて、寝るだけ。
いつものルーチンワーク。……のはずだった。
<ギシッ……ミシッ……>
「……ッ……ぁ……ぅ……!」
ギシギシミシミシと音がする。
僕の短い喘ぎ声がしんと静まり返った部屋の中に響く。
別にサラさんに襲われている訳ではない。
音の発信源は、僕自身からだ。
「どうした、クロア。」
「ぃた……体中……痛いんです……」
背骨が、関節が、手足が、不快な音と共に鈍い痛みを訴えてくる。
「参ったな……この時間では医者はやっていないだろうし……」
「サラ……さ……助け……」
殆ど何も見えない暗闇の中でも、サラさんが当惑する雰囲気は感じることができた。
そして、僕が寝ていたベッドに何かが乗ってくる気配がした。
「サラ……さ……?」
「私は医術の心得などはない……お前の痛みを和らげる術をしらない……だが。」
僕を包み込むようにサラさんが抱きしめてきた。
温かく、柔らかく、しかし適度に弾力がある彼女の体がそっと、しかし殆どおっかなびっくりといった感じで僕を包み込む。
「少なくとも不安にならないように朝まで共に寝てやる事ぐらいはできる。朝になったら医者にでも行こう。それでいいな?」
「は……ぃ……」
彼女のぬくもりに包まれて、僕は目を閉じた。
その後も体のあちこちから音は鳴っていたが、不思議と不安になることは無かった。
翌日目が覚めると、目の前にサラさんの顔があった。というか近い。
体の節々がまだズキズキと痛む。筋肉も軽く強張っているような気がした。
「いたた……なんだったんだろう……一体……」
肩を回して関節をコキコキと鳴らす。
現時点では特に変わったことは見受けられない。
熱もなく、だるくもなく、至って普通の健康状態。
強いて言うなれば全身が妙に窮屈なくらいだろうか。
「ん……クロアぁ……起きたの……か……」
サラさんが釣られて目を覚まし、ストレッチ運動をする僕を見て愕然としている。
今日はいつもの朝とかわりないはずなのに、やたら変なことだらけだ。
「……誰だ?お前は。」
「起きて開口一番がそれですか!?」
というか剣に手を伸ばさないで下さい。怖いです。
「誰って……クロアですよ。忘れるも何もここ1ヶ月ぐらいは一緒に生活していたでしょうに。」
「馬鹿な!クロアはそこまで背は高く……」
しかし、僕の顔はそうそう変わるわけが無く、サラさんも僕がクロアだって事に……
背が高い?
確かにいつもより目線が高い気がする。
いつも来ているパジャマの裾からは手と足がいつもより長めに見えている。
いつも取るには踏み台が必要だった戸棚の上のお茶の缶に手を伸ばしてみると、あっさりと届いた。
「うわ、本当だ。大きくなってる。」
「本当に……クロアなんだな?」
僕もサラさんもびっくりだ。
もっと緩やかに成長が進み出すと思ったら、一晩で一気に成長してしまった。
自覚したとたん、喜びが一気に溢れ出す。これで、今までの貧弱な僕とはさよならできる。
僕の使命に、一歩近づける!
「師匠!今直ぐ鍛錬に入りましょう!」
「今か!?別に朝食を取ってからでも遅くは……」
「じっとしていられませんよ!僕は先に行きますね!」
急いでパジャマを脱ぎ捨て、運動用の軽装に着替えると戸の近くに立て掛けてある木剣をひっつかみ、外へと飛び出す。
今まで鉛の棒のように感じた木剣が羽のように軽い。
どうやら抑圧されていた筋力の方まで一気に増したようだ。
素振りをしても走りまわっても全然疲れる様子がない。
サラさんとの稽古も力負けすることは無くなっていた。(それでも技量はまだまだ遠く及ばないけれど)
嬉しすぎて動き回っていたら、急に目の前が真っ暗になって意識が途切れた。
後で聞いたところによると慌てて駆け寄ったサラさんが聞いたのは僕の盛大な腹の虫の音だったとか……恥ずかしい。
11/08/24 01:43更新 / テラー
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