涙の価値
私の初恋は死ぬまで続いて、そして叶いませんでした。
とある国のお姫様として生まれた私は幼いころに出会った男の子に恋をしていました。
今でも朧気に思い出せるあの日の記憶。お転婆だった私が城から抜けだした時の話です。
こっそり抜けだしてお城の近くの森まで私は遊びに行きました。
日頃閉じ込められていた私は開放感からか夜遅くまで遊び通してしまいました。
気がついた時には夜の森の中で迷っていました。
世間知らずのお姫様がそんな所に一人取り残されてしまったのです。
誰も居ない世界に一人閉じ込められて何処にも行くことが出来ませんでした。
怖かった。
ガサガサとした物音が何処から聞こえただけで小さく悲鳴をあげてしまうくらいには。
悪いことをすると、どこからともなく魔物が現れて悪い子のはらわたを食べてしまう。
そう言い聞かされていた私は、今にも魔物が現れてしまいそうで、怖くて仕方がなかったのです。
怖くて寂しくて心細くて、助けを求めながらとぼとぼと何処へも知れず歩き始めました。
ぐすぐすと泣きながら、両親の事を呼んで前もろくに見ずに森の外へ出ようと歩きまわったのです。
暗い森の中を、足元を見ないで歩くから、私は木の根に躓いて盛大に転んでしまいました。
足を挫いてしまって、歩くこともできなくなってしまい、私はわんわん泣いていたと思います。
そんな時に彼に出会いました。
ランタンの灯りで照らされて、男の子の声がして、誰かが助けに来てくれたと思いました。
泣きじゃくって、助けを求めて、挫いて動けなかった私を背負って運んでくれたのです。
ああ、わかったわかった。たすけてやるから泣くなよ。
男の子はその時は小柄だった私に比べて大きくて、その背中はとても広くて。
その背中は頼りがいがあって、心地よくて、安心して、私は疲れ果てて寝てしまいました。
まるでお兄ちゃんみたいだ。と私は思いました。
おまえのにいちゃんじゃねぇよ。
そんな言葉を聞いた記憶があるので実際言ったのだと思います。
気がついた時には、お城に連れ戻されていて、起きた私をお母さんが盛大に叱ってくれました。
その男の子は私をお城の人に預けて、名前も聞かずに去っていったらしいのです。
今思い返すと、深くも怖くもない森で、月明かりが綺麗でとても明るい夜でした。
そんな明るさは鮮明に残っているのに、私は涙で彼の顔をよく覚えていないのです。
誰かわからない男の子を探す事は出来なくて、お礼の一つも言うことは出来ませんでした。
ありがとう、と言いたかった。でも言う機会は無くて、そして。
再会する前に私は死んでしまいました。
* * *
私の死因は伝染病でした。
驚くほどありきたりで、そして皆の生命を奪っていった恐ろしいもの。
私が死んだ時にはもう対処法も確立されていて特効薬も生み出されていました。
でも、私は軽い風邪を引いていて、体力を失っていた身体で、ころりと死んでしまいました。
苦しくて熱くて辛くて、冷たい。
お父様、お母様、ごめんなさい。どうやら病魔に負けてしまうかもしれません。
と私は熱にうなされながら、心が弱って、最後の時を想像して、皆に感謝を述べました。
両親や従者、教育係のじいやに言葉を並べて、私は暗闇に落ちていきました。
お医者様や、神官様、伝染病と戦う騎士様も来ましたけど、間に合いませんでした。
ゆっくりと堕ちていきながら、私は思いました。
助けてお兄ちゃん。
* * *
そして再び目を覚ますと、身体が冷たくなっていました。
私は死んで、ワイトと呼ばれる種族に変貌して蘇りました。
何が原因になったのかはわかりません。
私は病気により療養しているということになり、閉じこもることになりました。
両親は蘇ってくれたことを喜んでくれましたが、その事実は民に伝える事は出来ません。
私は魔物になってしまったのです。そのため私はお城の塔の中に幽閉されることになりました。
ここから出られなく成ることを承知の上で、私は自らそこに入りました。
主神様を崇める好戦的な国が隣国にあるからです。
この国の姫が魔物になった事は攻め入る口実になります。
国に迷惑を掛けることは出来ません。私はこの変化を受け入れながら、身を隠しました。
そして狭い世界で、私は窓から見える森をずっと眺める生活をしていました。
しんしんと積もる雪のように、私の心には何かが溜まっていくのが早くなってきた気がします。
この雪のような心に積もった何かが私を蘇らせたのだと、なんとなく思いました。
* * *
大臣が裏切り、国を乗っ取ろうという計画を企てました。
お父様もお母様も連絡が尽きません。
大臣がこの国を支配するには、王族との婚姻により王家を乗っ取る必要があります。
そして傀儡にするには最も適した人物、私との結婚の計画が進められていきました。
周りの従者も全て入れ替えられ、計画が進んでいくのを黙って見ているしかできませんでした。
嫌。私はあの男の元へなんか嫁ぎたく無い。
魔物への正しい理解が進み、魔物へと変貌した私でも、絶対に嫌な男というものは存在します。
大臣は、その部類の男です。
人へ見下した態度を取るあの男の事は絶対に好きになれませんでした。
ただ頭は良く、狡猾で抜け目の無い男です。私は戦うことも逃げることも出来ませんでした。
最早為す術も無く、結婚の式の日が近づきました。
* * *
私の国では花嫁はその前日からドレスを纏い、一人で夜を過ごすのが決まりです。
婚姻のドレスに身を包み私は泣きじゃくりました。
逃げようとした、闘おうとした、自害すら考えた。しかしそれら全てを封じられました。
最早どうすることも出来ません。私はもはやあの男の元へ嫁ぐしか無いのです。
暗い森の中で置いてかれて、魔物に食われてしまうようなあの時と同じ恐怖に襲われました。
怖くて寂しくて心細くて、私は一人涙を流しながら、誰にとも知れず助けを呼びました。
窓から入る月明かりだけが私を照らしていて。
涙がこぼれ落ちて、地面で弾けた。
助けて。
「……助けて、お兄ちゃん……」
「お前の兄ちゃんじゃなくてすまねぇな」
男の人の声がどこからともなく聞こえました。
* * *
「誰っ…!」
姿は見えません。いえ、此処に誰かたどり着くことは不可能なはずなのです。
この塔は魔力を感知すると警報がなり、侵入者の存在を知らせる機構を持ちます。
そしてこの塔にたどり着くには数多の兵が配備された通路を突破しなければなりません。
さらに数々の罠が大臣の指示の元に設置されており、侵入するのは現実的ではありません。
そもそも湖で囲まれているこの城は近づくのすら難しいとは思います。
侵入者は気分が良いのか、飄々とした口調で答えました。
「なあに、ただの盗賊さ」
何処に居るのかはわかりませんが、間違いなく声の主は存在します。
どうやって侵入したのかはわかりません。しかし城には慌ただしい気配はしません。
本当に、気付かれずに此処にたどり着いたのでしょう。
すたっ、と。天窓から降り立った男の影が見えました。まだ姿は見えません。
「……貴方は何をしに来たのです」
「そりゃ盗賊がやることっていったら盗みだろうよ」
軽薄そうな嫌らしい口調で話す彼は、若い印象を受けました。
身振り手振りからすると自分に絶対の自信を持つ性格をしているのでしょう。
キザで大仰、余り好きになれないタイプの男性かもしれません。
「貴方に渡せるものはありません」
この部屋には、盗もうと思っても、何も無いのです。
寝具と少しの家具。本や美術品もありますが、忍び込んで盗む程の代物ではありません。
「いや、俺はあると睨んでるんだ。俺が盗むに値するものがな」
彼は大げさな身振りをしながら、暗闇の中から私の目を見つめました。
何を盗みに来たのか、その視線で分かりました。
この盗賊さんは私を攫いに来たのです。
ここから抜け出したい私からしてみれば千載一遇のチャンスです。
しかし。彼は私を救出しに来たのではありません。盗みに来たのです。
長い沈黙が支配しました。
彼を本当に信用していいのか、私には判断が出来ません。
たとえこの場を逃れたとしても、この行為は人攫いです。
どこか遠くへ売られてしまうかもしれません。彼を信用しきる事は出来ません。
更に私に宝物としての価値があるかどうか、とも彼は問いかけてきました。
それを証明しなければ、彼はもしかするとそのまま帰ってしまうのかもしれません。
私は。
盗まれる程の価値があるのでしょうか?
自分の価値というものを考えなおしてみました。
私は一国の姫で、蘇ったアンデッドで、花嫁で、あの日の男の子に恋をしている一人の女。
こんな狭い塔でずっと閉じ込められていて、何も知らない私。
姫という社会的な立場以外に、私に価値があるとは思えませんでした。
ですが。
「……私は、私は盗む価値がある女です」
此処から出なければ、何も始まらない。そう信じて。
「私は一度死んだ身ですし、ただ一人への恋心を残したままワイトへと変貌した女です。
だから貴方が望むような宝物では無いかもしれません。貴方のものになることも出来ません。
ですが、私は貴方が盗むに値する女です。だから、ここから連れだしてください!」
盗賊さんは、私の答えに満足したのか私に歩み寄り笑いながらこう答えました。
月明かり照らされた、盗賊さんはいつか見た懐かしい誰かに似ていた気がしました。
「なんだ、ただの囚われのお姫様だと思えば、いい女じゃねぇか」
こうして私は攫われたのです。
* * *
盗賊さんの侵入方法も脱出方法もシンプルでした。
盗賊さんはなんと魔法も何も使わず、塔を直接登ってきたというのです。
「不可能でもなんでもねぇよ、魔法の感知に頼ってるからアナログに負けるんだ」
それでも引っかかりもまともにないこの塔を技術と体力だけで登るのは考えもしませんでした。
身体から漏れる魔力を抑える服を着て、魔法の道具も最低限にして登ったらしいのです。
私にその技術がどれほどのものかは分かりませんでした。
しかし凄い技術を持つ人なのだと、素直に理解できたのです。
そして脱出の方法、これもまたシンプルでした。
「どうやって脱出するんですか?」
「バックアップはできてるし、今回のさり際は派手にって決めてんだ。ちょいと失礼するぜ」
「きゃっ……!」
そう言って、私を横に抱きかかえました。いわゆるお姫様抱っこです。
私は男の人に此処まで触れた記憶が、あの時以来だと思って頬が熱くなりました。
「驚くと思うが、暴れてくれるなよ」
そう言って、私を抱きかかえたまま、開いていた窓から盗賊さんは飛び降りました。
私は盗賊さんの突然の行動に恐怖を感じて目を瞑って悲鳴を上げました。
「きゃあああ!…………あれ?えっ……?」
けれど落下する感覚はいつまでたっても来ませんでした。
目を開けると、そこには彼の顔と、離れていく窓がありました。
「進入時に気付かれなきゃ良いからな。帰りは楽させて貰うつもりでよ。
靴に魔法の道具を仕込んでんのさ。見えない道を作るようなもんだ」
彼は空中を歩いていたのです。盗賊さんはにやりと自慢気に笑って言いました。
「 高かったんだぜ、これ 」
私は花嫁衣装のまま月夜の空を盗賊さんに抱きかかえられながら、攫われました。
盗賊さんは私を落とさないように抱えながら、優雅に月夜の空の散歩をするように歩きました。
今この空には私と盗賊さんの二人しか居ません。
空に足をつけることが出来ない私にできる事は、ほんのすこしの事でした。
彼の顔を見つめて、体温を感じて、鼓動を感じて、離れないように首に手を掛ける。
私の蘇った鼓動がまた止まってしまいそうな、忘れることの出来ない逃避行でした。
* * *
城が騒がしくなってきたのは既に城を囲む湖を過ぎてからでした。
魔法の道具を使ったから警報がなったのでしょうか、私の脱出は知られてしまったのでしょう。
しかし私は既に幽閉されていた塔から抜けだして、そこにはもう留まっていません。
盗賊さんは私を森の奥の小屋にまで連れて来ました。
「 俺は此処までだ、後は頑張れよ 」
盗賊さんは此処でお別れだというのです。
「お前を盗んでくれと言ったのは、お前に仕えていた従者や執事達だ。
だから俺は此処までなのさ。ここからはお前の戦いだろ。俺は遠慮被る。
お前は、自分の行動で皆に助けられたんだ。それを誇ると良いさ」
「だったら……!貴方は何のために私を救ってくれたのですか……!
貴方は何も盗んでない、貴方は危険に身を晒してまで私を助けてくれたのに……!」
「いいんだよ。盗みたいものを盗んだからな。俺は確かにお前から盗んだよ」
じゃあな、と盗賊さんを止めるものを私は何も持っていなくて。何も渡す事も出来なくて。
彼が何を盗んだのかも分からなくて。戸惑ったまま、彼はさり際にこう告げて言った。
「助けたんだからさ、もう泣くなよ」
いつかの男の子との最初の約束を、私は告げられて。
彼は私の涙を奪っていった事に気がついたのです。
* * *
それから。
私は花嫁衣装のまま自分の戦いを始めることになりました。
自らの従者や執事の協力を得て、民に自らの存在を明かしながら大臣の凶行を止めました。
お父様もお母様も幽閉されており、両親を救い出して大臣を糾弾するまでに至りました。
大臣もこの国の王を害するまでにはまだ至ってなかったようです。全てはギリギリでした。
大臣をこの国から追放し、全てが終わった時。私はこの国から去らねばなりませんでした。
魔物であることが民に伝わってしまったのです。
民は私を責めませんでしたし、受け入れてくれました。
でも、姫が魔物であるという事実が伝わりきってしまうと、他国の侵攻の口実になってしまいます。
だから、私はこの国から去らねばなりません。
「というのは建前です!
お父様、お母様。盗賊さんに盗まれたものを取り返しにこの国を出て探しに行きます!」
盗賊さんは私の涙を奪ったと勘違いをしています。
私の初恋は死ぬまで続いて、そしてまだ終わっていないのです。
彼が盗んだのは……
15/11/16 18:55更新 / うぃすきー