逢瀬
そして、一年が過ぎた。
お互いが命を賭けると宣言してからまるで瞬くように時が過ぎて行った。
必ずあなたを倒す、と宣言した次の日の対局は散々たる戦いになってしまった。
まったくマクシミリアン王子の相手にもならなかったのだ。
しかし。
その駒の動かし方は今までとは別人。
まるで別の素人が駒を動かしている、とその場に思うものは誰もが思った。
いや、マクシミリアン王子はそれを当然のように受け入れていた。
ソフィリアは、挑戦を続けた。
今までの自分を分析し、今までの自分ではやらなかったことを全て試したのだ。
新しい攻撃を試した。
防御も毎回変えてみた。
初手の配置も変えてみた。
わざと陣を崩す事も試した。
陣地構築から練り直してみた。
籠城なんて消極的な策も試した。
単騎での突破などの賭けも行った。
有利になることに執着しなくなった。
みっともなく逃げてみることも行った。
ソフィリアは。楽しかった。
私が追いつめるように成長したかと思うと、王子は更なる障害になってくれる。
今まで本気になってぶつかって、それでも勝てない相手なんて居なかったのだ。
調べて。
覚えて。
考えて。
努力して。
工夫して。
研鑽して。
それでも勝てない。
まだ、たどり着かない。
まだ、たどり着けない。
まだ。戦い続けていられる。
まだ。走り続けていられる。
どこまでいけるか試してみたくなった。
試されている途中なのに寄り道もしたくなった。
その寄り道も面白くて名残惜しくなってしまえるほど。
彼との戦いは。楽しかった。
しかし、これは命を賭けた戦いである。
勝負を始めてから一年後。その時点で、どちらかの命が潰える。
一年以内にソフィリアがマクシミリアン王子を倒せばソフィリアの勝ち。
一年以内にソフィリアがマクシミリアン王子を倒せなければソフィリアの負け。
負けたほうが賭けた命を支払う。それが勝負の代償であった。
酷い内容だ、と賭けた自分ですら思える。それほどの常軌を逸した勝負であった。
でも。ここまで本気になれるのは彼の提案を受け入れたからではないだろうか。
私は今までこんなに本気になれたことがあっただろうか。
私は今までこんなに本気で楽しむことができただろうか。
思い出せない、ということは無かったということ。
人生で一番充実している日々を送ることができた、かもしれない。
でもその時も終わり。
もう、最初の戦いが始まってから一年の月日が流れた。
いえ、正確に言えば明日が最後。
明日が運命の日になるのだ。
そう明日で全部、終わってしまう。
でも、命を賭けているという危機感より、命を失うかもしれない恐怖より。
自分と相手とチェスの事だけを考えていれば良い、その時が終わる喪失感の方が大きかった。
ああ、こんな楽しい時が終わってしまう。
何もかも終わってしまう。
私は。
勝ちたいかどうかすらまだ答えを出せていないと言うのに。
「 ソフィリア様。 少し宜しいですか。 」
そんな時、王子は私に声を掛けてくれた。
穏やかな口調で王子は告げたのだ。
「 どうです、ソフィリア様。 チェスでも一局打ちませんか。 」
* * *
「 ソフィリア様は珈琲と紅茶、どちらをお嗜み致しておりますか? 」
「 いえ、マクシミリアン王子のお好きな方で構いませんよ。 」
「 おや、ならば珈琲で失礼いたしますね。
良かった、実は私は紅茶の作法に関してあまり詳しくないのです。 」
「 あら、意外ですわね。貴方のお国では紅茶が一般的ではありませんでした? 」
「 実はですね。僕の友人が熱烈な珈琲党で居りまして、詳しく教えてもらったのです。
それに引きずられて僕も珈琲を愛飲するようになりまして。
珈琲も奥が深くて引き込まれました。今では僕の趣味の一つになりましたね。 」
「 それは楽しみですね。王子が普段飲んでいる味を私も味わいたくなりましたわ。 」
「 どうでしょう、ご婦人方には少々濃いやもしれません。ミルクもご用意致しますね。 」
穏やかな会話だった。
まるで気が置けない古くからの友人を訪ねたような居心地の良さを感じた。
王子が淹れる珈琲は本格的なものであった。
自分で焙煎したという豆を自ら挽き、珈琲専用に用意したケトルからゆっくりと湯を落とす。
立ち上がった薫りは上品そのもので、その芳醇な香りが王子の私室へと広がっていった。
「 茶菓としてはクッキーをご用意しておりますが、何分夜更け。食べすぎにはご注意を。 」
「 あら大変、最近は運動らしい運動をしておりませんしね。
取りすぎるのは良くないとは思って居りますが、クッキーの魅力に勝てるかどうか。 」
「 ・・・あまり勝利する気がございませんね? 」
「 ばれました? 」
「 構いませんが程々に・・・さて、お待たせ致しました。
女性にも飲みやすいブレンドに致しましたので最初の一口はそのままお試しください。 」
ソフィリアはカップに注がれた珈琲をまじまじと見る。
実はソフィリアはあまり珈琲は好きではなかった。
いや、実際には美味しい珈琲を飲めたことが無かっただけなのだ。
しかし、いまだに苦味と酸味がキツく雑味しかない飲み物という認識である。
だが、王子が淹れた珈琲はとても香ばしい匂いで満ちていて、これなら飲めると確信した。
一口だけ口に含んで、その透き通った口当たりに驚いた。
口に残った少量の珈琲から深いコクと落ち着いた苦味。爽やかな酸味、そして甘味を感じた。
そう、甘かった。砂糖の糖度では表現できない甘さがそこにあった。
そして後から舌を苦味が襲う。しかしこの苦味は残らず通り過ぎて行き次の一口を促した。
こんなに美味な珈琲を飲んだのは初めての経験だった。
「 ・・・ 」
「 お気に召しましたか? 」
「 美味しい・・・ 」
「 それは良かった。このマクシミリアン、腕を振るった甲斐がありました。
おかわりは御座いますので遠慮なくどうぞ。ミルクも砂糖も用意しております。 」
それは初めて美味しい珈琲を飲んだ私にとって、実に嬉しい知らせであった。
* * *
夜、二人きりのチェスが始まる。
決闘とは一切関係ない、ただ語り合うためのチェスであることはソフィリアも分かっていた。
穏やかなオープニングが始まる。
「 私は父上の掌で踊らされているだけでしたね。停戦協定が正式に結ばれたそうです。 」
「 お聞きしておりますわ、第一王子が内密に交渉の道を探っていたと思いませんでした。
私たちは完全に貴方達へ敗北したということですね。 」
「 それがお互いの条件の折半に時間がかかってしまいまして。魔物娘は交渉巧みですね。
そういえば、貴方の人気は未だ魔物領で衰えることが無いとお聞きしますが。 」
「 それに関しては少し話しづらいですね・・・ごめんなさい、別の話でお願いします。 」
どうやら私は全てを捨ててでもマクシミリアン王子を取ったヒロインとして扱われているらしい。
人間の間では糾弾されるべき出来事ではあるが魔物娘からすれば理想なのだとか。
なるほど、客観的に見れば確かに私は王子だけを求めている女にも見えなくはない。
陣形を整え、お互いの領地を広げる探り合いを始めた。
「 おや、それは大変ご無礼を働きました。お許しを。
どうも、貴女としっかり話すのは初めてですし、探り探りになってしまいますね。 」
「 そうですね。この一年、私と貴方はずっと顔を合わせていたというのに。
ここまでお互いのことを知らないのは、本当におかしな話です。 」
私はつい笑ってしまった。王子もそれにつられて笑う。
「 そうですね、私も貴女のことを徹底的に調べたつもりでした。
ですがまさか紅茶を嗜むか珈琲を嗜むか、なんてことも知らなかった。
未熟極まりますね。父上からそんな姿勢で王子が務まるかと叱られてしまいそうです。 」
「 厳しい方でいらっしゃるのですね、お父上様は。 」
「 先代魔王の時期に最前線の地で生まれていたら英雄になっていたのやもしれません。
過激ではありますが、良き父であり、良き王だと思っています。
私は父を尊敬しております。 」
「 それは素晴らしいことだわ。
尊敬できる人が居るのはそれだけでも幸福なことだと思います。」
そして盤は中盤戦へと雪崩れ込んだ。
「 ・・・少し私の話をしてもよろしいでしょうか。 」
「 ええ、どうぞ。僕が聞いてよい話であるのならば、いくらでもお聞き致します。 」
「 有難う御座います。
母は魔王であり私はその娘、父は魔王の夫。元勇者です。
二人とも間違いなく素晴らしい人物ではあります。ですが。 」
流石に躊躇った。だけど。
いや、私は。聞いてもらわなければいけない。前に進むにも、後ろに逃げるにも。
王子に聞いてもらわなければならなかったのだ。
「 もっと構ってほしかったな、って。 ずっと思っているんです。 」
「 私は。 私は。 」
「 私は母が嫌いだったかもしれません。 」
「 魔物娘が嫌いだったかもしれません。 」
「 男のことが憎いとすら思っていたかもしれません。 」
「 どう、表して良いのかわからないんです。 」
「 未だに子供らしいことを言ってるのは分かっています。 」
「 でも。 」
「 私は、子供の時にちゃんと父と母に構って貰えたらな、って思ってはいたんです。 」
「 頭の良い子供だったと思います。」
「 感情を隠す事も、誤魔化す事も早く覚えてしましました。 」
「 賢しい事を覚えながら、私は力の振るい方も覚えてしまいました。 」
「 分かっています。甘えん坊なのに、甘え方が下手なだけだったんだって。 」
「 ああ。だから。 」
「 誰も尊敬することが出来なかったんです。 」
「 男も、女も私にとっては煩わしくて。 」
「 私は、この世界が嫌いになっていました。 」
「 魔王の娘でありながら。 」
「 先代魔王のように全部を破壊したかったのかもしれません。 」
「 分かっています。 子供の駄々だったんですよ。 」
「 すべて、つまらない子供の駄々。それでいったいどれだけ不幸をばら撒いたか。 」
「 どれだけ謝っても取り返しがつかないと思います。 」
「 全て終わってしまった事ですから。 」
「 ですが、もう私は自分のために戦うことは無いでしょう。 」
「 それを誓うことがせめてもの、私の償いです。 」
「 私が不幸にした、誰かへの。償いです。 」
ゆっくりと、盤は終盤戦に近づいていた。
「 ごめんなさい。感情をぶつけてしまいました。 」
「 いいえ、構いませんよ。専売特許を奪われた感はありましたが。
今のは私の得意分野に近い口調ですね。 」
「 そうですね、貴方の糾弾の仕方を真似てしまいましたね。
あれ、ものすごい傷ついたんですからね!?私の心はボロボロですよ!? 」
「 そうでしょうね。心を殺す気で糾弾しましたからね。 」
「 鬼!悪魔!外道!マクシミリアン王子! 」
私と王子は笑いながら冗談を言い合う。
あれから数か月たって、あの出来事を冗談で話すことが出来るくらいには心が成長した。
やっと私は、ただリリムである、という事実だけの女からは卒業できた気がする。
この数か月、躓き、転び、倒れ、挫け、這いながら前進していった。
試練が現れるたびに立ち向かい、抑え込み、考え抜き、踏み留まり、走り抜けた。
これで、私はやっと。
ソフィリアという女性になることができたのだ。
* * *
盤は終盤の互角の状況で止まっている。
「 ・・・ もう夜も遅い。 対局はここまでにしましょう。 」
「 そうですね。 明日、いえ、もう今日ですか? 今日が最後、ですしね。 」
「 レディを送り届けるまでが紳士の務めではありますが、今夜だけはご容赦を。 」
「 ええ、構いません。元より今夜は秘密のお茶会。
明日の結果に下手な勘繰りが入ってしまいますものね。それは避けねばなりません。 」
「 ではソフィリア様。明日は良き戦いをしましょう。 」
「 ええマクシミリアン王子。明日の戦いを楽しみにしていますわ。ごきげんよう。 」
そして、私と王子は別れを告げた。
最初で最後の語らい。他愛もないお遊び。チェスを挟んだお茶会。
ああ、この一夜がどれほど幸福だったか。私は正しく理解している。
喪失感は消え、恐怖は無くなり、緊張は解れた。
倒すべき相手の姿も見えた。戦うべき理由もある。戦える心も整えることが出来た。
私の胸にあるもの、それは私にも名づけることが出来ない。だがこの感情を胸に。
私と王子は殺し合いの場での逢瀬を望んだ。
15/07/05 02:37更新 / うぃすきー
戻る
次へ