連載小説
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Day2
pipipi….pipipi….pipipi




「…んんぅ…」

俺は目覚ましの音で目を覚ました。
目を開けると、朝日の差しこむ天井が暗闇に慣れた目に少し眩しい。
ついさっきまで見ていたのに思い出せない夢の内容を反芻しながら寝返りを打って視界に入ってくるのは、恐らく華憐がアイロンしてくれたのだろう皺のないYシャツと制服のズボン。その下には鞄が置かれている。
ふと、鞄の紐に結び付けられたミサンガが目にとまった。

ある日突然、吉野が俺に尋ねてきた。

『あ、あんたの好きな色を三色挙げなさい!』

最初に聞かれた時は何の話かと思ったが、それからしばらくたったある日、このミサンガを投げ渡される勢いで貰った。

『これ、あげる。部活で作って、友達にあげる分が余っちゃったから、あんたにもあげるんだから。別に深い意味はないからね。』

忙しなく頭の蛇を指に絡ませて、視線を泳がせながらそう言っていた姿は、今思い出しても苦笑いが出る。
確か伊織も俺と同じように、吉野からミサンガを貰っていたっけ。腕につけていたが、腕につけるには長すぎて、二周させるには短すぎると困っていたようだったが。それでも、親友からのプレゼントだからと大切にしていた。

そんなことを思い出して、昨日のことを思い出す。

「あぁ…」

俺は目をかばいながら蛍光灯の紐を引っ張る。

「…学校行きたくねぇな…」

普段よりも強く、そう思った。
一体どんな顔して吉野に会えばいいのか…。昨晩の思考がよみがえってくる。


今思えば、もっと他にやりようがあったんじゃないだろうか?
吉野を利用するようなことをしなくても、『俺には心に決めた人が居る』とでも言えば、あの場は何とかやり過ごせたんじゃないだろうか?
なんだかんだで魔物娘の彼女たちも、悪い奴らじゃない。潔く身を引いてくれただろう。
それに、原因は分からないが、状況が状況なだけに吉野にはとんでもなく酷いことをしたことになる。
もし、異変が起こる前に、吉野に好きな相手が居たとしたら?俺はその想いを踏みつぶしてしまったようなものだ。そう考えると、俺のしたことは到底許されることではない。
俺は吉野のことはだいぶ知っているつもりだ。普段はツンケンした態度をとっているが、怠惰な部長を抱える部活にもきちんと参加している真面目な奴だ。
覗き見ようとしたら殴られたけれど、成績も俺よりいいし、小柄でかわいらしい姿も相まって、クラスではマスコット的な立ち位置を得ている。本人は小柄なのを気にしているようだけれど。
そんな真面目な奴が、俺のような中途半端な奴を気に入ってくれているのだろうか?そうは思えない。
きっと吉野も、他の魔物娘たちのように異変に呑みこまれてしまっただけなんじゃないだろうか?

「……最低だな…切腹ものだぜ…」

俺はしわくちゃのタオルケットをベッドの下の方に蹴りやって、重い腰を上げた。なんにせよ、まずは吉野に謝らないと。
そう心に決めて、俺は部屋を出た。



昨日と変わらず、絡みつくようなたくさんの魔物娘たちからの視線をかいくぐり、やっとこさ教室に入ると、吉野の後ろ姿が見えた。机に右肘を突いて顎を乗せている。しかし、髪の蛇たちは忙しなく舌を出し入れしたり、身をくねらせたりしているのを見るに、吉野自身はあの無表情の裏側で何か考え事をしているようだ。
非常に近づきたくないが、俺の席は吉野の右斜め後ろ。近づかないわけにはいかない。

「よ、よぉ、おはよう。吉野…」

俺は恐る恐る挨拶をしてみた。

「…お、おはよう…」

吉野は、ほんの少しだけこちらを振り向いて挨拶を返してきた。ちらっと見えた頬が赤かったのは、きっと見間違いじゃない。

「え、えっと、あのな?吉野…」

俺はどう切り出すべきか迷いながら言葉をつないだ。だが、そんな俺の言葉を、吉野は行動をもって遮った。

「こ、これ!あんたにあげる…」

静かに、しかしすばやく椅子から立ち上がった吉野は、俺の胸元にこの前と同じ薄い青色の包みを押しつけてきた。その顔は俯いていて表情は見えないが、押しつけられた弁当越しに体の震えが微かに伝わってきた。

「あ、ありがとう…その、悪いな。作ってもらっちゃって…大変じゃないか?」

俺はその包みをそっと受け取りながら吉野に尋ねた。すると、吉野は目を反らしながら答えた。

「別に大変じゃないわよ。普段は自分の分、作ってるんだから。」
「でも、こんだけの量を、ただでさえ忙しい朝の内に作るのは結構手間だろ?」
「い、いいからさっさと受け取りなさいよ。それとも、要らないの?ならいいわ。」

むすっとした顔で弁当を仕舞おうとする吉野を慌てて止めた。

「あ、いやっ、要る要る!要ります!」
「クスッ…コホン。最初からそうやってありがたく受け取っておけばいいのよ。」

焦る俺を見て面白かったのか、吉野は一瞬ほほを緩め、すぐにはっとして真顔を取り繕うと、少し満足げに言った。

「見せつけてくれるね〜」
「新妻ってやつね…」
「あたしも彩ちゃんのお弁当食べたいな〜」

そんな俺たちを見て、外野がからかってきた。
俺もなんだか意識してしまって、顔が熱くなるのを感じた。そんな俺をよそに、吉野は赤い顔でそいつらをにらみつける。

「う、うっさい!石化されたいの?」
「きゃ〜こわ〜い♪」

そんなやり取りを苦笑しながら見つつ、俺は弁当をかばんにしまった。

「フンッ!まったく…」

吉野はそう言って、席に戻ろうとする。その後ろ姿に、俺はとっさに声を掛けていた。

「吉野!」
「…な、なによ?」

突然呼び止められ、吉野はちょっと驚きながら振り返った。

「その、ありがとな…それと、ごめん…」

俺はつい、思ったことを口に出してしまった。そんな俺の突然のお礼に、吉野はポカンとした表情で答えた。

「え、えぇ…ど、どういたしまして…」

もごもごとそう言って、うつむきながら席に着く。

「…残したら、承知しないんだから…」
「え?なんて?」
「お〜い、そろそろ体育館に移動だぞ〜!!」

小さくて聞き取れなかった言葉をもう一度言ってもらおうとしたら、クラス委員の声に遮られた。

そういえば、今日は全校集会だったか。

俺は包みを鞄にしまい、教室のカギを片手に他の生徒たちを急かす学級委員の前を通って教室を出た。




――――――




全校集会が終わり、体育館のより中央に近いクラスから教室へと戻っていく。
数分して、いよいよ俺のクラスも退場となった。そして、廊下へ出た時、不意に腕を掴まれた。

「桐原君ね?ちょっといいかしら?」

俺を引きとめたのは、昨日お世話になった保健室の白石先生だった。

「な、なんでしょう?」

俺は他の生徒たちの流れに流されないように移動しながら尋ねた。

「お昼休みに、ちょっと大事なお話があるのよ。保健室に来てくれるかしら?」

真剣な顔でそう言う先生に、俺は頷いてから尋ねた。

「大事な話って、なんですか?」

すると先生はなぜか教室へ戻っていく生徒たちを一瞬見てから、苦い顔で答えた。

「ここじゃ話せないわ。それに、場合によっては説明が長くなるわ。」
「その…昨日のことについてですか?」

保健室の先生に呼び出されるようなことといったら、昨日の騒動ぐらいしか思い当たる節が無い。遠慮がちに訊いた俺に、先生は首を縦に振った。

「貴方の身に何が起こって、あんな騒動が起こったのか、きちんと調べないといけないわ。」

先生は真剣な顔でそう言った。その意見には俺も賛成だった。

「わかりました。それじゃ、昼休みに行きます。」

俺は先生に軽く頭を下げてから、生徒の流れに沿って教室へ戻った。その時、一瞬だけ視界の隅に見慣れた灰色が見えた気がしたが、目を向けても誰もいなかった。

「…そう言えば今日はまだ伊織を見てないな…」

俺は呟きながら教室への足を速めた。伊織が欠席したことなんて一度もなかったが…



――――――



全校集会の影響で、午前中の授業はすべて短縮授業だった。

テスト一週間前に入ったが、ほとんどの教科はテスト範囲が終わっていない。俺たちのクラスよりも授業が遅れているクラスがあるとかで、テスト範囲の縮小もあり得る。そうなってくれると助かるのだが…

そんなことを考えていると、うっかり消しゴムを落としてしまった。拾おうとしたところで、ふと視線を感じた。

俺が吉野と付き合っていると知ってからも、極僅かだが俺に言いよってくる魔物娘がまだいる。そんな魔物娘の視線かと思いつつも気になって目を向けると、俺の左隣の列の一番後ろに座る伊織と目があった。朝は見掛けなかったが、もしかしたら気付かなかっただけなのかもしれない。

伊織は俺と目が合うと、慌てて眼をそらして黒板を見た。尻尾が固まってしまっている。俺に何か用でもあるのだろうか?

その次の休み時間、俺は伊織の席へと向かい、声を掛けてみた。

「よぉ伊織。」
「ゆ、雄君…」

俺が声を掛けると、伊織は珍しく歯切れの悪い口調で答えた。それどころか、目を合わせようとしない。

「どうかしたのか?」

俺はそんな伊織の様子が気になって尋ねてみた。

「どうもしないよ。別に…」

どこかぎこちないその態度に、俺はさらに踏み込んでしまった。

「そうか?なんだかいつものお前らしくない気がするんだg…」
「どうもしないってば!気にし過ぎだよ!」

さっきまでは少し様子がおかしかったが、そう言われると気のせいにも思えてくる。

「なぁ伊織?なにか悩みごとか?俺でよかったら相談に乗るぞ?」

俺ははにかんでいる伊織の顔を覗き込むように、伊織の机の前の方に手を置いて、不良座りをしながら尋ねた。こうしていれば、伊織の表情が少しは見える。

相談なんかできないよ・・・
「ん?何か言ったか?」

急に顔を覗き込んだ俺からフイッと顔をそらしながら、伊織は小さな声で何かを言った。

「なんでもないってば!ほら!雄君は彩と付き合ってるんだから、お話なら彩とすればいいでしょ?さぁ、行った行った♪」

伊織のその言葉に、ちょっと引っかかるものがあった。

「な、なんだよそれ?まるで俺と吉野がお前を仲間外れにしてるみたいじゃないか…?」

俺のその言葉に、伊織はハッとした表情をしてから、ばつが悪そうな表情を浮かべて答えた。

「そ、そういう意味じゃないけど、女の子はね、好きな人の周りに他の女の人が居るのはいい気分じゃないんだよ?だから、雄君はもっと彩の気持ちを推し量るべきなのです!」

小さく笑みを浮かべながらそんなことを言う伊織。その笑顔も、今は心なしか弱弱しく見える。

「そういうの、なんか嫌だな…たとえ俺が吉野と付き合っていても、伊織とは友達として今までみたいにつるんでいたいぜ…」

はたから聞けば臭い内容だが、俺は真っすぐに伊織を見つめて言った。その言葉で、やっと伊織がまともに眼を合わせてくれた。

「…雄君はやさしいね…でも、その優しさが、時に誰かの心を傷つけるんだよ…」

すこし悲しげな表情でそう言う伊織。
俺は伊織を悲しませるようなことを言ってしまったのか?
俺は慌てて取り繕おうとしたが、そのタイミングでチャイムの音が教室に響いた。ざわついていたクラスメイト達がいそいそと自分の席に戻っていく。

「と、とにかく、俺やお前が誰と付き合おうが、俺たちは友達だ。俺は、仲良くやって行きたいと思ってるよ。」

俺はそう言い残して席に戻った。


その後ろで、伊織は泣きそうな表情で胸を押さえていた。いよいよ応援していた親友の恋が実ったというのに、自分の心はこんなにも痛む。
このクラスに、彩と伊織が親友同士であることを知らない生徒は居ない。故に、誰にも相談できず、伊織は胸の痛みを自身の内に押し込めることしかできないのであった。

友達じゃ、嫌だよ…

小さくつぶやいた声は、当然ながら雄大の耳には届かない。


―――――――


短縮授業ということもあって、あっという間に昼休みになった。俺は席に着いたまま、朝に吉野に貰った包みを取り出す。朝の時は気づかなかったが、今度はちゃんと箸箱が入っていた。そのことに安堵しつつ、早速包みを解こうとしたところで、俺の机の前に誰かが立った。
俺は誰だろうと思って顔を上げたが、それよりも先に腰辺りに何かが巻きついた。

「うをぉ!?」

思わず間抜けな声が出てしまった。そして、俺の腰に巻きついたものはすごい力で俺を椅子から持ち上げる。

「ちょっと!なんで勝手に食べ始めようとしてんのよ?」

突然のことにパニックに陥っていると、目の前から聞きなれた、しかしドスの利いた声が聞こえた。
顔を上げると怒りで眉をヒクつかせる吉野が居た。
パニックに陥っていた思考が一気に冷静さを取り戻す。目線を正面から左に流すと、吉野の長い下半身の先が俺の腰辺りに巻きついて、俺を持ち上げていた。

「そのお弁当は私が用意したんでしょうが……」

あぁ、今日もきれいな鱗だな〜なんて現実逃避をしているひまもない。俺は再び聞こえたドスの利いた声とともに、空中で強く揺さぶられた。巻きつく力はそれほど強くはないので痛みはないが、それも今のうちだろう。

「…え、えっと…どうして怒っていらっしゃるんですか…?吉野さん…?」

俺は恐る恐る尋ねた。

「だ、だから!なんで勝手に一人で食べようとしてんの?って聞いてんのよ!」

怒られる覚えのない俺に、吉野は意外な言葉を投げかけてきた。

「ひ、一人でって…吉野は俺と一緒に食べたいのか?」

宙ぶらりんの状態で尋ねると、吉野は一気に顔を赤らめ、慌てて捲し立ててきた。

「は、はぁ!?そ、そうじゃなくて!そのお弁当は、私が用意したんだから私と一緒に食べるべきでしょうが!」

緑色の目を右へ左へと泳がせながら、吉野は赤い顔でまくしたてる。

「な、なんだよそれ?そんなこと聞いたことないぞ?」

俺は痛む左頬を撫でながら言った。

「う、うるさい!私が決めたの!わかったらさっさとその席に座りなさい!締め上げるわよ?」

そう言って自分の後ろに机が二つ向き合わせで置いてある場所を指さす。おいおい、あの机の配置は、親友の女子同士が食べるときの配置なんじゃ…?

「でも、吉野は普段、伊織に誘われて俺と食べる時、嫌そうな顔してるじゃないk・・・んぐぅおぉぉ!?

ふとした疑問をぶつけた途端、腰辺りに巻きついていた尻尾が凶器に変わった。

「…伊織は今関係ないでしょ?それとも何?あんた、私を差し置いて伊織と食べたいとでもいうの?」
「ぁ・・・かひっ・・・ちが、ますっ・・・っ・・・よしの、と、たべた、ぃ・・・で、すっ・・・」

吉野は仮面のような無表情で俺の顔を覗き込んできた。俺は必死に首を横に振って答えたが、ぎりぎりと締め付ける尻尾のせいで上手く声が出せない。そんな俺の様子を見て、吉野はフンッと鼻を鳴らしてから、乱暴に俺を床へと落とした。

「最初からそう言っていればいいのよ。ほら、さっさと座んなさい。」

圧迫から解放され、荒い息を吐く俺をよそに、吉野はさっさと席について自分の包みに手を掛けていた。
そう言えば、本当に伊織が居ないな。吉野はいつも伊織と食べていたのに、俺と付き合うことになった途端、本当に一緒に食べなくなってしまうのだろうか?
そんなことを尋ねたら今度こそ肋骨数本がご臨終になりそうだったので、俺はぐっと飲み込んで机の上の包みを取って、吉野の向かいに座った。
締め上げられるのが食前で助かったと思おう。俺は吉野に対して、もっと酷いことを現在進行形でやっているのだから。
きちんとした想いもないのに、恋人面するなんてな・・・
席に着くと、吉野はチラチラと自分の箸と俺とを交互に見つめていた。髪の蛇たちはそろって俺を凝視している。気になって吉野を見ると、必然的に眼が合った。吉野は一瞬硬直するが、すぐに不機嫌そうな眼で睨んできた。そのまま三秒ほど見つめあうと、吉野が痺れを切らしたように口を開いた。

「・・・な、なによ?」
「いや、それはこっちのセリフなんだが・・・」

俺は頬を掻きながら尋ね返す。すると、吉野は毎度のことながら顔を赤らめて言った。

「べ、別に、あ〜んってしたりなんか、しないんだからね!き、期待してんじゃないわよ!」

その発言に、思わず苦笑いが出る。そんな俺の反応が気に食わなかったのか、吉野は机の下で俺の右すねに尻尾を打ちつけてきた。

「いてっ・・・なんだよ?したいのか?」
「なっ!だ、誰も、したいなんて言ってないでしょ!」

真っ赤な顔をそむけてそう言う吉野。なんだか、だんだん吉野の扱いがわかってきた気がする。

「・・・あ〜吉野にあ〜んってしてほしいなぁ〜(棒)」
「・・・あんた、馬鹿にしてるでしょ・・・?」

こちらから頼むような態度をとらせたがっているものだと思って、さりげなく言ってみたのだが、どうやら効果はなかったらしい。それどころか、なぜか怒らせてしまったようだ。

「し、してない!馬鹿になんてしてないぞ!」

あぁ、なぜ俺は、こんなに緊張してお昼ご飯を食べているのだろうか・・・?



「ごちそうさまでした。」
「・・・お粗末さまでした・・・」

特にこれといった会話もないまま、俺たちは弁当を食べ終えた。箸をしまって手を合わせる俺に、吉野は不機嫌そうに応えた。

「じゃ、じゃあ、この弁当箱、明日洗って持ってくるから・・・」

そう言って席を立つ俺の手の包みに、小さな手が伸ばされた。

「い、いいわよ!私が持って帰るから・・・」

そう言って俺の手から弁当箱をもぎ取ろうとする。その瞬間、一昨日の記憶が俺の頭によみがえり、俺はとっさに吉野の手から弁当箱を遠ざけた。

「ま、まさかお前、俺の箸をなめっ・・・!?」

寸前のところで踏みとどまり、喉もとの言葉を飲み込む。しかし、遅かったようだ。

「はぁ?あんた何言って・・・っ、まさか・・・」

俺の言葉の続きを理解した吉野は、ハッとした表情を浮かべた後に赤面し、俺をキッと睨みつけてきた。

「な、なんでもない!今のは忘れて・・・」
「この、変態!」

取り繕う暇もなく鋭くいい放つと、次の瞬間吉野の尻尾が飛んできた。俺はとっさに命の危機を感じて、身を引こうとしたが、容易く長い尾につかまってしまった。

「ま、待て、吉野!話せばわかr・・・ぎゃああああああ!!!」

きっとあの日の箸のエピソードは、俺の記憶に残り続けるんだろうなぁ・・・トラウマとして・・・



―――――――



三途の川が脳裏にちらつくくらいまで締め上げられて、ようやっと解放された。最終的には全身を使って締め付けてくるもんだから容赦ない。蛇体の鱗の感触とか、近くで感じる匂いとか、そんな類を楽しむ猛者もいるらしいけれど、俺には無理だ。
だいぶ遅くなってしまったが、まだ時間はあるはずだ。俺は保健室のドアをノックした。

「どうぞ。」

中から返事が聞こえた。この声は白石先生だ。

「遅くなりました。桐原です。」

俺は一応謝って中に入った。先生は部屋の奥の窓辺に立っていた。

「本当よ。なにかあったの?また昨日みたいなことが?」

先生が心配そうな表情で尋ねてくる。

「いや、大丈夫です。昨日のようなことは、たぶん起こらないです。」
「・・・そう?まぁいいわ。とりあえず、そこに座りなさい。」

俺は先生に促されるまま近くのソファに腰掛けた。向かいに先生が立ち、咳払いをして俺に質問をしてくる。

「まず最初に訊いておくわ。貴方の身に起こったことについて、何か心当たりはある?」

真剣に俺の目を見つめて尋ねる先生に対して、俺も真剣に目を見て答える。

「いいえ。なにもありません。朝家を出た時から、魔物娘の視線が変だとは思ってましたけど・・・」
「・・・そう・・・」

そう言って、先生は白衣のポケットから何か呪文が書かれた紙を取り出した。その紙を先生は指先で二回ほどたたき、口もとに近付けて話しかけている。しかし、傍に居る俺の耳には、ノイズがかかったように上手く聞き取れない。
数秒後、先生は紙を畳んで白衣のポケットにしまってから、不思議そうに先生を見つめる俺に笑いかけて言った。

「ちょっと待ってね。専門の先生を呼んだから・・・」

そう言い終わるや否や、先生の背後に魔法陣が浮かび上がり、中からバフォメットの先生が出てきた。同じく白衣を纏い、大きな眼鏡を掛けている。

「一体なんじゃ?急用とは・・・」

不機嫌そうな表情でそう言いながら歩き出した先生の動きが、俺を見た瞬間にとまった。

「・・・え、えと、こんにちは。」

俺はとりあえず挨拶をする。そんな俺を見て、固まっていたバフォ先生も動き出して挨拶を返してきた。

「ふむ、挨拶は関心じゃが・・・お前さん、一体何があったんじゃ?」

俺も先生も、まだ事情は説明していない。なのに、この人(魔物)は一目で俺が異常だと判断した。授業を受けたことはないが、この先生はなかなかすごい方なのかもしれない。

「あの、何かわかるんですか?」

俺は思わず身を乗り出していた。そんな俺の動きにつられて、白石先生もバフォ先生の方を見る。

「わかるも何も・・・とんでもないことになっておる。白石先生も、この坊主の異常に何も感じぬわけではなかろう?」

そう言って、眼鏡を直しつつ白石先生を見る。白石先生は困ったような表情で答えた。

「それが、少し不思議な匂いがするなぁとは思ったのですが、それだけでは何とも言えなくて・・・」

不思議な匂い?なんだ?俺の体臭は今週になって強烈になったのか?

「むぅ、まぁ、この手のものは個人差が出るからのう・・・何ともいえんが・・・」

そう言いながら、バフォ先生は大きすぎるくらいの白衣のポケットからトランプ位のサイズの薄い緑と薄い黄色の二枚の紙を取り出した。

「まぁ、まずは正体を探るのが先決じゃわい。」

そう言って、先生は二枚の紙を俺に近付けた。瞬間、薄い緑だった紙はあっという間に先端から濃い黄色へと変色した。黄色の紙には、これといった変化が無い。

「・・・なんと・・・これほどとは予想外じゃ。」

先生が持っていた部分まですっかり黄色に変色した紙を見つめて、先生は驚愕の表情を浮かべている。

「緑・・・ということは、人的魔法・・・?」

白石先生も、その紙をみつめて呟いた。

「うむ・・・恐らくは魔法薬の類じゃろう。」
「ど、どういうことなんですか?なんですか?その紙は?」

俺はとうとう耐えきれずに尋ねた。そんな俺を見て、先生二人は緊張した面持ちで語り始めた。

「よいか坊主、この紙はな、二種類の魔力に反応して変色する特性を持っておるのじゃ。」

そう言って、肉球で器用に挟んだ二枚の紙をヒラヒラと揺らすバフォ先生。

「緑が人的な魔法。これは・・・そうじゃな、例えば、お前さんたちの間で流行っているおまじないの類に用いられる、人間が持っている魔力じゃ。それで、こっちの黄色が魔物の魔力。サキュバス族の魅了の魔法や、サラマンダ―の尾の炎など、魔物が本来持っている魔力に反応する。」

そこまで言って、緑の紙を手に取る先生。

「お前さんに反応したのは緑。つまり、お前さんに起こっている異変は、誰かがお前さんに故意に掛けた魔法ということじゃ。じゃが、お前さんに掛けられた魔法は恐ろしいほどに強力なのじゃ。一体何の目的なのかは知らんが、下手をすればお縄も覚悟のレベルじゃ。それに、これほど強力な魔法をたった一人の人間がかけられるとは思えん。ということはじゃ、これは魔法ではなく、何かの薬品だと考えるのが妥当な線じゃ。」

そう言って、背後の白石先生に目を向ける。

「人的魔法は、本人が行使する魔法もあるけれど、何かの薬を調合することでも行使されるの。知っての通り、魔法薬には様々な材料がある。それら材料一つ一つは、魔獣や魔界性植物の一部なら、魔物の魔力を持っているんだけど、人であれ、魔物であれ、誰かが作り出す魔法薬に調合されるとき、必ず人的な魔法に書き換わるのよ。わかりやすく言えば、掛け算ね。プラスの数字に、マイナスの数字を掛けると、必ずマイナスになるでしょう?それと同じ。どこかで必ず、人的な魔力というマイナスの数字を掛けなきゃいけないのよ。」

先生はそう締めくくった。

「・・・つまり、誰かが俺に魔法薬を使った、ってことですか?」

俺は二人を交互に見ながら尋ねた。二人の先生はそろって首を縦に振った。

「一口に魔法薬と言っても、星の数ほどの種類がある。大まかな効能だけでも分かれば、手の打ちようもあるが・・・」

そう言って、バフォ先生は俺を見つめた。俺はできるだけ簡潔に、昨日の出来事を話した。バフォ先生は相槌を打ちながら俺の話にうんうんと頷き、時に質問をしてくる。
そんな俺とバフォ先生の前に、白石先生はお茶を出してくれた。

「・・・なるほどのう・・・とすると、お前さんに盛られたのは、惚れ薬の類じゃろうか?」

お茶に手を伸ばしながら眉をしかめて呟くバフォ先生。思いのほか湯呑が熱かったのか、持ち上げようとした途端に『あちゃぁっ?!!』と悲鳴に近い声を上げていた。ちょっと萌えたのは内緒だ。

「惚れ薬ですか?でも、惚れ薬って、特定の相手に呑ませると、呑ませた人を好きになる・・・みたいな効果じゃなかったですか?」
「それもあるが、今回は違うようじゃ。お前さんに盛られた惚れ薬は、飲んだ人間が特定の相手に好かれやすくなるような効果を持っているようじゃな。まったく、迷惑極まりない効果じゃ。」

なるほど。吉野やクラスの魔物娘たちがあんな風になってしまったのは、薬のせいだったのか。そのせいで、俺は吉野に・・・。
腕を組んで顔をしかめながらバフォ先生は唸る。真人間である俺は、魔法薬学なんて全く興味が無いから難しい内容はほとんどわからないが、俺に盛られたのが薬ならば、それを無効化できる解毒薬のようなものを作れるんじゃないだろうか?
しかし、俺の問いかけに対して帰ってきた返事は喜べない内容だった。

「もちろん、そう言った薬品を調合することは可能じゃ。だが、実際に使うことに賛成はできんのう。」

苦い顔でバフォ先生は答えた。理由を尋ねようとした俺の口もとに肉球を押し付けて黙らせてから、静かに続けた。や、やわらけぇ・・・

「最初に盛られた薬だけでも、相当な効力を持っておる。それを打ち消す薬ともなれば、それもまた強力でなければならんのじゃ。お前さんは気づいておらんかもしれんが、強力な薬の摂取によって、今、お前さんの体にはかなりの負担がかかっているはずなのじゃ。そこに、同じくらい強力な除去薬を摂取などしたら、ついにお前さんの体は負担に耐えかね、どこかに異常をきたしてしまうかもしれん。安全は保障できんのじゃ。」
「そんな・・・じゃあ、どうすれば?」
「あ、あの!」

ソファーから立ち上がりかけたところで、白石先生が口を開いた。

「何回かに分けることはできないのでしょうか?薬が強すぎて危険というのなら、弱い薬を何回かに分けて摂取すれば、危険も減るのでは?」

横から白石先生が尋ねた。

「まぁ、その手もあるが、人体は機械とは違う。異常はじわじわと発生するのじゃよ。その限界も人によって違うのじゃ。もしかしたら既に、この坊主は蝕まれているかもしれないんじゃぞ?賭けに出るには遅すぎる上に、リスクも大きいのじゃ。」
「そ、そんな・・・桐原君は、どうなってしまうのですか?」
「まぁ慌てるな。確実な方法があるのじゃ。」

自信満々にそう言うバフォ先生。幼女にしか見えないその横顔が、なんだか少し頼もしかった。

「どうすればいいんですか?」
「簡単じゃ。待つんじゃよ。お前さんに盛られた薬は、いかに強力であれ、薬であることに変わりはない。効果が切れるまで、待てばよいのじゃ。」
「なるほど!どんな薬にも効果に終わりが来る!」

白石先生が興奮して叫ぶ。

「そう言うことじゃ。今は余計なことをせず、時間が解決してくれるのを待てばよいのじゃ。」

だいぶ冷めて持てるようになった湯呑を片手に、バフォ先生は笑った。

「ですが、その効果は一体いつまで続くんですか?」

俺も湯呑を手に取りながら尋ねた。

「う〜む、恐らく、今週末には消えるじゃろう。一週間の辛抱じゃ。」

じゅるるとお茶をすすり、一息ついてこちらを見るバフォ先生。

「一週間・・・ですか?」
「そうじゃ。まぁそれほど辛くもなかろう?一か月よりはマシだと考えれば楽なものじゃ。」

一週間も効果が続く。ということは、俺と吉野のこんな関係も、あと五日は続くということになる。そんなに長く続いた関係が、あとで覆せるとは思えない。今更ながら、俺は取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないだろうか?

「ですが先生、一週間もこんな状態で学校に通っていたら、すぐに魔物娘たちに・・・」

白石先生は不安げな表情でバフォ先生に尋ねた。

「う〜む、確かに、問題はそこじゃなぁ。そこは、坊主。お前さんの理性と人間性に任せるぞい。」
「に、人間性・・・ですか?」
「ハーレムを作るか、一人の女を愛するのかは自由じゃが、ほどほどにの。一週間で薬は切れる。その時になって、正常に戻った彼女たちが後悔したり、傷ついたりすることの無いようにするのが、今のお前さんがもっとも重視しなければいけない問題じゃ。」

そう言って、バフォ先生は俺の顔にズビッと肉球を突き付けた。

「そうよ。貴方ももうひとりの男なんだから、けじめはしっかりつけなきゃいけないわ。」

白石先生が真剣な目を向けて言う。二人の言葉に、俺は胸が強く締め付けられた。

「わ、わかりました。気をつけます。」
「うむ。頼んだぞ。・・・おっといかん、もうこんな時間か・・・」

空っぽになった湯呑を机に置いてソファを離れたバフォ先生は、壁にかかった時計を見て慌てたように言った。

「そうですね。桐原君。貴方も早く教室に戻りなさい。予鈴が鳴るわ。」

白石先生がそう言った直後、校内に予鈴が鳴り響いた。
「わかりました。ありがとうございました。では、失礼します。」
「うむ。頑張るんじゃぞ。」

転移魔法陣で消えていくバフォ先生を見送り、俺も保健室を後にした。





保健室を出て階段を上ろうと見上げると、一瞬だけ踊り場の隅を影が横切った。そして、駆け足で階段を上る足音が響いた。
誰だろう?首をかしげながら階段を上ると、踊り場に紐状のものが落ちていた。

「!?これは・・・」

俺はその紐をゆっくりと拾い上げた。見覚えのある三色の、中途半端な長さのミサンガ。
それは、伊織の付けていたミサンガだった。
でも、どうしてここに?
今逃げたのは、伊織だったのか?
思考が目まぐるしく回る。俺はしばらくそのミサンガを茫然と見つめていた。
もしかしたら、伊織はさっきまで俺と先生が話していた内容を聞いてしたのかもしれない。
ワーウルフの聴力がどれくらいなのかは知らないが、ドア一枚くらいなら、何の障害にもならずに向こう側の音が聞こえるのではないだろうか?
俺はミサンガをポケットに突っ込んで階段を駆け上がった。伊織に会ってちゃんと説明すれば、伊織もわかってくれるはず。もしかしたら口汚く罵られて、蔑まれるかもしれないけれど、あいつならきっとわかってくれるはずだ。
俺は半ば強引に頭の中でそう結論付けて、教室へと急いだ。



「え?伊織?そう言えば居ないね・・・どこ行ったんだろう?」

教室について見回しても伊織はいなかった。女子に尋ねても、誰も行方を知らないらしい。

「そうか、ありがと。」

俺は席に着きながら頭を掻く。いったいどこへ行ってしまったんだろうか?今まで授業をさぼるようなやつではなかったのに。
やがて、教室にチャイムが響いた。
結局その日、伊織は戻ってこなかった。



16/07/16 14:00更新 / ウカナ・N・アクナス
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■作者メッセージ
どうも。お待ちしていてくださった方は、お待たせいたしました。Day2でございました。今パートは主に説明回で、あまり面白くはなかったかもしれません。ごめんなさい。

ところで、バフォ先生には名前はないのか?ですって?いや〜付けたかったんですが、ネーミングセンスの無い作者には付けられなかったのですよ。ごめんなさい。

ここまで読んでくださってありがとうございます。続きの製作もがんばります。よろしくお願いします。相変わらず不定期更新ですが、暇つぶし程度に覗いて行ってもらえれば幸いです。

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