第一話 桜色プロローグ その1
第一話 桜色プロローグ
季節は、街が目の前に迫った年末に向け、慌ただしく動いているある日のこと。
「ねぇ、染井君、八尾桜伝説って知ってる?」
早めに忘年会をやってしまおう、という友人達の企画で始まった酒の席。隣に座ったほろ酔い状態の女性からそんな話が出る。
どう返答しようかと口の中で言葉を転がしていると、
「あ、オレそれ聞いたことあるわ。見つけると願い事が叶う桜の木だろ?」
返事をする前に隣に座っていた男がやや食い気味に反応する。
俺の覚えている限りでは、さっきまで寂しく飲んでいたが、良いきっかけが出来たと言わんばかりに、唾を飛ばす勢いで食いついてくる。
女性も女性で話が出来れば誰でもいいのか、俺の返答を待たずに隣の男と会話に花を咲かし始める。
そんな様子に、ついため息をつきたくなるのをぐっと堪え、代わりにすっかり泡の抜けたビールを飲み干す。
――八尾桜伝説。
ここ櫻杜市に存在する非常にマイナーな都市伝説。
この街のどこかに、季節を問わず咲く年老いた桜の木があるという。
それを見つけたら幸せになる、その前で告白をすると永遠に結ばれる。その他にも桜の下には大量の死体が埋まっていて、永遠に花を咲かす為の栄養源になっている、桜を守っている化け物がいる、異世界に行ったまま帰れなくなる…。まぁ、言ってしまえば、「口裂け女」や「人面犬」等と同様、伝えられるうちに尾ひれがつきまくった、下らない噂話の類なわけで。
両端で段々と白熱する議論も、どこか冷めた気持ちで聞き流していた。
『二次会に行く人居ますかー?』
俺を挟んでそのやや埃のかぶったウワサ話に花を咲かせている二人に辟易していると、そんな声が聞こえる。どうやらこの場はもう閉めて次の店に行くようだ。忘年会が始まってからだいぶ経っており、もうすでにこの場から離れた人も何人かいるようだ。
「じゃあ僕もこれで」
抜け出しやすい空気になったので、身支度を素早く済ませて席を立つ。
今回の幹事である友人に手を振って帰る意思を伝える。忙しそうに二次会の参加者を確認している彼も、それに気づくと手を振って見送ってくれる。
居酒屋の外に出ると、コートの隙間から入ってくる冷気に思わず身震いしてしまう。
「流石に飲みすぎたな」
早くも痛みだした頭を押さえながら、そう呟く。
夜も深くなり、大通りから少し離れた場所のせいか、人も車通りも少ない。
先ほどの喧騒とアルコールで熱くなっていた体も、すっかり冷えこんでしまっている。さらに追い打ちと言わんばかりに、師走の冷たい風が容赦なく体温を奪っていった。
――ガコンッ!
途中、冷える体を少しでも温めようと、自販機で暖かい緑茶を買う。ちょうどよく、近くにあったベンチに座ってゴクゴクと一気に飲み干す。
吐き出した息が先ほどよりも白く濁り、その後、風に吹かれて掻き消えていく。
なんとなく星が見たくなって空を見上げたら、夜空は厚い雲に覆われていた。時折、月と星々がその厚い雲の間から顔を出しかけては、また隠れる。
「雪降ってきたなぁ」
そのまま見上げていると、白い雪が降りてきた。本格的に降り始める前にさっさと家に帰ろうかと、ベンチから立ち上がる。
次の瞬間、目の前の雑木林から突風が俺のほうへ強く吹き抜ける。
息も出来ないほどの風圧に、思わず目を細めてしまう。
その狭まった視界の端を、小さなピンク色の何かが通り過ぎっていった。
「桜の、花びら……?」
ベンチの背もたれ部分にそれは張り付いていた。
本来ならそれを見るのは数か月先のはずだが、ベンチにギリギリの所で張り付いて、儚げにゆらゆらと風に揺れている。
八尾桜伝説。居酒屋で聞いた与太話がふと頭をよぎる。いや、まさかと頭では思っているが、でも確かに手の中には桜の花びらがある。
柔らかく、しっとりとした桃色の花弁の触感は、造花の類でないことを証明していた。
※ ※ ※
ザクザクと、固くなった雪を踏みしめる音が、森の中に響く。雑木林の中に街灯などあるわけもなく、スマホのライトを頼りに歩いていく。
今でも頭ではバカバカしいと思いつつも、確かめずにはいられなかった。地面には、やはり先ほどの突風で運ばれたであろう桜の花びらが点々と落ちていた。それを見失わないように、ゆっくりと奥へ、吸い込まれるように歩みを進める。
「……嘘だろ」
雑木林だと思っていたが、歩けど歩けど林を抜ける気配がない。周りの木も杉ではなく、名前も知らない枯れ木がいつの間にか周囲を囲んでいる。
それからまた歩き始めてどれくらい経っただろうか。開けた場所に確かに『それ』はあった。
ほぼすべての木々が葉を落とす中、かすかに差し込む月の光の中でぼんやりと光って見えた。
樹齢三桁をゆうに超えるであろう、太くたくましい幹から左右に広がるように枝が伸びている。そして、その枝に鮮やかな桃色が満開に咲いていた。絶え間なく桃色の花びらはひらひらと風に舞っては雪が積もる地面を染めている。
美しいを通り越して不気味なまであるその光景に、ただ茫然としていた時。急にスマホのライトが消えた。
予想以上にバッテリーを消費したらしい。が、すぐに雲の切れ間から月が顔を出してくる。
「人…?」
目の前の桜の木にばかり気がとられていて気づかなかったが、木を挟んだ向こう側に、誰かが木に寄りかかっている。髪が長いことから恐らく女性だろうと思う。
この真冬の寒さの中だ、もしかしたら死んでいるのではと恐る恐る近づいてみる。
そして回り込んで顔を覗き込んだ時、
「――っ」
思わず言葉を失った。
恋愛に熱心で無い為か、テレビなどで映る女優やアイドルを見ても特に心を動かされることは無かった。
だけど、目の前の彼女の顔を見るだけで動悸が止まらない。
「んっ……」
すると気が付いたらしく、彼女の目が開いて、金色の澄んだ瞳が俺の視線と視線がぶつかる。
大丈夫ですか?と声を掛けるつもりだったが、上手く声が出てこない。
そのまましばらく見つめ合い続く。
そんな沈黙を破ったのは彼女からだった。
「やっと…」
透き通るような声に胸がドクンと強く脈打った。先ほどまで冷たくなっていた頬に一気に熱くなる。
そんな俺の動揺など気にも留めず、こう続けた。
「――やっとお会いできました。私のご主人様」
真冬には似つかわしくない、桜吹雪の中でのこの出会いが、俺の人生を大きく変えることになる。
そのことを知るのはもう少し後このことだった。
季節は、街が目の前に迫った年末に向け、慌ただしく動いているある日のこと。
「ねぇ、染井君、八尾桜伝説って知ってる?」
早めに忘年会をやってしまおう、という友人達の企画で始まった酒の席。隣に座ったほろ酔い状態の女性からそんな話が出る。
どう返答しようかと口の中で言葉を転がしていると、
「あ、オレそれ聞いたことあるわ。見つけると願い事が叶う桜の木だろ?」
返事をする前に隣に座っていた男がやや食い気味に反応する。
俺の覚えている限りでは、さっきまで寂しく飲んでいたが、良いきっかけが出来たと言わんばかりに、唾を飛ばす勢いで食いついてくる。
女性も女性で話が出来れば誰でもいいのか、俺の返答を待たずに隣の男と会話に花を咲かし始める。
そんな様子に、ついため息をつきたくなるのをぐっと堪え、代わりにすっかり泡の抜けたビールを飲み干す。
――八尾桜伝説。
ここ櫻杜市に存在する非常にマイナーな都市伝説。
この街のどこかに、季節を問わず咲く年老いた桜の木があるという。
それを見つけたら幸せになる、その前で告白をすると永遠に結ばれる。その他にも桜の下には大量の死体が埋まっていて、永遠に花を咲かす為の栄養源になっている、桜を守っている化け物がいる、異世界に行ったまま帰れなくなる…。まぁ、言ってしまえば、「口裂け女」や「人面犬」等と同様、伝えられるうちに尾ひれがつきまくった、下らない噂話の類なわけで。
両端で段々と白熱する議論も、どこか冷めた気持ちで聞き流していた。
『二次会に行く人居ますかー?』
俺を挟んでそのやや埃のかぶったウワサ話に花を咲かせている二人に辟易していると、そんな声が聞こえる。どうやらこの場はもう閉めて次の店に行くようだ。忘年会が始まってからだいぶ経っており、もうすでにこの場から離れた人も何人かいるようだ。
「じゃあ僕もこれで」
抜け出しやすい空気になったので、身支度を素早く済ませて席を立つ。
今回の幹事である友人に手を振って帰る意思を伝える。忙しそうに二次会の参加者を確認している彼も、それに気づくと手を振って見送ってくれる。
居酒屋の外に出ると、コートの隙間から入ってくる冷気に思わず身震いしてしまう。
「流石に飲みすぎたな」
早くも痛みだした頭を押さえながら、そう呟く。
夜も深くなり、大通りから少し離れた場所のせいか、人も車通りも少ない。
先ほどの喧騒とアルコールで熱くなっていた体も、すっかり冷えこんでしまっている。さらに追い打ちと言わんばかりに、師走の冷たい風が容赦なく体温を奪っていった。
――ガコンッ!
途中、冷える体を少しでも温めようと、自販機で暖かい緑茶を買う。ちょうどよく、近くにあったベンチに座ってゴクゴクと一気に飲み干す。
吐き出した息が先ほどよりも白く濁り、その後、風に吹かれて掻き消えていく。
なんとなく星が見たくなって空を見上げたら、夜空は厚い雲に覆われていた。時折、月と星々がその厚い雲の間から顔を出しかけては、また隠れる。
「雪降ってきたなぁ」
そのまま見上げていると、白い雪が降りてきた。本格的に降り始める前にさっさと家に帰ろうかと、ベンチから立ち上がる。
次の瞬間、目の前の雑木林から突風が俺のほうへ強く吹き抜ける。
息も出来ないほどの風圧に、思わず目を細めてしまう。
その狭まった視界の端を、小さなピンク色の何かが通り過ぎっていった。
「桜の、花びら……?」
ベンチの背もたれ部分にそれは張り付いていた。
本来ならそれを見るのは数か月先のはずだが、ベンチにギリギリの所で張り付いて、儚げにゆらゆらと風に揺れている。
八尾桜伝説。居酒屋で聞いた与太話がふと頭をよぎる。いや、まさかと頭では思っているが、でも確かに手の中には桜の花びらがある。
柔らかく、しっとりとした桃色の花弁の触感は、造花の類でないことを証明していた。
※ ※ ※
ザクザクと、固くなった雪を踏みしめる音が、森の中に響く。雑木林の中に街灯などあるわけもなく、スマホのライトを頼りに歩いていく。
今でも頭ではバカバカしいと思いつつも、確かめずにはいられなかった。地面には、やはり先ほどの突風で運ばれたであろう桜の花びらが点々と落ちていた。それを見失わないように、ゆっくりと奥へ、吸い込まれるように歩みを進める。
「……嘘だろ」
雑木林だと思っていたが、歩けど歩けど林を抜ける気配がない。周りの木も杉ではなく、名前も知らない枯れ木がいつの間にか周囲を囲んでいる。
それからまた歩き始めてどれくらい経っただろうか。開けた場所に確かに『それ』はあった。
ほぼすべての木々が葉を落とす中、かすかに差し込む月の光の中でぼんやりと光って見えた。
樹齢三桁をゆうに超えるであろう、太くたくましい幹から左右に広がるように枝が伸びている。そして、その枝に鮮やかな桃色が満開に咲いていた。絶え間なく桃色の花びらはひらひらと風に舞っては雪が積もる地面を染めている。
美しいを通り越して不気味なまであるその光景に、ただ茫然としていた時。急にスマホのライトが消えた。
予想以上にバッテリーを消費したらしい。が、すぐに雲の切れ間から月が顔を出してくる。
「人…?」
目の前の桜の木にばかり気がとられていて気づかなかったが、木を挟んだ向こう側に、誰かが木に寄りかかっている。髪が長いことから恐らく女性だろうと思う。
この真冬の寒さの中だ、もしかしたら死んでいるのではと恐る恐る近づいてみる。
そして回り込んで顔を覗き込んだ時、
「――っ」
思わず言葉を失った。
恋愛に熱心で無い為か、テレビなどで映る女優やアイドルを見ても特に心を動かされることは無かった。
だけど、目の前の彼女の顔を見るだけで動悸が止まらない。
「んっ……」
すると気が付いたらしく、彼女の目が開いて、金色の澄んだ瞳が俺の視線と視線がぶつかる。
大丈夫ですか?と声を掛けるつもりだったが、上手く声が出てこない。
そのまましばらく見つめ合い続く。
そんな沈黙を破ったのは彼女からだった。
「やっと…」
透き通るような声に胸がドクンと強く脈打った。先ほどまで冷たくなっていた頬に一気に熱くなる。
そんな俺の動揺など気にも留めず、こう続けた。
「――やっとお会いできました。私のご主人様」
真冬には似つかわしくない、桜吹雪の中でのこの出会いが、俺の人生を大きく変えることになる。
そのことを知るのはもう少し後このことだった。
20/03/30 00:33更新 / ツキシマ
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