墓守と骨
「…」
夜。新月だ。
黒い厚手のローブを着た僕は、ゆっくりと死者を乗せた台車を引く。今宵は6人だ。山に入って坂道になるときつくなってくるが、弱音は吐いていられない。
「…」
静かに、肩で息をしながらだけど、何とか地底湖の入り口まで辿り着いた。父さんやエイチが軽々とやっていた作業は、予想以上に大変だった。まだここから先、地底湖への坂道を滑らないように下って行かなければいけない。自分で引き始めた時に比べれば筋肉もついているけれど、まだまだ軽々には程遠い。
「…」
やっと地底湖まで辿り着き、掲げられている松明に火を灯してゆく。地底湖が炎の光に照らされ、少し息をついた。
「…」
そこまで休んでも居られないので、小休止もほどほどに死者を湖面に浮かべて行く。いつもの様に魚が群がり、死者が骨になるまでの間黙祷を続ける。
「…」
全員が、無事に命の巡りを始める事が出来た。付けた松明を消し、軽くなった台車を引いて洞窟を後にした。
「…」
洞窟から出れば、空はぼんやりと明るくなっていて、割といつも通りだ。仕事は終わり、後は帰って寝るだけだ。
「お疲れ」
「うん、お疲れ様。手伝い、ありがとう」
被っていたフードを下ろし、横に居るウロさんに僕はそう言った。
「手伝いってなにさ。どれだけやってると思ってるんだ?」
「そうだね。でも、ありがとう」
「…どういたしまして」
捲ったローブから覗く骨がむき出しの腕を組みながら、ウロさんは笑って応えてくれた。
エイチが死んだあの時、身体が崩れ去った後に残ったのは彼女のガラスの眼と、人一人分の人骨だった。
なんでエイチの中に骨があったのか、それを考える間もなく骨が動きだした。正直、本当に驚いた。まさか骨が動くとは夢にも思っていなかったから仕方がないと思う。
でも、驚いたのはその一瞬だけだった。その骨の首に、ウロさんと一緒に湖面に浮かべた筈の、僕の作ったペンダントがかかっていたからだ。
骨は段々と身体や頭に肉を付けて、やがて、ウロさんになった。
『…はあい』
『…』
どうしてとか、
『…えっと、こ、こんばんは?』
『…』
どうやってとか、
『…それとも、久しぶり、の方がいいか』
『…』
なんでエイチの中からとか、
『………なんか、言えよ』
『…』
色々と考えたけど、
『さっきは話してたじゃんか』
『…ウロさん』
ウロさんには、話したい事が沢山あった。教えたい事が沢山あった。伝えたい事が沢山あった。聞いて欲しい事が沢山あった。
『なんだ?』
『……おはよう』
『ああ、おはよう』
でも、やっぱりウロさんにまた会えたのが嬉しかった。
ウロさんが、正確には死んでいるけど、生き返ったのはエイチのお陰だと言う。
エイチはウロさんの魂を捕まえて、それを頼りにウロさんの骨をあの地底湖から引き揚げていたらしい。エイチの足や腕の命令が消えていたり、微妙に身体に線が出来ていたのは、水に入ったり、骨を身体の中に保管する時のものだったようだ。
どうしても見つからなかった骨は、エイチの身体を作っていた土が変わりの骨となったと言う。見れば、細かい骨の幾つかは色が違っていた。
ウロさんの骨を粗方集め切り足りない部分を補った後、地底湖へと赴き、自分の持つ全ての魔力を骨に染み込ませた。その結果、エイチは砂となった。
なんでエイチが自分を犠牲にそこまでしたのかは分からない。いや、自惚れでなければ、きっと、僕の為なんだろう。
結局、僕一人だけでは仕事もままならない。台車だって僕が引いているけど、後ろでウロさんが黙って押してくれているのは知っている。僕の意思を酌んでか何も言わずに押してくれているので、僕もその好意に答える為に何も言わない。まあ、いつまでもそんな有様では流石に男としてかっこつかないので、最近増やした趣味は筋肉トレーニングだ。
話がずれた。父さんと母さんが死んでからウロさんがここに来始める前と、ウロさんが死んでしまっていた間の僕の生活は、殆ど変わりの無いものだった。
エイチは、自分では父さんと母さんやウロさんの代わりは出来ないと思ったんじゃないだろうか。自分が居るよりもウロさんが居た方が、僕の為になる、…と。
もし、本当に僕の為として、僕はエイチに何をしてあげられていたんだろう。
エイチには仕事の手伝いばかりで、労う事もしなかった。仕事以外ではずっと部屋の隅に待機させていたし、構っていたと言えば、メンテナンスぐらいだけど、それも商売道具としてだった。僕は、何一つとして彼女の為にしてやることはなかった。
彼女は、僕を恨んでいないだろうか。
エイチの想いは分からないけど、それでも、最後に見せた笑顔は本当に暖かく感じた。
エイチの砂は、次の新月の夜に他の死者たちと同じ様に地底湖へ撒いた。この地に生まれた者の最後を見送るのは僕の仕事だし、彼女が死に場所とした地底湖で、ちゃんと葬儀をしてあげたかった。
命は巡り巡って別の命へ。もしかしたら、煩わしくて叩き潰した羽虫かもしれないし、夕飯のおかずの魚かもしれない。今、僕らの目の前に来ているかも知れない。
「よし。いいな?」
「大丈夫だよ」
僕とウロさんが見つめる先には、目を閉じ横たわる、一体の土で出来た人形。
「意識を集中して、力の川から一本の筋を引くように」
「…うん」
二人で土人形に手を添え、練習してきたとおりに、伸ばした指先から魔力を注ぐ。土人形が、一つの命を宿して行く。
魔法の勉強は奥が深くて、思ったより時間がかかってしまった。
「…まだまだっ!」
「…う、んっ!」
僕は、誰かが隣に居てくれないと死んでしまう。
「くぅぅぅぅっ!」
「…うぅっ」
もう一度会いたい。君にも居て欲しい。
「もうちょっとっ、気合入れろっ!」
「うんっ!」
だから、これは僕のエゴだ。
「…」
土に命が宿る。
「…おお」
変わらないガラスの目を開けて。
「…おはよう」
彼女が生まれた。
夜。新月だ。
黒い厚手のローブを着た僕は、ゆっくりと死者を乗せた台車を引く。今宵は6人だ。山に入って坂道になるときつくなってくるが、弱音は吐いていられない。
「…」
静かに、肩で息をしながらだけど、何とか地底湖の入り口まで辿り着いた。父さんやエイチが軽々とやっていた作業は、予想以上に大変だった。まだここから先、地底湖への坂道を滑らないように下って行かなければいけない。自分で引き始めた時に比べれば筋肉もついているけれど、まだまだ軽々には程遠い。
「…」
やっと地底湖まで辿り着き、掲げられている松明に火を灯してゆく。地底湖が炎の光に照らされ、少し息をついた。
「…」
そこまで休んでも居られないので、小休止もほどほどに死者を湖面に浮かべて行く。いつもの様に魚が群がり、死者が骨になるまでの間黙祷を続ける。
「…」
全員が、無事に命の巡りを始める事が出来た。付けた松明を消し、軽くなった台車を引いて洞窟を後にした。
「…」
洞窟から出れば、空はぼんやりと明るくなっていて、割といつも通りだ。仕事は終わり、後は帰って寝るだけだ。
「お疲れ」
「うん、お疲れ様。手伝い、ありがとう」
被っていたフードを下ろし、横に居るウロさんに僕はそう言った。
「手伝いってなにさ。どれだけやってると思ってるんだ?」
「そうだね。でも、ありがとう」
「…どういたしまして」
捲ったローブから覗く骨がむき出しの腕を組みながら、ウロさんは笑って応えてくれた。
エイチが死んだあの時、身体が崩れ去った後に残ったのは彼女のガラスの眼と、人一人分の人骨だった。
なんでエイチの中に骨があったのか、それを考える間もなく骨が動きだした。正直、本当に驚いた。まさか骨が動くとは夢にも思っていなかったから仕方がないと思う。
でも、驚いたのはその一瞬だけだった。その骨の首に、ウロさんと一緒に湖面に浮かべた筈の、僕の作ったペンダントがかかっていたからだ。
骨は段々と身体や頭に肉を付けて、やがて、ウロさんになった。
『…はあい』
『…』
どうしてとか、
『…えっと、こ、こんばんは?』
『…』
どうやってとか、
『…それとも、久しぶり、の方がいいか』
『…』
なんでエイチの中からとか、
『………なんか、言えよ』
『…』
色々と考えたけど、
『さっきは話してたじゃんか』
『…ウロさん』
ウロさんには、話したい事が沢山あった。教えたい事が沢山あった。伝えたい事が沢山あった。聞いて欲しい事が沢山あった。
『なんだ?』
『……おはよう』
『ああ、おはよう』
でも、やっぱりウロさんにまた会えたのが嬉しかった。
ウロさんが、正確には死んでいるけど、生き返ったのはエイチのお陰だと言う。
エイチはウロさんの魂を捕まえて、それを頼りにウロさんの骨をあの地底湖から引き揚げていたらしい。エイチの足や腕の命令が消えていたり、微妙に身体に線が出来ていたのは、水に入ったり、骨を身体の中に保管する時のものだったようだ。
どうしても見つからなかった骨は、エイチの身体を作っていた土が変わりの骨となったと言う。見れば、細かい骨の幾つかは色が違っていた。
ウロさんの骨を粗方集め切り足りない部分を補った後、地底湖へと赴き、自分の持つ全ての魔力を骨に染み込ませた。その結果、エイチは砂となった。
なんでエイチが自分を犠牲にそこまでしたのかは分からない。いや、自惚れでなければ、きっと、僕の為なんだろう。
結局、僕一人だけでは仕事もままならない。台車だって僕が引いているけど、後ろでウロさんが黙って押してくれているのは知っている。僕の意思を酌んでか何も言わずに押してくれているので、僕もその好意に答える為に何も言わない。まあ、いつまでもそんな有様では流石に男としてかっこつかないので、最近増やした趣味は筋肉トレーニングだ。
話がずれた。父さんと母さんが死んでからウロさんがここに来始める前と、ウロさんが死んでしまっていた間の僕の生活は、殆ど変わりの無いものだった。
エイチは、自分では父さんと母さんやウロさんの代わりは出来ないと思ったんじゃないだろうか。自分が居るよりもウロさんが居た方が、僕の為になる、…と。
もし、本当に僕の為として、僕はエイチに何をしてあげられていたんだろう。
エイチには仕事の手伝いばかりで、労う事もしなかった。仕事以外ではずっと部屋の隅に待機させていたし、構っていたと言えば、メンテナンスぐらいだけど、それも商売道具としてだった。僕は、何一つとして彼女の為にしてやることはなかった。
彼女は、僕を恨んでいないだろうか。
エイチの想いは分からないけど、それでも、最後に見せた笑顔は本当に暖かく感じた。
エイチの砂は、次の新月の夜に他の死者たちと同じ様に地底湖へ撒いた。この地に生まれた者の最後を見送るのは僕の仕事だし、彼女が死に場所とした地底湖で、ちゃんと葬儀をしてあげたかった。
命は巡り巡って別の命へ。もしかしたら、煩わしくて叩き潰した羽虫かもしれないし、夕飯のおかずの魚かもしれない。今、僕らの目の前に来ているかも知れない。
「よし。いいな?」
「大丈夫だよ」
僕とウロさんが見つめる先には、目を閉じ横たわる、一体の土で出来た人形。
「意識を集中して、力の川から一本の筋を引くように」
「…うん」
二人で土人形に手を添え、練習してきたとおりに、伸ばした指先から魔力を注ぐ。土人形が、一つの命を宿して行く。
魔法の勉強は奥が深くて、思ったより時間がかかってしまった。
「…まだまだっ!」
「…う、んっ!」
僕は、誰かが隣に居てくれないと死んでしまう。
「くぅぅぅぅっ!」
「…うぅっ」
もう一度会いたい。君にも居て欲しい。
「もうちょっとっ、気合入れろっ!」
「うんっ!」
だから、これは僕のエゴだ。
「…」
土に命が宿る。
「…おお」
変わらないガラスの目を開けて。
「…おはよう」
彼女が生まれた。
12/07/05 22:24更新 / チトセミドリ
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