GhostTouch

私はゴーストだ。名前は忘れてしまった。
名前はあったとは思うが、それを誰かに呼ばれる事は無かっただろう。
それに、名前が分からなくても、墓穴に縛りつけられていた私は、特に困らなかった。

昔と違い、今は多くの魔物が人語を理解し人の形をとり、少なからず人も受け入れ始めているようだ。
人々が、明日は我が身と、毎日を死の恐怖に怯える事も無くなっている。
たった一度魔王が変わっただけで、世界は激変した。人はそれに振り回される。
それほどまでに魔王と言う存在や、世界にはびこる魔物は強大で、人間は己の矮小さを見せつけられる。
今更になって思う事は、私に課せられていた使命は、到底成し遂げる事など出来ないものだったと言う事だ。


私の人生は、常に剣を携え、ただ勝利の為に生き、そして戦場で終わった。
覚えている事は少ない。これには十数年と言う生きた時間の長さも関係しているだろう。
物心ついた時には沢山の大人に囲まれ、それを上回る数の、私と同じ位の子供と共に剣を握っていた。大人達は私達に剣術を、体術を、魔法を、知恵を……殺す為の技術を教え込んだ。毎日がひたすらそれだった。
年を重ねるごとに、段々と周りの子の数は減っていった。その子らがどうなったかは知らなかったし、興味もなかった。技術を学ぶ事に忙しかったのは覚えている。
四肢の指を使っても到底数えきれなかった子供達が、片手に収まる様になった頃、私は学ぶ事を止めた。今度は、その技術を使う事に忙しくなった。
私以外の子達は、一丸となって旅立って行った。私は一人、多くの大人の元に残った。
様々な場所で、環境で、沢山の敵を相手に戦った。全てに勝利を収めた。
それについて、誰も何も言わなかった。勝利は常であり、呼吸と同じ扱いだった。
学ぶ事を止め、怪我も無いのに初めて股から血を流した日から、大人たちと接点が増えた。主に夜が多かったが、それは私が『大人』になったからだと教えられた。その時の私は、周りの大人たちから私が大人と認められた事を、うっすらとだが嬉しく思っていた。
それから数年後、私は死んだ。
敵を殲滅している最中に、殺し損ねた敵に後ろから刺された。
感じたのは体を貫かれた痛みだけで、後は特に感じなかった。
最後に見たのは、私の事など忘れたように慌てだし、陣を崩して敵から逃げ惑い、そして斬られて行く大人達の姿だった。

目を覚ました私は、私の魂は、何故だかこの世界に留まっていた。死んだ洞窟から出る事は出来ない様だった。
時折洞窟には人や魔物が入って来た。訪問者に触れようとすると、彼らの記憶や知識が私の中に流れ込んで来た。やることも出来ることも無かったのでそれを繰り返し、様々な知識を得た。知識を得ようとすると、なぜだか皆が皆狂いだし、最後は死んでしまったが気にしなかった。
普通の子供の姿。
剣を持たない生き方。
人間の欲。
私が女である事。
私など魔王の足元にも及ばない事。
私は沢山の事を知らなかった。戦いしか知らなかったからだ。そして、その事を知って気付いた事は、私の魂には戦いへの欲求が染みついていると言う事だった。死んだ後も、戦う事しか自分には無かった。
私はやって来る者から知識を得つつ、戦った。やって来た者の身体を操る事は出来なかったが、その者が戦うのを、その者の中から見ていた。私が憑いた者が狂うのは都合が良かった。
人と戦い、魔物と戦い、魔物が変化した後も戦い続けた。戦っていれば、未練とやらも消え、私にとって意味の無くなったこの世界から消える事が出来るだろうと思っていたが、一向に消える事は叶わなかった。
最後に憑いた魔物は、とうとう負けてしまって、私は魔力の殆どを無くしてしまった。こういう消え方もあったか、と思っていたが、どうやらまだ消えていないようだ。

気付けば、クイーンスライムと呼ばれる、スライムの亜種が私の魂の端を掴んでいた。
スライムが分離不全を起こした個体と言う事だが、他のクイーンスライムとは少し違うらしい。
他の個体を見た事が無いので詳しくは知らないが、そのクイーンスライムの女王であるマーレの、召使いであると言うカイレンが私を捕まえているのだ。
カイレンは魔王軍の訓練施設で働いている。そこでは多くの魔物達が泣き、笑い、汗を、血を流しながら修練していた。全員が生き生きとしていた。私が学んでいた所とは大違いだった。
私は常にカイレンに手綱を握られていて、単独での行動は出来なかった。そして、カイレン以外には私は見えていないようだ。と言うより、どんなに姿を消してもカイレンには見えてしまう。私はカイレンの後ろを憑いてまわるしかなかった。

カイレンは私に施設の案内や、そこに居る者の紹介をしていった。頼んでもいないが、憑いて行くしかない私はその話をずっと聞いていた。
剣を見るたび、振るわれるのを見るたび、今は亡き身体が疼くが、カイレンはそれを見透かすかのように、身に湧く魔力を奪って行った。戦う以外、私には何もないのに。

カイレンは多くの質問をしてきた。
私は何と言う名前か。名前は忘れた。
いつの時代に生きていたか。正確には分からないが一つ前の魔王の時代だと思われる。
生前は何をしていたか。ずっと戦っていた。
死後は何をしていたか。ずっと戦っていた。
昔の魔物はどうだったか。一部の飼い慣らされたものや家畜を除き全て敵だった。
昔のスライムはどうだったか。気にもしなかった。
異性との関係はあったか。当時は知らなかったが、大人達と沢山あった。
カイレンが異性と関係を持つにはどうしたらいいか。知らない。
先輩が面倒くさいのはどうしたらいいか。知らない。
掃除の能率を上げるのはどうしたらいいか。知らない。
肌の保湿はやはり大切かどうか。知らない。
他にもされたが、ほぼ全ての返答が、知らない、となった。
カイレンは終始笑顔を絶やす事は無かった。

幾日もカイレンは私を憑れてまわった。
カイレンは私に高い所の埃の有無や、壁と棚の隙間に物があるかなどの確認をさせた。備品を数えさせられたり、私がこの時代の文字もある程度理解できる事が分かると、紙に書かれた文字の読み上げさせられたりもした。きっと、私を放すつもりなどなく、このままこの召使いに、小間使いのように使われるのだろう。

ある日カイレンは、今日は特別な部屋を掃除する当番だと言って、朝から張り切っていた。緊張もしているようで、スライムの粘度が上がっていた。
掃除道具一式をスライムの中に抱えながら、遂に目的の部屋へと辿り着いた。他の部屋よりも少し豪華な扉の上には『所長室−ギリーエル・キュクロ』と書かれたプレートがあった。
カイレンがノックをして、一声かけて扉を開ける。少し噛んでいた。
部屋の中心には低めのテーブルとそれを挟む二人掛けのソファがあった。壁にそって背の高さの違う棚が並んでいて、本や雑貨があった。反対側には手入れの行き届いた武具が鎮座していた。奥には執務机があり、デュラハンが座って作業をしていた。このデュラハンがギリーエルなのだろう。
カイレンはギリーエルと二言三言会話した。ギリーエルはそのまま作業を続け、カイレンは構わず掃除をする事になった。
私はいつもの通り、家具と壁や床の隙間、窓の汚れ具合などをカイレンに伝えて行く。何度もやらされているのでもう覚えてしまった。
その他、特に埃や染みが無いか探していると、高い棚の上に薄い石の板を見つけた。板には文字が彫られていて、生前見慣れていた文字も見つけた。埃は積もっていなかった。
暫くそれに目を取られていると、いつの間にかカイレンが背を高くして隣に顔を並べていた。 
カイレンが私にこの板が気になるかどうか聞いてくるので、正直に答えた。
カイレンがギリーエルに、かなり緊張しながらもこの板について聞いた。
ギリーエルは板を手に取ると、複雑そうな顔をして、少し上を向いた。
ギリーエルが言うには、この板の文字列は、ギリーエルが初めて殺した人間の事が書かれているらしい。名前が分からなかったので、外見についてだと言う。
綺麗な顔をしていたのに、瞳は何も見ていないようだったと言う。無表情に、冷徹に敵を薙ぎ倒す姿はとてつもなく強くて、美しく、痛々しく見えたらしい。
カイレンがどうやって倒したのかと聞くと、ギリーエルは苦い顔をした。騎士として、とても酷い事をして殺したと答えた。けれど、これを逃せば次は無いと言う事も分かっていたと続けた。
殺したその人間は、死にゆく時も決して表情を変えなかったと言った。その姿が未だに鮮明に思い出せると、そして、自分はこんなあっけなく死にたくないと思ったと言う。それからは死なない為、その人間以上に強くなる為に、どんな事でもやっていたらしい。
しかし、どんなに強くなっても、死ぬ時は簡単に死ぬものだ。私がそうであったように。その人間が、そうであったように。死んで、そこで何もかもが終わりだ。残す物などありはしない。
だと言うのに、私は、この世界に何を残してしまったのだろう。

カイレンが板に書かれた文字を読もうとしたが、私が生きていた頃の文字は読めないようだ。代わりに私が読んだ。

『十代の少女。短く切りそろえられた、輝くブロンドの髪。細めの目とふっくらした唇、すっとした鼻筋はどれも整っていて、無表情ながらも美しい顔。珍しい金と赤の瞳はどちらもくすんでいた。戦うその姿は正に剣で、折れた彼女は、最後までまっすぐだった』

読み終わった後、気付くとカイレンは目を見開いて私の顔を見ていた。
ギリーエルがカイレンに、どうした、と声をかけた。今の私はカイレン以外には見えないので当然の反応だ。カイレンは何でもないと言うが、ギリーエルはカイレンの見ていた場所に顔を向けた。
目が合った気がした。


ある日、私はカイレンが私の魂を掴んでいない事に気がついた。離れようとしても無駄だ、と思っていたので気が付かなかった。その事について、カイレンは何も言わなかったので、私も何も言わなかった。
ただ、戦いたい、と言う飢えにも似た欲求は消えていた。私には戦いしかなかったので、それが無くなった事が驚きだった。
このまま何処かへ行く事も出来たが、それはしなかった。何故だか分からないが、まだ此処に居ようと思った。行くあてが無いと言うのもあるのだけれど。
それから百回は太陽が昇るのを見ただろうか。私は未だに、カイレンの後を憑いてまわっている。
やる事は変わっていない。朝は決まった時間にカイレンを起こし、仕事中は汚れのある個所を探し伝え、渡された書類の内容を読み上げ、必要に応じて覚える。夜はカイレンが寝付くまで話をして、一日が終わる。大体この繰り返しだ。

基本的にはカイレンにしか姿は現わさないが、時折他の召使いや、私と同じ様に手伝いをしている者と話をすることもある。もう幾度も繰り返されてはいるけれど、とり憑いて知識を得るのとは違っていて、何処か新鮮だ。
既に死んでいて、触る事も出来ないけれど、生まれて初めて自分の人生に、命に触れている気がする。

クイーンスライムのいる魔王軍訓練施設第3弾です。
今回は早めに書くことが出来ました。
また書きます。たぶんですが・・・。

読んで頂いた方、ありがとうございました。

11/11/10 18:34 チトセミドリ

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