EngagementRing
「あー。あー。あー…」
私は器用な手先でこちゃこちゃと輪の形にした金属に彫刻を施してゆく。かなり細かい所をやってはいるがこんなもの朝飯前、いや、今はもう夜だから夕飯前か。そう言えばおなか減った。
「おなかへったよぉぉぉぉぉ……」
お昼の残りで良いや。……よし、彫刻完了。あとはこの石を埋め込んで…っと。…よし、出来た。
軽く布で磨いたそれをおもむろに自分の指にはめ、天井からぶら下がる魔法照明の光に照らしてみる。完成した薔薇の意匠の指輪は、小さな私の指にはぶかぶかだった。
この指輪の依頼者の人間の男は、これをプロポーズに使うと言っていた。いわゆる婚約指輪だ。相手の女はこんな小さな物で喜ぶのだろうか…少なくとも私はこんな物を貰っても嬉しくはない。
わたしにとってはどうでもいいが、結婚と言うので何時もより気合いを入れて作った。けれど、やっぱり装飾品ばかりを作っていてもつまらないな。
「ごはんたべよ…」
私、ドワーフのアーチェンは装飾品を作る事に飽きを覚えている。
だれか、カタナ打たせてくれないかな…。
翌日。昨日作った指輪の依頼者が朝っぱらから店に品物を受け取りにきた。
「いやぁ、ありがとうございます!!さすがアーチェンさん、良い出来ですね!!これならユナも喜びますよ。あ、ユナって言うのは俺の彼女の名前なんです。彼女綺麗な髪と目をしていてですね…」
褒めて貰うのはうれしい。が、のろけ始めるな。
「どーも。…代金はこれ位。石は持参だったからその分引いて、あとプロポーズ割引かな」
長くなりそうなのろけ話を無視して材料費や必要経費を書いた紙を店のカウンターに置く。通常の料金よりもなかなか少ない額を提示した。本当はプロポーズ割引はなんて無いけど、この前商人に依頼されて大量にブローチ作って懐に余裕があったので割り引いてあげた。なんてったって一生一代の大行事だしね。
「こんなに安くて良いんですか?」
「一つ条件。プロポーズに成功したら、ちゃんと彼女を幸せにする事」
そう言って私は目の前の男に手を伸ばした。男がその手を握り、一度上下に振った。
「分かりました!必ず幸せにして見せます!!」
男は上機嫌で代金を置いて出て行った。このうかれぽんちめ。
「……あー。あー。あー」
珍しく他に依頼された仕事もない。自由な時間を得た私は、久しぶりに鍛冶をすることにした。指輪等の装飾品も作っているが、私の本業はカタナ鍛冶なのだ。
私の母は装飾品の生産を生業としていて、昔の私は当然のように家業の手伝いをしていた。そんな私が今鍛冶をしている理由は、母の店の客からジパングと言う国の『カタナ』と呼ばれる剣を打つサイクロプスの話を聞いたのがきっかけだった。
美しく反り返った片刃に描かれる淀みの無い波紋。繊細かつ粘りのある刃は鉄をも切り裂くと言う。さながら一つの芸術であり剣としての実用性を持つ、金属の塊から生みだされた至高にして究極の一振り。
海を渡ってやって来たそれに魅せられた私は、私の手で作ってみたい、作り出したいと、その話を聞いてすぐそう思った。ジパングに行くことは難しくても、そのサイクロプスに弟子入りして、カタナ鍛冶になりたかった。
一人娘だったし絶対反対されると思ったのだが、母に相談したら幾つか条件付きでカタナ鍛冶になる事を許してくれた。
一番大きな条件は、装飾品で店を出せるほどに腕を上げること。当時の私は、母が私に技術を受け継がせる為に、そして時間をかけてカタナ鍛冶になるのを諦めさせようとしていると思っていた。
しかし母に厳しく指導されている間もカタナへの想いは途切れることなく、遂に母からお墨付きを貰った。
そんな感じで、私は実家を出、サイクロプスの師匠の弟子になった。
師匠の事は、その、あれだ。門外不出と言う訳で話す事は出来ない。ま、間違っても修行が地獄で思い出すのすら怖いと言う訳ではない。断じてない。ガクガクブルブル…。
……はれてカタナ鍛冶となった私は、父の生まれ故郷のこの街に店を開いた。特になんの取り柄もないさえない父だったが、この街の話をする時だけは目を輝かせ、子供の様に楽しそうにしていた。幼かった私は『あの父が楽しかったと言うのだから、きっととても素晴らしい所に違いない』と安直に考え、いつか自分の店は父の生まれ故郷に開こうと前から決めていたのだ。今思えば、もっとしっかり考えるべきだった。人は若かりし頃の記憶が眩しいらしい。
残念ながらこの街は観光名所があるわけでもなく、特産品もぱっとしない上、カタナが全然売れない。
まず剣自体の需要が少ない。この周辺地域の街は魔法が発展している。街の自衛団も魔法がメインで、剣の注文は入るには入るが、何もないこの街に攻め入る者も殆どいなく、剣が傷む事も少ないのでごく稀。その辺の剣で事足りてしまうのだ。ちなみにこの街は大陸の隅にあり、辺りには幾つか町はあるが、ほとんど何もないので冒険者が来ることも少なく、なんでこの街がそれなりの大きさを持つのか分からない。良い所と言ったら…私たち魔物に寛容なぐらいか。数は少ないが、スライムやハーピーなど、私以外にも暮らしている魔物はいる。リザードマンの住人でも居ればカタナも売れるだろうに…。
さらに、材料となる金属は特殊な精錬方法を取るので手に入りにくく高価であり、その金属を熱する為の燃料も同じで、カタナの一本にとんでもない金がかかる。カタナの知名度が低いのも関係しているだろう。
店に訪れる人にカタナの素晴らしさを語っているのだが、注文してくれる人は今までだれ一人としていない。その代わり、食い繋ぐ為に作った装飾品の方が有名になった。母に仕込まれた技術がこんな所で生きる。まさか、母はこの事態を想定していたのか…?
――カン、カン、カン
高温の部屋の中、汗を拭くのも忘れて金属を熱し何度も叩き、また熱してゆく。叩くたびに金属はしなやかなカタナへと徐々に姿を変えてゆく。
…ふと、足音がして誰かが工房に入って来るのが分かった。誰だか知らないけど勝手に入って来るとは失礼なやつだ。
「なにを作っているんですか?」
――カン、カン、カン
「なにって、カタナだよカタナ」
声を聞いた限り、若い男。20あたりか?カタナから目を離せないので顔は見ていないが優男な印象を受ける。そいつは私の横に来て腰を屈めて私の作業を覗き始めた。足と膝にあてた指輪をした手が視界の端に映る
「あんた誰?客なら表のカウンターで待っていて欲しい所だけど。強盗なら…ぶん殴るよ」
「あ、僕客です。強盗じゃないです」
――カン、カン、カン
「何?指輪?…それともブローチ?ネックレスとか?」
「いえ、カタナです」
――ガィン
その言葉に、手元が狂いに狂った。
「ほ、ほほほほほ、本当か!!?本当にカタナか!!?ゆ、指輪でも、ブローチでもないのか!!!???」
人物の方に勢いよく振りむいた。
「は、はいっ。カ、カタナ、です」
その言葉を聞いて、なんかもう涙が出た。
とりあえず涙を目にゴミが入ったとごまかして、改めて店で話を聞くことにした。
カタナを初めて注文してくれた男は、ベインの名乗り、冒険者をしつつ剣の修行をしていると言う。声の印象は優男だったが精悍な顔つきをしている。
ベインはこの辺りで、盗賊団の襲撃にあい剣が傷んでしまったそうだ。盗賊が出るとはこの辺りも物騒になったな。…で、長い間使っていてもうぼろぼろだったので思い切って買い換えようと思ったと言う。
「でも、この街に剣を売っている所が無くて…街の人に聞いたらここで『カタナ』を売っていると言われたんです」
街の人ナイス!!!
「まあ、この辺りじゃ包丁以外の刃物扱っているのは私ぐらいだから」
しかも何気に顔好みなんだけど!!!
「カタナは前に話を聞いた事があって、一度見てみたかったんです」
カタナに興味あるよこの人うっはーーっ!!!
「カタナってあれですよね…本物は初めて見ました」
店に飾られているカタナを見て言った。
「ああ、それは見本で刃が無いんだ。…カタナは基本的にオーダーメイドで、使うやつに合わせて一から鍛えることにしている。一回振ってみてくれ」
私はそう言って見本をベインに渡した。ベインは一度ぐるりと全体を見た後ゆっくりと鞘からカタナを抜き、軽く振りまわした
「どうだ?」
「面白いです。…慣れが必要ですけど刃も綺麗ですし、ますます欲しくなりますよ」
「本当か!?」
嬉しい事言ってくれるぜこの男前!!!
「はい。…一本お願いできますか?」
「任せろ!!」
ベインがカタナを収めて私に返す。テンション上がるぜこのやろう!!!
「それで、幾らぐらいかかりますか?」
「え?あ、……あー」
上がったテンションが一瞬でマイナスになった。値の張るカタナをこの若者、しかも冒険者、更に修行中と言う収入の不安定な人に買えるのだろうか。無理っぽい?いや、でもやっと巡ってきた好機をこんな所で逃すわけには…かと言ってもこっちにも生活があるし…。
「幾らまでなら、出せる…?」
恐る恐る聞いた。ベインは少しの間考えて、机の上に置いてあった紙に数字を書き、私の目の前に差し出した。
「…この位なら」
…全然足んない…。思わず苦い顔を浮かべてしまった。
「無理、ですか……」
ベインが紙を自らの所へと引き戻そうとして、私はとっさに身を乗り出しその紙を抑えた。
「…アーチェンさん…?」
「無理とは言ってない」
生活がかかっていても、ここで引き下がれるか。やっぱ好機だよ、これは。私は利を追求する商人じゃないし。
「いい。この値段であんたにカタナ打ってやるよ」
「本当ですか?」
「ただし、条件がある…私の打ったカタナを大切にする事…いい?」
私はベインに右手を伸ばす
「はい!」
「あと、私のカタナを旅先で広めること」
ベインが私の手を握り、一度上下に振る。
「約束します!!」
「最後、カタナが打ち終わるまで、夜の相手をして」
「分かりまし……た?」
私はカタナ鍛冶だが、飢えた魔物でもある。
疑問符が付いたが了承は得たのでそのまま手を離さず押し倒した。夜じゃないけど。
久しぶりに男の精で毎日お腹一杯の私はそれから一週間ほどかけてカタナを打った。
ベインの速度重視で突きが多めの剣技と魔法とのコンビネーションと言う戦闘スタイルに合わせて反りを小さめに、そして軽めに仕上げた。柄頭には魔力と相性の良い宝石を埋め込み、魔法発動を助ける働きを持たせる。鞘は杖に使う木材を使用したのでそのまま杖にもなる代物にし、万が一に備え即時展開が可能な防御魔法のルーン文字を刻む。鍔にはスイレンの花をあしらい、最後に銘として刀身に私の名を刻む。見える所に私の名を入れたのは、知名度アップの為だ。
これが、ベインの為だけに私の持てる全てを叩きこんだ一品だ。
「出来たぞ!受け取れ!!」
「んあ………、え、本当ですか!?」
昨日も私に散々搾られ、昼間までベッドで寝入っていたベインに飛び付いた。
「さあ、そのカタナを構えた姿を見せてくれ!はやくはやく!」
私は強引にベインを引き起こしてカタナを抜くようにせがんだ。カタナにせよ装飾品にせよ、使う人が居て初めて完全なものとなる。この男の手によって、私のカタナが完全な姿になるのが一刻も早く見たかった。
「ええっ、今ですか!?…流石に裸では格好がつかないんですが…」
昨夜の事後のまま彼は素っ裸だが、
「大丈夫だ、問題無い」
他に余計な物はいらない。カタナとその使い手が一体となる様が見たいのだ。
「うう、…じゃあ、少しだけ」
そう言ってベインは私の手からカタナを受け取ると、恥ずかしそうにしながらも床の上に立った。
左手に鞘を持ち右手でカタナを抜き、片手で中段に構えた。曇りのない刀身にしっかりと鍛えられ無駄のない肉体が映る。ベインは手の中で軽くカタナを回し、そこから鋭い突きを繰り出す。ベインの腕の延長となったカタナが窓から入る光を跳ね返して一閃、また一閃と滑る様に空を切る。洗練された動きに目を奪われる。
今、ここにようやく私のカタナが完成した。
「うん…凄い扱いやすいです…あ、これ魔法も使えるようになっているんですね」
「おう。おまえの為のカタナだからな!」
「僕の為の…ですか。ありがとう、ございます」
ベインは嬉しそうな顔から少し悲しそうな顔になってカタナを鞘に収めた。
「なんだ?私のカタナに不満でもあったか?…そりゃあ、カタナ鍛冶として私はまだまだだが、そこまであからさまに悲しい顔をされると傷つくぞ。そのカタナには私の全てをつぎ込んだつもりだ。柄や鍔、鞘までそろえた自慢の一品だ」
「いや、違います。カタナには満足しています。ただ、また旅立たないといけないな、って思いまして」
「…?冒険者なのに旅が嫌いなのか?それに修行中なんだろう?」
カタナには不満は無い様で良かった。が、彼の言葉の意味が分からない。するとベインは照れながら、
「いや、その…アーチェンさんと、別れなければならないからって…」
その言葉を聞いて、顔が焼いた鉄の様に赤くなるのが分かった。
「……えーーーー、っと…へ?…あの、あの、その、あ、うう…ええ?」
混乱して言葉がうまく出ない。深呼吸しよう。
「はぁ……えーと、うん…どう言う…意味、だ?」
「その、…ア、アーチェンさんの事が好き、です。と言う意味です…」
もしやと思ったが、そのとおりだった。…次第に告白された恥ずかしさの熱が違うものに変わっていった。そして混乱して理性の薄れた頭では、その全身から沸き上がる熱を抑えきれなかった。と言うか、抑える必要もない。
「……え、ア、アーチェンさん?ちょっと、え、な、なんですか??」
「……素っ裸で、そんなこと言うお前がいけない」
「だ、だから格好がつかないってさっきはうんっ」
うへへへへへ。
結局、深夜までヤリ続けた。お腹一杯幸せ。
「なあ、私なんかのどこが良いんだ?」
ベッドの中、生まれたままの姿でベインの腕に抱かれながら私は聞いた。
人間だと10歳そこらの子供位までしか成長しないのだが。
「そうですね…初めて会って、アーチェンさんの泣き顔みて、惚れました」
「あああああれは目にゴミが、は、入ったんだ」
「そうやって慌てる姿も可愛くて好きです」
意地悪された。くうぅぅ。
「……ロリコンのくせに」
ベインが小さく肩をびくつかせた。図星か。
「ベインのロリコン〜」
「れ、恋愛に姿形年齢は関係ありません!幼女が好きなんじゃなくて、好きな人が幼女だっただけです!」
「私これでもあんたの三倍は軽く生きているぞ?」
「年齢も関係ないって言いました。僕はあなたが好きなんです」
そう言って私をぎゅっと抱きしめる。ベイン、暖かいなあ。
「…僕は、アーチェンさんが好きなんです。け、結婚して、一緒になりたいと思っています。…あなたは、どう思っているのか、聞かせて、ください」
言葉にすると恥ずかしいから行動で示したと思ったのだが…仕方ない。
「……私も、ベインの事、好きだ…大好きだよ。その、い、一緒に、暮らしたい、のだけど…」
「……だけど…?」
「カタナを打つ時、あんたに条件を出したろ?…それが、な…」
「カタナを広めることですか?」
「…内容はあまり関係無いんだけどな…。私にとっては条件と言うより、約束や契約に近い意味合いなんだ。作る私とそれを使う人との心の取引で、自分の心を相手に渡すようなものなんだ。条件を守れない事は、私に対しての、相手に対しての裏切りと同じなんだ」
ベインは何も言わない。
「それに、あんた修行中っていうけど結構腕の立つ剣士なんだろ?カタナを振ったのを見た時、そう思ったんだ…このままいけば、あんたはもっと強くなる。凄いやつになると思うんだ。それで…立派な剣士になったあんたに、もっと良いカタナを、もっと素晴らしい物を作りたいんだ。……至高にして究極の一振りを、愛するあんたの為に作りたいんだ。………どっちも、私が勝手に思っていることだから、ベインが一緒になりたいって言ってくれるなら、結婚しよう」
私を抱きしめる強さが増した。
「僕は、明日の朝ここを出ます」
「ベイン…?」
ベインの顔を見やる
「僕も約束しましたし、あなたを裏切る訳にはいきません。あなたのカタナにかけて、条件を達成して見せます。そして、あなたの打つカタナに似合うだけの剣士になってみせます」
私もベインの胴体に腕を回して抱きしめる。
「…ありがとう、ベイン」
「今日も良い天気ですね」
朝日の昇る中、ベインは私の店の前で伸びをする。出発の準備は既に整っていて、旅荷物の入った袋が彼の脇に置かれている。
「気を付けて、な…」
昨日の夜、自分の我儘を受け入れて貰ったと言うのに、離れるのが寂しい。
「はい!大丈夫です。アーチェンさんのカタナもありますから、そうそうにやられたりしません」
そう言って自身の腰を彩るカタナを触る。
「一つ……良いか?」
「はい。なんですか?」
私はもじもじしつつも、口に出した。
「キ、キスして、くれないか」
「……条件があります」
「なんだ…?」
ベインは私の前まで来ると膝を折り、私と同じ目線になった。
「僕の帰りを、待っていて欲しい」
ベインが私を見つめる。私もベインを見つめ返す。
「…ああ、待っている。ずっと、ここで待っている」
そして、ついばむ様な、優しいキスをしてくれた。
そして私の手の中に小さな何かを握らせて立ち上がった。
「じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい!」
彼は笑顔で、朝日の方向に歩きだした。
少し行って、置いてきぼりを食らった荷物を取りに顔を赤くして戻ってきたのは彼の愛嬌だ。
「あー。あー。あー…」
ベインが旅立ってから数カ月。彼の為に打ったカタナでとんでもない赤字が出てしまった。
調子に乗って高品質の金属を仕入れたし、柄頭の石も莫迦にならないし、鞘には300年物の大樹を使った。危うく店が傾く所だった。と言うか実際少し傾いた。ずっと待っていると言ったくせに店が潰れてしまっては元も子もない。危ない、危ない。
それでも、近頃はカタナを求めて来る者が僅かだが出てきた。聞けば、若い男が私の名が刻まれた見慣れない剣を振るい、目の覚める様な活躍をしていたと言う。彼は条件を達成してくれている。私も、努力しなければならない。
今度打つカタナは、もっと刀身を薄くして更に軽量化を図ってみようか。魔法で強度を増して…。いや、重さで叩き切るのも良いな。指向を変えて芸術品としての面でも…刀身に色を付けてみるとかどうだろう。
ああ、『至高にして究極の一振り』…中中に難しい。時間は幾らあっても足りない。
「…さて、今日はどうしてみようか?」
今日も私は愛する者の為、思考を巡らせ高みに至り、極みへの九曲した道を行く。
そうそう、あの日ベインは銀色に輝く指輪をくれた。前はこんなもの、と思っていたが、大切な人から貰うと何だって嬉しいみたいだ。ベインが身に付けていた物だったようで、サイズはあってないしキズも多いが、鎖を通したそれはきらきらと私の首元を飾っている。
私は器用な手先でこちゃこちゃと輪の形にした金属に彫刻を施してゆく。かなり細かい所をやってはいるがこんなもの朝飯前、いや、今はもう夜だから夕飯前か。そう言えばおなか減った。
「おなかへったよぉぉぉぉぉ……」
お昼の残りで良いや。……よし、彫刻完了。あとはこの石を埋め込んで…っと。…よし、出来た。
軽く布で磨いたそれをおもむろに自分の指にはめ、天井からぶら下がる魔法照明の光に照らしてみる。完成した薔薇の意匠の指輪は、小さな私の指にはぶかぶかだった。
この指輪の依頼者の人間の男は、これをプロポーズに使うと言っていた。いわゆる婚約指輪だ。相手の女はこんな小さな物で喜ぶのだろうか…少なくとも私はこんな物を貰っても嬉しくはない。
わたしにとってはどうでもいいが、結婚と言うので何時もより気合いを入れて作った。けれど、やっぱり装飾品ばかりを作っていてもつまらないな。
「ごはんたべよ…」
私、ドワーフのアーチェンは装飾品を作る事に飽きを覚えている。
だれか、カタナ打たせてくれないかな…。
翌日。昨日作った指輪の依頼者が朝っぱらから店に品物を受け取りにきた。
「いやぁ、ありがとうございます!!さすがアーチェンさん、良い出来ですね!!これならユナも喜びますよ。あ、ユナって言うのは俺の彼女の名前なんです。彼女綺麗な髪と目をしていてですね…」
褒めて貰うのはうれしい。が、のろけ始めるな。
「どーも。…代金はこれ位。石は持参だったからその分引いて、あとプロポーズ割引かな」
長くなりそうなのろけ話を無視して材料費や必要経費を書いた紙を店のカウンターに置く。通常の料金よりもなかなか少ない額を提示した。本当はプロポーズ割引はなんて無いけど、この前商人に依頼されて大量にブローチ作って懐に余裕があったので割り引いてあげた。なんてったって一生一代の大行事だしね。
「こんなに安くて良いんですか?」
「一つ条件。プロポーズに成功したら、ちゃんと彼女を幸せにする事」
そう言って私は目の前の男に手を伸ばした。男がその手を握り、一度上下に振った。
「分かりました!必ず幸せにして見せます!!」
男は上機嫌で代金を置いて出て行った。このうかれぽんちめ。
「……あー。あー。あー」
珍しく他に依頼された仕事もない。自由な時間を得た私は、久しぶりに鍛冶をすることにした。指輪等の装飾品も作っているが、私の本業はカタナ鍛冶なのだ。
私の母は装飾品の生産を生業としていて、昔の私は当然のように家業の手伝いをしていた。そんな私が今鍛冶をしている理由は、母の店の客からジパングと言う国の『カタナ』と呼ばれる剣を打つサイクロプスの話を聞いたのがきっかけだった。
美しく反り返った片刃に描かれる淀みの無い波紋。繊細かつ粘りのある刃は鉄をも切り裂くと言う。さながら一つの芸術であり剣としての実用性を持つ、金属の塊から生みだされた至高にして究極の一振り。
海を渡ってやって来たそれに魅せられた私は、私の手で作ってみたい、作り出したいと、その話を聞いてすぐそう思った。ジパングに行くことは難しくても、そのサイクロプスに弟子入りして、カタナ鍛冶になりたかった。
一人娘だったし絶対反対されると思ったのだが、母に相談したら幾つか条件付きでカタナ鍛冶になる事を許してくれた。
一番大きな条件は、装飾品で店を出せるほどに腕を上げること。当時の私は、母が私に技術を受け継がせる為に、そして時間をかけてカタナ鍛冶になるのを諦めさせようとしていると思っていた。
しかし母に厳しく指導されている間もカタナへの想いは途切れることなく、遂に母からお墨付きを貰った。
そんな感じで、私は実家を出、サイクロプスの師匠の弟子になった。
師匠の事は、その、あれだ。門外不出と言う訳で話す事は出来ない。ま、間違っても修行が地獄で思い出すのすら怖いと言う訳ではない。断じてない。ガクガクブルブル…。
……はれてカタナ鍛冶となった私は、父の生まれ故郷のこの街に店を開いた。特になんの取り柄もないさえない父だったが、この街の話をする時だけは目を輝かせ、子供の様に楽しそうにしていた。幼かった私は『あの父が楽しかったと言うのだから、きっととても素晴らしい所に違いない』と安直に考え、いつか自分の店は父の生まれ故郷に開こうと前から決めていたのだ。今思えば、もっとしっかり考えるべきだった。人は若かりし頃の記憶が眩しいらしい。
残念ながらこの街は観光名所があるわけでもなく、特産品もぱっとしない上、カタナが全然売れない。
まず剣自体の需要が少ない。この周辺地域の街は魔法が発展している。街の自衛団も魔法がメインで、剣の注文は入るには入るが、何もないこの街に攻め入る者も殆どいなく、剣が傷む事も少ないのでごく稀。その辺の剣で事足りてしまうのだ。ちなみにこの街は大陸の隅にあり、辺りには幾つか町はあるが、ほとんど何もないので冒険者が来ることも少なく、なんでこの街がそれなりの大きさを持つのか分からない。良い所と言ったら…私たち魔物に寛容なぐらいか。数は少ないが、スライムやハーピーなど、私以外にも暮らしている魔物はいる。リザードマンの住人でも居ればカタナも売れるだろうに…。
さらに、材料となる金属は特殊な精錬方法を取るので手に入りにくく高価であり、その金属を熱する為の燃料も同じで、カタナの一本にとんでもない金がかかる。カタナの知名度が低いのも関係しているだろう。
店に訪れる人にカタナの素晴らしさを語っているのだが、注文してくれる人は今までだれ一人としていない。その代わり、食い繋ぐ為に作った装飾品の方が有名になった。母に仕込まれた技術がこんな所で生きる。まさか、母はこの事態を想定していたのか…?
――カン、カン、カン
高温の部屋の中、汗を拭くのも忘れて金属を熱し何度も叩き、また熱してゆく。叩くたびに金属はしなやかなカタナへと徐々に姿を変えてゆく。
…ふと、足音がして誰かが工房に入って来るのが分かった。誰だか知らないけど勝手に入って来るとは失礼なやつだ。
「なにを作っているんですか?」
――カン、カン、カン
「なにって、カタナだよカタナ」
声を聞いた限り、若い男。20あたりか?カタナから目を離せないので顔は見ていないが優男な印象を受ける。そいつは私の横に来て腰を屈めて私の作業を覗き始めた。足と膝にあてた指輪をした手が視界の端に映る
「あんた誰?客なら表のカウンターで待っていて欲しい所だけど。強盗なら…ぶん殴るよ」
「あ、僕客です。強盗じゃないです」
――カン、カン、カン
「何?指輪?…それともブローチ?ネックレスとか?」
「いえ、カタナです」
――ガィン
その言葉に、手元が狂いに狂った。
「ほ、ほほほほほ、本当か!!?本当にカタナか!!?ゆ、指輪でも、ブローチでもないのか!!!???」
人物の方に勢いよく振りむいた。
「は、はいっ。カ、カタナ、です」
その言葉を聞いて、なんかもう涙が出た。
とりあえず涙を目にゴミが入ったとごまかして、改めて店で話を聞くことにした。
カタナを初めて注文してくれた男は、ベインの名乗り、冒険者をしつつ剣の修行をしていると言う。声の印象は優男だったが精悍な顔つきをしている。
ベインはこの辺りで、盗賊団の襲撃にあい剣が傷んでしまったそうだ。盗賊が出るとはこの辺りも物騒になったな。…で、長い間使っていてもうぼろぼろだったので思い切って買い換えようと思ったと言う。
「でも、この街に剣を売っている所が無くて…街の人に聞いたらここで『カタナ』を売っていると言われたんです」
街の人ナイス!!!
「まあ、この辺りじゃ包丁以外の刃物扱っているのは私ぐらいだから」
しかも何気に顔好みなんだけど!!!
「カタナは前に話を聞いた事があって、一度見てみたかったんです」
カタナに興味あるよこの人うっはーーっ!!!
「カタナってあれですよね…本物は初めて見ました」
店に飾られているカタナを見て言った。
「ああ、それは見本で刃が無いんだ。…カタナは基本的にオーダーメイドで、使うやつに合わせて一から鍛えることにしている。一回振ってみてくれ」
私はそう言って見本をベインに渡した。ベインは一度ぐるりと全体を見た後ゆっくりと鞘からカタナを抜き、軽く振りまわした
「どうだ?」
「面白いです。…慣れが必要ですけど刃も綺麗ですし、ますます欲しくなりますよ」
「本当か!?」
嬉しい事言ってくれるぜこの男前!!!
「はい。…一本お願いできますか?」
「任せろ!!」
ベインがカタナを収めて私に返す。テンション上がるぜこのやろう!!!
「それで、幾らぐらいかかりますか?」
「え?あ、……あー」
上がったテンションが一瞬でマイナスになった。値の張るカタナをこの若者、しかも冒険者、更に修行中と言う収入の不安定な人に買えるのだろうか。無理っぽい?いや、でもやっと巡ってきた好機をこんな所で逃すわけには…かと言ってもこっちにも生活があるし…。
「幾らまでなら、出せる…?」
恐る恐る聞いた。ベインは少しの間考えて、机の上に置いてあった紙に数字を書き、私の目の前に差し出した。
「…この位なら」
…全然足んない…。思わず苦い顔を浮かべてしまった。
「無理、ですか……」
ベインが紙を自らの所へと引き戻そうとして、私はとっさに身を乗り出しその紙を抑えた。
「…アーチェンさん…?」
「無理とは言ってない」
生活がかかっていても、ここで引き下がれるか。やっぱ好機だよ、これは。私は利を追求する商人じゃないし。
「いい。この値段であんたにカタナ打ってやるよ」
「本当ですか?」
「ただし、条件がある…私の打ったカタナを大切にする事…いい?」
私はベインに右手を伸ばす
「はい!」
「あと、私のカタナを旅先で広めること」
ベインが私の手を握り、一度上下に振る。
「約束します!!」
「最後、カタナが打ち終わるまで、夜の相手をして」
「分かりまし……た?」
私はカタナ鍛冶だが、飢えた魔物でもある。
疑問符が付いたが了承は得たのでそのまま手を離さず押し倒した。夜じゃないけど。
久しぶりに男の精で毎日お腹一杯の私はそれから一週間ほどかけてカタナを打った。
ベインの速度重視で突きが多めの剣技と魔法とのコンビネーションと言う戦闘スタイルに合わせて反りを小さめに、そして軽めに仕上げた。柄頭には魔力と相性の良い宝石を埋め込み、魔法発動を助ける働きを持たせる。鞘は杖に使う木材を使用したのでそのまま杖にもなる代物にし、万が一に備え即時展開が可能な防御魔法のルーン文字を刻む。鍔にはスイレンの花をあしらい、最後に銘として刀身に私の名を刻む。見える所に私の名を入れたのは、知名度アップの為だ。
これが、ベインの為だけに私の持てる全てを叩きこんだ一品だ。
「出来たぞ!受け取れ!!」
「んあ………、え、本当ですか!?」
昨日も私に散々搾られ、昼間までベッドで寝入っていたベインに飛び付いた。
「さあ、そのカタナを構えた姿を見せてくれ!はやくはやく!」
私は強引にベインを引き起こしてカタナを抜くようにせがんだ。カタナにせよ装飾品にせよ、使う人が居て初めて完全なものとなる。この男の手によって、私のカタナが完全な姿になるのが一刻も早く見たかった。
「ええっ、今ですか!?…流石に裸では格好がつかないんですが…」
昨夜の事後のまま彼は素っ裸だが、
「大丈夫だ、問題無い」
他に余計な物はいらない。カタナとその使い手が一体となる様が見たいのだ。
「うう、…じゃあ、少しだけ」
そう言ってベインは私の手からカタナを受け取ると、恥ずかしそうにしながらも床の上に立った。
左手に鞘を持ち右手でカタナを抜き、片手で中段に構えた。曇りのない刀身にしっかりと鍛えられ無駄のない肉体が映る。ベインは手の中で軽くカタナを回し、そこから鋭い突きを繰り出す。ベインの腕の延長となったカタナが窓から入る光を跳ね返して一閃、また一閃と滑る様に空を切る。洗練された動きに目を奪われる。
今、ここにようやく私のカタナが完成した。
「うん…凄い扱いやすいです…あ、これ魔法も使えるようになっているんですね」
「おう。おまえの為のカタナだからな!」
「僕の為の…ですか。ありがとう、ございます」
ベインは嬉しそうな顔から少し悲しそうな顔になってカタナを鞘に収めた。
「なんだ?私のカタナに不満でもあったか?…そりゃあ、カタナ鍛冶として私はまだまだだが、そこまであからさまに悲しい顔をされると傷つくぞ。そのカタナには私の全てをつぎ込んだつもりだ。柄や鍔、鞘までそろえた自慢の一品だ」
「いや、違います。カタナには満足しています。ただ、また旅立たないといけないな、って思いまして」
「…?冒険者なのに旅が嫌いなのか?それに修行中なんだろう?」
カタナには不満は無い様で良かった。が、彼の言葉の意味が分からない。するとベインは照れながら、
「いや、その…アーチェンさんと、別れなければならないからって…」
その言葉を聞いて、顔が焼いた鉄の様に赤くなるのが分かった。
「……えーーーー、っと…へ?…あの、あの、その、あ、うう…ええ?」
混乱して言葉がうまく出ない。深呼吸しよう。
「はぁ……えーと、うん…どう言う…意味、だ?」
「その、…ア、アーチェンさんの事が好き、です。と言う意味です…」
もしやと思ったが、そのとおりだった。…次第に告白された恥ずかしさの熱が違うものに変わっていった。そして混乱して理性の薄れた頭では、その全身から沸き上がる熱を抑えきれなかった。と言うか、抑える必要もない。
「……え、ア、アーチェンさん?ちょっと、え、な、なんですか??」
「……素っ裸で、そんなこと言うお前がいけない」
「だ、だから格好がつかないってさっきはうんっ」
うへへへへへ。
結局、深夜までヤリ続けた。お腹一杯幸せ。
「なあ、私なんかのどこが良いんだ?」
ベッドの中、生まれたままの姿でベインの腕に抱かれながら私は聞いた。
人間だと10歳そこらの子供位までしか成長しないのだが。
「そうですね…初めて会って、アーチェンさんの泣き顔みて、惚れました」
「あああああれは目にゴミが、は、入ったんだ」
「そうやって慌てる姿も可愛くて好きです」
意地悪された。くうぅぅ。
「……ロリコンのくせに」
ベインが小さく肩をびくつかせた。図星か。
「ベインのロリコン〜」
「れ、恋愛に姿形年齢は関係ありません!幼女が好きなんじゃなくて、好きな人が幼女だっただけです!」
「私これでもあんたの三倍は軽く生きているぞ?」
「年齢も関係ないって言いました。僕はあなたが好きなんです」
そう言って私をぎゅっと抱きしめる。ベイン、暖かいなあ。
「…僕は、アーチェンさんが好きなんです。け、結婚して、一緒になりたいと思っています。…あなたは、どう思っているのか、聞かせて、ください」
言葉にすると恥ずかしいから行動で示したと思ったのだが…仕方ない。
「……私も、ベインの事、好きだ…大好きだよ。その、い、一緒に、暮らしたい、のだけど…」
「……だけど…?」
「カタナを打つ時、あんたに条件を出したろ?…それが、な…」
「カタナを広めることですか?」
「…内容はあまり関係無いんだけどな…。私にとっては条件と言うより、約束や契約に近い意味合いなんだ。作る私とそれを使う人との心の取引で、自分の心を相手に渡すようなものなんだ。条件を守れない事は、私に対しての、相手に対しての裏切りと同じなんだ」
ベインは何も言わない。
「それに、あんた修行中っていうけど結構腕の立つ剣士なんだろ?カタナを振ったのを見た時、そう思ったんだ…このままいけば、あんたはもっと強くなる。凄いやつになると思うんだ。それで…立派な剣士になったあんたに、もっと良いカタナを、もっと素晴らしい物を作りたいんだ。……至高にして究極の一振りを、愛するあんたの為に作りたいんだ。………どっちも、私が勝手に思っていることだから、ベインが一緒になりたいって言ってくれるなら、結婚しよう」
私を抱きしめる強さが増した。
「僕は、明日の朝ここを出ます」
「ベイン…?」
ベインの顔を見やる
「僕も約束しましたし、あなたを裏切る訳にはいきません。あなたのカタナにかけて、条件を達成して見せます。そして、あなたの打つカタナに似合うだけの剣士になってみせます」
私もベインの胴体に腕を回して抱きしめる。
「…ありがとう、ベイン」
「今日も良い天気ですね」
朝日の昇る中、ベインは私の店の前で伸びをする。出発の準備は既に整っていて、旅荷物の入った袋が彼の脇に置かれている。
「気を付けて、な…」
昨日の夜、自分の我儘を受け入れて貰ったと言うのに、離れるのが寂しい。
「はい!大丈夫です。アーチェンさんのカタナもありますから、そうそうにやられたりしません」
そう言って自身の腰を彩るカタナを触る。
「一つ……良いか?」
「はい。なんですか?」
私はもじもじしつつも、口に出した。
「キ、キスして、くれないか」
「……条件があります」
「なんだ…?」
ベインは私の前まで来ると膝を折り、私と同じ目線になった。
「僕の帰りを、待っていて欲しい」
ベインが私を見つめる。私もベインを見つめ返す。
「…ああ、待っている。ずっと、ここで待っている」
そして、ついばむ様な、優しいキスをしてくれた。
そして私の手の中に小さな何かを握らせて立ち上がった。
「じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい!」
彼は笑顔で、朝日の方向に歩きだした。
少し行って、置いてきぼりを食らった荷物を取りに顔を赤くして戻ってきたのは彼の愛嬌だ。
「あー。あー。あー…」
ベインが旅立ってから数カ月。彼の為に打ったカタナでとんでもない赤字が出てしまった。
調子に乗って高品質の金属を仕入れたし、柄頭の石も莫迦にならないし、鞘には300年物の大樹を使った。危うく店が傾く所だった。と言うか実際少し傾いた。ずっと待っていると言ったくせに店が潰れてしまっては元も子もない。危ない、危ない。
それでも、近頃はカタナを求めて来る者が僅かだが出てきた。聞けば、若い男が私の名が刻まれた見慣れない剣を振るい、目の覚める様な活躍をしていたと言う。彼は条件を達成してくれている。私も、努力しなければならない。
今度打つカタナは、もっと刀身を薄くして更に軽量化を図ってみようか。魔法で強度を増して…。いや、重さで叩き切るのも良いな。指向を変えて芸術品としての面でも…刀身に色を付けてみるとかどうだろう。
ああ、『至高にして究極の一振り』…中中に難しい。時間は幾らあっても足りない。
「…さて、今日はどうしてみようか?」
今日も私は愛する者の為、思考を巡らせ高みに至り、極みへの九曲した道を行く。
そうそう、あの日ベインは銀色に輝く指輪をくれた。前はこんなもの、と思っていたが、大切な人から貰うと何だって嬉しいみたいだ。ベインが身に付けていた物だったようで、サイズはあってないしキズも多いが、鎖を通したそれはきらきらと私の首元を飾っている。
11/01/24 22:42更新 / チトセミドリ