第五十三話・わんわん☆ロマンティックNIGHT
やわらかな日差しの中、俺は一人、学園医務室でゆったりと本を読む。
医務室の主、マロウは買い物に出たまま帰ってこない。
おそらく、また賭場に足を運んだんだろう。
だが彼女を責める云われはないな。
もうすぐここは戦場になる。
そうなったら、賭場に通うなんてことは出来なくなるのだからな…。
「ロウガさん、娼館のルゥさんからリンゴの差し入れですよ。」
アヌビスが紙袋を持って、医務室に入ってきた。
「ああ、すまんな。ルゥはどうした?」
「ギルドの方でもゴタゴタしているそうなので、仕事に戻りました。」
「そうか…、彼女たちにも迷惑をかけるな…。」
「そう言うだろうってルゥさんも言ってましたので、伝言を預かっていますよ。『気にしないで。この町とあなたの問題はみんなの問題。』だそうですよ。」
「…あいつは俺のことを何だと思っていやがる。」
目が覚めてから一週間。
俺の職務をサクラに代行させているが、いや、なかなかやりやがる。
学園の裏山からは採掘の金属音が日が暮れるまで響いている。
サクラはこの採掘されたオリハルコンや鉱石の収益で基金を商人たちに承知させた。
俺には事後報告だったが、俺はその報告に満足している。
俺の思った以上の器になりつつある小僧を、俺は嬉しく思っていた。
ああ、これで……、俺も隠居ジジイだな。
「それとサクラ君から、砦建設に必要な木材を発注したいとのことでしたが、私の方で処理していて良かったのですか?」
「無論、構わない。砦をどこに造るのか、どの程度の規模で造るのかなどは事後報告で良いから、すべてサクラとマイアとアスティア、それとアヌビス。お前たちに任せよう。ああ、そうだ…。オリハルコンの鍛冶はいつ頃到着しそうか?」
「砂漠の兄弟社、ヘンリー=ガルド氏によれば明後日にも…。運良く気難し屋のサイプロクスの刀鍛冶が承諾してくれたようです。その他にも人間を含めた様々な種族の刀鍛冶が20名程、私たちの町へ出張してくれるそうです。」
「工房は?」
「急ピッチで作業を進めていますが、ドワーフたちの『D★ワークス建設』が全社員を応援に派遣してくれたので、今日の日没までには完成すると思われます。」
「そうか。なら彼女たちへの礼金は思いっ切り弾んでやってくれ。」
「それはもちろんなんですが、彼女たちは『フラン軒』での飲み放題と、『テンダー』での乱痴気騒ぎを所望していますが……。」
「アケミ姐さんとルゥに交渉するようにサクラに伝えてくれ…。」
あの連中のハメを外した姿を想像すると頭が痛い。
この際だから、サクラに押し付けよう。
「マイアは…、どうしてる?」
せっかく恋仲になったというのに、お互いこんな状況だからなかなか時間が取れないらしい。
「アスティアさんと共にリザードマン自警団を率いて、町を警邏中です。時々、抜け出してサクラ君と会っているみたいなので心配は無用のようですよ。」
「そっか…。」
それを聞いて少し安心する。
あの子は武人を目指しているが、まだ若いんだから…、こんな血生臭い場所からは少しだけでも目を逸らす時間があっても良い。
「ロウガさん、少しお聞きしても良いですか?」
「ん、どうした?」
「最近、高位の魔物に会いましたか?」
「高位の魔物?ダオラ姐さんや、お前には顔を合わせているが…。」
「いえ、それ以外の…。ここ最近、ロウガさんに干渉する高濃度の残留魔力を感じたので…。」
俺は何かそんなことがあったのかどうかを考える。
しかし、思い出せることは何もない。
それに彼女の言う高濃度の残留魔力というものを俺が感知出来ない訳はない。
この身体はすでにそういう魔力を感知出来る身体になってしまっているのだから…。
「……俺から漏れた魔力じゃないのか?」
そう言うとアヌビスは首を振った。
「あなたの魔力かと思いましたが…、同質でありながら限りなく異質な魔力です。」
「だが……、俺には何の覚えもないぞ?」
「………そうですか。私の、思い過ごしであれば良いのですが…。」
では一度連絡のために出てきます、と言ってアヌビスは医務室を出て行った。
再び医務室に静寂が訪れる。
いつだったか、どこかを目指す死者の静寂を思い出していまい、俺は再び読書に没頭する。
ただ、この静寂が怖い。
この世界の人間ではないことを自覚しているだけに、自分の存在が気迫に感じる。
耳に届くツルハシの響く音と鳥の鳴き声だけがこの世界と俺が繋がっていると言ってくれている。
――――――――――――――――
「ただ今戻り……。」
医務室に戻るとアスティアさんがロウガさんの傍で紅茶を飲んでいた。
「ああ、おかえり。ついさっき、ロウガも眠ったよ。」
アスティアさんに手を握られて、子供のように安堵した顔で彼は眠っている。
「…よく眠っているよ。まだ平和なこの時間が、ずっと続いてくれたら良いのにね。」
「ええ、私もそれは願っています。ロウガさんのためにも、この町の人々のためにも…。」
「………教会側がここに攻めてくるのに、後どれくらい時間を稼げそうかい?」
「…中立地帯の報告もありましたので、そういう状況を考えれば、後二月は準備期間を置くと思います。フウム王国は兵を減らし、どういう訳かヴァルハリアの兵力は急激な増兵を行ったので、兵糧や武具などの物資の不足が露わになっています。そういう意味で言えば、こちらとしてはありがたい誤算です。当初の予想では、フウム王国はもっと早くにヴァルハリアと合流し、今頃はこの町に迫りつつあったはずでしたから…。」
気になるのはフウム王国よりも、ヴァルハリアに何があったのか…。
これまで大した動きがなかったのに何故増兵を敢行したのだろうか。
何か裏がありそうだ…。
「そうか。ああ、もうこんな時間か。副官のアルフォンス殿に留守を頼んでいるから、私は失礼するよ。ロウガの面倒を頼むね。」
「はい、どうかお気を付けて。」
「ありがとう。ああ、そうだ…。今夜は娘も一緒に夜通し自警団と過ごすから、明日の朝まで帰らない…。言っている意味、わかるかい?」
「え……!?」
「……ロウガのことを頼む、っていうのは何も看病だけじゃないってことさ。」
「あ、あああ、あのっ!?でもロウガさんの奥様はアスティアさんな訳でして、それは道徳的にも倫理的にもどうかと思うのですが!?」
「ふふふ、そんなに叫ぶとロウガが起きるよ。」
「あっ!?」
思わず口を塞いで、チラリと彼を見る。
起きた様子はない。
「大丈夫だよ、マロウ御用達の睡眠薬をさっきお茶に混ぜて飲ませたからね。後数時間は目が覚めないよ。それに…、道徳がどうとか倫理がどうとか、それは元々教会が一般的に言い続けた道徳の名残じゃないか。恋する気持ちを縛る法は神様に任せると良い。何より私が君に許可しているんだから、何の問題もないよ。君ならロウガの……、この場合何て言うべきかな?愛人じゃ軽いな、第二夫人…、いや私の義妹と言った方が良いね。ロウガが信頼して、私も君を頼って、ロウガに想いを寄せる君なら、私以外にロウガの連れ合いになる資格を持っていると思うよ。」
「で、で、ですが…。」
「口では理知的に整理しようとしているみたいだけど…。尻尾は嬉しそうだね。」
「あう!?」
バフッと無意識に動き続ける尻尾を静止させる。
「あう…、ああ、こら!止まってぇー!」
いくら押さえ付けても尻尾が言うことを聞いてくれない…!
その光景にアスティアさんは笑いを堪えて、目を細めていた。
「やっぱりロウガの言う通りだ。君は本当に可愛いな。」
「か、か、からかわないでくださいよ!」
「ふふふ…、からかってなんかいないよ。私は本気だから。それじゃあ、行ってくるよ。明日になったらお義姉さんと呼んでほしいな。ああ、そうだ。私に気を使って、避妊なんてしなくても良いからね。」
それだけ言い残してアスティアさんは扉を開いて、去っていった。
「ま、待ってぇぇー!!アスティアさぁーん、カムバァァァァーック!!!」
――――――――――――――――
ボーン、ボーン、ボーン…
日が暮れて6時の鐘を柱時計が鳴らす。
マロウ先生は帰ってこない。
安らかに眠るロウガさんと私だけが取り残されて2時間が経った。
ロウガさんの読んでいた本、『紅天航路』を開いていつものように本に没頭しようかと思ったけど、自分らしくもなくソワソワして文章が頭に入って来ない。
暗くなってきたのでランプに火を点けて、明かりを灯す。
ぼんやりとした明かりが、一種私たちを幻想の世界に引き摺り込んだように錯覚させる。
「………ほんと、無邪気な寝顔。」
誰も口に出さないけど、蓄積された魔力の影響で彼の容姿は徐々に若返っている。
推定50歳の実年齢に対して、髪は白髪のまま30代後半くらいまで若くなっている。
彼の人生を覗けば、彼の秘密、思い、彼の歩んだ人生をすべて見れる…。
そうすれば彼の正確な年齢もわかるけど、それを怖がっている自分がいる。
いつからだろうか…。
ロウガさんのことを目で追うようになったのは…。
教師として採用されてから、私は有頂天だった。
自分よりも知識がある者はいない。
自分の知識をただひけらかすだけのちっぽけな子供。
それが私の始まりだった。
すぐに私は爪弾きにあった。
前の町でも…、この町でも私の居場所はない…。
それでも見捨てなかったのは風変わりな学園長とその奥さんだった。
「ああ、悪い。でもあいつを辞めさせる訳にはいかないんだよ。」
私を辞めさせるように直談判してきた当時の学園に在籍していた先生にロウガさんが言った言葉。
だが自分の居場所のなさに暗く沈んだ私は、しばらくして辞表を提出した。
辞表を見て、ロウガさんは前触れもなく言った。
「…アヌビス、お前は心が響く瞬間があるか?」
「心が…、響く…?」
この時、私は意味がわからなかった。
ただ書物を読み、知識を得て、世界に干渉する能力で相手の優位に立つ。
すべてに予定を組み、その通りに実行するだけ…。
そこには当然という感覚はあっても、心が響くなんてことはなかった。
すべてはアヌビスという種の習性に従った生き方。
「ありません。」
「それじゃあ、楽しいこと…、嬉しいことはないか?」
「楽しいこと…。」
趣味もロクにない。
それでも楽しいことを思い浮かべるとたった一つしかなかった。
「わ…、私は…。」
声が震える。
理性と知性で固めた自分が、その内側を晒そうとして、怖くて声が震えた。
不安と恐怖で心臓が悲鳴を上げている。
「私は………!」
ロウガさんは何も言わずに、黙って待っていた。
私はただ下を向いて、目をギュッと瞑ったまま泣いていた。
ボタボタと床に涙が落ちる。
不意に暖かい掌が頭を撫でた。
「…居場所が欲しかったんだろう?自分を認めて欲しくて、自分を高めようと殻に閉じ篭っていたんだろ…。ならさ、お前の居場所は俺たちが作ってやる。だからもう少し…、素直になってみな?」
「みん……なと…、一緒に…いたいんです!でもどうして…良いのか…わか…んなくて…!それ…でも…!私……、ここに……いたい……。」
「………泣けよ。泣いてスッキリしたら、今度はその素直な気持ちをみんなにぶつけて来い。あいつらだってお前を本気で追い出したい訳じゃないからさ。ただお前に…、教師としてやっていくなら変わってほしいって思ってんだよ。」
そんなことがあって、私は初めて私になれた気がした。
アヌビス種の私ではなく、ネフェルティータとしての私。
職員室に飛び込んで先生たちに頭を下げた。
これまで頭を下げるなんてこともしたことがなかったけど、私は心から先生たちに詫びた。
シンとした職員室。
不安で仕方がなかった。
その時、また頭を撫でられた。
顔を上げると微笑んだアスティアさんがやさしく私を見ていた。
「よく、頑張ったね。」
「あ……。」
「その気持ちを忘れないようにね。これからも頑張るんだよ。」
その言葉を聞いて、また深く頭を下げた。
許されたのが嬉しくて、申し訳なくて……。
他の先生たちも許してくれて、私の本当の意味での教師生活が始まった。
「それから長かったなぁ…。」
10年頑張って、問題教師も今じゃ教頭。
お酒の味も、生きる楽しさも、全部アスティアさんとロウガさんに教えてもらった。
「…やっぱり、いつから何かわかんないな。」
気が付いたら、ずっと好きだった。
同じ時間を生きて、笑って、泣いて…。
大好きな人たちだったから、永遠にこの想いは胸に秘めていようと思ってた。
でもその大好きな人は我慢するなと言っている。
ベッドから垂れている彼の左手を握った。
あの日と変わらない暖かさ。
手の甲を頬に摺り寄せる。
「…………もしも神様なんているなら、今は見逃してください。私はこの人が好きです…。どうしようもないくらい…、今ここで愛を捨てなければ灰になってしまうとしても、この想いを捨てることは出来ません。私を家族と呼んでくれた、私を見捨ててくれなかった…。そんな彼が好きです。…愛してます。」
ここにいない誰かに、私は懇願するように呟いた。
頬に摺り寄せた手が、少しだけ握り返される。
「あ……。」
「………目が覚めたら愛の告白、か。」
「いつから起きていたんですか……?」
「ついさっきだ。お前が何か言っていたから…、てっきり給料上げろとか、残業減らせとか言ってるかと思っていたんで…、ずっと聞いていた。」
ガクガクと震える。
顔から火が出る程恥ずかしい!
「肉球…、やわらかいんだな。」
「うぇ…、は…、はい…。その…、あなたに少しでも綺麗な私を見てほしくて…。毎日、髪の毛や尻尾のトリートメントしたり、肉球のケアは……、欠かしませんから…。」
ロウガさんが私から手を離し、左手を伸ばす。
彼に届くように私は頭を差し出す。
「うん、よくわかっているじゃないか。」
「ずっと……、待っていましたから………。」
暖かい手の平で撫で回される。
気持ち良いなぁ…。
「だけどな…、よく考えろ。俺は人生の終盤だし、何よりアスティアがどう思うか…。」
「……アスティアさんから許可は戴いています。ついでに、その…、ひ、避妊はするな…とまで…。」
「…まったく。」
ロウガさんは本当に困ったらしく苦笑いした。
「アヌビス、お前はどうしたい?」
「私は……。」
言葉にするのが恥ずかしくて、ちょっぴり怖くてロウガさんの手を握った。
「……………この戦争であなたが死ぬとは思っていません。でも、もし…、考えたくもない万が一があるのなら。」
いつもならふざけている彼も私のことを真っ直ぐに見てくれる。
「……抱いて、ほしいです。」
ありったけの勇気を振り絞って声に出す。
静寂が降りる。
心臓の音まで聞こえてしまいそうなくらい、私はドキドキしている。
「…おいで。」
ロウガさんは私を引き寄せて胸に抱く。
ポスンと私は彼の腕の中に納まった。
「今はこんなだから、抱いてやれん。病床から起き上がったら…、アスティアの確認を取ってからになるが……、その時は改めて………。」
「アスティアさんのこと……、愛してるのは知っています。私もアスティアさんが大好きですから、それでも構いません。それに私は自分の想いをあなたに受け止めてもらった。それだけで…、この世界に生まれて良かったと思えます。」
「……そこだ。何だって俺みたいに妻子がいる、人生の終盤を迎えた高々小さな学園長程度のジジイに惚れてしまったんだ?」
「……教えてあげません。」
私はアヌビス。
私は砂漠に生き、ファラオを守り、秩序を司る者の末裔。
あなたは…、
私の人生をすべて捧げるに値する人。
私のファラオ。
私だけの王。
砂漠の太陽よりもやさしく人々の道を照らす、
太陽の昇る国から来た人。
「ロウガさん…。」
「…何だよ。」
「名前、呼んでください…。」
「ねへる…ちーた…?」
やっぱり噛んだ。
「ネフィー、友達がそう読んでくれたんです。これなら言いやすいでしょ?」
「すまん、アヌビ……。」
じっと彼を睨む。
ロウガさんは目を逸らしつつ、膨れた頬を指で突付いた。
「わりぃ……、その……、ネフィー。これで…、良いか…?」
「はい♪」
10年抑え付けていた想いを解放するように、ロウガさんに抱き付きキスをした。
ガチン…
勢いよくキスしたものの、何分私は初めてのキスだった訳で…
思いっ切りお互いの前歯をぶつけてしまった…。
「ぬおぉぉぉぉ…。」
あ、ロウガさんが本気で痛がっている。
「不意打ちとは…、やりやがったな……。」
「そんなこと言ってる場合じゃないです!前歯から血が…、あれ…?何だか私も前歯がズキズキするような…って血が止まらないぃ〜!!」
数時間後、賭場から大勝ちして帰ってきたマロウ先生が血の付いたベッドのシーツの見て勘違いし、私のためにお赤飯を買いに行ったり、
翌朝には、見回りから帰ってきたアスティアさんが一晩何もなかったことにガッカリし、
「この根性なし。」
とロウガさんをなじっていた…。
医務室の主、マロウは買い物に出たまま帰ってこない。
おそらく、また賭場に足を運んだんだろう。
だが彼女を責める云われはないな。
もうすぐここは戦場になる。
そうなったら、賭場に通うなんてことは出来なくなるのだからな…。
「ロウガさん、娼館のルゥさんからリンゴの差し入れですよ。」
アヌビスが紙袋を持って、医務室に入ってきた。
「ああ、すまんな。ルゥはどうした?」
「ギルドの方でもゴタゴタしているそうなので、仕事に戻りました。」
「そうか…、彼女たちにも迷惑をかけるな…。」
「そう言うだろうってルゥさんも言ってましたので、伝言を預かっていますよ。『気にしないで。この町とあなたの問題はみんなの問題。』だそうですよ。」
「…あいつは俺のことを何だと思っていやがる。」
目が覚めてから一週間。
俺の職務をサクラに代行させているが、いや、なかなかやりやがる。
学園の裏山からは採掘の金属音が日が暮れるまで響いている。
サクラはこの採掘されたオリハルコンや鉱石の収益で基金を商人たちに承知させた。
俺には事後報告だったが、俺はその報告に満足している。
俺の思った以上の器になりつつある小僧を、俺は嬉しく思っていた。
ああ、これで……、俺も隠居ジジイだな。
「それとサクラ君から、砦建設に必要な木材を発注したいとのことでしたが、私の方で処理していて良かったのですか?」
「無論、構わない。砦をどこに造るのか、どの程度の規模で造るのかなどは事後報告で良いから、すべてサクラとマイアとアスティア、それとアヌビス。お前たちに任せよう。ああ、そうだ…。オリハルコンの鍛冶はいつ頃到着しそうか?」
「砂漠の兄弟社、ヘンリー=ガルド氏によれば明後日にも…。運良く気難し屋のサイプロクスの刀鍛冶が承諾してくれたようです。その他にも人間を含めた様々な種族の刀鍛冶が20名程、私たちの町へ出張してくれるそうです。」
「工房は?」
「急ピッチで作業を進めていますが、ドワーフたちの『D★ワークス建設』が全社員を応援に派遣してくれたので、今日の日没までには完成すると思われます。」
「そうか。なら彼女たちへの礼金は思いっ切り弾んでやってくれ。」
「それはもちろんなんですが、彼女たちは『フラン軒』での飲み放題と、『テンダー』での乱痴気騒ぎを所望していますが……。」
「アケミ姐さんとルゥに交渉するようにサクラに伝えてくれ…。」
あの連中のハメを外した姿を想像すると頭が痛い。
この際だから、サクラに押し付けよう。
「マイアは…、どうしてる?」
せっかく恋仲になったというのに、お互いこんな状況だからなかなか時間が取れないらしい。
「アスティアさんと共にリザードマン自警団を率いて、町を警邏中です。時々、抜け出してサクラ君と会っているみたいなので心配は無用のようですよ。」
「そっか…。」
それを聞いて少し安心する。
あの子は武人を目指しているが、まだ若いんだから…、こんな血生臭い場所からは少しだけでも目を逸らす時間があっても良い。
「ロウガさん、少しお聞きしても良いですか?」
「ん、どうした?」
「最近、高位の魔物に会いましたか?」
「高位の魔物?ダオラ姐さんや、お前には顔を合わせているが…。」
「いえ、それ以外の…。ここ最近、ロウガさんに干渉する高濃度の残留魔力を感じたので…。」
俺は何かそんなことがあったのかどうかを考える。
しかし、思い出せることは何もない。
それに彼女の言う高濃度の残留魔力というものを俺が感知出来ない訳はない。
この身体はすでにそういう魔力を感知出来る身体になってしまっているのだから…。
「……俺から漏れた魔力じゃないのか?」
そう言うとアヌビスは首を振った。
「あなたの魔力かと思いましたが…、同質でありながら限りなく異質な魔力です。」
「だが……、俺には何の覚えもないぞ?」
「………そうですか。私の、思い過ごしであれば良いのですが…。」
では一度連絡のために出てきます、と言ってアヌビスは医務室を出て行った。
再び医務室に静寂が訪れる。
いつだったか、どこかを目指す死者の静寂を思い出していまい、俺は再び読書に没頭する。
ただ、この静寂が怖い。
この世界の人間ではないことを自覚しているだけに、自分の存在が気迫に感じる。
耳に届くツルハシの響く音と鳥の鳴き声だけがこの世界と俺が繋がっていると言ってくれている。
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「ただ今戻り……。」
医務室に戻るとアスティアさんがロウガさんの傍で紅茶を飲んでいた。
「ああ、おかえり。ついさっき、ロウガも眠ったよ。」
アスティアさんに手を握られて、子供のように安堵した顔で彼は眠っている。
「…よく眠っているよ。まだ平和なこの時間が、ずっと続いてくれたら良いのにね。」
「ええ、私もそれは願っています。ロウガさんのためにも、この町の人々のためにも…。」
「………教会側がここに攻めてくるのに、後どれくらい時間を稼げそうかい?」
「…中立地帯の報告もありましたので、そういう状況を考えれば、後二月は準備期間を置くと思います。フウム王国は兵を減らし、どういう訳かヴァルハリアの兵力は急激な増兵を行ったので、兵糧や武具などの物資の不足が露わになっています。そういう意味で言えば、こちらとしてはありがたい誤算です。当初の予想では、フウム王国はもっと早くにヴァルハリアと合流し、今頃はこの町に迫りつつあったはずでしたから…。」
気になるのはフウム王国よりも、ヴァルハリアに何があったのか…。
これまで大した動きがなかったのに何故増兵を敢行したのだろうか。
何か裏がありそうだ…。
「そうか。ああ、もうこんな時間か。副官のアルフォンス殿に留守を頼んでいるから、私は失礼するよ。ロウガの面倒を頼むね。」
「はい、どうかお気を付けて。」
「ありがとう。ああ、そうだ…。今夜は娘も一緒に夜通し自警団と過ごすから、明日の朝まで帰らない…。言っている意味、わかるかい?」
「え……!?」
「……ロウガのことを頼む、っていうのは何も看病だけじゃないってことさ。」
「あ、あああ、あのっ!?でもロウガさんの奥様はアスティアさんな訳でして、それは道徳的にも倫理的にもどうかと思うのですが!?」
「ふふふ、そんなに叫ぶとロウガが起きるよ。」
「あっ!?」
思わず口を塞いで、チラリと彼を見る。
起きた様子はない。
「大丈夫だよ、マロウ御用達の睡眠薬をさっきお茶に混ぜて飲ませたからね。後数時間は目が覚めないよ。それに…、道徳がどうとか倫理がどうとか、それは元々教会が一般的に言い続けた道徳の名残じゃないか。恋する気持ちを縛る法は神様に任せると良い。何より私が君に許可しているんだから、何の問題もないよ。君ならロウガの……、この場合何て言うべきかな?愛人じゃ軽いな、第二夫人…、いや私の義妹と言った方が良いね。ロウガが信頼して、私も君を頼って、ロウガに想いを寄せる君なら、私以外にロウガの連れ合いになる資格を持っていると思うよ。」
「で、で、ですが…。」
「口では理知的に整理しようとしているみたいだけど…。尻尾は嬉しそうだね。」
「あう!?」
バフッと無意識に動き続ける尻尾を静止させる。
「あう…、ああ、こら!止まってぇー!」
いくら押さえ付けても尻尾が言うことを聞いてくれない…!
その光景にアスティアさんは笑いを堪えて、目を細めていた。
「やっぱりロウガの言う通りだ。君は本当に可愛いな。」
「か、か、からかわないでくださいよ!」
「ふふふ…、からかってなんかいないよ。私は本気だから。それじゃあ、行ってくるよ。明日になったらお義姉さんと呼んでほしいな。ああ、そうだ。私に気を使って、避妊なんてしなくても良いからね。」
それだけ言い残してアスティアさんは扉を開いて、去っていった。
「ま、待ってぇぇー!!アスティアさぁーん、カムバァァァァーック!!!」
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ボーン、ボーン、ボーン…
日が暮れて6時の鐘を柱時計が鳴らす。
マロウ先生は帰ってこない。
安らかに眠るロウガさんと私だけが取り残されて2時間が経った。
ロウガさんの読んでいた本、『紅天航路』を開いていつものように本に没頭しようかと思ったけど、自分らしくもなくソワソワして文章が頭に入って来ない。
暗くなってきたのでランプに火を点けて、明かりを灯す。
ぼんやりとした明かりが、一種私たちを幻想の世界に引き摺り込んだように錯覚させる。
「………ほんと、無邪気な寝顔。」
誰も口に出さないけど、蓄積された魔力の影響で彼の容姿は徐々に若返っている。
推定50歳の実年齢に対して、髪は白髪のまま30代後半くらいまで若くなっている。
彼の人生を覗けば、彼の秘密、思い、彼の歩んだ人生をすべて見れる…。
そうすれば彼の正確な年齢もわかるけど、それを怖がっている自分がいる。
いつからだろうか…。
ロウガさんのことを目で追うようになったのは…。
教師として採用されてから、私は有頂天だった。
自分よりも知識がある者はいない。
自分の知識をただひけらかすだけのちっぽけな子供。
それが私の始まりだった。
すぐに私は爪弾きにあった。
前の町でも…、この町でも私の居場所はない…。
それでも見捨てなかったのは風変わりな学園長とその奥さんだった。
「ああ、悪い。でもあいつを辞めさせる訳にはいかないんだよ。」
私を辞めさせるように直談判してきた当時の学園に在籍していた先生にロウガさんが言った言葉。
だが自分の居場所のなさに暗く沈んだ私は、しばらくして辞表を提出した。
辞表を見て、ロウガさんは前触れもなく言った。
「…アヌビス、お前は心が響く瞬間があるか?」
「心が…、響く…?」
この時、私は意味がわからなかった。
ただ書物を読み、知識を得て、世界に干渉する能力で相手の優位に立つ。
すべてに予定を組み、その通りに実行するだけ…。
そこには当然という感覚はあっても、心が響くなんてことはなかった。
すべてはアヌビスという種の習性に従った生き方。
「ありません。」
「それじゃあ、楽しいこと…、嬉しいことはないか?」
「楽しいこと…。」
趣味もロクにない。
それでも楽しいことを思い浮かべるとたった一つしかなかった。
「わ…、私は…。」
声が震える。
理性と知性で固めた自分が、その内側を晒そうとして、怖くて声が震えた。
不安と恐怖で心臓が悲鳴を上げている。
「私は………!」
ロウガさんは何も言わずに、黙って待っていた。
私はただ下を向いて、目をギュッと瞑ったまま泣いていた。
ボタボタと床に涙が落ちる。
不意に暖かい掌が頭を撫でた。
「…居場所が欲しかったんだろう?自分を認めて欲しくて、自分を高めようと殻に閉じ篭っていたんだろ…。ならさ、お前の居場所は俺たちが作ってやる。だからもう少し…、素直になってみな?」
「みん……なと…、一緒に…いたいんです!でもどうして…良いのか…わか…んなくて…!それ…でも…!私……、ここに……いたい……。」
「………泣けよ。泣いてスッキリしたら、今度はその素直な気持ちをみんなにぶつけて来い。あいつらだってお前を本気で追い出したい訳じゃないからさ。ただお前に…、教師としてやっていくなら変わってほしいって思ってんだよ。」
そんなことがあって、私は初めて私になれた気がした。
アヌビス種の私ではなく、ネフェルティータとしての私。
職員室に飛び込んで先生たちに頭を下げた。
これまで頭を下げるなんてこともしたことがなかったけど、私は心から先生たちに詫びた。
シンとした職員室。
不安で仕方がなかった。
その時、また頭を撫でられた。
顔を上げると微笑んだアスティアさんがやさしく私を見ていた。
「よく、頑張ったね。」
「あ……。」
「その気持ちを忘れないようにね。これからも頑張るんだよ。」
その言葉を聞いて、また深く頭を下げた。
許されたのが嬉しくて、申し訳なくて……。
他の先生たちも許してくれて、私の本当の意味での教師生活が始まった。
「それから長かったなぁ…。」
10年頑張って、問題教師も今じゃ教頭。
お酒の味も、生きる楽しさも、全部アスティアさんとロウガさんに教えてもらった。
「…やっぱり、いつから何かわかんないな。」
気が付いたら、ずっと好きだった。
同じ時間を生きて、笑って、泣いて…。
大好きな人たちだったから、永遠にこの想いは胸に秘めていようと思ってた。
でもその大好きな人は我慢するなと言っている。
ベッドから垂れている彼の左手を握った。
あの日と変わらない暖かさ。
手の甲を頬に摺り寄せる。
「…………もしも神様なんているなら、今は見逃してください。私はこの人が好きです…。どうしようもないくらい…、今ここで愛を捨てなければ灰になってしまうとしても、この想いを捨てることは出来ません。私を家族と呼んでくれた、私を見捨ててくれなかった…。そんな彼が好きです。…愛してます。」
ここにいない誰かに、私は懇願するように呟いた。
頬に摺り寄せた手が、少しだけ握り返される。
「あ……。」
「………目が覚めたら愛の告白、か。」
「いつから起きていたんですか……?」
「ついさっきだ。お前が何か言っていたから…、てっきり給料上げろとか、残業減らせとか言ってるかと思っていたんで…、ずっと聞いていた。」
ガクガクと震える。
顔から火が出る程恥ずかしい!
「肉球…、やわらかいんだな。」
「うぇ…、は…、はい…。その…、あなたに少しでも綺麗な私を見てほしくて…。毎日、髪の毛や尻尾のトリートメントしたり、肉球のケアは……、欠かしませんから…。」
ロウガさんが私から手を離し、左手を伸ばす。
彼に届くように私は頭を差し出す。
「うん、よくわかっているじゃないか。」
「ずっと……、待っていましたから………。」
暖かい手の平で撫で回される。
気持ち良いなぁ…。
「だけどな…、よく考えろ。俺は人生の終盤だし、何よりアスティアがどう思うか…。」
「……アスティアさんから許可は戴いています。ついでに、その…、ひ、避妊はするな…とまで…。」
「…まったく。」
ロウガさんは本当に困ったらしく苦笑いした。
「アヌビス、お前はどうしたい?」
「私は……。」
言葉にするのが恥ずかしくて、ちょっぴり怖くてロウガさんの手を握った。
「……………この戦争であなたが死ぬとは思っていません。でも、もし…、考えたくもない万が一があるのなら。」
いつもならふざけている彼も私のことを真っ直ぐに見てくれる。
「……抱いて、ほしいです。」
ありったけの勇気を振り絞って声に出す。
静寂が降りる。
心臓の音まで聞こえてしまいそうなくらい、私はドキドキしている。
「…おいで。」
ロウガさんは私を引き寄せて胸に抱く。
ポスンと私は彼の腕の中に納まった。
「今はこんなだから、抱いてやれん。病床から起き上がったら…、アスティアの確認を取ってからになるが……、その時は改めて………。」
「アスティアさんのこと……、愛してるのは知っています。私もアスティアさんが大好きですから、それでも構いません。それに私は自分の想いをあなたに受け止めてもらった。それだけで…、この世界に生まれて良かったと思えます。」
「……そこだ。何だって俺みたいに妻子がいる、人生の終盤を迎えた高々小さな学園長程度のジジイに惚れてしまったんだ?」
「……教えてあげません。」
私はアヌビス。
私は砂漠に生き、ファラオを守り、秩序を司る者の末裔。
あなたは…、
私の人生をすべて捧げるに値する人。
私のファラオ。
私だけの王。
砂漠の太陽よりもやさしく人々の道を照らす、
太陽の昇る国から来た人。
「ロウガさん…。」
「…何だよ。」
「名前、呼んでください…。」
「ねへる…ちーた…?」
やっぱり噛んだ。
「ネフィー、友達がそう読んでくれたんです。これなら言いやすいでしょ?」
「すまん、アヌビ……。」
じっと彼を睨む。
ロウガさんは目を逸らしつつ、膨れた頬を指で突付いた。
「わりぃ……、その……、ネフィー。これで…、良いか…?」
「はい♪」
10年抑え付けていた想いを解放するように、ロウガさんに抱き付きキスをした。
ガチン…
勢いよくキスしたものの、何分私は初めてのキスだった訳で…
思いっ切りお互いの前歯をぶつけてしまった…。
「ぬおぉぉぉぉ…。」
あ、ロウガさんが本気で痛がっている。
「不意打ちとは…、やりやがったな……。」
「そんなこと言ってる場合じゃないです!前歯から血が…、あれ…?何だか私も前歯がズキズキするような…って血が止まらないぃ〜!!」
数時間後、賭場から大勝ちして帰ってきたマロウ先生が血の付いたベッドのシーツの見て勘違いし、私のためにお赤飯を買いに行ったり、
翌朝には、見回りから帰ってきたアスティアさんが一晩何もなかったことにガッカリし、
「この根性なし。」
とロウガさんをなじっていた…。
10/11/24 01:33更新 / 宿利京祐
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