第三十四話・ジュネッスブルーD英雄
奇妙な心地である。
人間を愛し、
人間に絶望し、
人間を憎み、
人間を滅ぼすと決め、
自我も、
理性も、
痛みも、
悲しみも、
やさしさも、
すべてを捨て、
狂気に身を委ねた我が、目の前のたった一人の少年に現世に引き戻された。
しかもこの少年は、我の愛した男と同じ魂を持ち、我に生きろと言う。
親魔物も反魔物も関係ないのだ。
この少年にとって最も価値あるものは、そういった思想ではないのだ。
ふふふ…、何と酷い少年であろうか…。
そなたを殺さねば我に道なく、されどそなたは殺してはならぬ者。
こんなにまで…、ドラゴンとしてあるまじきところまで穢れてしまった我に、過酷な苦渋の生を生きよとまで言いよるわ…。
何とも甘い少年よ…。
だが、何とも心地良い少年だろうか…。
この少年のせいで、我は楽な復讐の道を閉ざされた。
少年よ、この報い、受けてもらうぞ。
忘れたままなら楽だった記憶、
忘れたままなら楽だった復讐、
忘れたままなら苦しまないで済んだ誇りを、
我に取り戻させたその報い。
「さぁ、始めるぞ!」
少年に圧し折られた右腕は使い物にならぬ。
ならば左で、脚で、灼熱の業火で、
そなたに教えてしんぜよう。
我が死を賭した復讐、死を賭した覚悟…、その目に焼き付けよ!
――――――――――
一挙一動が致命的だ。
狂暴な殺意が消え、曇りのない彼女本来の覇気を取り戻し、洗練されたドラゴンの動きはたかが人間の身では捌き切れない。
ロウガさんなら…、あの人は化け物だから何とかなるかもしれないけど、僕じゃ受けに回るだけで必死だ。ましてや僕の腹には、ダオラの爪が穿った穴が開いている。血は止まったけど…、さすがに短時間じゃ塞がらない!
「…シッ!」
鋭利な爪が頬をかする。
生温い液体の感覚が伝わる。
被せるように左の正拳でカウンターを放つ。
「甘い!」
難なく避けられると同時に甲殻に覆われた膝が傷口に直撃する。
痛みに顔をしかめる。
ジワリ、と傷が開き、流血が再び始まる。
彼女はそれを見逃さない。
暴走していた時よりも疾く、そして翼を広げ宙を駆け、風と共に、その強靭な脚で、鞭のようにしなる力強い尾で、鋭く急所ばかりを狙って追撃をかけてくる。
どれもが一撃必殺の威力を秘めている。
打撃ポイントをずらして直撃を避けるものの、こう続けられたらいつかは直撃する。
彼女の足が僕の顔を鷲掴みにして、空へ舞う。
初めて感じる、言いようのない浮遊感。
「少年、よく頑張った…。これで…!」
直後に襲い来る、急降下による疾走感。
目の前は真っ暗なまま、後頭部は硬い何かに叩き付けられる。
「とどめだ!!」
硬い地面だと気が付いたのは、叩き付けられてめり込んだ大地の土の匂いを感じた時。
頭に硬い石が高速でぶつかる。
…いや、ぶつかったのは僕の方か。
――――――――――――
ダオラの足下でサクラが大地に埋まる。
一度、ビクンと身体が動いたと思うとそのままピクリとも動かなくなる。
正座のまま立会人として鎮座するマイアは、彼女に託された首を抱いたまま、微動だにせず、瞬きも極力抑え、戦いの行方を見守った。
ダオラは動かないサクラに背を向け、歩き出す。
「…見ての通りだ。我は本懐を遂げる。少年が目が覚ますかどうか、それは運次第。目覚めなかった時は…、勝負の常、諦められよ。」
首はこの地に埋めてやってくれ、とダオラは言う。
「…何故、この地なのですか?」
マイアが訊ねるとダオラは意外そうな顔をした。
「…ここが皆殺しの野と聞きましたが、何故そのような不吉な名の地に愛する方を埋葬されるのですか?」
「まこと知らぬのだな。この地こそ汝らの終焉の地。今より三十年前に中立地帯であったこの地に村を築きし汝らの一族の滅びし場所。わずか数名を残し、すべて死に絶え、この地に眠るのは百を超える墓石だけであった…。そして7年前、そこに教会の者どもがさらに侵攻し、墓石を破壊し、人間どもが村を築いた場所。『皆殺しの野』などと誰が呼び出したかのわからぬが、この地こそ夫と娘の眠る地として相応しい。ここならば寂しくはない。共に平和を踏み躙られた者たちが眠るのだから…。」
マイアは驚愕する。
現教会領が母、アスティアの生まれた村、彼女の悲劇の地であると初めて知る。
「さぁ、くだらぬ質問は終わりだ…。そなたは、そなたの決断をせよ。我は征く。すべての不義に鉄槌を下し、我は地獄の業火に身を焼かれよう。隠り世というものがあったとて…、我は夫や娘に会えぬだろう…。だが、我は征かねばならぬ!」
「…私は何も申しません。あなたの決意はあなただけのもの。ここが…、私たち一族にとっての悲劇の地であったとは…、何とも奇妙な縁を感じずにはいられませんが…、あなたは本懐を達成出来るでしょうか?」
ダオラが足を止める。
「何を言っている…。」
「あなたは…、そこへ向かえません。何故なら、サクラが起き上がります…。」
「何だと!?」
ダオラには信じられなかった。
いかにサクラの回復力が凄まじいと知りつつも、頭から血を流し、ろくに力も入らないのに、それでも身体を震わせながら身体を起こそうとする彼に畏怖を隠せなかった。
「どうしますか…?」
彼女は何も言わずに踵を返す。
あの手応えで何故倒れぬのだ、と彼女はドラゴンとしての誇りを傷付けられた。
「…怨むな、少年よ。次こそ終わらせる!」
―――――――――――
寝てなんか…、いられない…。
一瞬だけ…、本当に危なかった…。
うっかり暗いトンネルを通り抜けかけた。
起きろ…。
起きろ。
起きろ。
起きろ。
起き上がれ!
あんな話を聞いてオチオチ寝ていられるか!
ここがアスティアさんの生まれた地。
ここでロウガさんの背中があの人を守った。
百を超える魂が…、見ているんだ!
あの人たちが…、ここに魂を残しているのに…、
僕が…、俺が!
こんなところで倒れる訳にはいかないんだ!
俺は何一つ守っていないじゃないか!
俺が死んだら、俺が守っていこうと誓った人を死なせてしまうんだ!
震える身体に喝を入れる。
視界が真っ赤に染まっている。
後頭部がズキズキと痛む。
ボタボタと血液が滴り落ちる。
『下を向くな、上を向け!』
ああ、畜生。
どこまでも付き纏うな、この声が…!
だが、その通りだ…、前を…、上を向くんだ、俺!
まだ、俺は負けちゃいない!
畜生、腹が立つ。
こんなことにならないと前向きになれない俺に。
誓いを忘れて、目を閉じようとした俺に。
何一つ守れていない俺に。
何より、弱い俺を受け入れてしまう俺に腹が立つ!
しっかりしろ、まだ出来ることがある。
いつだって笑ってくれたサイガが俺の背中を押す。
母親になったであろうコルトの強さが勇気をくれる。
ロウガさんが拳を握れと気合を入れてくれる。
憎しみを超えた強さをアスティアさんが教えてくれた。
憎しみの連鎖を断てと眠る魂が右腕に力を貸してくれる。
そして……、
マイアさんのすべてが俺を支えてくれる!
俺は…、立てる!
まだ、やれることがあるんだ!
「少年、よく立った。些か…、プライドを傷付けられたぞ…。だが、それも終わりだ。」
彼女の口から灼熱の業火が漏れていく。
「もはや避けられまい…。そなたを殺さぬよう配慮した我が間違っていた。骨の一片まで、肉の一片まで灰と化し、土に還れ…!」
暴走状態とは比べ物にならない熱量と魔力が集結していく。
「少年、いやサクラよ!まだわからぬか!それがそちの限界。誰かを守っていける力など、真の憎悪の前にはいかに無力であるか!そちも死ぬ、そしてその娘も死ぬ!そちの無力さ、冥府で嘆くが良い!そちは誰も守れず、どこにも辿り着けず、何も掴めぬままそこで朽ち果てろ!」
違う…!
「この力は…、俺だけのものじゃない!俺はいつだって仲間が、恩人が、愛する人が、ここに、この胸にいて俺を支えてくれる!俺は一人じゃない!だから彼らに…、マイアさんに背中を預けられる!だから俺は何度だって立ち上がる!だから俺は何度だって前に進んでやる!何度だって上を向いて戦っていける!たった一人で辿り着けない場所にみんなと行く!それが俺にとって守る力だ!たった一人で憎悪に身を焦がすあなたに…、俺たちは倒せない!」
「ほざけぇぇー!!!」
膨大な熱量と魔力が放出され、放射線状に灼熱の柱が迫り来る。
俺は迷わず、ダオラに向かって駆ける。
「うおぁぁぁぁぁぁぁぁー!!!!!」
低く、もっと低く、もっと疾く!
地を這うように走り抜ける。
背中を灼熱が抉る。
それでも前進をやめない…、やめてたまるか!
灼熱が通過してしまう…。
低い体勢のまま彼女の間合いに進入する。
ダオラが俺を見る。
「…見事。」
左腕が覆い被さるように振り下ろされる。
「こなくそぉぉー!!!」
その拳を額で受ける。
覆われた甲殻にヒビが入り、指から鈍い音が聞こえた。
がら空きになったダオラのボディに超低空から右の拳を突き上げる。
「弾けろぉぉぉ!!!!」
右の拳で彼女の甲殻を砕き、その上から炎が爆ぜ甲殻を吹き飛ばす。
その衝撃でダオラは弾け跳び、受身も取れず吹き飛び、大地に倒れた。
――――――――――
「見事だ…。もはや…、動けぬ…。」
空に身体を向けたまま、大地に倒れた。
魔力も、体力も、気力も…、すべてが尽きた。
「…そうか、サクラ。そちも動けぬか。」
荒い息をして、もはや喋る力も残さず少年は震える身体で立ち続ける。
「…ふふ、ふふふ、あはははははははは…。気分が良いぞ…、倒されて不思議と腹も立たん!我が本懐は達せられなんだのは、実に不快だが、そなたに止められて悪い気がせぬわ!あっはっははははははは…。」
サクラの身体がぐらりと揺れる。
「サクラ!」
マイアが倒れそうになるサクラを抱きしめる。
噛み続けた唇からは赤い線が一本ながれ、飛び出したい衝動を必死で抑えた目には涙が流れ続けている。
「男冥利に尽きる少年よ…。」
「…ダ、ダオラ…さん……、生きて……、くだ…さ…い。でも……、どうか………、その…、憎し…みを……、忘れない…で…、ください…。僕ら……は……、あなたに……、それだけの…、ことを……したの…です……、から。」
「ああ、忘れぬさ…。だが…、お前に免じて…、この先の教会には手を出さぬ。我は彼らを憎む、だが、彼らもまた仲間を殺され我を憎むのだな…。それではいつまで経っても我らは、この世界の不条理から抜け出せぬ、と言うことか…。」
「御明察、畏れ入ります。ダオラ殿、サクラの言う通り同じ時代を生きていただけませんか…。私たちはいつまでも人間と争い続ける終わらないワルツを血を吐きながら踊り続けるのはごめんです。何故なら、私の両親も…、私も…、何よりあなた自身がそれを知っているはずです。あなただけを…、あなたたちを愛した人をあなたは知っているのですから…。」
その通りだ…。
マイアが我が夫と娘の首をそっと手渡してくれた。
そうだったな…。
我は……、こんなにも愛してくれたそなたの愛した世界を破壊するところだったのだな…。
ありがとう…。
そして…、さようなら…。
愛しい人、そして愛しい我が子よ…。
「二人の埋葬をする…。マイア、手伝ってくれぬか?」
「喜んで。」
この地は暫しの間は静寂に包まれるだろう…。
人々が我を畏怖すれば、この地に近付く者はいなくなるだろう…。
だから今はこの地で、どうか安らかに…。
百を超える英霊と眠れ。
いつかこの地平の彼方、魂の還る場所で…、また会おう。
「そなたたち…、あの名もなき町から来ただと?」
「はい、それがどうかされましたか?」
「…知らなかったのか?我が同族との寄り合いに顔を出した理由とはな…、教会騎士団とフウム王国が、その名もなき町へと全軍を挙げて、宣戦布告をしたのだぞ。」
「な!?」
やはり…、旅をし続けている間に起こったことを知らなかったのか…。
この国で情報を得るというのは確かに難しいことではあるが…。
「急ぐぞ、サクラの回復が終わり次第、そなたの町に加勢をしてやろう。飛べば二日で着こう…。道案内は任せる!」
人間を愛し、
人間に絶望し、
人間を憎み、
人間を滅ぼすと決め、
自我も、
理性も、
痛みも、
悲しみも、
やさしさも、
すべてを捨て、
狂気に身を委ねた我が、目の前のたった一人の少年に現世に引き戻された。
しかもこの少年は、我の愛した男と同じ魂を持ち、我に生きろと言う。
親魔物も反魔物も関係ないのだ。
この少年にとって最も価値あるものは、そういった思想ではないのだ。
ふふふ…、何と酷い少年であろうか…。
そなたを殺さねば我に道なく、されどそなたは殺してはならぬ者。
こんなにまで…、ドラゴンとしてあるまじきところまで穢れてしまった我に、過酷な苦渋の生を生きよとまで言いよるわ…。
何とも甘い少年よ…。
だが、何とも心地良い少年だろうか…。
この少年のせいで、我は楽な復讐の道を閉ざされた。
少年よ、この報い、受けてもらうぞ。
忘れたままなら楽だった記憶、
忘れたままなら楽だった復讐、
忘れたままなら苦しまないで済んだ誇りを、
我に取り戻させたその報い。
「さぁ、始めるぞ!」
少年に圧し折られた右腕は使い物にならぬ。
ならば左で、脚で、灼熱の業火で、
そなたに教えてしんぜよう。
我が死を賭した復讐、死を賭した覚悟…、その目に焼き付けよ!
――――――――――
一挙一動が致命的だ。
狂暴な殺意が消え、曇りのない彼女本来の覇気を取り戻し、洗練されたドラゴンの動きはたかが人間の身では捌き切れない。
ロウガさんなら…、あの人は化け物だから何とかなるかもしれないけど、僕じゃ受けに回るだけで必死だ。ましてや僕の腹には、ダオラの爪が穿った穴が開いている。血は止まったけど…、さすがに短時間じゃ塞がらない!
「…シッ!」
鋭利な爪が頬をかする。
生温い液体の感覚が伝わる。
被せるように左の正拳でカウンターを放つ。
「甘い!」
難なく避けられると同時に甲殻に覆われた膝が傷口に直撃する。
痛みに顔をしかめる。
ジワリ、と傷が開き、流血が再び始まる。
彼女はそれを見逃さない。
暴走していた時よりも疾く、そして翼を広げ宙を駆け、風と共に、その強靭な脚で、鞭のようにしなる力強い尾で、鋭く急所ばかりを狙って追撃をかけてくる。
どれもが一撃必殺の威力を秘めている。
打撃ポイントをずらして直撃を避けるものの、こう続けられたらいつかは直撃する。
彼女の足が僕の顔を鷲掴みにして、空へ舞う。
初めて感じる、言いようのない浮遊感。
「少年、よく頑張った…。これで…!」
直後に襲い来る、急降下による疾走感。
目の前は真っ暗なまま、後頭部は硬い何かに叩き付けられる。
「とどめだ!!」
硬い地面だと気が付いたのは、叩き付けられてめり込んだ大地の土の匂いを感じた時。
頭に硬い石が高速でぶつかる。
…いや、ぶつかったのは僕の方か。
――――――――――――
ダオラの足下でサクラが大地に埋まる。
一度、ビクンと身体が動いたと思うとそのままピクリとも動かなくなる。
正座のまま立会人として鎮座するマイアは、彼女に託された首を抱いたまま、微動だにせず、瞬きも極力抑え、戦いの行方を見守った。
ダオラは動かないサクラに背を向け、歩き出す。
「…見ての通りだ。我は本懐を遂げる。少年が目が覚ますかどうか、それは運次第。目覚めなかった時は…、勝負の常、諦められよ。」
首はこの地に埋めてやってくれ、とダオラは言う。
「…何故、この地なのですか?」
マイアが訊ねるとダオラは意外そうな顔をした。
「…ここが皆殺しの野と聞きましたが、何故そのような不吉な名の地に愛する方を埋葬されるのですか?」
「まこと知らぬのだな。この地こそ汝らの終焉の地。今より三十年前に中立地帯であったこの地に村を築きし汝らの一族の滅びし場所。わずか数名を残し、すべて死に絶え、この地に眠るのは百を超える墓石だけであった…。そして7年前、そこに教会の者どもがさらに侵攻し、墓石を破壊し、人間どもが村を築いた場所。『皆殺しの野』などと誰が呼び出したかのわからぬが、この地こそ夫と娘の眠る地として相応しい。ここならば寂しくはない。共に平和を踏み躙られた者たちが眠るのだから…。」
マイアは驚愕する。
現教会領が母、アスティアの生まれた村、彼女の悲劇の地であると初めて知る。
「さぁ、くだらぬ質問は終わりだ…。そなたは、そなたの決断をせよ。我は征く。すべての不義に鉄槌を下し、我は地獄の業火に身を焼かれよう。隠り世というものがあったとて…、我は夫や娘に会えぬだろう…。だが、我は征かねばならぬ!」
「…私は何も申しません。あなたの決意はあなただけのもの。ここが…、私たち一族にとっての悲劇の地であったとは…、何とも奇妙な縁を感じずにはいられませんが…、あなたは本懐を達成出来るでしょうか?」
ダオラが足を止める。
「何を言っている…。」
「あなたは…、そこへ向かえません。何故なら、サクラが起き上がります…。」
「何だと!?」
ダオラには信じられなかった。
いかにサクラの回復力が凄まじいと知りつつも、頭から血を流し、ろくに力も入らないのに、それでも身体を震わせながら身体を起こそうとする彼に畏怖を隠せなかった。
「どうしますか…?」
彼女は何も言わずに踵を返す。
あの手応えで何故倒れぬのだ、と彼女はドラゴンとしての誇りを傷付けられた。
「…怨むな、少年よ。次こそ終わらせる!」
―――――――――――
寝てなんか…、いられない…。
一瞬だけ…、本当に危なかった…。
うっかり暗いトンネルを通り抜けかけた。
起きろ…。
起きろ。
起きろ。
起きろ。
起き上がれ!
あんな話を聞いてオチオチ寝ていられるか!
ここがアスティアさんの生まれた地。
ここでロウガさんの背中があの人を守った。
百を超える魂が…、見ているんだ!
あの人たちが…、ここに魂を残しているのに…、
僕が…、俺が!
こんなところで倒れる訳にはいかないんだ!
俺は何一つ守っていないじゃないか!
俺が死んだら、俺が守っていこうと誓った人を死なせてしまうんだ!
震える身体に喝を入れる。
視界が真っ赤に染まっている。
後頭部がズキズキと痛む。
ボタボタと血液が滴り落ちる。
『下を向くな、上を向け!』
ああ、畜生。
どこまでも付き纏うな、この声が…!
だが、その通りだ…、前を…、上を向くんだ、俺!
まだ、俺は負けちゃいない!
畜生、腹が立つ。
こんなことにならないと前向きになれない俺に。
誓いを忘れて、目を閉じようとした俺に。
何一つ守れていない俺に。
何より、弱い俺を受け入れてしまう俺に腹が立つ!
しっかりしろ、まだ出来ることがある。
いつだって笑ってくれたサイガが俺の背中を押す。
母親になったであろうコルトの強さが勇気をくれる。
ロウガさんが拳を握れと気合を入れてくれる。
憎しみを超えた強さをアスティアさんが教えてくれた。
憎しみの連鎖を断てと眠る魂が右腕に力を貸してくれる。
そして……、
マイアさんのすべてが俺を支えてくれる!
俺は…、立てる!
まだ、やれることがあるんだ!
「少年、よく立った。些か…、プライドを傷付けられたぞ…。だが、それも終わりだ。」
彼女の口から灼熱の業火が漏れていく。
「もはや避けられまい…。そなたを殺さぬよう配慮した我が間違っていた。骨の一片まで、肉の一片まで灰と化し、土に還れ…!」
暴走状態とは比べ物にならない熱量と魔力が集結していく。
「少年、いやサクラよ!まだわからぬか!それがそちの限界。誰かを守っていける力など、真の憎悪の前にはいかに無力であるか!そちも死ぬ、そしてその娘も死ぬ!そちの無力さ、冥府で嘆くが良い!そちは誰も守れず、どこにも辿り着けず、何も掴めぬままそこで朽ち果てろ!」
違う…!
「この力は…、俺だけのものじゃない!俺はいつだって仲間が、恩人が、愛する人が、ここに、この胸にいて俺を支えてくれる!俺は一人じゃない!だから彼らに…、マイアさんに背中を預けられる!だから俺は何度だって立ち上がる!だから俺は何度だって前に進んでやる!何度だって上を向いて戦っていける!たった一人で辿り着けない場所にみんなと行く!それが俺にとって守る力だ!たった一人で憎悪に身を焦がすあなたに…、俺たちは倒せない!」
「ほざけぇぇー!!!」
膨大な熱量と魔力が放出され、放射線状に灼熱の柱が迫り来る。
俺は迷わず、ダオラに向かって駆ける。
「うおぁぁぁぁぁぁぁぁー!!!!!」
低く、もっと低く、もっと疾く!
地を這うように走り抜ける。
背中を灼熱が抉る。
それでも前進をやめない…、やめてたまるか!
灼熱が通過してしまう…。
低い体勢のまま彼女の間合いに進入する。
ダオラが俺を見る。
「…見事。」
左腕が覆い被さるように振り下ろされる。
「こなくそぉぉー!!!」
その拳を額で受ける。
覆われた甲殻にヒビが入り、指から鈍い音が聞こえた。
がら空きになったダオラのボディに超低空から右の拳を突き上げる。
「弾けろぉぉぉ!!!!」
右の拳で彼女の甲殻を砕き、その上から炎が爆ぜ甲殻を吹き飛ばす。
その衝撃でダオラは弾け跳び、受身も取れず吹き飛び、大地に倒れた。
――――――――――
「見事だ…。もはや…、動けぬ…。」
空に身体を向けたまま、大地に倒れた。
魔力も、体力も、気力も…、すべてが尽きた。
「…そうか、サクラ。そちも動けぬか。」
荒い息をして、もはや喋る力も残さず少年は震える身体で立ち続ける。
「…ふふ、ふふふ、あはははははははは…。気分が良いぞ…、倒されて不思議と腹も立たん!我が本懐は達せられなんだのは、実に不快だが、そなたに止められて悪い気がせぬわ!あっはっははははははは…。」
サクラの身体がぐらりと揺れる。
「サクラ!」
マイアが倒れそうになるサクラを抱きしめる。
噛み続けた唇からは赤い線が一本ながれ、飛び出したい衝動を必死で抑えた目には涙が流れ続けている。
「男冥利に尽きる少年よ…。」
「…ダ、ダオラ…さん……、生きて……、くだ…さ…い。でも……、どうか………、その…、憎し…みを……、忘れない…で…、ください…。僕ら……は……、あなたに……、それだけの…、ことを……したの…です……、から。」
「ああ、忘れぬさ…。だが…、お前に免じて…、この先の教会には手を出さぬ。我は彼らを憎む、だが、彼らもまた仲間を殺され我を憎むのだな…。それではいつまで経っても我らは、この世界の不条理から抜け出せぬ、と言うことか…。」
「御明察、畏れ入ります。ダオラ殿、サクラの言う通り同じ時代を生きていただけませんか…。私たちはいつまでも人間と争い続ける終わらないワルツを血を吐きながら踊り続けるのはごめんです。何故なら、私の両親も…、私も…、何よりあなた自身がそれを知っているはずです。あなただけを…、あなたたちを愛した人をあなたは知っているのですから…。」
その通りだ…。
マイアが我が夫と娘の首をそっと手渡してくれた。
そうだったな…。
我は……、こんなにも愛してくれたそなたの愛した世界を破壊するところだったのだな…。
ありがとう…。
そして…、さようなら…。
愛しい人、そして愛しい我が子よ…。
「二人の埋葬をする…。マイア、手伝ってくれぬか?」
「喜んで。」
この地は暫しの間は静寂に包まれるだろう…。
人々が我を畏怖すれば、この地に近付く者はいなくなるだろう…。
だから今はこの地で、どうか安らかに…。
百を超える英霊と眠れ。
いつかこの地平の彼方、魂の還る場所で…、また会おう。
「そなたたち…、あの名もなき町から来ただと?」
「はい、それがどうかされましたか?」
「…知らなかったのか?我が同族との寄り合いに顔を出した理由とはな…、教会騎士団とフウム王国が、その名もなき町へと全軍を挙げて、宣戦布告をしたのだぞ。」
「な!?」
やはり…、旅をし続けている間に起こったことを知らなかったのか…。
この国で情報を得るというのは確かに難しいことではあるが…。
「急ぐぞ、サクラの回復が終わり次第、そなたの町に加勢をしてやろう。飛べば二日で着こう…。道案内は任せる!」
10/11/03 00:00更新 / 宿利京祐
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