第二話・そして歯車は軋み始める
放っておくつもりだった。
鎖に繋がれた少女を見るまでは…。
『―――――!!!――――!!』
何を言っているのか言葉が通じない。
それでも彼らは俺に怒りを露わにしている。
俺の足元には鋼の甲冑に身を包んだ兵士が一人、血を流して倒れている。
俺の太刀は彼の血で赤く濡れている。
仲間を殺されて、同じ甲冑に身を包んだ男たちが一斉に剣を抜く。
俺の後ろには人外の少女がいる。
重い鎖が身体を押さえつけ、右目を抉られ、四肢を砕かれた少女。
見るに耐えない乾ききらない傷は、過酷な拷問を受けた証。
陵辱を受けた痕がさらに痛々しい。
「大丈夫、すぐ、終わらせる。」
彼らとも言葉が通じないのに、少女に言葉が通じるとは思えない。
それでも鎖ごと抱きしめて、子供をあやすように背中を軽く叩く。
三人同時に斬りかかってきた。
腕が剣を持ったまま、飛んでいく。
何が起こったのかわからなくて、飛んでいく自分の腕を見つめる男。
何が起こったのかわからないまま、ポロリと落ちる男の首。
鋼の兜ごと顔を叩き割られて、間抜けな顔で死んでいく。
大地が赤く染まった。
後十二人。
日が沈む前には…、片付くだろう。
奇妙な光景だった。
絶望、恐怖、怨み、人間が死に臨むであろう感情が張り付いたままの死体の野に、少女と俺が夕焼けの中で佇んでいる。鎖を解き、砕けた四肢に添え木を当て、着物を破いて包帯の代わりとして、応急処置を施す。少女は何も着ていなかったので、俺の着物を羽織らせている。少女をトカゲの化身だと思った。だが本来力強く大地を蹴っていたと思われる脚は無残に砕かれ、腕も関節から砕かれ力なくダラリと落ちている。尻尾もズタズタに斬られ、傷口が膿んでいる。
何故、彼女を助けたのだろうか。
このような幼い少女が、過酷な仕打ちを受けているのを見て、妙な正義感を抱いてしまったのだろうか。答えはわからない。
少女の表情はない。
感情そのものを壊されてしまった…、そう感じた。
とりあえず、来た道を戻って町に行って医者に見せよう。
そう思って立ち上がった時、空から翼を持った女が舞い降りた。
後になって言葉を覚えた時、それはハーピーと呼ぶと知った。どうやら少女を探しに来たらしいことはわかった。だが、言葉がわからない以上、それ以上のことは俺にはわからなかった。彼女がこの大陸の言葉で話しても理解が出来なかったので、俺は耳が聞こえないフリをした。
すると、彼女は目を閉じて額を合わせて、
『アリガトウ。コノ子、大丈夫。絶対、良クナル。』
と、頭の中に直接語りかけた。
そしてハーピーは遅れてやってきた仲間たちと共に、少女を連れて飛び立っていった。あの少女が無事回復出来たのか、もう、今ではわからない。
「夢…か。」
頭が重い。
時々思い出すようにあの頃を思い出す夢。
懺悔と後悔と後味の悪い悪夢。
夢見の悪さで頭が重い分、身体は軽かった。やはり野宿で岩の上に寝たり起きたりするよりは、やはり布団で寝るということに比べたら雲泥の差、という訳らしい。
「さて、今日は元気に仕官先でも探しに町に出ますかね……え?」
「あ。」
身体を起こすと、部屋の中にルゥがいた。何故かドレスを半分脱いで、上半身裸、つまり彼女の隠しきれない美しい乳房が惜しげもなく晒されいる。手には大きな手提げ籠を持ち、中から何やら透明な液体の入った瓶や、大きな蝋燭、縄、革の帯、巨大な注射器、各種様々な鞭、張り型などが見え隠れしている。
「……。」
「……。」
ルゥは何事もなかったかのようにドレスを着直し、乱れた髪をまとめ、咳払いを一つすると、
「朝食の準備が出来ていますので、ロビー奥のサロンまでお越しくださいね。」
といつものやさしい微笑みを浮かべて、深々と頭を下げ、部屋の扉を開けた。
「…チッ。」
……俺、寝惚けているんだな。疲れているんだな。だからあんな夢も見るし、よくわからない幻影に怯えるんだな。
そうだ、二度寝しよう。
疲れている時には二度寝を……、い、いや、いかん!
冷静になれ、寝たら終わりだ!
そんな自問自答を繰り返し続ける朝だった…。
――――――――――
あっという間に娼館に泊り込んで早2週間。
俺の貞操は無事守られ続けているが、仕官先はびっくりするほど断られる。
今日も武官の不採用通知が届いて、これで26通目。
いや、職にあぶれるのは日の本にいた頃からと変わりがないが、そろそろ懐のほうが寒々しくなってきたので、さすがに危機を覚えてきた。店主のルゥには宿代を大幅にまけてもらっているのだが、収入がなければ減っていく一方な訳で…。
「今、景気は良いですからねぇ。戦も少なくなりましたし、武官や兵士の人員がどんどん減っているみたいですよ。」
というルゥの慰めも余計に心を抉る。
しかし、ウジウジ悩んでいてもしょうがない。今はともかく金を稼がねばならない。宿代をまけてもらっているのに、滞納したら、それこそ彼女のご厚意に申し訳が立たない。
「と、いうわけで金を作ってきます。」
「はぁ。当てはあるんですか?」
「ええ、俺の国では一般的というか、ある意味大衆文化の王道と言いますか、所謂一つの大道芸で…。」
「あら、路上パフォーマンスですか?空き瓶でお手玉したりする。」
「いや、そういう類ではなくて…。」
失礼、と不採用通知を俺は空に投げた。
「一枚が……、二枚!」
居合い抜きで放った太刀が不採用通知を真っ二つに裂く。
「二枚が…、四枚!」
さらに振り抜いて、さらに斬り裂く。
そしてそこから八枚、十六枚、三十二枚と斬り続ける。その間、ルゥは空中で斬り続けられる紙に目を丸くしていた。もちろん、種も仕掛けもなく、紙は一枚たりとも地に落ちていない。
「三十二枚が…、六十四枚!最後に六十四枚がぁ!!」
太刀を一度鞘に最速で戻し、再び渾身の力で太刀を抜く。
「霧散!!」
最速の居合い抜きと太刀の切り替えしで六十四枚の紙片を、紙吹雪のように斬り刻む。空中で一枚の紙が再び太刀を収める時には、まるで霧のように散っていく。
名付けて『狼牙抜刀術大道芸・霧散の太刀』。
などとカッコ付けても、我ながら悲しくなる。
「うわぁ、すごい。」
「こんな芸ですが、なかなか受けが良くて…。今までの路銀は全部こいつで稼いでたんだ。」
「でも…、一回であまり稼げないんじゃないですか?」
「そこを言われると痛いけど…、これしか手段が…。」
それでしたら、とルゥは一冊の分厚い帳簿を出した。
「うちはですね、冒険者ギルドの受付もしていまして。ロウガ様さえ宜しければ、何か依頼を受けて見ますか?簡単な仕事から、ちょっと専門的な危ない仕事までありますよ。」
「つまり、それは職の斡旋、ということか?」
「そうですね。ジパングでは、こういうのはなかったんですか?」
「…なかったなぁ。おかげで大陸に来て何年も経ったが、今日の今日までその存在すら知らなかった。」
「それなら尚更、試しに見てみてくださいな。仕官はしてなくても、このギルドクエストの報奨金だけで生活している冒険者さんも、この大陸にはたくさんいますからね。」
そう言われれば見るしかない。
…ふむふむ。なるほど、見れば大小様々な依頼がずらりと並んでいる。
『ポチ(ケルベロス)の散歩、100z。』
…駄目だ、何の生物だかわからないが、非常に割りに合わないような気がする。
『酒場の用心棒、日当20000z。』
これなら、俺でも務まりそうな気がする。よし、これに…ん?
『ただし当オーナーは生粋のイイオトコです。それもノンケでも構わず喰ってしまうようなイイオトコです。それでもよろしい方はギルド窓口までお越しください。お尻の無事は保障できません。もしも怪我をした場合、治療費の支給致します。さあ、あなたも一緒に、やらないか?』
………やめよう。嫌な予感以外しない。
『永久就職者というより私のお婿さん募集、プライスレス。』
…まともな依頼というのはないのか。
しかもこれ、依頼主の欄に『ルゥ』って書いてないか?
ルゥ本人は、何やらワクテカした顔で俺のことジッと見ている。
俺は気付かないふりをして、平然と視線を受け流す。
「どうですか?いいクエストありましたか?」
「いや…、これだけ分厚ければ、早々良いのなんか。」
「い・い・ク・エ・ス・ト・あ・る・は・ず・で・す・が!」
力の限り自分の依頼のページを開き続けるルゥ。だが、根負けして彼女のクエストを受けてしまったが最後、人間としても、人生的にも後戻り出来る自信が俺にはない。
彼女が全力で攻めで来るのなら、俺は全力で受け流す。
「ま、まぁ、それは追々見て選ぶとして、今日はいい加減に不採用通知を見るのにも気が滅入ってきたので、散歩でもして気分転換を…。」
「気分転換でしたら、是非うちで遊んでいきませんか!?遊びじゃなくて本気になっても構いませんよ!!今はお店に私しかいませんので、お安くしておきます!何だったら店を休みにして、何時間でも何日でも…ってああ!!!」
「行ってきます!!!」
言い終わらないうちに俺は、娼館の扉を開き、外へ飛び出した。後ろの方から『ま、待ってー!別に変なことするつもりはないのー!!ただ既成事じ、じゃなくてお互いの親睦を深め合いたいのー!!!』という声が聞こえたが、立ち止まることなく、俺は走り続ける。
とにかくもう、しばらくは宿に、帰りたくない。
――――――――――
公園の長椅子に座って、ぼんやりとしていた。
走り疲れたのもあったが、不採用通知のことを考えていた。
ルゥも言っていた。戦自体が少なくなって、俺たち武の中で生きていた者たちが一人、また一人と役割をなくしている。それでも武を捨てられない者はやはり、ギルドのクエストで生きていくしか道はないのだろうか…。
それは、贅沢な話なのかもしれない。
「隣、いいか?」
「どーぞー。」
気のない返事をする。
「何だ、そのやる気のなさは。今の腑抜けたお前なら今の間に10回は死んでいたぞ。」
「ん?ああ、いつぞやの…。」
襤褸布の女。
あの日以来一度も会っていなかったが、今日は頭から深く襤褸布を被らず、顔を出している。なるほど、明るい所で見れば、実に整った顔立ちをしている。こういうのを美少女、というのかもしれないが、凛とした空気がその言葉を何か異質に感じさせる。
「どうした。私でよければ相談に乗るぞ?」
「…あんたじゃ、どうしようもないよ。」
「どうしようもないかもしれないが、腹の中の物を全部出した方がスッキリするぞ。」
「……俺みたいなのは、世の中に必要ないのかな?」
「は?」
ありのままに伝えた。
あまりに長く戦いの中に身を置きすぎた。平和な時代に馴染めず、それでも誰かと関わり合っていたいから武の達人のように振舞ってみても、心にいつもどこかで戦うことを望んでいる。そうでなければ、自分の太刀で斬り捨てた者たちが浮かばれないのではないか、と。
「…すまん。ほとんど初対面なのに愚痴ってしまった。」
「いや、無理矢理聞き出そうとした私も悪かった。許せ。」
私もその不器用な部類の立場さ、と女は苦笑いをした。
「そういえば、お互い、名前も知らなかったな。俺は…。」
「知っているさ、ロウガ。私はエレナ。見ての通りのリザードマンだ。ルゥとは幼馴染でね、彼女から聞いたよ。」
見ての通り、と言われても俺には彼女、エレナが人間にしか見えなかった。が襤褸布から覗く足が、人ではなくトカゲのソレによく似ていたので理解した。そして襤褸布の隙間から立派な尻尾も見え隠れしている。
「ああ、襤褸布被っているからわからなかった。」
「ボロとは失礼な!これは私の一族で代々受け継がれた由緒正しいマントだ。」
俺は彼女の特徴を見て、思い出す。
あの日の少女と同じ種族、ではないだろうか。この大陸では似たような亜種も多いというのは旅の途中で見聞きして知っている。もしかしたら違うのかもしれない。それでも俺は聞かずにはいられなかった。
「昔…10年くらい前に、お前と同じ種族の中に瀕死の重傷を負った娘がいなかったか!?」
「な、何だ、いきなり!」
「教えてくれ、どうなんだ!」
「あ、ああ、いたな。両親が留守の間に反魔物派の勢力に襲われて、拷問の末に瀕死の重傷を負った娘がいたな。確か、通りかかった無関係な旅人に助けられたという話が…。」
「それ…、俺なんだ。どうなった。その娘は助かったのか!?」
エレナは少しだけ、困った顔をしたが、すぐに元の凛とした顔に戻る。あの日に居合わせたの君なら、私は君には伝えなければならない義務があるな、と言った。
「助かった…、だが、死んだよ。もう5年くらい前に流行り病で。」
「死んだ…。」
「ロウガのせいじゃない。むしろロウガのおかげだ。感情を殺された彼女が最後に笑えたんだ。私の村では、皆、君に感謝している。」
…だが、あの娘は死んだ。
それだけが事実。
感謝されたところで、時間は戻らない。
「ロウガ。」
スッと、エリスが俺をやさしく抱きしめ、子供をあやすように背中を叩く。
「もう少し早く通りかかっていれば、もう少し早く決断していれば、色々迷うこともあるだろう。それでもあの娘は幸せだった。誰かに深い憎しみではなく、やさしくしてくれたという思い出を抱いて旅立ったんだよ。その思いをくれたのは、間違いなく君なんだ。」
情けない、と思った。
もうすぐ三十になろうかという男が、俺の半分くらいの少女の胸の中で泣いている。後悔と感謝と色々混じった感情をエレナ抱きしめられて。
気が付けば、夕焼け。
あの日と同じ空の色。
鎖に繋がれた少女を見るまでは…。
『―――――!!!――――!!』
何を言っているのか言葉が通じない。
それでも彼らは俺に怒りを露わにしている。
俺の足元には鋼の甲冑に身を包んだ兵士が一人、血を流して倒れている。
俺の太刀は彼の血で赤く濡れている。
仲間を殺されて、同じ甲冑に身を包んだ男たちが一斉に剣を抜く。
俺の後ろには人外の少女がいる。
重い鎖が身体を押さえつけ、右目を抉られ、四肢を砕かれた少女。
見るに耐えない乾ききらない傷は、過酷な拷問を受けた証。
陵辱を受けた痕がさらに痛々しい。
「大丈夫、すぐ、終わらせる。」
彼らとも言葉が通じないのに、少女に言葉が通じるとは思えない。
それでも鎖ごと抱きしめて、子供をあやすように背中を軽く叩く。
三人同時に斬りかかってきた。
腕が剣を持ったまま、飛んでいく。
何が起こったのかわからなくて、飛んでいく自分の腕を見つめる男。
何が起こったのかわからないまま、ポロリと落ちる男の首。
鋼の兜ごと顔を叩き割られて、間抜けな顔で死んでいく。
大地が赤く染まった。
後十二人。
日が沈む前には…、片付くだろう。
奇妙な光景だった。
絶望、恐怖、怨み、人間が死に臨むであろう感情が張り付いたままの死体の野に、少女と俺が夕焼けの中で佇んでいる。鎖を解き、砕けた四肢に添え木を当て、着物を破いて包帯の代わりとして、応急処置を施す。少女は何も着ていなかったので、俺の着物を羽織らせている。少女をトカゲの化身だと思った。だが本来力強く大地を蹴っていたと思われる脚は無残に砕かれ、腕も関節から砕かれ力なくダラリと落ちている。尻尾もズタズタに斬られ、傷口が膿んでいる。
何故、彼女を助けたのだろうか。
このような幼い少女が、過酷な仕打ちを受けているのを見て、妙な正義感を抱いてしまったのだろうか。答えはわからない。
少女の表情はない。
感情そのものを壊されてしまった…、そう感じた。
とりあえず、来た道を戻って町に行って医者に見せよう。
そう思って立ち上がった時、空から翼を持った女が舞い降りた。
後になって言葉を覚えた時、それはハーピーと呼ぶと知った。どうやら少女を探しに来たらしいことはわかった。だが、言葉がわからない以上、それ以上のことは俺にはわからなかった。彼女がこの大陸の言葉で話しても理解が出来なかったので、俺は耳が聞こえないフリをした。
すると、彼女は目を閉じて額を合わせて、
『アリガトウ。コノ子、大丈夫。絶対、良クナル。』
と、頭の中に直接語りかけた。
そしてハーピーは遅れてやってきた仲間たちと共に、少女を連れて飛び立っていった。あの少女が無事回復出来たのか、もう、今ではわからない。
「夢…か。」
頭が重い。
時々思い出すようにあの頃を思い出す夢。
懺悔と後悔と後味の悪い悪夢。
夢見の悪さで頭が重い分、身体は軽かった。やはり野宿で岩の上に寝たり起きたりするよりは、やはり布団で寝るということに比べたら雲泥の差、という訳らしい。
「さて、今日は元気に仕官先でも探しに町に出ますかね……え?」
「あ。」
身体を起こすと、部屋の中にルゥがいた。何故かドレスを半分脱いで、上半身裸、つまり彼女の隠しきれない美しい乳房が惜しげもなく晒されいる。手には大きな手提げ籠を持ち、中から何やら透明な液体の入った瓶や、大きな蝋燭、縄、革の帯、巨大な注射器、各種様々な鞭、張り型などが見え隠れしている。
「……。」
「……。」
ルゥは何事もなかったかのようにドレスを着直し、乱れた髪をまとめ、咳払いを一つすると、
「朝食の準備が出来ていますので、ロビー奥のサロンまでお越しくださいね。」
といつものやさしい微笑みを浮かべて、深々と頭を下げ、部屋の扉を開けた。
「…チッ。」
……俺、寝惚けているんだな。疲れているんだな。だからあんな夢も見るし、よくわからない幻影に怯えるんだな。
そうだ、二度寝しよう。
疲れている時には二度寝を……、い、いや、いかん!
冷静になれ、寝たら終わりだ!
そんな自問自答を繰り返し続ける朝だった…。
――――――――――
あっという間に娼館に泊り込んで早2週間。
俺の貞操は無事守られ続けているが、仕官先はびっくりするほど断られる。
今日も武官の不採用通知が届いて、これで26通目。
いや、職にあぶれるのは日の本にいた頃からと変わりがないが、そろそろ懐のほうが寒々しくなってきたので、さすがに危機を覚えてきた。店主のルゥには宿代を大幅にまけてもらっているのだが、収入がなければ減っていく一方な訳で…。
「今、景気は良いですからねぇ。戦も少なくなりましたし、武官や兵士の人員がどんどん減っているみたいですよ。」
というルゥの慰めも余計に心を抉る。
しかし、ウジウジ悩んでいてもしょうがない。今はともかく金を稼がねばならない。宿代をまけてもらっているのに、滞納したら、それこそ彼女のご厚意に申し訳が立たない。
「と、いうわけで金を作ってきます。」
「はぁ。当てはあるんですか?」
「ええ、俺の国では一般的というか、ある意味大衆文化の王道と言いますか、所謂一つの大道芸で…。」
「あら、路上パフォーマンスですか?空き瓶でお手玉したりする。」
「いや、そういう類ではなくて…。」
失礼、と不採用通知を俺は空に投げた。
「一枚が……、二枚!」
居合い抜きで放った太刀が不採用通知を真っ二つに裂く。
「二枚が…、四枚!」
さらに振り抜いて、さらに斬り裂く。
そしてそこから八枚、十六枚、三十二枚と斬り続ける。その間、ルゥは空中で斬り続けられる紙に目を丸くしていた。もちろん、種も仕掛けもなく、紙は一枚たりとも地に落ちていない。
「三十二枚が…、六十四枚!最後に六十四枚がぁ!!」
太刀を一度鞘に最速で戻し、再び渾身の力で太刀を抜く。
「霧散!!」
最速の居合い抜きと太刀の切り替えしで六十四枚の紙片を、紙吹雪のように斬り刻む。空中で一枚の紙が再び太刀を収める時には、まるで霧のように散っていく。
名付けて『狼牙抜刀術大道芸・霧散の太刀』。
などとカッコ付けても、我ながら悲しくなる。
「うわぁ、すごい。」
「こんな芸ですが、なかなか受けが良くて…。今までの路銀は全部こいつで稼いでたんだ。」
「でも…、一回であまり稼げないんじゃないですか?」
「そこを言われると痛いけど…、これしか手段が…。」
それでしたら、とルゥは一冊の分厚い帳簿を出した。
「うちはですね、冒険者ギルドの受付もしていまして。ロウガ様さえ宜しければ、何か依頼を受けて見ますか?簡単な仕事から、ちょっと専門的な危ない仕事までありますよ。」
「つまり、それは職の斡旋、ということか?」
「そうですね。ジパングでは、こういうのはなかったんですか?」
「…なかったなぁ。おかげで大陸に来て何年も経ったが、今日の今日までその存在すら知らなかった。」
「それなら尚更、試しに見てみてくださいな。仕官はしてなくても、このギルドクエストの報奨金だけで生活している冒険者さんも、この大陸にはたくさんいますからね。」
そう言われれば見るしかない。
…ふむふむ。なるほど、見れば大小様々な依頼がずらりと並んでいる。
『ポチ(ケルベロス)の散歩、100z。』
…駄目だ、何の生物だかわからないが、非常に割りに合わないような気がする。
『酒場の用心棒、日当20000z。』
これなら、俺でも務まりそうな気がする。よし、これに…ん?
『ただし当オーナーは生粋のイイオトコです。それもノンケでも構わず喰ってしまうようなイイオトコです。それでもよろしい方はギルド窓口までお越しください。お尻の無事は保障できません。もしも怪我をした場合、治療費の支給致します。さあ、あなたも一緒に、やらないか?』
………やめよう。嫌な予感以外しない。
『永久就職者というより私のお婿さん募集、プライスレス。』
…まともな依頼というのはないのか。
しかもこれ、依頼主の欄に『ルゥ』って書いてないか?
ルゥ本人は、何やらワクテカした顔で俺のことジッと見ている。
俺は気付かないふりをして、平然と視線を受け流す。
「どうですか?いいクエストありましたか?」
「いや…、これだけ分厚ければ、早々良いのなんか。」
「い・い・ク・エ・ス・ト・あ・る・は・ず・で・す・が!」
力の限り自分の依頼のページを開き続けるルゥ。だが、根負けして彼女のクエストを受けてしまったが最後、人間としても、人生的にも後戻り出来る自信が俺にはない。
彼女が全力で攻めで来るのなら、俺は全力で受け流す。
「ま、まぁ、それは追々見て選ぶとして、今日はいい加減に不採用通知を見るのにも気が滅入ってきたので、散歩でもして気分転換を…。」
「気分転換でしたら、是非うちで遊んでいきませんか!?遊びじゃなくて本気になっても構いませんよ!!今はお店に私しかいませんので、お安くしておきます!何だったら店を休みにして、何時間でも何日でも…ってああ!!!」
「行ってきます!!!」
言い終わらないうちに俺は、娼館の扉を開き、外へ飛び出した。後ろの方から『ま、待ってー!別に変なことするつもりはないのー!!ただ既成事じ、じゃなくてお互いの親睦を深め合いたいのー!!!』という声が聞こえたが、立ち止まることなく、俺は走り続ける。
とにかくもう、しばらくは宿に、帰りたくない。
――――――――――
公園の長椅子に座って、ぼんやりとしていた。
走り疲れたのもあったが、不採用通知のことを考えていた。
ルゥも言っていた。戦自体が少なくなって、俺たち武の中で生きていた者たちが一人、また一人と役割をなくしている。それでも武を捨てられない者はやはり、ギルドのクエストで生きていくしか道はないのだろうか…。
それは、贅沢な話なのかもしれない。
「隣、いいか?」
「どーぞー。」
気のない返事をする。
「何だ、そのやる気のなさは。今の腑抜けたお前なら今の間に10回は死んでいたぞ。」
「ん?ああ、いつぞやの…。」
襤褸布の女。
あの日以来一度も会っていなかったが、今日は頭から深く襤褸布を被らず、顔を出している。なるほど、明るい所で見れば、実に整った顔立ちをしている。こういうのを美少女、というのかもしれないが、凛とした空気がその言葉を何か異質に感じさせる。
「どうした。私でよければ相談に乗るぞ?」
「…あんたじゃ、どうしようもないよ。」
「どうしようもないかもしれないが、腹の中の物を全部出した方がスッキリするぞ。」
「……俺みたいなのは、世の中に必要ないのかな?」
「は?」
ありのままに伝えた。
あまりに長く戦いの中に身を置きすぎた。平和な時代に馴染めず、それでも誰かと関わり合っていたいから武の達人のように振舞ってみても、心にいつもどこかで戦うことを望んでいる。そうでなければ、自分の太刀で斬り捨てた者たちが浮かばれないのではないか、と。
「…すまん。ほとんど初対面なのに愚痴ってしまった。」
「いや、無理矢理聞き出そうとした私も悪かった。許せ。」
私もその不器用な部類の立場さ、と女は苦笑いをした。
「そういえば、お互い、名前も知らなかったな。俺は…。」
「知っているさ、ロウガ。私はエレナ。見ての通りのリザードマンだ。ルゥとは幼馴染でね、彼女から聞いたよ。」
見ての通り、と言われても俺には彼女、エレナが人間にしか見えなかった。が襤褸布から覗く足が、人ではなくトカゲのソレによく似ていたので理解した。そして襤褸布の隙間から立派な尻尾も見え隠れしている。
「ああ、襤褸布被っているからわからなかった。」
「ボロとは失礼な!これは私の一族で代々受け継がれた由緒正しいマントだ。」
俺は彼女の特徴を見て、思い出す。
あの日の少女と同じ種族、ではないだろうか。この大陸では似たような亜種も多いというのは旅の途中で見聞きして知っている。もしかしたら違うのかもしれない。それでも俺は聞かずにはいられなかった。
「昔…10年くらい前に、お前と同じ種族の中に瀕死の重傷を負った娘がいなかったか!?」
「な、何だ、いきなり!」
「教えてくれ、どうなんだ!」
「あ、ああ、いたな。両親が留守の間に反魔物派の勢力に襲われて、拷問の末に瀕死の重傷を負った娘がいたな。確か、通りかかった無関係な旅人に助けられたという話が…。」
「それ…、俺なんだ。どうなった。その娘は助かったのか!?」
エレナは少しだけ、困った顔をしたが、すぐに元の凛とした顔に戻る。あの日に居合わせたの君なら、私は君には伝えなければならない義務があるな、と言った。
「助かった…、だが、死んだよ。もう5年くらい前に流行り病で。」
「死んだ…。」
「ロウガのせいじゃない。むしろロウガのおかげだ。感情を殺された彼女が最後に笑えたんだ。私の村では、皆、君に感謝している。」
…だが、あの娘は死んだ。
それだけが事実。
感謝されたところで、時間は戻らない。
「ロウガ。」
スッと、エリスが俺をやさしく抱きしめ、子供をあやすように背中を叩く。
「もう少し早く通りかかっていれば、もう少し早く決断していれば、色々迷うこともあるだろう。それでもあの娘は幸せだった。誰かに深い憎しみではなく、やさしくしてくれたという思い出を抱いて旅立ったんだよ。その思いをくれたのは、間違いなく君なんだ。」
情けない、と思った。
もうすぐ三十になろうかという男が、俺の半分くらいの少女の胸の中で泣いている。後悔と感謝と色々混じった感情をエレナ抱きしめられて。
気が付けば、夕焼け。
あの日と同じ空の色。
10/10/06 01:38更新 / 宿利京祐
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