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第二十三話・ジュネッス@想いの重さ
雨が降っていた。
僕は大地に倒れ、空を眺めている。
ぬかるんだ土の上、冷たい雨が矢のように突き刺さる。
僕を眺める愛しい人。
せめて、顔が濡れないようにと背中で雨を受け止める。
僕は…、負けた。
負けた原因はわかり切っている。
「サクラ……、何故…本気で来ない……。」


―――――――――――


「マイアさん…。一週間後に…、僕と……、戦ってください…。」
学園長に連れ回され、あわや童貞を失いそうになった夜、僕は彼女に戦うことを申し込んだ。
肩を貸してくれているマイアさんの息が止まる。
「………急、だね。」
「ごめんなさい…。前にも言いましたが…、僕は……あなたが好きです。心からあなたのことを愛しています。だからいつまでも…、あなたの弟分であることに甘んじていられません。こうやって抱きしめてもらえたり、支えてもらえたりするのは嬉しいんです。でも、それが恋人として…、でないのは僕はもう耐えられない…。」
グッと僕の腕を握る力が強くなる。
「…サクラ、私の…私たちの誇りとすることは知っているだろう?」
「うん、あなたを手に入れたかったら、あなたよりも強くなること。」
「そうだ。自分より弱い夫は………、いらない…………。」
「……はは、僕は失格ですね。」
「…ゆっくりで良いじゃないか。私は君のこと、嫌いじゃないよ。」
焦ることはない。
「…そう、ですよね。」
そう、ゆっくり強くなれば良いんだ。
「ああ、また身体が治ったら父上に稽古を付けてもらえ。シゴキは厳しいが、あれで父上も君のことを気に入っている。」
それでも僕の決意は変わらない。
「…一週間後に戦ってください。」
「……はぁ…、サクラ、君もしつこいね。」
「…お願いします。」
「…私も、罪深いね。君にこんなにまで想われているとは、ね。」
わかった、と言ってマイアさんは僕の頭をクシャッと撫でる。
「手加減は…、しないよ…。」
「…はい。」


―――――――――――


3日後、怪我が治った。
おそらく内臓とか細かい怪我は残っているけど、とりあえず動くのには支障がない。
4日目、軽い運動を始めた。
早朝マラソンを一人で始め、一人稽古を8時間無休憩で汗を流す。
5日目、学園長に組み手をしてもらおうと思ったが、生憎学園長は仕事で動けないという。
二人で考えた結果、アヌビス教頭とアスティア先生が僕の臨時コーチになってくれた。
アヌビス教頭が僕の体調管理や練習メニューを完全に管理してくれて、アスティア先生が僕と組み手をしてくれた。やはり一人稽古と違って、中盤から勢いがなくなって、ボコボコにされる。
6日目、アヌビス教頭のカロリー計算され尽くされた朝食を食べる。
料理などしたことがない、と言っていたがとても美味しかった。
そういえば、あの木の影から僕たちを覗いていた包帯の人は誰だろう…?
食事の後はアスティア先生に稽古を付けてもらう。
その間、アヌビス教頭はカロリー計算や練習メニューに不備がないか確認している。
今日が…、稽古出来る最後の日。
悔いが残らないようにアスティア先生に全力でぶつかる。
それでもどんどん不安だけが募る。
そして…、夜になった…。


星を眺めていた。
アヌビス教頭が定めた就寝時間はとうに過ぎてる。
アヌビス教頭はハンモックで熟睡している。
あはっ、涎なんか垂らしてる。
「眠れないのかい?」
「先生…、はい…。」
「暖かいミルクでも飲むと良い。よく眠れるようになる。」
「先生…、僕…、不安です。」
負けたら彼女はもう僕に冷たくなってしまうんじゃないか、負けたらどんな顔して彼女と接していけば良いのか、色んなことがどんどんマイナス方向に進んで膨らんでしまう。
「…君は欲張りだな。」
「欲張り、でしょうか?」
「欲張りだよ…。一つ手に入れたいと思うのなら、何かを捨てなければいけない。でも君は成功して手に入れるものはあっても、失うものはないんだから。安心して良い、あの子は私とロウガの自慢の娘だからね。君に勝って当たり前、だから君が負けてもあの子にとって君は可愛い弟分…、と口では言っているけどね。さてさて、本心はどうなのか…。」
だから恐れるな、と先生は頭を撫でる。
「ふふ、まだ不安なようだね…。じゃあ、一つ昔話をしてあげよう。
昔々、一人の不幸な女の子がいました。その女の子はすごく年上の旅人に憧れて、その人の背中だけを追い掛けて、旅人さんに思いを伝えました。」
「それの…、どこが不幸なんですか?」
「その女の子はね、死にたかったのさ。辱めを受け、死んでしまった方が楽だったのに旅人さんはその女の子を助けてしまって、女の子は絶望の人生を他人の人生を後ろから眺めるような人生を送ったのさ。そして旅人さんに思いを伝えたのは旅人さんに幕を下ろして欲しかったんだよ。復讐と憎悪と倦怠と…、色々背負い込んでしまったのに女の子は自害出来なかったんだ。何故だかわかるかい?」
「憎しみが…復讐を辞めさせなかった…から?」
「違うんだよ。女の子が自分で自分を終わらせられなかったのはね、燃え尽きる前の蝋燭のような誇りがそれを許さなかったんだよ。旅人さんの大きな背中が目に焼き付いて、いつだって女の子の絶望の中で支えていたのさ。そして旅人さんも想いに応えた。それこそ、色んなものを、自分の人生すら犠牲にして女の子を受け止めたのさ。今でも旅人さんは右目が見えなくて、右手が動かないし、子供が乱暴に扱ったようなボロボロの人形みたいに傷だらけ。」
星を見ながら、先生は微笑む。
「その女の子と旅人さんって…。」
「さて、誰だろうね。」
知らぬ存ぜぬ、言わぬが華だよ、と先生は言った。
「だから君と娘が少し羨ましいね。何一つ犠牲にしない勝負が出来るのだから。」
「…欲張りでしたね、ほんと。」
「ふふ、若いんだから、迷うこともあるさ。」
さぁ、もう遅いと先生は僕を促しテントへ帰る。
僕たちは失うものは何もない。
でも…、僕は…、あの人たち程の覚悟があるのだろうか…。


―――――――――――――


雨が降っている。
嫌な天気だ。
ただでさえ、迷いが生じているのに心がどんどん重くなる。
「時間通りだな。」
「うん。」
場所は学園裏の森の中。
あの日僕が道を誤った場所。
立会人はアスティア先生。
学園長はやはり仕事で出て来られないらしい。
「…母上、ごめんなさい。勝手に決闘を決めてしまって。」
「いや、謝らなくて良いよ。むしろ私は嬉しいよ。良かったな、お前のことを真正面から見てくれる子から申し込まれて。」
「ありがとう…、母上。」
先生はマイアさんを抱きしめる。
「ごめん、サクラ。すっかり待たせてしまったね。」
「ううん、待っていないよ。」
僕は…、迷っている。
自分の中に、何も失うものはないのに、ただ得るだけだというのに、心が重い。
僕は…、彼女の心の中にいる資格があるのだろうか。
軽く考えていたのかもしれない。
ただ好きだ、マイアさんと一緒にいたい、それだけで挑んだ。
仲の良い弟分ではなく、恋人として見てほしいというエゴ。
僕には…、中身のない覚悟しかなかった。
今更気付いてしまうなんて…、僕は…。
きっと彼女は覚悟がある。
もしもの結果、僕に負けてしまっても、彼女は僕のものになる。
彼女はすべてを僕に預けてしまうだろう。
そんな覚悟を持って臨んでいるはずだ。
僕に彼女のすべてを受け入れる覚悟があるのか…。
疑問しかない。
「どうした…、具合でも悪いのか?」
「そんなことは…、ないよ…。」
動揺しているのが、ありありだ。
「サクラ、あまり気負うな。私だって緊張しているんだから。」
「マイアさん、僕は……!」
あなたを好きでいる資格がありますか…。
叫びたかった。
迷いが不安に変わる。
「サクラ、今だから言うけど……。私も君が好きだよ。弟分でもなく、小さな女の子みたいな男の子だからでもなく、君のことを、上を向いて歩き出したサクラが好きだ。だから、私に勝ってほしい。もちろん、手は抜かないぞ。」
照れたように笑いながら、マイアさんは腰の木刀を抜く。
「あ………。」
ダメだ…、もう何も言えない。
僕は迷いと不安を抱えたまま彼女と戦う。
ふと見ると、先生は僕の変化に気が付いたみたいで、心配そうな顔をしている。
「始めようか…、愛しい人。」
「……うん。」
互いに構える。
ガランドウな僕は何が出来るのだろうか…。


―――――――――――――


「サクラ、何故…、本気で戦わない!」
マイアさんが泣いている。
一合も出来ず、彼女の木刀による一閃で僕は泥の上に倒れている。
「私が好きだと言っていたじゃないか!私に…恋人として見てほしいと言っていたじゃないか!あれは……、嘘だったのか!!」
「…僕は、あなたを好きでいる資格が…、ありますか?」
「サクラ…、何を言って…!?」
「ずっと考えていました。僕にあなたのすべてを受け入れるだけの覚悟があるのか。僕はあなたの人生を縛っても許される程…、価値がありますか?僕はまだ答えが出ない…。ずっと好きでした。泣きたくなる程、狂って道を踏み外してしまう程、あなたの弟分で甘えてしまっても嬉しい程に好きです。でも…、僕にはまだ、覚悟がなかった。あなた一人背負っていける、そんな覚悟が…、勇気が振り絞れなかった。」
だから、僕には資格がないと気付きました。
「……馬鹿。」
いつも、そうしてくれたようにやさしく抱きしめてくれる。
僕は結局彼女のやさしさに甘えてしまっていた。
「……何年でも時間をかければ良いじゃないか。私を倒して、自分のものにしてしまえば良いのに…。君は…本当に馬鹿だな。」
「僕にとって、マイアさんは神聖です。この世のどんな神々より、この世界のどんな法よりも欺いてはいけない人なんです。」
だから…、どうしようもない袋小路に迷い込んだんだ。
アスティア先生も目を閉じてジッと聞いている。
僕の葛藤を初めから知っていたように…。
「覚悟、自分の中から見付けたいか?」
木の陰から学園長と教頭先生が顔を出した。
教頭先生の手には薬箱。
「ロウガ、仕事は良いのかい?」
「すぐに戻らなければいかん。それよりもサクラ…。」
学園長が素面で、初めて僕の名前を呼ぶ。
「は、はい!」
「…知りたいか?お前がいまだ持てない覚悟を知りたいか?」
「僕は…知りたい。空虚な覚悟じゃなく、サイガのような気高い覚悟が欲しい!マイアさんを背負っていけるだけの男になりたいです!学園長…、いやロウガさんの辿り着いた場所に僕は行きたい!!」
「…アスティア、話したのか?」
「少しだけ、ね。」
ロウガさんは仕方ない、という顔をした。
「サクラ、なら町を出ろ。」
「…僕は邪魔なんですか?」
「阿呆、邪魔なら殺すさ。旅に出ろと行っているんだ。1年…、いや2年くらい町の外をその足で、曇りなきその眼で、世界を見て来い。この町で得られる知識など…、アヌビスに悪いが鼻紙より価値がない。真に価値があるものは常に外にある。そこでお前は見るはずだ。俺がアスティアのために何をしたか、俺が学園を作ろうとした理由も見えるはずだ。それがお前にとってマイアを守っていく覚悟を固める材料になるだろう。」
路銀は全額支援してやる、と言ってロウガさんは背中を向けて帰っていく。
「…あんな父上、初めて見た。」
「余程、サクラ君を気に入ったみたいだね。」
「アスティアさん、薬箱持って来ましたけど…治療は必要ですか?」
「ああ、打撲だけど…、膏薬をもらっておこうか。」
旅に出ろ。
彼女たちの会話が耳に入らなかった。
不安と迷いの中で刺した一筋の道。
僕は今まで漠然とマイアさんを守っていきたいと思っていた。
もしもそれに中身を得られるのなら…。


―――――――――――


深夜の学園長室。
すでに学園の中には誰一人いないというのに、灯りが点いたまま。
「ロウガ…、生きているか?」
部屋の中ではロウガがソファーに座って、本を読んでいた。
どうやらだいぶ仕事が片付いたらしい。
「ああ、アスティア。すまんな、なかなか終わらなくて…。」
「良いんだ、お疲れ様。監視役のアヌビスはどうしたんだい?」
「今、宿直室でシャワー浴びてる。」
「……ロウガ、相当あの子のことが気に入ったんだね。」
何だそのことか、とロウガは笑う。
「気に入りもするさ。あんなに真っ直ぐに俺の娘に惚れ込んで、しかも自分の覚悟のなさにまで気付くようなクソ真面目な餓鬼。我が娘ながら、良い男の原石をよく拾ったものだ。」
「だから…、鍛えたのかい?」
「ああ、あいつなら…、成長次第じゃ俺の代わりにこの学園を守っていける。」
「寂しいことを言わないでほしいな…。」
「馬鹿、あいつとマイアに跡目譲って、俺たちは一生左団扇であいつらの孫にたくさん囲まれて楽隠居出来る、そう言ってるんだ。」
「…ふふ、それは楽しい話だね。」
「ああ、そうなったら…、楽しいだろうな。」
何か嘘を吐いている。
でもロウガが言う未来がそうなったら嬉しいなと思ってしまう自分がいる。
私は気が付かないフリをしてロウガに微笑む。
きっと……、ロウガも苦しいんだ……。
それなのに私たちの前ではあまり弱音を吐かない。
ロウガを抱きしめ、彼の背中を子供をあやすように叩く。
私に初めてそうしてくれた時のように…。
「ロウガ…、ありがとう。私はあなたが、遠い地平から来てくれて良かった。あなたのおかげで悪夢は断ち切られた。」
「…何だよ、急に。」
「何でもない…。何でもないさ…。」
どれだけ彼は私たちのために身体を盾にしてくれただろう。
どれだけ彼は娘の成長を喜んでくれただろう。
私は感謝を表す言葉が見付からない。
「ロウガ、今夜…、あの子に私のことを話すよ。アスティアを…、エレナを…。次世代に…、私も賭ける時が来たみたいだ。」
10/10/28 00:17更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
ネジを…締めすぎたか…?
そんな訳でシリアスパート始まりました。
ロウガも真面目、サクラは悩み多き思春期…か、これ…?
次回、サクラ旅立ちの時!
最終話まで…後何話続くんだろう…?
今やっと折り返し…のような気がしてならない作者でした。

さて最後になりましたが
ここまで読んでいただきありがとうございました!

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