第二十一話・譲れないものがそこにある
「おい、サクラ。自分で何を言っているのかわかっているのか?」
「うん、僕は…、本気だよ。」
「…良いか。今ならまだ間に合う。『ごめん、冗談。』っていつものように言えば…、俺も笑って、いつものように帰りに駄菓子屋行って、遊んで帰ることが出来るんだがな…。」
俺は…、努めて冷静な口調でサクラを諭す。
「冗談なんかじゃ、ない。僕は…、サイガと戦いたい!」
「サクラ、易々と戦いたいなんか口にするな!」
「それでも…、僕は戦いたい!!」
強い目だ。
一ヶ月前までなかった強い目がそこにある。
「引くつもりは…、ないな?」
「僕は、サイガとマイアさんとコルトに…、ふざけて物を言う舌は持ってない!」
ホームルームが終わって帰宅しようと席を立った俺に、サクラが果し状を叩き付けた。
サクラらしい細く繊細な字。
だが、そこには決意がある。
真っ直ぐに俺を見る勇気ある強い目が、諦めないと言っている。
「……わかった。受けよう…。受ける限りは…!」
「もちろんだよ。僕はどんな結果になっても構わない。」
「今夜、九時に校庭か…。他に場所はないもんな。」
「うん。サイガ、槍は…、本物で頼む。」
「…そこまでさせる程か。お前の決意は…。」
「…命を賭ける価値がある。僕にとってサイガと戦うことはそれだけの意味があるんだ。」
あの弱々しかった少年じゃない。
目の前にいるのは、立派な戦士になって帰ってきた一人の男だ。
「わかった…、もう何も言わない。じゃあな、俺は一度帰る。」
「ああ、また…、後で。」
胸が高鳴った。
不思議な程、喜んでいる自分に嫌悪した。
―――――――――――
子供の頃の話だ。
僕がマイアさんに希望を与えられた頃と同じ頃、僕はサイガにいじめから助けてもらった。
「へへ、女の子は助けてやれって、死んだ母ちゃんが言ってたんだ。」
僕を女の子と勘違いして、サイガは助けてくれた。
僕はいつも弱くて、卑屈で、陰鬱で…。
だからよくいじめられていた。
それでもいつだって
「オラァァー、お前ら、サクラに手を出すなぁぁぁ!!!」
サイガがいつだって一番に駆け付けてくれた。
「良いか、俺がサクラを守ってやる。コルトも、マイアもみーんな俺が守ってやるから、安心しろ!」
サイガはいつも笑ってくれた。
いつだって僕を見捨てなかった。
だから、サイガはいつだって僕のヒーローだった。
サイガみたいになりたい。
それがいつか道を誤った。
それでもサイガは許してくれた。
そんなサイガが僕に見せた剥き出しの敵意。
僕は初めて僕であることを誇らしく思えた。
僕はやっと…、サイガに認められたんだと…。
古い話だ。
母親が死んで…、悲しみをやっと乗り越えた頃に俺はサクラに出会った。
いじめられている女の子を助けたと思ったら、そいつは男だった。
笑っちまう話だよ。
何だか放っておけなくて、あいつがいじめられているのを見るとすぐに蹴散らした。
あいつが泣きながら帰り道を歩いているのを見ると、すぐに相手を見つけ殴った。
いつ頃だったか、コルトやマイアにも出会った。
何故かウマが合って、今でも友人…、コルトとは俺と愛し合うようになった。
俺は守るべきものが増えた。
死んだ母親との約束。
「誰かを守っていける、そんな男になりなさい。」
今でも実行中。
律儀な話だよな、それともマザコンか?
俺が…、みんなを守っていく。
それが俺の、自分だけの誓い。
なのにサクラは…、
今まで守られるだけだったあいつが、
俺の手の届かない場所に行こうとしている。
強くならなくて良いんだ。
お前もコルトもマイアも俺が守ってやるから…!
そうでなければ俺は何のために強くなったのか…。
…………。
そろそろ時間だ。
俺は愛用の槍を、ハルバードを手に取る。
俺は…、こいつをサクラの血で汚すのか…。
俺に…、それが出来るのだろうか……。
―――――――――――――
「え〜、おせんにキャラメル〜アンパンにビールはいかがっすか〜♪」
「あ、ルナ先生、私アンパンとお茶くださ〜い!」
「はい、まいど〜♪」
…………。
「良い席あるよー、最前列で見れる席あるよー!」
「ちょっと、アキ先生。それ値段吹っ掛けすぎ〜!」
…………おい、サクラ。
「ミルク〜、ホルスタウロスの冷た〜いミルクはいかが〜♪」
「ちょっと、アスクー!アタシの商売邪魔しないでー!!」
「うふふ、あなたの胸じゃ、ちょっと考え付かなかったでしょ〜?」
「ムキィー!!!」
…………何の騒ぎだ、これ。
「ロ、ロウガ…、すごい人出だね…!」
「うむ、宣伝した甲斐があったな。」
「…父上、人の決闘を茶化すのは良くないぞ。」
「はっはっは、マイア。焼きイカ頬張って言う台詞じゃないぞ。」
もう限界だ、切れるね!
「待てよ、お前ら!そもそも、何でこんなに人が集まってんだぁぁ!!!」
「…ごめん、サイガ。夜の校庭を使うから学園に申請出したら、こんなことになっちゃって…。」
「お前は律儀すぎだ!!」
よくアヌビス教頭が許したなぁ、おい。
げ…、アヌビス教頭が…、酔い潰れている!?
学園長の膝枕で良い夢を見ていそうだ…。
「ロウガひゃ〜ん、もう飲めにゃいれすよ〜♪」
うわぁ…、あんなユルユルな表情初めて見た。
「クックック、ぶっちゃけな、優秀な人材をムザムザ失う訳にはいかんのでのう。どうだ、これなら殺意なんてぶっ飛ぶだろう。」
「学園長、あんた、俺がどれだけ覚悟してここまで来たと…!」
「ハン、人を殺したこともない餓鬼が覚悟とか言うなよ。」
「あんたは…!」
「あるさ。何人殺ったかもわからん程な。」
……………さすが。
眼力だけで何も言えなくなってしまった。
「これでも苦労したんだぞ。反対するアヌビスをあの手この手で搦め手で懐柔して、さらに文句出ないように酔い潰すのにどれだけ酒が要ったか。こいつ意外に酒豪だったぜ。」
「…という訳なんだよ。僕も反対出来なかったんだ。」
「納得した…。」
このメンバーが集まったんじゃ、サクラ一人が反対出来る訳もない。
「ルール無用、大いに結構。だがな、立会人もなく果し合いするのは止めておけ。勝っても負けても自慢にならんし、何よりお前らは俺の生徒だ。俺の息子も同然だしな。死なれちゃ困るんだよ。ほら、起きろよ、アヌビス。仕事だぜ。」
耳の裏を撫でられ、ビクッと跳ね起きるアヌビス教頭。
一瞬何があったのかわからない表情をしていたが、口元の涎を拭いて、いつものように取り澄ました顔になる。
酔いが醒めたらしい。
「…コホン。では、これより私、アヌビスがこの決闘を仕切らせていただきます。両者はお互いの誇りにかけ、正々堂々と戦ってください。」
バンババンバンババババンババン
ガシガシガシドンドンドンドン
ぱららっぱっぱぱ、ぱっぱら〜♪
爆竹が破裂し、メガホンと太鼓が盛大に叩かれ、ラッパが音を出す。
完全にお祭り扱いだな…。
いつの間に作ったのか、巨大な応援旗まで用意して…。
誰が振っているんだか。
「両者、中央に!」
アヌビス教頭の指示で俺たちは校庭に用意されたマットに上る。
対じしてわかる。
サクラは…、強くなっている。
胴着から覗く腕は以前よりは太くなった。
前に襲われた時みたいな張り詰めた雰囲気もない。
自然体になっている。
逆に自分に気負いがあると自覚してしまう。
俺は…、こいつに負けたくない。
ハルバードを握る手に力が入る。
『さぁ〜、始まります。男と男の意地を賭けた勝負、ノールールデスマッチ!実況はワタクシ、バフォメットでお送りいたします。本日はゲスト解説にノールールデスマッチの第一人者、ウルフ沢木さんをお迎えしております。今日はよろしくお願いします。』
『よろしく、解説のウルフ沢木です。後、君の喋り方、キモいよ?』
『やかましいわ。ウルフさん、今日の見所は?』
『サクラ少年が、サイガ君の攻撃にどれだけ反応出来るかが鍵になるでしょうねぇ。正直、私はサクラ君圧倒的に不利、と見てますがね。さっき賭けをやってたのでサイガ君に手持ちの金、全部賭けました。』
『ちょ、何故ワシを誘わなかったのじゃ!ちょっと、胴元のお兄ちゃん!!ワシはサクラに今月の給料半分賭ける!!!胴元のケツの毛までむしってやるわー!!!!』
…入りかけた殺意が一気に抜ける。
『どうだ、この空気の中で殺し合う気にはならんだろう?お前らは殺し合いなんか似合わん。身の丈超えたことは止めておけ。良いじゃないか、意地の張り合いでも…な?殺しは大人になってから。わかったか?』
学園長はニヤリと俺を見る。
『安心せよ、例え瀕死の重傷でもうちには優秀なスタッフがたくさんおるからのう!即死であっても構わん。その時はワシ直々に改造しゅ…いやいや、ちょっと危険な黒魔術で生き返らせてやるわい!!』
バフォメット先生の一言で一気に不安になる。
「…ロウガさんではないですけど、殺す殺されるは、あなたたちにはまだ早いですよ。憎しみ合っていないのでしょう?それなら譲れない思い同士、正々堂々真正面から戦いなさい。」
「…はい。」
「はい。」
アヌビス教頭が手を大きく上げる。
騒がしかった周囲が一気に声を潜めた。
緊張している。
まるで初めて戦う相手みたいな感覚だ。
「無制限一本勝負、開始!」
手を振り下ろし、アヌビス教頭が後ろに飛びのく。
何かに弾かれるようにサクラが迷いもなく、低く疾る。
俺は突きを繰り出し、迎撃する。
―――――――――――
「…一応、お望み通りになったぜ。」
「ごめん、学園長。」
「気にすんな。」
サクラが校庭使用許可の申請を出した直後だった。
ミノタウロスの少女が学園長室に飛び込んで来た。
ミノタウロスの少女、コルトはサクラとサイガの決闘を止めてくれと俺に懇願してする。
運が悪ければ、サイガがサクラを殺してしまう、と泣きながら訴えた。
決闘を止めるのはやぶさかではない。
だが、それによって当の本人たちの心が袋小路に嵌ってしまうのは目に見えている。
少女を家に帰した後、どうしたものかと悩んで、アスティアに相談した。
「それなら殺気を削げば問題ないんじゃないかな?」
「それが出来たら悩んでいない。」
「だったら私たちを思い出せ。お互い殺す気になったのはどうしてかな?」
「そりゃ…、人目もなかったし、お互い相手のことしか頭になくて…、あ。」
「そういうことだよ。人目があって、お互いのことだけ考えないようにすれば良いだけなんだよ。そもそも憎しみでの決闘じゃないんだろ?だったら…、ロウガ好みの派手な方法でやれば、やる気が削げると思うよ。」
さっすが俺の嫁。
そんな訳でこんなお祭り騒ぎを作った訳である。
仕込が大変だった…。
リング作ったり、町中にチラシを配ったり、客席作ったり…。
「…大丈夫かな。」
「何だ、嬢ちゃん。心配なのか?」
「だってさ、サイガはあたしの…恋人だし、サクラもあたしの友達だしさ。二人ともいなくなってほしくないんだよ…。」
「大丈夫、これだけ揃えりゃ死人は出ねえよ。それにな、小僧…、いや、サクラは易々とくたばるようには鍛えてないぞ。」
「でも、あいつは素手じゃんか!!」
「俺も素手だ。あいつにはそれだけ叩き込んである。」
…もっとも、仕事の都合で中途半端にしか鍛えていないことだけは黙っておこう。
結局、必殺技の一つでも…、と言ったものの物に出来た技はなし。
後はどれだけ誤魔化せるか、それが腕の見せ所だぞ。
頑張れよ、小僧。
―――――――――――
近付けない。
攻め込めてはいるけど、肝心なところでいつも防がれている。
後一歩踏み込めたら、状況が変わるかもしれないのに、その一歩が何て難しいことか…。
『凄まじい槍襖ぁ!ウルフさん、サイガ君は素晴らしいですねぇ。』
『そうですね、非常に良い技術を持ってます。槍の基本は待ちと相手に近付けさせない、相手の間合いの外から突付くですからね。彼の持ち味は実に基本に忠実で癖のない技術、これに尽きますね。』
『なるほど〜、ではそれに対してサクラ君はどう見ますか?』
『クックック、ハッキリ言ってダメですね!』
クソ…、好きなように言ってくれる。
僕だって、必死になっているのに…。
『あー、サクラ、何をしておるのじゃ!!ぬしに賭けた給料半分、負けたら三倍返しで貴様に請求するぞー!!!死んでも前に出て殴れぇー!!!!』
『あっはっはっは、実況になってねぇぞ。オラァ、サイガァー!!!テメエに有り金全部賭けたんだから、さっさとぶっ殺せぇぇー!!!!』
……今まで学園長は鬼みたいな人だと思っていたけど、違った。
この人は人の皮を被った悪魔だ。
「はは、まったく…、うちの教師どもは…、好き勝手言ってくれるぜ。」
「そうだね。」
サイガの槍が止まる。
「…楽しいなぁ、サクラ。」
「うん、戦える相手がいるって…、こんなに楽しかったんだ。」
「だがよ、俺はまだ認めてねぇ。お前は強くなっちゃいけないんだ。」
サイガの得意の下段構え。
本気で決めに来る…!
「これからも…、ずっと俺がお前たちを守ってやる。だから、もう終わりにしようや。」
「…嬉しいよ。僕だってそう思ってもらえるのが嬉しかった。でも、僕は知ってしまった。自分の殻の向こう側を…!僕はもっと先の世界を知りたい!!」
「じゃあ、寝たきりにしてでも、俺は俺の信念を貫いてやる!」
「僕はもう守られるだけの僕じゃない!!」
ハルバードの斧が下段から斬り上げられる。
疾い!
でも、マイアさんの疾さには及ばない!
踏み混みをずらしつつ、前に出る。
上がり切ったところに、まずはボディに一発を…!
「甘い!」
ズブッ…
「え…!?」
左肩に鈍い衝撃。
槍が上がり切らずに、僕の肩に叩き付けられ、ハルバードの鉤で引き切られた。
「ぐあぁ!!」
痛みに足元が乱れ、思わず後ろに下がる。
鎖骨に…ヒビが入ったか!?
そしてその決定的な隙を見逃すサイガじゃなかった。
「もらったぁぁー!!!」
鉤で引き切った槍は十分にためを作り、力を蓄えていた。
常に防御体勢を取り、無駄な体力を使わずにいたサイガが初めて前に出る。
大きく踏み込む。
斧が…左の脇腹に突き刺さる。
斧を引き抜き、槍の穂先が心臓を襲う!
「クッ!?」
間一髪で半身に避け、心臓への直撃を回避するが、ぬるりとした流れ落ちた血に足を掬われた。
完全に避けることが出来ず、怪我を負った左肩に直撃する。
今度は……、衝撃で完全に鎖骨が折れた!
「どうだ、まだやるか!」
倒れそうになるのを突き刺さったハルバードを支えに無理矢理立ち続ける。
力が抜ける…!
呼吸が乱れる…。
怖くて、逃げたくて、身体が震える…。
ここで止めれば…、僕は死ななくて済む。
このまま目を瞑ってしまえば………。
「サクラァァァァッ!!!!諦めるなぁぁぁぁ!!!!!」
ああ……、マイアさんの声がよく通るなぁ……。
諦めるな……、か。
そうだ……、諦めるな……!
何のためにここまで鍛えてきたのか!
僕は、サイガと肩を並べたかった!
僕は、サイガに認められたかった!
僕は、自分自身を超えたかったんだ!
「僕は…、まだ終わってない!」
消えてしまいそうな力が身体に戻ってくる。
「…!?」
「もう守ってもらうんじゃない!サイガの背中くらい、僕が…、守ってみせる!!」
「ナマ言ってんじゃねぇ!!テメエは俺が守ってやる!コルトも、マイアもみんなだ!だからさっさと諦めてしまえ!!」
「じゃあ、サイガは誰が守るんだ!親友なんだろ!それぐらいさせてくれよ!」
槍が突き刺さったまま、さらに踏み込む。
身体の反対側に貫通するが、構わない。
「な!?」
不意を突かれたサイガの胃に右足のつま先が入る。
サイガの胃の中の物が逆流する。
「ウッ!」
思わず槍から手を放し、口を押さえるサイガ。
僕ははそこを見逃さない。
「でりゃぁぁぁ!!!」
顔面に右のハイキックが直撃する。
サイガはたたらを踏む。
ここで、さらに追撃を……。
ずるっ
「うわ、また!?」
自分の流した血でまた滑った。
大きく踏み込んだせいで制御不能なくらいに力が抜ける。
「なめるなぁぁー!!!!」
上から被せるようにサイガの拳が顔面にめり込む。
「ぅおおおあぁぁぁぁぁ!!!!!」
そのまま投げ落とすように振り抜き、僕は後頭部からマットに叩き付けられた。
―――――――――――
サイガはギリギリのところで意識を保っている。
すでに急所の鳩尾を突かれ、足は棒のようになり、顔面に食らったハイキックで脳が揺らされて、視界が揺れている。
自分の攻撃で槍はサクラに突き刺さったまま折れて、もう使い物にならない。
サクラを殴った右の拳が、おそらく折れている。
口からは血なのか、吐瀉物なのかわからないものが流れている。
とてもではないが、普段のクールな天才の面影はない。
リングサイドに恋人のコルトが駆け寄った。
「サイガ!」
「…ん、ああ、コルト。終わったよ。」
やっと終わった。
これで変わらない日常に戻れるとサイガは信じていた。
自分がサクラを、コルトを、マイアを守っていけるという確信を持ち、これでまた一つ強くなれると信じていた。
そうでなければ、自分を見失いそうでサイガは怖かったのである。
右腕を大きく掲げ、勝ち名乗りをする。
集まったギャラリーは割れんばかりの歓声と拍手を彼に浴びせた。
誇らしかった。
サイガはマットを降りようとする。
今日はゆっくり寝よう。
きっとサクラも明日には目が覚めて、自分の気持ちもわかってくれる。
そう信じた。
『おいおい、サイガ少年。もうお帰りかね?』
ロウガが実況席から声をかけた。
『アヌビスが勝者を宣言したか?宣言していない以上、まだ終わっちゃいないぜ。』
「終わって…、いるだろ…。あの手応えなら…、明日まで目が覚めない。」
『クックック、そうだろう、そうだろうよ。でもな、マットをよく見ろよ。』
「何…を……!?」
サイガは信じられないものを見た。
サクラがゆっくりと、ガクガクと身体を震わせながら立ち上がろうとしている。
『あいつはな、俺の特訓中常にボコボコにされてきたんだ。それはたまに町の自警団の連中から児童虐待の疑いを持たれる程にな。その結果、あいつは強さこそ並みより上くらいだが、耐久力と回復力だけが異常に発達したんだ。今じゃ、俺の必殺技を全力で受けても、ものの数分で起き上がれるぜ。』
「…コルト、ごめん。すぐに戻る。」
サイガはマットの中央に戻る。
完全に起き上がる前に再びとどめを刺すために。
―――――――――
き…、効いたぁ…。
うまく立てない…。
まだ頭の中がフラフラして、目の前がグニャグニャ。
ああ、そうか…、後頭部から落ちたんだ…。
何とか立たないと…、サイガがとどめを刺しに来る。
でも、打つ手がない…。
こんなんじゃ…、正拳も回し蹴りも何も打てない…。
何も…。
………いや、まだあった。
一度しか成功したことがないけど…、まだ武器がある。
右腕の魔術の刻印に集中する。
僕自身にあまり魔力がないせいか、刻印は弱々しくぼんやり光る。
……目を閉じて集中しないと感じられない魔力だけどないよりマシ。
「サクラ、もう立つな。」
無理だ。
それはサイガの言葉でも聞けない。
まだ…、僕には手札が残っているのだから。
残る力を振り絞って、立ち上がる。
「立つな!」
サイガの左フックで顔面を捉えられる。
あまり力が入ってないが、その勢いに流され倒れそうになる。
必死で倒れないように踏ん張る。
次倒れたら間違いなく動けなくなる。
「サイガ…、僕は…、まだ負けてないよ。」
やせ我慢で強がる。
学園長の話を聞いていて良かった。
僕たちは競技者じゃない…。
僕たちの勝敗はいつだって…、心が折れた時なんだ!
「サクラ…、お前は何故こんな勝負に拘る!今までのようにしていれば良いじゃないか!?その方がお前は傷付かない。お前たちが傷付かないためにも俺が強くあれば良いじゃないか!!」
「拘るよ……。僕の目標なんだ……。サイガと肩を並べたい。サイガがそうやって自分を追い込むから、僕は君と対等でありたい!そうでなければ、僕はマイアさんを好きでいる資格がない!!僕は守られるだけでいるのは、もうごめんだ!!」
お互い、ボロボロだ。
僕なんか次の一撃が打てるかどうかわからないくらいだ。
「わかった…。お前の回復力が異常と言うのなら、遠慮なく叩き込む。」
サイガが左の拳を握って、大きく振り被る。
「僕だって…、やってやるさ!伊達に学園長から生き残っていない!!」
右腕に力を込め、必死で残った力を掻き集めて足に伝える。
「ぅおおおおおおおお!!!!!」
「えやぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
遠心力の効いたフックが避けられない僕の顔面にヒットする。
僕の右拳は小さな軌道でサイガの鳩尾にめり込んだ。
「これが……、お前の限界だ!!」
「ごめん…、まだ…だよ…。」
頭の中で引き金を引くイメージを起こす。
右腕の刻印が光る。
「弾けろ!!!!」
拳のサイガに接触した部分から激しい炎が爆発する。
「がはっ!!!!」
衝撃でサイガが後ろに弾け飛ぶ。
ハハッ…、やった…、大成功…。
でも…、もう立ってられないなぁ…。
―――――――――――
「両者、戦闘不能によりドローとします!」
「サクラ!」
アヌビス先生の宣言よりも先に、気が付けば私はマットの上に上がっていた。
倒れそうになるサクラを後ろから抱きかかえる。
「……あ、マイアさん。僕……、やっとここまで来れたよ。」
「ああ…。ああ、よく頑張った。」
サイガの元にもコルトが駆け寄る。
ああ、良かった…、二人とも無事だ。
「…マイアさん、汚れちゃうから、離れて…。」
「…馬鹿、私がそんなこと気にすると思うか。」
「でも…。」
サクラの無事を喜んで、彼が無性に弱々しくて強く抱きしめたくなる。
「く、苦しい…!」
「我慢しろ。」
「……クッ、コルト…。」
サイガも気が付いたらしい。
「サイガ…、あんたはよくやったよ。でもね、私もサクラと同じ意見さ。あたしは守られたくない。お互い支え合って、あんたと生きていきたい。そんな風に自分を追い詰めないでくれよ。」
「…譲れなかったんだよ。俺…、負けたのか?」
「結果は引き分けさ。覚えてないのか?」
「最後のは効いたからな…。」
「ほんとに…、男ってさ、馬鹿だよ…。」
抱きかかえられるサイガ。
良かった、これで元の鞘だ。
「よう、サクラ。女の子に抱きしめてもらって、良いご身分だな。」
「そっちだって、同じじゃないか?」
「んで、帰ったらそれをネタにトイレに駆け込むのか、ミスターG。」
「ちょっと!!今そんなこと言わなくても!!!」
サクラの噂を思い出して、ちょっと恥ずかしくなる。
まぁ、年頃の男の子だし、せ、せ、性には興味あるだろうし…。
「良いだろう、こっちはたゆんたゆんだぜ。最近、前よりも大きくなって揉み心地が素敵なことになってるぜ。」
「羨ましくないもんね。マイアさんの魅力は何といっても『つるぺた』だからね!今ここでサイガと決着付けてもたわば!!!!!」
べきっ(肘
人が…、気にしていることを…!
「お、おい!だ、大丈夫か…!?」
「…ごめんなさい、調子に乗りすぎました。」
「プッ……、アハハハハハハハ!!!!」
「ヘヘヘ…。」
マットの上で笑い合う。
「…すっきりしたよ。俺の負けだ。」
「…勝ってないよ。引き分けだもん。」
「お前…、強くなったよ。まだまだ俺の足元にも及ばないけどな!」
「馬鹿。そういう台詞は自分で立てる状況で言えよ。」
「サイガ、私もコルトと同意見だ。」
これから少しだけ状況が変わる。
サクラとサイガが対等になる。
そんな関係が少しだけ…、羨ましいと思った。
「…いやー、損した損した。」
「父上は不謹慎だ。大損してしまえ。」
「だが、良い物は見れたな。良い勝負だった。」
アヌビス教頭や周囲の観客が退散し出した頃、学園長がマットに上がってきた。
アヌビス教頭は後片付けの陣頭指揮を執っている。
バフォメット先生は大金を手に入れて大ハシャギしている。
「小僧、これからも精進しろ。その程度では先行き不安だからな。」
「押忍!」
学園長にサクラは敬礼をする。
山篭り中の関係が目に見えてくる。
「さて、サイガ少年。」
「はい…。」
「これまでの信念を砕かれた気分はどうだ?」
「…何というか、少し気分が良いです。」
「その気持ち、忘れるな。第一、親友たちを守り続けると言っても、もうすぐ父親になろうかという男が、それは無理というものだ。守るなら家族のために力を付けろ。家族のために踏ん張れ!それが男の仕事だ、良いな?」
…………は?
父親?
誰が?
俺が?
「ちょ、学園長!!それはまだ内緒だったんだ!!!」
「へ……、言ったら不味かった?」
「不味いんだよ!!あたしの両親も見に来て……!!!!」
「コルト…、俺…、父親になるのか?」
「…そうだよ。だからあたしは学園長に頼んだんだよ。2ヶ月だってさ。」
こんな状況で知らされた衝撃の事実。
ああ、それで最近胸が大きくなったのか。
「…迷惑か?」
「…いや、驚いただけだ。あのさ…、こんな状況で言うのも何だけどさ、結婚しよう!学園辞めてでも働いてお前を食わして、いや、家族を守っていく!だから…!!」
「サイガ…。」
「コルト…。」
カンカンカンカン
「はいはい、ラブラブすんのは家に帰ってからにしろー。」
学園長がどこから取り出したのか鍋とすりこぎを叩く。
ちっ、空気読めよ、おっさん。
「俺は別に構わんが、お子様二人がショート寸前だ。」
「へ…、ああ!!マイア、サクラ!!大丈夫か!?」
サクラとマイアが茹蛸のように真っ赤になってる!
こいつら…、ここまで免疫がなかったのか!?
「後、安心しろよ。嬢ちゃんの親御さんは了承済みだ。俺が早とちりして、すでにお祝いの品を持っていってしまったからな。」
だから!!!
「あんたは余計なことをするなぁぁぁぁぁ!!!!」
少し休んで動くようになった身体で学園長に殴りかかる。
「はっはっは、元気があって大変結構である!」
ズビシッ(蹴
「ぐあぁぁぁ!!!!」
「「「サ、サイガァァァァァ!!!!」」」
「就職先を探すのなら、うちで雇ってやる。ありがたく思え。」
怪我人になんて容赦のない蹴り。
サクラ…、お前に同情するぜ…。
父親かぁ…。
親友が強くなったり、
恋人のお腹の中に命が宿っていたり、
自分の中のわだかまりが解けたり、
俺は一人じゃなかったんだって、
今更ながらに感じたり、
ほんと
変な一日だったぜ。
サクラ…、これから守ってやれない。
だから、お互い頑張っていこうや。
な、相棒。
「うん、僕は…、本気だよ。」
「…良いか。今ならまだ間に合う。『ごめん、冗談。』っていつものように言えば…、俺も笑って、いつものように帰りに駄菓子屋行って、遊んで帰ることが出来るんだがな…。」
俺は…、努めて冷静な口調でサクラを諭す。
「冗談なんかじゃ、ない。僕は…、サイガと戦いたい!」
「サクラ、易々と戦いたいなんか口にするな!」
「それでも…、僕は戦いたい!!」
強い目だ。
一ヶ月前までなかった強い目がそこにある。
「引くつもりは…、ないな?」
「僕は、サイガとマイアさんとコルトに…、ふざけて物を言う舌は持ってない!」
ホームルームが終わって帰宅しようと席を立った俺に、サクラが果し状を叩き付けた。
サクラらしい細く繊細な字。
だが、そこには決意がある。
真っ直ぐに俺を見る勇気ある強い目が、諦めないと言っている。
「……わかった。受けよう…。受ける限りは…!」
「もちろんだよ。僕はどんな結果になっても構わない。」
「今夜、九時に校庭か…。他に場所はないもんな。」
「うん。サイガ、槍は…、本物で頼む。」
「…そこまでさせる程か。お前の決意は…。」
「…命を賭ける価値がある。僕にとってサイガと戦うことはそれだけの意味があるんだ。」
あの弱々しかった少年じゃない。
目の前にいるのは、立派な戦士になって帰ってきた一人の男だ。
「わかった…、もう何も言わない。じゃあな、俺は一度帰る。」
「ああ、また…、後で。」
胸が高鳴った。
不思議な程、喜んでいる自分に嫌悪した。
―――――――――――
子供の頃の話だ。
僕がマイアさんに希望を与えられた頃と同じ頃、僕はサイガにいじめから助けてもらった。
「へへ、女の子は助けてやれって、死んだ母ちゃんが言ってたんだ。」
僕を女の子と勘違いして、サイガは助けてくれた。
僕はいつも弱くて、卑屈で、陰鬱で…。
だからよくいじめられていた。
それでもいつだって
「オラァァー、お前ら、サクラに手を出すなぁぁぁ!!!」
サイガがいつだって一番に駆け付けてくれた。
「良いか、俺がサクラを守ってやる。コルトも、マイアもみーんな俺が守ってやるから、安心しろ!」
サイガはいつも笑ってくれた。
いつだって僕を見捨てなかった。
だから、サイガはいつだって僕のヒーローだった。
サイガみたいになりたい。
それがいつか道を誤った。
それでもサイガは許してくれた。
そんなサイガが僕に見せた剥き出しの敵意。
僕は初めて僕であることを誇らしく思えた。
僕はやっと…、サイガに認められたんだと…。
古い話だ。
母親が死んで…、悲しみをやっと乗り越えた頃に俺はサクラに出会った。
いじめられている女の子を助けたと思ったら、そいつは男だった。
笑っちまう話だよ。
何だか放っておけなくて、あいつがいじめられているのを見るとすぐに蹴散らした。
あいつが泣きながら帰り道を歩いているのを見ると、すぐに相手を見つけ殴った。
いつ頃だったか、コルトやマイアにも出会った。
何故かウマが合って、今でも友人…、コルトとは俺と愛し合うようになった。
俺は守るべきものが増えた。
死んだ母親との約束。
「誰かを守っていける、そんな男になりなさい。」
今でも実行中。
律儀な話だよな、それともマザコンか?
俺が…、みんなを守っていく。
それが俺の、自分だけの誓い。
なのにサクラは…、
今まで守られるだけだったあいつが、
俺の手の届かない場所に行こうとしている。
強くならなくて良いんだ。
お前もコルトもマイアも俺が守ってやるから…!
そうでなければ俺は何のために強くなったのか…。
…………。
そろそろ時間だ。
俺は愛用の槍を、ハルバードを手に取る。
俺は…、こいつをサクラの血で汚すのか…。
俺に…、それが出来るのだろうか……。
―――――――――――――
「え〜、おせんにキャラメル〜アンパンにビールはいかがっすか〜♪」
「あ、ルナ先生、私アンパンとお茶くださ〜い!」
「はい、まいど〜♪」
…………。
「良い席あるよー、最前列で見れる席あるよー!」
「ちょっと、アキ先生。それ値段吹っ掛けすぎ〜!」
…………おい、サクラ。
「ミルク〜、ホルスタウロスの冷た〜いミルクはいかが〜♪」
「ちょっと、アスクー!アタシの商売邪魔しないでー!!」
「うふふ、あなたの胸じゃ、ちょっと考え付かなかったでしょ〜?」
「ムキィー!!!」
…………何の騒ぎだ、これ。
「ロ、ロウガ…、すごい人出だね…!」
「うむ、宣伝した甲斐があったな。」
「…父上、人の決闘を茶化すのは良くないぞ。」
「はっはっは、マイア。焼きイカ頬張って言う台詞じゃないぞ。」
もう限界だ、切れるね!
「待てよ、お前ら!そもそも、何でこんなに人が集まってんだぁぁ!!!」
「…ごめん、サイガ。夜の校庭を使うから学園に申請出したら、こんなことになっちゃって…。」
「お前は律儀すぎだ!!」
よくアヌビス教頭が許したなぁ、おい。
げ…、アヌビス教頭が…、酔い潰れている!?
学園長の膝枕で良い夢を見ていそうだ…。
「ロウガひゃ〜ん、もう飲めにゃいれすよ〜♪」
うわぁ…、あんなユルユルな表情初めて見た。
「クックック、ぶっちゃけな、優秀な人材をムザムザ失う訳にはいかんのでのう。どうだ、これなら殺意なんてぶっ飛ぶだろう。」
「学園長、あんた、俺がどれだけ覚悟してここまで来たと…!」
「ハン、人を殺したこともない餓鬼が覚悟とか言うなよ。」
「あんたは…!」
「あるさ。何人殺ったかもわからん程な。」
……………さすが。
眼力だけで何も言えなくなってしまった。
「これでも苦労したんだぞ。反対するアヌビスをあの手この手で搦め手で懐柔して、さらに文句出ないように酔い潰すのにどれだけ酒が要ったか。こいつ意外に酒豪だったぜ。」
「…という訳なんだよ。僕も反対出来なかったんだ。」
「納得した…。」
このメンバーが集まったんじゃ、サクラ一人が反対出来る訳もない。
「ルール無用、大いに結構。だがな、立会人もなく果し合いするのは止めておけ。勝っても負けても自慢にならんし、何よりお前らは俺の生徒だ。俺の息子も同然だしな。死なれちゃ困るんだよ。ほら、起きろよ、アヌビス。仕事だぜ。」
耳の裏を撫でられ、ビクッと跳ね起きるアヌビス教頭。
一瞬何があったのかわからない表情をしていたが、口元の涎を拭いて、いつものように取り澄ました顔になる。
酔いが醒めたらしい。
「…コホン。では、これより私、アヌビスがこの決闘を仕切らせていただきます。両者はお互いの誇りにかけ、正々堂々と戦ってください。」
バンババンバンババババンババン
ガシガシガシドンドンドンドン
ぱららっぱっぱぱ、ぱっぱら〜♪
爆竹が破裂し、メガホンと太鼓が盛大に叩かれ、ラッパが音を出す。
完全にお祭り扱いだな…。
いつの間に作ったのか、巨大な応援旗まで用意して…。
誰が振っているんだか。
「両者、中央に!」
アヌビス教頭の指示で俺たちは校庭に用意されたマットに上る。
対じしてわかる。
サクラは…、強くなっている。
胴着から覗く腕は以前よりは太くなった。
前に襲われた時みたいな張り詰めた雰囲気もない。
自然体になっている。
逆に自分に気負いがあると自覚してしまう。
俺は…、こいつに負けたくない。
ハルバードを握る手に力が入る。
『さぁ〜、始まります。男と男の意地を賭けた勝負、ノールールデスマッチ!実況はワタクシ、バフォメットでお送りいたします。本日はゲスト解説にノールールデスマッチの第一人者、ウルフ沢木さんをお迎えしております。今日はよろしくお願いします。』
『よろしく、解説のウルフ沢木です。後、君の喋り方、キモいよ?』
『やかましいわ。ウルフさん、今日の見所は?』
『サクラ少年が、サイガ君の攻撃にどれだけ反応出来るかが鍵になるでしょうねぇ。正直、私はサクラ君圧倒的に不利、と見てますがね。さっき賭けをやってたのでサイガ君に手持ちの金、全部賭けました。』
『ちょ、何故ワシを誘わなかったのじゃ!ちょっと、胴元のお兄ちゃん!!ワシはサクラに今月の給料半分賭ける!!!胴元のケツの毛までむしってやるわー!!!!』
…入りかけた殺意が一気に抜ける。
『どうだ、この空気の中で殺し合う気にはならんだろう?お前らは殺し合いなんか似合わん。身の丈超えたことは止めておけ。良いじゃないか、意地の張り合いでも…な?殺しは大人になってから。わかったか?』
学園長はニヤリと俺を見る。
『安心せよ、例え瀕死の重傷でもうちには優秀なスタッフがたくさんおるからのう!即死であっても構わん。その時はワシ直々に改造しゅ…いやいや、ちょっと危険な黒魔術で生き返らせてやるわい!!』
バフォメット先生の一言で一気に不安になる。
「…ロウガさんではないですけど、殺す殺されるは、あなたたちにはまだ早いですよ。憎しみ合っていないのでしょう?それなら譲れない思い同士、正々堂々真正面から戦いなさい。」
「…はい。」
「はい。」
アヌビス教頭が手を大きく上げる。
騒がしかった周囲が一気に声を潜めた。
緊張している。
まるで初めて戦う相手みたいな感覚だ。
「無制限一本勝負、開始!」
手を振り下ろし、アヌビス教頭が後ろに飛びのく。
何かに弾かれるようにサクラが迷いもなく、低く疾る。
俺は突きを繰り出し、迎撃する。
―――――――――――
「…一応、お望み通りになったぜ。」
「ごめん、学園長。」
「気にすんな。」
サクラが校庭使用許可の申請を出した直後だった。
ミノタウロスの少女が学園長室に飛び込んで来た。
ミノタウロスの少女、コルトはサクラとサイガの決闘を止めてくれと俺に懇願してする。
運が悪ければ、サイガがサクラを殺してしまう、と泣きながら訴えた。
決闘を止めるのはやぶさかではない。
だが、それによって当の本人たちの心が袋小路に嵌ってしまうのは目に見えている。
少女を家に帰した後、どうしたものかと悩んで、アスティアに相談した。
「それなら殺気を削げば問題ないんじゃないかな?」
「それが出来たら悩んでいない。」
「だったら私たちを思い出せ。お互い殺す気になったのはどうしてかな?」
「そりゃ…、人目もなかったし、お互い相手のことしか頭になくて…、あ。」
「そういうことだよ。人目があって、お互いのことだけ考えないようにすれば良いだけなんだよ。そもそも憎しみでの決闘じゃないんだろ?だったら…、ロウガ好みの派手な方法でやれば、やる気が削げると思うよ。」
さっすが俺の嫁。
そんな訳でこんなお祭り騒ぎを作った訳である。
仕込が大変だった…。
リング作ったり、町中にチラシを配ったり、客席作ったり…。
「…大丈夫かな。」
「何だ、嬢ちゃん。心配なのか?」
「だってさ、サイガはあたしの…恋人だし、サクラもあたしの友達だしさ。二人ともいなくなってほしくないんだよ…。」
「大丈夫、これだけ揃えりゃ死人は出ねえよ。それにな、小僧…、いや、サクラは易々とくたばるようには鍛えてないぞ。」
「でも、あいつは素手じゃんか!!」
「俺も素手だ。あいつにはそれだけ叩き込んである。」
…もっとも、仕事の都合で中途半端にしか鍛えていないことだけは黙っておこう。
結局、必殺技の一つでも…、と言ったものの物に出来た技はなし。
後はどれだけ誤魔化せるか、それが腕の見せ所だぞ。
頑張れよ、小僧。
―――――――――――
近付けない。
攻め込めてはいるけど、肝心なところでいつも防がれている。
後一歩踏み込めたら、状況が変わるかもしれないのに、その一歩が何て難しいことか…。
『凄まじい槍襖ぁ!ウルフさん、サイガ君は素晴らしいですねぇ。』
『そうですね、非常に良い技術を持ってます。槍の基本は待ちと相手に近付けさせない、相手の間合いの外から突付くですからね。彼の持ち味は実に基本に忠実で癖のない技術、これに尽きますね。』
『なるほど〜、ではそれに対してサクラ君はどう見ますか?』
『クックック、ハッキリ言ってダメですね!』
クソ…、好きなように言ってくれる。
僕だって、必死になっているのに…。
『あー、サクラ、何をしておるのじゃ!!ぬしに賭けた給料半分、負けたら三倍返しで貴様に請求するぞー!!!死んでも前に出て殴れぇー!!!!』
『あっはっはっは、実況になってねぇぞ。オラァ、サイガァー!!!テメエに有り金全部賭けたんだから、さっさとぶっ殺せぇぇー!!!!』
……今まで学園長は鬼みたいな人だと思っていたけど、違った。
この人は人の皮を被った悪魔だ。
「はは、まったく…、うちの教師どもは…、好き勝手言ってくれるぜ。」
「そうだね。」
サイガの槍が止まる。
「…楽しいなぁ、サクラ。」
「うん、戦える相手がいるって…、こんなに楽しかったんだ。」
「だがよ、俺はまだ認めてねぇ。お前は強くなっちゃいけないんだ。」
サイガの得意の下段構え。
本気で決めに来る…!
「これからも…、ずっと俺がお前たちを守ってやる。だから、もう終わりにしようや。」
「…嬉しいよ。僕だってそう思ってもらえるのが嬉しかった。でも、僕は知ってしまった。自分の殻の向こう側を…!僕はもっと先の世界を知りたい!!」
「じゃあ、寝たきりにしてでも、俺は俺の信念を貫いてやる!」
「僕はもう守られるだけの僕じゃない!!」
ハルバードの斧が下段から斬り上げられる。
疾い!
でも、マイアさんの疾さには及ばない!
踏み混みをずらしつつ、前に出る。
上がり切ったところに、まずはボディに一発を…!
「甘い!」
ズブッ…
「え…!?」
左肩に鈍い衝撃。
槍が上がり切らずに、僕の肩に叩き付けられ、ハルバードの鉤で引き切られた。
「ぐあぁ!!」
痛みに足元が乱れ、思わず後ろに下がる。
鎖骨に…ヒビが入ったか!?
そしてその決定的な隙を見逃すサイガじゃなかった。
「もらったぁぁー!!!」
鉤で引き切った槍は十分にためを作り、力を蓄えていた。
常に防御体勢を取り、無駄な体力を使わずにいたサイガが初めて前に出る。
大きく踏み込む。
斧が…左の脇腹に突き刺さる。
斧を引き抜き、槍の穂先が心臓を襲う!
「クッ!?」
間一髪で半身に避け、心臓への直撃を回避するが、ぬるりとした流れ落ちた血に足を掬われた。
完全に避けることが出来ず、怪我を負った左肩に直撃する。
今度は……、衝撃で完全に鎖骨が折れた!
「どうだ、まだやるか!」
倒れそうになるのを突き刺さったハルバードを支えに無理矢理立ち続ける。
力が抜ける…!
呼吸が乱れる…。
怖くて、逃げたくて、身体が震える…。
ここで止めれば…、僕は死ななくて済む。
このまま目を瞑ってしまえば………。
「サクラァァァァッ!!!!諦めるなぁぁぁぁ!!!!!」
ああ……、マイアさんの声がよく通るなぁ……。
諦めるな……、か。
そうだ……、諦めるな……!
何のためにここまで鍛えてきたのか!
僕は、サイガと肩を並べたかった!
僕は、サイガに認められたかった!
僕は、自分自身を超えたかったんだ!
「僕は…、まだ終わってない!」
消えてしまいそうな力が身体に戻ってくる。
「…!?」
「もう守ってもらうんじゃない!サイガの背中くらい、僕が…、守ってみせる!!」
「ナマ言ってんじゃねぇ!!テメエは俺が守ってやる!コルトも、マイアもみんなだ!だからさっさと諦めてしまえ!!」
「じゃあ、サイガは誰が守るんだ!親友なんだろ!それぐらいさせてくれよ!」
槍が突き刺さったまま、さらに踏み込む。
身体の反対側に貫通するが、構わない。
「な!?」
不意を突かれたサイガの胃に右足のつま先が入る。
サイガの胃の中の物が逆流する。
「ウッ!」
思わず槍から手を放し、口を押さえるサイガ。
僕ははそこを見逃さない。
「でりゃぁぁぁ!!!」
顔面に右のハイキックが直撃する。
サイガはたたらを踏む。
ここで、さらに追撃を……。
ずるっ
「うわ、また!?」
自分の流した血でまた滑った。
大きく踏み込んだせいで制御不能なくらいに力が抜ける。
「なめるなぁぁー!!!!」
上から被せるようにサイガの拳が顔面にめり込む。
「ぅおおおあぁぁぁぁぁ!!!!!」
そのまま投げ落とすように振り抜き、僕は後頭部からマットに叩き付けられた。
―――――――――――
サイガはギリギリのところで意識を保っている。
すでに急所の鳩尾を突かれ、足は棒のようになり、顔面に食らったハイキックで脳が揺らされて、視界が揺れている。
自分の攻撃で槍はサクラに突き刺さったまま折れて、もう使い物にならない。
サクラを殴った右の拳が、おそらく折れている。
口からは血なのか、吐瀉物なのかわからないものが流れている。
とてもではないが、普段のクールな天才の面影はない。
リングサイドに恋人のコルトが駆け寄った。
「サイガ!」
「…ん、ああ、コルト。終わったよ。」
やっと終わった。
これで変わらない日常に戻れるとサイガは信じていた。
自分がサクラを、コルトを、マイアを守っていけるという確信を持ち、これでまた一つ強くなれると信じていた。
そうでなければ、自分を見失いそうでサイガは怖かったのである。
右腕を大きく掲げ、勝ち名乗りをする。
集まったギャラリーは割れんばかりの歓声と拍手を彼に浴びせた。
誇らしかった。
サイガはマットを降りようとする。
今日はゆっくり寝よう。
きっとサクラも明日には目が覚めて、自分の気持ちもわかってくれる。
そう信じた。
『おいおい、サイガ少年。もうお帰りかね?』
ロウガが実況席から声をかけた。
『アヌビスが勝者を宣言したか?宣言していない以上、まだ終わっちゃいないぜ。』
「終わって…、いるだろ…。あの手応えなら…、明日まで目が覚めない。」
『クックック、そうだろう、そうだろうよ。でもな、マットをよく見ろよ。』
「何…を……!?」
サイガは信じられないものを見た。
サクラがゆっくりと、ガクガクと身体を震わせながら立ち上がろうとしている。
『あいつはな、俺の特訓中常にボコボコにされてきたんだ。それはたまに町の自警団の連中から児童虐待の疑いを持たれる程にな。その結果、あいつは強さこそ並みより上くらいだが、耐久力と回復力だけが異常に発達したんだ。今じゃ、俺の必殺技を全力で受けても、ものの数分で起き上がれるぜ。』
「…コルト、ごめん。すぐに戻る。」
サイガはマットの中央に戻る。
完全に起き上がる前に再びとどめを刺すために。
―――――――――
き…、効いたぁ…。
うまく立てない…。
まだ頭の中がフラフラして、目の前がグニャグニャ。
ああ、そうか…、後頭部から落ちたんだ…。
何とか立たないと…、サイガがとどめを刺しに来る。
でも、打つ手がない…。
こんなんじゃ…、正拳も回し蹴りも何も打てない…。
何も…。
………いや、まだあった。
一度しか成功したことがないけど…、まだ武器がある。
右腕の魔術の刻印に集中する。
僕自身にあまり魔力がないせいか、刻印は弱々しくぼんやり光る。
……目を閉じて集中しないと感じられない魔力だけどないよりマシ。
「サクラ、もう立つな。」
無理だ。
それはサイガの言葉でも聞けない。
まだ…、僕には手札が残っているのだから。
残る力を振り絞って、立ち上がる。
「立つな!」
サイガの左フックで顔面を捉えられる。
あまり力が入ってないが、その勢いに流され倒れそうになる。
必死で倒れないように踏ん張る。
次倒れたら間違いなく動けなくなる。
「サイガ…、僕は…、まだ負けてないよ。」
やせ我慢で強がる。
学園長の話を聞いていて良かった。
僕たちは競技者じゃない…。
僕たちの勝敗はいつだって…、心が折れた時なんだ!
「サクラ…、お前は何故こんな勝負に拘る!今までのようにしていれば良いじゃないか!?その方がお前は傷付かない。お前たちが傷付かないためにも俺が強くあれば良いじゃないか!!」
「拘るよ……。僕の目標なんだ……。サイガと肩を並べたい。サイガがそうやって自分を追い込むから、僕は君と対等でありたい!そうでなければ、僕はマイアさんを好きでいる資格がない!!僕は守られるだけでいるのは、もうごめんだ!!」
お互い、ボロボロだ。
僕なんか次の一撃が打てるかどうかわからないくらいだ。
「わかった…。お前の回復力が異常と言うのなら、遠慮なく叩き込む。」
サイガが左の拳を握って、大きく振り被る。
「僕だって…、やってやるさ!伊達に学園長から生き残っていない!!」
右腕に力を込め、必死で残った力を掻き集めて足に伝える。
「ぅおおおおおおおお!!!!!」
「えやぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
遠心力の効いたフックが避けられない僕の顔面にヒットする。
僕の右拳は小さな軌道でサイガの鳩尾にめり込んだ。
「これが……、お前の限界だ!!」
「ごめん…、まだ…だよ…。」
頭の中で引き金を引くイメージを起こす。
右腕の刻印が光る。
「弾けろ!!!!」
拳のサイガに接触した部分から激しい炎が爆発する。
「がはっ!!!!」
衝撃でサイガが後ろに弾け飛ぶ。
ハハッ…、やった…、大成功…。
でも…、もう立ってられないなぁ…。
―――――――――――
「両者、戦闘不能によりドローとします!」
「サクラ!」
アヌビス先生の宣言よりも先に、気が付けば私はマットの上に上がっていた。
倒れそうになるサクラを後ろから抱きかかえる。
「……あ、マイアさん。僕……、やっとここまで来れたよ。」
「ああ…。ああ、よく頑張った。」
サイガの元にもコルトが駆け寄る。
ああ、良かった…、二人とも無事だ。
「…マイアさん、汚れちゃうから、離れて…。」
「…馬鹿、私がそんなこと気にすると思うか。」
「でも…。」
サクラの無事を喜んで、彼が無性に弱々しくて強く抱きしめたくなる。
「く、苦しい…!」
「我慢しろ。」
「……クッ、コルト…。」
サイガも気が付いたらしい。
「サイガ…、あんたはよくやったよ。でもね、私もサクラと同じ意見さ。あたしは守られたくない。お互い支え合って、あんたと生きていきたい。そんな風に自分を追い詰めないでくれよ。」
「…譲れなかったんだよ。俺…、負けたのか?」
「結果は引き分けさ。覚えてないのか?」
「最後のは効いたからな…。」
「ほんとに…、男ってさ、馬鹿だよ…。」
抱きかかえられるサイガ。
良かった、これで元の鞘だ。
「よう、サクラ。女の子に抱きしめてもらって、良いご身分だな。」
「そっちだって、同じじゃないか?」
「んで、帰ったらそれをネタにトイレに駆け込むのか、ミスターG。」
「ちょっと!!今そんなこと言わなくても!!!」
サクラの噂を思い出して、ちょっと恥ずかしくなる。
まぁ、年頃の男の子だし、せ、せ、性には興味あるだろうし…。
「良いだろう、こっちはたゆんたゆんだぜ。最近、前よりも大きくなって揉み心地が素敵なことになってるぜ。」
「羨ましくないもんね。マイアさんの魅力は何といっても『つるぺた』だからね!今ここでサイガと決着付けてもたわば!!!!!」
べきっ(肘
人が…、気にしていることを…!
「お、おい!だ、大丈夫か…!?」
「…ごめんなさい、調子に乗りすぎました。」
「プッ……、アハハハハハハハ!!!!」
「ヘヘヘ…。」
マットの上で笑い合う。
「…すっきりしたよ。俺の負けだ。」
「…勝ってないよ。引き分けだもん。」
「お前…、強くなったよ。まだまだ俺の足元にも及ばないけどな!」
「馬鹿。そういう台詞は自分で立てる状況で言えよ。」
「サイガ、私もコルトと同意見だ。」
これから少しだけ状況が変わる。
サクラとサイガが対等になる。
そんな関係が少しだけ…、羨ましいと思った。
「…いやー、損した損した。」
「父上は不謹慎だ。大損してしまえ。」
「だが、良い物は見れたな。良い勝負だった。」
アヌビス教頭や周囲の観客が退散し出した頃、学園長がマットに上がってきた。
アヌビス教頭は後片付けの陣頭指揮を執っている。
バフォメット先生は大金を手に入れて大ハシャギしている。
「小僧、これからも精進しろ。その程度では先行き不安だからな。」
「押忍!」
学園長にサクラは敬礼をする。
山篭り中の関係が目に見えてくる。
「さて、サイガ少年。」
「はい…。」
「これまでの信念を砕かれた気分はどうだ?」
「…何というか、少し気分が良いです。」
「その気持ち、忘れるな。第一、親友たちを守り続けると言っても、もうすぐ父親になろうかという男が、それは無理というものだ。守るなら家族のために力を付けろ。家族のために踏ん張れ!それが男の仕事だ、良いな?」
…………は?
父親?
誰が?
俺が?
「ちょ、学園長!!それはまだ内緒だったんだ!!!」
「へ……、言ったら不味かった?」
「不味いんだよ!!あたしの両親も見に来て……!!!!」
「コルト…、俺…、父親になるのか?」
「…そうだよ。だからあたしは学園長に頼んだんだよ。2ヶ月だってさ。」
こんな状況で知らされた衝撃の事実。
ああ、それで最近胸が大きくなったのか。
「…迷惑か?」
「…いや、驚いただけだ。あのさ…、こんな状況で言うのも何だけどさ、結婚しよう!学園辞めてでも働いてお前を食わして、いや、家族を守っていく!だから…!!」
「サイガ…。」
「コルト…。」
カンカンカンカン
「はいはい、ラブラブすんのは家に帰ってからにしろー。」
学園長がどこから取り出したのか鍋とすりこぎを叩く。
ちっ、空気読めよ、おっさん。
「俺は別に構わんが、お子様二人がショート寸前だ。」
「へ…、ああ!!マイア、サクラ!!大丈夫か!?」
サクラとマイアが茹蛸のように真っ赤になってる!
こいつら…、ここまで免疫がなかったのか!?
「後、安心しろよ。嬢ちゃんの親御さんは了承済みだ。俺が早とちりして、すでにお祝いの品を持っていってしまったからな。」
だから!!!
「あんたは余計なことをするなぁぁぁぁぁ!!!!」
少し休んで動くようになった身体で学園長に殴りかかる。
「はっはっは、元気があって大変結構である!」
ズビシッ(蹴
「ぐあぁぁぁ!!!!」
「「「サ、サイガァァァァァ!!!!」」」
「就職先を探すのなら、うちで雇ってやる。ありがたく思え。」
怪我人になんて容赦のない蹴り。
サクラ…、お前に同情するぜ…。
父親かぁ…。
親友が強くなったり、
恋人のお腹の中に命が宿っていたり、
自分の中のわだかまりが解けたり、
俺は一人じゃなかったんだって、
今更ながらに感じたり、
ほんと
変な一日だったぜ。
サクラ…、これから守ってやれない。
だから、お互い頑張っていこうや。
な、相棒。
10/10/26 08:40更新 / 宿利京祐
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