徐々に奇妙な冒険 第二部・誘惑漂流
不思議なこともあるもんだ。
そう俺・城島 譲治は思っていた。
相変わらず予定の入っていないクリスマスを、『予定がないのが予定』という毎年恒例のスケジュール通りに消化するつもりだった俺の元に一通の携帯メールが届いた。その時はどうせ彼女持ちの友人から嫌がらせのメールでも届いたのだろうと思っていた。実際にそういうことをやる友人がいるだけに、正直そのメールも半ば無視するつもりでいたぐらいだった。
だけど無視は出来なかった。
何故なら俺は『綾川 友紀（あやかわ ゆうき）』と表示された画面を見てしまったからだ。綾川 友紀は俺の高校時代の同級生だった。背が低くて、人懐っこくて、学生服が本当に似合わない少女のような印象の少年だったのを俺は今でもよく覚えている。
メールの内容は彼が『地元に帰ってきた』という報告だった。高校２年の夏に誰にも何も言わずに引っ越して、どこかに転校しまってから何年も音沙汰もなかったのだが、俺は不思議と彼のことを忘れたことはなかった。毎年夏になるとふと彼を思い出し、どこかで元気にやっているだろうかと気が付けば考えていた。
きっとあの頃は校舎の屋上で、二人でよくサボったりしていたせいだろう。
思い出の中で時間が止まっていた友人に会いたくなった俺は、毎年恒例のスケジュールを破棄して、綾川に『会わないか？』とメールを送り返した。突然すぎたかな、と少しだけ彼の都合も考えなかった自分自身の浅はかさに呆れてしまったが、予想以上に早く彼からの返信メールが届いた。
たった一言だけ、『ボクも、会いたい』という文面。
何と表現したら良いのかわからない喜びが胸に込み上がってくるのを感じながら、俺は待ち合わせ場所や時間をさっさと決めてしまうと、ハンガーに掛けてあったロングコートを引っ掛けると息を弾ませて玄関を飛び出した。
外は薄っすら暗くなり始めていて、真っ白な雪が降っていた。
「……驚いたでしょ、僕がこんなに変わってて」
そう言って綾川はキャンドルのゆらめく灯かりの中で微笑んでいた。
待ち合わせ場所に指定したのは地元駅の喫茶店。
今日はクリスマスということもあって、照明を落としてキャンドルの灯かりだけという幻想的な店内には、ロマンチックな雰囲気を求めて多くのカップルがひしめいていた。とてもじゃないが普段の俺なら正視出来ない光景だ。サンタクロース風の衣装を着た店員に後から連れが来ることを伝えると、店の奥にある人目に付き難いボックス席に案内された。カップル用のメニューなどがテーブルの上に置かれているのを見ると、困ったことにどうやら俺は“彼女との待ち合わせ”しているのだと勘違いされたらしい。
しかし他に席が空いていないので大人しく案内されたボックス席で待つことにした。少し早く来てしまったので時間を持て余してしまっていた俺は店員にレモンティーを頼むと、ぼんやりとキャンドルの炎を見詰めながら昔のことを思い出していた。綾川に会ったら何から話そうか、と嬉しくなっていた俺は、いつの間にかまるで恋人を待つような心地になっていたことに気が付いた。
いやいや、あいつは男じゃないか。
どうやら周囲の幸せな空気にやられてしまっていたらしい。うっかり俺は綾川が男であることを忘れてしまっていた。いくら高校時代は少女みたいな印象だったからって、あれから１０年も経っているのだから、お互いに良い歳だしあの頃のままという訳にもいくまい。もっとも高校時代には綾川について 『逆に考えるんだ。おちんちんが付いてても良いさって』 という風に表現していたヤツもいたぐらいだから、あれから俺みたいに“おっさん化”してしまった綾川は想像出来ないし、そんな綾川を想像したくもない。
「ごめん、待った？」
「おっ、久し振り。悪いな、急に呼び出しちゃって…………………えっ？」
綾川なのかッ、と俺は声が出ないまま唇を動かしている。
そこにいたのは綾川 友紀だった。
１０年振りの再会だというのに、俺は綾川を見て思考が凍り付いてしまっていた。何のことはない。１０年という月日があまりに人を変えすぎるということに今更ながらとても思い知らされただけにすぎない。思い出の中の綾川とあまりに違いすぎることに驚いている俺を他所に綾川は俺の対面に座り、初めから決めていたらしくココアを店員に頼むと、未だに鳩が豆鉄砲食らったような顔をしている俺の顔を悪戯っぽく覗き込んで笑顔を見せた。
ああ、間違いない。
この人懐っこい笑顔は間違いなく綾川 友紀だ。
「驚いた？」
全体的に黒っぽい色でコーディネイトして、厚手のコートの襟元からはタートルネックのセーターが見えていた。タイトスカートからは趣味の良いヒールの高いブーツを履いた足が黒タイツに包まれて伸びている。思い出の中の少女のような少年は、走って乱れたセミロングの髪を色っぽく掻き揚げる仕草を身に付けて、俺のことを本当にドキドキさせるような大人へと変貌していた。
「ああ、驚いたよ」
本当に１０年という歳月は人を変えるのには十分すぎる。
まさかあの日の少年が“女になって”戻ってくるなど予想だにしていなかったのだから。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……………なるほどね」
端的に言うと、友人は男から女へというよりも、そもそも人間を辞めていた。
半年前にアルプという魔物になったらしい。アルプという名前やどういうものなのかは聞いたことがあるのだが、実物を見るのはこれが初めてだったりする。その初めて見る実物のアルプがまさか自分の友人だとは思いもしなかったけれど、目の前の綾川は“アルプ”だと言わなければ、どこからどう見ても完璧で自然な女性だった。なるほど、暗くてよく見えていなかったが尻尾と翼、それに頭の上に生えた角を確認出来る。
現在は女性らしく“友紀”という字はそのままに『ゆうき』ではなく『ゆき』と読ませているらしい。何故か『ゆうき』と呼ぶよりも綾川にはしっくりくる気がする。そう思った。
「城島くんは今何のお仕事してるの？」
甘ったるい喋り方だ。
人間を辞めて、すっかり女性になっているのだというのに、こんなところは思い出のままだ。
「高校の頃、覚えてるか？俺がなりたくなかったもの」
「高校の頃っていうと……サラリーマン？」
頬に人差し指を当てて、思い出しながら綾川はそう答えた。
「そのサラリーマンさ。よく覚えていたな」
「そりゃ覚えているよ。だってボクの一番大切な思い出だもの」
大切な思い出、と言われて俺は恥ずかしくて、照れ臭くて愛想笑いのような曖昧な笑いを浮かべて、耐え切れずに綾川から視線を外した。男だった頃の思い出があるにも関わらず、目の前の綾川はあの頃の面影があるものの紛れもなく女性で、それも街を歩けばかなりの確率で飢えた男どもが振り返るレベルの美人だ。元男の友人ではあるが、そんな美人に微笑みかけられて嫌な気分になる男は俺を含めてそうはいないだろう。
「お前はどうなんだよ。今何してる？」
「えへへ、今は無職」
「今は、ってことは前は何をしてたんだ？」
照れ隠しにレモンティーを啜りながら、綾川と目を合わさないようにして近況を聞いてみると、何故か綾川は俺のことを罠に掛かった小動物を見るような目をして、悪戯っぽい笑みを浮かべて衝撃的な単語をその可愛らしい口から放った。
「女装してニューハーフ・パブでホステスやってた♪」
「………………はぁッ！？」
驚きのあまり変な声で叫んでしまった。
キャンドルの灯かりだけの薄暗い店内だから、客の顔とかはあまりよくわからないのだというのに、変な声を上げてしまった俺に視線が注目している気配をビンビン感じていた。だが俺はそんな視線に気付かないふりをして、咳払いを一つすると気を取り直して綾川に向き直った。
「えっと……それは綾川さんが男性だった時からってことですよね？」
何故か敬語だった。
「うん、引っ越してからすぐにね……急な引越しで都会の方に行ったせいか精神のタガが外れちゃったみたいで、自分を抑え付けるのも限界になって年齢誤魔化してそっちの世界に飛び込んじゃった」
「随分思い切ったなぁ……ん、抑え付けてた？」
「……………………………うん」
何だかしおらしい仕草で綾川が姿勢を正した。
キャンドルの淡い灯かりに浮かび上がる綾川の姿が本当に綺麗で、傍から見れば間抜けなぐらい、俺は胸の高鳴りを感じながら見詰めていた。恥ずかしそうに胸を押さえながら、何度も言葉を躊躇う綾川の姿を俺は可愛いとさえ思っていた。
「ボクね………女だったんだ。物心付いた頃には身体は男の子だったけど、心はずっと女の子だったんだよ。周りとは違う、これは変なんだって感じてたからずっと隠していたんだけど、だんだんそれも苦しくなってきてた。……好きな人が、出来たから」
何となく思い当たる節があった。
高校の時の見た目以上の少女らしさも、綾川の告白を聞いてしまえば納得がいく。あの頃も中性的だったというか、どちらかと言えば女性寄りだったような気がしないでもない。あの頃から可愛い部類に入ってたし。
「それでね、ニューハーフ・パブでお金貯めて、女の子の身体になろうって決めたんだ。だって好きになったその人は女の子が好きな普通の人だったし、心は女の子でも男の子の身体じゃ絶対嫌われるって思って」
「……女の子の身体になるって手術ってことか。そういえばテレビでも特集があったなぁ、フィリピンだとかモロッコだとかで。それがどうして一気に方向転換して人間辞めることになったんだ？」
「偶然、だったよ。半年前に偶然お店に遊びに来たリリムのお客さんがいてね。接客の世間話のついでにもうすぐ手術費用が貯まるって話したら、『女の子になりたいの？だったら私がパパッとやったげようか？』って言ってくれて…」
あー…………いるいる、そういう人。
俺の知り合いにもオカマバーとかレズバーによく出没するバフォメットがいるけど、そのリリムってのもそういう類の人種なのかもしれないな。大享楽家というか何と言おうか、魔物としても女としても自重しないタイプ。まあ、一緒に飲むと楽しいタイプなんだけどな。
「それで女になれたって訳か。お前いろいろ凄いよ、ほんと。それにしてもお前にそんなにまで想われている男って、ある意味男冥利尽きるよな。自分の性別変えてまで愛したいっていうようなヤツ、同じ男としてはちょっと羨ましいよ」
「変じゃないかな？」
「別に変じゃないだろ。恋愛の価値観ってものは人それぞれだし、少なくとも俺は変だとは思わない。まあ、お前のその好きな相手ってのが受け入れてくれれば万々歳だろうが…」
「…………………………もしかして、気付いてない？」
「何が？あ、もしかしてお前が好きなヤツって高校時代の誰かかッ。ああ、なるほどなるほど、それなら納得だ。あの頃女子に人気あったヤツと言えば、吉良に東方に岸辺……イタリアからの留学生のトニオなんてのもいたな。いやあ懐かしい。で、綾川の惚れた相手ってのは誰なんだ？」
興味が出てきて身を乗り出すようにして話し掛けたのだが、何故か綾川はムスッと不機嫌そうに膨れ面をしていた。理由はわからないが、魔物の魅力のせいなのかその膨れ面も何だか可愛いような気がする。
「………鈍いなぁ。でもそれが良いところでもあるんだけどね」
「……………え？」
「……ボクのね、好きな人の名前は城島 譲治くん」
城島 譲治くん………え、俺？
また予想していなかった出来事に俺が目を丸くしていると、綾川はやっと言えたという開放感から大きな溜息を吐くと、唇をきゅっと結んだ緊張した面持ちで真っ直ぐ俺のことを見詰めていた。この眼差しを前にして、ふざけてはぐらかすことは絶対に許されない。
「ずっと………好きでした…。一緒に屋上でお昼寝したりして授業をサボっていた時も、城島くんと一緒にゲームセンターに遊びに行ってた時も、一緒にいるだけで幸せでした。良かったら……こんなボクで良かったら、お付き合いしてください…！」
それは静かな声ではあったが、とても力強い告白だった。
覚悟を感じるのだ。綾川は自分が他の人間とは内面も外見も、性別も種族も何もかも違うことを重々痛いほど理解した上で俺に告白している。当然だろうと思う。綾川の想像通り、俺の中には同級生だった『ゆうき』の頃の姿しかなかったのだから。それなのに綾川は俺にその告白が拒絶されることも覚悟して、どんな結果になろうとそれを受け入れるつもりでいるのだ。
「…………いつから」
いつから俺のことが好きだったのか聞いてみた。
別に何て答えるのか興味を持った訳ではなく、ただ純粋に聞いてみたくなった。綾川が俺のことを異性（？）として認識するようになったのは、どういう経緯があったからなのかが気になった。俺は、特に何かした覚えはない。
「高校１年の冬、覚えてる？」
「…………いや、覚えてない」
「高校１年の冬休み、二人で映画を見に行ったのを覚えてる？」
二人で映画、と聞いて思い出した。
確かに高校入って最初の冬休み、俺は仲良くなったばかりの綾川を誘って映画に行った。何と言うか、綾川が乗り気じゃなかったのに無理矢理誘った覚えがある。人気のあった亀怪獣映画の最新作のペア無料チケットを手に入れたから、冬休みだからと何も考えずに綾川の予定も聞かずに誘った。もっとも映画そのものは、俺の中では名作だった同シリーズの平成三部作とは程遠い期待はずれなもので、怪獣映画に興味のなかった綾川には本当に悪いことをしたと思う。
「…映画の帰りの電車がぎゅうぎゅうの満員電車で、ボクたちもどんどん壁際に追いやられていたね。ボクあの頃も今も背が大きくないから、押し寄せる人波に押し潰されて息が苦しくて、本当に映画なんか来るんじゃなかった…って思っていたんだ」
「う……、す、すまん…」
「………そうしたら急に息をするのが楽になったんだ。かなり大きな隙間が出来て押し潰されなくなって、少し人がいなくなったのかなって思った。城島くんは大丈夫かなって見上げたら」
頬を真っ赤にした綾川がニコニコと八重歯を見せて笑っていた。
眩しいくらいの笑顔だった。
「城島くんが、ボクの壁になって押し潰されないようにしてくれてた。みんな厚着してる冬のラッシュの時間だからすごくつらいはずなのに、ボクに気付かれないように何でもないふりをしてた城島くんに、ボクはその瞬間に恋をしてた」
何でもないことだった。
もっと印象的な出来事だったら良かったのに、綾川は俺自身も覚えていない行動を好きになってくれていた。どうして綾川のためにそういう行動に出たのかは本当に覚えていない。だけど大事な、俺の中ではあの頃は同性の友人としてだけど、仲良くなったばかりの友人が苦しそうだったから、何も考えずに咄嗟にやったのだろうと思う。
過去に思いを馳せていると、ふと足に何かが巻き付いているのを感じた。テーブルの下に視線を移すと、どこか不安そうな綾川の尻尾がまるで甘噛みでもするかのように優しく足に巻き付いている。いや、不安そうなのは尻尾ではなく綾川本人だ。尻尾を通して綾川の震えを感じることが出来る。
どうやら本人は無自覚の行動らしい。
「……お前の尻尾って、綺麗なんだな」
「……へ？……うわぁ、ご、ごめん！」
慌てて尻尾を外そうとする綾川の手を俺はそっと握った。
参ったなあ……、俺、そういう趣味はなかったはずなのに、いつの間にか綾川のことを一人の女性として見始めている。思い出の中では“少年”だったはずなのに、今あの頃を思い返してみると、綾川はあの頃からずっと真実を告げられずに泣いている“少女”だったような気がしてならない。
「城島……くん…」
「…………正直驚いているよ。あの『ゆうき』がこんなに綺麗になって帰ってきて、そんなお前に俺はどうして良いのかわからないぐらいドキドキしてる。たぶん意識してるんだと思う。お前のことを一人の女性としてさ」
「………………うん」
「だからさ……少しだけ時間をくれないか…。まだ戸惑っているんだ。記憶の中で“少年”の『ゆうき』が笑ってて、目の前の現実にいるのは“女”の『ゆき』で、俺には過去の『ゆうき』を大事な思い出として以外にまだ愛せそうにない。だから、いつか『ゆうき』と『ゆき』、両方のお前を愛せるようになるまで時間が欲しい。そうでないと、お互いに幸せになれないと思うんだ」
綾川の手を握った俺の手に、綾川のもう片方の手が被せられた。暖かく包み込むような手の感触に、俺は妙に幸せな気分になる。今までよくわからなかったが、気になる異性と手を握り合うって、ただそれだけで幸せなんだということをこの歳になって知った。
「………じゃあ、もう一度“友達”から」
「……ああ、もう一度。今度は『ゆき』を好きになるために」
そんな宣言めいたことを誓い合って、妙に照れ臭くなる二人だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
喫茶店を出ると、外はすっかり真っ暗になっていた。
雪は降っているものの積もる気配はない。所詮は九州の街中で降る雪だ。一般的な雪景色には程遠く、寒い寒いと言ってもここが南に位置する場所なのだと否応なしに思い知らされる。
「……ジョージくん」
喫茶店を出る頃には、いつの間にか綾川の呼び方が変わっていた。
「どうしたよ、友紀（ゆき）」
そういう俺もちゃっかり下の名前で呼んでいる。
「クリスマス、終わっちゃうね」
「……ああ、終わっちゃうな」
腕時計を見ると午後１１時３０分を少し回ったところ。
後少しで街中を包むお祭りムードも冷めてしまうだろう。太陽が昇れば、今度は新しい年を迎えるために、いつもより気忙しいへと誰もが帰っていく。俺も、社会人らしく明日は不本意ながら仕事がある。
「………友紀の家まで送るよ。女の子一人で帰す訳にもいかないし」
「……うん、ありがとう。でも、もう少しこうしていて良いかな」
そう言って遠慮がちに友紀は俺の腕に絡みつくように身体を寄せた。友紀の体温と柔らかな感触、それと友紀の使っている柔軟仕上げ剤の香りに誘惑されて、俺は肩をグッと抱き寄せてもっと友紀と密着したいという思いに駆られたが、何とか理性がそれを制止してくれた。さっき『時間をくれ』と言った手前、あっさり掌を返したのでは格好が付かない。
「ねえ、ジョージくん。デートしようよ」
「デートって言ったって、もうどこの店も開いちゃいないぜ？」
「良いの、ボクのうちに付くまでのお散歩デートで♪」
まったく、と呆れながらもそんな友紀が可愛くて、俺は空いた手で友紀の頭をそっと撫でた。友紀はそれが気持ち良いのか目を細めて笑っている。まるでじゃれ付く猫のようだ。まずは“友達”からと言っておきながら、お互いにすっかり“恋人気取り”なのだから救いようがない。
まだ歩幅が合わない。
友紀の歩幅と俺の歩幅がギクシャクしていて、意識的に合わない歩幅を相手に合わせながら歩くのが幸福で堪らない。なかなか合わないね、と笑いながら歩く夜道は、今まで感じたことがないほど暖かく感じられた。
「友紀、今度の休み……ちょっとデパートにでも行かないか？」
「え、デートの約束してくれるの？もちろん行くよぉ」
「その………クリスマスはこんな形になったけど、再会を祝して……いやそういうんじゃなくって、友達として……でもなくて、何て言うべきかわからないけど、ちょっとした形にしたいと思うんだ。もう一度、クリスマスをやり直そう。ちゃんとしたプレゼントを友紀に渡したいし」
友紀の顔をまともに見れなかった。
ついさっきもお互いに顔を合わせていたというのに
まるで小学生の恋愛のように気恥ずかしくて、俺は夜空を見上げたまま言った。
「……………うんっ！」
これから俺たちの関係がきちんとしたものになるのかはわからないけど
たった一つだけわかるシンプルな答えは
俺はもう綾川 友紀の笑顔に惹かれている、ということだった。
そう俺・城島 譲治は思っていた。
相変わらず予定の入っていないクリスマスを、『予定がないのが予定』という毎年恒例のスケジュール通りに消化するつもりだった俺の元に一通の携帯メールが届いた。その時はどうせ彼女持ちの友人から嫌がらせのメールでも届いたのだろうと思っていた。実際にそういうことをやる友人がいるだけに、正直そのメールも半ば無視するつもりでいたぐらいだった。
だけど無視は出来なかった。
何故なら俺は『綾川 友紀（あやかわ ゆうき）』と表示された画面を見てしまったからだ。綾川 友紀は俺の高校時代の同級生だった。背が低くて、人懐っこくて、学生服が本当に似合わない少女のような印象の少年だったのを俺は今でもよく覚えている。
メールの内容は彼が『地元に帰ってきた』という報告だった。高校２年の夏に誰にも何も言わずに引っ越して、どこかに転校しまってから何年も音沙汰もなかったのだが、俺は不思議と彼のことを忘れたことはなかった。毎年夏になるとふと彼を思い出し、どこかで元気にやっているだろうかと気が付けば考えていた。
きっとあの頃は校舎の屋上で、二人でよくサボったりしていたせいだろう。
思い出の中で時間が止まっていた友人に会いたくなった俺は、毎年恒例のスケジュールを破棄して、綾川に『会わないか？』とメールを送り返した。突然すぎたかな、と少しだけ彼の都合も考えなかった自分自身の浅はかさに呆れてしまったが、予想以上に早く彼からの返信メールが届いた。
たった一言だけ、『ボクも、会いたい』という文面。
何と表現したら良いのかわからない喜びが胸に込み上がってくるのを感じながら、俺は待ち合わせ場所や時間をさっさと決めてしまうと、ハンガーに掛けてあったロングコートを引っ掛けると息を弾ませて玄関を飛び出した。
外は薄っすら暗くなり始めていて、真っ白な雪が降っていた。
「……驚いたでしょ、僕がこんなに変わってて」
そう言って綾川はキャンドルのゆらめく灯かりの中で微笑んでいた。
待ち合わせ場所に指定したのは地元駅の喫茶店。
今日はクリスマスということもあって、照明を落としてキャンドルの灯かりだけという幻想的な店内には、ロマンチックな雰囲気を求めて多くのカップルがひしめいていた。とてもじゃないが普段の俺なら正視出来ない光景だ。サンタクロース風の衣装を着た店員に後から連れが来ることを伝えると、店の奥にある人目に付き難いボックス席に案内された。カップル用のメニューなどがテーブルの上に置かれているのを見ると、困ったことにどうやら俺は“彼女との待ち合わせ”しているのだと勘違いされたらしい。
しかし他に席が空いていないので大人しく案内されたボックス席で待つことにした。少し早く来てしまったので時間を持て余してしまっていた俺は店員にレモンティーを頼むと、ぼんやりとキャンドルの炎を見詰めながら昔のことを思い出していた。綾川に会ったら何から話そうか、と嬉しくなっていた俺は、いつの間にかまるで恋人を待つような心地になっていたことに気が付いた。
いやいや、あいつは男じゃないか。
どうやら周囲の幸せな空気にやられてしまっていたらしい。うっかり俺は綾川が男であることを忘れてしまっていた。いくら高校時代は少女みたいな印象だったからって、あれから１０年も経っているのだから、お互いに良い歳だしあの頃のままという訳にもいくまい。もっとも高校時代には綾川について 『逆に考えるんだ。おちんちんが付いてても良いさって』 という風に表現していたヤツもいたぐらいだから、あれから俺みたいに“おっさん化”してしまった綾川は想像出来ないし、そんな綾川を想像したくもない。
「ごめん、待った？」
「おっ、久し振り。悪いな、急に呼び出しちゃって…………………えっ？」
綾川なのかッ、と俺は声が出ないまま唇を動かしている。
そこにいたのは綾川 友紀だった。
１０年振りの再会だというのに、俺は綾川を見て思考が凍り付いてしまっていた。何のことはない。１０年という月日があまりに人を変えすぎるということに今更ながらとても思い知らされただけにすぎない。思い出の中の綾川とあまりに違いすぎることに驚いている俺を他所に綾川は俺の対面に座り、初めから決めていたらしくココアを店員に頼むと、未だに鳩が豆鉄砲食らったような顔をしている俺の顔を悪戯っぽく覗き込んで笑顔を見せた。
ああ、間違いない。
この人懐っこい笑顔は間違いなく綾川 友紀だ。
「驚いた？」
全体的に黒っぽい色でコーディネイトして、厚手のコートの襟元からはタートルネックのセーターが見えていた。タイトスカートからは趣味の良いヒールの高いブーツを履いた足が黒タイツに包まれて伸びている。思い出の中の少女のような少年は、走って乱れたセミロングの髪を色っぽく掻き揚げる仕草を身に付けて、俺のことを本当にドキドキさせるような大人へと変貌していた。
「ああ、驚いたよ」
本当に１０年という歳月は人を変えるのには十分すぎる。
まさかあの日の少年が“女になって”戻ってくるなど予想だにしていなかったのだから。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……………なるほどね」
端的に言うと、友人は男から女へというよりも、そもそも人間を辞めていた。
半年前にアルプという魔物になったらしい。アルプという名前やどういうものなのかは聞いたことがあるのだが、実物を見るのはこれが初めてだったりする。その初めて見る実物のアルプがまさか自分の友人だとは思いもしなかったけれど、目の前の綾川は“アルプ”だと言わなければ、どこからどう見ても完璧で自然な女性だった。なるほど、暗くてよく見えていなかったが尻尾と翼、それに頭の上に生えた角を確認出来る。
現在は女性らしく“友紀”という字はそのままに『ゆうき』ではなく『ゆき』と読ませているらしい。何故か『ゆうき』と呼ぶよりも綾川にはしっくりくる気がする。そう思った。
「城島くんは今何のお仕事してるの？」
甘ったるい喋り方だ。
人間を辞めて、すっかり女性になっているのだというのに、こんなところは思い出のままだ。
「高校の頃、覚えてるか？俺がなりたくなかったもの」
「高校の頃っていうと……サラリーマン？」
頬に人差し指を当てて、思い出しながら綾川はそう答えた。
「そのサラリーマンさ。よく覚えていたな」
「そりゃ覚えているよ。だってボクの一番大切な思い出だもの」
大切な思い出、と言われて俺は恥ずかしくて、照れ臭くて愛想笑いのような曖昧な笑いを浮かべて、耐え切れずに綾川から視線を外した。男だった頃の思い出があるにも関わらず、目の前の綾川はあの頃の面影があるものの紛れもなく女性で、それも街を歩けばかなりの確率で飢えた男どもが振り返るレベルの美人だ。元男の友人ではあるが、そんな美人に微笑みかけられて嫌な気分になる男は俺を含めてそうはいないだろう。
「お前はどうなんだよ。今何してる？」
「えへへ、今は無職」
「今は、ってことは前は何をしてたんだ？」
照れ隠しにレモンティーを啜りながら、綾川と目を合わさないようにして近況を聞いてみると、何故か綾川は俺のことを罠に掛かった小動物を見るような目をして、悪戯っぽい笑みを浮かべて衝撃的な単語をその可愛らしい口から放った。
「女装してニューハーフ・パブでホステスやってた♪」
「………………はぁッ！？」
驚きのあまり変な声で叫んでしまった。
キャンドルの灯かりだけの薄暗い店内だから、客の顔とかはあまりよくわからないのだというのに、変な声を上げてしまった俺に視線が注目している気配をビンビン感じていた。だが俺はそんな視線に気付かないふりをして、咳払いを一つすると気を取り直して綾川に向き直った。
「えっと……それは綾川さんが男性だった時からってことですよね？」
何故か敬語だった。
「うん、引っ越してからすぐにね……急な引越しで都会の方に行ったせいか精神のタガが外れちゃったみたいで、自分を抑え付けるのも限界になって年齢誤魔化してそっちの世界に飛び込んじゃった」
「随分思い切ったなぁ……ん、抑え付けてた？」
「……………………………うん」
何だかしおらしい仕草で綾川が姿勢を正した。
キャンドルの淡い灯かりに浮かび上がる綾川の姿が本当に綺麗で、傍から見れば間抜けなぐらい、俺は胸の高鳴りを感じながら見詰めていた。恥ずかしそうに胸を押さえながら、何度も言葉を躊躇う綾川の姿を俺は可愛いとさえ思っていた。
「ボクね………女だったんだ。物心付いた頃には身体は男の子だったけど、心はずっと女の子だったんだよ。周りとは違う、これは変なんだって感じてたからずっと隠していたんだけど、だんだんそれも苦しくなってきてた。……好きな人が、出来たから」
何となく思い当たる節があった。
高校の時の見た目以上の少女らしさも、綾川の告白を聞いてしまえば納得がいく。あの頃も中性的だったというか、どちらかと言えば女性寄りだったような気がしないでもない。あの頃から可愛い部類に入ってたし。
「それでね、ニューハーフ・パブでお金貯めて、女の子の身体になろうって決めたんだ。だって好きになったその人は女の子が好きな普通の人だったし、心は女の子でも男の子の身体じゃ絶対嫌われるって思って」
「……女の子の身体になるって手術ってことか。そういえばテレビでも特集があったなぁ、フィリピンだとかモロッコだとかで。それがどうして一気に方向転換して人間辞めることになったんだ？」
「偶然、だったよ。半年前に偶然お店に遊びに来たリリムのお客さんがいてね。接客の世間話のついでにもうすぐ手術費用が貯まるって話したら、『女の子になりたいの？だったら私がパパッとやったげようか？』って言ってくれて…」
あー…………いるいる、そういう人。
俺の知り合いにもオカマバーとかレズバーによく出没するバフォメットがいるけど、そのリリムってのもそういう類の人種なのかもしれないな。大享楽家というか何と言おうか、魔物としても女としても自重しないタイプ。まあ、一緒に飲むと楽しいタイプなんだけどな。
「それで女になれたって訳か。お前いろいろ凄いよ、ほんと。それにしてもお前にそんなにまで想われている男って、ある意味男冥利尽きるよな。自分の性別変えてまで愛したいっていうようなヤツ、同じ男としてはちょっと羨ましいよ」
「変じゃないかな？」
「別に変じゃないだろ。恋愛の価値観ってものは人それぞれだし、少なくとも俺は変だとは思わない。まあ、お前のその好きな相手ってのが受け入れてくれれば万々歳だろうが…」
「…………………………もしかして、気付いてない？」
「何が？あ、もしかしてお前が好きなヤツって高校時代の誰かかッ。ああ、なるほどなるほど、それなら納得だ。あの頃女子に人気あったヤツと言えば、吉良に東方に岸辺……イタリアからの留学生のトニオなんてのもいたな。いやあ懐かしい。で、綾川の惚れた相手ってのは誰なんだ？」
興味が出てきて身を乗り出すようにして話し掛けたのだが、何故か綾川はムスッと不機嫌そうに膨れ面をしていた。理由はわからないが、魔物の魅力のせいなのかその膨れ面も何だか可愛いような気がする。
「………鈍いなぁ。でもそれが良いところでもあるんだけどね」
「……………え？」
「……ボクのね、好きな人の名前は城島 譲治くん」
城島 譲治くん………え、俺？
また予想していなかった出来事に俺が目を丸くしていると、綾川はやっと言えたという開放感から大きな溜息を吐くと、唇をきゅっと結んだ緊張した面持ちで真っ直ぐ俺のことを見詰めていた。この眼差しを前にして、ふざけてはぐらかすことは絶対に許されない。
「ずっと………好きでした…。一緒に屋上でお昼寝したりして授業をサボっていた時も、城島くんと一緒にゲームセンターに遊びに行ってた時も、一緒にいるだけで幸せでした。良かったら……こんなボクで良かったら、お付き合いしてください…！」
それは静かな声ではあったが、とても力強い告白だった。
覚悟を感じるのだ。綾川は自分が他の人間とは内面も外見も、性別も種族も何もかも違うことを重々痛いほど理解した上で俺に告白している。当然だろうと思う。綾川の想像通り、俺の中には同級生だった『ゆうき』の頃の姿しかなかったのだから。それなのに綾川は俺にその告白が拒絶されることも覚悟して、どんな結果になろうとそれを受け入れるつもりでいるのだ。
「…………いつから」
いつから俺のことが好きだったのか聞いてみた。
別に何て答えるのか興味を持った訳ではなく、ただ純粋に聞いてみたくなった。綾川が俺のことを異性（？）として認識するようになったのは、どういう経緯があったからなのかが気になった。俺は、特に何かした覚えはない。
「高校１年の冬、覚えてる？」
「…………いや、覚えてない」
「高校１年の冬休み、二人で映画を見に行ったのを覚えてる？」
二人で映画、と聞いて思い出した。
確かに高校入って最初の冬休み、俺は仲良くなったばかりの綾川を誘って映画に行った。何と言うか、綾川が乗り気じゃなかったのに無理矢理誘った覚えがある。人気のあった亀怪獣映画の最新作のペア無料チケットを手に入れたから、冬休みだからと何も考えずに綾川の予定も聞かずに誘った。もっとも映画そのものは、俺の中では名作だった同シリーズの平成三部作とは程遠い期待はずれなもので、怪獣映画に興味のなかった綾川には本当に悪いことをしたと思う。
「…映画の帰りの電車がぎゅうぎゅうの満員電車で、ボクたちもどんどん壁際に追いやられていたね。ボクあの頃も今も背が大きくないから、押し寄せる人波に押し潰されて息が苦しくて、本当に映画なんか来るんじゃなかった…って思っていたんだ」
「う……、す、すまん…」
「………そうしたら急に息をするのが楽になったんだ。かなり大きな隙間が出来て押し潰されなくなって、少し人がいなくなったのかなって思った。城島くんは大丈夫かなって見上げたら」
頬を真っ赤にした綾川がニコニコと八重歯を見せて笑っていた。
眩しいくらいの笑顔だった。
「城島くんが、ボクの壁になって押し潰されないようにしてくれてた。みんな厚着してる冬のラッシュの時間だからすごくつらいはずなのに、ボクに気付かれないように何でもないふりをしてた城島くんに、ボクはその瞬間に恋をしてた」
何でもないことだった。
もっと印象的な出来事だったら良かったのに、綾川は俺自身も覚えていない行動を好きになってくれていた。どうして綾川のためにそういう行動に出たのかは本当に覚えていない。だけど大事な、俺の中ではあの頃は同性の友人としてだけど、仲良くなったばかりの友人が苦しそうだったから、何も考えずに咄嗟にやったのだろうと思う。
過去に思いを馳せていると、ふと足に何かが巻き付いているのを感じた。テーブルの下に視線を移すと、どこか不安そうな綾川の尻尾がまるで甘噛みでもするかのように優しく足に巻き付いている。いや、不安そうなのは尻尾ではなく綾川本人だ。尻尾を通して綾川の震えを感じることが出来る。
どうやら本人は無自覚の行動らしい。
「……お前の尻尾って、綺麗なんだな」
「……へ？……うわぁ、ご、ごめん！」
慌てて尻尾を外そうとする綾川の手を俺はそっと握った。
参ったなあ……、俺、そういう趣味はなかったはずなのに、いつの間にか綾川のことを一人の女性として見始めている。思い出の中では“少年”だったはずなのに、今あの頃を思い返してみると、綾川はあの頃からずっと真実を告げられずに泣いている“少女”だったような気がしてならない。
「城島……くん…」
「…………正直驚いているよ。あの『ゆうき』がこんなに綺麗になって帰ってきて、そんなお前に俺はどうして良いのかわからないぐらいドキドキしてる。たぶん意識してるんだと思う。お前のことを一人の女性としてさ」
「………………うん」
「だからさ……少しだけ時間をくれないか…。まだ戸惑っているんだ。記憶の中で“少年”の『ゆうき』が笑ってて、目の前の現実にいるのは“女”の『ゆき』で、俺には過去の『ゆうき』を大事な思い出として以外にまだ愛せそうにない。だから、いつか『ゆうき』と『ゆき』、両方のお前を愛せるようになるまで時間が欲しい。そうでないと、お互いに幸せになれないと思うんだ」
綾川の手を握った俺の手に、綾川のもう片方の手が被せられた。暖かく包み込むような手の感触に、俺は妙に幸せな気分になる。今までよくわからなかったが、気になる異性と手を握り合うって、ただそれだけで幸せなんだということをこの歳になって知った。
「………じゃあ、もう一度“友達”から」
「……ああ、もう一度。今度は『ゆき』を好きになるために」
そんな宣言めいたことを誓い合って、妙に照れ臭くなる二人だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
喫茶店を出ると、外はすっかり真っ暗になっていた。
雪は降っているものの積もる気配はない。所詮は九州の街中で降る雪だ。一般的な雪景色には程遠く、寒い寒いと言ってもここが南に位置する場所なのだと否応なしに思い知らされる。
「……ジョージくん」
喫茶店を出る頃には、いつの間にか綾川の呼び方が変わっていた。
「どうしたよ、友紀（ゆき）」
そういう俺もちゃっかり下の名前で呼んでいる。
「クリスマス、終わっちゃうね」
「……ああ、終わっちゃうな」
腕時計を見ると午後１１時３０分を少し回ったところ。
後少しで街中を包むお祭りムードも冷めてしまうだろう。太陽が昇れば、今度は新しい年を迎えるために、いつもより気忙しいへと誰もが帰っていく。俺も、社会人らしく明日は不本意ながら仕事がある。
「………友紀の家まで送るよ。女の子一人で帰す訳にもいかないし」
「……うん、ありがとう。でも、もう少しこうしていて良いかな」
そう言って遠慮がちに友紀は俺の腕に絡みつくように身体を寄せた。友紀の体温と柔らかな感触、それと友紀の使っている柔軟仕上げ剤の香りに誘惑されて、俺は肩をグッと抱き寄せてもっと友紀と密着したいという思いに駆られたが、何とか理性がそれを制止してくれた。さっき『時間をくれ』と言った手前、あっさり掌を返したのでは格好が付かない。
「ねえ、ジョージくん。デートしようよ」
「デートって言ったって、もうどこの店も開いちゃいないぜ？」
「良いの、ボクのうちに付くまでのお散歩デートで♪」
まったく、と呆れながらもそんな友紀が可愛くて、俺は空いた手で友紀の頭をそっと撫でた。友紀はそれが気持ち良いのか目を細めて笑っている。まるでじゃれ付く猫のようだ。まずは“友達”からと言っておきながら、お互いにすっかり“恋人気取り”なのだから救いようがない。
まだ歩幅が合わない。
友紀の歩幅と俺の歩幅がギクシャクしていて、意識的に合わない歩幅を相手に合わせながら歩くのが幸福で堪らない。なかなか合わないね、と笑いながら歩く夜道は、今まで感じたことがないほど暖かく感じられた。
「友紀、今度の休み……ちょっとデパートにでも行かないか？」
「え、デートの約束してくれるの？もちろん行くよぉ」
「その………クリスマスはこんな形になったけど、再会を祝して……いやそういうんじゃなくって、友達として……でもなくて、何て言うべきかわからないけど、ちょっとした形にしたいと思うんだ。もう一度、クリスマスをやり直そう。ちゃんとしたプレゼントを友紀に渡したいし」
友紀の顔をまともに見れなかった。
ついさっきもお互いに顔を合わせていたというのに
まるで小学生の恋愛のように気恥ずかしくて、俺は夜空を見上げたまま言った。
「……………うんっ！」
これから俺たちの関係がきちんとしたものになるのかはわからないけど
たった一つだけわかるシンプルな答えは
俺はもう綾川 友紀の笑顔に惹かれている、ということだった。
13/12/26 00:35更新 / 宿利京祐