連載小説
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第七話・『Love is here』と聖女は唄う
若い頃の母を目にした感想。

ああ、この人はこの頃から完成されていたんだ…。

それが素直な私の感想だった。


「……事情はよくわかった。ロウガ王がどうやって帝都で起こった危機を知ったのかはこの際聞かないでおこうではないか。そなたたちにはそなたたちの情報網があるのだろうしな。紅将軍、キリエをこれへ。」
若き日の母・ノエル=ルオゥムを私は素直に凄いと思った。
後方の謀叛を知っても動揺一つ見せず、それどころか兵を割くのも苦しいはずなのに、ムルアケ街道に居座るロウガ王に母は千の兵を送ることを即決した。
千の兵がいれば、セラエノ軍の実力を合わされば強力……いや、イチゴ卿の自慢話を真に受けるなら、凶悪無比なセラエノ軍に職業軍人の割合が高い帝国軍の兵数が加われば、それは大陸そのものを飲み込む兵力となって戦況を有利に運ぶだろう。
………もっとも、イチゴ卿の話は大袈裟だから話半分以下に聞いておくつもりだが。
それにしても………この人が紅龍雅、なのか…。
この人が後に紅帝として名を残す武将…。
功績はほとんど覚えちゃいないが、母から帝位を譲られただけあって、母と同等かそれ以上の侵し難い凄まじい覇気を纏っているように思える。
それにこうして見ててもわかるが、母もこの人をとても信頼している。
身長は私よりも幾許か高いくらいで、武人らしいガッシリした身体付きをしており、私の時代では久しく見ることの敵わない『本物の歴戦の将の風格』を漂わせている。
だと言うのに眼差しは優しく、真っ直ぐに伸びた黒くて長い髪を、ロウガ王と同じようなポニーテイルのように後ろで纏めているのが何やら可愛らしくもあるのは気のせいだろうか。
「ありがとうございます。もしも……皇帝陛下が御決断を渋ることがあれば一大事でした。」
うっかり『母さん』と呼びそうになったが、それ以上のうっかりをやらかしてしまったと気が付き、私はドッと背中に冷や汗を掻き、血の気が引くような思いがした。
く…口が……滑った!
グルジア爺の遺言書のあの一文を思い出してしまったのが悪かった。
『一大事』などこの時の母は知るはずもないだろうに…。
あれさえ思い出さねば、こんなことを言わなくとも良かったのに…!
「街道のセラエノの軍のことか?」
母の疑問に白を切って『そうです』と言ってしまおうか。
いや、それではまたロウガ王の前のように嘘に嘘を重ねてボロが出るかもしれない。
これ以上は………不味い…。
ええい、仕方がない!
「街道のセラエノ軍だけではありません。……陛下の御親族の命が危のうございました。」
「……余の、親族?」
やはり母を『陛下』と呼ぶのには違和感が…。
「そちらのリヒャルト公が帝都を秘密裏に脱出したことはすでに知られております。帝都を牛耳った国務大臣グルジア公は、その脱出したという事実のみを欲されていたのです。リヒャルト公が秘密裏に抜け出したとあらば、兎にも角にもそれはリヒャルト公の国務大臣への明らかな反逆。ならば皇族の一切を処断する大義名分を手に入れた謀反人たちは見せしめとして、…陛下に最も近い御親族……、妹姫君や御母堂たちを処刑しようとなさるはずです。」
またうっかり妹姫君ではなく『叔母様』と言いかけた。
だが私の勢いは止まらない。
むしろ失言を悟られたくなくて、勢いで喋り続けた。
うろ覚えのこの時代の事情と母とグルジア爺の思い出話を組み合わせて、おおよその推測を立てて、グルジア爺と目の前の青い顔をした老人が激しく対立し合っていたこと、グルジア爺が母にもう一度教会勢力に戻ってきてほしかったことを踏まえた上で、この場にいる一同に語ってみせた。
「ヌ、ヌシはワシやグルジアのことを知っておるのか!?」
青い顔をした老人がよろよろと立ち上がった。
………この方が母の大叔父様か。
何と言うか偉そうな軍人のステレオタイプのような人だ。
それにしても………それ以上に、何とも偉そうなプロペラ髭だ…。
初対面でこう思うのは無礼かもしれないが………

何となくムカつくので、毟り取ってやりたい髭だ。

胸の奥から湧き上がる熱い思い。
実行しても良いなら実行したいのだが、さすがに母の御前では出来ない。
…………母の『あの』お仕置きは今でもトラウマなのだ。
「会ったことはないはずだ。それなのに何故そこまで詳しくわかる!?」
リヒャルト公は声高に問いただしてきた。
厳つい見た目の割りには、意外なことに叫ぶと声が高いんだな。
「リヒャルト公にお会いしたことはございませんが…、グルジア公には幼い頃にお世話になったことがございます。」
そこまで言って気が付いた。
私は、もしかして言わなくても良いことまで喋っているのではなかろうか…。
それにしても、今私は私の意思で喋っているのだろうか…。
いや、間違いなく私の意思で言葉を紡いでいるはずなのだが、まるで誰かに喋らされているような……私は自分で自分を斜め後ろから見ているような、どこか他人事のような不思議で曖昧な感覚で話しをしていた。
「ああ、そうでした。現時点では反魔物国家だったのですね。失敬失敬。」
老人の反論もあまり頭に入って来ない。
私であって私ではない何かが喋って惚けている。

さぁ………お嬢さん、そんな俗物はそろそろ放って置き給え。

そうだ、あんな人に構っている時間はないのだ。
今は一刻も早く、兵たちの命を私的に使うことを渋る母を説得し、帝国軍を帝都に向かわせること………、そしてムルアケ街道に迫りつつあるフウム王国残党軍の対処するためにも母が割いてくれた兵を連れて帰らねばならない。
そうでなければ、歴史が変わってしまう。
「今すぐに帝都にお戻りなさい。ここから帝都まで、1日もあれば辿り着けます。今すぐお戻りになれば、御母堂も妹姫君も無傷で解放出来ましょう。おそらく、まもなくイチゴ様が撤退の妙案を持って参るはずです。」
半ばヤケクソである。
あのイチゴ卿が妙案を持ってくるとは到底思えないのだが、彼女はこの当時のセラエノ軍の正軍師として従軍していたらしいので、母を安心させるためにこのような詭弁を私は弄する。
どうせ彼女よりも良い策を紅帝の方が思い付いてくれるはずだ。
ロウガ王曰く、『俺より少しだけマシな軍略家』とのこと。
おそらく稀代の名軍略家並みの頭脳を持っているのだろう。

ガシャーン……タッタッタッタ……

バタバタ……ズルッベシャッ……

「のわぁー!?誰じゃこんなところに犬のクソ垂れたんはー!!」

……………ん、どこからか妙に聞き慣れた声が?
「あれは軍師殿か、騒々しいことだ。」
紅帝が呆れたような声で苦笑いしている。
今……あの忌まわしい声を『軍師殿』って仰いましたか、あなた。
え、ほんとに来ちゃった!?
何、私、そんな強力な言霊吐いちゃったの!?

「イ、イチゴ様………どうぞ、このハンカチをお使いください…。」
「おお、キリエよ。踏んだり蹴ったりじゃ…、犬のクソ踏んじまったのじゃ…。」
「滑って転んだ拍子に尻でも潰してしまわなくてよろしゅう御座いましたね。」

帷幕の向こう側から聞こえてくる会話に私は脂汗を掻いていた。
いるよ……いるよ、この厚布一枚隔てたすぐ側に!
私のトラウマがすぐそこにいるよ…!
来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな!!
もうこれ以上のアドリブは私には無理だ。
ヤケクソでここまで言って来たけど、あの狡賢くて外道の総本山とも言えるイチゴ卿の全盛期を相手にこれ以上の嘘の塗り重ねは通用しないことを私は知っている。
あの人には、生半可な嘘は通用しない。
だってあの人そのものが最強最悪のペテン師なんだもの!
「ワシ、超天才!!僅かな時間で安全に撤退出来る方法考え付いたのじゃ……?おお、見ない顔じゃな。どこの新人さんじゃ……?つーか、どこかで会ったかの?ワシ、オヌシに見覚えあるんじゃが、思い出せないのじゃ。」

きゃあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!

叫びたい、泣き喚きたい、逃げ出したい!
でもここで怯えたら私はあっという間に不審者だ。
「おいおい、軍師殿。犬の糞は綺麗に拭いたのか?」
「……頼む、イチゴ。しばらく余の側に近寄らないで欲しいのだが?」
「貴様ら、それが妙案持って来たワシへの第一声か?ぶちのめすぞ、ひゅーまん。」
間違いない、イチゴ卿だ。
20年前の世界なのだから、私が知っている彼女よりも若い姿なのかと思ったら、私が知っている20年後の世界と何一つ変わらない相変わらずのロリババアぶりが逆に恐ろしくて、全身の鳥肌が止まらない。
………ああ、ほら、やっぱり見てるよ。
適当に言った出任せが現実になってしまって、不審な目で母も紅帝も老人も私を見ている。
どうする、どうやって切り抜ける…。
いやむしろ、どうやって話題を逸らす………はっ、そうだ!

『もしも禄衛門もとい龍雅が何かしらショックを受けてたらこう言ってやれ。』

そうだ、これで誤魔化そう。
ロウガ王から預かったらあの言葉がどんな効果をもたらすかは未知数だが、今はこの私にとって悪い雰囲気を回避することの方が何よりも重要だ。
ただ、あの『クックック…』という大魔王の如き悪い笑顔が気になるが…。
「紅…将軍、ロウガ様より言伝を預かっています。」

この時を振り返って考えてみれば、

まさか私の苦し紛れの一言が歴史を『作っていた』だなんて

私どころか 母にも 紅帝にも あの魔王ロウガですらも思いもしなかっただろう。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


「その通りだ、予言者よ。沢木の野郎が申す通り、この程度の苦難など当の昔に何度も乗り越えてきた!この程度のことが苦難であってたまるか。味方本拠地を奪われた?予期せぬ敵集団が現れた?そんなもの、セラエノ軍最強にして万物無双のこの俺の武と頭脳に掛かれば、あらゆる物が弱卒の群れというものよ。」

ロウガ王の言伝というものは、とんでもない破壊力を秘めていたらしい。
たった一言、このままで終わってしまうのか、と伝えただけだというのに、紅帝の自信が急激に回復し、士気旺盛と言うにはあまりに自意識過剰と言っても差し支えないくらいに燃え上がっている。
「あの……私のことですか、その予言者とは…?」
予言者、と言われて私はおずおずと彼に訊ねた。
「ああ、そうだ。アドライク殿、お前が予言者だ。」
「その……出来ましたら、その予言者と私を呼ぶのはやめていただきたいのですが…?」
「だが断る。」
即答だった。
「構わぬではないか、予言者よ。余たちの知り得ぬ未来を知るからこそ、そなたは予言者に相応しい。もっと自分を誇っても良いぞ。」
「は、はぁ…。」
母からも予言者と名乗れと勧められるのは、何とも複雑な気分である。
違うんです、予言とか未来予知とかそんなんじゃないんです。
たまたま覚えていたことがあったのと、誤魔化そうとして口から出任せ言ったら本当になっちゃっただけなんです、と真実を叫びたいのだが、それを口にするとロウガ王の御前よりも面倒臭いことになりそうな上に、嬉々としたイチゴ卿による拷問が待ち受けているような気がして私は口を閉ざした。
「ふむ……紅将軍よ、戦とは兵の士気や錬度や戦術だけでなく、予言や縁起などの少々オカルト的な匂いのする要素も勝利には必要なのだな。余は信仰心薄い故か、そのようなオカルト的要素には疎かったが今後はそう云った要素もそなたらから学ぶとしよう。」
……そういえば、後ルオゥム帝国軍を動かす時も母はオカルト要素をうまく利用していた。
なるほど、こういうメンバーに囲まれていたからなのか…。
「おいおい馬鹿弟子、ワシのことを忘れておるぞ。ただの水計をワシの大魔法に見せかけて、敵さんの大部分を押し流してトラウマを植え付けたワシの手腕は学ばんのか?」
ぶっ…!?
馬鹿弟子!?
当時は直接の部下だった訳じゃないが、この頃からイチゴ卿は自由奔放というか皇帝をも皇帝と思わぬ傍若無人ぶりを発揮していたというのか!?
……私では敵わない訳だ。
「イチゴ、そちの手腕は学ぶに値せぬ。最後にお漏らしするなど……。」
「アレは事故じゃ!!」

こんな馬鹿騒ぎが出来るくらい明るくなった帷幕の雰囲気のまま、今度は撤退戦の軍議に移るということだったので、私は母の前を退出しようとしたのだが、私は無意識の内に紅帝の顔を見詰めていたことに気が付いた。
リヒャルト老人は、疲れが溜まっていたのか休息として退席している。

「どうした、俺の顔に何か付いているか?」
それとも惚れたか、と紅帝は冗談めかして言う。
「それはありません。」
彼がそうしたように、私も紅帝に負けじと即答してやる。
この人は…………本当にグルジア爺の言う通り偉大な人物だったのか…。
私には、そう思えない。
「紅……将軍、一つお聞きしたいのですが…。」

あなたにとって戦とは何なのですか?

そんな質問を投げ掛けると、彼は困ったような顔をした。
「余も聞きたいな。イチゴでは参考にならん。」
援軍とばかりに母も私の質問に喰い付いてきた。
イチゴ卿はそんな母の言い草にブツクサと文句を言って、憂さ晴らしにどこから持って来たのかワインの瓶の口を手刀でスパッと切り落とし、漢らしくラッパ飲みでグイグイと飲み始める。
あ………あの瓶って、ビンテージ物で確か1本当たり金貨200枚の価値があったような…。
「イチゴ、後で弁償してもらうぞ。」
「こまけぇこたぁいいんじゃよ!!」
母ってこんなに明るい人だったのか。
どうも厳格な母の背中しか知らないから違和感を感じる……いや、違うか。
何のことはない。
『私』が母の奥底まで『覗こう』としなかっただけなんだ。
母との見えない壁を勝手に作って、母のことを知ろうとしなかったんだ。
「さて、俺にとっての戦か……、参考になるかどうか…。」
「……教えていただきたい。」
良い目をしている、と紅帝は微笑んだ。
そして私に近付くと私の頭を優しく撫でた。
「俺に…俺に子がいてくれたなら、おことの如き真っ直ぐな子が欲しいものよ。俺や沢木、紅蝶旗の志をしっかり継いでくれる子がいてくれればこそ、安心して滅びに向かえるというものぞ。」
「滅び……ですか…?」
意外だった。
グルジア爺の思い出によれば、常勝の人だったと云う。
そんな人が、滅びを意識しているだなんて思いもしなかった。
「一度この世に生を受け、滅せぬものなどない。こちらの世界の親魔反魔共に永遠に続く世界を目指すが、そんなもの俺や沢木にしてみれば何とも可笑しいやら。いつか終わりが来る。いつか滅びはやって来る。アドライグ、おことにもこちらの皇帝陛下にも、誰にだって何にだって望む望まぬ終わりがやって来る。俺にもな。」
「ワシは〜?」
「あんたも終わりがいつか来るはずなんだが、軍師殿に限っては永遠に生きそうだよな。」
そう言って、紅帝はイチゴ卿に笑い掛けた。
「戦場とは二元論に染まった世界を破壊してくれる次世代たちを守る場所だと心得ている。例え俺も沢木もここで倒れても、次の世代がこの時代の価値観に抗うのさ。だがその次世代たちもまだ若葉のようなもの。ならば大木とまでいかずとも、一人立ち出来るまでは俺たちが戦わねばならん。」
その守る対象には、私も入っているのだと彼は言った。
「わ……私は戦えます…!こうして……従軍していますし…。」
動揺している。
私は戦える、そう訴えているのに心が泣きたくなるくらい震えている。
「俺が戦でやりたいのはな、そうやって戦えると強がる子を一人でもなくしたいんだよ。セラエノで俺らの無事を祈るサクラ少年と沢木の御息女たち、それにこの戦で散って逝った生命のためにも、俺たちはそうせにゃならん。」
それは俺たち大人の役割だ、と紅帝が言うと母もそれに続いて頷いた。
「………だからな、泣くな。」
「……………え。」
「………泣いているぞ、アドライグ殿。」

気が付いていなかった。

自分が泣いていることに、

自分がこんなにも弱さを曝け出していることに。

初めて人を殺した時も、初めて完膚なき敗北を味わった時にも

こんなにまで涙を流したことはなかったというのに

今この瞬間、異邦人である私を含めて守られている存在なのだと気付かされた時

胸の奥が熱くなって涙が止まらなかった。

「戦場に涙は禁物ぞ。」

そう言って、紅帝は私を優しく抱き締めてくれた。

彼の胸の中で、私はただ声を殺して泣きじゃくった。

ただそれだけだというのに、私は私の中にある壁が少し崩れていった

そんな錯覚を覚えたのだった。

13/01/06 00:54更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します……ってな訳でして、
新年一発目はこの外伝『ROOTES』から始まりました。
アドライグが本格的に物語りに食い込んで、
次々と起こる出来事に目を回しながら、徐々に心の壁が薄くなっています。
次回はアドライグと彼女が出会います。
乞うご期待!!……だと良いなぁ(遠い目)。

さて最後になりましたが、ここでちょっとお知らせ。
今年より『Lost in BLUE』『ROOTES』を本格的に再開すると同時に
特に『Lost in BLUE』はピクシブと同時掲載していくことにしました。
また『Lost in BLUE』は作品の内容上、人間の出番が多いので
複数話同時更新という形で掲載させていただこうと思います。
こちらの方もどうぞお楽しみに。

それではここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!!(^^)ノシ

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