第八話・灰色の銀貨で縁取る『輪郭』
不思議な夢
どこまでも広がる冷たい荒野
大地を埋め尽くす横たわった人々
その横たわる人々の墓標のように突き刺さった剣。
見渡す限りの殺害の跡
空はどんよりと鉛のように重く
大地は何とも頼りなく広がっている。
真っ黒な鴉が音もなく人々に群がり
粘液のように重たく腐臭漂う空気の中で
飢えた鴉は人間を塵に変えてしまうかのように貪り喰らう。
僕は何も出来ず ただ無感情にその光景を見詰めている。
嫌悪も 憎悪も 悲哀もない。
男も 女も 老いも 若きも 横たわる人々には誰一人顔がないのだから。
遥か彼方に顔のない『僕』が同じように立ち尽くしている。
手には赤黒く濡れた美しい『魔剣』を手にしている。
嗚呼、君がやったのか。
嗚呼、そうだ 僕が殺ったのだ。
だから僕はこうして罪の鎖に縛られて ただ立ち尽くしているのか。
誰かの夢や愛を無色に変えながら偽善的な理想に酔う。
傷付きたくないから僕は君で 君は僕を演じてくれる。
本当の自分の輪郭は見えないまま
きっといつの日か裁かれて地獄に堕ちる時
僕は果たして君として消えるのか
それとも僕は僕として消えていくのか。
そんな未来への暗示なのだろうと 僕は儚い夢の中で目を閉じる。
「リオン」
嗚呼、彼女が呼んでいる。
僕は………僕は「リオン」として生きて良いらしい。
暖かな手
これだけは 僕が僕である証明なのだと思う。
「それでリオン、君は私が背中に冷たい汗を流しながら……こ、皇帝陛下に拝謁していたというのに、君は帷幕で暖かい紅茶の接待をのんびりと受け、あまつさえ私の苦労も知らずに美人相手に鼻の下を伸ばしていただなんて見損なったぞ。」
「だから誤解だってば!!!」
アドライグがノエル=ルオゥムに謁見している最中、手持ち無沙汰となったリオン=ファウストは皇帝侍従の一人であるキリエ=アレイソンに来客用の帷幕に招かれていた。
アドライグの言う通り、彼女が背中に冷たい汗を流しながらギリギリのペテンとハッタリを皇帝一同の前に披露している頃には、リオンは皇帝であるノエルも満足する腕前の、キリエの淹れた紅茶での接待を受けて身も心も温まり、ホッと一息吐いていた。
かつては教会騎士であったものの、現在は一介の兵卒の一人に過ぎない。
それだと言うのにこの厚遇は、キリエに脅しを掛けるような、まだ誰も知り得ない情報を言い放ったアドライグの従者という認識から来る畏れもあっただろうが、ひとえに彼の持つどこか子供のような温和な雰囲気のおかげだったのかもしれない。
だが、タイミングが悪かった。
彼女にとってトラウマというべき軍師・バフォメットのイチゴからも解放されて、折れそうな心を必死に奮い立たせて、リオンの待つ帷幕へ案内されたアドライグがそこで見たものは、彼女の苦労も知らず人畜無害な笑顔で紅茶を啜り、美女の分類に入るであろう、彼女の知らない褐色肌のリザードマンと談笑しているリオンの姿であった。
「誤解?これが誤解だと言うのなら世の中の男性諸君は、誰もがこの状況を誤解と言って正当化出来るだろうな。私の苦労も知らないで、美女を侍らせて優雅な一時とは所詮君も教会側の権力者と精神構造が同一と見える。」
ダンッ、とアドライグはテーブルを叩く。
その音に釣られて、リオンは身体をビクリと強張らせた。
「だからそれが誤解だってば…。僕は彼女と顔見知りで。」
「ほぉ、顔見知りですかそうですか。そりゃお盛んですこと。あっちこっちに顔見知りの美女がいるってことか。そういえばそうだよ、君のおかげで嫌なことを思い出したよ。君みたいな人畜無害そうな顔した男は大体がハーレムかってくらいにモテて、選り取り緑に美女が寄って来るものなんだよな。」
彼女の脳裏に浮かんだのは、彼女の時代に生きるセラエノ学園二代目学園長であるサクラ=サワキ、そして幼いながらも美女にしか懐かないという将来に不安を感じさせるサクラの息子の姿であった。
ちなみにサクラの場合は本人の希望に反して、女性のように美しく整った顔とリザードマンやドラゴンを凌駕するという武術の腕前、そして先代学園長を反面教師とした誠実でストイックな精神性のせいで、男女問わず多くのファンを生んでしまったということを、本人の名誉のために付け加えておく。
「いや、そんな関係じゃなくって…。」
「これからそういう関係になるおつもりですかそうですか。男なんて……男なんて……所詮この人みたいに胸がデカくて腰が括れてて尻がデカければそれで良いんだろ!」
かなり無理はあるが平静を装っていたアドライグだったが、ついに自分を抑え切れず、目に涙を一杯溜めながらテーブルを再び叩き、声を荒げてリオンに食って掛かる。
嫉妬である。
最近友人として情が湧いていたリオンと自分の知らない美女が談笑している。
それが彼女には何故か許せなかった。
「ア、アド……な、泣かないで…!」
「泣いてなんかいない!!」
「泣いているじゃないか。」
「泣いてない、馬鹿!!何で私が君のために泣かなきゃいけないんだ!!」
そんな様子を、アドライグに胸が大きいと言われたリザードマンは、何やらそんなアドライグの子供染みた様子があまりに滑稽で、着物の袖で口元を隠し、顔を背けると声を殺してクフクフと笑い始めた。
見ればそのリザードマンは、洒落た薄紫色の薄手の着物を鎧の上から羽織り、しばしば戦闘狂と揶揄されるリザードマンでありながら、セラエノで身に付いた大和気質から醸し出される気品と知性を匂わす仕草、そして腰に佩いた太刀の鞘の装飾から低からぬ身分であることがわかる。
「そろそろリオン様を許して差し上げてくださいませ。」
そう言って彼女はアドライグに微笑み掛けた。
泣いているのか怒っているのか、アドライグは色々な感情が交じり合ってしまい、彼女に何か言おうにも喋ろうとした瞬間に呼吸が乱れて、思わず唾や空気を飲み込んでしまったために、ゲホゲホと苦しそうに咳き込んだ。
「まぁまぁ、これは大変。」
彼女は咳き込むアドライグの背中を優しく擦る。
そうしている間もアドライグは苦しそうに咳き込むのだが、背中を擦られることで生まれるスキンシップのせいなのか、リオンへ向けられた理不尽な怒りが消え失せていき、段々と平静を取り戻していった。
「あ………ゴホッ…ありがとうござい……ます…。」
顔を真っ赤にして礼を述べるアドライグだったが、それが咳き込んで呼吸が出来なかったからなのか、それとも自覚も出来なかった嫉妬で取り乱すという恥ずかしい姿を見せてしまったからなのかはわからなかった。
「余程リオン様をお気に入りですのね。」
「……いえ、そのようなことはありません。絶対、金輪際、永遠に。」
キッパリと答えるアドライグに、
「………それはそれで傷付くなぁ。」
とリオンは口を尖らせて、悔しそうに俯いて呟いた。
「ふふふ、そういうことにしておいてあげましょう。では落ち着かれたところで自己紹介させていただきますね。同盟軍総司令官・紅龍雅が副官、アルフォンスと申します。お互いに戦地は違いますが、これからは何かと顔を合わせることもありましょう。同族同士でもありますし、どうぞお見知りおきを。」
アルフォンス………アルフォンス…
アドライグは頭の中でその名前を繰り返した。
そんな名前……私は知らない…。
知らないのに………この人のことは知っている気がする…。
「それと先程スタイルがどうのと申しておりましたが、あなたも負けてはいないと思いますよ♪」
アドライグの戸惑いを他所に、アルフォンスは優しく微笑んでいた。
―――――――――――――――――――――――
誤解(?)から生まれた怒りが急激に冷めていくと、今度は顔から火が出るような恥ずかしさが怒涛の如く襲って来て、まるで呪文の高速詠唱のように、私は長々しい謝罪の文言を述べると、アルフォンス将軍に額を擦り付けんばかりに土下座していた。
「あああああの、どうか頭を上げてくださいませ…!」
「いえ本当にすみませんお恥ずかしいところをお見せしただけでなくアルフォンス将軍にまで矛先を向けてしまい本当に申し訳ございませんつーかこの人畜無害の大馬鹿者が本当に腹を立てさせる存在で申し訳ございませんでした!!!!」
「アドライグ、さり気に僕を貶すのやめてくれないか?」
五月蝿い馬鹿。
そもそも君が鼻の下を伸ばしていたのが悪いんだ。
………いや、蒸し返すのはやめておこう。
また恥を掻きかねないしな。
「……まだ怒ってるだろ?」
「怒ってない。」
「…嘘、怒ってるじゃないか。」
「だから怒ってない。」
そんな不毛な言葉の応酬を人畜無害……もとい、リオン=ファウストと繰り広げていると、アルフォンス将軍が私たちを見て、クフクフと再び笑いを噛み殺していた。
「本当に仲がよろしいのですね。」
「「気のせいです。」」
不本意ながら二人して否定が被ってしまった。
それがツボに嵌ってしまったのだろう。
ついにアルフォンス将軍は堪らず吹き出し、腹を抱え、声を上げて笑い始めた。
…………そんなに可笑しかっただろうか。
……それにしても、私は一体リオンの何に対して怒っていたのだろう。
……………………………。
…………………………。
………………………。
……………………。
「……ところでお話は変わりますが、アドライグ様は『砂漠の民』と何か御関係が?」
和やかな雰囲気でのムルアケ街道の状況やクスコ川本陣の近況の情報交換、それから雑談やこれまでの味方の武勇伝などをアルフォンス将軍やリトルの口から語ってもらっていた時、不意にアルフォンス将軍が私に遠慮がちに問い掛けてきた。
「………いえ、わかりませんが…そもそも砂漠の民とは一体…。」
「…そうですか。もしかしたらアドライグ様は私の一族の生き残りでは、と思っただけです。」
少しだけ悲しそうな顔をして、彼女は語ってくれた。
彼女の語ってくれた砂漠の民とは、ただ単に砂漠に点在する多くのオアシス都市に生きる者たちではなく、敗れ去った者たちの末裔なのだとアルフォンス将軍は言う。
「ヴァルハリア教会や、それに類似する宗派に従属する勢力により駆逐され、虐殺されて、それらから逃れるために砂漠という極限地帯を生きる場所と定めた者たち。新旧それぞれの勢力や部族がありますが、それが『砂漠の民』の始まりなのです。」
…………思わず生唾を飲んだ。
………およそ20年先、私の生きる時代でさえ、そんな話題は事欠かない。
だが私の知っている情報よりも『生きたリアル』が語られている。
「砂漠の民の多くは褐色の肌をしているのです。アドライグ様を見た時、遥か過去に道を分かった一族が私に会いに来てくれた。そんな錯覚を覚えてしまったのです。………不快に思われたなら謝罪致します。」
「い……いえ…、不快だなんて…。」
考えたこともなかった。
セラエノや帝国で、他の誰とも同一ではなかった肌の色。
それならば………私の両親というのも………母さんに私を託した本当の両親というのも、そういった理由で迫害から私を守るために…?
私が自分の思考に没頭しかけた時、リオンが青い顔をしていることに気が付いた。
僕 は 知っている
声にならない声が、強張りながら動く唇で発言した。
「…………知ってる?」
声にならなかった言葉に、私は疑問を投げ掛けた。
彼はただ無言で頷く。
「…………………リオン、まさか君もそういうことをしていたのか。」
「……………していない。」
「………………信じて良いのかい?」
再びリオンは無言で頷く。
「…………僕が知っているのは、事後処理での話だ。アドライグは知らないかもしれないけど、ヴァルハリア教会騎士団というのは騎士団と銘打っているけど、実際のところ騎士として役に立つ人物はあまりいなかった。だから出動の多くはヴァルハリア教会大司教の名代として戦地に赴き、教会の威光を民に知らしめる目的で布教活動を行ったり、大司教からのありがたくはないお言葉を武功を立てた者に恭しく伝えたり、そんな嫌な戦後処理に明け暮れていた。」
そこで目にした惨状はやり切れなかったよ
リオンは重たい溜息を吐く。
「…………僕が教会に対する背信行為を決意したのはその頃だよ。誰一人生きちゃいない。戦闘員、非戦闘員、男も女も人間も魔物も誰一人生きちゃいなかった。槍や剣が墓標みたいに突き刺さって、夕焼けで真っ赤に染まった大地が血塗れの大地に見えた。あの時からだよ。一人でも多く逃がしてやりたい。それが自己満足と嘲笑われて良い。あの光景に心を傷めなかった木偶人形には、一生わからないだろうと思う。」
まるで背筋に氷の刃を突き立てられたような、リオンの表情に見たこともない冷たくて暗い光を見たような気がした私は、ゾクリとした嫌な冷たさにリオンに何も言えなくなってしまっていた。
「………リオン様を責めるつもりは御座いません。」
そう言ってアルフォンス将軍は静かに瞼を閉じる。
私は…………砂漠の民なのか…。
私は私の知らない『自分の起源』に思いを馳せる。
私は、私がわからないのだ。
人間、ノエル=ルオゥムに育てられたリザードマン。
物心付くまで自分は人間だと思い込んでいた種族の異端児。
今でも私は『人間』と『リザードマン』の狭間でアイデンティティが揺れている。
―――――――――――――――――――――――
アルフォンス将軍に召集が掛かったと、キリエが(おそらく母の)伝令として帷幕に顔を現した。
未来でもそうだったが、この当時から色々使い勝手の良い男だったらしい。
「それでは名残惜しいですが…。」
暇(いとま)の挨拶をしてアルフォンス将軍が席を立つ。
何故かわからないが、私はアルフォンス将軍の着物の袖を掴んでいた。
彼女ともっと話がしたい。
まるで子供のような欲求を抑えることが出来なかった。
「アドライグ様、どうなさいました?」
「…………あ、いえ。」
自分が何をしているのか気が付いて、慌ててアルフォンス将軍の着物の袖から手を放すと、恥ずかしさと照れ臭さのあまりに彼女の顔をまともに見れずに私は目を逸らした。
「………何か言いたいことがあるのでは?」
そう言って彼女は笑って、私の髪に手を伸ばした。
「……サラサラで気持ちの良い髪ですね。」
嬉しい。
何でもないことなのに、彼女に褒められて嬉しいと感じている私がいる。
たぶん、それはきっと……。
「アルフォンス将軍、私は自分の出自がわからないのです。過去がないのです。本当の両親の顔も知らず、物心付いた頃には人間の母に育てられていました。あまつさえ自分はリザードマンではなく、私は『人間』なのだと思って生きてきたのです。」
「…………。」
「母と私の種族が違うと気が付いた時、私は母との間に見えない壁を作ってしまいました。あんなに大好きな人だったのに、あんなに大切に育ててくれたというのに、母からではなく私の方から母を拒絶しました。……私は『リザードマン』でありながら『人間』なのです。」
きっと、『砂漠の民』の存在を知ったからだ。
私にも同じ鼓動と起源を持つ誰かがいるかもしれない。
私のことを遠い昔に袂を分かった一族だと錯覚した、とアルフォンス将軍は語った。
でも、それは私もそうなのだ。
「私は…………人間にもリザードマンにも成り切れない半端者です…。」
私は 何者なのですか
帷幕の中には重い沈黙が舞い降りた。
リオンも何か言おうとしたが、言葉が見付からずに何度も口を閉ざす。
アルフォンス将軍も無言のまま、私の髪を撫でながら、真っ直ぐに私を見詰めている。
「…………………アドライグ様。」
彼女は、ようやく重たい唇を開いた。
「………あなたもなのですね。」
「……あなたも、とは?」
アルフォンス将軍は何も答えないで微笑むだけ。
そして不意に私を引き寄せると、優しく包み込むように彼女は私を抱き締めた。
髪を撫でながら抱かれて、彼女の柔らかな胸の向こうから、トクン、トクン、という心臓の音が規則正しく耳に届くと、私は彼女の温もりと良い匂いに段々と心が落ち着いていくのを感じていた。
「……それでは私もお役目が御座いますので失礼します。」
ゆっくりとアルフォンス将軍は彼女の胸から私を解放し、名残惜しさと不安感を拭えない私を安心させるように、にっこりと真夏の向日葵のような眩しい笑みを浮かべてくれた。
「…アルフォンス将軍。」
「覚えていてください。アドライグ様を想う者はここにもいますということを。私はあなたが例え『砂漠の民』と何ら関係がないとしても、あなたとの繋がりを大事にしたいと思うのです。過去はどうしようもありませんが、これからの『未来』は作れます。」
「………未来。」
未来と聞いて、私は一つだけ思い当たることがある。
誰との繋がりも感じられなかった私には、現在に繋がる『過去』も、現在から続いていくであろう『未来』も何一つなく、うまく言えないがその唯一残った『現在』でさえ虚ろに感じている。
文字通り私には何一つなかったのである。
「……私にも、作れるのでしょうか。」
何もない私にも未来は訪れるのだろうか。
不安げに訊ねると彼女は、優しく私の頬を撫でながら答えた。
「作れますよ。」
「何故……断言出来るのですか…。」
「だって、『今』目の前にいるアドライグ様の目は、とても綺麗に輝いていますもの。」
アルフォンス将軍の言葉に、私は全身の力が抜けてしまった。
生まれて初めての感覚。
生まれて初めて、私は『自分』で『自分』を認識出来たような気がした。
今この瞬間 私が アドライグが 生まれた
……………………………。
…………………………。
………………………。
……………………。
アルフォンスが退出して、帷幕の中はリオンとアドライグの二人きりとなった。
初めに言い争いをしてしまったのを思い出したのか、微妙な居心地の悪さから沈黙気味に二人はそわそわしながら、時々お互いを気付かれないようにチラチラと横目で観察していた。
意識しているのである。
それをどのような感情で表現して良いのかわからないが、二人は互いの存在を意識せずにはいられなかった。
そんな空気に耐え切れなくなったアドライグは、ポツリと言葉を零した。
「……………ごめん、何だか情けないところを見せた。」
それだけ言うと彼女は顔を赤くして、リオンの顔を見ないようにそっぽを向くと、手持ち無沙汰と所在を持て余した尻尾を忙しなく体位を変えながら、そのまま無言に戻ってしまった。
これ以上どんな会話をして良いのか、アドライグにはわからなかった。
そんなアドライグに、リオンも同じように言葉を漏らした。
「……………………やっぱり、大人なんだなぁ。」
ずるいや、とリオンはアドライグに聞こえないように言う。
放っておけない。
そんな風にされたら気になって仕方がないじゃないか。
リオンの心の中に、アドライグがいる。
アドライグ様と別れて、私は暗い空に向かって深い息を吐く。
自分の起源を知らない彼女に敢えて申し上げなかったけど、アドライグ様は間違いなく『砂漠の民』を起源に持つ仲間なのだという確信が私の中にはあった。
だが、それ以上に感じたこと。
彼女を抱き締めた時に感じた匂い。
彼女を抱き締めた時に感じた鼓動。
それは、間違いなく私と同一の鼓動だった。
まさか、いや、それでも……そういえば、アスティア様から不思議な話を聞かせていただいた。
それを思うと、非現実的な答えだけが濁った水が濾過されて綺麗な水になるように、曖昧な現実的な答えを打ち砕いて私を納得させた。
嗚呼、そうなのか。
そういうことだったのか。
………だがそうであるならば私は。
「…………あなたは私の…。」
宿ったばかりの命がここにいる。
その宿ったばかりの命を慈しむように私は腹を撫でた。
どうか、あなたに幸あれと願わずにはいられなかった。
どこまでも広がる冷たい荒野
大地を埋め尽くす横たわった人々
その横たわる人々の墓標のように突き刺さった剣。
見渡す限りの殺害の跡
空はどんよりと鉛のように重く
大地は何とも頼りなく広がっている。
真っ黒な鴉が音もなく人々に群がり
粘液のように重たく腐臭漂う空気の中で
飢えた鴉は人間を塵に変えてしまうかのように貪り喰らう。
僕は何も出来ず ただ無感情にその光景を見詰めている。
嫌悪も 憎悪も 悲哀もない。
男も 女も 老いも 若きも 横たわる人々には誰一人顔がないのだから。
遥か彼方に顔のない『僕』が同じように立ち尽くしている。
手には赤黒く濡れた美しい『魔剣』を手にしている。
嗚呼、君がやったのか。
嗚呼、そうだ 僕が殺ったのだ。
だから僕はこうして罪の鎖に縛られて ただ立ち尽くしているのか。
誰かの夢や愛を無色に変えながら偽善的な理想に酔う。
傷付きたくないから僕は君で 君は僕を演じてくれる。
本当の自分の輪郭は見えないまま
きっといつの日か裁かれて地獄に堕ちる時
僕は果たして君として消えるのか
それとも僕は僕として消えていくのか。
そんな未来への暗示なのだろうと 僕は儚い夢の中で目を閉じる。
「リオン」
嗚呼、彼女が呼んでいる。
僕は………僕は「リオン」として生きて良いらしい。
暖かな手
これだけは 僕が僕である証明なのだと思う。
「それでリオン、君は私が背中に冷たい汗を流しながら……こ、皇帝陛下に拝謁していたというのに、君は帷幕で暖かい紅茶の接待をのんびりと受け、あまつさえ私の苦労も知らずに美人相手に鼻の下を伸ばしていただなんて見損なったぞ。」
「だから誤解だってば!!!」
アドライグがノエル=ルオゥムに謁見している最中、手持ち無沙汰となったリオン=ファウストは皇帝侍従の一人であるキリエ=アレイソンに来客用の帷幕に招かれていた。
アドライグの言う通り、彼女が背中に冷たい汗を流しながらギリギリのペテンとハッタリを皇帝一同の前に披露している頃には、リオンは皇帝であるノエルも満足する腕前の、キリエの淹れた紅茶での接待を受けて身も心も温まり、ホッと一息吐いていた。
かつては教会騎士であったものの、現在は一介の兵卒の一人に過ぎない。
それだと言うのにこの厚遇は、キリエに脅しを掛けるような、まだ誰も知り得ない情報を言い放ったアドライグの従者という認識から来る畏れもあっただろうが、ひとえに彼の持つどこか子供のような温和な雰囲気のおかげだったのかもしれない。
だが、タイミングが悪かった。
彼女にとってトラウマというべき軍師・バフォメットのイチゴからも解放されて、折れそうな心を必死に奮い立たせて、リオンの待つ帷幕へ案内されたアドライグがそこで見たものは、彼女の苦労も知らず人畜無害な笑顔で紅茶を啜り、美女の分類に入るであろう、彼女の知らない褐色肌のリザードマンと談笑しているリオンの姿であった。
「誤解?これが誤解だと言うのなら世の中の男性諸君は、誰もがこの状況を誤解と言って正当化出来るだろうな。私の苦労も知らないで、美女を侍らせて優雅な一時とは所詮君も教会側の権力者と精神構造が同一と見える。」
ダンッ、とアドライグはテーブルを叩く。
その音に釣られて、リオンは身体をビクリと強張らせた。
「だからそれが誤解だってば…。僕は彼女と顔見知りで。」
「ほぉ、顔見知りですかそうですか。そりゃお盛んですこと。あっちこっちに顔見知りの美女がいるってことか。そういえばそうだよ、君のおかげで嫌なことを思い出したよ。君みたいな人畜無害そうな顔した男は大体がハーレムかってくらいにモテて、選り取り緑に美女が寄って来るものなんだよな。」
彼女の脳裏に浮かんだのは、彼女の時代に生きるセラエノ学園二代目学園長であるサクラ=サワキ、そして幼いながらも美女にしか懐かないという将来に不安を感じさせるサクラの息子の姿であった。
ちなみにサクラの場合は本人の希望に反して、女性のように美しく整った顔とリザードマンやドラゴンを凌駕するという武術の腕前、そして先代学園長を反面教師とした誠実でストイックな精神性のせいで、男女問わず多くのファンを生んでしまったということを、本人の名誉のために付け加えておく。
「いや、そんな関係じゃなくって…。」
「これからそういう関係になるおつもりですかそうですか。男なんて……男なんて……所詮この人みたいに胸がデカくて腰が括れてて尻がデカければそれで良いんだろ!」
かなり無理はあるが平静を装っていたアドライグだったが、ついに自分を抑え切れず、目に涙を一杯溜めながらテーブルを再び叩き、声を荒げてリオンに食って掛かる。
嫉妬である。
最近友人として情が湧いていたリオンと自分の知らない美女が談笑している。
それが彼女には何故か許せなかった。
「ア、アド……な、泣かないで…!」
「泣いてなんかいない!!」
「泣いているじゃないか。」
「泣いてない、馬鹿!!何で私が君のために泣かなきゃいけないんだ!!」
そんな様子を、アドライグに胸が大きいと言われたリザードマンは、何やらそんなアドライグの子供染みた様子があまりに滑稽で、着物の袖で口元を隠し、顔を背けると声を殺してクフクフと笑い始めた。
見ればそのリザードマンは、洒落た薄紫色の薄手の着物を鎧の上から羽織り、しばしば戦闘狂と揶揄されるリザードマンでありながら、セラエノで身に付いた大和気質から醸し出される気品と知性を匂わす仕草、そして腰に佩いた太刀の鞘の装飾から低からぬ身分であることがわかる。
「そろそろリオン様を許して差し上げてくださいませ。」
そう言って彼女はアドライグに微笑み掛けた。
泣いているのか怒っているのか、アドライグは色々な感情が交じり合ってしまい、彼女に何か言おうにも喋ろうとした瞬間に呼吸が乱れて、思わず唾や空気を飲み込んでしまったために、ゲホゲホと苦しそうに咳き込んだ。
「まぁまぁ、これは大変。」
彼女は咳き込むアドライグの背中を優しく擦る。
そうしている間もアドライグは苦しそうに咳き込むのだが、背中を擦られることで生まれるスキンシップのせいなのか、リオンへ向けられた理不尽な怒りが消え失せていき、段々と平静を取り戻していった。
「あ………ゴホッ…ありがとうござい……ます…。」
顔を真っ赤にして礼を述べるアドライグだったが、それが咳き込んで呼吸が出来なかったからなのか、それとも自覚も出来なかった嫉妬で取り乱すという恥ずかしい姿を見せてしまったからなのかはわからなかった。
「余程リオン様をお気に入りですのね。」
「……いえ、そのようなことはありません。絶対、金輪際、永遠に。」
キッパリと答えるアドライグに、
「………それはそれで傷付くなぁ。」
とリオンは口を尖らせて、悔しそうに俯いて呟いた。
「ふふふ、そういうことにしておいてあげましょう。では落ち着かれたところで自己紹介させていただきますね。同盟軍総司令官・紅龍雅が副官、アルフォンスと申します。お互いに戦地は違いますが、これからは何かと顔を合わせることもありましょう。同族同士でもありますし、どうぞお見知りおきを。」
アルフォンス………アルフォンス…
アドライグは頭の中でその名前を繰り返した。
そんな名前……私は知らない…。
知らないのに………この人のことは知っている気がする…。
「それと先程スタイルがどうのと申しておりましたが、あなたも負けてはいないと思いますよ♪」
アドライグの戸惑いを他所に、アルフォンスは優しく微笑んでいた。
―――――――――――――――――――――――
誤解(?)から生まれた怒りが急激に冷めていくと、今度は顔から火が出るような恥ずかしさが怒涛の如く襲って来て、まるで呪文の高速詠唱のように、私は長々しい謝罪の文言を述べると、アルフォンス将軍に額を擦り付けんばかりに土下座していた。
「あああああの、どうか頭を上げてくださいませ…!」
「いえ本当にすみませんお恥ずかしいところをお見せしただけでなくアルフォンス将軍にまで矛先を向けてしまい本当に申し訳ございませんつーかこの人畜無害の大馬鹿者が本当に腹を立てさせる存在で申し訳ございませんでした!!!!」
「アドライグ、さり気に僕を貶すのやめてくれないか?」
五月蝿い馬鹿。
そもそも君が鼻の下を伸ばしていたのが悪いんだ。
………いや、蒸し返すのはやめておこう。
また恥を掻きかねないしな。
「……まだ怒ってるだろ?」
「怒ってない。」
「…嘘、怒ってるじゃないか。」
「だから怒ってない。」
そんな不毛な言葉の応酬を人畜無害……もとい、リオン=ファウストと繰り広げていると、アルフォンス将軍が私たちを見て、クフクフと再び笑いを噛み殺していた。
「本当に仲がよろしいのですね。」
「「気のせいです。」」
不本意ながら二人して否定が被ってしまった。
それがツボに嵌ってしまったのだろう。
ついにアルフォンス将軍は堪らず吹き出し、腹を抱え、声を上げて笑い始めた。
…………そんなに可笑しかっただろうか。
……それにしても、私は一体リオンの何に対して怒っていたのだろう。
……………………………。
…………………………。
………………………。
……………………。
「……ところでお話は変わりますが、アドライグ様は『砂漠の民』と何か御関係が?」
和やかな雰囲気でのムルアケ街道の状況やクスコ川本陣の近況の情報交換、それから雑談やこれまでの味方の武勇伝などをアルフォンス将軍やリトルの口から語ってもらっていた時、不意にアルフォンス将軍が私に遠慮がちに問い掛けてきた。
「………いえ、わかりませんが…そもそも砂漠の民とは一体…。」
「…そうですか。もしかしたらアドライグ様は私の一族の生き残りでは、と思っただけです。」
少しだけ悲しそうな顔をして、彼女は語ってくれた。
彼女の語ってくれた砂漠の民とは、ただ単に砂漠に点在する多くのオアシス都市に生きる者たちではなく、敗れ去った者たちの末裔なのだとアルフォンス将軍は言う。
「ヴァルハリア教会や、それに類似する宗派に従属する勢力により駆逐され、虐殺されて、それらから逃れるために砂漠という極限地帯を生きる場所と定めた者たち。新旧それぞれの勢力や部族がありますが、それが『砂漠の民』の始まりなのです。」
…………思わず生唾を飲んだ。
………およそ20年先、私の生きる時代でさえ、そんな話題は事欠かない。
だが私の知っている情報よりも『生きたリアル』が語られている。
「砂漠の民の多くは褐色の肌をしているのです。アドライグ様を見た時、遥か過去に道を分かった一族が私に会いに来てくれた。そんな錯覚を覚えてしまったのです。………不快に思われたなら謝罪致します。」
「い……いえ…、不快だなんて…。」
考えたこともなかった。
セラエノや帝国で、他の誰とも同一ではなかった肌の色。
それならば………私の両親というのも………母さんに私を託した本当の両親というのも、そういった理由で迫害から私を守るために…?
私が自分の思考に没頭しかけた時、リオンが青い顔をしていることに気が付いた。
僕 は 知っている
声にならない声が、強張りながら動く唇で発言した。
「…………知ってる?」
声にならなかった言葉に、私は疑問を投げ掛けた。
彼はただ無言で頷く。
「…………………リオン、まさか君もそういうことをしていたのか。」
「……………していない。」
「………………信じて良いのかい?」
再びリオンは無言で頷く。
「…………僕が知っているのは、事後処理での話だ。アドライグは知らないかもしれないけど、ヴァルハリア教会騎士団というのは騎士団と銘打っているけど、実際のところ騎士として役に立つ人物はあまりいなかった。だから出動の多くはヴァルハリア教会大司教の名代として戦地に赴き、教会の威光を民に知らしめる目的で布教活動を行ったり、大司教からのありがたくはないお言葉を武功を立てた者に恭しく伝えたり、そんな嫌な戦後処理に明け暮れていた。」
そこで目にした惨状はやり切れなかったよ
リオンは重たい溜息を吐く。
「…………僕が教会に対する背信行為を決意したのはその頃だよ。誰一人生きちゃいない。戦闘員、非戦闘員、男も女も人間も魔物も誰一人生きちゃいなかった。槍や剣が墓標みたいに突き刺さって、夕焼けで真っ赤に染まった大地が血塗れの大地に見えた。あの時からだよ。一人でも多く逃がしてやりたい。それが自己満足と嘲笑われて良い。あの光景に心を傷めなかった木偶人形には、一生わからないだろうと思う。」
まるで背筋に氷の刃を突き立てられたような、リオンの表情に見たこともない冷たくて暗い光を見たような気がした私は、ゾクリとした嫌な冷たさにリオンに何も言えなくなってしまっていた。
「………リオン様を責めるつもりは御座いません。」
そう言ってアルフォンス将軍は静かに瞼を閉じる。
私は…………砂漠の民なのか…。
私は私の知らない『自分の起源』に思いを馳せる。
私は、私がわからないのだ。
人間、ノエル=ルオゥムに育てられたリザードマン。
物心付くまで自分は人間だと思い込んでいた種族の異端児。
今でも私は『人間』と『リザードマン』の狭間でアイデンティティが揺れている。
―――――――――――――――――――――――
アルフォンス将軍に召集が掛かったと、キリエが(おそらく母の)伝令として帷幕に顔を現した。
未来でもそうだったが、この当時から色々使い勝手の良い男だったらしい。
「それでは名残惜しいですが…。」
暇(いとま)の挨拶をしてアルフォンス将軍が席を立つ。
何故かわからないが、私はアルフォンス将軍の着物の袖を掴んでいた。
彼女ともっと話がしたい。
まるで子供のような欲求を抑えることが出来なかった。
「アドライグ様、どうなさいました?」
「…………あ、いえ。」
自分が何をしているのか気が付いて、慌ててアルフォンス将軍の着物の袖から手を放すと、恥ずかしさと照れ臭さのあまりに彼女の顔をまともに見れずに私は目を逸らした。
「………何か言いたいことがあるのでは?」
そう言って彼女は笑って、私の髪に手を伸ばした。
「……サラサラで気持ちの良い髪ですね。」
嬉しい。
何でもないことなのに、彼女に褒められて嬉しいと感じている私がいる。
たぶん、それはきっと……。
「アルフォンス将軍、私は自分の出自がわからないのです。過去がないのです。本当の両親の顔も知らず、物心付いた頃には人間の母に育てられていました。あまつさえ自分はリザードマンではなく、私は『人間』なのだと思って生きてきたのです。」
「…………。」
「母と私の種族が違うと気が付いた時、私は母との間に見えない壁を作ってしまいました。あんなに大好きな人だったのに、あんなに大切に育ててくれたというのに、母からではなく私の方から母を拒絶しました。……私は『リザードマン』でありながら『人間』なのです。」
きっと、『砂漠の民』の存在を知ったからだ。
私にも同じ鼓動と起源を持つ誰かがいるかもしれない。
私のことを遠い昔に袂を分かった一族だと錯覚した、とアルフォンス将軍は語った。
でも、それは私もそうなのだ。
「私は…………人間にもリザードマンにも成り切れない半端者です…。」
私は 何者なのですか
帷幕の中には重い沈黙が舞い降りた。
リオンも何か言おうとしたが、言葉が見付からずに何度も口を閉ざす。
アルフォンス将軍も無言のまま、私の髪を撫でながら、真っ直ぐに私を見詰めている。
「…………………アドライグ様。」
彼女は、ようやく重たい唇を開いた。
「………あなたもなのですね。」
「……あなたも、とは?」
アルフォンス将軍は何も答えないで微笑むだけ。
そして不意に私を引き寄せると、優しく包み込むように彼女は私を抱き締めた。
髪を撫でながら抱かれて、彼女の柔らかな胸の向こうから、トクン、トクン、という心臓の音が規則正しく耳に届くと、私は彼女の温もりと良い匂いに段々と心が落ち着いていくのを感じていた。
「……それでは私もお役目が御座いますので失礼します。」
ゆっくりとアルフォンス将軍は彼女の胸から私を解放し、名残惜しさと不安感を拭えない私を安心させるように、にっこりと真夏の向日葵のような眩しい笑みを浮かべてくれた。
「…アルフォンス将軍。」
「覚えていてください。アドライグ様を想う者はここにもいますということを。私はあなたが例え『砂漠の民』と何ら関係がないとしても、あなたとの繋がりを大事にしたいと思うのです。過去はどうしようもありませんが、これからの『未来』は作れます。」
「………未来。」
未来と聞いて、私は一つだけ思い当たることがある。
誰との繋がりも感じられなかった私には、現在に繋がる『過去』も、現在から続いていくであろう『未来』も何一つなく、うまく言えないがその唯一残った『現在』でさえ虚ろに感じている。
文字通り私には何一つなかったのである。
「……私にも、作れるのでしょうか。」
何もない私にも未来は訪れるのだろうか。
不安げに訊ねると彼女は、優しく私の頬を撫でながら答えた。
「作れますよ。」
「何故……断言出来るのですか…。」
「だって、『今』目の前にいるアドライグ様の目は、とても綺麗に輝いていますもの。」
アルフォンス将軍の言葉に、私は全身の力が抜けてしまった。
生まれて初めての感覚。
生まれて初めて、私は『自分』で『自分』を認識出来たような気がした。
今この瞬間 私が アドライグが 生まれた
……………………………。
…………………………。
………………………。
……………………。
アルフォンスが退出して、帷幕の中はリオンとアドライグの二人きりとなった。
初めに言い争いをしてしまったのを思い出したのか、微妙な居心地の悪さから沈黙気味に二人はそわそわしながら、時々お互いを気付かれないようにチラチラと横目で観察していた。
意識しているのである。
それをどのような感情で表現して良いのかわからないが、二人は互いの存在を意識せずにはいられなかった。
そんな空気に耐え切れなくなったアドライグは、ポツリと言葉を零した。
「……………ごめん、何だか情けないところを見せた。」
それだけ言うと彼女は顔を赤くして、リオンの顔を見ないようにそっぽを向くと、手持ち無沙汰と所在を持て余した尻尾を忙しなく体位を変えながら、そのまま無言に戻ってしまった。
これ以上どんな会話をして良いのか、アドライグにはわからなかった。
そんなアドライグに、リオンも同じように言葉を漏らした。
「……………………やっぱり、大人なんだなぁ。」
ずるいや、とリオンはアドライグに聞こえないように言う。
放っておけない。
そんな風にされたら気になって仕方がないじゃないか。
リオンの心の中に、アドライグがいる。
アドライグ様と別れて、私は暗い空に向かって深い息を吐く。
自分の起源を知らない彼女に敢えて申し上げなかったけど、アドライグ様は間違いなく『砂漠の民』を起源に持つ仲間なのだという確信が私の中にはあった。
だが、それ以上に感じたこと。
彼女を抱き締めた時に感じた匂い。
彼女を抱き締めた時に感じた鼓動。
それは、間違いなく私と同一の鼓動だった。
まさか、いや、それでも……そういえば、アスティア様から不思議な話を聞かせていただいた。
それを思うと、非現実的な答えだけが濁った水が濾過されて綺麗な水になるように、曖昧な現実的な答えを打ち砕いて私を納得させた。
嗚呼、そうなのか。
そういうことだったのか。
………だがそうであるならば私は。
「…………あなたは私の…。」
宿ったばかりの命がここにいる。
その宿ったばかりの命を慈しむように私は腹を撫でた。
どうか、あなたに幸あれと願わずにはいられなかった。
13/01/30 23:23更新 / 宿利京祐
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