連載小説
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第一話・東から来た男
「おい、お前。」
街に着いて、日が沈まないうちに宿を探したい、と思っていた矢先、いきなり声をかけられた。声の方に振り向いてみれば、襤褸布を頭から深く被った女が物陰から俺を見ていた。腕組みして、壁にもたれかかって、少し高圧的な印象を受ける。
「変わった装束だな。ジパングから来たのか?」
ジパング、東の果ての俺の故郷。この大陸にやってきてそう言われ続けているが、相変わらず慣れない単語だ。俺の国では『日の本』と呼んでいたのが、所変われば何とやら。
「ああ、そうだよ。この大陸の装束は肩が凝ってな、俺には合わん。」
故郷を出てから、さて何年だろうか。
それでも、捨てられない太刀と袴と着物。もっともすでに擦り切れて裾はボロボロ、草鞋なんて物も大陸で作ることも出来ず、何年も裸足だ。
太刀がなければ浮浪者と思われても仕方がないだろう。
「珍妙なのは百も承知だが、こちらも先を急ぐ身でな。早急に宿を探さねば日が暮れて、また野宿になりかねん。」
「そうか、宿を探しているのか。ならばこの先の曲がり角を、右に曲がった所にサキュバスのやってる売春宿が通常の宿泊客も扱っている。もっともお前が魔物を憎む教会派でないのなら、という話だがな。」
反魔物派、というものがある。
この大陸に渡って初めて知った文化がそれだった。どうもこの大陸では人ならざる者たちと人間は互いに相容れぬ存在らしい。もっとも、ここ最近ではその勢力を縮小させているらしいのだが、あまりそういうものに首を突っ込まないので今一つ理解に欠ける。
「教会派、と言われても俺はよくわからんよ。それに魑魅魍魎の類なら俺の国には腐るほどいたよ。今更、驚きも恐怖もないさ。」
「チ…、チミモウリョウ?何だ、それは?」
…この国にはない言葉だったか。
「すまない、狐狸妖怪っと、これもわからんな。まぁ、お前さんたちの言う、魔物とやらは、俺の国では拝む対象だったり、日常に溶け込んだ存在だから、特に気にしない。と、言ったんだ。」
「お前の言葉は難しいな。しかも下手だ。もう少しこの大陸の言葉を覚えた方が良いぞ。これからの旅に支障をきたすかもしれん。」
「ご心配、痛み入る。すでに支障をきたして、火の粉を何度も振り払う破目になったさ。宿の情報、感謝致す。」
「どういたしまして。」
この時、俺は襤褸切れの裾から覗くトカゲの尻尾と足、そして深く被ったフードの奥の笑いに気が付いていれば、面倒なことには遭わなかったんじゃないか、と後々まで考える。だが、間抜けにも俺は何も気付かず、教えられた宿へと急ぐのであった。


――――――――――


「あら、珍しいお客。ジパングの方がこんなとこに来るなんて。もっとストイックなイメージがあったんだけどね…。」
宿の受付のサキュバスは、まだ営業時間じゃないんだけど、と念を押して愛想良く微笑んだ。なるほど、男がコロリと落ちるはずだ。色気、淫気、それだけでなく、遊女によくある、男の醜い部分も弱い部分も受け止めてくれそうな包容力も感じられる。
こいつの前では弱い自分、素の自分に戻れるという雰囲気。
要するに『イイ女』なのだな。
「悪いけど、女を買いに来たんじゃないよ。」
「男も扱っていますよ。ガチムチからメガネ君、お時間頂けるなら少年も揃えられますよ。」
思わず、力が抜け、カウンターに頭をしこたま打ち付けた。
するとコロコロと鈴が鳴るようにサキュバスの女は笑う。
「わかってますって。宿を借りたいのでしょう?」
「ああ、そうだ。この町で仕官の当てを探してみようと思うので、しばらく宿を借りたいのだが…。」
「ええ、何日でも。幸いうちは見ての通り売春宿なので、お客の出入りは激しいですが、泊り客はほとんどいません。ですから何日でも逗留なさってくださいな。」
「逗留の間の宿泊代なんだが…。」
「そうですねぇ…。一泊三食、お部屋のクリーニング含めて…、これくらい頂きましょうか?」
手元の算盤らしき物でサキュバスは料金を弾き出した。
「ひい、ふう、…え、いいのか?そんな安くて。」
「ええ、ほとんど迷惑料だと思っていただいて結構ですわ。うちの店の女の子はみーーんな、アレの時の声がすごく大きいので、お客様の精神衛生上不健全なのは間違いありませんので。」
「それは特に問題にならんよ。では世話になろうかな。」
「はい、ご利用ありがとうございます。申し遅れましたが、私は店主のルゥと申します。もし、夜のお供を欲しましたらお声をかけてくださいませ。お客様好みの女の子をすぐにお部屋に向かわせますわ。料金は格安でサービスさせていただきますね。あ、もちろん、私を指名しても構いませんよ。これでもこの店のbRなんですよ。精一杯サービスしますからね。」
「そ、その時は、…すまないが、頼む、かも、しれん。」
俺も男として生を受けたので、否定出来ない。
「では、お部屋のキーとこちらのお守りをどうぞ。」
渡されたのは部屋の番号の書かれた鍵と、勾玉によく似た首飾りだった。
「これは?」
「サキュバス除けの首飾りです。寝る時には必ず首にかけてください。そうすれば、私たちサキュバスも、その部屋にいるのは襲ってはいけない人だと認識しますから。」
「もし…、し忘れたら?」
「安眠と平穏な日常、人間という人生にサヨウナラ、ですね。やんわりと言えば。具体的に言ってしまうと、お客様、今夜から夜のお供をご利用するくらい、勃ちますよ。」
「……いや、いいよ。」
上品な顔で微笑むルゥ。見かけはどうあれ、淫魔なのだと実感する。宿帳に記帳して、俺は足早に部屋に向かった。店主の計らいなのか、部屋は一階の角部屋だという。上の階は色事をする部屋らしいが、俺の部屋の隣は道具部屋らしい。時々、店のサキュバスたちが道具を取りに来るそうだが、それ以外ではすれ違うこともあまりないそうだ。
…艶声さえ克服すれば一月ぶりに布団で眠れる。
今日は寝よう。
仕官先は明日探そう。
俺は部屋に入ると、早速お守りを首にかけ、ベッドに身を投げた。
そして、そのまま、逆らい難い睡魔に身を委ねるのであった。


―――――――――


男が部屋に入り、睡魔と仲良くした頃、再び売春宿の扉が開いた。
「首尾はどうだ?」
入ってきたのは男に声をかけた襤褸布の女だった。先程と違い、身の丈とほぼ同じ長さの大剣を背負い、フードを脱ぎ、素顔を晒している。髪の間からトカゲのようなヒレが覗いているのが、人間ではないという証だが、見た目はまだ17、18歳の少女だった。
「やっぱり、あなたの獲物だったのね。突然、女を買う以外の目的でお客が来たから、もしかしたらと思ったけど、やっぱりね。」
「名前は、わかったか?」
「もちろんよ。でもあなたじゃ読めないわ。彼の国の言葉で書いちゃってるの。うっかりなのか、わざとなのかはわからないけど、たぶん『ロウガ』って読むんじゃないかしら、これ。」
「確か、か?」
「私、スカウトを兼ねて世界を旅行してた時に、ジパングの大陸寄りの端っこの島まで言ったことがあるの。その時に現地の言葉も少し勉強したのよ。」
「そうか、ロウガというのか、あの男。」
少女は少し嬉しそうに笑うと、受付に備えている椅子に腰を下ろした。
「でも、いい加減にしてほしいわね、エレナ。これで7人目よ?あなたのお眼鏡に適った人。」
「いいじゃないか、ルゥ。私も母上の手法を真似ただけだよ。子供の頃からの付き合いじゃないか。あまりうるさく言わないでくれよ。」
「いいえ、よくないわ。あなたのおば様の時はお父上たった一人に目をつけて、この宿で縁を結んだけど、あなたはこれまで6人も縁を切ったのよ。大怪我負わせて、ギルドからも全大陸に指名手配されるし、賞金はどんどん釣り上がるし、おば様も頭を抱えていたわ。」
トカゲの少女、エレナは、心外だと言わんばかりに顔を曇らせた。彼女は種族の掟に従って、なおかつ手っ取り早い方法で将来の夫を選ぼうとしているだけなのだが、種族の違うルゥには理解し難いことだった。
エレナは人間ではない。まして、ルゥと同じサキュバスでもない。
彼女の種族はリザードマン。
戦うことを好み、また夫を娶る場合は自分よりも強い者を迎える種族である。彼女の、目ぼしい男を見付け、ルゥの宿に泊まらせ、決闘を挑むという一連の行動は、彼女にしてみればお見合いに近い感覚なのだが、やられた方は堪ったものではないだろう。
「私の目もまだまだだったと言うことだ。第一、その6人も私にやられた後で無事介抱されて回復したじゃないか。」
「ええ、そうね。そのおかげでうちのbPが5人も入れ替わっちゃったものね。」
ルゥは笑顔だったが、眉間に僅かな皺を寄せていた。エレナがかつて倒した6人の男たちのうち5人は、この売春宿で介抱され、その間に当時のbPだった店の娘と結婚してしまった。めでたいことではあるが、経営者としては抜けた穴を埋めるのにどれほど苦労したか…、と言いたげなルゥの表情に気が付かずエレナは口を尖らせた。
「でも、マズいことになったわね。まさか前回の男が…。」
「反魔物派の教会騎士だった、とはな。」
エレナが6人目に選んだ男は、反魔物派で有名な教会所属の騎士だった。身分と信条を隠して、親魔物派の拠点を偵察し、来たるべき反魔物派にとってのレコンキスタの日のための情報収集の旅の途中だった。しかしそこをエレナにやられ、教会に落ち延びたのが彼女の運の尽きだったと言える。
教会は大々的に、『魔物たちによる人類殲滅の予兆』であると今回の襲撃を人々に布告し恐怖を煽り、各冒険者ギルド、傭兵団などに全大陸指名手配、及び賞金首として、彼女の逮捕、報復、殺害を依頼するに至ったのである。もっともこの布告は名目上は全大陸なのだが、現在、反魔物派の勢力地図は全大陸の2割にも満たないものである。残る8割は親魔物派、つまり共存の道を選んでいる訳なのだが、彼女の場合、何故全大陸指名手配が成りえたのか。
単純に、報奨金が破格だったからである。
たった一人のお尋ね者に付いた報奨金は、向こう200年は一族が遊んで暮らせる程の金額だったのである。これは、兎にも角にもプライドを傷付けられた教会と教会騎士団の報復以外何物でもなかった。
「おかげで私としては修行になった…が、実家には半年も帰ってないな。」
「そのようね。私は時々様子を見に行っているわ。あなたが元気だ、ってことくらいは伝えているけど…。」
「ありがとう。それで十分だよ。」
そろそろ、と言ってエレナは椅子から腰を上げた。
「今夜くらい泊まっていきなさいよ。お風呂にも入っていないでしょう?」
「ありがたいけど、彼…ロウガのために、少し身体を動かしておきたいから森の隠れ家に戻るよ。」
「…随分期待しているのね。どう?彼は強いのかしら?」
見た目はそうでもなさそうよ、とルゥが言うと、エレナは嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、強いよ。私の勘が正しければ、きっと。」
そう言うと、彼女はそのまま娼館の扉を開け、人ごみに紛れて消えていった。
ルゥはただため息を吐くだけだったが、しばらくするとロビーの柱時計が低く響く音で『ボーン、ボーン』と鳴り続けた。もうすぐ店を開ける時間だ、と現実に引き戻らされて、エレナのやることなのだから、自分は見守るしかないかと幼馴染の無事を祈りつつ、開店の準備を始めるのだった。

10/10/05 00:55更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
次回予告

あまりに影どころか情報の少ない主人公ロウガ。
彼はこのまま進んで主人公になりえるのだろうか!?
果たして主人公の実力の程は!?
次回、幻想世界に嵐が吹く!
戦え、ロウガ!
情報は出るのか、ロウガァァァァ!!!



貴重なお時間を割いて最後まで読んでいただき
誠にありがとうございました。

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