第百四話・御剣
「よう、景気はどうだい?」
と、色々と知っているクセに、ヘンリーが苦笑いしながら訊ねる
「良くはないね。」
と、積み上げられた兵法書の山と、膨大な部隊の編成表や兵糧などを記録した書類の山を掻き分けて、サイガが疲れ切った顔で答える。
ルオゥム戦役末期、帝都コクトゥの城壁内部に敷かれた神聖ルオゥム帝国・学園都市セラエノ同盟軍本陣の帷幕の中でよく見られた光景である。
この頃、紅龍雅の皇帝即位、それに伴い龍雅の副将であったアルフォンスが正式に彼の妻、そして皇后になってしまったために、それまで副将補佐という地位であったサイガは、先帝ノエルの薦めもあり、この度正式に『兵安侯』という新たに設けられた位に奉じられると、そのついでで『同盟軍大将軍』にも奉じられることになった。
他にも功ある者たちがいたのだが、セラエノ勢が軒並み公職に就かなかった中でほぼ唯一、正式な位に奉じられて公職に就いたのはサイガだけである。
紅龍雅即位以降、彼が『将軍』、『大将軍』と呼ばれることとなるのだが、皮肉なことに兵安侯とは『兵たちを安んじる』ための役職であり、彼の仕事は同盟軍全体の『兵糧管理』、間に合うかわからなくとも近隣地域への『募兵活動』、遷都を布告し、様々な政務に追われることとなった紅帝の代わりに『部隊編成』などなど、他にも職務とは一切関係のない数限りない雑用を押し付けられることになったため、後世において、彼は自身の名前よりも『雑用将軍』と不名誉な仇名が有名になるのである。
この日も彼はやっと作った休息の時間も、対ヴァルハリア・旧フウム王国連合軍への対抗策を練るために紅龍雅が注釈や解説を書き込んだ、後に『紅操兵書』と呼ばれる兵法書を読み続けていた。
今やサイガはただ馬を走らせて、戦場で槍を振り回すだけの武辺者でいることが許される立場ではなく、自ら策を立案し、如何に犠牲を少なく難局を乗り切るかを考え続けなければならないのである。
すでに2日まともに寝ておらず、彼は紅龍雅の苦労を思い知らされていた。
「大変そうだな。奥さんが恋しいだろ?」
ヘンリー=ガルドが笑いながら、サイガの帷幕にズカズカと入ってきた。
クスコ川防衛線の頃から、彼らの付き合いは深く、龍雅は事務的なことや商人との交渉事のすべてを、自らは事後に承認するのみでサイガに一任してきた。
これにはセラエノ学園でロウガの下で扱き使われた経験が大いに役立ったとされるのだが、その経験を見事に使い切ったのは紅龍雅の人事の妙であろう。
「あ……何だ、ガルドのおっさんか…。あの色ボケクソ皇帝がノコノコ俺の前に顔を出しに来たんなら、ボロクソに文句でも言ってやりたかったんだけどな。で、今日は何の用?」
眠くても眠る暇もないくらいに学ばなければならないサイガは龍雅への恨み言を口にした。
そこには尊敬も忠誠も、その欠片も感じられない。
「そういう口叩けるなら大丈夫だな。用ったって、いつもの通りさ。お前さんに武具と兵糧その他諸々の消耗品などなど、いつもに通りリストと請求書を持って来たんだよ。」
「あー…、そりゃー助かるわー。」
悪いけどコーヒーを淹れてくれ、とサイガは控えていた部下に頼む。
彼の部下はセラエノの者ではなく、帝国軍の少年兵である。
「ひゅ〜♪」
出て行く少年兵を後ろ姿を見ながら、ヘンリーは口笛を吹く。
「何だよ、あんた少年趣味があったっけ?」
「趣味って訳じゃないが、時々うちは男娼も扱うんでね。そっちの趣味の男連中が見たら是非相手をしてほしいって涎を垂らしそうだなと思ったのさ。」
ヘンリーの言葉を聞いて、サイガは溜息を吐いた。
「あれはうちのセンコーの趣味だよ。」
センコーとは同盟軍軍師であるイチゴのことである。
程なくして、サイガの部下の少年はコーヒーを二つ持って現れた。
歳の頃は十二、三歳程なのだが、余程優秀な少年なのだろう。
ヘンリーに出すコーヒーは、客人用の飲みやすいコーヒー。
眠気を覚ましたいサイガに出すコーヒーは、ゼリーのようにドロリとしたコーヒーである。
少年兵が退出の礼をして席を外すと、運ばれてきたコーヒーに口を付けながら、サイガはしばしヘンリーといつものように談笑しながら伝票に目を通す。
「また食料の値段が上がったんじゃないのか?」
「そう言うなよ…。それでもかなり安くしてやってんだぞ。教会派国家は軒並み不作続きでな、食料価格は高騰してて、安定して収穫が出来てる半反魔物国家のコベルノスチアでも食料自給率は大きく落ちてんだ。」
ヘンリー=ガルドの情報は貴重だ、とサイガは理解している。
だからこそ、彼はどんな憎まれ口を叩いても、ヘンリーを大事に扱っている。
「なるほどな……、ずっと疑問だったんだ。何で周辺の教会派国家が攻め込んで来なかったのか…。なるほどね、兵糧を確保出来ないんじゃ軍を維持出来ず……、自国の食料確保のために国庫を消費し続けているってことだったんだな。」
「おかげで俺たち商人は潤っちゃいるけどね。」
潤っている、とは言うもののヘンリーにも疲れの色が見えている。
口で言うほど楽な商売ではなく、同盟軍に卸す食料を確保するために方々を駆け回り、尚且つ様々な情報を仕入れてくるのは並大抵の苦労でないのは想像に難くない。
「しっかし、この帝国も変わったな。俺も何度かコクトゥに来たことはあるけどよ、ここまで活気があったかと聞かれりゃなかったと答えるしかない。戦時中かって疑う程、市場が立ち並んで……これから住み慣れた街を捨てなきゃならんってのに、誰もが何て明るい顔をしてやがるんだ。」
「何人か、うちの魔物とくっ付いたよ。」
そう言ってサイガはコーヒーに口を付ける。
まだ少ない数ではあったが、帝国兵とセラエノの魔物が数組夫婦となっている。
これが帝国の変革なのか、と考えれば、これはまだ序の口なのだろうとサイガは思う。
本当の変革はこれからなんだと、彼はセラエノに残した妻や娘、そしてセラエノを必死になって守っているであろう親友とその恋人を思い描き、自分が龍雅の下でやろうとしていることに改めて心を引き締める。
「待ってな……、俺たちが少しはマシな時代にしてやるよ…。」
誰にも聞こえないようにサイガは呟く。
後にセラエノ学園を継ぐことになるサクラは、終生サイガを自らの兄貴分として敬ったと伝えられているのだが、それはサイガの呟きに表されているように彼は大事なものをその命を盾に守り続ける男だった、と史記はひっそりと記している。
「…………ふぅ、良いコーヒーだった。」
「そりゃどーもー。おーい、美味かったってよー!」
サイガの声に、帷幕の外で控えるコーヒーを淹れた少年兵は照れていた。
「で…………ガルドのおっさん。」
「何だ?」
「惚けんなよ。いつも通りの仕事にしちゃ、いつもより品物の集まりが悪い。あんたがそんなお粗末な仕事をするとは思えない。何かあったのか?」
「………………。」
ヘンリーは黙り切ってしまった。
余程言い辛いことなのか、空気は重く、ヘンリーは口を横一文字に結んでしまった。
「…………酒、あるか?」
「……ああ、あまりアルコールは強くないけど。」
構わない、とヘンリーが呟くので、サイガが酒瓶を開けてさっきまでコーヒーで満たされていたカップに酒を波々と注ぐと、ヘンリーはそれを一気に飲み干して、大きく息を吐いた。
「実はな…、今日はムルアケから来たんだ…。」
ムルアケから来た、と聞いただけでサイガは思わず立ち上がった。
ムルアケから来たのが使者ではなくヘンリーが来たという意味を瞬時に理解したのだった。
使者を出す余裕が、ムルアケにはないということだ。
「ムルアケは戦闘に入った。敵さんの指揮官は大したことはない連中だが、あの敗残兵の烏合の衆に一人だけ……、戦略を崩壊させる戦力が混ざってやがる。」
「………おっさん、セラエノはヤバイのか。」
くくっ、とヘンリーは笑うと懐から煙草を取り出し火を点けた。
「全滅はしないだろうが……、そいつが先陣を斬っている以上は士気の低下が痛いだろうな。」
サイガは眠かった頭を覚ますように、自らの頬を叩いた。
そこにいたのは、ただの若武者ではない。
自らの使命を知っている戦士の顔があった。
「おっさん、後で報酬を上乗せしておく。俺はこれから無理矢理にでも紅帝に謁見しなければならなくなったらしい。しばらくはゆっくりしていてくれ。後で酒と女を用意してもらうから寛いでいてくれ。」
「酒だけもらうよ。女は間に合っているしな。」
サイガは振り返らず、帷幕を後にする。
彼の脳内は龍雅の如く目まぐるしく状況を整理し、どうすれば良いかを考え始めていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
紅龍雅の姿を今に伝える肖像画は数多く残されている。
だが、それらのほとんどが彼の死後に描かれたもので正確性は乏しいものであるとされるのだが、たった一枚だけ同時代、それも彼の生前に下書きを起こされた肖像画が残っている。
帝国西部出身の画家、グリエルモ=ブノー作『我が紅帝』。
その絵は皇帝を遺した肖像画の中でも異彩を放って、今も学園都市セラエノのファウダンル美術館にひっそりと飾られ、紅龍雅やこの時代に生きた人々を偲ぶ人々の目に触れられて、その姿を今に伝えている。
神聖ルオゥム帝国歴代皇帝、またはあらゆる王国の王たちの肖像は、その絶対的な威厳と民を照らす暖かみを以って描かれているため、歴代の王や皇帝たちはゆったりとした衣装でゆったりと玉座に腰掛けたポーズ、そして穏やかな笑顔で描かれている。
それはノエル帝やフィリップ王、さらにはユリアス大司教にしても例外ではなく、多少の差違はあっても、まるでテンプレートがあるかのように決まった構図で描かれ続けたことに対して、この『我が紅帝』はゴチャゴチャした執務室で疲れ切った表情を浮かべてはいるものの、姿勢を崩さずに何の変哲もない椅子に座り、迷惑そうに画家を見ている紅龍雅が描かれている。
完成をしたのは彼の死後であったのだが、彼や帝国を取り巻く状況に、肖像画のためにモデルをする時間すらなかったという、龍雅の当時の状況がよくわかる一枚である。
「グルジア殿、民がオルテへ移動を完了する見込みは?」
「はい陛下。急がせて4日程かかるかと…。」
皇帝の執務室で、俺はグルジア殿と今後の方針を確認し合っていた。
遷都の布告をし、民は徐々にではあるものの、新帝都オルテへと移動を始め出した。
オルテは南の要塞都市だという。
地図上ではセラエノとは目と鼻の先の距離であるという利点や、帝都コクトゥに次いで商業や流通の要であるということもあり、急な遷都ではあるが現オルテ太守を同格の重職、もしくは状況が落ち着いたら栄転ということでどこかの都市の太守となってもらうことで人事の面でも問題は解決出来る。
だが………問題は…。
「………連合軍がここまでの到達予想は後3日。ヒロ=ハイルが騎兵を指揮する場合はもっと早いことを頭に入れねばならない…。」
「では陛下、さらに急がせますか?」
民の移動をさらに急がせる提案をしたグルジア殿に俺は手を振る。
「駄目だ、この遷都は民に不満を持たせてはならない。例え、敵の方が早く到達しようと、俺たちは身体を張って彼らを守らねばならない。それが俺の義務であり、後々そのことはノエルのためにも役に立つはずだ。」
「…………やはり、陛下は。」
ああ、と言って俺は頷いた。
「この遷都が完了し、戦局が安定を見せたら帝位をノエルに還す。本来、これは俺のものではなく、彼女の血筋が勝ち取った場所だ。俺がいて良い場所ではないし、第一俺は皇帝なんて柄じゃない。沢木の下であちこちに戦い歩く方が性に合ってる。」
「……何となくは感じておりました。陛下はどこか御自身のために政務をこなしているというより、誰かのために政務をこなしているようにもお見受け出来ましたので。」
リヒャルト老人より、このグルジア殿の方が話が通じる。
もしもノエルが登用する人材に迷ったのならば、俺は今一度彼を推そうと思う。
彼の曲がらない信念は、時に諸刃の刃となろう。
だが、それを差し引いても彼は帝国に必要な人材だと思う。
この毒を制することが出来れば、彼女はより高く皇帝への頂を登れるだろう。
「その後は、夫婦揃って……いや我が子諸共、正式にノエルに仕えてやっても良いな。ご苦労だった。しばし休んで、再び遷都計画を進めてくれ。」
「それでは陛下、下がらせていただきます。」
深々と例をしてグルジア殿は執務室を出て行く。
酒の一杯でも飲みたいが、そういう状況ではない。
今度は………。
「サイガ、入れ。」
言われるまでもなく扉を開けて入ってきたのは、大将軍を押し付けたサイガ。
また……今日もゆっくり出来ねぇらしい…。
…………………。
………………。
……………。
「………ではムルアケは沢木の野郎に任せることにして、こちらからは援軍を送らない。こちらの大部分の兵力は、ムルアケへの援軍ではなく、オルテ大移民団の護衛に当てる。それで良いな?」
「ああ、ここに来るまでに色々考えたけど……。」
それが一番妥当じゃないかな、とサイガは答えた。
ムルアケに布陣したセラエノ軍の戦場を考えれば、山間の狭い戦場にこれ以上兵力を投入しても沢木にとって足手纏いでしかなく、また敵の背後を獲って挟撃を仕掛けるということも考えられたが、連合軍本隊の帝都コクトゥへの到着日時を予想すれば、背後を獲ろうとして、敵に援軍の背後を獲られるだろう、という結論に至ったが故の決断だった。
「気になるのは……学園長の敵方に戦略を崩す戦力がいるって聞いていることなんだ。地形的にも戦略的にも学園長の方が有利なんだけど……、そんなやつがいるなら士気が上がらないんじゃないかって心配でさ…。」
サイガは状況を整理して神妙な顔をした。
なるほど、俺が色々言う前にこいつはこいつで成長しているらしい。
男子三日会わざれば……とは良く言ったものだ。
実際、本当にこいつと顔を合わせるのは三日ぶりだったりする。
「そこまで考えるなら大丈夫だ。サイガ、この場合は戦力と戦術を計ると同時に利も考えなければならない。兵法書の応用、まずは地の利だ。地形はお前も知る通り、同等の戦力ならば絶対的に有利なのは沢木の方だ。あの野郎はいつ間にか歳を取って、古狸みたいな邪悪さで敵方を翻弄するだろう。その次に人の利を考えろ。幸いなことに沢木の下には奥方のアスティア女史がいる。その上、予言者が側に控えているだろうし、旅の武芸者たちが数名旗下に加わったとも聞いている。士気の低下は早い内に好転するだろう。」
言い終わると、俺は飲みかけの冷めてしまったお茶を飲む。
………ん?
今日、淹れてもらった記憶がないぞ。
……いつのお茶だ?
「最後に考えるのは天の利だ。」
「天の……?運とか神頼みってことなのか?」
キョトンとした顔でサイガは訊ねる。
やれやれ、まだまだ実戦を積ませなきゃならないな。
「天の利は、俺だ。突発的に沢木と戦闘を始めた連中も、宗教如きを旗印としてこの国に攻め込んだ連合軍本隊も、やつらの最大の不幸は、俺がこの時代に生まれ、この地にいる。それだけで連中は天から見放されている。」
絶対的な龍雅の自信に、サイガは後に心の底から呆れたと回顧している。
だが思い返してみれば、連合軍本隊はフィリップ王など龍雅に痛い目に遭い続けたことで彼を恨み続けた人物が数多く、彼を討ち取ることを目指して進軍し続け、ムルアケで交戦状態になった学園長ロウガに至っても、後方を彼に任せているようなものだったから、あながち彼の存在が天の利だったというのは間違いではなかった、とサイガは後世に伝えている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
長時間をかけた今後の軍事確認が終わって、俺はやっと一息吐いて紅さんの執務室を後にしようとすると、後ろから呼び止められた。
紅さんの手にはヘンリーのおっさんが持って来た請求書の束。
「ああ、それな。最近、食料の値段が高騰しているんだって…。」
「いや、そんなことはどうでも良い。前々から聞きたかったんだが、お前は公文書に署名する時、いつも名前しか書かないが……お前は苗字を持っていないのか?」
苗字…?
ああ、そんなことか。
「俺の両親は確かにジパングの人だけど、学園長みたいに苗字があるような良家じゃなかったみたいでさ。武器職人の親父も、生まれ故郷のえーっと……確かヒゼンって国のサイオーサイって名乗ってたらしいんだけど、ろくに字も書けやしないから、今じゃ名無しのサキザエモンって名乗っているよ。」
「そうか…。」
紅さんは何やら考え込んでしまった。
だが、それもほんの僅かな間のことで、紅さんは頭を掻き毟りながら俺に訊ねた。
「サイガ、お前はどんな人物になりたいんだ。」
「俺…?」
「ああ、その槍で道を拓き絶世の武将か。それともその得た地位を元手に財を築き、お前も知らぬ更なる高みへと登るのか。どうだ、お前はどんな人物になりたい。」
絶世の武将か…。
学園で槍を覚えて、こうして戦場に出た以上は槍で身を立ててみるのも面白いかもな。
いや、財を成してただの武器屋の倅から脱却するのも悪くない…。
でも………俺はそれ以上にしたいことがあった。
「へっ、クソ皇帝。この俺を誰だと思っていやがる。」
「ほぉ?」
「俺はサイガだ。俺は自ら立てた誓いを守るため妻と娘たちを、この槍が届くすべての連中を守ってやると決めた男だぜ。そして俺の魂の兄弟、サクラとマイアのためなら何だってしてやる良き兄貴でいたいんだ。槍で身を立てる、財を成す。そりゃあ確かに面白そうだ。だがな、俺が何より好きなのはあいつらの笑顔を見ることなんだよ。」
俺は思いっ切り、紅さんに向かって人差し指を指してやった。
「俺の槍はサクラのためにある。俺の脳はセラエノのためにある。つまりは俺のすべてはあの街を守るサクラたちのために存在するってこった。」
幼い頃の、死んだ母親との約束。
誰かを守ってやれる人間になる、という約束はこうして俺を構成している。
いつの間にか……守らなければならないものが増えてしまったけれど。
「………では、サイガ。長らくほったらかしになっていたが、クスコ川防衛戦における武功に恩賞を取らす。謹んで受けやがれ。」
誰がクソ皇帝だ、と言って紅さんは笑った。
「沢木が跡取り、サクラ少年の懐刀を自負するお前の思い。真に以って天晴れである。そこでお前に、その生涯において次期『御』大将を守護せりし『剣』となることを命じる。以後、その姓を『御剣』と名乗り、我が前で吐いた言葉を、その生ある限り証明し続けよ。」
俺もお前の誓いとやらを見届けたい、と紅さんは笑った。
後から知ったんだけど、紅さんは若い頃、学園長たちと一緒に見た輝くような夢を自分の手で砕いてしまったことを、ずっと悔やんでいたらしい。
そんな自分の過去があったから………。
自分の夢を俺に託したんじゃないか、と俺は紅さんの死後、考えるようになる。
少し、己惚れすぎだろうか…。
御剣西院雅、またはサイガ=ミツルギという名で、彼は公式な記録に残る。
サイガは生涯その誓いを破ることなく、113歳まで生きた。
一説にはインキュバスになったとも、セラエノ学園の秘法に触れた故の長寿とも言われているが、真偽の程は今尚不明であり、ただ彼は紅龍雅に誠実であり、親友のサクラの切り札であったということだけがわかっている。
その生涯は『御剣』の名に相応しく、
どこまでも清く、
どこまでも真っ直ぐに……。
と、色々と知っているクセに、ヘンリーが苦笑いしながら訊ねる
「良くはないね。」
と、積み上げられた兵法書の山と、膨大な部隊の編成表や兵糧などを記録した書類の山を掻き分けて、サイガが疲れ切った顔で答える。
ルオゥム戦役末期、帝都コクトゥの城壁内部に敷かれた神聖ルオゥム帝国・学園都市セラエノ同盟軍本陣の帷幕の中でよく見られた光景である。
この頃、紅龍雅の皇帝即位、それに伴い龍雅の副将であったアルフォンスが正式に彼の妻、そして皇后になってしまったために、それまで副将補佐という地位であったサイガは、先帝ノエルの薦めもあり、この度正式に『兵安侯』という新たに設けられた位に奉じられると、そのついでで『同盟軍大将軍』にも奉じられることになった。
他にも功ある者たちがいたのだが、セラエノ勢が軒並み公職に就かなかった中でほぼ唯一、正式な位に奉じられて公職に就いたのはサイガだけである。
紅龍雅即位以降、彼が『将軍』、『大将軍』と呼ばれることとなるのだが、皮肉なことに兵安侯とは『兵たちを安んじる』ための役職であり、彼の仕事は同盟軍全体の『兵糧管理』、間に合うかわからなくとも近隣地域への『募兵活動』、遷都を布告し、様々な政務に追われることとなった紅帝の代わりに『部隊編成』などなど、他にも職務とは一切関係のない数限りない雑用を押し付けられることになったため、後世において、彼は自身の名前よりも『雑用将軍』と不名誉な仇名が有名になるのである。
この日も彼はやっと作った休息の時間も、対ヴァルハリア・旧フウム王国連合軍への対抗策を練るために紅龍雅が注釈や解説を書き込んだ、後に『紅操兵書』と呼ばれる兵法書を読み続けていた。
今やサイガはただ馬を走らせて、戦場で槍を振り回すだけの武辺者でいることが許される立場ではなく、自ら策を立案し、如何に犠牲を少なく難局を乗り切るかを考え続けなければならないのである。
すでに2日まともに寝ておらず、彼は紅龍雅の苦労を思い知らされていた。
「大変そうだな。奥さんが恋しいだろ?」
ヘンリー=ガルドが笑いながら、サイガの帷幕にズカズカと入ってきた。
クスコ川防衛線の頃から、彼らの付き合いは深く、龍雅は事務的なことや商人との交渉事のすべてを、自らは事後に承認するのみでサイガに一任してきた。
これにはセラエノ学園でロウガの下で扱き使われた経験が大いに役立ったとされるのだが、その経験を見事に使い切ったのは紅龍雅の人事の妙であろう。
「あ……何だ、ガルドのおっさんか…。あの色ボケクソ皇帝がノコノコ俺の前に顔を出しに来たんなら、ボロクソに文句でも言ってやりたかったんだけどな。で、今日は何の用?」
眠くても眠る暇もないくらいに学ばなければならないサイガは龍雅への恨み言を口にした。
そこには尊敬も忠誠も、その欠片も感じられない。
「そういう口叩けるなら大丈夫だな。用ったって、いつもの通りさ。お前さんに武具と兵糧その他諸々の消耗品などなど、いつもに通りリストと請求書を持って来たんだよ。」
「あー…、そりゃー助かるわー。」
悪いけどコーヒーを淹れてくれ、とサイガは控えていた部下に頼む。
彼の部下はセラエノの者ではなく、帝国軍の少年兵である。
「ひゅ〜♪」
出て行く少年兵を後ろ姿を見ながら、ヘンリーは口笛を吹く。
「何だよ、あんた少年趣味があったっけ?」
「趣味って訳じゃないが、時々うちは男娼も扱うんでね。そっちの趣味の男連中が見たら是非相手をしてほしいって涎を垂らしそうだなと思ったのさ。」
ヘンリーの言葉を聞いて、サイガは溜息を吐いた。
「あれはうちのセンコーの趣味だよ。」
センコーとは同盟軍軍師であるイチゴのことである。
程なくして、サイガの部下の少年はコーヒーを二つ持って現れた。
歳の頃は十二、三歳程なのだが、余程優秀な少年なのだろう。
ヘンリーに出すコーヒーは、客人用の飲みやすいコーヒー。
眠気を覚ましたいサイガに出すコーヒーは、ゼリーのようにドロリとしたコーヒーである。
少年兵が退出の礼をして席を外すと、運ばれてきたコーヒーに口を付けながら、サイガはしばしヘンリーといつものように談笑しながら伝票に目を通す。
「また食料の値段が上がったんじゃないのか?」
「そう言うなよ…。それでもかなり安くしてやってんだぞ。教会派国家は軒並み不作続きでな、食料価格は高騰してて、安定して収穫が出来てる半反魔物国家のコベルノスチアでも食料自給率は大きく落ちてんだ。」
ヘンリー=ガルドの情報は貴重だ、とサイガは理解している。
だからこそ、彼はどんな憎まれ口を叩いても、ヘンリーを大事に扱っている。
「なるほどな……、ずっと疑問だったんだ。何で周辺の教会派国家が攻め込んで来なかったのか…。なるほどね、兵糧を確保出来ないんじゃ軍を維持出来ず……、自国の食料確保のために国庫を消費し続けているってことだったんだな。」
「おかげで俺たち商人は潤っちゃいるけどね。」
潤っている、とは言うもののヘンリーにも疲れの色が見えている。
口で言うほど楽な商売ではなく、同盟軍に卸す食料を確保するために方々を駆け回り、尚且つ様々な情報を仕入れてくるのは並大抵の苦労でないのは想像に難くない。
「しっかし、この帝国も変わったな。俺も何度かコクトゥに来たことはあるけどよ、ここまで活気があったかと聞かれりゃなかったと答えるしかない。戦時中かって疑う程、市場が立ち並んで……これから住み慣れた街を捨てなきゃならんってのに、誰もが何て明るい顔をしてやがるんだ。」
「何人か、うちの魔物とくっ付いたよ。」
そう言ってサイガはコーヒーに口を付ける。
まだ少ない数ではあったが、帝国兵とセラエノの魔物が数組夫婦となっている。
これが帝国の変革なのか、と考えれば、これはまだ序の口なのだろうとサイガは思う。
本当の変革はこれからなんだと、彼はセラエノに残した妻や娘、そしてセラエノを必死になって守っているであろう親友とその恋人を思い描き、自分が龍雅の下でやろうとしていることに改めて心を引き締める。
「待ってな……、俺たちが少しはマシな時代にしてやるよ…。」
誰にも聞こえないようにサイガは呟く。
後にセラエノ学園を継ぐことになるサクラは、終生サイガを自らの兄貴分として敬ったと伝えられているのだが、それはサイガの呟きに表されているように彼は大事なものをその命を盾に守り続ける男だった、と史記はひっそりと記している。
「…………ふぅ、良いコーヒーだった。」
「そりゃどーもー。おーい、美味かったってよー!」
サイガの声に、帷幕の外で控えるコーヒーを淹れた少年兵は照れていた。
「で…………ガルドのおっさん。」
「何だ?」
「惚けんなよ。いつも通りの仕事にしちゃ、いつもより品物の集まりが悪い。あんたがそんなお粗末な仕事をするとは思えない。何かあったのか?」
「………………。」
ヘンリーは黙り切ってしまった。
余程言い辛いことなのか、空気は重く、ヘンリーは口を横一文字に結んでしまった。
「…………酒、あるか?」
「……ああ、あまりアルコールは強くないけど。」
構わない、とヘンリーが呟くので、サイガが酒瓶を開けてさっきまでコーヒーで満たされていたカップに酒を波々と注ぐと、ヘンリーはそれを一気に飲み干して、大きく息を吐いた。
「実はな…、今日はムルアケから来たんだ…。」
ムルアケから来た、と聞いただけでサイガは思わず立ち上がった。
ムルアケから来たのが使者ではなくヘンリーが来たという意味を瞬時に理解したのだった。
使者を出す余裕が、ムルアケにはないということだ。
「ムルアケは戦闘に入った。敵さんの指揮官は大したことはない連中だが、あの敗残兵の烏合の衆に一人だけ……、戦略を崩壊させる戦力が混ざってやがる。」
「………おっさん、セラエノはヤバイのか。」
くくっ、とヘンリーは笑うと懐から煙草を取り出し火を点けた。
「全滅はしないだろうが……、そいつが先陣を斬っている以上は士気の低下が痛いだろうな。」
サイガは眠かった頭を覚ますように、自らの頬を叩いた。
そこにいたのは、ただの若武者ではない。
自らの使命を知っている戦士の顔があった。
「おっさん、後で報酬を上乗せしておく。俺はこれから無理矢理にでも紅帝に謁見しなければならなくなったらしい。しばらくはゆっくりしていてくれ。後で酒と女を用意してもらうから寛いでいてくれ。」
「酒だけもらうよ。女は間に合っているしな。」
サイガは振り返らず、帷幕を後にする。
彼の脳内は龍雅の如く目まぐるしく状況を整理し、どうすれば良いかを考え始めていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
紅龍雅の姿を今に伝える肖像画は数多く残されている。
だが、それらのほとんどが彼の死後に描かれたもので正確性は乏しいものであるとされるのだが、たった一枚だけ同時代、それも彼の生前に下書きを起こされた肖像画が残っている。
帝国西部出身の画家、グリエルモ=ブノー作『我が紅帝』。
その絵は皇帝を遺した肖像画の中でも異彩を放って、今も学園都市セラエノのファウダンル美術館にひっそりと飾られ、紅龍雅やこの時代に生きた人々を偲ぶ人々の目に触れられて、その姿を今に伝えている。
神聖ルオゥム帝国歴代皇帝、またはあらゆる王国の王たちの肖像は、その絶対的な威厳と民を照らす暖かみを以って描かれているため、歴代の王や皇帝たちはゆったりとした衣装でゆったりと玉座に腰掛けたポーズ、そして穏やかな笑顔で描かれている。
それはノエル帝やフィリップ王、さらにはユリアス大司教にしても例外ではなく、多少の差違はあっても、まるでテンプレートがあるかのように決まった構図で描かれ続けたことに対して、この『我が紅帝』はゴチャゴチャした執務室で疲れ切った表情を浮かべてはいるものの、姿勢を崩さずに何の変哲もない椅子に座り、迷惑そうに画家を見ている紅龍雅が描かれている。
完成をしたのは彼の死後であったのだが、彼や帝国を取り巻く状況に、肖像画のためにモデルをする時間すらなかったという、龍雅の当時の状況がよくわかる一枚である。
「グルジア殿、民がオルテへ移動を完了する見込みは?」
「はい陛下。急がせて4日程かかるかと…。」
皇帝の執務室で、俺はグルジア殿と今後の方針を確認し合っていた。
遷都の布告をし、民は徐々にではあるものの、新帝都オルテへと移動を始め出した。
オルテは南の要塞都市だという。
地図上ではセラエノとは目と鼻の先の距離であるという利点や、帝都コクトゥに次いで商業や流通の要であるということもあり、急な遷都ではあるが現オルテ太守を同格の重職、もしくは状況が落ち着いたら栄転ということでどこかの都市の太守となってもらうことで人事の面でも問題は解決出来る。
だが………問題は…。
「………連合軍がここまでの到達予想は後3日。ヒロ=ハイルが騎兵を指揮する場合はもっと早いことを頭に入れねばならない…。」
「では陛下、さらに急がせますか?」
民の移動をさらに急がせる提案をしたグルジア殿に俺は手を振る。
「駄目だ、この遷都は民に不満を持たせてはならない。例え、敵の方が早く到達しようと、俺たちは身体を張って彼らを守らねばならない。それが俺の義務であり、後々そのことはノエルのためにも役に立つはずだ。」
「…………やはり、陛下は。」
ああ、と言って俺は頷いた。
「この遷都が完了し、戦局が安定を見せたら帝位をノエルに還す。本来、これは俺のものではなく、彼女の血筋が勝ち取った場所だ。俺がいて良い場所ではないし、第一俺は皇帝なんて柄じゃない。沢木の下であちこちに戦い歩く方が性に合ってる。」
「……何となくは感じておりました。陛下はどこか御自身のために政務をこなしているというより、誰かのために政務をこなしているようにもお見受け出来ましたので。」
リヒャルト老人より、このグルジア殿の方が話が通じる。
もしもノエルが登用する人材に迷ったのならば、俺は今一度彼を推そうと思う。
彼の曲がらない信念は、時に諸刃の刃となろう。
だが、それを差し引いても彼は帝国に必要な人材だと思う。
この毒を制することが出来れば、彼女はより高く皇帝への頂を登れるだろう。
「その後は、夫婦揃って……いや我が子諸共、正式にノエルに仕えてやっても良いな。ご苦労だった。しばし休んで、再び遷都計画を進めてくれ。」
「それでは陛下、下がらせていただきます。」
深々と例をしてグルジア殿は執務室を出て行く。
酒の一杯でも飲みたいが、そういう状況ではない。
今度は………。
「サイガ、入れ。」
言われるまでもなく扉を開けて入ってきたのは、大将軍を押し付けたサイガ。
また……今日もゆっくり出来ねぇらしい…。
…………………。
………………。
……………。
「………ではムルアケは沢木の野郎に任せることにして、こちらからは援軍を送らない。こちらの大部分の兵力は、ムルアケへの援軍ではなく、オルテ大移民団の護衛に当てる。それで良いな?」
「ああ、ここに来るまでに色々考えたけど……。」
それが一番妥当じゃないかな、とサイガは答えた。
ムルアケに布陣したセラエノ軍の戦場を考えれば、山間の狭い戦場にこれ以上兵力を投入しても沢木にとって足手纏いでしかなく、また敵の背後を獲って挟撃を仕掛けるということも考えられたが、連合軍本隊の帝都コクトゥへの到着日時を予想すれば、背後を獲ろうとして、敵に援軍の背後を獲られるだろう、という結論に至ったが故の決断だった。
「気になるのは……学園長の敵方に戦略を崩す戦力がいるって聞いていることなんだ。地形的にも戦略的にも学園長の方が有利なんだけど……、そんなやつがいるなら士気が上がらないんじゃないかって心配でさ…。」
サイガは状況を整理して神妙な顔をした。
なるほど、俺が色々言う前にこいつはこいつで成長しているらしい。
男子三日会わざれば……とは良く言ったものだ。
実際、本当にこいつと顔を合わせるのは三日ぶりだったりする。
「そこまで考えるなら大丈夫だ。サイガ、この場合は戦力と戦術を計ると同時に利も考えなければならない。兵法書の応用、まずは地の利だ。地形はお前も知る通り、同等の戦力ならば絶対的に有利なのは沢木の方だ。あの野郎はいつ間にか歳を取って、古狸みたいな邪悪さで敵方を翻弄するだろう。その次に人の利を考えろ。幸いなことに沢木の下には奥方のアスティア女史がいる。その上、予言者が側に控えているだろうし、旅の武芸者たちが数名旗下に加わったとも聞いている。士気の低下は早い内に好転するだろう。」
言い終わると、俺は飲みかけの冷めてしまったお茶を飲む。
………ん?
今日、淹れてもらった記憶がないぞ。
……いつのお茶だ?
「最後に考えるのは天の利だ。」
「天の……?運とか神頼みってことなのか?」
キョトンとした顔でサイガは訊ねる。
やれやれ、まだまだ実戦を積ませなきゃならないな。
「天の利は、俺だ。突発的に沢木と戦闘を始めた連中も、宗教如きを旗印としてこの国に攻め込んだ連合軍本隊も、やつらの最大の不幸は、俺がこの時代に生まれ、この地にいる。それだけで連中は天から見放されている。」
絶対的な龍雅の自信に、サイガは後に心の底から呆れたと回顧している。
だが思い返してみれば、連合軍本隊はフィリップ王など龍雅に痛い目に遭い続けたことで彼を恨み続けた人物が数多く、彼を討ち取ることを目指して進軍し続け、ムルアケで交戦状態になった学園長ロウガに至っても、後方を彼に任せているようなものだったから、あながち彼の存在が天の利だったというのは間違いではなかった、とサイガは後世に伝えている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
長時間をかけた今後の軍事確認が終わって、俺はやっと一息吐いて紅さんの執務室を後にしようとすると、後ろから呼び止められた。
紅さんの手にはヘンリーのおっさんが持って来た請求書の束。
「ああ、それな。最近、食料の値段が高騰しているんだって…。」
「いや、そんなことはどうでも良い。前々から聞きたかったんだが、お前は公文書に署名する時、いつも名前しか書かないが……お前は苗字を持っていないのか?」
苗字…?
ああ、そんなことか。
「俺の両親は確かにジパングの人だけど、学園長みたいに苗字があるような良家じゃなかったみたいでさ。武器職人の親父も、生まれ故郷のえーっと……確かヒゼンって国のサイオーサイって名乗ってたらしいんだけど、ろくに字も書けやしないから、今じゃ名無しのサキザエモンって名乗っているよ。」
「そうか…。」
紅さんは何やら考え込んでしまった。
だが、それもほんの僅かな間のことで、紅さんは頭を掻き毟りながら俺に訊ねた。
「サイガ、お前はどんな人物になりたいんだ。」
「俺…?」
「ああ、その槍で道を拓き絶世の武将か。それともその得た地位を元手に財を築き、お前も知らぬ更なる高みへと登るのか。どうだ、お前はどんな人物になりたい。」
絶世の武将か…。
学園で槍を覚えて、こうして戦場に出た以上は槍で身を立ててみるのも面白いかもな。
いや、財を成してただの武器屋の倅から脱却するのも悪くない…。
でも………俺はそれ以上にしたいことがあった。
「へっ、クソ皇帝。この俺を誰だと思っていやがる。」
「ほぉ?」
「俺はサイガだ。俺は自ら立てた誓いを守るため妻と娘たちを、この槍が届くすべての連中を守ってやると決めた男だぜ。そして俺の魂の兄弟、サクラとマイアのためなら何だってしてやる良き兄貴でいたいんだ。槍で身を立てる、財を成す。そりゃあ確かに面白そうだ。だがな、俺が何より好きなのはあいつらの笑顔を見ることなんだよ。」
俺は思いっ切り、紅さんに向かって人差し指を指してやった。
「俺の槍はサクラのためにある。俺の脳はセラエノのためにある。つまりは俺のすべてはあの街を守るサクラたちのために存在するってこった。」
幼い頃の、死んだ母親との約束。
誰かを守ってやれる人間になる、という約束はこうして俺を構成している。
いつの間にか……守らなければならないものが増えてしまったけれど。
「………では、サイガ。長らくほったらかしになっていたが、クスコ川防衛戦における武功に恩賞を取らす。謹んで受けやがれ。」
誰がクソ皇帝だ、と言って紅さんは笑った。
「沢木が跡取り、サクラ少年の懐刀を自負するお前の思い。真に以って天晴れである。そこでお前に、その生涯において次期『御』大将を守護せりし『剣』となることを命じる。以後、その姓を『御剣』と名乗り、我が前で吐いた言葉を、その生ある限り証明し続けよ。」
俺もお前の誓いとやらを見届けたい、と紅さんは笑った。
後から知ったんだけど、紅さんは若い頃、学園長たちと一緒に見た輝くような夢を自分の手で砕いてしまったことを、ずっと悔やんでいたらしい。
そんな自分の過去があったから………。
自分の夢を俺に託したんじゃないか、と俺は紅さんの死後、考えるようになる。
少し、己惚れすぎだろうか…。
御剣西院雅、またはサイガ=ミツルギという名で、彼は公式な記録に残る。
サイガは生涯その誓いを破ることなく、113歳まで生きた。
一説にはインキュバスになったとも、セラエノ学園の秘法に触れた故の長寿とも言われているが、真偽の程は今尚不明であり、ただ彼は紅龍雅に誠実であり、親友のサクラの切り札であったということだけがわかっている。
その生涯は『御剣』の名に相応しく、
どこまでも清く、
どこまでも真っ直ぐに……。
11/09/26 23:41更新 / 宿利京祐
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