第九十話・死闘
「紅将軍、佞言で私を誑かさないでいただきたい。」
そう言ってヒロ=ハイルは馬を後退させる。
それは撤退のためではなく、騎兵の威力を最大に発揮するために距離を開けたのである。
彼の長剣を持つ従者も邪魔にならぬようにと、ヒロのさらに後方へと下がる。
ヒロはしっかりとランスを脇に構え、身体を隠すように盾を構える。
それを見て、紅龍雅も大太刀を構え直した。
「私の本質が王?それは思い違いも良いところです。私は生まれ貧しく、騎士に取り立てていただいただけでも十分報われた人生なのです。王権は神が与えしもの。貧民上がりの私が王などと世迷言も甚だしい!」
それは龍雅へではなく、まるで自分に言い聞かせるようにヒロは言った。
そんなヒロに龍雅は静かに語った。
「平民、貧民上がりの王など、数知れずいるぞ。それどころか唐土…、というのは知るまいな。とにかく東の国には長きに渡る王朝の礎を築いた平民上がりの皇帝がいた。王権が神に与えられるなど思い上がりだ。王とは与えられるものではなく成るもの。事実、セラエノを治める男は王に成ったぞ。本人は望んでいなかったが、民衆があいつを王に押し上げた。それは神などではないぞ。王とはな、生き様だ。一人の人間の生きた様々な証の内の一つだ。」
「だ…、だからと言って私に王の器など…!」
「否定するか。それでも良し。王の器、為政者たる才覚を認めるには時間がかかろうよ。だが忘れるな。お前の志は騎士のそれに非ず。民を守り、義と仁を以って友や部下に報いるは騎士の役目ではない。『報いてもらう』のが仕えるものの心得ぞ。『報いる』というのは為政者のそれだ。考えろ、ヒロ=ハイル。お前は民を虐げ、都合の良い神の正義を騙る王や為政者に自らの運命を委ねたいのか。考えることを否定する神など忘却の彼方へと追いやり、自らをより深く考え、お前という魂の器を感じろ。」
「……………………。」
無言。
ヒロ=ハイルは、再び無言で槍を構えた。
表情にはいくらか動揺が浮かんではいるものの、揺るぎない決意がある。
最早、問答無用。
ヒロの表情がそう語っているのを感じ取った龍雅は非礼を詫びた。
「………すまなかったな。この一騎討ちに際し、お前の気勢を挫くのが目的ではなかったのだが、どうやら水を差してしまったようだな。若くて有望な者を見付けると嬉しくてな。つい、迷っていると道を指し示したくなる。」
教師なんか似合わないことをやってたあいつの影響だな、と龍雅は笑いを零す。
「さぁ、参られよ。我が大太刀にて、おことの武を受け止めん。」
「いざ!」
ヒロが馬の腹を蹴る。
重装備の馬鎧の重量の加わった馬は、速さこそ抑えられているものの地響きのような震動と重々しい蹄の音だけで敵対するものを威嚇、圧倒するのに十分であった。
龍雅も馬の腹を蹴る。
リトル=アロンダイトの時のように相手を待つことなくヒロに向かって走る。
ランスを槍のような使い方をするものと睨んだ龍雅は、敢えて前に出た。
ヒロの馬が最高速度に達する前に距離を縮めなければ、ヒロの技術と武力であれば最高威力のランスチャージを防ぎ切れずに貫かれていただろう。
龍雅は馬上で大太刀を振り被る。
ヒロはランスの切っ先を龍雅の首へと狙いを付けた。
距離は凄まじい速さで詰まっていく。
土煙を上げて、互いの馬は力の限り駆け抜ける。
そして、最初の攻撃を繰り出したのは
リーチの長いランスを持つヒロ=ハイルの方だった。
龍雅の大太刀は届くことなく、兜の吹返をヒロ=ハイルのランスが貫いた。
帝国、そして連合軍の記した史記にはそう残されている。
―――――――――――――――――――――――――
史記曰く。
その一騎討ちは熾烈を極めたという。
紅龍雅は兜の吹返を貫かれ、冷たい金属の柱が顔のすぐ横を貫通し、凄まじい衝撃を受けていたというのに、戦いに血湧き肉踊る境地に至った彼は構わずに馬を加速した。
ヒロ=ハイルは機先を制したにも関わらず、まったく怯まない龍雅に驚き、龍雅の兜の吹返を貫いたランスを素早く引いた。
もしも貫いたままであったなら、ヒロは龍雅の大太刀によって一刀両断されていただろう。
龍雅は、馬の足を緩めることなく自らの間合いへと侵入する。
ヒロは止む無く引き抜いたランスで応戦するしかなかった。
ランスは切っ先以外に切れ味を持たない。
突く以外の機能を持たない。
接近戦に持ち込まれたら圧倒的不利になるのがランスであった。
だが、ヒロは討ち取られなかった。
龍雅の大太刀をカイトシールドで防ぎ、切っ先以外に切れ味のないランスを鋭く横薙ぎに振り、彼のランスが持つ重量と硬さを武器にして龍雅と打ち合った。
さながら、それは長大な鈍器である。
その細身の身体のどこに、ランスを自由に振り回す筋力があったのかと思う程、ヒロはランスを片手で振り回し、龍雅の大太刀を盾で受け止める。
一合、二合と打ち合いは数を重ね、幾度も距離を開けてはランスチャージを試みるなど、その打ち合いはいつ終わるとも知れぬ長期戦へと変わった。
やがて両者の馬が先に悲鳴を上げ、疲れ切ってしまったために、二人は何度も馬を変え、水を飲み、最小限の食事を済ませ、武器を持ち替えて、呼吸を整えて幾度も武器をぶつけ合った。
休息に戻るヒロも龍雅も、互いの鎧は掠り傷だらけ。
この一騎討ちが如何に熾烈なものであったかを物語っていた。
長期戦になれば集中力の切れた者が負ける、というのが世界の常識ではあるが、彼らの集中力が途切れることはなく、幾度目かの休憩の後に死地へ向かう両者の顔には、まるで飢えを満たしてくれる恋人に会いに行くかのような笑みが浮かんでいたという。
これまでそこそこの武勇で知られていたヒロ=ハイルの才能、秘められた武勇を表舞台へと引き出したのは、様々な諸説はあるものの、多くの歴史研究家は口を揃えて、ハインケル=ゼファーの智略とこの一騎討ちを演じた紅龍雅の人外なる武力であると言う。
そして一騎討ち史上稀に見る名勝負は、ついに決着が付くことなく、夕暮れを以ってこの勝負を引き分けとすべし、とノエル帝が同盟軍の総意として連合軍の総帥であるフィリップ王とユリアス大司教に正式に申し入れて終結する。
引き分けという結果ではあったものの、両者の顔に不満の色はなく、どちらかと言えば、お互いを殺めなくて良かったという心情にも似た安堵が浮かんでいた、と二人に直接停戦を申し入れたノエル=ルオゥムは、後にこの時代とこの戦争を懐古した時に漏らしたのだった。
「はぁーっ……!はぁーっ…!」
引き分け、停戦を告げられた途端に私の緊張の糸が切れてしまった。
まるで呼吸をするのを忘れていたかのように、身体は酸素を欲している。
「…………………ふぅ。」
紅将軍は一度だけ深い息を吐くと呼吸を整えていた。
これは……、やはり潜った修羅場の数が違うのか…。
私は、まだ身体がガクガクとしている。
指先が震えて、今盾とランスを手放していないのが不思議なくらいだ…。
「ヒロ=ハイル。此度の一騎討ち、楽しかったぞ。」
「ゼェッ…!ゼェッ…!」
まだ、まともに喋れないというのに…。
しかも楽しかった…?
彼にはまだ余裕があるということなのか…!?
「そんな重い鎧を着ているからだよ。こちらの戦では鎧の防御力に重きを置いているようだが、どんな鎧を纏ったって死ぬ時は死ぬ。今度はもっと軽い鎧…、いや、お前の技量ならばもう少し簡略化した鎧で事足りよう。」
「はぁっ……、はぁ………。し……、しかし、我々の伝統では……。」
「伝統に縛られて死んでしまっては元も子もないぞ。一つ面白いことを教えてやろう。大和の足軽……、じゃなくて下級歩兵はな。胴丸と腰当、籠手と膝当て程度で戦うんだぜ。大将にしても必要最低限の部位だけ守る鎧なんだ。俺を見りゃわかるだろう。これだって実は和紙を幾重にも重ねて、セラエノ産の良質な鉄板で軽く覆っているだけなんだ。身軽だし、鎧で動きを遮られることは少ない。お前たち大陸の鎧では動きが少々固かろう?」
ヤマト…、ジパングという東の果ての国のことだろうか。
和紙というものも聞いたことがある。
ジパングの特有の紙で、一枚一枚はそうでもないが、幾重にも束ねれば非常に丈夫で、軽くてうまく斬らねば、どんな刃でも両断するのが難しいという話を書物で読んだことがある。
なるほど………、これが彼の強さの秘密なのか…。
「ま、もっとも…。この鎧を着ていなくとも俺は沢木の野郎よりも優れた軍略家で、天下無双の武を持っているからして、誰も俺に敵う訳がないんだがね。よってお前は天下二番目の武を持つ男だと俺が認めてやろう。」
「そ、それは……、冗談…、ですよね?」
すると紅将軍はニヤリと笑う。
「ああ、冗談だ。第一、俺は天下無双に出会ったことがない。だが、俺もお前も天下に恥ずかしくない武を持っているはずだ。それだけは俺が保障する。」
どうしてだろう。
彼は私の敵、打ち破らねばならない男だというのに…。
どうして紅将軍に褒められて、私は喜んでいるのだろう。
そんな私を尻目に、紅将軍は鎧の胴の隙間に手を入れると、一冊の本を取り出して投げて寄越した。
やけに古ぼけて、表紙の色が変色した本には見たこともない文字が書かれていた。
これはジパングの文字なのだろうか…。
「それは俺愛用の『孫子』という人物の兵法書の写しだ。うちの兵に教えるつもりでいたから、俺がこちらの文字で読み仮名と注釈を入れている。俺を討てなかったが、夕方まで頑張ったお前への努力賞だ。そいつをくれてやる。お前たちの兵法は悪くはないが、指導者が短絡的すぎて策が簡単に読める。それを読んで勉学に励め。」
「何故…、私に…。」
紅将軍は何でかな、と困ったような顔をすると、何とも言えない良い笑顔で答えてくれた。
「若いヤツが困っていると助けたくなるんだ。さっきのアロンダイト親子にしても、お前にしても若い連中が実力を発揮し切れずに燻っているのを見ると……、どうしてもな。」
―――――――――――――――――――――――――
「紅将軍の無事を祝って……。」
「うむ、乾杯じゃ♪」
チンッ
皇帝の幕舎に二人の影。
軍服のボタンを緩めて、少しリラックスした風の神聖ルオゥム帝国皇帝ノエル=ルオゥム。
そしてセラエノ軍軍師であったが、今や神聖ルオゥム帝国・学園都市セラエノ同盟軍の軍師としておよそ6000の兵を動かす軍師になったバフォメットのイチゴが、この日の一騎討ちで無事に帰って来た龍雅の無事を祝って、白ワインで乾杯をしていた。
「紅将軍は?」
「戻るなりアルフォンスの嬢ちゃんを連れてベッドの中じゃ。ニャンニャンした後でゆったり夢の中。まぁ、仕方あるまいよ。たっちゃんも口では軽い物言いじゃが、連合軍の小僧たちは強かった。正直なことを言えば、何度たっちゃんが棺桶に入って帰ってくるかとヒヤヒヤしたものじゃ…。じゃから、許してやれ。片思いの男と語り合いたいのはわかるのじゃが、ここは正式な恋人に譲ってやってほしいのじゃ。今、あれを癒せるのはアルフォンスの嬢ちゃんだけなのじゃからな。」
「それは重々わかって……って何の話だ、軍師!余は別にそういうつもりで聞いたのではないんだぞ!!ただ、余はこの一騎討ちを無理に引き受けてもらったから……、余は感謝の気持ちを直接伝えたかっただけだ。」
「感謝の気持ちに余の身体を抱くことを許す〜、とでも言うつもりじゃったのか?」
「イチゴ!!!!」
まどろっこしい、とイチゴはワイングラスを床に叩き付けると、白ワインのボトルを掴み、ラッパ飲みで一気に飲んでしまった。
ちなみに、グラスはイチゴの教師としての給料半月分。
ワイン一本で、給料2ヶ月分であったりする。
「……ぷはーっ♪」
「よ、良い飲みっぷりであるな。」
「ワシにとっては、こんなワイン程度など水じゃ♪第一酒というものはじゃな…。」
ドンッ
「こういうものを言うのじゃ♪」
どこから取り出したのか、イチゴがテーブルの上に置いたのはテキーラ。
「今日はとことん飲むのじゃ。オヌシも皇帝なんぞ固苦しい椅子におる身じゃから普段言えぬ愚痴やら恋バナやら何やらが溜まっておろう。じゃから今日は酒の力を借りて全部吐き出してしまうのじゃ。」
「そ、その申し出はありがたいが……、よ、余は実はあまり酒に強くないんだ…!!」
し〜〜〜〜〜〜〜〜ん
「…………………………えへ♪」
「い、イチゴ…?」
ベキ、ベキ、ベキ……、カシュカシュカシュ…
イチゴは不気味な笑いを浮かべると、テキーラの瓶の蓋を力強く開ける。
そして蓋を開けたテキーラの瓶を持つとイチゴはノエル帝へにじり寄った。
「酒に弱いのなら弱いと何故言わぬのじゃ〜♪それならお姉さんがお酒を使った誘惑法を伝授してやったものを〜。『ああん、酔っちゃった♪』とオヌシがたっちゃんに寄りかかる。するとたっちゃんは『嗚呼、おぜうさん。大丈夫ですか。』とやさしく肩を抱く。そして酔った勢いで二人は肉体的にゴールイン!見事同じベッドの中で、同じ朝日を拝めるという寸法じゃ♪」
「余はそんなことを望んではいないぞ!!!!」
クックック…、とイチゴはまるでロウガのような悪い笑みを浮かべる。
「オヌシが望んでいるか、望んでいないかなんぞ聞いておらぬ。ワシはただ、面白い修羅場が見れたらそれで良いのじゃ!あ、もちろんサバトにも出席してもらって実演してもらうつもりじゃから、そのつもりで夜露死苦♪」
「ちょ、や、やめて……!余、私は飲めな…!?ガボッ!!!べ、べに……、助け……、嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
その後、悲鳴を聞き付けて駆け付けて来た帝国軍将軍やダオラたちに、皇帝を襲撃し、飲めない酒を無理矢理飲ませ、酔い潰したイチゴはこっ酷く怒られ、長時間正座させられたことは、最早言うまでもないであろう。
「…………むにゅん、たつまさしゃま……♪」
ただ、ノエル帝は誰の目から見ても幸せそうな寝顔だったという事実だけが、何故か帝国史ノエル伝にはやけに強調されて残されている。
そう言ってヒロ=ハイルは馬を後退させる。
それは撤退のためではなく、騎兵の威力を最大に発揮するために距離を開けたのである。
彼の長剣を持つ従者も邪魔にならぬようにと、ヒロのさらに後方へと下がる。
ヒロはしっかりとランスを脇に構え、身体を隠すように盾を構える。
それを見て、紅龍雅も大太刀を構え直した。
「私の本質が王?それは思い違いも良いところです。私は生まれ貧しく、騎士に取り立てていただいただけでも十分報われた人生なのです。王権は神が与えしもの。貧民上がりの私が王などと世迷言も甚だしい!」
それは龍雅へではなく、まるで自分に言い聞かせるようにヒロは言った。
そんなヒロに龍雅は静かに語った。
「平民、貧民上がりの王など、数知れずいるぞ。それどころか唐土…、というのは知るまいな。とにかく東の国には長きに渡る王朝の礎を築いた平民上がりの皇帝がいた。王権が神に与えられるなど思い上がりだ。王とは与えられるものではなく成るもの。事実、セラエノを治める男は王に成ったぞ。本人は望んでいなかったが、民衆があいつを王に押し上げた。それは神などではないぞ。王とはな、生き様だ。一人の人間の生きた様々な証の内の一つだ。」
「だ…、だからと言って私に王の器など…!」
「否定するか。それでも良し。王の器、為政者たる才覚を認めるには時間がかかろうよ。だが忘れるな。お前の志は騎士のそれに非ず。民を守り、義と仁を以って友や部下に報いるは騎士の役目ではない。『報いてもらう』のが仕えるものの心得ぞ。『報いる』というのは為政者のそれだ。考えろ、ヒロ=ハイル。お前は民を虐げ、都合の良い神の正義を騙る王や為政者に自らの運命を委ねたいのか。考えることを否定する神など忘却の彼方へと追いやり、自らをより深く考え、お前という魂の器を感じろ。」
「……………………。」
無言。
ヒロ=ハイルは、再び無言で槍を構えた。
表情にはいくらか動揺が浮かんではいるものの、揺るぎない決意がある。
最早、問答無用。
ヒロの表情がそう語っているのを感じ取った龍雅は非礼を詫びた。
「………すまなかったな。この一騎討ちに際し、お前の気勢を挫くのが目的ではなかったのだが、どうやら水を差してしまったようだな。若くて有望な者を見付けると嬉しくてな。つい、迷っていると道を指し示したくなる。」
教師なんか似合わないことをやってたあいつの影響だな、と龍雅は笑いを零す。
「さぁ、参られよ。我が大太刀にて、おことの武を受け止めん。」
「いざ!」
ヒロが馬の腹を蹴る。
重装備の馬鎧の重量の加わった馬は、速さこそ抑えられているものの地響きのような震動と重々しい蹄の音だけで敵対するものを威嚇、圧倒するのに十分であった。
龍雅も馬の腹を蹴る。
リトル=アロンダイトの時のように相手を待つことなくヒロに向かって走る。
ランスを槍のような使い方をするものと睨んだ龍雅は、敢えて前に出た。
ヒロの馬が最高速度に達する前に距離を縮めなければ、ヒロの技術と武力であれば最高威力のランスチャージを防ぎ切れずに貫かれていただろう。
龍雅は馬上で大太刀を振り被る。
ヒロはランスの切っ先を龍雅の首へと狙いを付けた。
距離は凄まじい速さで詰まっていく。
土煙を上げて、互いの馬は力の限り駆け抜ける。
そして、最初の攻撃を繰り出したのは
リーチの長いランスを持つヒロ=ハイルの方だった。
龍雅の大太刀は届くことなく、兜の吹返をヒロ=ハイルのランスが貫いた。
帝国、そして連合軍の記した史記にはそう残されている。
―――――――――――――――――――――――――
史記曰く。
その一騎討ちは熾烈を極めたという。
紅龍雅は兜の吹返を貫かれ、冷たい金属の柱が顔のすぐ横を貫通し、凄まじい衝撃を受けていたというのに、戦いに血湧き肉踊る境地に至った彼は構わずに馬を加速した。
ヒロ=ハイルは機先を制したにも関わらず、まったく怯まない龍雅に驚き、龍雅の兜の吹返を貫いたランスを素早く引いた。
もしも貫いたままであったなら、ヒロは龍雅の大太刀によって一刀両断されていただろう。
龍雅は、馬の足を緩めることなく自らの間合いへと侵入する。
ヒロは止む無く引き抜いたランスで応戦するしかなかった。
ランスは切っ先以外に切れ味を持たない。
突く以外の機能を持たない。
接近戦に持ち込まれたら圧倒的不利になるのがランスであった。
だが、ヒロは討ち取られなかった。
龍雅の大太刀をカイトシールドで防ぎ、切っ先以外に切れ味のないランスを鋭く横薙ぎに振り、彼のランスが持つ重量と硬さを武器にして龍雅と打ち合った。
さながら、それは長大な鈍器である。
その細身の身体のどこに、ランスを自由に振り回す筋力があったのかと思う程、ヒロはランスを片手で振り回し、龍雅の大太刀を盾で受け止める。
一合、二合と打ち合いは数を重ね、幾度も距離を開けてはランスチャージを試みるなど、その打ち合いはいつ終わるとも知れぬ長期戦へと変わった。
やがて両者の馬が先に悲鳴を上げ、疲れ切ってしまったために、二人は何度も馬を変え、水を飲み、最小限の食事を済ませ、武器を持ち替えて、呼吸を整えて幾度も武器をぶつけ合った。
休息に戻るヒロも龍雅も、互いの鎧は掠り傷だらけ。
この一騎討ちが如何に熾烈なものであったかを物語っていた。
長期戦になれば集中力の切れた者が負ける、というのが世界の常識ではあるが、彼らの集中力が途切れることはなく、幾度目かの休憩の後に死地へ向かう両者の顔には、まるで飢えを満たしてくれる恋人に会いに行くかのような笑みが浮かんでいたという。
これまでそこそこの武勇で知られていたヒロ=ハイルの才能、秘められた武勇を表舞台へと引き出したのは、様々な諸説はあるものの、多くの歴史研究家は口を揃えて、ハインケル=ゼファーの智略とこの一騎討ちを演じた紅龍雅の人外なる武力であると言う。
そして一騎討ち史上稀に見る名勝負は、ついに決着が付くことなく、夕暮れを以ってこの勝負を引き分けとすべし、とノエル帝が同盟軍の総意として連合軍の総帥であるフィリップ王とユリアス大司教に正式に申し入れて終結する。
引き分けという結果ではあったものの、両者の顔に不満の色はなく、どちらかと言えば、お互いを殺めなくて良かったという心情にも似た安堵が浮かんでいた、と二人に直接停戦を申し入れたノエル=ルオゥムは、後にこの時代とこの戦争を懐古した時に漏らしたのだった。
「はぁーっ……!はぁーっ…!」
引き分け、停戦を告げられた途端に私の緊張の糸が切れてしまった。
まるで呼吸をするのを忘れていたかのように、身体は酸素を欲している。
「…………………ふぅ。」
紅将軍は一度だけ深い息を吐くと呼吸を整えていた。
これは……、やはり潜った修羅場の数が違うのか…。
私は、まだ身体がガクガクとしている。
指先が震えて、今盾とランスを手放していないのが不思議なくらいだ…。
「ヒロ=ハイル。此度の一騎討ち、楽しかったぞ。」
「ゼェッ…!ゼェッ…!」
まだ、まともに喋れないというのに…。
しかも楽しかった…?
彼にはまだ余裕があるということなのか…!?
「そんな重い鎧を着ているからだよ。こちらの戦では鎧の防御力に重きを置いているようだが、どんな鎧を纏ったって死ぬ時は死ぬ。今度はもっと軽い鎧…、いや、お前の技量ならばもう少し簡略化した鎧で事足りよう。」
「はぁっ……、はぁ………。し……、しかし、我々の伝統では……。」
「伝統に縛られて死んでしまっては元も子もないぞ。一つ面白いことを教えてやろう。大和の足軽……、じゃなくて下級歩兵はな。胴丸と腰当、籠手と膝当て程度で戦うんだぜ。大将にしても必要最低限の部位だけ守る鎧なんだ。俺を見りゃわかるだろう。これだって実は和紙を幾重にも重ねて、セラエノ産の良質な鉄板で軽く覆っているだけなんだ。身軽だし、鎧で動きを遮られることは少ない。お前たち大陸の鎧では動きが少々固かろう?」
ヤマト…、ジパングという東の果ての国のことだろうか。
和紙というものも聞いたことがある。
ジパングの特有の紙で、一枚一枚はそうでもないが、幾重にも束ねれば非常に丈夫で、軽くてうまく斬らねば、どんな刃でも両断するのが難しいという話を書物で読んだことがある。
なるほど………、これが彼の強さの秘密なのか…。
「ま、もっとも…。この鎧を着ていなくとも俺は沢木の野郎よりも優れた軍略家で、天下無双の武を持っているからして、誰も俺に敵う訳がないんだがね。よってお前は天下二番目の武を持つ男だと俺が認めてやろう。」
「そ、それは……、冗談…、ですよね?」
すると紅将軍はニヤリと笑う。
「ああ、冗談だ。第一、俺は天下無双に出会ったことがない。だが、俺もお前も天下に恥ずかしくない武を持っているはずだ。それだけは俺が保障する。」
どうしてだろう。
彼は私の敵、打ち破らねばならない男だというのに…。
どうして紅将軍に褒められて、私は喜んでいるのだろう。
そんな私を尻目に、紅将軍は鎧の胴の隙間に手を入れると、一冊の本を取り出して投げて寄越した。
やけに古ぼけて、表紙の色が変色した本には見たこともない文字が書かれていた。
これはジパングの文字なのだろうか…。
「それは俺愛用の『孫子』という人物の兵法書の写しだ。うちの兵に教えるつもりでいたから、俺がこちらの文字で読み仮名と注釈を入れている。俺を討てなかったが、夕方まで頑張ったお前への努力賞だ。そいつをくれてやる。お前たちの兵法は悪くはないが、指導者が短絡的すぎて策が簡単に読める。それを読んで勉学に励め。」
「何故…、私に…。」
紅将軍は何でかな、と困ったような顔をすると、何とも言えない良い笑顔で答えてくれた。
「若いヤツが困っていると助けたくなるんだ。さっきのアロンダイト親子にしても、お前にしても若い連中が実力を発揮し切れずに燻っているのを見ると……、どうしてもな。」
―――――――――――――――――――――――――
「紅将軍の無事を祝って……。」
「うむ、乾杯じゃ♪」
チンッ
皇帝の幕舎に二人の影。
軍服のボタンを緩めて、少しリラックスした風の神聖ルオゥム帝国皇帝ノエル=ルオゥム。
そしてセラエノ軍軍師であったが、今や神聖ルオゥム帝国・学園都市セラエノ同盟軍の軍師としておよそ6000の兵を動かす軍師になったバフォメットのイチゴが、この日の一騎討ちで無事に帰って来た龍雅の無事を祝って、白ワインで乾杯をしていた。
「紅将軍は?」
「戻るなりアルフォンスの嬢ちゃんを連れてベッドの中じゃ。ニャンニャンした後でゆったり夢の中。まぁ、仕方あるまいよ。たっちゃんも口では軽い物言いじゃが、連合軍の小僧たちは強かった。正直なことを言えば、何度たっちゃんが棺桶に入って帰ってくるかとヒヤヒヤしたものじゃ…。じゃから、許してやれ。片思いの男と語り合いたいのはわかるのじゃが、ここは正式な恋人に譲ってやってほしいのじゃ。今、あれを癒せるのはアルフォンスの嬢ちゃんだけなのじゃからな。」
「それは重々わかって……って何の話だ、軍師!余は別にそういうつもりで聞いたのではないんだぞ!!ただ、余はこの一騎討ちを無理に引き受けてもらったから……、余は感謝の気持ちを直接伝えたかっただけだ。」
「感謝の気持ちに余の身体を抱くことを許す〜、とでも言うつもりじゃったのか?」
「イチゴ!!!!」
まどろっこしい、とイチゴはワイングラスを床に叩き付けると、白ワインのボトルを掴み、ラッパ飲みで一気に飲んでしまった。
ちなみに、グラスはイチゴの教師としての給料半月分。
ワイン一本で、給料2ヶ月分であったりする。
「……ぷはーっ♪」
「よ、良い飲みっぷりであるな。」
「ワシにとっては、こんなワイン程度など水じゃ♪第一酒というものはじゃな…。」
ドンッ
「こういうものを言うのじゃ♪」
どこから取り出したのか、イチゴがテーブルの上に置いたのはテキーラ。
「今日はとことん飲むのじゃ。オヌシも皇帝なんぞ固苦しい椅子におる身じゃから普段言えぬ愚痴やら恋バナやら何やらが溜まっておろう。じゃから今日は酒の力を借りて全部吐き出してしまうのじゃ。」
「そ、その申し出はありがたいが……、よ、余は実はあまり酒に強くないんだ…!!」
し〜〜〜〜〜〜〜〜ん
「…………………………えへ♪」
「い、イチゴ…?」
ベキ、ベキ、ベキ……、カシュカシュカシュ…
イチゴは不気味な笑いを浮かべると、テキーラの瓶の蓋を力強く開ける。
そして蓋を開けたテキーラの瓶を持つとイチゴはノエル帝へにじり寄った。
「酒に弱いのなら弱いと何故言わぬのじゃ〜♪それならお姉さんがお酒を使った誘惑法を伝授してやったものを〜。『ああん、酔っちゃった♪』とオヌシがたっちゃんに寄りかかる。するとたっちゃんは『嗚呼、おぜうさん。大丈夫ですか。』とやさしく肩を抱く。そして酔った勢いで二人は肉体的にゴールイン!見事同じベッドの中で、同じ朝日を拝めるという寸法じゃ♪」
「余はそんなことを望んではいないぞ!!!!」
クックック…、とイチゴはまるでロウガのような悪い笑みを浮かべる。
「オヌシが望んでいるか、望んでいないかなんぞ聞いておらぬ。ワシはただ、面白い修羅場が見れたらそれで良いのじゃ!あ、もちろんサバトにも出席してもらって実演してもらうつもりじゃから、そのつもりで夜露死苦♪」
「ちょ、や、やめて……!余、私は飲めな…!?ガボッ!!!べ、べに……、助け……、嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
その後、悲鳴を聞き付けて駆け付けて来た帝国軍将軍やダオラたちに、皇帝を襲撃し、飲めない酒を無理矢理飲ませ、酔い潰したイチゴはこっ酷く怒られ、長時間正座させられたことは、最早言うまでもないであろう。
「…………むにゅん、たつまさしゃま……♪」
ただ、ノエル帝は誰の目から見ても幸せそうな寝顔だったという事実だけが、何故か帝国史ノエル伝にはやけに強調されて残されている。
11/04/23 00:53更新 / 宿利京祐
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