第一話・業【Karma】
奪い取った場所で生きているにすぎない。
誰から奪い取ったか?
誰かから奪い取ったのではない。
私は……、同じ鼓動の悲鳴を聞いたことがないまま生きている。
本来、私の場所にいるはずの誰かを横に押し遣って…、
私は図々しく誰かの場所で仕方なく生きているにすぎないんだ…。
留学先で二十歳の誕生日を迎えたその日、久し振りに母から手紙が届いた。
私本人宛てではなく、留学先の学園長宛てに手紙が届いたので、私は学園長に呼び出されて、学園長室の扉を溜息混じりノックした。
呼び出された理由を聞いた私は、母からどんな内容の手紙が届いたのか薄々理解していた。
どうせ、帰って来いという内容なのだろう。
すでに留学目的であった学園を卒業して数ヶ月。
未だ実家に戻らず、留学先でフラフラしている私を烈火の如く怒っているに違いない。
「どうぞ。」
学園長室のドアの向こうから返事が返ってくる。
また溜息を一つ。
「……アドライグ、入ります。」
ドアを開けると、やわらかな笑顔を浮かべている学園長が私、アドライグを待っていた。
女性みたいな顔だけど男性。
華奢な身体付きだけど、彼の格闘術は誰も太刀打ち出来ず、争いを好まない性格から『眠れる龍』という異名を持つこの人は、私の留学先である学園都市セラエノ統治者、そしてセラエノ学園学園長。
サクラ=サワキ学園長、38歳。
歳の割りには童顔で、20代でも通用…いや、やはり20代ではなく10代でも通用するだろう。
通称、女の敵。
下手な女性より綺麗な顔をしているから性質が悪い。
「アドライグさん、お呼びした理由は……っと。その様子では聞いていますね?」
「ええ……、母から手紙が届いているんでしょう?」
また溜息。
するとサクラ学園長も察してくれたらしく、二、三の慰めの言葉をかけてくれた。
私はリザードマン。
何の因果かサラマンダーと同じ、赤い甲殻を持って生まれてきたリザードマンだ。
母、という人は同族ではない。
何か理由があって、私を引き取り育ててくれた人間。
私が実家に帰りたがらないのは、別段酷いことをされたのではない。
ただ、物心が付いた頃から、私が勝手に母と自分の種族の境界を感じてしまって、あまり母に心を開くことが出来ず、どこか一歩退いてしまって母と接してきたせいか、留学を契機に実家から足が遠くなってしまっているだけである。
留学が終わっても実家に帰らず、学園都市のアパートでフラフラした生活をしている私は、人間としても、リザードマンとしても失格なのだろう。
仕方がなく生きている。
そんな曖昧な感覚。
生きている実感のない幽霊のような日々。
実家に戻れば、それなりの忙しい日々に埋もれていくだろう。
だけど……、それは本当に私でなければならないのか…。
「アドライグさん、あなたのこれからの責務は僕としても承知していますが…、一度実家に戻って、お母様を安心させてあげてください。あなたのお母様とは、結構親しい仲なのですが…、さすがにこれ以上惚けてあげられないくらいに怒っているんですよ。」
「そうですか…。怒っていますか。」
「そんな訳です。一度、実家に戻って話し合うのが良いでしょう。あなたのお母様だって、話のわからない人じゃない。むしろあなたのことを心配しているから怒っているんだと僕は思いますよ。力はあるのに、逃げてばかりのあなたを心配しているんです。」
逃げてばかり、という言葉に胸の奥がズクンと痛む。
「学園での成績は目を見張るものがありました。勉学、魔術学、そして武術すべての科目を主席で卒業したあなたを知っていれば、あの当時の学友たちが今の自堕落に生きるあなたを見たら何と思うでしょうね。」
主席卒業。
確かに私はすべてにおいてトップだった。
でも……、私の力とは数字にすればそんな程度のことなのか…。
「アドライグさん、僕もね。この学園の生徒だった時は、そりゃあ酷いおちこぼれでしてね。妻がいなければ、あの人の背中を追っていかなければ…、僕はきっと家業を継いで、しがない土建屋の倅として生きていたでしょうね。」
サクラ学園長は、懐かしむように目を閉じる。
サクラ学園長の言うあの人とは、彼の奥様であるマイア教頭のお父上。
この学園の初代学園長のことらしい。
「私は……!」
「アドライグさん、あなたの知らなきゃいけないことは、学園では教えてあげることが出来ません。僕にしてもあなたが知りたいことを理解するまでにたくさんの時間を必要としました。何人もの人の命が失われ、そして大事な人を亡くして初めて知ったくらいです。これは教えて理解出来ることではありません。アドライグさん、自分を知りなさい。深く自分と対話しなさい。そしてたくさんの人々の輪に入りなさい。そうすれば自然と答えは見付かるでしょう。」
私が知りたいこと。
リザードマンとしての本能が言っている。
力とは何だ。
あんな成績が私の力なのか。
そして、何故私の生みの親は私を捨てたのか…。
私は………、自分が何者なのかを知りたい!
「……一度、帰りなさい。あなたが知らなければいけないことは、1と0の間にしか存在しない。もう、ここで教えてあげられることはすべて教えたはず。後はあなた自身の問題。磨いて輝く玉石になるか、それとも時間に埋没してしまう石ころになってしまうのか…。アドライグさん、あなた次第ですよ。」
そう言ってサクラ学園長は、母から送られた手紙を私に手渡した。
内容は、私の思っていたのとは少々違っていた。
誕生日を祝うから顔を見せに帰れ、という内容に、私の心は罪悪感を感じていた。
……一度、帰ってみよう。
成人した今なら聞くことが出来る。
私は、誰の子なんだろうと。
私は、望まれてこの地上に生を受けたのかと…。
差出人はノエル=ルオゥム。
私が母と呼ぶ人は、後ルオゥム帝国初代皇帝である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
後ルオゥム帝国、新帝都オルテに辿り着いて早々、私は実家の屋敷に向かわず帝都の真ん中に位置するスカーレット公園のベンチでのんびりと空を眺めていた。
青い空、抜けるように爽やかな風が吹く午後。
夏の到来を予感させる晴天の空。
笑ってしまう。
誰も私が皇帝の娘だと気が付かないまま、私の目の前で穏やかな日々を送っている。
きっと、私はどこから見ても旅のリザードマンにしか見えていないのだろう。
必要最小限の荷物を古ぼけたトランク1つに詰め込んだ旅。
見ての通り、実家に長居するつもりがない。
………屈折している。
母のことが嫌いなのではない。
むしろ女手一つで他人である私を育ててくれて、そして一度滅んだ帝国を小規模ながら復活させ、未だ安定を見せない周辺諸国の情勢の中で帝国を守ってきた母の背中を、私は尊敬している。
ああ、わかっているよ…。
問題は…。
「私の心の壁なんだよな…。」
分厚く、高い。
それでいて登り切るには骨が折れるデコボコした壁が私の心の中に物心付いた頃からある。
ふと、空を見ていた目を下に降ろすと楽しそうに両親と戯れる子供が目に留まる。
屈託のない笑顔。
きっと幸せを絵に描いたような家庭なのだろう。
そう思った瞬間、私はその家族から思わず目を逸らした。
自分にはないもの。
物心付いた頃には、存在しなかった幸せ。
『ねぇ、おかーさん…。アドはどうしておかーさんとちがうの?』
何気ない一言に母はどれだけ傷付いたのだろうか…。
幼かった私の母への言葉は残酷なものだったのだろう。
今でも覚えている。
母はやさしく抱き締めて言った。
『……今はね、私はアドの質問に答えてあげられない。約束だから…。でも覚えておいて欲しい。私はアドを愛している。私の宝物だと心から思っている。それでも本当のことが知りたかったら……、大人になったら教えてあげる。』
今日が約束の日。
大人になったら、成人したら……。
私は決めなければならない。
ルオゥムの名を継ぐか。
それとも母が教えてくれる真実を受け入れ…、真実の名を継ぐのか…。
……………怖い。
たったそれだけなのに……、私は怖い。
これまでの自分を否定するようで怖いのだ。
だから私は逃げている。
母から、真実から、そして自分自身から…。
「…失礼、お嬢さん。火を貸してくれないかな?」
ギシッという音を鳴らしてベンチに座る女性。
ジパングの装飾が美しいキセルを粋に咥える銀髪の美女。
頭の上には巻き角、特徴ある尻尾がユラユラと揺れている。
翼が見当たらないが、きっとサキュバスだ。
そうでなければ、この美しさは説明出来ない。
「すみません、私は煙草を吸わないので…。」
「おや、君はサラマンダーじゃないのかい?」
また間違えられたのか…。
この褐色の肌、赤い鱗のせいでよく間違われる。
慣れた、と言えば聞こえは良いが、もう諦めたと言った方が正しいだろう。
自分がリザードマンであることを告げると、サキュバスの美女は
「たはーっ。」
と、おどけるように手の平で目を隠し、天を仰ぐ。
よく見れば、ジパングの着物姿。
それも男物で、着こなし方がサクラ学園長のそれに似ている。
「失礼ですが…、セラエノの方ですか?私もセラエノに住んでいるのですが…。」
お見かけしたことがない、と言うと彼女は首を振る。
「セラエノには……、親友と私の片割れとも言える友が住んでいただけだよ。その友も今は亡く、こうして彼を偲んで彼の着ていた着物に似せたものを纏っているだけに過ぎないのだよ。この煙草も……、あいつが好きだったからさ。私が吸えば、あいつへの線香の代わりにもなって、良い供養になるだろうと思ってね。間違えてすまなかったね。誇り高い種族同士とは言え、リザードマンとサラマンダーを間違えるなんて…。」
「いえ………。」
誇り高い種族、という言葉に胸が痛む。
私は…、私の誇りとは何なのだろう…。
「…よし、ではお詫びの意味を込めて君におまじないをしてあげよう。」
「おまじない、ですか?」
ああ、と彼女は楽しそうに目を細める。
「素敵な素敵な恋のおまじないでもどうかな?」
「あはは、私にそんな人いませんよ。」
「おや、それは寂しいね。じゃあ、素敵な出会いが訪れるおまじないにしよう。そう、君の人生がガラリと変わるくらい大きな出会いが訪れるような。チチンプイプイ〜…。」
「あははは、何ですかそれは。」
……………………。
…………………。
………………。
彼女とお喋りをするのは楽しかった。
重々しい心が少しだけ軽くなったような気がした。
子供騙しのような呪文が効いたのだろう。
だが、私はいつまでも公園のベンチにいる訳にもいかず、私はお暇することにした。
日が暮れるまでに、実家に帰る決心を固めなければならない…。
「それでは……、またどこかで…。」
「ああ、またどこかで。」
私はトランクを片手に歩き出す。
気が付けば、幸せそうな家族もいない。
暖かい午後の風は、いつの間にか冷たい夜の風に変わりそうになっていた。
「…………やれやれ。」
女は懐からマッチを取り出すと、キセルの煙草に火を点ける。
火を貸してくれというのはあくまで口実。
本当はアドライグに近付くのが目的だったのである。
「屈折した娘だ。だが、それ故に思いは強い。自分が何者か。自分の本当の姿を知りたい…か…。若者特有の自分探しとは違う、君の起源を知りたいというその願い。叶えてあげようじゃないか。でも、ただでは教えてあげない。君からいただく代償は、真実を知ることで知る痛みだ。でもその痛みの先に、きっと誰のためでもない明日がある。さぁ……、行っておいで。素敵で悲しい時間旅行へ……。ロウガ、後は頼んだよ。」
ふう、と煙が空へ舞う。
細い煙を残して、女は姿を消した。
ベンチには誰もいない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「うわっ!?」
公園を出ようとした時、私は何かに引っ掛かり派手に転んでしまった。
大きさ的に丸太のようだったが……。
「まったく……、何でこんなところに丸太が…!」
公園にこんなものがあったら危ないじゃな……い…!?
「………っ!?」
思わず息を飲んだ。
私が躓いたもの。
ゴロリと転がるそれは腕。
何度も踏み付けられ、汚く砕けて折れ曲がった腕。
血塗れの顔が怨めしそうに力なく私を見ている。
「な、な、な、何でこんなものが……!?」
死体。
それは非日常の極み。
穏やかな日常を、あっという間に恐怖に突き落とすアイテム。
「何で、誰も気に留めないんだ!?誰か、警察を呼んで…………えっ。」
私は我が目を疑った。
公園、ではない。
ここは……どこだ!?
私の目の前に広がるのは帝都オルテの姿ではなかった。
打ち壊された民家。
まるでペンキのように壁に広がる赤黒い血痕。
そこかしこに倒れている人々。
みんな、死んでいる。
「何!?ここは…、どこ!?」
混乱している。
私はこれまでの人生で感じたことがない程狼狽していた。
ここはどこなのか。
そして、何故こんなに人が死んでいるのか。
何一つわからないまま狼狽していた。
「嫌ああああああああああ!!!!」
その時聞こえてきた悲鳴が、狼狽していた心を正気に戻した。
誰かが助けを呼んでいる。
鼓動が………、張り裂けそうな程悲鳴を上げている。
あの悲鳴に応えるつもりなのか…。
私は武器も持っていないのに……。
私はフラフラとした足取りでその悲鳴のする方へと歩き始めていた。
心が………、
何をするべきなのかを叫んでいる。
「助けてくれぇ…!私たちが何を…。」
「やれ。」
指揮官風の男が合図すると斧が振り下ろされ、命乞いをする男の首が飛んだ。
断末魔はない。
だが、断末魔の代わりに刎ねられた首を見て、次に首を刎ねられるであろう者たちが悲鳴を上げ、必死に運命に抗おうと暴れるが、彼らを取り押さえる屈強な兵士たちの前にそれは叶わない。
兵士たちは、この村を制圧した。
理由は、この国が敵国だから。
抵抗もなく降伏した村を、男たちは徹底的に攻撃した。
男は処刑、女は慰み者に。
根絶やしにするという確固たる意思の下、虐殺と凌辱が横行した。
「何故、何故でございますか…。我らが一体何をしたというのですか…。我らは教会の教えに忠実に従って生き、あなた方に御味方すべく降伏したではありませんか…!だというのに……、だというのにこれはあんまりでございます!!」
村長らしき老人が処刑台の上で喚く。
指揮官風の男はそんな老人に冷たく言い放った。
「我らが王と、従うべき教会が汝らの国を神敵に与する悪魔だとお認めになった。悪魔はすべて根絶やしにする。教会が許さぬということは神が汝らを許さぬということであり、汝らは永久に地獄の底で嘆き続けるだろう。その首でせめてもの贖罪を致せ。」
男が手を動かす。
執行人の斧が頭上高く振り上げられる。
「お慈悲を、お慈悲を…!せめて女子供だけでも…!!」
「聞き飽きたわ。」
ドンッ、という音を立てて、首が舞う。
老人の首は悔しさと涙に染まっていた。
指揮官風の男が立つ。
すると兵士たちは姿勢を正し、指揮官風の男に注目した。
「良いか、教会が悪魔と認めた者たちをすべて滅ぼすのだ。例外なく、一切の例外なく絶やせ。確かに我らは祖国を失い、新勢力によってすべてを失った敗残兵。だが、正義は我らにある。神の真理と教会の権威を我らが王が庇護しておられる限り、絶対の太陽は沈まぬのだ。我らは神の軍団に合流しなければならないが、敢えてここは別行動を取る。ムルアケ街道の悪魔を根絶やしにして後顧の憂いを断たねばならない。良いか、我らこそ真の正義だ。ジャン王子如き軟弱者に国一つ纏め上げられるとは思えぬ。やはり、我らの王は一人なのだ。真の正義と信仰の守護者であるフィリップ王こそ我らの王なのだ!!」
力強い言葉に、兵士たちの士気は高まる。
彼らは旧フウム王国残党。
フィリップ王たちとは別に、クーデターに負けて権力を失った者たちである。
その数、およそ2000。
そのうちの100数名の先発隊がこの村を占拠していた。
「では処刑を続けよう。この首が輝かしい未来を作……。」
「……………………世迷言を。」
指揮官風の男の頭上で、赤い三日月が宙を舞う。
誰もがそれを赤鱗の尻尾だと理解するのには、僅かに時間が必要だった。
赤鱗の乙女が空中で弧を描き、軽やかに着地する。
手には剣。
フウム王国兵士から拝借した剣が、妖しく光る。
「な、何でこんなところに……、ま、ま、魔物がいるんだ…!?」
「やっぱり、ここは……、悪魔の村だったのか…!?」
初めて魔物の姿を見る者、いるはずがないと思って不意を尽かれた者、そして心から敵対する者たちが悪魔の使いだったのだと確信する者たちが慌てふためき、隊列を崩して動揺し始めていた。
「……ば、馬鹿…な…!?」
指揮官風の男の身体がグラリと揺らぐ。
「……沢木一刀流、飛燕。こんな粗悪な剣でもあなたの兜ぐらいなら断ち切れる。」
指揮官風の男の兜が割れ、グラリとそのまま地面に派手に突っ伏した。
ビクビクと痙攣をしながら、割れた額からどす黒い血液と脳漿が勢い良く飛び散った。
今度は、兵士たちが悲鳴を上げる番だった。
これは因果応報。
愉しい時間はあっという間にすぎ、快楽の代償に命を寄こせと死神が鎌を振り自分たちの命を刈り取りに来たのだと、兵士たちは錯覚した。
死にたくない。
死にたくない。
身勝手な程、神に祈る者たちを尻目にアドライグは呟いた。
「…これが………、人を殺した感触なのか…。」
後味の悪いザラリとした感触。
拭っても拭っても、拭えぬ嫌悪感に吐き気が胸のとこまで込み上げてくる。
平静を装っていたが、彼女は震えていた。
怖い。
逃げたい。
それでも、無意味に殺されていく命を見殺しには出来ないと心が叫んでいた。
彼女は軽やかに処刑台に飛び乗ると、呆気に取られた執行人の喉笛を掻っ切った。
「……これで…2人…。」
自分の手で散らした命。
例えそれが、どんな人物であろうと彼女の心に重く圧し掛かる。
汚さずに保ってきた手は、
ついに血で汚れてしまった。
彼女の行動が正しかったのか、それとも間違っていたのか。
答えは、2択ではない。
1と0の間に、答えは無限に存在する。
誰から奪い取ったか?
誰かから奪い取ったのではない。
私は……、同じ鼓動の悲鳴を聞いたことがないまま生きている。
本来、私の場所にいるはずの誰かを横に押し遣って…、
私は図々しく誰かの場所で仕方なく生きているにすぎないんだ…。
留学先で二十歳の誕生日を迎えたその日、久し振りに母から手紙が届いた。
私本人宛てではなく、留学先の学園長宛てに手紙が届いたので、私は学園長に呼び出されて、学園長室の扉を溜息混じりノックした。
呼び出された理由を聞いた私は、母からどんな内容の手紙が届いたのか薄々理解していた。
どうせ、帰って来いという内容なのだろう。
すでに留学目的であった学園を卒業して数ヶ月。
未だ実家に戻らず、留学先でフラフラしている私を烈火の如く怒っているに違いない。
「どうぞ。」
学園長室のドアの向こうから返事が返ってくる。
また溜息を一つ。
「……アドライグ、入ります。」
ドアを開けると、やわらかな笑顔を浮かべている学園長が私、アドライグを待っていた。
女性みたいな顔だけど男性。
華奢な身体付きだけど、彼の格闘術は誰も太刀打ち出来ず、争いを好まない性格から『眠れる龍』という異名を持つこの人は、私の留学先である学園都市セラエノ統治者、そしてセラエノ学園学園長。
サクラ=サワキ学園長、38歳。
歳の割りには童顔で、20代でも通用…いや、やはり20代ではなく10代でも通用するだろう。
通称、女の敵。
下手な女性より綺麗な顔をしているから性質が悪い。
「アドライグさん、お呼びした理由は……っと。その様子では聞いていますね?」
「ええ……、母から手紙が届いているんでしょう?」
また溜息。
するとサクラ学園長も察してくれたらしく、二、三の慰めの言葉をかけてくれた。
私はリザードマン。
何の因果かサラマンダーと同じ、赤い甲殻を持って生まれてきたリザードマンだ。
母、という人は同族ではない。
何か理由があって、私を引き取り育ててくれた人間。
私が実家に帰りたがらないのは、別段酷いことをされたのではない。
ただ、物心が付いた頃から、私が勝手に母と自分の種族の境界を感じてしまって、あまり母に心を開くことが出来ず、どこか一歩退いてしまって母と接してきたせいか、留学を契機に実家から足が遠くなってしまっているだけである。
留学が終わっても実家に帰らず、学園都市のアパートでフラフラした生活をしている私は、人間としても、リザードマンとしても失格なのだろう。
仕方がなく生きている。
そんな曖昧な感覚。
生きている実感のない幽霊のような日々。
実家に戻れば、それなりの忙しい日々に埋もれていくだろう。
だけど……、それは本当に私でなければならないのか…。
「アドライグさん、あなたのこれからの責務は僕としても承知していますが…、一度実家に戻って、お母様を安心させてあげてください。あなたのお母様とは、結構親しい仲なのですが…、さすがにこれ以上惚けてあげられないくらいに怒っているんですよ。」
「そうですか…。怒っていますか。」
「そんな訳です。一度、実家に戻って話し合うのが良いでしょう。あなたのお母様だって、話のわからない人じゃない。むしろあなたのことを心配しているから怒っているんだと僕は思いますよ。力はあるのに、逃げてばかりのあなたを心配しているんです。」
逃げてばかり、という言葉に胸の奥がズクンと痛む。
「学園での成績は目を見張るものがありました。勉学、魔術学、そして武術すべての科目を主席で卒業したあなたを知っていれば、あの当時の学友たちが今の自堕落に生きるあなたを見たら何と思うでしょうね。」
主席卒業。
確かに私はすべてにおいてトップだった。
でも……、私の力とは数字にすればそんな程度のことなのか…。
「アドライグさん、僕もね。この学園の生徒だった時は、そりゃあ酷いおちこぼれでしてね。妻がいなければ、あの人の背中を追っていかなければ…、僕はきっと家業を継いで、しがない土建屋の倅として生きていたでしょうね。」
サクラ学園長は、懐かしむように目を閉じる。
サクラ学園長の言うあの人とは、彼の奥様であるマイア教頭のお父上。
この学園の初代学園長のことらしい。
「私は……!」
「アドライグさん、あなたの知らなきゃいけないことは、学園では教えてあげることが出来ません。僕にしてもあなたが知りたいことを理解するまでにたくさんの時間を必要としました。何人もの人の命が失われ、そして大事な人を亡くして初めて知ったくらいです。これは教えて理解出来ることではありません。アドライグさん、自分を知りなさい。深く自分と対話しなさい。そしてたくさんの人々の輪に入りなさい。そうすれば自然と答えは見付かるでしょう。」
私が知りたいこと。
リザードマンとしての本能が言っている。
力とは何だ。
あんな成績が私の力なのか。
そして、何故私の生みの親は私を捨てたのか…。
私は………、自分が何者なのかを知りたい!
「……一度、帰りなさい。あなたが知らなければいけないことは、1と0の間にしか存在しない。もう、ここで教えてあげられることはすべて教えたはず。後はあなた自身の問題。磨いて輝く玉石になるか、それとも時間に埋没してしまう石ころになってしまうのか…。アドライグさん、あなた次第ですよ。」
そう言ってサクラ学園長は、母から送られた手紙を私に手渡した。
内容は、私の思っていたのとは少々違っていた。
誕生日を祝うから顔を見せに帰れ、という内容に、私の心は罪悪感を感じていた。
……一度、帰ってみよう。
成人した今なら聞くことが出来る。
私は、誰の子なんだろうと。
私は、望まれてこの地上に生を受けたのかと…。
差出人はノエル=ルオゥム。
私が母と呼ぶ人は、後ルオゥム帝国初代皇帝である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
後ルオゥム帝国、新帝都オルテに辿り着いて早々、私は実家の屋敷に向かわず帝都の真ん中に位置するスカーレット公園のベンチでのんびりと空を眺めていた。
青い空、抜けるように爽やかな風が吹く午後。
夏の到来を予感させる晴天の空。
笑ってしまう。
誰も私が皇帝の娘だと気が付かないまま、私の目の前で穏やかな日々を送っている。
きっと、私はどこから見ても旅のリザードマンにしか見えていないのだろう。
必要最小限の荷物を古ぼけたトランク1つに詰め込んだ旅。
見ての通り、実家に長居するつもりがない。
………屈折している。
母のことが嫌いなのではない。
むしろ女手一つで他人である私を育ててくれて、そして一度滅んだ帝国を小規模ながら復活させ、未だ安定を見せない周辺諸国の情勢の中で帝国を守ってきた母の背中を、私は尊敬している。
ああ、わかっているよ…。
問題は…。
「私の心の壁なんだよな…。」
分厚く、高い。
それでいて登り切るには骨が折れるデコボコした壁が私の心の中に物心付いた頃からある。
ふと、空を見ていた目を下に降ろすと楽しそうに両親と戯れる子供が目に留まる。
屈託のない笑顔。
きっと幸せを絵に描いたような家庭なのだろう。
そう思った瞬間、私はその家族から思わず目を逸らした。
自分にはないもの。
物心付いた頃には、存在しなかった幸せ。
『ねぇ、おかーさん…。アドはどうしておかーさんとちがうの?』
何気ない一言に母はどれだけ傷付いたのだろうか…。
幼かった私の母への言葉は残酷なものだったのだろう。
今でも覚えている。
母はやさしく抱き締めて言った。
『……今はね、私はアドの質問に答えてあげられない。約束だから…。でも覚えておいて欲しい。私はアドを愛している。私の宝物だと心から思っている。それでも本当のことが知りたかったら……、大人になったら教えてあげる。』
今日が約束の日。
大人になったら、成人したら……。
私は決めなければならない。
ルオゥムの名を継ぐか。
それとも母が教えてくれる真実を受け入れ…、真実の名を継ぐのか…。
……………怖い。
たったそれだけなのに……、私は怖い。
これまでの自分を否定するようで怖いのだ。
だから私は逃げている。
母から、真実から、そして自分自身から…。
「…失礼、お嬢さん。火を貸してくれないかな?」
ギシッという音を鳴らしてベンチに座る女性。
ジパングの装飾が美しいキセルを粋に咥える銀髪の美女。
頭の上には巻き角、特徴ある尻尾がユラユラと揺れている。
翼が見当たらないが、きっとサキュバスだ。
そうでなければ、この美しさは説明出来ない。
「すみません、私は煙草を吸わないので…。」
「おや、君はサラマンダーじゃないのかい?」
また間違えられたのか…。
この褐色の肌、赤い鱗のせいでよく間違われる。
慣れた、と言えば聞こえは良いが、もう諦めたと言った方が正しいだろう。
自分がリザードマンであることを告げると、サキュバスの美女は
「たはーっ。」
と、おどけるように手の平で目を隠し、天を仰ぐ。
よく見れば、ジパングの着物姿。
それも男物で、着こなし方がサクラ学園長のそれに似ている。
「失礼ですが…、セラエノの方ですか?私もセラエノに住んでいるのですが…。」
お見かけしたことがない、と言うと彼女は首を振る。
「セラエノには……、親友と私の片割れとも言える友が住んでいただけだよ。その友も今は亡く、こうして彼を偲んで彼の着ていた着物に似せたものを纏っているだけに過ぎないのだよ。この煙草も……、あいつが好きだったからさ。私が吸えば、あいつへの線香の代わりにもなって、良い供養になるだろうと思ってね。間違えてすまなかったね。誇り高い種族同士とは言え、リザードマンとサラマンダーを間違えるなんて…。」
「いえ………。」
誇り高い種族、という言葉に胸が痛む。
私は…、私の誇りとは何なのだろう…。
「…よし、ではお詫びの意味を込めて君におまじないをしてあげよう。」
「おまじない、ですか?」
ああ、と彼女は楽しそうに目を細める。
「素敵な素敵な恋のおまじないでもどうかな?」
「あはは、私にそんな人いませんよ。」
「おや、それは寂しいね。じゃあ、素敵な出会いが訪れるおまじないにしよう。そう、君の人生がガラリと変わるくらい大きな出会いが訪れるような。チチンプイプイ〜…。」
「あははは、何ですかそれは。」
……………………。
…………………。
………………。
彼女とお喋りをするのは楽しかった。
重々しい心が少しだけ軽くなったような気がした。
子供騙しのような呪文が効いたのだろう。
だが、私はいつまでも公園のベンチにいる訳にもいかず、私はお暇することにした。
日が暮れるまでに、実家に帰る決心を固めなければならない…。
「それでは……、またどこかで…。」
「ああ、またどこかで。」
私はトランクを片手に歩き出す。
気が付けば、幸せそうな家族もいない。
暖かい午後の風は、いつの間にか冷たい夜の風に変わりそうになっていた。
「…………やれやれ。」
女は懐からマッチを取り出すと、キセルの煙草に火を点ける。
火を貸してくれというのはあくまで口実。
本当はアドライグに近付くのが目的だったのである。
「屈折した娘だ。だが、それ故に思いは強い。自分が何者か。自分の本当の姿を知りたい…か…。若者特有の自分探しとは違う、君の起源を知りたいというその願い。叶えてあげようじゃないか。でも、ただでは教えてあげない。君からいただく代償は、真実を知ることで知る痛みだ。でもその痛みの先に、きっと誰のためでもない明日がある。さぁ……、行っておいで。素敵で悲しい時間旅行へ……。ロウガ、後は頼んだよ。」
ふう、と煙が空へ舞う。
細い煙を残して、女は姿を消した。
ベンチには誰もいない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「うわっ!?」
公園を出ようとした時、私は何かに引っ掛かり派手に転んでしまった。
大きさ的に丸太のようだったが……。
「まったく……、何でこんなところに丸太が…!」
公園にこんなものがあったら危ないじゃな……い…!?
「………っ!?」
思わず息を飲んだ。
私が躓いたもの。
ゴロリと転がるそれは腕。
何度も踏み付けられ、汚く砕けて折れ曲がった腕。
血塗れの顔が怨めしそうに力なく私を見ている。
「な、な、な、何でこんなものが……!?」
死体。
それは非日常の極み。
穏やかな日常を、あっという間に恐怖に突き落とすアイテム。
「何で、誰も気に留めないんだ!?誰か、警察を呼んで…………えっ。」
私は我が目を疑った。
公園、ではない。
ここは……どこだ!?
私の目の前に広がるのは帝都オルテの姿ではなかった。
打ち壊された民家。
まるでペンキのように壁に広がる赤黒い血痕。
そこかしこに倒れている人々。
みんな、死んでいる。
「何!?ここは…、どこ!?」
混乱している。
私はこれまでの人生で感じたことがない程狼狽していた。
ここはどこなのか。
そして、何故こんなに人が死んでいるのか。
何一つわからないまま狼狽していた。
「嫌ああああああああああ!!!!」
その時聞こえてきた悲鳴が、狼狽していた心を正気に戻した。
誰かが助けを呼んでいる。
鼓動が………、張り裂けそうな程悲鳴を上げている。
あの悲鳴に応えるつもりなのか…。
私は武器も持っていないのに……。
私はフラフラとした足取りでその悲鳴のする方へと歩き始めていた。
心が………、
何をするべきなのかを叫んでいる。
「助けてくれぇ…!私たちが何を…。」
「やれ。」
指揮官風の男が合図すると斧が振り下ろされ、命乞いをする男の首が飛んだ。
断末魔はない。
だが、断末魔の代わりに刎ねられた首を見て、次に首を刎ねられるであろう者たちが悲鳴を上げ、必死に運命に抗おうと暴れるが、彼らを取り押さえる屈強な兵士たちの前にそれは叶わない。
兵士たちは、この村を制圧した。
理由は、この国が敵国だから。
抵抗もなく降伏した村を、男たちは徹底的に攻撃した。
男は処刑、女は慰み者に。
根絶やしにするという確固たる意思の下、虐殺と凌辱が横行した。
「何故、何故でございますか…。我らが一体何をしたというのですか…。我らは教会の教えに忠実に従って生き、あなた方に御味方すべく降伏したではありませんか…!だというのに……、だというのにこれはあんまりでございます!!」
村長らしき老人が処刑台の上で喚く。
指揮官風の男はそんな老人に冷たく言い放った。
「我らが王と、従うべき教会が汝らの国を神敵に与する悪魔だとお認めになった。悪魔はすべて根絶やしにする。教会が許さぬということは神が汝らを許さぬということであり、汝らは永久に地獄の底で嘆き続けるだろう。その首でせめてもの贖罪を致せ。」
男が手を動かす。
執行人の斧が頭上高く振り上げられる。
「お慈悲を、お慈悲を…!せめて女子供だけでも…!!」
「聞き飽きたわ。」
ドンッ、という音を立てて、首が舞う。
老人の首は悔しさと涙に染まっていた。
指揮官風の男が立つ。
すると兵士たちは姿勢を正し、指揮官風の男に注目した。
「良いか、教会が悪魔と認めた者たちをすべて滅ぼすのだ。例外なく、一切の例外なく絶やせ。確かに我らは祖国を失い、新勢力によってすべてを失った敗残兵。だが、正義は我らにある。神の真理と教会の権威を我らが王が庇護しておられる限り、絶対の太陽は沈まぬのだ。我らは神の軍団に合流しなければならないが、敢えてここは別行動を取る。ムルアケ街道の悪魔を根絶やしにして後顧の憂いを断たねばならない。良いか、我らこそ真の正義だ。ジャン王子如き軟弱者に国一つ纏め上げられるとは思えぬ。やはり、我らの王は一人なのだ。真の正義と信仰の守護者であるフィリップ王こそ我らの王なのだ!!」
力強い言葉に、兵士たちの士気は高まる。
彼らは旧フウム王国残党。
フィリップ王たちとは別に、クーデターに負けて権力を失った者たちである。
その数、およそ2000。
そのうちの100数名の先発隊がこの村を占拠していた。
「では処刑を続けよう。この首が輝かしい未来を作……。」
「……………………世迷言を。」
指揮官風の男の頭上で、赤い三日月が宙を舞う。
誰もがそれを赤鱗の尻尾だと理解するのには、僅かに時間が必要だった。
赤鱗の乙女が空中で弧を描き、軽やかに着地する。
手には剣。
フウム王国兵士から拝借した剣が、妖しく光る。
「な、何でこんなところに……、ま、ま、魔物がいるんだ…!?」
「やっぱり、ここは……、悪魔の村だったのか…!?」
初めて魔物の姿を見る者、いるはずがないと思って不意を尽かれた者、そして心から敵対する者たちが悪魔の使いだったのだと確信する者たちが慌てふためき、隊列を崩して動揺し始めていた。
「……ば、馬鹿…な…!?」
指揮官風の男の身体がグラリと揺らぐ。
「……沢木一刀流、飛燕。こんな粗悪な剣でもあなたの兜ぐらいなら断ち切れる。」
指揮官風の男の兜が割れ、グラリとそのまま地面に派手に突っ伏した。
ビクビクと痙攣をしながら、割れた額からどす黒い血液と脳漿が勢い良く飛び散った。
今度は、兵士たちが悲鳴を上げる番だった。
これは因果応報。
愉しい時間はあっという間にすぎ、快楽の代償に命を寄こせと死神が鎌を振り自分たちの命を刈り取りに来たのだと、兵士たちは錯覚した。
死にたくない。
死にたくない。
身勝手な程、神に祈る者たちを尻目にアドライグは呟いた。
「…これが………、人を殺した感触なのか…。」
後味の悪いザラリとした感触。
拭っても拭っても、拭えぬ嫌悪感に吐き気が胸のとこまで込み上げてくる。
平静を装っていたが、彼女は震えていた。
怖い。
逃げたい。
それでも、無意味に殺されていく命を見殺しには出来ないと心が叫んでいた。
彼女は軽やかに処刑台に飛び乗ると、呆気に取られた執行人の喉笛を掻っ切った。
「……これで…2人…。」
自分の手で散らした命。
例えそれが、どんな人物であろうと彼女の心に重く圧し掛かる。
汚さずに保ってきた手は、
ついに血で汚れてしまった。
彼女の行動が正しかったのか、それとも間違っていたのか。
答えは、2択ではない。
1と0の間に、答えは無限に存在する。
11/05/18 00:32更新 / 宿利京祐
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