第七十二話・侵攻する信仰
あー……………、暇だ。
まったくついてないよなぁ。
ちょっと経費をちょろまかしただけで、まさかこんな同盟側の国境警備に飛ばされるとは…。
俺はもっと華々しい部隊にいたいんだよ。
魔物に味方する連中と、こう……ズババーンとか、ジャキーンとか。
とにかく手柄を立てて立てて立てまくって!
いつかは左団扇のお大臣様に俺はなりたいというのに…。
砦の上で今日も空を眺めている。
……………あ、ハエ。
「おいおい、キール。いくら敵がいない楽な部署だからって気を抜くなよ。」
「あー………、隊長。」
「何だ?」
「戦争、起きないっすかね?」
バコ
「痛〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
兜越しにゲンコツの衝撃が…!
「まったく、平和なのはありがたいことなんだぞ。それにうちの帝国は陛下がまさしく名君と呼ぶに値するお方だから、国内外共に安定しておる。それだというのに、戦争を望むとは……。」
「でも、隊長…。正直、同盟国との国境警備なんてやることがなさすぎます!俺、こう…、悪党をビシっとブッ倒すような戦士に憧れて兵隊になったんすよ?」
「む……、その気持ちはわからんでもない。ワシも若い頃はお前のように力を持て余していた。お前と同じように同盟国の…、それも教主国であるヴァルハリアとの国境なんか必要なのかという疑問を感じたことがあった。だが、見ろ。国境を越え、巡礼の旅に出る信者たちを守護し、道中の安全を守るというのも我らに与えられた偉大なる使命………っておや?今日はやけに旅人が少ないじゃないか。」
隊長が記録帳を見て首を捻る。
いつもならそこそこに人数がこの国境の関所を越えて行くのだが、今日は今朝から数える程しか人が出て行かない。
それもヴァルハリア方面からは人っ子一人来ない有様だ。
「大方、教主国で何か祭典でもあっているんじゃないのか?」
「だからって暇すぎま………ん?隊長、アレ。何でしょう?」
砂煙がものすごい勢いで迫ってくる。
よく見ると何やらキラキラしたものが、砂煙の中で動いていた。
「わ、わからん!総員、警戒態勢を…!!」
砂煙から逃れるように見慣れた鎧を着た男が馬に乗って関所へ駆けて来る。
あれって、確かこのあたりを巡回しているやつじゃない?
他のやつらはどうしたんだろう…。
やけに慌てているじゃない。
「おーい、慌ててどしたのさー!ついでにありゃ何だー!?」
馬に乗ったやつが顔を上げる。
遠目からハッキリわかる程、その顔に恐怖が浮かんでいた。
「て、敵襲ぅぅぅぅぅぅぅーっ!!!我ら警邏隊、我を残して全滅ぅぅぅーっ!!!て、て、て、て、敵は………!我らが教主国、ヴァルハリアにございますぅぅぅぅーっ!!!!!」
退屈な日常が終わる。
怠惰な平和が終わる。
宣戦布告もなく、ヴァルハリア教会領と神聖ルオゥム帝国の国境沿いの小さな砦は、その長い平和から大した防御機能も果たすことが出来ず、一日も持ち堪えられずに壊滅した。
退屈を嘆いた男も、その人生を終わる。
誰のものともわからぬ肉塊になり、小さな砦の中は本来の住人が死に絶え、返り血に塗れたヴァルハリアの民で溢れた。
かつて誰よりも信仰深く、慈悲深いと謳われた彼らの姿はない。
そこにいるのは、同じ信仰を持つ者を教会に言われるまま悪魔だと信じ込み、残酷に兵士が息絶えても尚槍で突き刺し続け、たまたまそこにいた修道女を力尽くで代わる代わる犯し続ける、人間の狂気を解放した神の使いを名乗る邪悪。
ここは殺しの庭。
ここは心の奥底に封じ込めた歪んだ願いを叶える箱庭。
楽しい楽しい血塗れのピクニック。
照り付ける太陽の下で、
解放された狂気に人々は信仰を盾に舌を出してせせら笑う。
目の前に生きる人間の姿はなく。
目の前には神と人間の嘘が深い溝を残す。
これが後に語られることとなるルオゥム戦役の始まりであった。
―――――――――――――――――――――――
「こ、これがヴァルハリアの人々なのか…!?」
リオンは恐怖していた。
楽しそうに死体を解体し、息絶えた死体を犯し続ける兵卒たち。
ヴァルハリア騎士団と旧フウム王国側の兵が辛うじてその規律を保っていたのだが、1万人を超える兵卒たちは覚えたての殺戮の技を行使することに喜びを見出し、兵卒たちはそのまま暴徒に近い存在となっていた。
もう、敵と定められたルオゥム帝国の砦に生きる者はいない。
すべて彼らが殺し、犯し、奪い去ってしまった。
さっきまで生きていたと思われる捨てられた修道女の死体は、絶望と憎しみが刻み付いた顔のまま、不謹慎な美しさを保ったまま、穢されている。
兵士たちは無邪気な子供が虫を解体するようにバラバラにされ、彼らが飽きるまで剣を、槍を突き続けたせいでボロボロになって大地に沈む。
「やめ……。」
「リオン、おやめなさい。」
リオンがそんな彼らを止めようとした時、ヒロがその肩を掴み首を振った。
「おやめなさい、リオン。気持ちは痛い程に理解しますが、堪えるのです。今彼らを触発すれば、それは即暴動に繋がります。それは私たちの望むべくことではありません。」
「ヒロ団長……、あ!?そ、その怪我はどうされたんですか!」
これですか、と言って額に巻いた包帯を指で押さえて彼は苦笑いを浮かべた。
「先程、本陣に赴きまして軍律を厳しくしていただきたく進言したのですが…。それが大司教猊下もフィリップ閣下にも、私の心象を悪くしてしまったようです。」
ヒロ=ハイルはこの状況を放ってはおけなかった。
すでに宣戦布告も出さず、まったくの不意打ちとも言える奇襲でこの拠点を奪った時点で、この戦争における汚点を残しているということを理解していた彼は、せめて神の軍団に相応しく厳格な軍律を以って、軍規を正すべきだと大司教ユリアス、フィリップ前王に進言をした。
だが、騎士団団長という地位にいるものの発言権が低く、またあまりにも若すぎたヒロは二人の怒りを買い、フィリップに投げ付けられた銀製のグラスを額で受け、怪我をしたのだった。
「………せっかく領民たちは初陣を勝利で飾り、士気旺盛に逆賊なる帝国を討たんと勝利の美酒に酔い痴れているというのに水を差すとは何事か。と言われましてね。私も騎士として彼らに仕えた以上は、彼らに従わざるを得ないのですが……。神国ヴァルハリアも、最早これまででしょうね。我らはその輝かしい歴史に泥を…、いえ、無用な血を塗ってしまいました。」
「しかし……、団長。それでも…、神は許すのですか!こんな状況を、昨日までの同胞を騙まし討ちし、最高権力者が敵だといえば、彼らの憎む悪魔と同じことを平気で行う彼らを……、神は許してくれるのですか…。」
ヒロはリオンの言葉に目を閉じ、深く溜息を吐く。
「私は宗教者ではありません。あくまで教会に忠義を誓う教会騎士です。それでも答えなければならないとすれば、あなたも彼らも、そして私も許されないでしょう。あなたや私たちは直接手を下していなくても、その状況を理解しても尚、彼らを止めることが出来なかったのですから。」
「許されない、というのは神にですか…?」
「……神は、何もしません。神は求めますが、許すことも許さないということもしない。それでも許さないというのは……、きっと後世です。我々は許されざる者として悪名を残し、私もあなたもそんな彼らと共に歴史に残る。リオン、行きましょう。ここにいては、あなたも私もここの狂気に毒される。」
「………はい。」
リオンの中に生きるもう一人の人格、レオンが囁いた。
聖者など存在しない。
聖者も教会も、所詮は人間なのだとレオンはいつになくやさしい声でリオンに語りかけていた。
リオン、ヒロは教会騎士団の仲間たちが待つ陣営に戻っていく。
まるで背中に感じる地獄から逃げるように。
せめて人間らしい心の残る仲間たちに触れ合いたいと、二人は願っていた。
―――――――――――――――――――――――
深夜、本陣に設置された豪勢な幕舎に明かりが灯る。
ハインケルがペンやコンパスを持って、数枚のスケッチを見ていた。
スケッチは彼の部下クロコが描いたもの。
描かれたのは細長い筒を色々な角度から見たスケッチだった。
お世辞にも上手とは言えなかったが、それでも彼にとっては十分だった。
ハインケルはコンパスや定規を使って、クロコが写し取ろうとしたものを再現していく。
意外な特技だったが、彼はこういう作業が好きだった。
およその形が出来上がった頃、彼の愛剣であるシンカが語りかけた。
『マスター、これ…何?』
「お前、大砲って知っているか?」
『あ、知ってるよ。40年前くらいに発明されたけど飛距離はないわ、命中精度は悪いわ、それでいて連射性も悪くて、次世代攻城兵器にって一時注目されたけど、結局丸太や投石器に勝てなかった珍品だよね。』
シンカは楽しそうな声で答える。
ハインケルはその声に、お前のどこが聖剣なのかわからない、という皮肉を言った後、コンパスや定規で寸法を測りながら、シンカに語りかけた。
「その珍品が、このクロコのスケッチだ。フウム王国の……、いや、フィリップのおっさん。どこから流れてきた技術だかわからねえが、こりゃその役立たずを改良した代物だ。シンカ、わからねえって雰囲気だな。これがな、フウム王国の切り札の一つなんだよ。」
ハインケルの手で完成させたそのスケッチには、長い砲身の鉄の塊。
火薬の質も良くなった昨今だからこそ完成させることが出来た、改良された大砲の姿がそこにあった。
『…でも、本当に使えるの?』
「弾の形状、砲身の長さから考えたら十分実用は可能だな。飛距離は忘れ去られた過去の珍品なんかとは、雲泥の差だろうよ。命中精度もな。問題は…、数だな。クロコの報告ではこの大砲は全部で6門しか見当たらなかったらしい。そりゃあ、使い辛いわな。弾だってタダじゃねえ。ただでさえ量産体制が整う前に戦争始めて、今じゃ補給をしようにも国を追われているんじゃ使いたくても使えない。こんな形状の最新式の弾なんか、安価で作れないからやつらも本気で虎の子のつもりでいるんだ。」
愉快、そういう顔でハインケルは笑う。
旧フウム王国、フィリップが密かに作らせていたのはこの大砲だった。
この最新式の大砲は、本陣よりもさらに10里後方に設置された基地に隠すように厳重に保管されていたのだったが、その不審な布陣に勘を働かせたハインケルはクロコに指示して、密かに探らせていたのだった。
『じゃあ、それが教会と王国の秘密兵器?だったら簡単だよね。筒の中に泥詰めたりするだけで、お終いだよ。案外楽なお仕事だよね。』
「…………だと良いんだがな。」
『あれ、珍しいね。マスターが歯切れが悪いなんて。』
ハインケルはもう一枚のスケッチを取り出す。
『それは?』
「クロコが描こうとした幕舎さ。だがあいつは描き出そうとして逃げ帰って来た。ただ怖い、その一言でな。あいつは怖いだの言って逃げ出すように鍛えちゃいない。お前も知っての通り、あいつはどんな潜入場所でも恐怖一つ感じずに遂行出来るやつだが、そのあいつが怖いと言って震えていた。ここまで言えばお前でもわかるよな。やつらの本当の切り札はこんなチャチな玩具じゃない。本当の切り札は、この幕舎の中にある。」
その中身の正体にハインケルはある程度の検討が付いていた。
「……チッ、こんな面倒なことを押し付けやがって、あの女。この仕事が終わったらキッチリ休暇を貰うぞ、コンチクショウ。」
『あ〜、マスター♪いっけないんだ〜、魔王様の悪口言っちゃいけないんだよ〜♪』
「……そういえばシンカ。最近、忙しくて俺としたことが手入れを怠っていたな。塩水塗ってやるから、ちょっと待ってろ。」
『や〜〜〜め〜〜〜て〜〜〜!!錆びる〜〜〜〜!!!』
ハインケルは考えていた。
自分がここにいる本当の理由。
あれが、もしも事実だとしたら……。
それはロウガたちだけの問題では済まない。
魔王軍が彼らの意志を無視して介入してくるかもしれない、と。
中東教会に奥にある文書が残されていた。
それはかつてクゥジュロ草原で戦死扱いになっているアンブレイ=カルロスを見限った部下が、クレイネル=アイルレットに宛てた報告書である。
そのレポートの中にはすでに改良型の大砲に関することが書かれていた。
その部下はたまたま過去の遺物などに興味を持った男だったために、ハインケル以上にその改良された大砲の威力を理解していた。
そして彼は見てしまったのである。
戦場に持ち出されたことで、アヌビスが読み取れない程の封印を外された僅かな瞬間、その幕舎の向こうにあるものを偶然見ることが出来たのである。
彼は報告書に
『あれは見てはいけないもの。あれは存在してはいけないものでした。』
という言葉を添えている。
クレイネルが手を引いた理由。
それは彼らに関われば最悪な場合、全面戦争に巻き込まれかねないという危惧もあったのだが、それ以上にフウム王国やヴァルハリアに呆れ、自分たちと完全に袂を分かつことを選んだ彼らを見限ったのである。
真実の最終兵器。
それは未だ、暗い幕舎の向こうに隠れたまま。
まったくついてないよなぁ。
ちょっと経費をちょろまかしただけで、まさかこんな同盟側の国境警備に飛ばされるとは…。
俺はもっと華々しい部隊にいたいんだよ。
魔物に味方する連中と、こう……ズババーンとか、ジャキーンとか。
とにかく手柄を立てて立てて立てまくって!
いつかは左団扇のお大臣様に俺はなりたいというのに…。
砦の上で今日も空を眺めている。
……………あ、ハエ。
「おいおい、キール。いくら敵がいない楽な部署だからって気を抜くなよ。」
「あー………、隊長。」
「何だ?」
「戦争、起きないっすかね?」
バコ
「痛〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
兜越しにゲンコツの衝撃が…!
「まったく、平和なのはありがたいことなんだぞ。それにうちの帝国は陛下がまさしく名君と呼ぶに値するお方だから、国内外共に安定しておる。それだというのに、戦争を望むとは……。」
「でも、隊長…。正直、同盟国との国境警備なんてやることがなさすぎます!俺、こう…、悪党をビシっとブッ倒すような戦士に憧れて兵隊になったんすよ?」
「む……、その気持ちはわからんでもない。ワシも若い頃はお前のように力を持て余していた。お前と同じように同盟国の…、それも教主国であるヴァルハリアとの国境なんか必要なのかという疑問を感じたことがあった。だが、見ろ。国境を越え、巡礼の旅に出る信者たちを守護し、道中の安全を守るというのも我らに与えられた偉大なる使命………っておや?今日はやけに旅人が少ないじゃないか。」
隊長が記録帳を見て首を捻る。
いつもならそこそこに人数がこの国境の関所を越えて行くのだが、今日は今朝から数える程しか人が出て行かない。
それもヴァルハリア方面からは人っ子一人来ない有様だ。
「大方、教主国で何か祭典でもあっているんじゃないのか?」
「だからって暇すぎま………ん?隊長、アレ。何でしょう?」
砂煙がものすごい勢いで迫ってくる。
よく見ると何やらキラキラしたものが、砂煙の中で動いていた。
「わ、わからん!総員、警戒態勢を…!!」
砂煙から逃れるように見慣れた鎧を着た男が馬に乗って関所へ駆けて来る。
あれって、確かこのあたりを巡回しているやつじゃない?
他のやつらはどうしたんだろう…。
やけに慌てているじゃない。
「おーい、慌ててどしたのさー!ついでにありゃ何だー!?」
馬に乗ったやつが顔を上げる。
遠目からハッキリわかる程、その顔に恐怖が浮かんでいた。
「て、敵襲ぅぅぅぅぅぅぅーっ!!!我ら警邏隊、我を残して全滅ぅぅぅーっ!!!て、て、て、て、敵は………!我らが教主国、ヴァルハリアにございますぅぅぅぅーっ!!!!!」
退屈な日常が終わる。
怠惰な平和が終わる。
宣戦布告もなく、ヴァルハリア教会領と神聖ルオゥム帝国の国境沿いの小さな砦は、その長い平和から大した防御機能も果たすことが出来ず、一日も持ち堪えられずに壊滅した。
退屈を嘆いた男も、その人生を終わる。
誰のものともわからぬ肉塊になり、小さな砦の中は本来の住人が死に絶え、返り血に塗れたヴァルハリアの民で溢れた。
かつて誰よりも信仰深く、慈悲深いと謳われた彼らの姿はない。
そこにいるのは、同じ信仰を持つ者を教会に言われるまま悪魔だと信じ込み、残酷に兵士が息絶えても尚槍で突き刺し続け、たまたまそこにいた修道女を力尽くで代わる代わる犯し続ける、人間の狂気を解放した神の使いを名乗る邪悪。
ここは殺しの庭。
ここは心の奥底に封じ込めた歪んだ願いを叶える箱庭。
楽しい楽しい血塗れのピクニック。
照り付ける太陽の下で、
解放された狂気に人々は信仰を盾に舌を出してせせら笑う。
目の前に生きる人間の姿はなく。
目の前には神と人間の嘘が深い溝を残す。
これが後に語られることとなるルオゥム戦役の始まりであった。
―――――――――――――――――――――――
「こ、これがヴァルハリアの人々なのか…!?」
リオンは恐怖していた。
楽しそうに死体を解体し、息絶えた死体を犯し続ける兵卒たち。
ヴァルハリア騎士団と旧フウム王国側の兵が辛うじてその規律を保っていたのだが、1万人を超える兵卒たちは覚えたての殺戮の技を行使することに喜びを見出し、兵卒たちはそのまま暴徒に近い存在となっていた。
もう、敵と定められたルオゥム帝国の砦に生きる者はいない。
すべて彼らが殺し、犯し、奪い去ってしまった。
さっきまで生きていたと思われる捨てられた修道女の死体は、絶望と憎しみが刻み付いた顔のまま、不謹慎な美しさを保ったまま、穢されている。
兵士たちは無邪気な子供が虫を解体するようにバラバラにされ、彼らが飽きるまで剣を、槍を突き続けたせいでボロボロになって大地に沈む。
「やめ……。」
「リオン、おやめなさい。」
リオンがそんな彼らを止めようとした時、ヒロがその肩を掴み首を振った。
「おやめなさい、リオン。気持ちは痛い程に理解しますが、堪えるのです。今彼らを触発すれば、それは即暴動に繋がります。それは私たちの望むべくことではありません。」
「ヒロ団長……、あ!?そ、その怪我はどうされたんですか!」
これですか、と言って額に巻いた包帯を指で押さえて彼は苦笑いを浮かべた。
「先程、本陣に赴きまして軍律を厳しくしていただきたく進言したのですが…。それが大司教猊下もフィリップ閣下にも、私の心象を悪くしてしまったようです。」
ヒロ=ハイルはこの状況を放ってはおけなかった。
すでに宣戦布告も出さず、まったくの不意打ちとも言える奇襲でこの拠点を奪った時点で、この戦争における汚点を残しているということを理解していた彼は、せめて神の軍団に相応しく厳格な軍律を以って、軍規を正すべきだと大司教ユリアス、フィリップ前王に進言をした。
だが、騎士団団長という地位にいるものの発言権が低く、またあまりにも若すぎたヒロは二人の怒りを買い、フィリップに投げ付けられた銀製のグラスを額で受け、怪我をしたのだった。
「………せっかく領民たちは初陣を勝利で飾り、士気旺盛に逆賊なる帝国を討たんと勝利の美酒に酔い痴れているというのに水を差すとは何事か。と言われましてね。私も騎士として彼らに仕えた以上は、彼らに従わざるを得ないのですが……。神国ヴァルハリアも、最早これまででしょうね。我らはその輝かしい歴史に泥を…、いえ、無用な血を塗ってしまいました。」
「しかし……、団長。それでも…、神は許すのですか!こんな状況を、昨日までの同胞を騙まし討ちし、最高権力者が敵だといえば、彼らの憎む悪魔と同じことを平気で行う彼らを……、神は許してくれるのですか…。」
ヒロはリオンの言葉に目を閉じ、深く溜息を吐く。
「私は宗教者ではありません。あくまで教会に忠義を誓う教会騎士です。それでも答えなければならないとすれば、あなたも彼らも、そして私も許されないでしょう。あなたや私たちは直接手を下していなくても、その状況を理解しても尚、彼らを止めることが出来なかったのですから。」
「許されない、というのは神にですか…?」
「……神は、何もしません。神は求めますが、許すことも許さないということもしない。それでも許さないというのは……、きっと後世です。我々は許されざる者として悪名を残し、私もあなたもそんな彼らと共に歴史に残る。リオン、行きましょう。ここにいては、あなたも私もここの狂気に毒される。」
「………はい。」
リオンの中に生きるもう一人の人格、レオンが囁いた。
聖者など存在しない。
聖者も教会も、所詮は人間なのだとレオンはいつになくやさしい声でリオンに語りかけていた。
リオン、ヒロは教会騎士団の仲間たちが待つ陣営に戻っていく。
まるで背中に感じる地獄から逃げるように。
せめて人間らしい心の残る仲間たちに触れ合いたいと、二人は願っていた。
―――――――――――――――――――――――
深夜、本陣に設置された豪勢な幕舎に明かりが灯る。
ハインケルがペンやコンパスを持って、数枚のスケッチを見ていた。
スケッチは彼の部下クロコが描いたもの。
描かれたのは細長い筒を色々な角度から見たスケッチだった。
お世辞にも上手とは言えなかったが、それでも彼にとっては十分だった。
ハインケルはコンパスや定規を使って、クロコが写し取ろうとしたものを再現していく。
意外な特技だったが、彼はこういう作業が好きだった。
およその形が出来上がった頃、彼の愛剣であるシンカが語りかけた。
『マスター、これ…何?』
「お前、大砲って知っているか?」
『あ、知ってるよ。40年前くらいに発明されたけど飛距離はないわ、命中精度は悪いわ、それでいて連射性も悪くて、次世代攻城兵器にって一時注目されたけど、結局丸太や投石器に勝てなかった珍品だよね。』
シンカは楽しそうな声で答える。
ハインケルはその声に、お前のどこが聖剣なのかわからない、という皮肉を言った後、コンパスや定規で寸法を測りながら、シンカに語りかけた。
「その珍品が、このクロコのスケッチだ。フウム王国の……、いや、フィリップのおっさん。どこから流れてきた技術だかわからねえが、こりゃその役立たずを改良した代物だ。シンカ、わからねえって雰囲気だな。これがな、フウム王国の切り札の一つなんだよ。」
ハインケルの手で完成させたそのスケッチには、長い砲身の鉄の塊。
火薬の質も良くなった昨今だからこそ完成させることが出来た、改良された大砲の姿がそこにあった。
『…でも、本当に使えるの?』
「弾の形状、砲身の長さから考えたら十分実用は可能だな。飛距離は忘れ去られた過去の珍品なんかとは、雲泥の差だろうよ。命中精度もな。問題は…、数だな。クロコの報告ではこの大砲は全部で6門しか見当たらなかったらしい。そりゃあ、使い辛いわな。弾だってタダじゃねえ。ただでさえ量産体制が整う前に戦争始めて、今じゃ補給をしようにも国を追われているんじゃ使いたくても使えない。こんな形状の最新式の弾なんか、安価で作れないからやつらも本気で虎の子のつもりでいるんだ。」
愉快、そういう顔でハインケルは笑う。
旧フウム王国、フィリップが密かに作らせていたのはこの大砲だった。
この最新式の大砲は、本陣よりもさらに10里後方に設置された基地に隠すように厳重に保管されていたのだったが、その不審な布陣に勘を働かせたハインケルはクロコに指示して、密かに探らせていたのだった。
『じゃあ、それが教会と王国の秘密兵器?だったら簡単だよね。筒の中に泥詰めたりするだけで、お終いだよ。案外楽なお仕事だよね。』
「…………だと良いんだがな。」
『あれ、珍しいね。マスターが歯切れが悪いなんて。』
ハインケルはもう一枚のスケッチを取り出す。
『それは?』
「クロコが描こうとした幕舎さ。だがあいつは描き出そうとして逃げ帰って来た。ただ怖い、その一言でな。あいつは怖いだの言って逃げ出すように鍛えちゃいない。お前も知っての通り、あいつはどんな潜入場所でも恐怖一つ感じずに遂行出来るやつだが、そのあいつが怖いと言って震えていた。ここまで言えばお前でもわかるよな。やつらの本当の切り札はこんなチャチな玩具じゃない。本当の切り札は、この幕舎の中にある。」
その中身の正体にハインケルはある程度の検討が付いていた。
「……チッ、こんな面倒なことを押し付けやがって、あの女。この仕事が終わったらキッチリ休暇を貰うぞ、コンチクショウ。」
『あ〜、マスター♪いっけないんだ〜、魔王様の悪口言っちゃいけないんだよ〜♪』
「……そういえばシンカ。最近、忙しくて俺としたことが手入れを怠っていたな。塩水塗ってやるから、ちょっと待ってろ。」
『や〜〜〜め〜〜〜て〜〜〜!!錆びる〜〜〜〜!!!』
ハインケルは考えていた。
自分がここにいる本当の理由。
あれが、もしも事実だとしたら……。
それはロウガたちだけの問題では済まない。
魔王軍が彼らの意志を無視して介入してくるかもしれない、と。
中東教会に奥にある文書が残されていた。
それはかつてクゥジュロ草原で戦死扱いになっているアンブレイ=カルロスを見限った部下が、クレイネル=アイルレットに宛てた報告書である。
そのレポートの中にはすでに改良型の大砲に関することが書かれていた。
その部下はたまたま過去の遺物などに興味を持った男だったために、ハインケル以上にその改良された大砲の威力を理解していた。
そして彼は見てしまったのである。
戦場に持ち出されたことで、アヌビスが読み取れない程の封印を外された僅かな瞬間、その幕舎の向こうにあるものを偶然見ることが出来たのである。
彼は報告書に
『あれは見てはいけないもの。あれは存在してはいけないものでした。』
という言葉を添えている。
クレイネルが手を引いた理由。
それは彼らに関われば最悪な場合、全面戦争に巻き込まれかねないという危惧もあったのだが、それ以上にフウム王国やヴァルハリアに呆れ、自分たちと完全に袂を分かつことを選んだ彼らを見限ったのである。
真実の最終兵器。
それは未だ、暗い幕舎の向こうに隠れたまま。
11/01/27 23:44更新 / 宿利京祐
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