前編
道行く人々が雑多にひしめきあう、高層ビルが建ち並ぶ都会の真っ只中。
待ち合わせ場所として有名な駅前広場にて、円筒状の巨大オブジェの外周に設けられた鉄製の腰掛けに座り、俺は待ち人の姿を探していた。
街頭テレビジョンに映るコマーシャル映像のループをじっと眺めるが、その内容はまったくといっていいほど頭に入ってこない。
ソワソワしながら何度も腕を組み変え、考えが堂々巡りする。数十分前に着いてからというものの、ずっとこの調子だった。
なぜならば、待ち人は己の人生においてひときわ特別な人物であったからだ。
「お待たせ〜!」
ハキハキとしていて通りのいい可憐な声が降りかかる。自分だけでなくその場に居合わせた誰もが振り返った。
「あなたがハッスンくん?」
「はいっ!そうです!」
「待った?」
「全然!いま来たばっかりっす!」
お決まりの文句で返し、俺は改めてその姿を認める。
背丈は自分より一回り小さく、ゆったりとした白いブラウスに紺色のフリルスカートといった出で立ち。
濃青のメッシュの入った流麗なシルバーブロンドのミディアムヘアに、丸くてくりくりとした緑色の大きな瞳。あどけなさを残しつつも整った目鼻筋。
ゆとりのあるブラウス生地越しにも分かる豊かな胸元は否が応でも目を引く。
髪の色に近い乳白色の毛皮に覆われた両足、頭に生えた一対の太く短い湾曲角、ぴょこぴょこ動く獣耳に長い尻尾といった、乳牛の特徴を持つ愛らしい獣人の女の子だ。
(わぁ…写真で見るより何十倍もかわいい…!)
彼女は『白嵜(しらさき)メグ』。
ホルスタウロス族出身という異例の経歴を持ちながら、恵まれたプロポーションと天真爛漫なキャラが人気の今をときめく魔物娘グラビアアイドルだ。
なぜ、「ハッスン」ことこの『泉蓮太(いずみはすた)』如きしがない一般人が、このような眩い後光を放つ雲上の天女と待ち合わせをしていたのか。
事の発端は今より約一ヶ月前まで遡る
*
「――『抽選1名様!メグとお忍びデートのチャンスをあなたに』…?」
メールボックスの新着一覧の中でひときわ目を引くそのタイトルをおもわず音読する。
そのあまりの胡散臭さ。最初は弾き損ねた迷惑メールが紛れ込んだのかと思ったが、差出人は「白嵜メグ公認ファンクラブ」のアドレスそのもので、正真正銘ファンクラブから送られたものだった。
「お忍びデートねぇ。確かにメグとデートできるならどんなに幸せなことか…」
しかし世の中そんなに甘くない。そんなにチョロく物事が進んでいいはずない。
きっと某アイドルグループのように新作の写真集一冊を抽選券に仕立て、グラドルとのデートという男の夢をダシに購買意欲を煽る。といったところが関の山ではないだろうか。
「…とはいえ、一応中身は見ておくか。一応」
一応。と復唱しながら件のメールのタイトルをクリックしてみる。すると特殊文字と記号の入り混じった文面が展開された。
「ええっと、なになに?」
内容を大まかに要約するとこうだ。
『今年△月○日発売のメグの写真集「渚のハトホル」に付属する応募ハガキを送られた方の中から抽選1名様に、メグと一日お忍びデートする権利をプレゼント!』
「――ドンピシャかよ」
メールの内容があまりに予想通り過ぎて、俺はあんぐりと開いた口が塞がらない。
所詮こんなものだ。急にバカバカしくなった俺は無気力にPCの電源を落とし、布団に仰向けで倒れ込んだ。
「どっちにしろメグの写真集は買うつもりだし、念のため応募だけはしてみるか…」
そうして来たる発売日。朝一で並んで手に入れた写真集を自宅で封切るとあのメールの告知通り、応募ハガキが付属していた。
表面には宛先である事務所の住所。裏面はまっさらの無地にメグ本人が書いたとおぼしき文字が印刷されている。
「会員様であれば会員番号とペンネームを。あと何かひとことあればどうぞ♪」
線が薄くてタッチの柔らかい女の子らしい文体だ。俺は『No.0017 ハッスン』と丁寧に記し、その下に『読モ時代からのファンでした!』と一文添え、仕上げに切手の裏面をぺろっと舐めてから貼り付ける。そうして認めたハガキを賽銭箱に10円玉を投げ入れる感覚で近所の郵便ポストに投函した。
ダメでもともと。そんな軽い気持ちのはずだった。
ところが、応募ハガキを送ってから数週間後。なんと自分あてにメグ本人からの直筆の手紙が届いてしまったのだ。
その内容は…。
『写真集買ってくれてありがと〜♥あなたは数ある中から見事選ばれました♪勝手ながら日時と場所は指定させてもらうね!日時は×月■日の日曜日の午前11時。場所は○○駅前広場。あとデートプランはこちらで考えとくけどいいかな?もし都合が合わなければごめんなさい!!それじゃあデート楽しみにしてるね♥会員No.0017のハッスンくん』
「『PS:読モの頃からのファンだって聞いて嬉しかったよ!』…」
ひととおり読み終えたとき、俺は頭の中が真っ白になった。
これは果たして本当に本人からの手紙なのだろうか。タチの悪い悪戯ではなかろうか?
ふと我に帰ってもう一度手紙を端から端まで読み尽くす。
字はかつて応募ハガキに書かれていたものと酷似した文体。極めつけには文末にあたかも本人であることを証左とばかりに「白嵜」の実印が押されていたのだった
*
「それじゃあ、行こっか。ハッスンくん♪」
そして今に至るというわけだ。
正直なところ、あの手紙の真偽についてずっと半信半疑なままだった。
全国から膨大に寄せられたであろう応募ハガキの中から一人選ばれるというだけでもにわかに信じがたいことなのに。たかが一般人が華やかな世界の芸能人、しかも大ファンの自分が一日独占する権利を手に入れたなどと、そうやすやすと信じられるものではない。
しかしながらこうしてメグ本人が目の前に現れたことで、そんな雲をつかむような与太話が現実味を帯びていったのもまた事実だった。
こんなことならば、もっと気合を入れて着飾ってくればよかったと、お洒落な格好をした憧れの女性を見ながら後悔するばかりだ。
「まずは私オススメの喫茶店に案内するね。そこでお昼にしよ」
「は、はい」
あのメグのオススメの店を知ることが出来るうえに御一緒できるだなんて!
これから始まるお忍びデートを前に俺は心躍らせる。
(…ねぇ、あれ見て)
(うわっおっきい)
ふと、多くの人が行き交うスクランブル交差点を二人で並んで歩いていると、そこかしこで囁き言が聞こえてくる。
メグの輝かしい芸能人オーラが人々の気を引いているのだろう。
――と、最初は思っていたのだが。どうやらそれらは嫉妬や羨望といった類というより、メグの姿に対する好奇の眼差しが大半であるようだ。
彼女のようなホルスタウロス族は魔物娘の中では比較的人の姿に近いとはいえ、カコカコと独特な音を鳴らしながら大きな黒い蹄でアスファルトを蹴り、長い牛の尻尾をゆらゆらと動かす様はまさに人ならざる異形のもの。人々に奇特な目で見られるのも無理ないかもしれない。
魔物娘が人間社会に進出してから十数年経ち、今では街中で見かけることも珍しくなくなった。魔物娘の大学進学率や就職率はここ数年で飛躍的に向上しており、またテレビでは魔物娘のタレントが活躍するなど近年における彼女たちの社会進出は目覚ましいものがある。それでも、その見た目に生理的嫌悪を抱いたり、偏見の眼差しを向ける人間は少なからず存在している。ひとたびこうして人前で堂々と歩けば好奇な目に晒されてしまうほど、人間社会に魔物娘たちが馴染みきれているとはいい難いのが現状だ。
そのような致し方のない事情があるとは頭で分かってはいても、ただ純粋に「白嵜メグ」というグラビアアイドルが好きな自分からしてみれば、物珍しそうなものでも見ているかのような、その反応には思わず眉をひそめてしまう。
一方、当の本人はこういったことに慣れているのか、至って素知らぬ様子であった。
俺は心のモヤモヤを晴らすように彼女に話しかける。
「あ、あの。メグさん」
「メグでいいよ♪」
彼女の言葉を聞いた俺は心臓が口から飛び出そうになる。
なんだか恐れ多いが、彼女の方から目線を下げて気さくに接してくれようとしているのに、それを無碍にするのはかえって失礼なことかもしれない。
「それじゃあ、ええっと…メグ…?」
「うん、なぁに?」
彼女は両腕を背中に組みながら俺の顔を覗き込むように振り向いた。
溜まった鬱憤がまとめて吹き飛んでしまうほど、天使のような眩しい笑顔を浮かべている。
俺、明日死ぬかもしれない。
「これから行く喫茶店はどんな店な、んですか?」
「ん〜、敬語もちょっとやめてほしい…かな」
「あっ!ごめん!つい…」
「あはは、そんな緊張しなくていいよ。年も近そうだし、同僚の女の子だと思って貰えればいいからさ」
「そうはいっても…、だって俺…ずっと前から君の大ファンで…。それで、憧れの子とデートできるってことがもう全然信じられなくて…、だからちょっと混乱しちゃってるのかも…」
「そっか、まぁそうだよね。その気持ち分かる。だって…」
「え?」
「ううん!何でもない!」
彼女は何かを言いかけていたが、すぐさま話題を切り替える。
「…ところで読モ時代からファンって聞いたけど、具体的にいつぐらいから?」
「ええっと、たしか。コンビニで立ち読みしていた『Vanadis4月号』の読モコーナーで見かけたのが初めてだったかな」
「ええっ!?それって私がデビューしたてでまだ学生の頃のだよ!そんなに前からファンだったの?」
「うん。当初は魔物娘のモデルなんて珍しいなぁぐらいに思ってたけど、笑顔がとびきり可愛いいところとか、インタビュー記事に掲載されているお茶目なエピソードから分かる天真爛漫なところとか。なんか気がついたらハマってたな〜」
なんといってもあの魅惑のKカップの爆乳が特に。――と心の中でそっと付け足しておいた。
「人気が出て本格的にグラビアアイドルとして活動しはじめてからは、メグが載ってる雑誌は基本的にチェックしてたし写真集も全部持ってる。あと先月のトークイベントにも行ったよ」
「そうなんだ…!嬉しいな…そんなに私のことを応援してくれてたなんて!」
「俺だって感慨深いよ。まさかずっと追いかけていた子と、こうして並んで歩いているなんて。まるで夢を見ているみたいだよ」
「ふっふ〜!夢じゃないよ〜?」
突然、メグがぴょんと跳ねて接近したかとおもうと、胸を押し当てるように腕に絡んできた。
右腕にふにふにとした柔らかい感触が包み込む!
「ほぉらね♪」
「そそ、そうだね!」
メグの刺激的なスキンシップを前に、ひたすらたじたじになるしかない。
やっぱり俺、明日死ぬんだ
*
駅前広場から歩いて15分ほどの距離。都会の喧騒とは無縁な閑静な住宅街に、喫茶店『Lily・LA(リリィ・ラ)』はあった。
ガラス格子の木製扉を開けるとカランカランとドアベルが鳴る。つぶさにウェイトレスが駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ!二名様ですね」
と、向かい合った二つの席が用意されているテーブルへと案内される。そしてウェイトレスは「ごゆっくりどうぞ」と言い残し、店の奥へと去っていった。
椅子に腰を下ろして一息つき、改めて店内を見回してみる。
渋い色合いの木目を基調としたクラシックな内装。壁には素朴な風景画が何枚か掛けてあり、天井のシーリングファンがくるくる回っている。
休日の昼下り、一杯のコーヒーを片手にのんびり過ごしたくなるような落ち着いた空間だった。
「いい店だね」
「うんうん、そうでしょ!あとね、食べ物も美味しいんだよ」
有名ブランドの革製バッグを脇の荷物入れに置く。彼女はテーブルに両頬杖をつき、尻尾をゆらゆらと左右に振っていた。
席に着いてからまもなく、灰色のふさふさとした毛並みの獣耳と尻尾を生やしたウェイトレスが俺たちの元へとやってくる。
その姿を見るに、彼女もまたメグと同様に魔物娘なのであろう。
「いらっしゃい。めぐちん」
「あーちゃん、おひさー!」
親しげにあだ名で呼びあうメグと魔物娘のウェイトレス。どうやら二人は旧知の間柄のようである。
「えっと…、知り合い?」
「紹介するね。この子は私の大学の頃からのお友達で『キキーモラ族』の『松永藍子(まつながあいこ)』。今はこの店で働いてるの」
「ふふ、めぐちんったら。もうその名字じゃないってば」
「あっ、そっか!そうだったね」
あーちゃんこと藍子さんは恥ずかしそうにハンディターミナルで口元を隠す。
「あーちゃんはね、5年前にここのマスターと結婚して二人で店を開いたの」
「へぇ、そうなんだ!でも、一から自営業を始めるのって大変だったんじゃない?」
「たしかに最初はあまりお客様も来なかったし先行きは不安だったけど、おかげさまで今はそれなりに繁盛してるよ。バイトの子を何人か雇う余裕もできたし。まぁ基本的にダーリンと私の二人で切り盛りしてる感じだね」
「ふふっ、この店はねぇ、あーちゃんとダーリンさんの愛の巣なんだよ♪」
メグの唐突な冷やかしに藍子さんは顔を赤くしてオロオロする。
「も、もー!めぐちんったら!」
「ヒューヒュー!」
「そんなこといいからさっさと注文決めてよね!他のお客様待たせちゃうっ」
「えへへ、ごめんごめん」
頬を膨らます藍子さんに対し、メグはおどけた様子で後頭部をさする。
メグの気の置けない友人との微笑ましい掛け合いに、俺は心を和ませていた。
「ところでめぐちん。彼が例の?」
「そうだよ」
すると藍子さんは顔をメグの耳のそばまで近付け、声を潜めて会話しはじめた。
聞かれて困る話題が何なのか気になったが、彼女らの意図を汲み俺はメニューを読むことに集中することにした。
(もしかして緊張してる?)
(う、うん…)
(大丈夫。その時になれば案外なんとかなるよ)
(そうかなぁ)
(私だってそうだったんだから)
(それならいいけど…)
友達同士の内緒話を終え、俺がメニューから目線を上げたのを確認した藍子さんが口を開く。
「ふたりとも決まった?」
「私は決まったよー。この『Lily・La特製ヴァニラアイスパフェ』で」
「昼にパフェ一択て…相変わらずね…」
「だって、この店のは格別美味しいんだもん♪」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、食事バランス極端に偏ってるでしょーが」
「栄養はあとでたっぷり取れるから大丈夫だよ!」
「ああ、それもそうか。…それで彼氏さんの方は?」
俺は藍子さんに運んできてもらっていたお冷を吹き出す。誰も居ない方へ向いていたのが幸いだった。
「ちょ、ちょっとっ!あーちゃん!?」
彼女の言葉を聞いて動揺していたのは俺だけでなかった。メグは顔を真っ赤に染めながら、あたふたした様子で獣耳を忙しなく動かし続けている。
「なーんてね。さっきの仕返しだよん♪」
藍子さんはそう言って、お茶目に舌をペロッと出した。
「もぉ〜!」
「おっ、牛さんだ」
そんな可愛らしいやりとりをひとしきり終えると、藍子さんは改めて俺に注文を伺う。
「『チーズトースト』と『シーザーサラダ』のセット。飲み物は『Lily・Laブレンドコーヒー』で」
「かしこまりました!オーダー入りまーす!」
明瞭で覇気のある声が店中に通ったかと思えば、藍子さんはそのまま他の客のいるテーブルの方へキビキビと歩いていってしまった。
「あはは、面白い子だね」
「昔からあんななの。でも、すごくいい子なんだよ」
「俺にもああいう感じの友達が居たんだけどさ、最近はあまり連絡取れてないんだ。藍子さんとメグは今でも仲良さそうで、ちょっと羨ましいかなぁ」
「ハッスンくんのその友達ってどんな人なのかな。…というか、もっとお互いのことを話そうよ!お友達のこととか好きなこととか、他にもたくさん」
「うん、いいよ」
注文が来るまでの間はどうせ手持ち無沙汰だし、なによりメグの事なら何でも知りたいので願ったり叶ったりだ。
それから俺は彼女と様々な話題を交わしあった。
仕事のこと。家族のこと。趣味。休日の過ごし方。
ひとつの話題を終えても次の話題へと矢継ぎ早に移り、会話が途切れることはなかった。
「――というわけでさ、ウチの上司。面白い人でしょ?」
「ふふ、本当だね。でもその上司さん、私の事務所の偉い人になんか似てるかも。名前なんていうの?」
「早川さんっていうんだ。早朝の早に川」
「えっ嘘っ!?おんなじだ!こっちは高速の速だけど」
「うわっ漢字違いじゃん!すごい偶然だね…」
「ちなみに速川さんの特徴はバーコード頭と黄縁の眼鏡」
「…こっちもバーコード頭に眼鏡だ。あっ、でも眼鏡の縁は赤いや」
なんともいえぬ珍妙な偶然と微妙に噛み合わない共通点。それがどうしようもなく可笑しくて、俺とメグは二人で堰を切ったように笑いあった。
「うふふ!私たちって案外似た者同士かもね」
「似た者同士…?」
――似た者同士。
俺はそのワードが引っかかり、思わずオウム返ししてしまう。
「ん?どうしたの?」
「いやさ。どこにでもいそうな平凡な俺と違って、メグは華やかな芸能の世界に生きている特別な子で。俺とは似ても似つかないんじゃないかなぁって」
たしかに彼女と会話していてお互いに共感できることは多くあった。自分が想像するよりも彼女は身近な存在なんだと思えた。
けれど、メグは今をときめく人気グラビアアイドルの「白嵜メグ」で、それに比べて俺は冴えないサラリーマン「泉蓮太」であることに変わりはない。
人間と魔物娘を区別するわけではないが。まるで自分たちが異種族同士であるように、一件同じように見えて全く違う、似て非なるものでしかないのではなかろうか。
その考えに至ったとき。手の届く距離にいるはずの彼女が、何処かへ遠のいていくような気がした。
「…特別な子なんかじゃないよ」
「え?」
ところがそんな俺の情けない気持ちの吐露に、メグは今まで一度も見たことのない真剣な表情で答えた。
「私って昔は何の取り柄もない田舎育ちの地味な娘でさ。何かやりたい事も追いかけたい夢も無くて。ただなんとなーく受けた都内の大学に合格して、それをきっかけに上京してきたの。それである日、街中を歩いていたらスカウトされて、そのまま事務所の人に勧められるがままに読モのグラビアのお仕事を受けてみたの。撮ってる最中はちょっぴり恥ずかったけど、出来上がった写真を見た瞬間そんなの全部忘れちゃった。だって、そこにはありのままの姿でキラキラしている自分がいたから…。こんな地味な私でも輝けるんだ。ってすごく嬉しくって…。それで私グラビアのお仕事をずっと続けたいって思ったの」
メグは目を煌めかせながら虚空を見つめ、さらに続けた。
「事務所も魔物娘をモデルとして使うのは初めてだって言ってたけど、私をスカウトしたプロデューサーさんは私を売り出すために一生懸命走り回ってくれて。私もその気持ちに応えるよう頑張ったの。でもやっぱり魔物娘ってことがネックになって業界の人や読者さんの反応があまり良くなくて、魔物娘だからっていう理由でお仕事を断られたこともあったんだ。それでなかなかお仕事貰えなくて、もういっそやめてしまおうって思った」
「そう…だったんだ…」
知らなかった。
俺が知っていたのは雑誌のページに映る明るく輝かしい白嵜メグの姿だけだった。その笑顔の裏にそんな痛ましい現実があったなんて、想像だにしなかった。
「でも、どうしてやめなかったの?」
「それがね。ある時を境に『状況が変わった』からなの」
「ある時…?」
「『魔刑事・井手京子の事件簿』って知ってる?」
「うん、知ってるよ。あの人気ドラマだよね」
『魔刑事・井出京子の事件簿』とは、頭脳明晰な異端の女刑事「井手京子」が奇怪な難事件を解決していく推理サスペンスドラマのことだ。視聴率の高い人気シリーズで現在シーズン3が放映中である。
主演の『美里(みさと)マリア』はサキュバス族出身の魔物娘で、その高貴で麗しい美貌と凛とした佇まいは男性ファンのみならず多くの女性ファンをも獲得し、さらには見る者を圧倒する迫真の演技力が光る新進気鋭の人気女優だ。
従来のサキュバスというと、風俗店やAVといったアングラ界隈を中心に活躍する印象が強かったが、美里マリア演じる井手京子の知的で毅然としたキャラクターがそれらの暗いイメージを覆し、サキュバス族だけでなく世間の魔物娘タレント全般のイメージ向上へと一役買ったとされている。
「美里さんのドラマのおかげで魔物娘のイメージが良くなって。私もあの人の人気に便乗する形でウケたんだ。それで、ようやく念願のグラビアアイドルデビューにまで漕ぎつけて…。だからね、私ってただ運が良いだけで実はそこまで凄くなかったりするんだ」
メグは眉を八の字にし、自嘲気味に笑った。
「――そんなことないよ」
「え?」
「たしかに、メグがウケたのは運の良さもあるかもしれないけど。メグはもともと人気になるだけの魅力を持ってて、美里マリアさんがきっかけとなって、その魅力にみんなが気付き始めただけだって俺は思うな。ブレイクする前から追っかけてる俺が言うんだから間違いないよ」
少なくともデビュー前の彼女を知る俺からしてみれば、魔物娘だからとか世間の評判だとかそんな事情はまるで関係なかった。
メグはずっと前から今も変わらない。俺の憧れの『白嵜メグ』のままだ。
「メグがどう思おうが、俺にとっては特別な子に変わりないよ」
「そっか…、ありがとう。――でもね、ハッスンくん。君が私のことを特別だって思ってくれているように、私にとっても君は特別なんだよ?」
「え?それってどういう――」
俺がメグの言葉の意味を問い質そうとしたとき。ちょうど藍子さんが注文したものを運んできて会話が中断された。
「おまたせ〜!ハイ。ご注文のチーズトーストとシーザーサラダとLily・Laブレンドコーヒー。そしてめぐちんにはLily・La特製ヴァニラアイスパフェ!」
「わ〜!美味しそー!」
テーブルの上に置かれた豪華な盛り付けのヴァニラアイスパフェを前に双眸を輝かせるメグ。
先の神妙な面持ちは鳴りを潜め、普段の調子に戻っていた。
「ごめんね。二人同時に提供しようとこっちで調整してたら思った以上に遅れちゃって」
「いえ、そんな…」
「それじゃお二人様、ごゆっくりね〜」
そう言って藍子さんはまたキビキビと他のテーブルへ歩いていった。
「あのさ、さっきの話の続きなんだけど――」
「ン〜!美味しい〜!」
会話の続きをしようとしたが、どうやら彼女はパフェを食べるのに夢中なようだった。幸せそうにヴァニラアイスを頬張るのを邪魔する気にもなれず、俺は白い皿の上のチーズトースト一片を口に運ぶことにした。
*
「いい店だったね。雰囲気も良くて料理も美味しかったし」
「ふふ、よかった。それ聞いたらあーちゃんきっと喜ぶよ」
喫茶店Lily・LAを後にした俺とメグは午後一の繁華街を行く宛もなくぶらぶらと歩いていた。彼女曰くLily・LAの次に行く場所はその時の気分に任せるというプランらしい。
良くいえばマイペース、悪く言えば行き当たりばったりなのだが。メグとならただ一緒に歩いているだけでも充分幸せなので、もういっそこのまま一日中ここら一帯を練り歩くだけでもいいぐらいである。
「あっ、ねぇねぇ!あそこのゲーセン行ってみない!」
「いいんじゃない?」
ゲームセンターなら一緒に楽しく過ごせるものも沢山あって互いに退屈しない、悪くない選択だ。
満場一致で行く先を決めた俺たちは、UFOキャッチャー等といった定番系が固まっているフロア1へと赴いた。
「何かやりたいのある?」
「そうだなぁ…アレ一緒にやろ!」
メグが指差した先にあるのは、液晶画面の前に和太鼓を模した筐体が2個設置されているアーケードゲーム。太鼓を叩いて演奏する趣向のそれは、いわゆる音ゲーというやつだ。
「太鼓の名人か。いいよ、やろう」
このゲームは二人同時プレイに対応している。俺たちは揃って和太鼓の前に立ち、硬貨を投入してタイトル画面を進めた。
「難易度はどうする?」
「ハードコアでいいかな?」
ハードコアはこのゲームにおける最高難易度で、素人が考えもなしに挑むようなものでは到底ない。どうやらメグはこのゲームを相当やりこんでいるようである。
「ただ普通にやるだけじゃつまらないし、スコアの勝敗で何か賭けてみない?」
口端を釣り上げ、何やら如何わしげに提案してくるメグ。
「いいよ。どういう条件にするの?」
「じゃあ…、負けた方は一つだけ相手の言うことを何でも聞く。っていうのはどう?」
「ほぉ!そんなこと約束しちゃっていいのかなぁ?俺、変なこと頼んじゃうかもよ?」
「大丈夫だよ〜。だって私が勝っちゃうもん!」
「言ってくれるねぇ」
俺の冗句にも彼女は不敵な態度を崩さない。かなり自信満々なようだが、俺もこの太鼓の名人に関してはそれなりに腕に覚えがある。
絶対に勝って「あんなこと」や「こんなこと」を…!
――頼む度胸はさすがに無いので、せめてサインをねだるぐらいの事をしてやろう。と期待に胸をふくらませる。
1Pの俺が太鼓をバチで叩いて操作し、難易度と楽曲を選択すると演奏がスタートする。するとイントロパートのまっさらな譜面が映し出された。
「負けないよ!」
「こっちこそ!」
始まる間際、俺とメグは互いに顔を合わせる。両者の視線に火花が散った
*
「わーい!勝ったーー!」
「う、嘘だろ…オイ」
結果はメグの圧勝だった。
最高難易度をものともしない鮮やかなプレイにより、あろうことかパーフェクトスコアを叩き出してしまったのだ。それに引き換え俺は途中何度も凡ミスを犯してしまい、結果は歴然たるものだった。
「いやぁ、すごいよ。まさかあの楽曲のハードコアを一発でパーフェクト決めちゃうなんてね…」
「あーちゃんがこのゲームすごく上手くてさ。悔しくてやり込んでたら上達しちゃった」
「そっかぁ、でも俺だって悔しいなぁ。友達の間ではスコアトップ取ってて、自信あったんだけどね」
「ふっふっふ。リベンジするかい?」
「え、遠慮しておきます…」
観念の意を示す俺に対し、メグは勝ち誇った様子で鼻を伸ばしていた。
とはいえ。太鼓の名人が上手で負けず嫌い。そんな彼女の意外な一面も見れてよかったし、一汗かいたのもありなかなか清々しい気分だ。
「それでさぁ。私が勝った訳だけど〜。さぁて、どうしよっかなぁ?」
すると、メグは普段の朗らかな調子と打って変わり、媚びるような上目遣いでにじり寄ってくる。
「なにしても…いいんだよね?」
「う、うん…」
自分の中の『天真爛漫でエロ可愛い白嵜メグ』のイメージとは程遠い、妖しい表情を浮かべ。誘惑するように俺を見つめるメグ。
人形みたいに整った顔立ちがすぐそこまで迫る。くりくりとした大きな瞳の上に弧を描いた濃い睫毛。白魚のように透き通った肌の上には玉の汗が僅かに伝っている。
「――なぁんてね!とりあえず今は保留ってことで」
「ほ、保留?」
「だってすぐ思いつかないし。これからまだ時間はあるしね〜」
と、彼女はいつもの軽い調子に戻った。
気まぐれに覗かせた妖艶な雰囲気。
メグってあんな顔も見せるんだ。余熱が胸の高鳴りを収まらせない。
もしも『あれ』は俺だけが独占できているのだとしたら、どんなに良いのだろうか。
ふと、俺にそうしているように他の男にも簡単に見せるんだろうか。という邪な考えが横切った。
そんな身勝手な独占欲、たかだか一日デートの権利を掴んだ一ファン如きには過ぎたるものだと分かっている。
それとも俺は、彼女に対して「グラビアアイドル」と「ファン」の関係を超えた特別な感情を抱いてしまったとでもいうのだろうか。
とにかく、アレコレ考えても仕方ない。気持ちを切り替え、せっかくのお忍びデートを楽しむのが吉だ。
「じゃあ次アレ!」
メグが次に目移りしたのはUFOキャッチャーだった。
ひとえにUFOキャッチャーといっても、その景品の内訳は美少女フィギュアメインや版権グッズメインなど、台ごとのバリエーションがあるが、メグが選んだのはゆるキャラ系のぬいぐるみの景品がメインとなっているものだ。
「あ、あれ!?」
「ん?どうしたの?」
「ムシポンのぬいぐるみだ!どうしてこんな所に!?」
突如、食らいつくようにガラスに張り付くメグ。その視線の先にあるのは黒い毛の塊に二つの目玉が付いただけという、シンプルな造形のキャラクターのぬいぐるみだった。
「あれがどうかしたの?」
「ムシポンって言って、小さい頃にやってた子供向けアニメに出てくる私の大好きなキャラなの。そのアニメ自体はあまり人気が無くてすぐ終わっちゃって。それでグッズも殆ど売れないまま販売終了しちゃったから、ムシポンのぬいぐるみは今どこのオークションサイトを探しても見つからなくて。それで諦めてたんだけど…」
「その欲しかった幻のぬいぐるみが、何故かここにある。と?」
「そうなの。…よーし!絶対に取る!」
瞳に闘志を宿し、意気揚々とコインを投入するメグ。
表情がコロコロと変わって、なんだか一緒にいて退屈しない子だなぁ。としみじみ思う。
ゲームを起動したメグはまずボタンを押してクレーンを操作し、うまいことムシポンの真上へと軸を合わせることに成功する。
そしてキャッチボタンを押し、クレーンのアームが見事ムシポンを捕らえるが…。
「あれれ?」
アームは空しくもぬいぐるみの表面をスルっと滑って掴み損ね、クレーンは穴めがけて景品を落とすふりをする。
「あー失敗しちゃった…。――よしっ、次!」
メグは落胆するも気を取り直し、再度コインを入れ同じように軸合わせに成功するが、またしてもアームはムシポンをキャッチすることに失敗する。
「あーん!も、もう一回っ!」
それでもめげずに再トライする。が、やはり結果は変わらない。
「うう、なんでぇ…」
三度目の理不尽な失敗で心が折れたメグは、へなへなとその場に座り込んでしまう。
どん詰まりの様子を見かねた俺は彼女のため人肌脱ぐことにした。ここでどうにかしてやらねば男が廃るというもの。
「大丈夫。任せて」
「ハッスンくん…?」
俺はメグの代わりにコインを投入してクレーンを操作する。
そして、彼女と同じようにターゲットの位置へと軸を合わせる。しかし、あくまでターゲットの直上ではなく、少し横にずらした状態でだ。
「え、これだと取れないんじゃ…」
「まぁ見ててよ」
キャッチボタンを押すとクレーンがぬいぐるみの近くまで降下し、アームが開閉する。
当然ながらアームは空を切る。が、アームの湾曲した尖端がぬいぐるみのラベルに引っかかり、クレーンが上昇するのと同時にムシポンも釣り上げられた。
「わっ!すごーい!」
「クレーン台によってアームのパワーに個性があるんだ。この台のアームは多分弱めな方だから、そういう場合こうやってどっかに引っ掛けてから釣り上げるのを狙った方が取りやすいんだよ。まぁでも、まさか一発で成功するとは思わなかったけど…」
ムシポンのぬいぐるみは穴まで無事運ばれ、景品口に姿を現す。そうして俺はそれを中から取り出してメグに手渡した。
「はい、どうぞ」
「えっ?いいの?」
「ええと…、良い喫茶店を教えてもらったお礼。ってことでいいかな?」
受け取ったぬいぐるみを唖然と見つめるメグに、俺はそう言って気恥ずかしさを誤魔化した。
「――!!嬉しいっ♥」
メグは顔をほころばせると、感極まって俺に抱きついてきた。
(や、柔らかい…!それにいい匂い!これが女の子…!)
あのメグに抱きつかれるなんて、これはもう一生の思い出になるだろう。
俺、本当は今日死ぬのかもしれない。
「ありがとう♪大事にするね」
俺の元から離れたメグは、ムシポンのぬいぐるみを大切そうにバッグにしまいこんだ。
幸せそうな笑顔を浮かべる彼女を見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。
和やかな雰囲気が二人を包み込んだ、そのときだった。
「ね〜見てアレ!」
「うわっ、おっぱいのでっけー牛女じゃん!ウケる〜!」
「つか一緒にいるの彼氏?めっちゃ物好きじゃね?きゃはは!」
下品な笑い声が安穏とした空気を切り裂く。
俺は声のする方へ向くと、そこには遠巻きにこちらを見物する女子高生と思わしき三人組の女の子。
麦藁を束ねたようにも見える染めた長髪。派手な厚化粧。いかにもギャル雑誌の流行を盲目に追っていそうな軽薄なファッション。三人の風貌から、その言動に違わぬ愚直さがにじみ出ている。
俺は彼女らのその露骨すぎる好奇の目に、これ以上ない不快感をおぼえる。
メグはというと、この程度の事態では動じないのか。何事も無かったように一切振り向かず、にこやかな顔を保っている。
俺も彼女に倣い、あの三人組の存在を看過することにした。
どこか別の場所に行こうか。
そう言いかけたときだった。
「インスタに上げとこ、っと」
一人がスマホをこちらに向けて構えたかと思うと、シャッター音が無情にも鳴り響いた。
あたかも街中で動物を見つけたかのような振る舞い。そのあまりの厚顔無恥さに不快感を通り越して怒りがこみ上げてくる。
「い、いこっか…」
これにはさすがのメグでも応えたのか。今すぐにでもここから逃げ出したい、そう訴えかけるように俺の手を引っ張った。
俺はおそるおそるメグの顔を見やる。
彼女は、強ばった不自然な作り笑顔を貼りけていた。
それはまるで悲しみを覆い隠す仮面のよう。
理解されない。受け入れられない。否定。そんな諦観と絶望に満ちた表情にも思える。
その瞬間。俺の中で張り詰めていたものがプッツリ途切れるのが分かった。
彼女を、メグを見世物にして嗤うのを、俺は断じて許さない。
なによりも、一番許せないのは、彼女をあんな「悲しい顔」にさせたことだった。
「――今撮った写真。消せ」
俺は三人組の元へと歩み寄った。
「ん?なに?」
「なんか用?」
「消すの勿体無いし」
あからさまに不機嫌そうな態度の三人。それでも俺は怯むことなく前へ進んだ。
彼女の尊厳を守るために。
「いいから早く消すんだ!!」
腹の底に溜まっていた熱いマグマを爆発させ、力の限り俺は叫んだ。
世間の魔物娘への偏見にもめげず、ひたむきに頑張り続けたメグのその姿を嘲笑う資格なんて誰にもない。あっていいはずがない。
その叫びには、そんな世の不条理を糾弾せんとする俺の憤怒が込められていた。
「わ、わかったっつーの…」
発破を受けた三人は目を大きく見開き、蛇に睨まれた蛙のごとく固まった。
撮影した一人は俺の言葉に従い、いそいそとスマホを操作し、カメラロール画面をこちらに見せる。
「ほら、これでいいっしょ」
「…よろしい」
しっかりと写真が消えていることを確認し、俺はさらに続けた。
「あとこれだけは言っておく。彼女は『牛女』なんかじゃない。『白嵜メグ』という名前の一人の女の子だ」
言いたいことは全部言った。もはや長居は無用。
彼女の手を強引に掴んで出口へと駆け出した。
どこでもいい、どこか遠くの安心できるところへと連れ出したい一心で。ただひたすらに無我夢中に。
だから気づけなかった。
俺の背中に熱く潤んだ眼差しが向けられていたことに
*
あれから俺たちは、都心の外れにある小さな公園へと行き着いた。
夕刻に差し掛かり、沈み始めた黄色い陽光が辺りを染めている。
二人並んでベンチに腰掛けたまま、何をすることもなくただ漠然と時間だけが過ぎていた。
「……」
ゲーセンを飛び出してからというものの、互いに目線を交わすこともなく沈黙が続いている。
心ない人間から蔑みを受けたショックからなのかどうかは定かでないが、あれほど明るく振る舞っていた彼女は塞ぎ込むように押し黙ったままだ。
あの三人との事はともかく、公然の場でハッキリと実名を出してしまったのは迂闊だった。
写真を消させただけマシだったが、芸能人であるメグが一般男性とプライベートを過ごしているという事実を彼女ら、あるいはあの現場を目撃していた第三者の手によってSNSで情報拡散されてしまったら。彼女や彼女の周りの人たちにも迷惑が及んでしまうかもしれない。
俺は自分のしでかした事を悔やむばかりで、彼女にかける言葉が見つからないでいる。
すぐ隣に誰かがいるのに、独りでいる空しさ。孤独よりも寂しい孤独。
そんな重い沈黙と罪の意識に耐えかねた俺は、己を奮い立たせて彼女の方へ向き直った。
「あのさ!」
「……」
「メグ…?」
ふと彼女を見ると、遠くを見つめるようにぽーっと呆けている。
俺の言葉も耳に届かず、心ここにあらずといった様子だ。
「…え?あっ。な、なに?」
数秒遅れて声掛けに気づいたらしい彼女は慌てた様子で答えた。
「具合でも悪い…?」
「ううん!何でもないの!大丈夫!それより、どうしたのかな?」
「…さっきはゴメン。俺、うっかりメグの名前出しちゃってさ。そのせいでSNSで俺たちのことを暴露されるかもしれなくて…。せっかくお忍びでデートしてくれているのに、台無しにするようなことしちゃって…」
俺は臓物に重くぶら下がっていたものを喉から引きずり出すように、懺悔の言葉を綴った。
するとメグは。
「大丈夫。気にしてないよ」
と柔和な表情で言ってくれた。
「念のためSNSで拡散されてないか調べてみよっか」
「そ、そうだね!」
メグの提案通りスマホから大手SNSにアクセスして彼女の名前を検索し、どこかしらで話題になっていないか探してみることになった。
二人がかりで入念に調べ尽くした結果。それらしい投稿はどこにも見当たらなかった。どうやら俺の不安は杞憂に終わったようだ。
「はぁ…よかったぁ…」
「ふふ、ハッスンくんが気にすることなんてないのに」
「気にするよ。俺のせいでメグに迷惑かけたらと思うとさ」
「大丈夫だよ。むしろ、ハッスンくんにはお礼を言わないと…ね」
するとメグは座った姿勢のまま身じろいで、徐々に距離を詰めてくる。
「私のこと…守ってくれてありがと。あの時のハッスンくん。かっこよかった」
そう言って肩に顔を寄せた。
先ほど抱きつかれた時にもした、心地よい良い匂いに再び包まれる。
俺、もう今すぐにでも死ぬのかもしれない。
「そ、っそそ、そんな。俺はただ、メグを悪く言うのが許せなかっただけで、つい勢いで行動してしまっただけというか…!」
その天真爛漫な性格ゆえなのか、メグの無防備さにはドギマギさせられるばかりだ。
女慣れしていればこういうとき男らしく堂々と構えていられるのに。チェリーボーイ丸出しで動揺してしまう自分が情けなくて、情けなさのあまり恥ずかしさがこみ上げてくる。
するとメグはそっと囁くように。
「ねぇ、さっきゲーセンでした『負けた方は一つだけ相手の言うことを何でも聞く』約束。使ってもいいかな?」
と言う。その横顔はゲーセンの時に見せた妖艶な顔つきそのもの。
「ああ、あ、アレね!?どうぞ!なんなりと!」
普段とのギャップもあいまった妖しい色香の蠱惑に逆らえず、あまり深く考えることなくあっさりと承諾してしまう。
「よかった。それじゃあ、これから私が行く所に一緒に来て?」
*
「こ、ここは…」
メグに誘われるままにたどり着いたのは、繁華街の外れに佇む豪奢な外見の高級ホテル。
それは見るからに。というか、どっからどう見ても恋人と一緒に利用するとされる『アレ』だった。
「さ、入ろっか♪」
「ちょ、ちょっと待って!本当に入るの?どういう意味か分かってる!?」
「いいからいいから!何でも言うこと聞くんだよね♪」
予想以上に強い力で手を掴まれた俺は、自動的に開いたガラスのエントランスドアの向こう側へと容易く引きずり込まれた。
(や、やべぇ…!ホントに入っちまったよ!!あのメグと!ていうかメグは一体どうしたいんだ!?彼女の考えてることが分からない!!)
状況を飲み込めず混乱している俺を余所に、メグは受付で手続きを済ませてしまう。
そして、アクリル棒に括り付いた鍵を持参し、再び俺の手を掴んで鍵に記された番号の部屋へと連行するのだった
待ち合わせ場所として有名な駅前広場にて、円筒状の巨大オブジェの外周に設けられた鉄製の腰掛けに座り、俺は待ち人の姿を探していた。
街頭テレビジョンに映るコマーシャル映像のループをじっと眺めるが、その内容はまったくといっていいほど頭に入ってこない。
ソワソワしながら何度も腕を組み変え、考えが堂々巡りする。数十分前に着いてからというものの、ずっとこの調子だった。
なぜならば、待ち人は己の人生においてひときわ特別な人物であったからだ。
「お待たせ〜!」
ハキハキとしていて通りのいい可憐な声が降りかかる。自分だけでなくその場に居合わせた誰もが振り返った。
「あなたがハッスンくん?」
「はいっ!そうです!」
「待った?」
「全然!いま来たばっかりっす!」
お決まりの文句で返し、俺は改めてその姿を認める。
背丈は自分より一回り小さく、ゆったりとした白いブラウスに紺色のフリルスカートといった出で立ち。
濃青のメッシュの入った流麗なシルバーブロンドのミディアムヘアに、丸くてくりくりとした緑色の大きな瞳。あどけなさを残しつつも整った目鼻筋。
ゆとりのあるブラウス生地越しにも分かる豊かな胸元は否が応でも目を引く。
髪の色に近い乳白色の毛皮に覆われた両足、頭に生えた一対の太く短い湾曲角、ぴょこぴょこ動く獣耳に長い尻尾といった、乳牛の特徴を持つ愛らしい獣人の女の子だ。
(わぁ…写真で見るより何十倍もかわいい…!)
彼女は『白嵜(しらさき)メグ』。
ホルスタウロス族出身という異例の経歴を持ちながら、恵まれたプロポーションと天真爛漫なキャラが人気の今をときめく魔物娘グラビアアイドルだ。
なぜ、「ハッスン」ことこの『泉蓮太(いずみはすた)』如きしがない一般人が、このような眩い後光を放つ雲上の天女と待ち合わせをしていたのか。
事の発端は今より約一ヶ月前まで遡る
*
「――『抽選1名様!メグとお忍びデートのチャンスをあなたに』…?」
メールボックスの新着一覧の中でひときわ目を引くそのタイトルをおもわず音読する。
そのあまりの胡散臭さ。最初は弾き損ねた迷惑メールが紛れ込んだのかと思ったが、差出人は「白嵜メグ公認ファンクラブ」のアドレスそのもので、正真正銘ファンクラブから送られたものだった。
「お忍びデートねぇ。確かにメグとデートできるならどんなに幸せなことか…」
しかし世の中そんなに甘くない。そんなにチョロく物事が進んでいいはずない。
きっと某アイドルグループのように新作の写真集一冊を抽選券に仕立て、グラドルとのデートという男の夢をダシに購買意欲を煽る。といったところが関の山ではないだろうか。
「…とはいえ、一応中身は見ておくか。一応」
一応。と復唱しながら件のメールのタイトルをクリックしてみる。すると特殊文字と記号の入り混じった文面が展開された。
「ええっと、なになに?」
内容を大まかに要約するとこうだ。
『今年△月○日発売のメグの写真集「渚のハトホル」に付属する応募ハガキを送られた方の中から抽選1名様に、メグと一日お忍びデートする権利をプレゼント!』
「――ドンピシャかよ」
メールの内容があまりに予想通り過ぎて、俺はあんぐりと開いた口が塞がらない。
所詮こんなものだ。急にバカバカしくなった俺は無気力にPCの電源を落とし、布団に仰向けで倒れ込んだ。
「どっちにしろメグの写真集は買うつもりだし、念のため応募だけはしてみるか…」
そうして来たる発売日。朝一で並んで手に入れた写真集を自宅で封切るとあのメールの告知通り、応募ハガキが付属していた。
表面には宛先である事務所の住所。裏面はまっさらの無地にメグ本人が書いたとおぼしき文字が印刷されている。
「会員様であれば会員番号とペンネームを。あと何かひとことあればどうぞ♪」
線が薄くてタッチの柔らかい女の子らしい文体だ。俺は『No.0017 ハッスン』と丁寧に記し、その下に『読モ時代からのファンでした!』と一文添え、仕上げに切手の裏面をぺろっと舐めてから貼り付ける。そうして認めたハガキを賽銭箱に10円玉を投げ入れる感覚で近所の郵便ポストに投函した。
ダメでもともと。そんな軽い気持ちのはずだった。
ところが、応募ハガキを送ってから数週間後。なんと自分あてにメグ本人からの直筆の手紙が届いてしまったのだ。
その内容は…。
『写真集買ってくれてありがと〜♥あなたは数ある中から見事選ばれました♪勝手ながら日時と場所は指定させてもらうね!日時は×月■日の日曜日の午前11時。場所は○○駅前広場。あとデートプランはこちらで考えとくけどいいかな?もし都合が合わなければごめんなさい!!それじゃあデート楽しみにしてるね♥会員No.0017のハッスンくん』
「『PS:読モの頃からのファンだって聞いて嬉しかったよ!』…」
ひととおり読み終えたとき、俺は頭の中が真っ白になった。
これは果たして本当に本人からの手紙なのだろうか。タチの悪い悪戯ではなかろうか?
ふと我に帰ってもう一度手紙を端から端まで読み尽くす。
字はかつて応募ハガキに書かれていたものと酷似した文体。極めつけには文末にあたかも本人であることを証左とばかりに「白嵜」の実印が押されていたのだった
*
「それじゃあ、行こっか。ハッスンくん♪」
そして今に至るというわけだ。
正直なところ、あの手紙の真偽についてずっと半信半疑なままだった。
全国から膨大に寄せられたであろう応募ハガキの中から一人選ばれるというだけでもにわかに信じがたいことなのに。たかが一般人が華やかな世界の芸能人、しかも大ファンの自分が一日独占する権利を手に入れたなどと、そうやすやすと信じられるものではない。
しかしながらこうしてメグ本人が目の前に現れたことで、そんな雲をつかむような与太話が現実味を帯びていったのもまた事実だった。
こんなことならば、もっと気合を入れて着飾ってくればよかったと、お洒落な格好をした憧れの女性を見ながら後悔するばかりだ。
「まずは私オススメの喫茶店に案内するね。そこでお昼にしよ」
「は、はい」
あのメグのオススメの店を知ることが出来るうえに御一緒できるだなんて!
これから始まるお忍びデートを前に俺は心躍らせる。
(…ねぇ、あれ見て)
(うわっおっきい)
ふと、多くの人が行き交うスクランブル交差点を二人で並んで歩いていると、そこかしこで囁き言が聞こえてくる。
メグの輝かしい芸能人オーラが人々の気を引いているのだろう。
――と、最初は思っていたのだが。どうやらそれらは嫉妬や羨望といった類というより、メグの姿に対する好奇の眼差しが大半であるようだ。
彼女のようなホルスタウロス族は魔物娘の中では比較的人の姿に近いとはいえ、カコカコと独特な音を鳴らしながら大きな黒い蹄でアスファルトを蹴り、長い牛の尻尾をゆらゆらと動かす様はまさに人ならざる異形のもの。人々に奇特な目で見られるのも無理ないかもしれない。
魔物娘が人間社会に進出してから十数年経ち、今では街中で見かけることも珍しくなくなった。魔物娘の大学進学率や就職率はここ数年で飛躍的に向上しており、またテレビでは魔物娘のタレントが活躍するなど近年における彼女たちの社会進出は目覚ましいものがある。それでも、その見た目に生理的嫌悪を抱いたり、偏見の眼差しを向ける人間は少なからず存在している。ひとたびこうして人前で堂々と歩けば好奇な目に晒されてしまうほど、人間社会に魔物娘たちが馴染みきれているとはいい難いのが現状だ。
そのような致し方のない事情があるとは頭で分かってはいても、ただ純粋に「白嵜メグ」というグラビアアイドルが好きな自分からしてみれば、物珍しそうなものでも見ているかのような、その反応には思わず眉をひそめてしまう。
一方、当の本人はこういったことに慣れているのか、至って素知らぬ様子であった。
俺は心のモヤモヤを晴らすように彼女に話しかける。
「あ、あの。メグさん」
「メグでいいよ♪」
彼女の言葉を聞いた俺は心臓が口から飛び出そうになる。
なんだか恐れ多いが、彼女の方から目線を下げて気さくに接してくれようとしているのに、それを無碍にするのはかえって失礼なことかもしれない。
「それじゃあ、ええっと…メグ…?」
「うん、なぁに?」
彼女は両腕を背中に組みながら俺の顔を覗き込むように振り向いた。
溜まった鬱憤がまとめて吹き飛んでしまうほど、天使のような眩しい笑顔を浮かべている。
俺、明日死ぬかもしれない。
「これから行く喫茶店はどんな店な、んですか?」
「ん〜、敬語もちょっとやめてほしい…かな」
「あっ!ごめん!つい…」
「あはは、そんな緊張しなくていいよ。年も近そうだし、同僚の女の子だと思って貰えればいいからさ」
「そうはいっても…、だって俺…ずっと前から君の大ファンで…。それで、憧れの子とデートできるってことがもう全然信じられなくて…、だからちょっと混乱しちゃってるのかも…」
「そっか、まぁそうだよね。その気持ち分かる。だって…」
「え?」
「ううん!何でもない!」
彼女は何かを言いかけていたが、すぐさま話題を切り替える。
「…ところで読モ時代からファンって聞いたけど、具体的にいつぐらいから?」
「ええっと、たしか。コンビニで立ち読みしていた『Vanadis4月号』の読モコーナーで見かけたのが初めてだったかな」
「ええっ!?それって私がデビューしたてでまだ学生の頃のだよ!そんなに前からファンだったの?」
「うん。当初は魔物娘のモデルなんて珍しいなぁぐらいに思ってたけど、笑顔がとびきり可愛いいところとか、インタビュー記事に掲載されているお茶目なエピソードから分かる天真爛漫なところとか。なんか気がついたらハマってたな〜」
なんといってもあの魅惑のKカップの爆乳が特に。――と心の中でそっと付け足しておいた。
「人気が出て本格的にグラビアアイドルとして活動しはじめてからは、メグが載ってる雑誌は基本的にチェックしてたし写真集も全部持ってる。あと先月のトークイベントにも行ったよ」
「そうなんだ…!嬉しいな…そんなに私のことを応援してくれてたなんて!」
「俺だって感慨深いよ。まさかずっと追いかけていた子と、こうして並んで歩いているなんて。まるで夢を見ているみたいだよ」
「ふっふ〜!夢じゃないよ〜?」
突然、メグがぴょんと跳ねて接近したかとおもうと、胸を押し当てるように腕に絡んできた。
右腕にふにふにとした柔らかい感触が包み込む!
「ほぉらね♪」
「そそ、そうだね!」
メグの刺激的なスキンシップを前に、ひたすらたじたじになるしかない。
やっぱり俺、明日死ぬんだ
*
駅前広場から歩いて15分ほどの距離。都会の喧騒とは無縁な閑静な住宅街に、喫茶店『Lily・LA(リリィ・ラ)』はあった。
ガラス格子の木製扉を開けるとカランカランとドアベルが鳴る。つぶさにウェイトレスが駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ!二名様ですね」
と、向かい合った二つの席が用意されているテーブルへと案内される。そしてウェイトレスは「ごゆっくりどうぞ」と言い残し、店の奥へと去っていった。
椅子に腰を下ろして一息つき、改めて店内を見回してみる。
渋い色合いの木目を基調としたクラシックな内装。壁には素朴な風景画が何枚か掛けてあり、天井のシーリングファンがくるくる回っている。
休日の昼下り、一杯のコーヒーを片手にのんびり過ごしたくなるような落ち着いた空間だった。
「いい店だね」
「うんうん、そうでしょ!あとね、食べ物も美味しいんだよ」
有名ブランドの革製バッグを脇の荷物入れに置く。彼女はテーブルに両頬杖をつき、尻尾をゆらゆらと左右に振っていた。
席に着いてからまもなく、灰色のふさふさとした毛並みの獣耳と尻尾を生やしたウェイトレスが俺たちの元へとやってくる。
その姿を見るに、彼女もまたメグと同様に魔物娘なのであろう。
「いらっしゃい。めぐちん」
「あーちゃん、おひさー!」
親しげにあだ名で呼びあうメグと魔物娘のウェイトレス。どうやら二人は旧知の間柄のようである。
「えっと…、知り合い?」
「紹介するね。この子は私の大学の頃からのお友達で『キキーモラ族』の『松永藍子(まつながあいこ)』。今はこの店で働いてるの」
「ふふ、めぐちんったら。もうその名字じゃないってば」
「あっ、そっか!そうだったね」
あーちゃんこと藍子さんは恥ずかしそうにハンディターミナルで口元を隠す。
「あーちゃんはね、5年前にここのマスターと結婚して二人で店を開いたの」
「へぇ、そうなんだ!でも、一から自営業を始めるのって大変だったんじゃない?」
「たしかに最初はあまりお客様も来なかったし先行きは不安だったけど、おかげさまで今はそれなりに繁盛してるよ。バイトの子を何人か雇う余裕もできたし。まぁ基本的にダーリンと私の二人で切り盛りしてる感じだね」
「ふふっ、この店はねぇ、あーちゃんとダーリンさんの愛の巣なんだよ♪」
メグの唐突な冷やかしに藍子さんは顔を赤くしてオロオロする。
「も、もー!めぐちんったら!」
「ヒューヒュー!」
「そんなこといいからさっさと注文決めてよね!他のお客様待たせちゃうっ」
「えへへ、ごめんごめん」
頬を膨らます藍子さんに対し、メグはおどけた様子で後頭部をさする。
メグの気の置けない友人との微笑ましい掛け合いに、俺は心を和ませていた。
「ところでめぐちん。彼が例の?」
「そうだよ」
すると藍子さんは顔をメグの耳のそばまで近付け、声を潜めて会話しはじめた。
聞かれて困る話題が何なのか気になったが、彼女らの意図を汲み俺はメニューを読むことに集中することにした。
(もしかして緊張してる?)
(う、うん…)
(大丈夫。その時になれば案外なんとかなるよ)
(そうかなぁ)
(私だってそうだったんだから)
(それならいいけど…)
友達同士の内緒話を終え、俺がメニューから目線を上げたのを確認した藍子さんが口を開く。
「ふたりとも決まった?」
「私は決まったよー。この『Lily・La特製ヴァニラアイスパフェ』で」
「昼にパフェ一択て…相変わらずね…」
「だって、この店のは格別美味しいんだもん♪」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、食事バランス極端に偏ってるでしょーが」
「栄養はあとでたっぷり取れるから大丈夫だよ!」
「ああ、それもそうか。…それで彼氏さんの方は?」
俺は藍子さんに運んできてもらっていたお冷を吹き出す。誰も居ない方へ向いていたのが幸いだった。
「ちょ、ちょっとっ!あーちゃん!?」
彼女の言葉を聞いて動揺していたのは俺だけでなかった。メグは顔を真っ赤に染めながら、あたふたした様子で獣耳を忙しなく動かし続けている。
「なーんてね。さっきの仕返しだよん♪」
藍子さんはそう言って、お茶目に舌をペロッと出した。
「もぉ〜!」
「おっ、牛さんだ」
そんな可愛らしいやりとりをひとしきり終えると、藍子さんは改めて俺に注文を伺う。
「『チーズトースト』と『シーザーサラダ』のセット。飲み物は『Lily・Laブレンドコーヒー』で」
「かしこまりました!オーダー入りまーす!」
明瞭で覇気のある声が店中に通ったかと思えば、藍子さんはそのまま他の客のいるテーブルの方へキビキビと歩いていってしまった。
「あはは、面白い子だね」
「昔からあんななの。でも、すごくいい子なんだよ」
「俺にもああいう感じの友達が居たんだけどさ、最近はあまり連絡取れてないんだ。藍子さんとメグは今でも仲良さそうで、ちょっと羨ましいかなぁ」
「ハッスンくんのその友達ってどんな人なのかな。…というか、もっとお互いのことを話そうよ!お友達のこととか好きなこととか、他にもたくさん」
「うん、いいよ」
注文が来るまでの間はどうせ手持ち無沙汰だし、なによりメグの事なら何でも知りたいので願ったり叶ったりだ。
それから俺は彼女と様々な話題を交わしあった。
仕事のこと。家族のこと。趣味。休日の過ごし方。
ひとつの話題を終えても次の話題へと矢継ぎ早に移り、会話が途切れることはなかった。
「――というわけでさ、ウチの上司。面白い人でしょ?」
「ふふ、本当だね。でもその上司さん、私の事務所の偉い人になんか似てるかも。名前なんていうの?」
「早川さんっていうんだ。早朝の早に川」
「えっ嘘っ!?おんなじだ!こっちは高速の速だけど」
「うわっ漢字違いじゃん!すごい偶然だね…」
「ちなみに速川さんの特徴はバーコード頭と黄縁の眼鏡」
「…こっちもバーコード頭に眼鏡だ。あっ、でも眼鏡の縁は赤いや」
なんともいえぬ珍妙な偶然と微妙に噛み合わない共通点。それがどうしようもなく可笑しくて、俺とメグは二人で堰を切ったように笑いあった。
「うふふ!私たちって案外似た者同士かもね」
「似た者同士…?」
――似た者同士。
俺はそのワードが引っかかり、思わずオウム返ししてしまう。
「ん?どうしたの?」
「いやさ。どこにでもいそうな平凡な俺と違って、メグは華やかな芸能の世界に生きている特別な子で。俺とは似ても似つかないんじゃないかなぁって」
たしかに彼女と会話していてお互いに共感できることは多くあった。自分が想像するよりも彼女は身近な存在なんだと思えた。
けれど、メグは今をときめく人気グラビアアイドルの「白嵜メグ」で、それに比べて俺は冴えないサラリーマン「泉蓮太」であることに変わりはない。
人間と魔物娘を区別するわけではないが。まるで自分たちが異種族同士であるように、一件同じように見えて全く違う、似て非なるものでしかないのではなかろうか。
その考えに至ったとき。手の届く距離にいるはずの彼女が、何処かへ遠のいていくような気がした。
「…特別な子なんかじゃないよ」
「え?」
ところがそんな俺の情けない気持ちの吐露に、メグは今まで一度も見たことのない真剣な表情で答えた。
「私って昔は何の取り柄もない田舎育ちの地味な娘でさ。何かやりたい事も追いかけたい夢も無くて。ただなんとなーく受けた都内の大学に合格して、それをきっかけに上京してきたの。それである日、街中を歩いていたらスカウトされて、そのまま事務所の人に勧められるがままに読モのグラビアのお仕事を受けてみたの。撮ってる最中はちょっぴり恥ずかったけど、出来上がった写真を見た瞬間そんなの全部忘れちゃった。だって、そこにはありのままの姿でキラキラしている自分がいたから…。こんな地味な私でも輝けるんだ。ってすごく嬉しくって…。それで私グラビアのお仕事をずっと続けたいって思ったの」
メグは目を煌めかせながら虚空を見つめ、さらに続けた。
「事務所も魔物娘をモデルとして使うのは初めてだって言ってたけど、私をスカウトしたプロデューサーさんは私を売り出すために一生懸命走り回ってくれて。私もその気持ちに応えるよう頑張ったの。でもやっぱり魔物娘ってことがネックになって業界の人や読者さんの反応があまり良くなくて、魔物娘だからっていう理由でお仕事を断られたこともあったんだ。それでなかなかお仕事貰えなくて、もういっそやめてしまおうって思った」
「そう…だったんだ…」
知らなかった。
俺が知っていたのは雑誌のページに映る明るく輝かしい白嵜メグの姿だけだった。その笑顔の裏にそんな痛ましい現実があったなんて、想像だにしなかった。
「でも、どうしてやめなかったの?」
「それがね。ある時を境に『状況が変わった』からなの」
「ある時…?」
「『魔刑事・井手京子の事件簿』って知ってる?」
「うん、知ってるよ。あの人気ドラマだよね」
『魔刑事・井出京子の事件簿』とは、頭脳明晰な異端の女刑事「井手京子」が奇怪な難事件を解決していく推理サスペンスドラマのことだ。視聴率の高い人気シリーズで現在シーズン3が放映中である。
主演の『美里(みさと)マリア』はサキュバス族出身の魔物娘で、その高貴で麗しい美貌と凛とした佇まいは男性ファンのみならず多くの女性ファンをも獲得し、さらには見る者を圧倒する迫真の演技力が光る新進気鋭の人気女優だ。
従来のサキュバスというと、風俗店やAVといったアングラ界隈を中心に活躍する印象が強かったが、美里マリア演じる井手京子の知的で毅然としたキャラクターがそれらの暗いイメージを覆し、サキュバス族だけでなく世間の魔物娘タレント全般のイメージ向上へと一役買ったとされている。
「美里さんのドラマのおかげで魔物娘のイメージが良くなって。私もあの人の人気に便乗する形でウケたんだ。それで、ようやく念願のグラビアアイドルデビューにまで漕ぎつけて…。だからね、私ってただ運が良いだけで実はそこまで凄くなかったりするんだ」
メグは眉を八の字にし、自嘲気味に笑った。
「――そんなことないよ」
「え?」
「たしかに、メグがウケたのは運の良さもあるかもしれないけど。メグはもともと人気になるだけの魅力を持ってて、美里マリアさんがきっかけとなって、その魅力にみんなが気付き始めただけだって俺は思うな。ブレイクする前から追っかけてる俺が言うんだから間違いないよ」
少なくともデビュー前の彼女を知る俺からしてみれば、魔物娘だからとか世間の評判だとかそんな事情はまるで関係なかった。
メグはずっと前から今も変わらない。俺の憧れの『白嵜メグ』のままだ。
「メグがどう思おうが、俺にとっては特別な子に変わりないよ」
「そっか…、ありがとう。――でもね、ハッスンくん。君が私のことを特別だって思ってくれているように、私にとっても君は特別なんだよ?」
「え?それってどういう――」
俺がメグの言葉の意味を問い質そうとしたとき。ちょうど藍子さんが注文したものを運んできて会話が中断された。
「おまたせ〜!ハイ。ご注文のチーズトーストとシーザーサラダとLily・Laブレンドコーヒー。そしてめぐちんにはLily・La特製ヴァニラアイスパフェ!」
「わ〜!美味しそー!」
テーブルの上に置かれた豪華な盛り付けのヴァニラアイスパフェを前に双眸を輝かせるメグ。
先の神妙な面持ちは鳴りを潜め、普段の調子に戻っていた。
「ごめんね。二人同時に提供しようとこっちで調整してたら思った以上に遅れちゃって」
「いえ、そんな…」
「それじゃお二人様、ごゆっくりね〜」
そう言って藍子さんはまたキビキビと他のテーブルへ歩いていった。
「あのさ、さっきの話の続きなんだけど――」
「ン〜!美味しい〜!」
会話の続きをしようとしたが、どうやら彼女はパフェを食べるのに夢中なようだった。幸せそうにヴァニラアイスを頬張るのを邪魔する気にもなれず、俺は白い皿の上のチーズトースト一片を口に運ぶことにした。
*
「いい店だったね。雰囲気も良くて料理も美味しかったし」
「ふふ、よかった。それ聞いたらあーちゃんきっと喜ぶよ」
喫茶店Lily・LAを後にした俺とメグは午後一の繁華街を行く宛もなくぶらぶらと歩いていた。彼女曰くLily・LAの次に行く場所はその時の気分に任せるというプランらしい。
良くいえばマイペース、悪く言えば行き当たりばったりなのだが。メグとならただ一緒に歩いているだけでも充分幸せなので、もういっそこのまま一日中ここら一帯を練り歩くだけでもいいぐらいである。
「あっ、ねぇねぇ!あそこのゲーセン行ってみない!」
「いいんじゃない?」
ゲームセンターなら一緒に楽しく過ごせるものも沢山あって互いに退屈しない、悪くない選択だ。
満場一致で行く先を決めた俺たちは、UFOキャッチャー等といった定番系が固まっているフロア1へと赴いた。
「何かやりたいのある?」
「そうだなぁ…アレ一緒にやろ!」
メグが指差した先にあるのは、液晶画面の前に和太鼓を模した筐体が2個設置されているアーケードゲーム。太鼓を叩いて演奏する趣向のそれは、いわゆる音ゲーというやつだ。
「太鼓の名人か。いいよ、やろう」
このゲームは二人同時プレイに対応している。俺たちは揃って和太鼓の前に立ち、硬貨を投入してタイトル画面を進めた。
「難易度はどうする?」
「ハードコアでいいかな?」
ハードコアはこのゲームにおける最高難易度で、素人が考えもなしに挑むようなものでは到底ない。どうやらメグはこのゲームを相当やりこんでいるようである。
「ただ普通にやるだけじゃつまらないし、スコアの勝敗で何か賭けてみない?」
口端を釣り上げ、何やら如何わしげに提案してくるメグ。
「いいよ。どういう条件にするの?」
「じゃあ…、負けた方は一つだけ相手の言うことを何でも聞く。っていうのはどう?」
「ほぉ!そんなこと約束しちゃっていいのかなぁ?俺、変なこと頼んじゃうかもよ?」
「大丈夫だよ〜。だって私が勝っちゃうもん!」
「言ってくれるねぇ」
俺の冗句にも彼女は不敵な態度を崩さない。かなり自信満々なようだが、俺もこの太鼓の名人に関してはそれなりに腕に覚えがある。
絶対に勝って「あんなこと」や「こんなこと」を…!
――頼む度胸はさすがに無いので、せめてサインをねだるぐらいの事をしてやろう。と期待に胸をふくらませる。
1Pの俺が太鼓をバチで叩いて操作し、難易度と楽曲を選択すると演奏がスタートする。するとイントロパートのまっさらな譜面が映し出された。
「負けないよ!」
「こっちこそ!」
始まる間際、俺とメグは互いに顔を合わせる。両者の視線に火花が散った
*
「わーい!勝ったーー!」
「う、嘘だろ…オイ」
結果はメグの圧勝だった。
最高難易度をものともしない鮮やかなプレイにより、あろうことかパーフェクトスコアを叩き出してしまったのだ。それに引き換え俺は途中何度も凡ミスを犯してしまい、結果は歴然たるものだった。
「いやぁ、すごいよ。まさかあの楽曲のハードコアを一発でパーフェクト決めちゃうなんてね…」
「あーちゃんがこのゲームすごく上手くてさ。悔しくてやり込んでたら上達しちゃった」
「そっかぁ、でも俺だって悔しいなぁ。友達の間ではスコアトップ取ってて、自信あったんだけどね」
「ふっふっふ。リベンジするかい?」
「え、遠慮しておきます…」
観念の意を示す俺に対し、メグは勝ち誇った様子で鼻を伸ばしていた。
とはいえ。太鼓の名人が上手で負けず嫌い。そんな彼女の意外な一面も見れてよかったし、一汗かいたのもありなかなか清々しい気分だ。
「それでさぁ。私が勝った訳だけど〜。さぁて、どうしよっかなぁ?」
すると、メグは普段の朗らかな調子と打って変わり、媚びるような上目遣いでにじり寄ってくる。
「なにしても…いいんだよね?」
「う、うん…」
自分の中の『天真爛漫でエロ可愛い白嵜メグ』のイメージとは程遠い、妖しい表情を浮かべ。誘惑するように俺を見つめるメグ。
人形みたいに整った顔立ちがすぐそこまで迫る。くりくりとした大きな瞳の上に弧を描いた濃い睫毛。白魚のように透き通った肌の上には玉の汗が僅かに伝っている。
「――なぁんてね!とりあえず今は保留ってことで」
「ほ、保留?」
「だってすぐ思いつかないし。これからまだ時間はあるしね〜」
と、彼女はいつもの軽い調子に戻った。
気まぐれに覗かせた妖艶な雰囲気。
メグってあんな顔も見せるんだ。余熱が胸の高鳴りを収まらせない。
もしも『あれ』は俺だけが独占できているのだとしたら、どんなに良いのだろうか。
ふと、俺にそうしているように他の男にも簡単に見せるんだろうか。という邪な考えが横切った。
そんな身勝手な独占欲、たかだか一日デートの権利を掴んだ一ファン如きには過ぎたるものだと分かっている。
それとも俺は、彼女に対して「グラビアアイドル」と「ファン」の関係を超えた特別な感情を抱いてしまったとでもいうのだろうか。
とにかく、アレコレ考えても仕方ない。気持ちを切り替え、せっかくのお忍びデートを楽しむのが吉だ。
「じゃあ次アレ!」
メグが次に目移りしたのはUFOキャッチャーだった。
ひとえにUFOキャッチャーといっても、その景品の内訳は美少女フィギュアメインや版権グッズメインなど、台ごとのバリエーションがあるが、メグが選んだのはゆるキャラ系のぬいぐるみの景品がメインとなっているものだ。
「あ、あれ!?」
「ん?どうしたの?」
「ムシポンのぬいぐるみだ!どうしてこんな所に!?」
突如、食らいつくようにガラスに張り付くメグ。その視線の先にあるのは黒い毛の塊に二つの目玉が付いただけという、シンプルな造形のキャラクターのぬいぐるみだった。
「あれがどうかしたの?」
「ムシポンって言って、小さい頃にやってた子供向けアニメに出てくる私の大好きなキャラなの。そのアニメ自体はあまり人気が無くてすぐ終わっちゃって。それでグッズも殆ど売れないまま販売終了しちゃったから、ムシポンのぬいぐるみは今どこのオークションサイトを探しても見つからなくて。それで諦めてたんだけど…」
「その欲しかった幻のぬいぐるみが、何故かここにある。と?」
「そうなの。…よーし!絶対に取る!」
瞳に闘志を宿し、意気揚々とコインを投入するメグ。
表情がコロコロと変わって、なんだか一緒にいて退屈しない子だなぁ。としみじみ思う。
ゲームを起動したメグはまずボタンを押してクレーンを操作し、うまいことムシポンの真上へと軸を合わせることに成功する。
そしてキャッチボタンを押し、クレーンのアームが見事ムシポンを捕らえるが…。
「あれれ?」
アームは空しくもぬいぐるみの表面をスルっと滑って掴み損ね、クレーンは穴めがけて景品を落とすふりをする。
「あー失敗しちゃった…。――よしっ、次!」
メグは落胆するも気を取り直し、再度コインを入れ同じように軸合わせに成功するが、またしてもアームはムシポンをキャッチすることに失敗する。
「あーん!も、もう一回っ!」
それでもめげずに再トライする。が、やはり結果は変わらない。
「うう、なんでぇ…」
三度目の理不尽な失敗で心が折れたメグは、へなへなとその場に座り込んでしまう。
どん詰まりの様子を見かねた俺は彼女のため人肌脱ぐことにした。ここでどうにかしてやらねば男が廃るというもの。
「大丈夫。任せて」
「ハッスンくん…?」
俺はメグの代わりにコインを投入してクレーンを操作する。
そして、彼女と同じようにターゲットの位置へと軸を合わせる。しかし、あくまでターゲットの直上ではなく、少し横にずらした状態でだ。
「え、これだと取れないんじゃ…」
「まぁ見ててよ」
キャッチボタンを押すとクレーンがぬいぐるみの近くまで降下し、アームが開閉する。
当然ながらアームは空を切る。が、アームの湾曲した尖端がぬいぐるみのラベルに引っかかり、クレーンが上昇するのと同時にムシポンも釣り上げられた。
「わっ!すごーい!」
「クレーン台によってアームのパワーに個性があるんだ。この台のアームは多分弱めな方だから、そういう場合こうやってどっかに引っ掛けてから釣り上げるのを狙った方が取りやすいんだよ。まぁでも、まさか一発で成功するとは思わなかったけど…」
ムシポンのぬいぐるみは穴まで無事運ばれ、景品口に姿を現す。そうして俺はそれを中から取り出してメグに手渡した。
「はい、どうぞ」
「えっ?いいの?」
「ええと…、良い喫茶店を教えてもらったお礼。ってことでいいかな?」
受け取ったぬいぐるみを唖然と見つめるメグに、俺はそう言って気恥ずかしさを誤魔化した。
「――!!嬉しいっ♥」
メグは顔をほころばせると、感極まって俺に抱きついてきた。
(や、柔らかい…!それにいい匂い!これが女の子…!)
あのメグに抱きつかれるなんて、これはもう一生の思い出になるだろう。
俺、本当は今日死ぬのかもしれない。
「ありがとう♪大事にするね」
俺の元から離れたメグは、ムシポンのぬいぐるみを大切そうにバッグにしまいこんだ。
幸せそうな笑顔を浮かべる彼女を見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。
和やかな雰囲気が二人を包み込んだ、そのときだった。
「ね〜見てアレ!」
「うわっ、おっぱいのでっけー牛女じゃん!ウケる〜!」
「つか一緒にいるの彼氏?めっちゃ物好きじゃね?きゃはは!」
下品な笑い声が安穏とした空気を切り裂く。
俺は声のする方へ向くと、そこには遠巻きにこちらを見物する女子高生と思わしき三人組の女の子。
麦藁を束ねたようにも見える染めた長髪。派手な厚化粧。いかにもギャル雑誌の流行を盲目に追っていそうな軽薄なファッション。三人の風貌から、その言動に違わぬ愚直さがにじみ出ている。
俺は彼女らのその露骨すぎる好奇の目に、これ以上ない不快感をおぼえる。
メグはというと、この程度の事態では動じないのか。何事も無かったように一切振り向かず、にこやかな顔を保っている。
俺も彼女に倣い、あの三人組の存在を看過することにした。
どこか別の場所に行こうか。
そう言いかけたときだった。
「インスタに上げとこ、っと」
一人がスマホをこちらに向けて構えたかと思うと、シャッター音が無情にも鳴り響いた。
あたかも街中で動物を見つけたかのような振る舞い。そのあまりの厚顔無恥さに不快感を通り越して怒りがこみ上げてくる。
「い、いこっか…」
これにはさすがのメグでも応えたのか。今すぐにでもここから逃げ出したい、そう訴えかけるように俺の手を引っ張った。
俺はおそるおそるメグの顔を見やる。
彼女は、強ばった不自然な作り笑顔を貼りけていた。
それはまるで悲しみを覆い隠す仮面のよう。
理解されない。受け入れられない。否定。そんな諦観と絶望に満ちた表情にも思える。
その瞬間。俺の中で張り詰めていたものがプッツリ途切れるのが分かった。
彼女を、メグを見世物にして嗤うのを、俺は断じて許さない。
なによりも、一番許せないのは、彼女をあんな「悲しい顔」にさせたことだった。
「――今撮った写真。消せ」
俺は三人組の元へと歩み寄った。
「ん?なに?」
「なんか用?」
「消すの勿体無いし」
あからさまに不機嫌そうな態度の三人。それでも俺は怯むことなく前へ進んだ。
彼女の尊厳を守るために。
「いいから早く消すんだ!!」
腹の底に溜まっていた熱いマグマを爆発させ、力の限り俺は叫んだ。
世間の魔物娘への偏見にもめげず、ひたむきに頑張り続けたメグのその姿を嘲笑う資格なんて誰にもない。あっていいはずがない。
その叫びには、そんな世の不条理を糾弾せんとする俺の憤怒が込められていた。
「わ、わかったっつーの…」
発破を受けた三人は目を大きく見開き、蛇に睨まれた蛙のごとく固まった。
撮影した一人は俺の言葉に従い、いそいそとスマホを操作し、カメラロール画面をこちらに見せる。
「ほら、これでいいっしょ」
「…よろしい」
しっかりと写真が消えていることを確認し、俺はさらに続けた。
「あとこれだけは言っておく。彼女は『牛女』なんかじゃない。『白嵜メグ』という名前の一人の女の子だ」
言いたいことは全部言った。もはや長居は無用。
彼女の手を強引に掴んで出口へと駆け出した。
どこでもいい、どこか遠くの安心できるところへと連れ出したい一心で。ただひたすらに無我夢中に。
だから気づけなかった。
俺の背中に熱く潤んだ眼差しが向けられていたことに
*
あれから俺たちは、都心の外れにある小さな公園へと行き着いた。
夕刻に差し掛かり、沈み始めた黄色い陽光が辺りを染めている。
二人並んでベンチに腰掛けたまま、何をすることもなくただ漠然と時間だけが過ぎていた。
「……」
ゲーセンを飛び出してからというものの、互いに目線を交わすこともなく沈黙が続いている。
心ない人間から蔑みを受けたショックからなのかどうかは定かでないが、あれほど明るく振る舞っていた彼女は塞ぎ込むように押し黙ったままだ。
あの三人との事はともかく、公然の場でハッキリと実名を出してしまったのは迂闊だった。
写真を消させただけマシだったが、芸能人であるメグが一般男性とプライベートを過ごしているという事実を彼女ら、あるいはあの現場を目撃していた第三者の手によってSNSで情報拡散されてしまったら。彼女や彼女の周りの人たちにも迷惑が及んでしまうかもしれない。
俺は自分のしでかした事を悔やむばかりで、彼女にかける言葉が見つからないでいる。
すぐ隣に誰かがいるのに、独りでいる空しさ。孤独よりも寂しい孤独。
そんな重い沈黙と罪の意識に耐えかねた俺は、己を奮い立たせて彼女の方へ向き直った。
「あのさ!」
「……」
「メグ…?」
ふと彼女を見ると、遠くを見つめるようにぽーっと呆けている。
俺の言葉も耳に届かず、心ここにあらずといった様子だ。
「…え?あっ。な、なに?」
数秒遅れて声掛けに気づいたらしい彼女は慌てた様子で答えた。
「具合でも悪い…?」
「ううん!何でもないの!大丈夫!それより、どうしたのかな?」
「…さっきはゴメン。俺、うっかりメグの名前出しちゃってさ。そのせいでSNSで俺たちのことを暴露されるかもしれなくて…。せっかくお忍びでデートしてくれているのに、台無しにするようなことしちゃって…」
俺は臓物に重くぶら下がっていたものを喉から引きずり出すように、懺悔の言葉を綴った。
するとメグは。
「大丈夫。気にしてないよ」
と柔和な表情で言ってくれた。
「念のためSNSで拡散されてないか調べてみよっか」
「そ、そうだね!」
メグの提案通りスマホから大手SNSにアクセスして彼女の名前を検索し、どこかしらで話題になっていないか探してみることになった。
二人がかりで入念に調べ尽くした結果。それらしい投稿はどこにも見当たらなかった。どうやら俺の不安は杞憂に終わったようだ。
「はぁ…よかったぁ…」
「ふふ、ハッスンくんが気にすることなんてないのに」
「気にするよ。俺のせいでメグに迷惑かけたらと思うとさ」
「大丈夫だよ。むしろ、ハッスンくんにはお礼を言わないと…ね」
するとメグは座った姿勢のまま身じろいで、徐々に距離を詰めてくる。
「私のこと…守ってくれてありがと。あの時のハッスンくん。かっこよかった」
そう言って肩に顔を寄せた。
先ほど抱きつかれた時にもした、心地よい良い匂いに再び包まれる。
俺、もう今すぐにでも死ぬのかもしれない。
「そ、っそそ、そんな。俺はただ、メグを悪く言うのが許せなかっただけで、つい勢いで行動してしまっただけというか…!」
その天真爛漫な性格ゆえなのか、メグの無防備さにはドギマギさせられるばかりだ。
女慣れしていればこういうとき男らしく堂々と構えていられるのに。チェリーボーイ丸出しで動揺してしまう自分が情けなくて、情けなさのあまり恥ずかしさがこみ上げてくる。
するとメグはそっと囁くように。
「ねぇ、さっきゲーセンでした『負けた方は一つだけ相手の言うことを何でも聞く』約束。使ってもいいかな?」
と言う。その横顔はゲーセンの時に見せた妖艶な顔つきそのもの。
「ああ、あ、アレね!?どうぞ!なんなりと!」
普段とのギャップもあいまった妖しい色香の蠱惑に逆らえず、あまり深く考えることなくあっさりと承諾してしまう。
「よかった。それじゃあ、これから私が行く所に一緒に来て?」
*
「こ、ここは…」
メグに誘われるままにたどり着いたのは、繁華街の外れに佇む豪奢な外見の高級ホテル。
それは見るからに。というか、どっからどう見ても恋人と一緒に利用するとされる『アレ』だった。
「さ、入ろっか♪」
「ちょ、ちょっと待って!本当に入るの?どういう意味か分かってる!?」
「いいからいいから!何でも言うこと聞くんだよね♪」
予想以上に強い力で手を掴まれた俺は、自動的に開いたガラスのエントランスドアの向こう側へと容易く引きずり込まれた。
(や、やべぇ…!ホントに入っちまったよ!!あのメグと!ていうかメグは一体どうしたいんだ!?彼女の考えてることが分からない!!)
状況を飲み込めず混乱している俺を余所に、メグは受付で手続きを済ませてしまう。
そして、アクリル棒に括り付いた鍵を持参し、再び俺の手を掴んで鍵に記された番号の部屋へと連行するのだった
17/08/09 22:16更新 / ヨルテ(元たけかんむり)
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