いちれす
『私のクリスマスプレゼントになって欲しい』
そんな手紙が届いたのが、クリスマスの数日前のことで。
いったい何のことかと疑問に思っていた俺のところに、あのヒトがやって来た。
「あの……」
「め、メリークリスマス……」
「あ、はい。メリークリスマス……」
彼女はいつもの鎧姿と違って、ご丁寧に赤いサンタ服を身にまとい、だけど照れくさそうに少し視線を逸らしながら、俺にクリスマスの挨拶をしてきた。
普段は理知的で、冷静で、それでいてすごく格好良い女性。俺が所属している騎士隊の隊長で、俺の憧れの人。
その隊長が今日持っているのは、剣でなくて、バカみたいに大きい靴下だった。
「……手紙は読んだな」
「読みましたけど……あれ、もしかして」
「あぁ。あれを書いたのは……その、私だ」
「え……?」
まさか、彼女が俺のことを? ていうかクリスマスプレゼント? だからイブの夜にサンタのコスプレ? じゃあその、人がすっぽり収まりそうな巨大靴下って……。
ゴチャゴチャと考えていた俺だったけど、彼女が俺に向かって靴下の裾を広げたとき、想像が確信へと変わった。
「入れ。プレゼントは靴下の中だ」
「いや、おかしくないですか? 普通のプレゼントは吊るした靴下の中に、サンタさんが入れてくれるもので……」
「だから、プレゼントを靴下の中に入れに来た」
「いやいや、おかしいですって。サンタが靴下持って自分のプレゼントを詰め込みに来るって、まるで押し込み強盗か誘拐犯じゃ……」
「あぁもう、誘拐犯でも何でも別に良いだろう! 早く入るんだ!」
「うわっ!」
騎士隊の隊長から誘拐犯にジョブチェンジした彼女は顔を真っ赤にして、俺を頭から包み込もうと靴下を振りかぶった。
突然すぎる展開に靴下から身をかわし、彼女の脇をすり抜けて聖夜の雪景色へと駆け出していく。
「あっ、この! 待て、待たないか!」
「ゆ、誘拐されそうになったら逃げますって!」
いくら憧れの女性が相手だからといって、靴下の中に放り込まれるのはいただけない。
捕まるまいと逃げ出す俺のことを、背後から真っ赤な服の誘拐犯が追いかけてくる。
「こら、逃げるなっ! 大人しく私のプレゼントになるんだ!」
「大人しくなんてできませんよ!」
「もしや、もしかして、私のことが嫌いなのか!?」
「いや、そんなことは全く、全然! ホンットそんなことないっていうか、むしろ好きっていうか! えっと、その!」
「ほ、本当か!? 本当に私のことが、そうなんだな!?」
「あの、その、そうですけど!」
端から見れば痴話喧嘩か、単なるイチャツキにしか見えないだろう。
必死に彼女から逃げながらも、俺は顔を真っ赤にして、ニヤケ顔を晒して雪の上を走り回ってて。
それから後ろを追いかけてくる彼女も、やっぱり顔を真っ赤にしたまま、顔を綻ばせていて。
「ならどうして逃げるんだ! 家にはちゃんとチキンもシャンパンもケーキも用意してるぞ! あと、べっ、ベッドメークも完璧だぞ!」
「一緒に聖夜を過ごすならともかく、性夜を過ごすのは心の準備が欲しいです!」
「駄目だ、絶対に逃がさないぞ! 今日という日を私は心待ちにしていたんだ!」
それでも、ここで立ち止まって、彼女を抱きとめるわけにはいかない。
まだ彼女に、この気持ちをどうやってちゃんと伝えるか。
その言葉が、全然まとまってはいないのだから。
「ふふっ、観念しろっ! もう息が上がってるんじゃないのか!?」
「そんなこと! 貴女に鍛えてもらってるんだから、余裕です!」
「言うじゃないか、コイツめ!」
だから、まだまだ。
雪降る夜の中で。
まるではしゃぐ子供のように。
二人で、まだまだ。
こんな幸せな時がずっと続くようにと。
二人で、駆け回る。
◇
「そんな、貴女ほどのお方が……」
俺の驚愕の言葉が宙にむなしく消えていく。
教団でも高潔で屈指の実力を持った勇者であった隊長。
その腰から蝙蝠のような一対の翼が生え、頭部には羊のように曲がった角が天を向いている。
教団内にいた頃には想像できないほど妖艶な鎧を身に纏う、その姿はまさに堕ちた勇者だった。
「うふふ、私は魔王様のシモベに生まれ変わったの。もう勇者の期待にも戒律にも縛られず、思うままに行動できるの……」
そして彼女は捕らえた同僚のうつくしい肢体に指を這わせると、今度ははだけた衣服の中へとその指を侵入させた。
弄ぶようなその所業に同僚は眉根を寄せ、たまらず吐息を漏らす。
「うく……はぁっ……や、止めろ……」
「今は毎日が幸せよ。彼に想いを告げることも自由なの……あなたと違ってね」
『あなたと違って』。
そう言って俺と同僚を見比べるかつての勇者。
その言葉にうっすら上気していた同僚の顔が一気に赤みを増した。
目は潤み、自由にならない手足を必死にバタつかせ、首を幼子のように振りまわす。
「だ、ダメだ、止めろ、言うな! それをアイツの前で言うなぁ!」
「素直になりなさい……彼のことが好きなのでしょう? 同じ人を好きになってるんですもの、私には分かるわ」
同僚が、俺のことを? そんな、いつだってアイツはそんなそぶりだって見せず、ただの同僚で……。
呆然と立ち尽くす俺の眼前で、痴態はより一層の過激さを増す。
胸を中心にまさぐられていた手は、今度は下半身へとその場を移し、下着が存在しているだろうそこを重点的になぞるように差し込まれていた。
「ち、違うんだ! 私は、私はそんなことは……あ、あぁ……っ!」
「あら、嘘を言う子にはオシオキが必要ね。それならちょっと恥ずかしい所を……彼に見てもらいましょうか」
「ぅぁ、あぁ、アイツが見ている前で……いや、いやぁ……!」
ガシャン、と音を立て同僚の腰部を纏っていたスカートアーマーが、地面へと落下した。
かろうじてまだ彼女の女性の部分を覆い隠す、白い下着。
今まで決して異性として意識してこなかった同僚の、女としての羞恥。
俺は何故だか動くことができず、眼前の光景に釘付けとなっていた。
「やだやだぁ! ダメだ、見るな、見るんじゃない! お前が、ダメだ! こんな所を! いやぁぁぁ……!」
「うふふ、こんなに濡らしているのに……イケナイ子ねぇ」
同僚が悲痛の涙を流す中、しかし無情にもその下着はするり、するりと下ろされていき――
わっふるわっふる!
◇
俺はこの現状をどう扱うべきなのだろうか。
現状? 無二の親友からラブホテルに誘われてる。
うん、どうすべきかさっぱり分かんねえや。
「ねえ、キミはボクとあそこに行くの嫌なの?」
「いや……あのな?」
重い額に手を当てる俺の目の前で、この親友であるパンダ娘は黒い耳をピコピコさせながら小首をかしげている。
モフモフな指を差す先には繁華街のラブホがあった。
そう……このパンダ娘、なんとラブホのキラキラお城みたいな外見に、あそこが情欲交わる淫猥な場所でなく、なんだか楽しそうな遊園地的な場所であると勘違いしているのである。
「ねえねえ、早く行ってみようよぉ。すごくキレイで楽しそうだよぉ?」
「あー、うん。あそこは俺らが行く場所じゃないっていうか……」
「? 何で? ねえねえ、何で?」
あーくそ、この時ばかりはこいつの無邪気な性格が恨めしい。
俺もこいつの天真爛漫さが大好きで、ずっと遊び友達として親友してるんだが、こういう現場にぶち当たるとマジで困る。
上手い嘘も思い浮かばないし……仕方ない、(一部)ホントのこと言って納得してもらうのが良いか。
「あそこは恋人とか夫婦が行く場所なの。だから俺らじゃ行っちゃダメ」
「えー、何で夫婦とかじゃないとダメなの?」
「ぐっ……」
好奇心旺盛人熊猫。今現在超々厄介。対処益々困惑。我正直告白彼地優艶地。
思わず思考が中華風言語に変換され、俺はタメ息をつきながら説明を再会した。
「お前的に言うと、あそこは男女のカップルが交尾するところなの。だから俺らは行かない。分かった?」
「……交尾?」
「そう、交尾」
交尾、という言葉をポツリと呟く親友。
それを幾度か繰り返し、俯き……再度俺のことを見上げた。
「交尾!」
わーお、何その超輝いたお目めは。俺やっちまった感に目が涙で輝きそうなんだけど。
「交尾! 行こ、あそこ! ねえねえ、早く! 早く行こ!」
「だーこらっ、その手を離せ! 俺は親友と朝チュンする気はさらさらねーぞ!」
「えー、何で!? キミはボクと交尾するのが嫌なの?」
「嫌じゃないけどこんな展開で初体験とかゴメンだっつの!」
「……うー」
必死の抵抗をする俺に業を煮やしたのか、親友はその場でへたり込む。
こいつがこの仕草をする時、やることは一つである。
……そして、俺がこいつの親友を辞めたくなる唯一の瞬間だ。
パンダ娘は背中からごろんと地面に転がり。
「イヤだいイヤだいボクとあそこに行ってくれなきゃイヤだいボクと交尾してくれなきゃイヤだい!」
両手足を振り回し、みっともなくダダをこね出した。
「い、いくらダダをこねたって俺はお前とは……」
「イヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだい!」
「ちょっとは聞けよ、俺の話!」
俺の言葉に全く耳を貸すことなく、この駄・パンダは地面を転がり、すりっとの隙間からおみ足を覗かせている。
まったく……どうしたもんかな。
もし友達から先に進むことがあったなら。
その時は男らしく、ちゃんと自分から告白しようって決めてたんだけど。
人の気も知らないで、気軽に言ってくれちゃってさ。
周囲のクスクス笑いが、俺の気持ちを見透かしているようで居心地悪い。
とにかく、この現状をどう扱うべきなのか。
やっぱり解決策が見つからないまま、俺は足元で愛らしく転がるパンダ娘を見つめ続けていた。
「イヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだい!」
「だーっ! 分かった! 分かったからダダこねんの止めろってば!」
◇
「ねえ、おにいちゃん」
それはいつものように、アリスが俺の家に遊びに来ていたときのこと。
リビングのソファーで本を読んでいた俺の膝に、ぴょんとアリスが乗ってきた。
「ん、どうかしたか?」
「んふふー……ねえ、おにいちゃん」
リボンを付けた長髪から、ふわりと子供らしい甘い香りを漂わせて。
腕の中に潜り込んだアリスが俺の顔を見上げている。
「アリスがおおきくなった、おにいちゃんはアリスとけっこんしてくれる?」
またか、と俺は苦笑してアリスを抱きしめる。
大きくなったら、という子供らしい結婚の約束だが、アリスはいつも俺にこんなことを言ってくる。
そのいじらしさがカワイイのだけど……残念だけど、アリスは大きくならないんだよなぁ。
「あはは、もちろん。アリスが大きくなってくれたら、俺は喜んでお嫁さんにするさ」
そうは言っても、わざわざアリスのプロポーズを断る理由も俺にはないわけで。
アリスの柔らかな感触を堪能しつつ、その頭を撫でていた。
すると、アリスはまた「んふふー」とポケットの包みを取り出し。
その中身をポイと口に放り込んだ。
――ごっくん。
――ポンッ!
「うわっ!?」
音と共に小さな煙が上がり、なぜか膝の重みが急に増した。
何事かと驚く俺の身体にエプロンドレスを着た金髪の美女が密着している。
信じられないけれど、この服装は確かにあのアリスのもので……。
「あ、アリスなのか……!?」
「んふふー。そうだよ、お兄ちゃん?」
「な、なんで突然大きく!?」
「不思議の国のケーキ。今日お母さんが持たせてくれたの」
ミニスカートになってしまったドレスの裾に、自己主張しすぎて胸元が露出してしまったバスト。
突然すぎる変身に慌てる俺に、アリスはちゅっと音を立ててキスをして――
「ほら、アリス大きくなったから……結婚してね、お兄ちゃん♪」
――俺の独身生活も、音を立てて崩れていった。
◇
『メドゥーサちゃんとの交換日記』
○月×日
だいたい、交換日記なんて始めたってあんたが長続きする気がしないわね。
いつも学校のれんらく帳を見せてあげるのも私だったしね。
すっかり忘れてたとか何度そんな言い訳を聞いたことかしら。
きっとあんたのことだろうから、それも忘れてるわね。バーカ。
○月△日
お前こそ、この日記だって三日で飽きて放り出すに決まってる。
れんらく帳みたいに「よくできました」ってスタンプ押してやろうか?
もし一週間分たまったら色鉛筆と交換してやるよ。小学校の時みたいにな。
だれがバカだよ。 見ろよ、昔のことだって覚えてるっつの。バーカバーカ。
※二日で終わりました。
◇
常日頃、友人達から『お前は鈍い』と言われる。
自分では全くそんなつもりはなく、むしろ空気も読める男だと自負しているのだが……まあ、それはこの際置いておこう。
本題。そんな鈍いと言われる俺でも分かる。
「今日からお前は私の召使になることが決まった。ありがたく思え」
……俺、プロポーズされてる。
「……も、もう一度言ってくんない?」
「なんだ、いつもの難聴か? この難聴鈍感唐変木男が」
常日頃、友人たちからお前は『お前は難聴か』と言われる。
自分では全くそんなつもりはなく、むしろ人一倍耳聡い方だと自負しているのだが……違う、そんなこと考えてる場合じゃねえ。
本題。呆れたように半眼で俺を見つめる、幼馴染みのヴァンパイア(絶賛片思い中の相手である)。
「今日からお前は私の召使だ。嫌だとは言わせんぞ」
……こいつ、俺にプロポーズしてる。
「……あの、それはいったいどういうおつもりで……?」
「言葉通りの意味だ。おっと、少し言葉が足りなかったな……今日からお前は私の召使兼食料だ」
「……それは本当の本気でいらっしゃいますか……?」
「私はお前みたいに頭も口も軽くない」
衝撃で思わず口調が敬語になってるが、それも仕方なくね?
いや……俺、知ってるんだけど。
ヴァンパイアが男を召使にするって、それはつまり『私の恋人になってね、あ・な・た(はぁと)』って意味だって。
この事実を知ってるのも、ヴァンパイアの旦那さんが例外なくその執事である理由を友人に聞いたところ、『お前は本当に鈍い奴だなぁ』とため息混じりに教えてもらったからなのだが。
いやいや、この真実に疑問を持っただけ俺は鋭い部類に入ると思うぞ……って、ああもう脱線は良いっつーの。
どうしよう。俺、こんな時にどんな顔をしたら良いか分からないの。
笑う場面ではないと思うの。でも顔を真っ赤にしてニヤニヤしちゃいそうなの。
こいつが俺のことそんな風に見てくれてるなんて、思ってなかったから。
やべぇ……今までこいつと一緒にいて、こんなに心臓バクバクするの初めてかも。
「かっ、勘違いするなよ! 別にお前とは主人と召使の関係なだけで、それ以上でもそれ以下でもないんだからなっ!」
「ぶっ……!」
しかもこいつ、俺がプロポーズに気付いてるってことに気付いてねぇ!
言葉通りに俺が召使兼食料になることに驚いてるって思い込んでやがる!
やめてください、頬を赤らめてその墓穴な台詞は反則ですから! 俺が悶えて死んでしまいますから!
「おい、なぜ顔を隠してプルプル震えているんだ」
「いや……今までお前と一緒にいて、こんなにお前が可愛いって思ったの初めてだったから……」
「なっ……ま、またそんな軽口を叩いて! お前という奴は!」
まったく……いったいどっちが鈍いんだか。
恥ずかしいやら、嬉しいやら、おかしいやら。
色んな感情がごちゃ混ぜになって笑えてきちまう。
「もう良い! さっさと私について来い! ボヤボヤしていると馬車を呼んで蹴り入れるぞ!」
「あ、待ってくれよ、おい!」
ボヤボヤしてたら置いてくぞ、じゃないんだな。
俺はまた妙なニヤニヤを漏らしてしまいながら、いちいち可愛い発言を繰り返す幼馴染みの背を追いかける。
俺がインキュバスになって、胸を張ってこいつの恋人になれる日が来たとき。
その時は必ず言ってやろう。
実はとっくにお前の気持ちに気付いてたって。
そのずっと前から、俺はお前のことが好きだったんだって。
そう決心しながら、俺は足早に歩く幼馴染みに追いついて。
それからゆっくりと、その隣を歩き始めた。
◇
今日という今日こそ、僕は。
この部屋を抜け出して、真人間の第一歩を踏み出すのだ。
今まさに僕を抱き枕にして眠っている、この悪魔の腕から脱出するのだ。
毎日セックス、セックス……セックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスという生活から開放されるのだ。
その固い決意を胸にして、僕は自分の身体に取り付く魔の腕を慎重に、慎重に取り外していく。
カーテンからは眩い朝陽の光が見え、外からは小鳥のさえずりが聞こえてきている。
待っててね、太陽さん、小鳥さん。もうすぐ僕もそっちに行くから。
声には出せないので心の中で呼びかける。
そっと、そ〜っと、悪魔が起きないように、起きないように。よっし、腕から抜け出ることに成功。
次は、あまり物音を立てないように、抜き足、差し足、忍び足……細心の注意を払ってベッドから降り、部屋の扉に向かって行く。
一昨日はここで悪魔が目を覚まし、無念にも捕まってしまった。昨日はドアノブを掴んだところでバレた。
しかし今日は大丈夫だ。取っ手を手にしながら振り返ってみても、悪魔は規則正しい寝息を立てていて、全く起きる気配がない。
この扉を抜ければ、爛れた生活とはほど遠い、新鮮な朝の空気が吸える……!
逸る気持ちを抑えつつ、僕は最後の難関であるドアノブを捻った。
やった、成功だ! 歓喜の笑みを浮かべて、僕は扉をくぐり抜け――
――あれ?
扉の先では、悪魔がベッドで眠りこけていた。
振り返る。悪魔がベッドで眠りこけている。
前を向く。悪魔がベッドで眠りこけている。
ドアの内側も外側も、まったく同じ光景。ど……どういうこと?
すると、悪魔のすぅすぅという寝息が、クスクスという忍び笑いへと変わっていった。
はっとして見れば、悪魔は既に眠りから覚めており、目が合った僕にウインクを投げてくる。
や、やられた……! 僕は最初から彼女の手のひらの上で踊らされていたのか……!
「ダメよ、勝手に外に行こうなんて。ほら……“戻ってらっしゃい”」
彼女からの命令の言葉。それは魔力による契約の呪文。
恨めしいことに、脚は勝手にベッドの方へと歩み寄っていく。
「うふふ、つかまえたぁ……さぁ、また眠りましょう……?」
今日も失敗した……観念して、再び抱き枕にされるべく彼女の腕の中へ戻りこむ。
僕は柔らかく温かい体温を感じながら、明日はどうすれば脱出できるかな、と遠い目をして悩み始めるのだった。
◇
「お兄ちゃん……」
呟くように俺を呼んだ唇が、ゆっくりと俺の唇に重ねられる。
アリスが俺にキスをした。
それ自体は別に、珍しいことでも何でもなかった。
いってらっしゃいのキス。おかえりのキス。それから、おやすみのキス。
小さな女の子らしい無邪気さで、アリスは何度だって俺とキスをしてきたのだから。
けれど今のキスは、今までのキスとは全く違った。
今のは『妹』としてのキスじゃない。『家族』としての、親愛の情を表すものじゃない。
自分が『女』であることを示すキス。俺という『男』に対して、『異性』としての愛情を表すためのキス。
その意味が、確かに含まれていた。
「お兄ちゃん……」
厚い雲で隠されていた月明かりが、窓からゆっくりと差し込んで、アリスのシルエットを照らし出す。
馬乗りの体勢になったアリスの息は荒く、その小さな胸は忙しなく上下している。
俺を見下ろす碧眼は興奮に潤んでいた。しっとりと濡れた金髪を頬に張り付かせていることも相まって、幼い少女とは到底思えない妖艶さを醸し出す。
アリスは、欲情していた。
アリス。
俺のアリス。
愛しいアリス。
俺の大切なアリス。
アリス。俺の宝物。俺の人生。俺の全て。
「お兄ちゃん……アリスね、お兄ちゃんがほしいの……」
そのアリスが。俺の全てが、俺のことを求めている。
だったら俺の方も。
俺の全てを、求めても良いんじゃないか。
俺は両手を伸ばし、華奢なアリスの身体を引き寄せる。
相手はまだ少女だとか、年が離れすぎてるだとか、そもそも家族だとか、そんな考えは全部吹き飛んでいた。
全てが、欲しかった。
◇
よめあつめ攻略FAQ
Q. どんなゲームなの?
A. ゴハンとグッズを用意しておき、自分の家にやって来る魔物娘たちをお嫁さんにする。
基本的にそんなゲームです。好きな魔物娘とキャッキャウフフ、しっぽりお楽しみください。
Q. 何をすれば良いの?
A. 特に目的意識がなければ、まずはチュートリアルで貰ったお星さまを使ってゴハンやグッズを買いましょう。
それをお家に置いておけば自然と魔物娘たちが集まってきます。
後は彼女達と仲良くなってお嫁さんになってもらいましょう。
Q. お嫁さんって一人だけ?
A. お嫁さんになってくれる魔物娘にもよりますが、普通に進めても5〜6人ぐらいまでならハーレムを作れます。
ただし『○○さんと△△ちゃんと××ちゃんでハーレムを作りたい!』といったように思い通りのハーレムを作ろうと思った場合は難易度が劇的に上昇します。
Q. ゴハンとかグッズって何を用意すれば良い?
A. 基本的に自由ですが、無料の“ミルク”をゴハンにすると効果が高いのでお勧めです。
お嫁さんになってほしい魔物娘が決まっている場合は、その娘たちが喜ぶゴハンやグッズを用意するようにしましょう。
Q. どうしてデフォルト設定のゴハンが“ミルク”なの?
A. 自家発電でこさえられるからです。
Q. ……それってつまり、精s――
A. 言ってはいけません。効果が高すぎてお相手を選びにくいのがタマにキズですね。
Q. お星さまはどうやって貯めるの?
A. お友達が毎日くれるので、それを貯めましょう。
ときどき彼は大きなお星さまもくれます。素敵なお友達ですね。
Q. え、このお友達って男なの? 女の子じゃなくて?
A. 女の子に見えますが男の子です。カワイイけど男の子です。
Q. 何をしたら魔物娘はお嫁さんになってくれるの?
A. まだお嫁さんが一人もいない場合、ほとんどの魔物娘は最初にやって来た時に高確率でお嫁さんになってくれます。
二人目からは何度もお家に来てもらう必要があり、人数が増えるごとに回数は増えていきます。
Q. 魔物娘からの求婚って断れないの?
A. 断れません。断ろうと思うのが間違いです。
素直に彼女達との素晴らしい新婚生活を楽しみましょう。
また、魔物娘によっては貴方をお持ち帰りし、強制的にお引っ越しすることになります。
Q. お目当ての魔物娘と結婚したかったらどうするの?
A. 上記のように、必ず彼女達が喜ぶゴハンとグッズを用意しましょう。
場所によって会える魔物娘も変わるため、相手によっては引っ越しをすることも必須です。
ここまで準備したら後は運です。運命の赤い糸が愛しい彼女と繋がっていることを期待しましょう。
種族によっては特定の条件をクリアしないとお嫁さんにできない魔物娘たちもいます。
Q. アリスちゃんに会いたいんだけど、どうしたら来てくれる?
A. ゴハンには“ケーキ”を、グッズは“お人形”を用意しましょう。
不思議の国に引っ越しをすると、街よりも若干会いやすいようです。
Q. アリスちゃんに用意した人形が勝手に動いてるんだけど。
A. お人形に混じっているリビングドールちゃんを買えることがあります。
一緒にお嫁さんになってもらいましょう。
Q. 白蛇さんが他の魔物娘をみんな追い払っちゃうんだけど……
A. 白蛇さんは嫉妬深いので仕方ないですね。可愛いヤキモチだと思いましょう。
Q. あの……白蛇さん、友達まで追い払っちゃったんだけど……
A. 白蛇さんは勘が鋭いので彼も追い払ってしまいます。
Q. お星さま貰えなくなっちゃった……
A. お星さまが無くても生活はできます。
白蛇さんさえいれば何もいらないはずです。そう思いましょう。
◇
おや。ハンターさん、今日もこの森でお仕事ですか?
若いのに仕事熱心な人ですねぇ。
そんなハンターさんに、ボクからとってもイイコトを教えてあげましょう。
この入り口を真っ直ぐ行って、それから三つある小道を右に入って。
それから四つの道の、左から二番目の方を進んでいくと広場があります。
さっきそこに、獲物になりそうな動物がたくさん集まっていたんです。
そこに行けばきっと、今日のお仕事も楽にこなせちゃうんだろうなぁ。
おやおや、そんな疑わしい目でボクを見ないでくださいよぉ。
それはボクも、ハンターさんをからかってばかりですけど?
だけどこれでも、森の情報通を自負してるんです。
たまには本当のことを言ってるって思ってくれても良いじゃないですか?
……信じてくれるんですか? ハンターさんってやっぱりお人好しですねぇ。
ではでは、お仕事がんばってくださいね。ハンターさん。
おやおや。また会いましたね、ハンターさん。お仕事はいかがでしたか?
見れば分かるだろうって? ああ、確かに獲物は抱えていませんものね。
おかしいなぁ。ボクが見に行ったときには動物達がみんなで集会をしてたんだけどなぁ。
怒らないでくださいよぉ。またちょっと悪戯しただけですってばぁ。
ご、ごめんなさぁぃ……。
…………。
ボクが言うのもなんですけど、これで許しちゃうからハンターさんは“ちょろい”んですよ?
さて……お詫びじゃないですけど、今度はボクも本当のことを教えましょう。
さっきの道を戻って、一番右端の小道を行ってください。
そうしたら後は、その道をまっすぐ進むだけでいいんです。
きっとおいしいゴハンが待ってますよ。
え? そんな道入ったこともないし、獲物が向こうに行くところを見たこともないですって?
まぁまぁ、また騙されたと思って……もらっては困りますね。これは本当に本当のことなんですから。
じゃあボクは準備があるので、この辺で。お先に失礼しますね。
……ちゃんと来てくださいね、ハンターさん?
やぁやぁハンターさん、いらっしゃい――って、あら。おかんむり。
小屋があるだけじゃないかって……ボク、嘘は言ってませんよ?
ボクが言ったのは「おいしいゴハンが待ってる」であって、「そこに獲物がいる」とは一言も言ってません。
……あらあら、ますますおかんむり。
だから、おいしいゴハンが待ってるのは本当ですって!
さぁさぁ、早く中に入ってくださいよ、ハンターさん! ゴハンが冷めちゃいます!
じゃーん、どうですか! お腹を空かせたハンターさんの目の前、なんとご馳走の数々が!
え? はい、用意したのはボクですけど?
あ、目が険しくなった。そんな表情されたらボクだって傷ついちゃいますよ……うぅ、しくしく。
ま、そんな些細なことは置いておいておきましょう!
ささ、席に座ってくださいな。腕によりをかけて作ったんですから。
……いつもボクに構ってくれるハンターさんへの、ちょっとしたお礼です。
だから遠慮しないで、たくさん食べてください。
えへへ……良かったです、喜んでくださったみたいで。
あぁでも気をつけないとなぁ。
おいしい料理の中にも一つだけ激辛料理が混じってるからなぁ。
クスクス……さぁ、お口の中の家事を回避したければ、ボクから情報を引き出さなくてはいけませんね?
……えへへ。えへへっ。
ハンターさんなら、そう言ってくれると思ってました。
それじゃあ、ボクの気持ちを込めた料理……楽しんでくださいね、ハンターさん?
◇
「う〜ん、困ったなぁ……お姉ちゃん困っちゃったなぁ……」
「お姉ちゃん、ず〜っと弟くんが好きなんだけど……未だに弟くんとは結ばれず。くすん」
「弟くんの好みをそれとなく聞いたら『女子力の高い人が好み』って言ってたけど……」
「……女子力って、何だろ?」
「弟くんに振り向いてもらうため、料理とか洗濯とか裁縫とか、家事は万能にしたんだけどなぁ」
「気配りだって利くつもりだし、いつもニコニコ笑顔でいるし」
「それと身だしなみだっていつも気を使ってるんだけど……」
「……力って言ってるから、多分そんな女の子らしいものじゃなくて、もっとパワフルな意味なんだよね」
「うぅ……私、重いものとかは全然持てないよぉ……きっと女子力ないんだぁ……」
「こ、このままじゃお姉ちゃん……弟くんに嫌われちゃう!?」
「はわわっ! ダメ、ダメだよ! 女子力を鍛えて、弟くんのハートを今度こそキャッチしないと!」
「そうと決まれば、さっそく女子力の修行! お姉ちゃん、弟子入りしてきます!」
「う〜ん、女子力の高そうな人たちって誰かなぁ……あっ、そうだ!」
「 ア マ ゾ ネ ス さ ん に 頼 も う っ !」
◇
辛いの?
苦しいの?
涙が出るの?
そうだね……辛いよね。
自分が心を込めて書いた作品だもんね。
それが思ったように、評価されなくて。
何も言われることがなくて。
だから、どうして良いか分からなくって……辛いよね。
もっと良い作品にしてあげたかったんだよね。
それでも、どうしたら良いか。どんなものを書けば良いのか、分からないのね。
大丈夫だよ。
悩んでるのなら、悩んでても良いんだよ。
涙が出るなら、泣いても良いんだよ。
書くのが怖かったり、嫌になりそうな時があるよね。
人と比べて、自分はなんて駄目なんだろうって、そう思える時があるよね。
でも、大丈夫。私は傍にいるんだから。
どんな時だって、私は傍にいるんだから。
諦めないで、また書こう?
楽しかった時を思い出して。
そうやって笑顔で書いて。
また皆に見てもらって、皆で喜べるように。
ゆっくりでも良いよ。どんなペースでも良いんだよ。
私は傍にいるから。
いつでも、いつまでも、傍にいて、あなたのことを見てる。
あなたの書く宝物を、私は楽しみにしてる。
そうやって、あなたの書く宝物を、楽しみに待ってる人もいる。
ちょっとずつでも良いから。
また、書こう? 二人で、また。
どんなことがあっても。
私たち、二人で。
創作の妖精は、どんなことがあっても。
あなたの傍にいるんだから。
◇
Humpty Eggs had a great fall,
Humpty Eggs caught you within call.
More than anyone else in Wonderland
You Humpty is madly in love with.
ハンプティ・エッグが落ちてきた
ハンプティ・エッグがきみをみた
もう世界中のどんな人たちよりも
ハンプティはきみに首ったけなんだ
◇
『私、死ぬのは怖くないわ』
彼女は言った。
『それよりも、貴方に忘れられること……貴方を忘れてしまうことの方が怖いの』
そう、儚い笑顔を浮かべていた。
その翌日、彼女は病院の屋上から身を投げて、死んだ。
彼女は不治の病だった。
病魔が進行するにつれて、記憶がどんどん零れ落ちていく病。
最後は周囲の何もかもが分からなくなり、脳が壊されて、そして死ぬ。
段々と記憶の空白が増えていく日々は、彼女にとって耐え難い恐怖だったらしい。
僕の前ではあどけない笑顔を浮かべていたが、その裏で彼女は酷く怯えていたと、残された日記に書いてあった。
『もし神様がいたら、どうかお願いします。大好きなあの人のことだけは、私から奪っていかないでください』
その記述は、僕が零した涙の粒のせいで、もう読めるものじゃなくなってしまった。
彼女が選んだ道。それは、僕が彼女から奪われる前に、自ら命を絶つというものだったのだから。
彼女が死んでから、僕は彼女のことを忘れられなかった。
常に彼女のことが頭から離れなくなり、彼女の言葉が幻聴のように聞こえるようになった。
幻聴のように、ではない。幻聴に決まっている。
それでも、僕は構わなかった。
彼女は常に僕に語りかけてくる。
彼女は常に僕の傍にいて、僕との甘い日々を空想し、囁いてくる。
目を閉じれば僕もその空想の世界で、彼女と幸せな時を過ごすことができる。
まるで本当に、彼女がそこにいるように、ハッキリと。
狂ってるに決まっている。だけど、構わない。
たとえ気が触れようが、彼女が僕の中から消えてしまうことに比べれば、遥かに些細なことだった。
『私のこと、考えてくれてるのね? ふふっ、嬉しいな……』
ここのところ、抱きしめた感触がこの手に残るぐらいには、彼女の存在が現実味を帯びてきた。
僕の方の病気も随分と進んでしまっているらしいが、むしろ望むところだ。
そうだ……彼女はもう、僕を忘れることはない。
僕も彼女のことが忘れられない。
忘れられるもんか。
もう誰にだって、奪わせやしない。
彼女のことを。彼女の記憶を。彼女との日々を。
『明日は、二人でどんなところに行こっか?』
願わくば、永遠に彼女が僕の傍にいることを。
彼女が僕を忘れることのないように。
僕が彼女を忘れることのないように。
彼女の望みがこれからも叶えられるように。
そう、僕は願っている。
◇
「うー?」
「あはは。待ってて、もうすぐ着くから」
「うー」
彼女は小首を傾げたまま、ちょっと頼りない足取りで、俺に手を引かれている。
ゾンビである彼女との散歩も慣れたものだけど、これから連れて行くのはとっておき中のとっておきだった。
彼女に喜んでもらいたくて、何度も探して歩いて。そして見つけた、特別な場所。
ほんの少しだけ逸る気持ちを抑えて、春のうららかな青空の下を二人で歩いていく。
この道の角を曲がれば、もう見えてくるはずだ。
「どう、キレイでしょ?」
風が優しく吹き込むと、俺たちの前でふっと、ピンク色の花びらが踊った。
目の前に現れたのは、鮮やかに咲き乱れる桜の木々。
陽光にきらめく小川にそって立つ桜は、枝の先という先までいっぱいに花をつけて、俺たちを迎えてくれていた。
「うー……!」
彼女の瞳が輝いた。
目を大きく見開いて、生き生きと。
まるで彼女が、自分がゾンビだって忘れてしまったみたいに。
「うー! うー!」
どんどん、どんどん、彼女が足早になっていく。
苦笑する俺を追い抜いて、今度は急かすみたいに、彼女が俺の手を引く番に変わる。
そして俺の手をはなして、駆け足になって。
「うー!」
彼女が淡い彩りのドームに飛び込んだ。
木の下に立って、口をぽかんと開けて、満開の花々を見上げたり。
次は根元をぐるぐる回ってみて、見えてくる光景の違いに目を丸くしたり。
それから川辺の方に向かって、さらさらと流れていく桜の花びらを一生懸命おっかけてみたり。
結局それには追いつけず、しょんぼりとした顔で花びらを見送っていったり。
だけど今度は頬をほころばせて、桜の花びらを一枚一枚、丁寧に拾い上げていったり。
彼女は本当に無邪気に、心の底から桜を楽しんでくれているようだった。
「うー、うー」
「ん? どうしたの?」
そんな様子を微笑ましく見守っていると、彼女が嬉しそうにこっちに寄ってきた。
その手の中には、彼女が集めてきたらしい、小さな花びらの山。
「……くれるの?」
「うー!」
すっと差し出される、彼女からの薄桃色をしたプレゼント。
出会った頃から何一つ変わらない、彼女の優しさ。
ずっとずっと大好きな……彼女の笑顔。
それに対して、俺は――
「――ッ!」
「うー?」
込み上げてくる愛おしさに耐えられず、彼女の身体を抱きしめていた。
彼女の手にあった花びらが、ぶわっと宙に放り出される。
それがひらひら、ひらひらと、二人のことを祝福するように舞い散っていった。
「せっかくのプレゼント……台無しにして、ごめん」
「うぅーうぅー」
いいよ、と言ってくれているらしい。彼女も俺をぎゅっと抱きしめ返してくれる。
いじらしい返事にまたこみ上げるものを感じて、ますますきつく彼女の身体を抱きしめる。
「大好きだ。今までも、これからも、ずっと……」
「うー……」
満開の桜の下で、こっちに伝わってくる彼女の感触は。
いつもよりほんの少し温かいと、そんな気がした。
………………
…………
……
「うー、うー」
「あ、お団子食べたいの? わ、分かったから、ほらっ。よだれ垂れてるってっ」
「うー♪」
◇
あなたを見つめてみたい。
あなたを見つめていたい。
あなたに見つめられたい。
あなたと見つめ合っていたい。
あなたがこの視線に晒されたなら。
きっとあなたは私に夢中になる。
私がこの視線に晒されたなら。
きっとあなたに夢中になる。
あなたが好きって私の本音。
それを仮面は覆い隠す。
あなたへ向ける熱い視線。
それも仮面は覆い隠す。
ねえ。
胸が苦しいよ。
あなたを見つめてみたい。
あなたを見つめていたい。
あなたに見つめられたい。
あなたと見つめ合っていたい。
◇
プロポーズとは、カップルにとって一世一代の大イベントである。
相思相愛の男女が将来を誓い合う瞬間――それを素敵に飾りたいと思うのは、男女問わず当然なんじゃないだろうか。
そして、その瞬間を失敗させるわけにいかないと思うのも必然だと、僕は考えるわけである。
というわけで、実際に彼女に聞いてみることにした。
「君はどんなプロポーズが良い?」
「……それ、相手に聞くもの?」
呆れたような半眼でこちらをじっと見つめてきた。
流石はゲイザーだけあってすごく絵になってるな、なんて関心してると、彼女が深いため息をつく。
「キミってホント無頓着だよね、そういうの」
「あ、ため息吐いてるところ可愛い」
「なっ……! ほら、すぐそうやって変なこと言う……!」
ぷいと頬を赤らめてそっぽを向く彼女。
そういう仕草がいちいち可愛くて仕方ないのだけれど、言うとまた恥ずかしがるから、口に出さないでおこう。
……あんまりやりすぎると暗示でこっちに反撃してくるしね。
「でさ、プロポーズなんだけど」
「え、本気で言ってるの?」
「本気も本気」
そう僕が答えると、彼女は再び深いため息をついた。
それから小さく「プロポーズかぁ」と呟くと、唇に指を当て、天上に目を向けて。
しばらくそうした後に、ポツリ。
「……普通が良いかなぁ」
と、彼女が言った。
「普通?」
僕が聞き返すと、彼女は小さくうなずく。
「それは確かに、ロマンチックなシチュエーションに憧れたりもするけど……」
「けど?」
「キミとなら、違うんだ」
隣に座っていた彼女が、倒れ込むようにこっちに寄りかかってきて、目を閉じた。
「いつもと変わらずに言ってほしいの。結婚してって、当たり前みたいに。アタシと一緒にいるって……それが何でもないって風に」
いつもと変わらずに、当たり前みたいに。
それが、何でもないって風に。
もたれかかる彼女の体重を心地よく感じながら、彼女の言葉を反芻する。
ああもう、どうして彼女はそんなことを言うんだろうか。
僕の胸が痛いぐらいに高鳴ってしまっている。
ほんのちょっぴり、目頭も熱くなってしまったり。
彼女のことが大好きで。
愛おしくて。
彼女の愛に応えたくて。
こんなんじゃ普通な様子でプロポーズなんて、できっこないって。
「……聞いておいて、なんなんだけどさ」
「なぁに?」
「難しいよ、それ。君が好き過ぎて、今心臓バクッバクしてるもん」
それだけ言って、僕の方も目を閉じて彼女に寄り添った。
「じゃあ、プロポーズはまた今度だね」
「言えたらオッケーしてくれる?」
「しないなんて思うの?」
「ううん……ありがとう」
ドクンドクンと、熱い鼓動。
それから、トクントクンと、温かな鼓動。
僕らは二つのハートの音を聞きながら。
いつの間にか寝てしまうまで、静かに寄り添い合っていた。
◇
「どうしてわたしのSSって数が少ないのかなぁ……」
うっ、と僕は答えに詰まってしまう。
ちょっぴり哀しげな顔をして呟く目の前の女の子。種族は、マタンゴ。
大きな傘を帽子のようにして、体中からポコポコきのこを生やしている様子は、ファンシーで可愛らしいと言えばそうなのだけれど。
「わたしって、魅力ない……?」
「いや、そんなことは絶対にないよ! 可愛い、マタンゴちゃん可愛い!」
そう、可愛い。愛らしい。
このSSを読んでいるみんなも想像してほしい。
例えばロリボディのマタンゴちゃんが、自分の傘を両手で被るようにして「えへへ♪」と満面の笑みを浮かべている光景を。
ほら、萌えるでしょう。心に触れるものがあるでしょう。
どんな魔物娘だって、その存在は愛おしくかけがえのないものだ。
マタンゴちゃんだって例外ではない。
……の、だけれど。
「それじゃあ、どうしてSSは少ないのかなぁ……」
再び、うっ、と答えに詰まる僕。
言えない。
正直に「扱い辛いです」なんて言えない。
だって君たちって無差別に胞子を撒き散らしてバイオハザードしちゃうんだもん。
女の子がマタンゴ化するだけでなくて、男の子の方も「きのこ人間」になっちゃうし。
そのせいで物語の背景が非常に限定されちゃうんだよ。
例えば『マタンゴちゃんの胞子に誘われた男性がフラフラと深い山里に向かい、そこで出会ったマタンゴちゃんとラブラブえっち!』みたいなね。
魔物娘図鑑らしい王道SSと言えば聞こえが良いけど、厳しく言っちゃうと型に嵌ったSS。
これぐらいしか底辺SS作家の自分には作れそうもないです、はい。
……言えない。言ったらハートブレイクしそうだから。
「わたしも学校で、男の子と甘酸っぱい青春とかしてみたいっ!」
「ぶっ……!」
どうやってさ、という言葉はなんとか飲み込んだ。
いや、魔物娘には向き不向きなシチュエーションがありましてね?
学校という閉鎖空間に君たちをポンと投入しちゃうと、大惨事にしかならないんじゃないかと。
ギャグなら許されるけど、真面目なSSとなるとちょっと……。
ていうか君たち、動けないじゃん。根を張っちゃってるじゃん。
そして君たちの青春相手はもれなく「きのこ人間」になる運命なわけで……。
アカン。まともなSSにできる未来が見えへん。
「ねえ、どうにかしてわたしの青春ぐらふぃてぃーなSS書けないかな……?」
「え゛? いや、その……」
僕の腕を取って上目遣いで見上げてくるマタンゴちゃん。
そのお目々ウルウルと柔らかむにゅむにゅな感触に僕は絆されてしまい。
「が、がんばってみるね?」
「わぁ、ありがとう!」
ヘタレた返事をしてしまった。
嬉しそうにバフッバフッと胞子を吹き出す彼女。
ばれないように、こっそりため息をつく僕。
とりあえず、みんなから意見を募って、どうにかして考えてみようか。
お題は『いかにして現代舞台でマタンゴちゃんの青春SSを書くか』だ。
……文字にしただけで無理そうな雰囲気がヤヴァイんですけど。
自分もきのこ人間にならないよう、全身防護服とガスマスク姿のまま、僕は頭を抱えていた。
こんな無理難題を考えてくれる書き手仲間がいてくれることを、切に願いながら。
◇
学校に来てみたい。
それが彼女の、たっての望みだった。
「わぁ……教室って、こんな風なんだぁ」
教室を見回すと、彼女は感嘆の声を上げた。
自分では動けない、きのこな少女である、マタンゴの彼女。
胞子を撒き散らし、周囲の女性を同じマタンゴに変えてしまう。
男性の場合は、彼女たちのことで頭がいっぱいな、きのこ人間だ。
かく言う僕も、そのうちきっと頭からきのこが生えてくるに違いない。
「ほら、机と椅子も残ってるよ。座ってみる?」
「うん! ありがとう!」
そんな彼女の望みを叶えるべく、僕が選んだ方法がこれだった。
彼女を背負って、山を二人で一緒に降りて、車椅子に乗せて。
もう廃校になった学校にこっそりと忍び込み。
そうして始める、二人だけの秘密の授業。
「こら、そこの君。授業中にキョロキョロしちゃいけないぞ」
「きゃっ! せんせー、すみませんー!」
教卓から先生の振りをして注意をすると、彼女は生徒の振りをしてケラケラと笑う。
「あー、いけないんだぁ。授業中に余所見してたら駄目だぞぉ?」
「そっちこそ。僕と話なんてしてるじゃないか」
同級生のように、二人でお揃いの机に座ってみて、二人で吹き出して。
「さて、日本のシイタケの人工栽培の開祖となる人物の名前は?」
「……先生、分かりません」
今度は彼女を先生にして、僕が生徒役になって、苦笑い。
たった二人の小さな学校生活だけど、彼女はとても喜んでくれているようだった。
「あー、楽しかったなぁ」
学校を一巡りした後、彼女はそう言って天井を仰いだ。
それから僕の方を見て、ニッコリと笑顔を作ると。
「ねぇ! いつかわたしたちで、学校を作ろうよ!」
そう明るい声を上げた。
「え、どうやって?」
僕が思わず聞き返しても、彼女の笑顔はいっそう増すばかりだ。
「えっとねぇ……キミとたくさん、たーくさん子どもを作ってね? 二人でその子たちの先生になるの!」
「僕と君で?」
「そう、山の中での青空教室! すごい名案でしょ?」
彼女の語る、未来のこと。
その先に映るのは、子どもたちと僕らでの、家族で作る小さな学校。
子どもたちを切り株の机の前に座らせて、木の間に下げた黒板に、先生となった彼女と僕。
童話か何かみたいな、そんな学び舎。
それはおそらく、酷く単純で、ちっぽけなものになるんだろう。
「その頃には僕、立派なきのこ人間だよ? 先生なんて務まるかな?」
「大丈夫だよ! きっと素敵な学校になるに決まってるよ!」
だけど、僕の脳裏に浮かぶその光景は。
そこにいるみんなの笑顔があふれている、素敵なものだった。
「……うん、そうだね。君となら、きっと」
「そうだよ! えっとね、みんなで歌をうたったり、算数を勉強したり――」
教室の外、裏手の山の緑を窓から見つめながら、彼女は夢を語り続けている。
それを傍らで聞きながら、僕も同じようにその景色を眺める。
僕らの帰る場所は、柔らかく温かな光に包まれて、どこまでもキラキラと輝いて見えた。
◇
SS作者にとって、題材にする魔物娘の選択にはもちろん好みがある。
サキュバスやドラゴン、ヴァンパイアに稲荷などは人気種族の筆頭だ。
彼女たちは元の存在からメジャーであるためとっつきやすく、設定部分でも話が作りやすい。
そういうところでマイナー系の魔物娘たちとは投稿SS数に差が出るのは、まあ仕方ないことなんだろう。
だけど僕は、ちょっぴり可哀想にも思ってしまうのだ。
もし彼女たちが自分の種族のSS数が少ないのを見たら、やっぱり少し寂しいんじゃないかと。
「……あの、わたし……その……」
でもね。
だからといってね、ワーバットちゃん。
僕なんかのところにお悩み相談に来られても困っちゃうんだけど。
「あっ、うぅ……あの……」
目の前のワーバットちゃんは、翼で頭を抱えたままプルプル震えてしまっている。
というのも、彼女たちは光にとても弱く、明るい場所ではこうして何もできなくなってしまうのである。
かろうじて用件は聞き出せたけれど、このままだと会話が中々前に進まない。
かくなるうえは……えい、豆電球にスイッチだ。
「――私のSSを書いてほしいんだけど、できるわよね?」
部屋の照明が薄明かりになった途端、彼女は先程おどおどしていたのが嘘のように口調が変わった。
次第に薄暗い中に目が慣れていくと、彼女の目隠れフェイスにはニヤニヤと嫌らしい笑み。
暗闇の中での彼女たちは意地が悪い。その表情にははっきりと『僕が困っているのが面白いです』と書いてある。
「あのさ、どうして僕なの?」
「だってあなた、前にマタンゴの頼みを聞いてたじゃない」
「いや、あれは、だけど……」
確かに前にマタンゴちゃんから青春ぐらふぃてぃーなSSを頼まれたけれど、結局あれも別の人たちがちゃんとしたものを書いてくれたわけで。
僕も一応はSS書いてみたけど、正直最初は書くつもりはなかったっていうか、そういうわけでして。
「ワーバットSS、最後に投稿されたのがもう5年前なのよ?」
「それはそうだけどさ……」
「同じような状況だったのに、マタンゴだけSS書いてもらうなんて! 不公平よ、不公平!」
「あーうー、それを言われると……」
「私にも青春をちょうだい! みんなが羨むようなスクールラブライフを!」
「え゛? またそっち方面なの?」
キーキーと甲高い声で不満を述べるワーバットちゃんと、思わず変な声が出た僕。
まあでも、前回のマタンゴちゃんに比べれば、彼女たちの青春SSはなんとかなりそうではある……けれど。
ここで彼女の頼みを聞けばどうなるか。おそらく続々と「私も青春したい!」という魔物娘たちが押しかけてくるはずだ。
次はシー・スライムちゃんかバブルスライムちゃんか。そのまた次にはおおなめくじちゃん辺りだろう。
……どうしてこうも学園生活と縁が遠そうな子たちばっかりなんだろうか。
「ほらぁ、もし頼みを聞いてくれたなら――」
僕が返事をためらっていると、ワーバットちゃんは艶かしい声で囁きながら、こっちに身を乗り出してくる。
そして、僕の頬にちゅっと口付けると。
「――とっても良いこと、してあげちゃおっかな?」
「〜〜〜〜っ!?」
かなり衝撃的な台詞が飛び出てきた。
キスされた箇所を中心に、かあっと僕の顔に熱が集中してしまう。
「分かったから、書くから! 書くから離れて! お願い!」
「顔真っ赤にしちゃって、かわいいんだからー♪」
「あうぅ……」
「あ、お友達にも書いてもらえると嬉しいんだけどなー」
「はぁい、分かりましたぁ……」
これで僕もSSを書かないわけにはいかなくなってしまった。
おまけに他の人の分まで頼まれてしまって……他の人たちはこんな事情で書いてくれるのだろうか。
仕方ないから、頼もう。また1レスSSスレの人たちに協力してもらおう。
まあお題は『ワーバットちゃんで学校舞台のSS』なら……集まるのか、不安だ。
僕はがっくりとうなだれたまま、部屋の照明の紐に手を伸ばす。
上機嫌で翼をはためかせていたワーバットちゃんは、明かりがつくと「ひゃんっ」と可愛らしい声をあげて、またプルプル震え始めるのだった。
◇
ああ、もう。
お日様がずっと沈んでいれば良いのに。
そうすれば私は、先輩のことを……。
「どうかした?」
「あ、いえ……なんでも、ないです」
ワーバットである私は光がすごく苦手だ。
もし街を照らす夕日を、この日傘が遮ってくれなければ。
私はこの場で一歩も動けなくなってしまうだろう。
今は学校からの帰り道。
駅までの10分ほどの距離が、今日最後に先輩と一緒にいられる時間。
この時間が幸せで、それでいて、とても歯がゆくて。
「それなら良いけど、気分が悪くなったらすぐに言ってよ?」
「はい……ありがとうございます」
先輩。
大好きな先輩。
日光に当てられて、倒れてしまった私を助けてくれた、素敵な先輩。
普段はおどおどして何も出来ない私に、こんなにも優しくしてくれている先輩。
この想いを伝えたいけれど、光の中ではそんなことはできなくて。
でも先輩と一緒に過ごせるのは、日が昇っている間だけ。
だから私は、今も臆病なまま。
二人の関係はただの先輩と後輩というもの。
その先の一歩を、私は踏み出せないまま。
「それじゃ、また明日ね」
「はい、先輩……また、明日……」
駅に着くと、バイバイと手を振って、先輩は雑踏へと消えていく。
もう少し。あともう少しだけ、先輩が私と一緒にいてくれれば。
先輩に本当の私を見せてあげられるのだけれど。
待ってという言葉が私にはかけられない。
光の中では、私は臆病なのだから。
ああ、もう。
お日様がずっと沈んでいれば良いのに。
そうすれば私は、先輩のことを。
好きにしてしまえるのに。
きっと私のことを。
好きにしてしまえるのに。
◇
妬ましいの。
貴方が妬ましいの。
ああ、ああ。
妬ましくてたまらないわ。
妬ましいのよ。
何が妬ましいって、それよ。
貴方のその言葉よ。
『愛してる』って、その言葉よ。
どうして、どうしてなのよ。
貴方の『愛してる』は、こんなにも私の心を揺さぶるのに。
私からの『愛してる』は、ちっとも貴方の心に届かないんだわ。
同じ『愛してる』なのに何が違うっていうの?
ああ、妬ましい。妬ましくて妬ましくて気がおかしくなりそう。
ちゃんと届いてるって? そんなはずないわ。
私の『愛してる』が届いてるなら、貴方はそんなに落ち着いていられないはずよ。
だって私は、貴方に『愛してる』って言われると、それだけで気が遠くなりそうなの。
魂だけの私が、愛おしさで燃え尽きてしまいそうになるの。
胸が苦しくて、熱くて、もうどうにかなってしまいそうになって。
涙が溢れそうなほどに……貴方の言葉が嬉しくて。
貴方の『愛してる』は、こんなに厄介で、素敵だっていうのに。
私が『愛してる』って言っても、貴方はこうならないでしょう?
妬ましい、妬ましいの。
私の『愛してる』の、何がいけないの?
私の方が貴方を『愛してる』はずなのに。
ああ、妬ましい。貴方は本当にずるいわ。ずるくて、酷い人ね。
何か秘密があるんでしょう? 教えてちょうだい。
そんなの無い? 妬ましい、貴方ったら嘘を言うのね。
妬ましいわ。笑ってごまかそうなんて、そうはいかないわよ。
さあ教えなさい。貴方の『愛してる』に、どんな秘密があるの?
ほら、また『愛してる』だなんて言って。
私は一層、この心が愛で焦がれてしまうのに。
ああ、妬ましい。貴方が妬ましい。
何をニヤニヤ笑っているの? 早く白状した方が身のためよ。
まあ、貴方ったら。妬ましい、妬ましいわ。
私はこんなに悩んでいるのに、貴方は分かったような顔をして。
妬ましい、妬ましい。
ああ、ああ。
妬ましくてたまらないわ。
もう、貴方ってば。
妬ましくて、愛おしくて、変になりそうよ。
貴方ってば、もう。
まったく、妬ましいわ。
◇
犬 「何処いくの!? 散歩!? ねぇ! 散歩! 散歩いくの!?」
飼い主「仕事だよ」
犬 「本当!? 散歩じゃないの!? リード持たない!?」
飼い主「あぁ、仕事だからリード要らないよ」
犬 「そうかぁ! ボク犬だから! 犬だから仕事わかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬 「うん! でも仕事なんだ! そうなんだぁ! じゃあ着いてっていいんだよね!」
飼い主「違うよ。お留守番だよ」
犬 「そうかぁ! じゃあお留守番だね! 守ってよう!」
飼い主「うん、守ってようね」
犬 「あぁ! お仕事だからお留守番だね! ね、ご主人様!」
飼い主「うん、いい子で待ってていいよ」
犬 「あぁーご主人様とボクは今家を出てているよー! お散歩だよねぇー!」
飼い主「お留守番しててよ」
犬 「投げるの!? それ、投げるの!? ねぇ!ボール! ボール投げる!?」
飼い主「あぁ、投げるよ」
犬 「本当!? ボール投げるの!? 嘘じゃない!?」
飼い主「あぁ、ボール投げるから大丈夫だよ」
犬 「そうかぁ! ボク犬だから! 犬だから投げたふりとかわかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬 「うん! でもボール投げるんだ! そうなんだぁ! じゃあ取って来ていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。取っていいんだよ」
犬 「よかったぁ! じゃあ投げようね! ボール投げよう!」
飼い主「うん、投げようね」
犬 「あぁ! ボール投げるからボール取れるね! ね、ご主人様!」
飼い主「うん、ボール見てていいよ」
犬 「あぁーご主人様がボールを今投げているよー!」
犬 「ボールないよ! ボール!」
飼い主「投げたふりだよ」
犬 「渡るの!? これ、渡るの!? ねぇ! 信号! 信号渡る!?」
飼い主「あぁ、渡るよ」
犬 「本当!? 大丈夫なの!? 赤じゃない!?」
飼い主「あぁ、青だから大丈夫だよ」
犬 「そうかぁ! ボク犬だから! 犬だから色わかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬 「うん! でも青なんだ! そうなんだぁ! じゃあ渡っていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。渡っていいんだよ」
犬 「よかったぁ! じゃあ渡ろうね! 信号渡ろう!」
飼い主「うん、渡ろうね」
犬 「あぁ! 信号青だから信号渡れるね! ね、ご主人様!」
飼い主「うん、前見てていいよ」
犬 「あぁーご主人様とボクは今信号を渡っているよー! 気をつけようねぇー!」
犬 「眠るの!? 僕、眠るの!? ねぇ! 今! ここで眠る!?」
飼い主「あぁ、眠るよ」
犬 「本当!? 大丈夫なの!? ただ疲れただけじゃない!?」
飼い主「あぁ、15年も生きたから大丈夫だよ」
犬 「そうかぁ! ボク犬だから! 犬だから歳わかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬 「うん! でも15年も生きたんだ! そうなんだぁ! じゃあ眠っていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。いいんだよ」
犬 「よかったぁ! じゃあ眠ろうね! 穏やかに眠ろう!」
飼い主「うん、眠ろうね」
犬 「あぁ! 15歳だから大往生だね! ね、ご主人様!」
飼い主「うん、静かに眠っていいよ」
犬 「あぁーご主人様は今ぼろぼろ泣いているよー! 笑って見送って欲しいよー! 今までありがとねぇー!」
クー・シー「天国!? ここ、天国なの!? ねぇ! 天国! 本当に!?」
飼い主 「いや、違うよ」
クー・シー「本当!? 本当にご主人様なの!? 嘘じゃない!?」
飼い主 「あぁ、本当だから大丈夫だよ」
クー・シー「そうかぁ! ボク犬だから! 犬だからあの世とかわかんないから!」
飼い主 「違うよ、もう犬じゃないよ」
クー・シー「うん! でも天国じゃないんだ! そうなんだぁ! じゃあご主人様と離れなくていいんだよね!」
飼い主 「そうだよ。離れなくていいんだよ」
クー・シー「よかったぁ! じゃあ散歩いこうね! 一緒に歩こう!」
飼い主 「うん、歩こう」
クー・シー「あぁ! これからずっと一緒にいられるね! ね、ご主人様!」
飼い主 「うん、ずっと一緒だよ」
クー・シー「あぁーご主人様とボクはずっと一緒だよー! 幸せだねぇー!」
◇
子供が生まれたらクー・シーを飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、
子供の良き守り手となるでしよう。
子供が幼少期の時、
子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が少年期の時、
子供の良き理解者となるでしょう。
子供が青年になった時、
自らの体をもって子供に命の生まれる仕組みを教えるでしょう。
そして子供が父親になった時、
子供の最愛の妻として幸せな家庭を築いていることでしょう。
◇
「先輩。最後の詩、できました?」
「ううん……これは没みたい」
私は首を振って、たった今しがた書き付けていたものが彼の目にふれないように、ノートをパタンと閉じた。
さっき下校を促すチャイムが鳴ったところだから、そろそろ帰り支度をする頃合。
きっと夕日が遠い町並みに消えていき、窓から漏れる光が彼の横顔を照らしているんだろう。
それを直に見ることができないのは、やっぱりちょっと悔しくて、私は自分の仮面の端を爪で軽く引っかいた。
「キミは、どうだった?」
「俺もうまくいかなくて。ちょっと恥ずかしくて口には出せないです」
そう言って彼は頭を書いて苦笑を漏らす。
図書室での、二人だけの部活動。
私と彼は、文芸部の先輩と後輩という間柄。
今日の活動は詩を書いてみようというもので、できたものを二人で朗読して、感想を言い合うという、お遊びみたいなものだった。
「どんな詩だったの?」
「自分のことだったんですけど……なかなか、明け透けっていうか。先輩のは?」
「私も同じようなもので……人に見せられるようなものじゃないかな」
特に、キミにはね。
思っても口には出せないまま、机に広げていたノートや筆記用具をしまっていく。
彼のほうも、それ以上は何を言うでもなく、自分の荷物をまとめ始めている。
沈黙が心地良くて、だけど、もどかしくもある。
人付き合いが苦手な私にとって、唯一の繋がりと言える、彼と一緒にいる時間。
あの詩は、彼に対する私の気持ちを、思うままに綴ったものだ。
本当は彼のことを見つめてみたい。熱探知と魔力探知での仮初めのものでない、彼の本当の姿を見てみたかった。
そうして、彼を私のものにしてしまって――魔物娘としての本能と、私の陰気な欲望が、暗い炎になって私の胸にちろちろ燻っている。
けれど、臆病な私にはそれができない。むしろ、彼との関係が壊れないようにするほうが、ずっと大変なことだった。
あくまでも今の私は、彼にとって『良い先輩』でしかないのだから。
「それじゃ、先輩。出ましょうか」
「そうね。行きましょう」
私たちは司書さんに挨拶をして、昇降口に向かった。
今日、あと彼と一緒にいられるのは、ここから駅に到着するまでの間だけ。
それまでにどれぐらい、彼との仲を近づけられるんだろうか。
手を繋いで、抱きしめあって、キスをして――そんな恋人関係に、いつかなれるんだろうか。
駅までの道のりは、いつも短くてあっという間の、近いものに感じられるのに。
隣り合っているはずの彼との距離は。
どうしてだろう。
歯がゆくて、切なくて、手を伸ばしても届かない。
そんな遠いものに、感じられた。
◇
「やい、炬燵並びー。俺の横に入るのは止めろー狭いだろー」
「やぁですー、ウチはお兄様の隣じゃないとやぁですー」
「まったくお前はどうしようもない甘えん坊だなー」
「お兄様が甘やかしてくれるから良いんですー、うふふー」
「はぁー」
「はふー」
「あったけー」
「あったかいですー」
「尻尾がチリチリにならないようにだけ注意しろよー」
「はーい♪ それならお兄様がウチの尻尾を抱えててくださいー」
「仕方ないヤツめー。存分にもふってやるから覚悟せいー」
「やぁっ♪ お兄様ー、そんなに付け根をさわさわしちゃやぁですー♪」
「代わりに後でお兄様が特製きつねうどんを作ってやるからなー」
「お兄様ぁー♥ 愛してますぅ、お兄様ぁー♥」
「あー、ぬくぬくもふもふの幸せー」
「ぬくぬくさわさわの幸せー」
「へへー」
「うふふー」
◇
コーヒーを飲むとき、俺はいつもブラックで飲んでいる。
それは別に甘いものが嫌いだとか、ブラックで飲む方が格好良いと思ってるとか、そうではない。
単純にコーヒーを飲むのは気付けみたいな意味があって、わざわざ甘くすることもないかなと思っているだけだ。
だから、飲んでて苦いことは苦い。飲み込むときに少し渋い顔にはなるけど、ガマンして飲むってほどでもない。
俺にとってのコーヒーは、そういう嗜好の飲み物だ。
さて、そんなコーヒーなんだけれど。
どうやら彼女にとっては、すごく興味深い飲み物らしい。
「うー?」
「ああ、うん。これはコーヒーだよ」
真っ黒の飲み物が入ったカップと、それから俺の顔を交互に見比べてから、 彼女は不思議そうに小首を傾げた。
様子を見た限り、ゾンビである彼女は今までコーヒーを目にしたことがないようだ。
果たしてこれは飲めるのかな、といった感じで匂いをかいだり、熱いカップを指先で突っついたりもしている。
確かに彼女が俺の家に来てから、コーヒーを淹れるのは初めてだった気がする。
いつも飲んでいるのは缶コーヒーの方だったし、それも家でなくて他所で飲んでばかりだったし。
「うー、うー」
「え、飲みたいの?」
「でもコレ、すごく苦いけど……」
「うーっ、うーっ」
「わ、分かったよ」
こっちの腕を取ってねだる彼女に負けて、仕方なく俺は自分のコーヒーカップを渡した。
大丈夫かな、と思う俺の目の前で、彼女はニコニコとコーヒーに口をつけるけれど。
彼女のニコニコ顔は、みるみる内に渋い顔に変わっていき。
最後は口からだぁーっと零れ落ちていく、彼女には苦すぎたブラックコーヒー。
「ああ、だから言ったじゃないか」
「うー……」
「ほら、あーんして」
「うー?」
口周りを拭いてあげてから、俺は彼女にコーヒーシュガーを一杯差し出す。
本当はこういう使い方じゃないのだけれど、彼女の口直しにはぴったりだろう。
「今度は甘いから大丈夫。さ、あーん」
「うー」
渋面の彼女が、茶色い固まりの乗ったスプーンを口にすると。
その渋面は、すぅっとニコニコ喜びの笑顔に変わっていった。
「うー♪」
「こらこら、食べ過ぎると虫歯になっちゃうぞ」
コーヒーシュガーが気に入ってしまったのか、ポットから彼女はシュガーをすくっては口に運んでいき。
苦笑しながらその様子を見ていた俺が、自分のコーヒーカップに口をつけ……かけたところで、またも彼女が俺の腕をとって、それを制止した。
「どうかした?」
「うーうー」
駄目だよ、とでも言うように首を振る彼女。
どうも彼女からすると、もうコーヒーは口にしてはいけないもの認定されてしまったらしい。
俺がそんな劇物を飲もうとしてるので、心配になってしまったんだろう。
「いや、俺はそのままで飲むから」
「うーうー……」
まだ不安そうな顔をする彼女の頭を撫でて、コーヒーを口に含む。
ブラックコーヒーの香ばしい香りが鼻を抜けていき、それから舌に残るきつい苦味。
熱い苦味が喉を通るとき、やはり俺は少し顔をしかめてしまう。
「うーっ、うーっ」
「あのさ、俺は大丈夫だって――」
それを見ていた彼女は、一大事だとばかりに俺のことを揺すってから。
コーヒーシュガーを口いっぱいに頬張って、そして俺の両頬を掴んで。
「んぅっ!」
「――っ!?」
――俺の口の中に砂糖が流し込まれていった。
舌の上の苦味が、強烈なコーヒーシュガーの甘味にかき消されていく。
驚きで身が固まってしまった俺にお構いなしに、たっぷりと彼女は甘い甘い口付けを味わって。
「うーうー?」
そして、長いキスを終えてから、無邪気な笑顔で首を傾げる。
『大丈夫?』、なんて気軽に言うみたいな仕草で。
俺の心臓の鼓動なんて、まるで分かってないような仕草で。
……ああ、もう、本当に彼女ってゾンビは。
「……ありがと、苦くなくなった」
「うー♪」
胸から溢れる愛おしさに、彼女をそっと抱き寄せて頭を撫でる。
彼女は優しく俺を抱き返して、また嬉しそうな声を上げる。
すっかり甘ったるくなってしまった口の中は。
けれど全く嫌なものなんかでない。
幸せな甘味を、俺にいつまでも残していた。
◇
男を堕落させる女性、といって人はどんな女性を想像するのだろうか。
それはきっとこんな女性のことをいうのだろうと、俺は今思っている。
「あなた、お茶が入りましたよ」
「……ありがとう」
お盆に湯呑みを乗せて現れた女性……自称は『俺の妻』なのだけれど。
彼女は美しい微笑を浮かべながら、ちゃぶ台の上にお盆を置くと。
スルスルと、その真っ白な蛇の下半身を俺に巻きつけ、隣にぴったりと寄り添った。
ふわりと香るほの甘い香りと、柔らかな女性の感触に、俺の中で気恥ずかしさが湧いてしまい。
「……君はどうしていつも、俺に巻きつくんだ?」
「あ……お嫌、でしたか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「ふふっ……なら良かったです」
しゅん、と悲しそうな表情が一転、彼女はまたも優しい微笑みに変わる。
彼女はいつだってこうだ。儚げに泣きそうな顔をされると、俺もそれ以上何も言えなくなってしまう。
参ったな、とため息をついてから、俺が淹れてもらった湯呑みに手をかけると。
ひょい、と。何故か彼女は、湯呑みを俺から遠ざけた。
俺が手を伸ばすと、ひょい。ひょい、ひょい、ひょい。
「なんのつもりだ?」
「いけません、あなた。熱いお茶ですから、あなたが舌を火傷しては大変です」
「いや、それぐらい自分で気をつけるけど……」
「いけません。私が冷ましてさしあげます」
そう言って彼女は、優しい笑顔のまま。
俺の湯呑みの口をふぅふぅ、ふぅふぅと冷まし始めた。
いくらなんでも甘やかし過ぎじゃないか、と俺の顔に熱が集まっていく。
「あのな、流石にそんな真似をされると俺だって……」
「あ……お嫌、でしたか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「ふふっ……なら良かったです」
しゅん、と悲しそうな表情が一転、彼女はまたも優しい微笑みでふぅふぅ。
しばらくそうしてから、「はい、あなた」と俺に湯呑みが手渡され。
俺はなんだか複雑な気分で、その湯呑みを受け取り、お茶をずずっと口に流し込む。
……俺の好みの適温なのが、ちょっと悔しい。
「はぁ……」
「あなた、どこかお加減でも?」
「……いや、大丈夫だ」
「何かあれば仰ってくださいね。全部、私がやってさしあげますから」
「はぁ……ありがとう」
その台詞がため息の原因なんだ、とは言えなかった。
彼女はいつも嬉しそうに、あれもこれも俺に世話を焼き、何をするのも全部「私がやってさしあげます」と返し。
それでいて、隙あらば常に俺と身を寄せ合うという生活を送っている。
そんな日常に困惑しつつも……その毎日が段々と当たり前に、そして心地良く感じる自分がいるのが、妙な気分で。
……ついでに、堕落の道にまっしぐらに進んでいる気がするのも、悩みの種ではあるけれど。
「……あなた」
「どうかしたか?」
「ふふっ……すみません、呼んだだけです」
ただ、どこか儚げで、ふとしたら簡単に消えてしまいそうな彼女が。
俺と一緒にいることで、幸せそうに笑ってくれるから。
「……お茶、おかわりを持ってきてもらって良いかな?」
「もちろんです、あなた。少し待っていてくださいね」
「あぁ、うん。ありがとう」
俺は今日も彼女に甘やかされ。
ふぅふぅされたお茶を飲んでいる。
◇
「…………」
「お兄様、どうかなさいましたか?」
「おかしい……俺がパフェを食べようとしてるのに、妖怪『小さじ奪い』が出てこない」
「もう、お兄様……ウチだっていつまでもお兄様に甘えてばかりでないんですよ?」
「いやだって、お前はいつも俺の小さじを取って『やぁです、お兄様が食べさせてくれないとやぁですぅ』とか言ってたし」
「ウチも大人になってきたんです」
「なら、良いんだけど……」
「さぁ、お兄様。早く食べないとアイスやチョコが溶けちゃいますよ?」
「あ、うん……そうだな。いただきまーす」
「うふふ……いただきます」
「んむ……美味い」
「美味しいですねぇ」
「ほら、こっちのチョコはお前にやるよ」
「まぁ、ありがとうございます。ならこのクッキーはお兄様がどうぞ」
「おう、ありがと」
「んー♪ アイスも冷たくて美味しいです」
「あ、こら。俺の分も残してくれよ」
「はぁい、お兄様」
「俺はアイスと下のフレークを合わせて食べるのが好きでなー」
「ウチはプリンのカラメルとクリームが好きですー」
「美味いなー」
「うふっ……うふ、うふふっ」
「どうした、ニマニマして。そんなにパフェが美味いか?」
「だってお兄様、こうやって一つのパフェを二人で一緒に食べるなんて……まるで本当の恋人同士みたいで♪」
「…………」
「……お兄様?」
「ごちそうさま。残りのパフェはお前にやる。たらふく食うが良い俺は行くぞじゃあな」
「やぁっ! お兄様、やぁです! どうして食べるのを止めてしまうんですか!」
「小さじ奪いが出てこない衝撃ですっかり油断してたわ! 当たり前みたいに自分の小さじ用意して一緒に食べ始めやがって!」
「やぁです、ウチはお兄様が一緒に食べてくれないとやぁですぅ!」
「ええい、離せぇ! 俺はお前とバカップルごっこに興じるつもりはない!」
「やぁです、絶対に離しませんっ!」
「ならば弱点を突くのみ! 食らえ、尻尾付け根わしゃわしゃアタック!」
「やぁっ! やぁっ、お兄様、そこは優しくしてくれないとやぁですぅ♪」
「この、しつこい奴め! うりゃうりゃっ!」
「やぁっ♪ やぁっ♪ やぁーーーーっ♪」
◇
「ほら、絶対大丈夫だから! がんばってきてね!」
そう言って私は、明るく彼の背中を押す。
すると彼は緊張でぎごちない笑顔を浮かべて、一言お礼を残して、教室を後にした。
これから彼が向かう先は夕日が照らす屋上だ。
そこには彼が想いを寄せるあの子が待っている。
彼はあの子が好きで、あの子も彼のことが好きで。
でもお互いに想いを伝えることはできなくて。
だから私は、彼とあの子を引き寄せるために、今日まで色々とお手伝いをしてきたのだ。
彼には映画のペアチケットをあげて、あの子を誘うように仕向けたり。
あの子とは彼へのプレゼントを一緒に考えてあげたり。
二人はゆっくり、だけど確実に距離を詰めていた。
告白はもちろん成功するだろう。
明日の教室には初々しいカップルが誕生しているに違いない。
「あー! 長かったなぁ、もうっ!」
誰もいない教室の静寂を突き破るように、私は少し大きな声で独り言をぶちまける。
「二人とも両想いなのバレバレなのに、どうしてこんなに手間かかるのさっ!」
そうだそうだ。お互い奥手だからとは言え、もう少し積極的になっても良かったんじゃないか。
私の手助けがなかったら、お弁当を一緒に食べるぐらいのことすらできなかったのだから。
「まーでも、これで私もお役御免だよねっ! 明日から二人でイチャイチャしてるに決まってるんだしっ!」
誰も聞いていない教室に、私の声がむなしく響く。
「二人でお弁当を食べて!」
「二人で手を繋いで帰って!」
「二人でデートもして!」
「二人でラブラブ幸せはっぴーはっぴー!」
「そのうち結婚とかしてさ! 私も式に呼ばれたりとかして……!」
「そうやって、二人ずっと幸せに……!」
ああ、もう。
私、何を言ってるんだろう。
涙流しながら、一人で、何を言ってるんだろう。
「幸せで……さっ……!」
決めてたのに。
彼が好きなのは私じゃなかったから。
私じゃ彼を振り向かせることはできなかったから。
だから、彼とあの子を応援するって。
すっぱり彼が好きなのは諦めて、二人のことを応援しようって。
大好きな彼と、大好きなあの子を応援しようって。
そう決めてたのに。
「うぅ……ぁ……」
何でだろう……
ぼろぼろぼろぼろ、泣けて仕方ないんだ。
胸が痛くて、ズキズキって、痛いよ。
こんなところ誰かに見られるわけにいかないのに。
涙……止まってくれないよ。
「ひっく……ぅぁっ――うぁああああああああああああっ!」
もう声を押し殺すことなんてできなくて。
私はまるで赤ん坊みたいに泣き叫んでしまう。
神様がいるなんて、嘘ばっかり。
いたとしても……きっと意地悪だ。
私の願いを。私のこの胸の痛みを。知らん振りしてるんだから。
素敵なハッピーエンドを、用意してくれないのだから。
ねえ、悪魔さん。
神様じゃなくて、悪魔さん。
いるならお願い。
私の声を聞いてください。
どうか私を、彼と幸せにしてください
私と、あの子と、それから彼と。
3人で、幸せにしてください。
勝手かもしれないけれど。虫が良いって言われるかもしれないけれど。
でも、幸せが良いんです。
みんなが笑顔の、幸せが良いんです。
ねえ、悪魔さん。
私の声を聞いてください。
「――ねえ」
「聞こえたわよ、あなたの声」
「もう泣かなくて良いのよ」
「ハッピーエンド――用意してあげるわね」
◇
汚いケット・シーを見つけたので虐待することにした。
他人の目に触れるとまずいので家に連れ帰ることにする。
嫌がるケット・シーを風呂場に連れ込みお湯攻め。
充分お湯をかけた後は薬品を体中に塗りたくりゴシゴシする。
薬品で体中が汚染されたことを確認し、再びお湯攻め。
お湯攻めの後は布でゴシゴシと体をこする。
風呂場での攻めの後は、全身にくまなく熱風をかける。
その後に、乾燥した不味そうな魚を食わせる事にする。
そして見るからに怪しい牛女のラベルが貼ってある白い飲み物を買ってきて飲ませる。
もちろん、温めた後にわざと冷やしてぬるくなったものをだ。
その後は俺の股間に屹立するグロテスクな物体を中に散々出し入れして
ケット・シーの生殖本能を著しく刺激させ、体力を消耗させる。
ぐったりしたケット・シーを何年も使用しているせいでくたびれた布団の中に放り込み、寝るまで監視した後に就寝。
◇
いったいどんな言葉を紡いだら。
彼女にこの想いが届けられるんだろうか。
「どうかしたの?」
そう言って僕の隣で首をかしげる彼女。
その真っ赤な単眼に、夕日の光が重なるように輝いて。
触手についた目玉の一つ一つが、眩く煌いている。
ふわふわ浮いて、そのまま飛んでいってしまいそうな彼女の柔らかな手を、そっと繋ぎながら。
夕焼けの街並みを二人、家路についている最中。
ただ、この瞬間。
幸せという単語じゃまるで表現できないぐらいの、幸福。
そしてこの胸から溢れそうなほどの、愛おしさ。
彼女が好きだという、この想い。
それら全てを、いったいどんな言葉にしてみたら。
どんな形にしてみたら。
僕の想いが、彼女に届くんだろうか。
「えっと……」
うまく、声が出てこない。
初めて彼女に想いを告げた時のように。
咽がかすれて、鼓動が信じられないぐらい強くなって。
そして、何も言えないことが、もどかしくなって。
思い切って、そのままに。ただ、不器用に。
「君が、好きで」
不格好に、つかえながら。
「今、幸せで」
僕の口から、言葉が零れていく。
「だから……っ!」
だからこの想いを、どうにか君に届けたくて。
必死に言葉を探していたのに。
それが、うまくいかないんだ。
「……ねえ」
彼女がすっと、地面に降り立った。
それから僕を、ほんの少し見上げるようにして、小さく微笑みながら。
「キミが好きで」
僕と同じ言葉の欠片を。
「今、幸せで」
ゆっくりと紡いでいった。
「だから、ありがとう」
そう言って、彼女はちょっと背伸びをして。
僕と彼女の、唇が触れ合う。
そっか。
それが全てで良かったんだ。
ありがとうの言葉で、それで。
唇同士から伝わる温もりに。
さっき、僕では言えなかった「ありがとう」が。
ほんの僅かでも含まれることを、祈っていた。
おしまい。
そんな手紙が届いたのが、クリスマスの数日前のことで。
いったい何のことかと疑問に思っていた俺のところに、あのヒトがやって来た。
「あの……」
「め、メリークリスマス……」
「あ、はい。メリークリスマス……」
彼女はいつもの鎧姿と違って、ご丁寧に赤いサンタ服を身にまとい、だけど照れくさそうに少し視線を逸らしながら、俺にクリスマスの挨拶をしてきた。
普段は理知的で、冷静で、それでいてすごく格好良い女性。俺が所属している騎士隊の隊長で、俺の憧れの人。
その隊長が今日持っているのは、剣でなくて、バカみたいに大きい靴下だった。
「……手紙は読んだな」
「読みましたけど……あれ、もしかして」
「あぁ。あれを書いたのは……その、私だ」
「え……?」
まさか、彼女が俺のことを? ていうかクリスマスプレゼント? だからイブの夜にサンタのコスプレ? じゃあその、人がすっぽり収まりそうな巨大靴下って……。
ゴチャゴチャと考えていた俺だったけど、彼女が俺に向かって靴下の裾を広げたとき、想像が確信へと変わった。
「入れ。プレゼントは靴下の中だ」
「いや、おかしくないですか? 普通のプレゼントは吊るした靴下の中に、サンタさんが入れてくれるもので……」
「だから、プレゼントを靴下の中に入れに来た」
「いやいや、おかしいですって。サンタが靴下持って自分のプレゼントを詰め込みに来るって、まるで押し込み強盗か誘拐犯じゃ……」
「あぁもう、誘拐犯でも何でも別に良いだろう! 早く入るんだ!」
「うわっ!」
騎士隊の隊長から誘拐犯にジョブチェンジした彼女は顔を真っ赤にして、俺を頭から包み込もうと靴下を振りかぶった。
突然すぎる展開に靴下から身をかわし、彼女の脇をすり抜けて聖夜の雪景色へと駆け出していく。
「あっ、この! 待て、待たないか!」
「ゆ、誘拐されそうになったら逃げますって!」
いくら憧れの女性が相手だからといって、靴下の中に放り込まれるのはいただけない。
捕まるまいと逃げ出す俺のことを、背後から真っ赤な服の誘拐犯が追いかけてくる。
「こら、逃げるなっ! 大人しく私のプレゼントになるんだ!」
「大人しくなんてできませんよ!」
「もしや、もしかして、私のことが嫌いなのか!?」
「いや、そんなことは全く、全然! ホンットそんなことないっていうか、むしろ好きっていうか! えっと、その!」
「ほ、本当か!? 本当に私のことが、そうなんだな!?」
「あの、その、そうですけど!」
端から見れば痴話喧嘩か、単なるイチャツキにしか見えないだろう。
必死に彼女から逃げながらも、俺は顔を真っ赤にして、ニヤケ顔を晒して雪の上を走り回ってて。
それから後ろを追いかけてくる彼女も、やっぱり顔を真っ赤にしたまま、顔を綻ばせていて。
「ならどうして逃げるんだ! 家にはちゃんとチキンもシャンパンもケーキも用意してるぞ! あと、べっ、ベッドメークも完璧だぞ!」
「一緒に聖夜を過ごすならともかく、性夜を過ごすのは心の準備が欲しいです!」
「駄目だ、絶対に逃がさないぞ! 今日という日を私は心待ちにしていたんだ!」
それでも、ここで立ち止まって、彼女を抱きとめるわけにはいかない。
まだ彼女に、この気持ちをどうやってちゃんと伝えるか。
その言葉が、全然まとまってはいないのだから。
「ふふっ、観念しろっ! もう息が上がってるんじゃないのか!?」
「そんなこと! 貴女に鍛えてもらってるんだから、余裕です!」
「言うじゃないか、コイツめ!」
だから、まだまだ。
雪降る夜の中で。
まるではしゃぐ子供のように。
二人で、まだまだ。
こんな幸せな時がずっと続くようにと。
二人で、駆け回る。
◇
「そんな、貴女ほどのお方が……」
俺の驚愕の言葉が宙にむなしく消えていく。
教団でも高潔で屈指の実力を持った勇者であった隊長。
その腰から蝙蝠のような一対の翼が生え、頭部には羊のように曲がった角が天を向いている。
教団内にいた頃には想像できないほど妖艶な鎧を身に纏う、その姿はまさに堕ちた勇者だった。
「うふふ、私は魔王様のシモベに生まれ変わったの。もう勇者の期待にも戒律にも縛られず、思うままに行動できるの……」
そして彼女は捕らえた同僚のうつくしい肢体に指を這わせると、今度ははだけた衣服の中へとその指を侵入させた。
弄ぶようなその所業に同僚は眉根を寄せ、たまらず吐息を漏らす。
「うく……はぁっ……や、止めろ……」
「今は毎日が幸せよ。彼に想いを告げることも自由なの……あなたと違ってね」
『あなたと違って』。
そう言って俺と同僚を見比べるかつての勇者。
その言葉にうっすら上気していた同僚の顔が一気に赤みを増した。
目は潤み、自由にならない手足を必死にバタつかせ、首を幼子のように振りまわす。
「だ、ダメだ、止めろ、言うな! それをアイツの前で言うなぁ!」
「素直になりなさい……彼のことが好きなのでしょう? 同じ人を好きになってるんですもの、私には分かるわ」
同僚が、俺のことを? そんな、いつだってアイツはそんなそぶりだって見せず、ただの同僚で……。
呆然と立ち尽くす俺の眼前で、痴態はより一層の過激さを増す。
胸を中心にまさぐられていた手は、今度は下半身へとその場を移し、下着が存在しているだろうそこを重点的になぞるように差し込まれていた。
「ち、違うんだ! 私は、私はそんなことは……あ、あぁ……っ!」
「あら、嘘を言う子にはオシオキが必要ね。それならちょっと恥ずかしい所を……彼に見てもらいましょうか」
「ぅぁ、あぁ、アイツが見ている前で……いや、いやぁ……!」
ガシャン、と音を立て同僚の腰部を纏っていたスカートアーマーが、地面へと落下した。
かろうじてまだ彼女の女性の部分を覆い隠す、白い下着。
今まで決して異性として意識してこなかった同僚の、女としての羞恥。
俺は何故だか動くことができず、眼前の光景に釘付けとなっていた。
「やだやだぁ! ダメだ、見るな、見るんじゃない! お前が、ダメだ! こんな所を! いやぁぁぁ……!」
「うふふ、こんなに濡らしているのに……イケナイ子ねぇ」
同僚が悲痛の涙を流す中、しかし無情にもその下着はするり、するりと下ろされていき――
わっふるわっふる!
◇
俺はこの現状をどう扱うべきなのだろうか。
現状? 無二の親友からラブホテルに誘われてる。
うん、どうすべきかさっぱり分かんねえや。
「ねえ、キミはボクとあそこに行くの嫌なの?」
「いや……あのな?」
重い額に手を当てる俺の目の前で、この親友であるパンダ娘は黒い耳をピコピコさせながら小首をかしげている。
モフモフな指を差す先には繁華街のラブホがあった。
そう……このパンダ娘、なんとラブホのキラキラお城みたいな外見に、あそこが情欲交わる淫猥な場所でなく、なんだか楽しそうな遊園地的な場所であると勘違いしているのである。
「ねえねえ、早く行ってみようよぉ。すごくキレイで楽しそうだよぉ?」
「あー、うん。あそこは俺らが行く場所じゃないっていうか……」
「? 何で? ねえねえ、何で?」
あーくそ、この時ばかりはこいつの無邪気な性格が恨めしい。
俺もこいつの天真爛漫さが大好きで、ずっと遊び友達として親友してるんだが、こういう現場にぶち当たるとマジで困る。
上手い嘘も思い浮かばないし……仕方ない、(一部)ホントのこと言って納得してもらうのが良いか。
「あそこは恋人とか夫婦が行く場所なの。だから俺らじゃ行っちゃダメ」
「えー、何で夫婦とかじゃないとダメなの?」
「ぐっ……」
好奇心旺盛人熊猫。今現在超々厄介。対処益々困惑。我正直告白彼地優艶地。
思わず思考が中華風言語に変換され、俺はタメ息をつきながら説明を再会した。
「お前的に言うと、あそこは男女のカップルが交尾するところなの。だから俺らは行かない。分かった?」
「……交尾?」
「そう、交尾」
交尾、という言葉をポツリと呟く親友。
それを幾度か繰り返し、俯き……再度俺のことを見上げた。
「交尾!」
わーお、何その超輝いたお目めは。俺やっちまった感に目が涙で輝きそうなんだけど。
「交尾! 行こ、あそこ! ねえねえ、早く! 早く行こ!」
「だーこらっ、その手を離せ! 俺は親友と朝チュンする気はさらさらねーぞ!」
「えー、何で!? キミはボクと交尾するのが嫌なの?」
「嫌じゃないけどこんな展開で初体験とかゴメンだっつの!」
「……うー」
必死の抵抗をする俺に業を煮やしたのか、親友はその場でへたり込む。
こいつがこの仕草をする時、やることは一つである。
……そして、俺がこいつの親友を辞めたくなる唯一の瞬間だ。
パンダ娘は背中からごろんと地面に転がり。
「イヤだいイヤだいボクとあそこに行ってくれなきゃイヤだいボクと交尾してくれなきゃイヤだい!」
両手足を振り回し、みっともなくダダをこね出した。
「い、いくらダダをこねたって俺はお前とは……」
「イヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだい!」
「ちょっとは聞けよ、俺の話!」
俺の言葉に全く耳を貸すことなく、この駄・パンダは地面を転がり、すりっとの隙間からおみ足を覗かせている。
まったく……どうしたもんかな。
もし友達から先に進むことがあったなら。
その時は男らしく、ちゃんと自分から告白しようって決めてたんだけど。
人の気も知らないで、気軽に言ってくれちゃってさ。
周囲のクスクス笑いが、俺の気持ちを見透かしているようで居心地悪い。
とにかく、この現状をどう扱うべきなのか。
やっぱり解決策が見つからないまま、俺は足元で愛らしく転がるパンダ娘を見つめ続けていた。
「イヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだいイヤだい!」
「だーっ! 分かった! 分かったからダダこねんの止めろってば!」
◇
「ねえ、おにいちゃん」
それはいつものように、アリスが俺の家に遊びに来ていたときのこと。
リビングのソファーで本を読んでいた俺の膝に、ぴょんとアリスが乗ってきた。
「ん、どうかしたか?」
「んふふー……ねえ、おにいちゃん」
リボンを付けた長髪から、ふわりと子供らしい甘い香りを漂わせて。
腕の中に潜り込んだアリスが俺の顔を見上げている。
「アリスがおおきくなった、おにいちゃんはアリスとけっこんしてくれる?」
またか、と俺は苦笑してアリスを抱きしめる。
大きくなったら、という子供らしい結婚の約束だが、アリスはいつも俺にこんなことを言ってくる。
そのいじらしさがカワイイのだけど……残念だけど、アリスは大きくならないんだよなぁ。
「あはは、もちろん。アリスが大きくなってくれたら、俺は喜んでお嫁さんにするさ」
そうは言っても、わざわざアリスのプロポーズを断る理由も俺にはないわけで。
アリスの柔らかな感触を堪能しつつ、その頭を撫でていた。
すると、アリスはまた「んふふー」とポケットの包みを取り出し。
その中身をポイと口に放り込んだ。
――ごっくん。
――ポンッ!
「うわっ!?」
音と共に小さな煙が上がり、なぜか膝の重みが急に増した。
何事かと驚く俺の身体にエプロンドレスを着た金髪の美女が密着している。
信じられないけれど、この服装は確かにあのアリスのもので……。
「あ、アリスなのか……!?」
「んふふー。そうだよ、お兄ちゃん?」
「な、なんで突然大きく!?」
「不思議の国のケーキ。今日お母さんが持たせてくれたの」
ミニスカートになってしまったドレスの裾に、自己主張しすぎて胸元が露出してしまったバスト。
突然すぎる変身に慌てる俺に、アリスはちゅっと音を立ててキスをして――
「ほら、アリス大きくなったから……結婚してね、お兄ちゃん♪」
――俺の独身生活も、音を立てて崩れていった。
◇
『メドゥーサちゃんとの交換日記』
○月×日
だいたい、交換日記なんて始めたってあんたが長続きする気がしないわね。
いつも学校のれんらく帳を見せてあげるのも私だったしね。
すっかり忘れてたとか何度そんな言い訳を聞いたことかしら。
きっとあんたのことだろうから、それも忘れてるわね。バーカ。
○月△日
お前こそ、この日記だって三日で飽きて放り出すに決まってる。
れんらく帳みたいに「よくできました」ってスタンプ押してやろうか?
もし一週間分たまったら色鉛筆と交換してやるよ。小学校の時みたいにな。
だれがバカだよ。 見ろよ、昔のことだって覚えてるっつの。バーカバーカ。
※二日で終わりました。
◇
常日頃、友人達から『お前は鈍い』と言われる。
自分では全くそんなつもりはなく、むしろ空気も読める男だと自負しているのだが……まあ、それはこの際置いておこう。
本題。そんな鈍いと言われる俺でも分かる。
「今日からお前は私の召使になることが決まった。ありがたく思え」
……俺、プロポーズされてる。
「……も、もう一度言ってくんない?」
「なんだ、いつもの難聴か? この難聴鈍感唐変木男が」
常日頃、友人たちからお前は『お前は難聴か』と言われる。
自分では全くそんなつもりはなく、むしろ人一倍耳聡い方だと自負しているのだが……違う、そんなこと考えてる場合じゃねえ。
本題。呆れたように半眼で俺を見つめる、幼馴染みのヴァンパイア(絶賛片思い中の相手である)。
「今日からお前は私の召使だ。嫌だとは言わせんぞ」
……こいつ、俺にプロポーズしてる。
「……あの、それはいったいどういうおつもりで……?」
「言葉通りの意味だ。おっと、少し言葉が足りなかったな……今日からお前は私の召使兼食料だ」
「……それは本当の本気でいらっしゃいますか……?」
「私はお前みたいに頭も口も軽くない」
衝撃で思わず口調が敬語になってるが、それも仕方なくね?
いや……俺、知ってるんだけど。
ヴァンパイアが男を召使にするって、それはつまり『私の恋人になってね、あ・な・た(はぁと)』って意味だって。
この事実を知ってるのも、ヴァンパイアの旦那さんが例外なくその執事である理由を友人に聞いたところ、『お前は本当に鈍い奴だなぁ』とため息混じりに教えてもらったからなのだが。
いやいや、この真実に疑問を持っただけ俺は鋭い部類に入ると思うぞ……って、ああもう脱線は良いっつーの。
どうしよう。俺、こんな時にどんな顔をしたら良いか分からないの。
笑う場面ではないと思うの。でも顔を真っ赤にしてニヤニヤしちゃいそうなの。
こいつが俺のことそんな風に見てくれてるなんて、思ってなかったから。
やべぇ……今までこいつと一緒にいて、こんなに心臓バクバクするの初めてかも。
「かっ、勘違いするなよ! 別にお前とは主人と召使の関係なだけで、それ以上でもそれ以下でもないんだからなっ!」
「ぶっ……!」
しかもこいつ、俺がプロポーズに気付いてるってことに気付いてねぇ!
言葉通りに俺が召使兼食料になることに驚いてるって思い込んでやがる!
やめてください、頬を赤らめてその墓穴な台詞は反則ですから! 俺が悶えて死んでしまいますから!
「おい、なぜ顔を隠してプルプル震えているんだ」
「いや……今までお前と一緒にいて、こんなにお前が可愛いって思ったの初めてだったから……」
「なっ……ま、またそんな軽口を叩いて! お前という奴は!」
まったく……いったいどっちが鈍いんだか。
恥ずかしいやら、嬉しいやら、おかしいやら。
色んな感情がごちゃ混ぜになって笑えてきちまう。
「もう良い! さっさと私について来い! ボヤボヤしていると馬車を呼んで蹴り入れるぞ!」
「あ、待ってくれよ、おい!」
ボヤボヤしてたら置いてくぞ、じゃないんだな。
俺はまた妙なニヤニヤを漏らしてしまいながら、いちいち可愛い発言を繰り返す幼馴染みの背を追いかける。
俺がインキュバスになって、胸を張ってこいつの恋人になれる日が来たとき。
その時は必ず言ってやろう。
実はとっくにお前の気持ちに気付いてたって。
そのずっと前から、俺はお前のことが好きだったんだって。
そう決心しながら、俺は足早に歩く幼馴染みに追いついて。
それからゆっくりと、その隣を歩き始めた。
◇
今日という今日こそ、僕は。
この部屋を抜け出して、真人間の第一歩を踏み出すのだ。
今まさに僕を抱き枕にして眠っている、この悪魔の腕から脱出するのだ。
毎日セックス、セックス……セックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスという生活から開放されるのだ。
その固い決意を胸にして、僕は自分の身体に取り付く魔の腕を慎重に、慎重に取り外していく。
カーテンからは眩い朝陽の光が見え、外からは小鳥のさえずりが聞こえてきている。
待っててね、太陽さん、小鳥さん。もうすぐ僕もそっちに行くから。
声には出せないので心の中で呼びかける。
そっと、そ〜っと、悪魔が起きないように、起きないように。よっし、腕から抜け出ることに成功。
次は、あまり物音を立てないように、抜き足、差し足、忍び足……細心の注意を払ってベッドから降り、部屋の扉に向かって行く。
一昨日はここで悪魔が目を覚まし、無念にも捕まってしまった。昨日はドアノブを掴んだところでバレた。
しかし今日は大丈夫だ。取っ手を手にしながら振り返ってみても、悪魔は規則正しい寝息を立てていて、全く起きる気配がない。
この扉を抜ければ、爛れた生活とはほど遠い、新鮮な朝の空気が吸える……!
逸る気持ちを抑えつつ、僕は最後の難関であるドアノブを捻った。
やった、成功だ! 歓喜の笑みを浮かべて、僕は扉をくぐり抜け――
――あれ?
扉の先では、悪魔がベッドで眠りこけていた。
振り返る。悪魔がベッドで眠りこけている。
前を向く。悪魔がベッドで眠りこけている。
ドアの内側も外側も、まったく同じ光景。ど……どういうこと?
すると、悪魔のすぅすぅという寝息が、クスクスという忍び笑いへと変わっていった。
はっとして見れば、悪魔は既に眠りから覚めており、目が合った僕にウインクを投げてくる。
や、やられた……! 僕は最初から彼女の手のひらの上で踊らされていたのか……!
「ダメよ、勝手に外に行こうなんて。ほら……“戻ってらっしゃい”」
彼女からの命令の言葉。それは魔力による契約の呪文。
恨めしいことに、脚は勝手にベッドの方へと歩み寄っていく。
「うふふ、つかまえたぁ……さぁ、また眠りましょう……?」
今日も失敗した……観念して、再び抱き枕にされるべく彼女の腕の中へ戻りこむ。
僕は柔らかく温かい体温を感じながら、明日はどうすれば脱出できるかな、と遠い目をして悩み始めるのだった。
◇
「お兄ちゃん……」
呟くように俺を呼んだ唇が、ゆっくりと俺の唇に重ねられる。
アリスが俺にキスをした。
それ自体は別に、珍しいことでも何でもなかった。
いってらっしゃいのキス。おかえりのキス。それから、おやすみのキス。
小さな女の子らしい無邪気さで、アリスは何度だって俺とキスをしてきたのだから。
けれど今のキスは、今までのキスとは全く違った。
今のは『妹』としてのキスじゃない。『家族』としての、親愛の情を表すものじゃない。
自分が『女』であることを示すキス。俺という『男』に対して、『異性』としての愛情を表すためのキス。
その意味が、確かに含まれていた。
「お兄ちゃん……」
厚い雲で隠されていた月明かりが、窓からゆっくりと差し込んで、アリスのシルエットを照らし出す。
馬乗りの体勢になったアリスの息は荒く、その小さな胸は忙しなく上下している。
俺を見下ろす碧眼は興奮に潤んでいた。しっとりと濡れた金髪を頬に張り付かせていることも相まって、幼い少女とは到底思えない妖艶さを醸し出す。
アリスは、欲情していた。
アリス。
俺のアリス。
愛しいアリス。
俺の大切なアリス。
アリス。俺の宝物。俺の人生。俺の全て。
「お兄ちゃん……アリスね、お兄ちゃんがほしいの……」
そのアリスが。俺の全てが、俺のことを求めている。
だったら俺の方も。
俺の全てを、求めても良いんじゃないか。
俺は両手を伸ばし、華奢なアリスの身体を引き寄せる。
相手はまだ少女だとか、年が離れすぎてるだとか、そもそも家族だとか、そんな考えは全部吹き飛んでいた。
全てが、欲しかった。
◇
よめあつめ攻略FAQ
Q. どんなゲームなの?
A. ゴハンとグッズを用意しておき、自分の家にやって来る魔物娘たちをお嫁さんにする。
基本的にそんなゲームです。好きな魔物娘とキャッキャウフフ、しっぽりお楽しみください。
Q. 何をすれば良いの?
A. 特に目的意識がなければ、まずはチュートリアルで貰ったお星さまを使ってゴハンやグッズを買いましょう。
それをお家に置いておけば自然と魔物娘たちが集まってきます。
後は彼女達と仲良くなってお嫁さんになってもらいましょう。
Q. お嫁さんって一人だけ?
A. お嫁さんになってくれる魔物娘にもよりますが、普通に進めても5〜6人ぐらいまでならハーレムを作れます。
ただし『○○さんと△△ちゃんと××ちゃんでハーレムを作りたい!』といったように思い通りのハーレムを作ろうと思った場合は難易度が劇的に上昇します。
Q. ゴハンとかグッズって何を用意すれば良い?
A. 基本的に自由ですが、無料の“ミルク”をゴハンにすると効果が高いのでお勧めです。
お嫁さんになってほしい魔物娘が決まっている場合は、その娘たちが喜ぶゴハンやグッズを用意するようにしましょう。
Q. どうしてデフォルト設定のゴハンが“ミルク”なの?
A. 自家発電でこさえられるからです。
Q. ……それってつまり、精s――
A. 言ってはいけません。効果が高すぎてお相手を選びにくいのがタマにキズですね。
Q. お星さまはどうやって貯めるの?
A. お友達が毎日くれるので、それを貯めましょう。
ときどき彼は大きなお星さまもくれます。素敵なお友達ですね。
Q. え、このお友達って男なの? 女の子じゃなくて?
A. 女の子に見えますが男の子です。カワイイけど男の子です。
Q. 何をしたら魔物娘はお嫁さんになってくれるの?
A. まだお嫁さんが一人もいない場合、ほとんどの魔物娘は最初にやって来た時に高確率でお嫁さんになってくれます。
二人目からは何度もお家に来てもらう必要があり、人数が増えるごとに回数は増えていきます。
Q. 魔物娘からの求婚って断れないの?
A. 断れません。断ろうと思うのが間違いです。
素直に彼女達との素晴らしい新婚生活を楽しみましょう。
また、魔物娘によっては貴方をお持ち帰りし、強制的にお引っ越しすることになります。
Q. お目当ての魔物娘と結婚したかったらどうするの?
A. 上記のように、必ず彼女達が喜ぶゴハンとグッズを用意しましょう。
場所によって会える魔物娘も変わるため、相手によっては引っ越しをすることも必須です。
ここまで準備したら後は運です。運命の赤い糸が愛しい彼女と繋がっていることを期待しましょう。
種族によっては特定の条件をクリアしないとお嫁さんにできない魔物娘たちもいます。
Q. アリスちゃんに会いたいんだけど、どうしたら来てくれる?
A. ゴハンには“ケーキ”を、グッズは“お人形”を用意しましょう。
不思議の国に引っ越しをすると、街よりも若干会いやすいようです。
Q. アリスちゃんに用意した人形が勝手に動いてるんだけど。
A. お人形に混じっているリビングドールちゃんを買えることがあります。
一緒にお嫁さんになってもらいましょう。
Q. 白蛇さんが他の魔物娘をみんな追い払っちゃうんだけど……
A. 白蛇さんは嫉妬深いので仕方ないですね。可愛いヤキモチだと思いましょう。
Q. あの……白蛇さん、友達まで追い払っちゃったんだけど……
A. 白蛇さんは勘が鋭いので彼も追い払ってしまいます。
Q. お星さま貰えなくなっちゃった……
A. お星さまが無くても生活はできます。
白蛇さんさえいれば何もいらないはずです。そう思いましょう。
◇
おや。ハンターさん、今日もこの森でお仕事ですか?
若いのに仕事熱心な人ですねぇ。
そんなハンターさんに、ボクからとってもイイコトを教えてあげましょう。
この入り口を真っ直ぐ行って、それから三つある小道を右に入って。
それから四つの道の、左から二番目の方を進んでいくと広場があります。
さっきそこに、獲物になりそうな動物がたくさん集まっていたんです。
そこに行けばきっと、今日のお仕事も楽にこなせちゃうんだろうなぁ。
おやおや、そんな疑わしい目でボクを見ないでくださいよぉ。
それはボクも、ハンターさんをからかってばかりですけど?
だけどこれでも、森の情報通を自負してるんです。
たまには本当のことを言ってるって思ってくれても良いじゃないですか?
……信じてくれるんですか? ハンターさんってやっぱりお人好しですねぇ。
ではでは、お仕事がんばってくださいね。ハンターさん。
おやおや。また会いましたね、ハンターさん。お仕事はいかがでしたか?
見れば分かるだろうって? ああ、確かに獲物は抱えていませんものね。
おかしいなぁ。ボクが見に行ったときには動物達がみんなで集会をしてたんだけどなぁ。
怒らないでくださいよぉ。またちょっと悪戯しただけですってばぁ。
ご、ごめんなさぁぃ……。
…………。
ボクが言うのもなんですけど、これで許しちゃうからハンターさんは“ちょろい”んですよ?
さて……お詫びじゃないですけど、今度はボクも本当のことを教えましょう。
さっきの道を戻って、一番右端の小道を行ってください。
そうしたら後は、その道をまっすぐ進むだけでいいんです。
きっとおいしいゴハンが待ってますよ。
え? そんな道入ったこともないし、獲物が向こうに行くところを見たこともないですって?
まぁまぁ、また騙されたと思って……もらっては困りますね。これは本当に本当のことなんですから。
じゃあボクは準備があるので、この辺で。お先に失礼しますね。
……ちゃんと来てくださいね、ハンターさん?
やぁやぁハンターさん、いらっしゃい――って、あら。おかんむり。
小屋があるだけじゃないかって……ボク、嘘は言ってませんよ?
ボクが言ったのは「おいしいゴハンが待ってる」であって、「そこに獲物がいる」とは一言も言ってません。
……あらあら、ますますおかんむり。
だから、おいしいゴハンが待ってるのは本当ですって!
さぁさぁ、早く中に入ってくださいよ、ハンターさん! ゴハンが冷めちゃいます!
じゃーん、どうですか! お腹を空かせたハンターさんの目の前、なんとご馳走の数々が!
え? はい、用意したのはボクですけど?
あ、目が険しくなった。そんな表情されたらボクだって傷ついちゃいますよ……うぅ、しくしく。
ま、そんな些細なことは置いておいておきましょう!
ささ、席に座ってくださいな。腕によりをかけて作ったんですから。
……いつもボクに構ってくれるハンターさんへの、ちょっとしたお礼です。
だから遠慮しないで、たくさん食べてください。
えへへ……良かったです、喜んでくださったみたいで。
あぁでも気をつけないとなぁ。
おいしい料理の中にも一つだけ激辛料理が混じってるからなぁ。
クスクス……さぁ、お口の中の家事を回避したければ、ボクから情報を引き出さなくてはいけませんね?
……えへへ。えへへっ。
ハンターさんなら、そう言ってくれると思ってました。
それじゃあ、ボクの気持ちを込めた料理……楽しんでくださいね、ハンターさん?
◇
「う〜ん、困ったなぁ……お姉ちゃん困っちゃったなぁ……」
「お姉ちゃん、ず〜っと弟くんが好きなんだけど……未だに弟くんとは結ばれず。くすん」
「弟くんの好みをそれとなく聞いたら『女子力の高い人が好み』って言ってたけど……」
「……女子力って、何だろ?」
「弟くんに振り向いてもらうため、料理とか洗濯とか裁縫とか、家事は万能にしたんだけどなぁ」
「気配りだって利くつもりだし、いつもニコニコ笑顔でいるし」
「それと身だしなみだっていつも気を使ってるんだけど……」
「……力って言ってるから、多分そんな女の子らしいものじゃなくて、もっとパワフルな意味なんだよね」
「うぅ……私、重いものとかは全然持てないよぉ……きっと女子力ないんだぁ……」
「こ、このままじゃお姉ちゃん……弟くんに嫌われちゃう!?」
「はわわっ! ダメ、ダメだよ! 女子力を鍛えて、弟くんのハートを今度こそキャッチしないと!」
「そうと決まれば、さっそく女子力の修行! お姉ちゃん、弟子入りしてきます!」
「う〜ん、女子力の高そうな人たちって誰かなぁ……あっ、そうだ!」
「 ア マ ゾ ネ ス さ ん に 頼 も う っ !」
◇
辛いの?
苦しいの?
涙が出るの?
そうだね……辛いよね。
自分が心を込めて書いた作品だもんね。
それが思ったように、評価されなくて。
何も言われることがなくて。
だから、どうして良いか分からなくって……辛いよね。
もっと良い作品にしてあげたかったんだよね。
それでも、どうしたら良いか。どんなものを書けば良いのか、分からないのね。
大丈夫だよ。
悩んでるのなら、悩んでても良いんだよ。
涙が出るなら、泣いても良いんだよ。
書くのが怖かったり、嫌になりそうな時があるよね。
人と比べて、自分はなんて駄目なんだろうって、そう思える時があるよね。
でも、大丈夫。私は傍にいるんだから。
どんな時だって、私は傍にいるんだから。
諦めないで、また書こう?
楽しかった時を思い出して。
そうやって笑顔で書いて。
また皆に見てもらって、皆で喜べるように。
ゆっくりでも良いよ。どんなペースでも良いんだよ。
私は傍にいるから。
いつでも、いつまでも、傍にいて、あなたのことを見てる。
あなたの書く宝物を、私は楽しみにしてる。
そうやって、あなたの書く宝物を、楽しみに待ってる人もいる。
ちょっとずつでも良いから。
また、書こう? 二人で、また。
どんなことがあっても。
私たち、二人で。
創作の妖精は、どんなことがあっても。
あなたの傍にいるんだから。
◇
Humpty Eggs had a great fall,
Humpty Eggs caught you within call.
More than anyone else in Wonderland
You Humpty is madly in love with.
ハンプティ・エッグが落ちてきた
ハンプティ・エッグがきみをみた
もう世界中のどんな人たちよりも
ハンプティはきみに首ったけなんだ
◇
『私、死ぬのは怖くないわ』
彼女は言った。
『それよりも、貴方に忘れられること……貴方を忘れてしまうことの方が怖いの』
そう、儚い笑顔を浮かべていた。
その翌日、彼女は病院の屋上から身を投げて、死んだ。
彼女は不治の病だった。
病魔が進行するにつれて、記憶がどんどん零れ落ちていく病。
最後は周囲の何もかもが分からなくなり、脳が壊されて、そして死ぬ。
段々と記憶の空白が増えていく日々は、彼女にとって耐え難い恐怖だったらしい。
僕の前ではあどけない笑顔を浮かべていたが、その裏で彼女は酷く怯えていたと、残された日記に書いてあった。
『もし神様がいたら、どうかお願いします。大好きなあの人のことだけは、私から奪っていかないでください』
その記述は、僕が零した涙の粒のせいで、もう読めるものじゃなくなってしまった。
彼女が選んだ道。それは、僕が彼女から奪われる前に、自ら命を絶つというものだったのだから。
彼女が死んでから、僕は彼女のことを忘れられなかった。
常に彼女のことが頭から離れなくなり、彼女の言葉が幻聴のように聞こえるようになった。
幻聴のように、ではない。幻聴に決まっている。
それでも、僕は構わなかった。
彼女は常に僕に語りかけてくる。
彼女は常に僕の傍にいて、僕との甘い日々を空想し、囁いてくる。
目を閉じれば僕もその空想の世界で、彼女と幸せな時を過ごすことができる。
まるで本当に、彼女がそこにいるように、ハッキリと。
狂ってるに決まっている。だけど、構わない。
たとえ気が触れようが、彼女が僕の中から消えてしまうことに比べれば、遥かに些細なことだった。
『私のこと、考えてくれてるのね? ふふっ、嬉しいな……』
ここのところ、抱きしめた感触がこの手に残るぐらいには、彼女の存在が現実味を帯びてきた。
僕の方の病気も随分と進んでしまっているらしいが、むしろ望むところだ。
そうだ……彼女はもう、僕を忘れることはない。
僕も彼女のことが忘れられない。
忘れられるもんか。
もう誰にだって、奪わせやしない。
彼女のことを。彼女の記憶を。彼女との日々を。
『明日は、二人でどんなところに行こっか?』
願わくば、永遠に彼女が僕の傍にいることを。
彼女が僕を忘れることのないように。
僕が彼女を忘れることのないように。
彼女の望みがこれからも叶えられるように。
そう、僕は願っている。
◇
「うー?」
「あはは。待ってて、もうすぐ着くから」
「うー」
彼女は小首を傾げたまま、ちょっと頼りない足取りで、俺に手を引かれている。
ゾンビである彼女との散歩も慣れたものだけど、これから連れて行くのはとっておき中のとっておきだった。
彼女に喜んでもらいたくて、何度も探して歩いて。そして見つけた、特別な場所。
ほんの少しだけ逸る気持ちを抑えて、春のうららかな青空の下を二人で歩いていく。
この道の角を曲がれば、もう見えてくるはずだ。
「どう、キレイでしょ?」
風が優しく吹き込むと、俺たちの前でふっと、ピンク色の花びらが踊った。
目の前に現れたのは、鮮やかに咲き乱れる桜の木々。
陽光にきらめく小川にそって立つ桜は、枝の先という先までいっぱいに花をつけて、俺たちを迎えてくれていた。
「うー……!」
彼女の瞳が輝いた。
目を大きく見開いて、生き生きと。
まるで彼女が、自分がゾンビだって忘れてしまったみたいに。
「うー! うー!」
どんどん、どんどん、彼女が足早になっていく。
苦笑する俺を追い抜いて、今度は急かすみたいに、彼女が俺の手を引く番に変わる。
そして俺の手をはなして、駆け足になって。
「うー!」
彼女が淡い彩りのドームに飛び込んだ。
木の下に立って、口をぽかんと開けて、満開の花々を見上げたり。
次は根元をぐるぐる回ってみて、見えてくる光景の違いに目を丸くしたり。
それから川辺の方に向かって、さらさらと流れていく桜の花びらを一生懸命おっかけてみたり。
結局それには追いつけず、しょんぼりとした顔で花びらを見送っていったり。
だけど今度は頬をほころばせて、桜の花びらを一枚一枚、丁寧に拾い上げていったり。
彼女は本当に無邪気に、心の底から桜を楽しんでくれているようだった。
「うー、うー」
「ん? どうしたの?」
そんな様子を微笑ましく見守っていると、彼女が嬉しそうにこっちに寄ってきた。
その手の中には、彼女が集めてきたらしい、小さな花びらの山。
「……くれるの?」
「うー!」
すっと差し出される、彼女からの薄桃色をしたプレゼント。
出会った頃から何一つ変わらない、彼女の優しさ。
ずっとずっと大好きな……彼女の笑顔。
それに対して、俺は――
「――ッ!」
「うー?」
込み上げてくる愛おしさに耐えられず、彼女の身体を抱きしめていた。
彼女の手にあった花びらが、ぶわっと宙に放り出される。
それがひらひら、ひらひらと、二人のことを祝福するように舞い散っていった。
「せっかくのプレゼント……台無しにして、ごめん」
「うぅーうぅー」
いいよ、と言ってくれているらしい。彼女も俺をぎゅっと抱きしめ返してくれる。
いじらしい返事にまたこみ上げるものを感じて、ますますきつく彼女の身体を抱きしめる。
「大好きだ。今までも、これからも、ずっと……」
「うー……」
満開の桜の下で、こっちに伝わってくる彼女の感触は。
いつもよりほんの少し温かいと、そんな気がした。
………………
…………
……
「うー、うー」
「あ、お団子食べたいの? わ、分かったから、ほらっ。よだれ垂れてるってっ」
「うー♪」
◇
あなたを見つめてみたい。
あなたを見つめていたい。
あなたに見つめられたい。
あなたと見つめ合っていたい。
あなたがこの視線に晒されたなら。
きっとあなたは私に夢中になる。
私がこの視線に晒されたなら。
きっとあなたに夢中になる。
あなたが好きって私の本音。
それを仮面は覆い隠す。
あなたへ向ける熱い視線。
それも仮面は覆い隠す。
ねえ。
胸が苦しいよ。
あなたを見つめてみたい。
あなたを見つめていたい。
あなたに見つめられたい。
あなたと見つめ合っていたい。
◇
プロポーズとは、カップルにとって一世一代の大イベントである。
相思相愛の男女が将来を誓い合う瞬間――それを素敵に飾りたいと思うのは、男女問わず当然なんじゃないだろうか。
そして、その瞬間を失敗させるわけにいかないと思うのも必然だと、僕は考えるわけである。
というわけで、実際に彼女に聞いてみることにした。
「君はどんなプロポーズが良い?」
「……それ、相手に聞くもの?」
呆れたような半眼でこちらをじっと見つめてきた。
流石はゲイザーだけあってすごく絵になってるな、なんて関心してると、彼女が深いため息をつく。
「キミってホント無頓着だよね、そういうの」
「あ、ため息吐いてるところ可愛い」
「なっ……! ほら、すぐそうやって変なこと言う……!」
ぷいと頬を赤らめてそっぽを向く彼女。
そういう仕草がいちいち可愛くて仕方ないのだけれど、言うとまた恥ずかしがるから、口に出さないでおこう。
……あんまりやりすぎると暗示でこっちに反撃してくるしね。
「でさ、プロポーズなんだけど」
「え、本気で言ってるの?」
「本気も本気」
そう僕が答えると、彼女は再び深いため息をついた。
それから小さく「プロポーズかぁ」と呟くと、唇に指を当て、天上に目を向けて。
しばらくそうした後に、ポツリ。
「……普通が良いかなぁ」
と、彼女が言った。
「普通?」
僕が聞き返すと、彼女は小さくうなずく。
「それは確かに、ロマンチックなシチュエーションに憧れたりもするけど……」
「けど?」
「キミとなら、違うんだ」
隣に座っていた彼女が、倒れ込むようにこっちに寄りかかってきて、目を閉じた。
「いつもと変わらずに言ってほしいの。結婚してって、当たり前みたいに。アタシと一緒にいるって……それが何でもないって風に」
いつもと変わらずに、当たり前みたいに。
それが、何でもないって風に。
もたれかかる彼女の体重を心地よく感じながら、彼女の言葉を反芻する。
ああもう、どうして彼女はそんなことを言うんだろうか。
僕の胸が痛いぐらいに高鳴ってしまっている。
ほんのちょっぴり、目頭も熱くなってしまったり。
彼女のことが大好きで。
愛おしくて。
彼女の愛に応えたくて。
こんなんじゃ普通な様子でプロポーズなんて、できっこないって。
「……聞いておいて、なんなんだけどさ」
「なぁに?」
「難しいよ、それ。君が好き過ぎて、今心臓バクッバクしてるもん」
それだけ言って、僕の方も目を閉じて彼女に寄り添った。
「じゃあ、プロポーズはまた今度だね」
「言えたらオッケーしてくれる?」
「しないなんて思うの?」
「ううん……ありがとう」
ドクンドクンと、熱い鼓動。
それから、トクントクンと、温かな鼓動。
僕らは二つのハートの音を聞きながら。
いつの間にか寝てしまうまで、静かに寄り添い合っていた。
◇
「どうしてわたしのSSって数が少ないのかなぁ……」
うっ、と僕は答えに詰まってしまう。
ちょっぴり哀しげな顔をして呟く目の前の女の子。種族は、マタンゴ。
大きな傘を帽子のようにして、体中からポコポコきのこを生やしている様子は、ファンシーで可愛らしいと言えばそうなのだけれど。
「わたしって、魅力ない……?」
「いや、そんなことは絶対にないよ! 可愛い、マタンゴちゃん可愛い!」
そう、可愛い。愛らしい。
このSSを読んでいるみんなも想像してほしい。
例えばロリボディのマタンゴちゃんが、自分の傘を両手で被るようにして「えへへ♪」と満面の笑みを浮かべている光景を。
ほら、萌えるでしょう。心に触れるものがあるでしょう。
どんな魔物娘だって、その存在は愛おしくかけがえのないものだ。
マタンゴちゃんだって例外ではない。
……の、だけれど。
「それじゃあ、どうしてSSは少ないのかなぁ……」
再び、うっ、と答えに詰まる僕。
言えない。
正直に「扱い辛いです」なんて言えない。
だって君たちって無差別に胞子を撒き散らしてバイオハザードしちゃうんだもん。
女の子がマタンゴ化するだけでなくて、男の子の方も「きのこ人間」になっちゃうし。
そのせいで物語の背景が非常に限定されちゃうんだよ。
例えば『マタンゴちゃんの胞子に誘われた男性がフラフラと深い山里に向かい、そこで出会ったマタンゴちゃんとラブラブえっち!』みたいなね。
魔物娘図鑑らしい王道SSと言えば聞こえが良いけど、厳しく言っちゃうと型に嵌ったSS。
これぐらいしか底辺SS作家の自分には作れそうもないです、はい。
……言えない。言ったらハートブレイクしそうだから。
「わたしも学校で、男の子と甘酸っぱい青春とかしてみたいっ!」
「ぶっ……!」
どうやってさ、という言葉はなんとか飲み込んだ。
いや、魔物娘には向き不向きなシチュエーションがありましてね?
学校という閉鎖空間に君たちをポンと投入しちゃうと、大惨事にしかならないんじゃないかと。
ギャグなら許されるけど、真面目なSSとなるとちょっと……。
ていうか君たち、動けないじゃん。根を張っちゃってるじゃん。
そして君たちの青春相手はもれなく「きのこ人間」になる運命なわけで……。
アカン。まともなSSにできる未来が見えへん。
「ねえ、どうにかしてわたしの青春ぐらふぃてぃーなSS書けないかな……?」
「え゛? いや、その……」
僕の腕を取って上目遣いで見上げてくるマタンゴちゃん。
そのお目々ウルウルと柔らかむにゅむにゅな感触に僕は絆されてしまい。
「が、がんばってみるね?」
「わぁ、ありがとう!」
ヘタレた返事をしてしまった。
嬉しそうにバフッバフッと胞子を吹き出す彼女。
ばれないように、こっそりため息をつく僕。
とりあえず、みんなから意見を募って、どうにかして考えてみようか。
お題は『いかにして現代舞台でマタンゴちゃんの青春SSを書くか』だ。
……文字にしただけで無理そうな雰囲気がヤヴァイんですけど。
自分もきのこ人間にならないよう、全身防護服とガスマスク姿のまま、僕は頭を抱えていた。
こんな無理難題を考えてくれる書き手仲間がいてくれることを、切に願いながら。
◇
学校に来てみたい。
それが彼女の、たっての望みだった。
「わぁ……教室って、こんな風なんだぁ」
教室を見回すと、彼女は感嘆の声を上げた。
自分では動けない、きのこな少女である、マタンゴの彼女。
胞子を撒き散らし、周囲の女性を同じマタンゴに変えてしまう。
男性の場合は、彼女たちのことで頭がいっぱいな、きのこ人間だ。
かく言う僕も、そのうちきっと頭からきのこが生えてくるに違いない。
「ほら、机と椅子も残ってるよ。座ってみる?」
「うん! ありがとう!」
そんな彼女の望みを叶えるべく、僕が選んだ方法がこれだった。
彼女を背負って、山を二人で一緒に降りて、車椅子に乗せて。
もう廃校になった学校にこっそりと忍び込み。
そうして始める、二人だけの秘密の授業。
「こら、そこの君。授業中にキョロキョロしちゃいけないぞ」
「きゃっ! せんせー、すみませんー!」
教卓から先生の振りをして注意をすると、彼女は生徒の振りをしてケラケラと笑う。
「あー、いけないんだぁ。授業中に余所見してたら駄目だぞぉ?」
「そっちこそ。僕と話なんてしてるじゃないか」
同級生のように、二人でお揃いの机に座ってみて、二人で吹き出して。
「さて、日本のシイタケの人工栽培の開祖となる人物の名前は?」
「……先生、分かりません」
今度は彼女を先生にして、僕が生徒役になって、苦笑い。
たった二人の小さな学校生活だけど、彼女はとても喜んでくれているようだった。
「あー、楽しかったなぁ」
学校を一巡りした後、彼女はそう言って天井を仰いだ。
それから僕の方を見て、ニッコリと笑顔を作ると。
「ねぇ! いつかわたしたちで、学校を作ろうよ!」
そう明るい声を上げた。
「え、どうやって?」
僕が思わず聞き返しても、彼女の笑顔はいっそう増すばかりだ。
「えっとねぇ……キミとたくさん、たーくさん子どもを作ってね? 二人でその子たちの先生になるの!」
「僕と君で?」
「そう、山の中での青空教室! すごい名案でしょ?」
彼女の語る、未来のこと。
その先に映るのは、子どもたちと僕らでの、家族で作る小さな学校。
子どもたちを切り株の机の前に座らせて、木の間に下げた黒板に、先生となった彼女と僕。
童話か何かみたいな、そんな学び舎。
それはおそらく、酷く単純で、ちっぽけなものになるんだろう。
「その頃には僕、立派なきのこ人間だよ? 先生なんて務まるかな?」
「大丈夫だよ! きっと素敵な学校になるに決まってるよ!」
だけど、僕の脳裏に浮かぶその光景は。
そこにいるみんなの笑顔があふれている、素敵なものだった。
「……うん、そうだね。君となら、きっと」
「そうだよ! えっとね、みんなで歌をうたったり、算数を勉強したり――」
教室の外、裏手の山の緑を窓から見つめながら、彼女は夢を語り続けている。
それを傍らで聞きながら、僕も同じようにその景色を眺める。
僕らの帰る場所は、柔らかく温かな光に包まれて、どこまでもキラキラと輝いて見えた。
◇
SS作者にとって、題材にする魔物娘の選択にはもちろん好みがある。
サキュバスやドラゴン、ヴァンパイアに稲荷などは人気種族の筆頭だ。
彼女たちは元の存在からメジャーであるためとっつきやすく、設定部分でも話が作りやすい。
そういうところでマイナー系の魔物娘たちとは投稿SS数に差が出るのは、まあ仕方ないことなんだろう。
だけど僕は、ちょっぴり可哀想にも思ってしまうのだ。
もし彼女たちが自分の種族のSS数が少ないのを見たら、やっぱり少し寂しいんじゃないかと。
「……あの、わたし……その……」
でもね。
だからといってね、ワーバットちゃん。
僕なんかのところにお悩み相談に来られても困っちゃうんだけど。
「あっ、うぅ……あの……」
目の前のワーバットちゃんは、翼で頭を抱えたままプルプル震えてしまっている。
というのも、彼女たちは光にとても弱く、明るい場所ではこうして何もできなくなってしまうのである。
かろうじて用件は聞き出せたけれど、このままだと会話が中々前に進まない。
かくなるうえは……えい、豆電球にスイッチだ。
「――私のSSを書いてほしいんだけど、できるわよね?」
部屋の照明が薄明かりになった途端、彼女は先程おどおどしていたのが嘘のように口調が変わった。
次第に薄暗い中に目が慣れていくと、彼女の目隠れフェイスにはニヤニヤと嫌らしい笑み。
暗闇の中での彼女たちは意地が悪い。その表情にははっきりと『僕が困っているのが面白いです』と書いてある。
「あのさ、どうして僕なの?」
「だってあなた、前にマタンゴの頼みを聞いてたじゃない」
「いや、あれは、だけど……」
確かに前にマタンゴちゃんから青春ぐらふぃてぃーなSSを頼まれたけれど、結局あれも別の人たちがちゃんとしたものを書いてくれたわけで。
僕も一応はSS書いてみたけど、正直最初は書くつもりはなかったっていうか、そういうわけでして。
「ワーバットSS、最後に投稿されたのがもう5年前なのよ?」
「それはそうだけどさ……」
「同じような状況だったのに、マタンゴだけSS書いてもらうなんて! 不公平よ、不公平!」
「あーうー、それを言われると……」
「私にも青春をちょうだい! みんなが羨むようなスクールラブライフを!」
「え゛? またそっち方面なの?」
キーキーと甲高い声で不満を述べるワーバットちゃんと、思わず変な声が出た僕。
まあでも、前回のマタンゴちゃんに比べれば、彼女たちの青春SSはなんとかなりそうではある……けれど。
ここで彼女の頼みを聞けばどうなるか。おそらく続々と「私も青春したい!」という魔物娘たちが押しかけてくるはずだ。
次はシー・スライムちゃんかバブルスライムちゃんか。そのまた次にはおおなめくじちゃん辺りだろう。
……どうしてこうも学園生活と縁が遠そうな子たちばっかりなんだろうか。
「ほらぁ、もし頼みを聞いてくれたなら――」
僕が返事をためらっていると、ワーバットちゃんは艶かしい声で囁きながら、こっちに身を乗り出してくる。
そして、僕の頬にちゅっと口付けると。
「――とっても良いこと、してあげちゃおっかな?」
「〜〜〜〜っ!?」
かなり衝撃的な台詞が飛び出てきた。
キスされた箇所を中心に、かあっと僕の顔に熱が集中してしまう。
「分かったから、書くから! 書くから離れて! お願い!」
「顔真っ赤にしちゃって、かわいいんだからー♪」
「あうぅ……」
「あ、お友達にも書いてもらえると嬉しいんだけどなー」
「はぁい、分かりましたぁ……」
これで僕もSSを書かないわけにはいかなくなってしまった。
おまけに他の人の分まで頼まれてしまって……他の人たちはこんな事情で書いてくれるのだろうか。
仕方ないから、頼もう。また1レスSSスレの人たちに協力してもらおう。
まあお題は『ワーバットちゃんで学校舞台のSS』なら……集まるのか、不安だ。
僕はがっくりとうなだれたまま、部屋の照明の紐に手を伸ばす。
上機嫌で翼をはためかせていたワーバットちゃんは、明かりがつくと「ひゃんっ」と可愛らしい声をあげて、またプルプル震え始めるのだった。
◇
ああ、もう。
お日様がずっと沈んでいれば良いのに。
そうすれば私は、先輩のことを……。
「どうかした?」
「あ、いえ……なんでも、ないです」
ワーバットである私は光がすごく苦手だ。
もし街を照らす夕日を、この日傘が遮ってくれなければ。
私はこの場で一歩も動けなくなってしまうだろう。
今は学校からの帰り道。
駅までの10分ほどの距離が、今日最後に先輩と一緒にいられる時間。
この時間が幸せで、それでいて、とても歯がゆくて。
「それなら良いけど、気分が悪くなったらすぐに言ってよ?」
「はい……ありがとうございます」
先輩。
大好きな先輩。
日光に当てられて、倒れてしまった私を助けてくれた、素敵な先輩。
普段はおどおどして何も出来ない私に、こんなにも優しくしてくれている先輩。
この想いを伝えたいけれど、光の中ではそんなことはできなくて。
でも先輩と一緒に過ごせるのは、日が昇っている間だけ。
だから私は、今も臆病なまま。
二人の関係はただの先輩と後輩というもの。
その先の一歩を、私は踏み出せないまま。
「それじゃ、また明日ね」
「はい、先輩……また、明日……」
駅に着くと、バイバイと手を振って、先輩は雑踏へと消えていく。
もう少し。あともう少しだけ、先輩が私と一緒にいてくれれば。
先輩に本当の私を見せてあげられるのだけれど。
待ってという言葉が私にはかけられない。
光の中では、私は臆病なのだから。
ああ、もう。
お日様がずっと沈んでいれば良いのに。
そうすれば私は、先輩のことを。
好きにしてしまえるのに。
きっと私のことを。
好きにしてしまえるのに。
◇
妬ましいの。
貴方が妬ましいの。
ああ、ああ。
妬ましくてたまらないわ。
妬ましいのよ。
何が妬ましいって、それよ。
貴方のその言葉よ。
『愛してる』って、その言葉よ。
どうして、どうしてなのよ。
貴方の『愛してる』は、こんなにも私の心を揺さぶるのに。
私からの『愛してる』は、ちっとも貴方の心に届かないんだわ。
同じ『愛してる』なのに何が違うっていうの?
ああ、妬ましい。妬ましくて妬ましくて気がおかしくなりそう。
ちゃんと届いてるって? そんなはずないわ。
私の『愛してる』が届いてるなら、貴方はそんなに落ち着いていられないはずよ。
だって私は、貴方に『愛してる』って言われると、それだけで気が遠くなりそうなの。
魂だけの私が、愛おしさで燃え尽きてしまいそうになるの。
胸が苦しくて、熱くて、もうどうにかなってしまいそうになって。
涙が溢れそうなほどに……貴方の言葉が嬉しくて。
貴方の『愛してる』は、こんなに厄介で、素敵だっていうのに。
私が『愛してる』って言っても、貴方はこうならないでしょう?
妬ましい、妬ましいの。
私の『愛してる』の、何がいけないの?
私の方が貴方を『愛してる』はずなのに。
ああ、妬ましい。貴方は本当にずるいわ。ずるくて、酷い人ね。
何か秘密があるんでしょう? 教えてちょうだい。
そんなの無い? 妬ましい、貴方ったら嘘を言うのね。
妬ましいわ。笑ってごまかそうなんて、そうはいかないわよ。
さあ教えなさい。貴方の『愛してる』に、どんな秘密があるの?
ほら、また『愛してる』だなんて言って。
私は一層、この心が愛で焦がれてしまうのに。
ああ、妬ましい。貴方が妬ましい。
何をニヤニヤ笑っているの? 早く白状した方が身のためよ。
まあ、貴方ったら。妬ましい、妬ましいわ。
私はこんなに悩んでいるのに、貴方は分かったような顔をして。
妬ましい、妬ましい。
ああ、ああ。
妬ましくてたまらないわ。
もう、貴方ってば。
妬ましくて、愛おしくて、変になりそうよ。
貴方ってば、もう。
まったく、妬ましいわ。
◇
犬 「何処いくの!? 散歩!? ねぇ! 散歩! 散歩いくの!?」
飼い主「仕事だよ」
犬 「本当!? 散歩じゃないの!? リード持たない!?」
飼い主「あぁ、仕事だからリード要らないよ」
犬 「そうかぁ! ボク犬だから! 犬だから仕事わかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬 「うん! でも仕事なんだ! そうなんだぁ! じゃあ着いてっていいんだよね!」
飼い主「違うよ。お留守番だよ」
犬 「そうかぁ! じゃあお留守番だね! 守ってよう!」
飼い主「うん、守ってようね」
犬 「あぁ! お仕事だからお留守番だね! ね、ご主人様!」
飼い主「うん、いい子で待ってていいよ」
犬 「あぁーご主人様とボクは今家を出てているよー! お散歩だよねぇー!」
飼い主「お留守番しててよ」
犬 「投げるの!? それ、投げるの!? ねぇ!ボール! ボール投げる!?」
飼い主「あぁ、投げるよ」
犬 「本当!? ボール投げるの!? 嘘じゃない!?」
飼い主「あぁ、ボール投げるから大丈夫だよ」
犬 「そうかぁ! ボク犬だから! 犬だから投げたふりとかわかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬 「うん! でもボール投げるんだ! そうなんだぁ! じゃあ取って来ていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。取っていいんだよ」
犬 「よかったぁ! じゃあ投げようね! ボール投げよう!」
飼い主「うん、投げようね」
犬 「あぁ! ボール投げるからボール取れるね! ね、ご主人様!」
飼い主「うん、ボール見てていいよ」
犬 「あぁーご主人様がボールを今投げているよー!」
犬 「ボールないよ! ボール!」
飼い主「投げたふりだよ」
犬 「渡るの!? これ、渡るの!? ねぇ! 信号! 信号渡る!?」
飼い主「あぁ、渡るよ」
犬 「本当!? 大丈夫なの!? 赤じゃない!?」
飼い主「あぁ、青だから大丈夫だよ」
犬 「そうかぁ! ボク犬だから! 犬だから色わかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬 「うん! でも青なんだ! そうなんだぁ! じゃあ渡っていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。渡っていいんだよ」
犬 「よかったぁ! じゃあ渡ろうね! 信号渡ろう!」
飼い主「うん、渡ろうね」
犬 「あぁ! 信号青だから信号渡れるね! ね、ご主人様!」
飼い主「うん、前見てていいよ」
犬 「あぁーご主人様とボクは今信号を渡っているよー! 気をつけようねぇー!」
犬 「眠るの!? 僕、眠るの!? ねぇ! 今! ここで眠る!?」
飼い主「あぁ、眠るよ」
犬 「本当!? 大丈夫なの!? ただ疲れただけじゃない!?」
飼い主「あぁ、15年も生きたから大丈夫だよ」
犬 「そうかぁ! ボク犬だから! 犬だから歳わかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬 「うん! でも15年も生きたんだ! そうなんだぁ! じゃあ眠っていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。いいんだよ」
犬 「よかったぁ! じゃあ眠ろうね! 穏やかに眠ろう!」
飼い主「うん、眠ろうね」
犬 「あぁ! 15歳だから大往生だね! ね、ご主人様!」
飼い主「うん、静かに眠っていいよ」
犬 「あぁーご主人様は今ぼろぼろ泣いているよー! 笑って見送って欲しいよー! 今までありがとねぇー!」
クー・シー「天国!? ここ、天国なの!? ねぇ! 天国! 本当に!?」
飼い主 「いや、違うよ」
クー・シー「本当!? 本当にご主人様なの!? 嘘じゃない!?」
飼い主 「あぁ、本当だから大丈夫だよ」
クー・シー「そうかぁ! ボク犬だから! 犬だからあの世とかわかんないから!」
飼い主 「違うよ、もう犬じゃないよ」
クー・シー「うん! でも天国じゃないんだ! そうなんだぁ! じゃあご主人様と離れなくていいんだよね!」
飼い主 「そうだよ。離れなくていいんだよ」
クー・シー「よかったぁ! じゃあ散歩いこうね! 一緒に歩こう!」
飼い主 「うん、歩こう」
クー・シー「あぁ! これからずっと一緒にいられるね! ね、ご主人様!」
飼い主 「うん、ずっと一緒だよ」
クー・シー「あぁーご主人様とボクはずっと一緒だよー! 幸せだねぇー!」
◇
子供が生まれたらクー・シーを飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、
子供の良き守り手となるでしよう。
子供が幼少期の時、
子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が少年期の時、
子供の良き理解者となるでしょう。
子供が青年になった時、
自らの体をもって子供に命の生まれる仕組みを教えるでしょう。
そして子供が父親になった時、
子供の最愛の妻として幸せな家庭を築いていることでしょう。
◇
「先輩。最後の詩、できました?」
「ううん……これは没みたい」
私は首を振って、たった今しがた書き付けていたものが彼の目にふれないように、ノートをパタンと閉じた。
さっき下校を促すチャイムが鳴ったところだから、そろそろ帰り支度をする頃合。
きっと夕日が遠い町並みに消えていき、窓から漏れる光が彼の横顔を照らしているんだろう。
それを直に見ることができないのは、やっぱりちょっと悔しくて、私は自分の仮面の端を爪で軽く引っかいた。
「キミは、どうだった?」
「俺もうまくいかなくて。ちょっと恥ずかしくて口には出せないです」
そう言って彼は頭を書いて苦笑を漏らす。
図書室での、二人だけの部活動。
私と彼は、文芸部の先輩と後輩という間柄。
今日の活動は詩を書いてみようというもので、できたものを二人で朗読して、感想を言い合うという、お遊びみたいなものだった。
「どんな詩だったの?」
「自分のことだったんですけど……なかなか、明け透けっていうか。先輩のは?」
「私も同じようなもので……人に見せられるようなものじゃないかな」
特に、キミにはね。
思っても口には出せないまま、机に広げていたノートや筆記用具をしまっていく。
彼のほうも、それ以上は何を言うでもなく、自分の荷物をまとめ始めている。
沈黙が心地良くて、だけど、もどかしくもある。
人付き合いが苦手な私にとって、唯一の繋がりと言える、彼と一緒にいる時間。
あの詩は、彼に対する私の気持ちを、思うままに綴ったものだ。
本当は彼のことを見つめてみたい。熱探知と魔力探知での仮初めのものでない、彼の本当の姿を見てみたかった。
そうして、彼を私のものにしてしまって――魔物娘としての本能と、私の陰気な欲望が、暗い炎になって私の胸にちろちろ燻っている。
けれど、臆病な私にはそれができない。むしろ、彼との関係が壊れないようにするほうが、ずっと大変なことだった。
あくまでも今の私は、彼にとって『良い先輩』でしかないのだから。
「それじゃ、先輩。出ましょうか」
「そうね。行きましょう」
私たちは司書さんに挨拶をして、昇降口に向かった。
今日、あと彼と一緒にいられるのは、ここから駅に到着するまでの間だけ。
それまでにどれぐらい、彼との仲を近づけられるんだろうか。
手を繋いで、抱きしめあって、キスをして――そんな恋人関係に、いつかなれるんだろうか。
駅までの道のりは、いつも短くてあっという間の、近いものに感じられるのに。
隣り合っているはずの彼との距離は。
どうしてだろう。
歯がゆくて、切なくて、手を伸ばしても届かない。
そんな遠いものに、感じられた。
◇
「やい、炬燵並びー。俺の横に入るのは止めろー狭いだろー」
「やぁですー、ウチはお兄様の隣じゃないとやぁですー」
「まったくお前はどうしようもない甘えん坊だなー」
「お兄様が甘やかしてくれるから良いんですー、うふふー」
「はぁー」
「はふー」
「あったけー」
「あったかいですー」
「尻尾がチリチリにならないようにだけ注意しろよー」
「はーい♪ それならお兄様がウチの尻尾を抱えててくださいー」
「仕方ないヤツめー。存分にもふってやるから覚悟せいー」
「やぁっ♪ お兄様ー、そんなに付け根をさわさわしちゃやぁですー♪」
「代わりに後でお兄様が特製きつねうどんを作ってやるからなー」
「お兄様ぁー♥ 愛してますぅ、お兄様ぁー♥」
「あー、ぬくぬくもふもふの幸せー」
「ぬくぬくさわさわの幸せー」
「へへー」
「うふふー」
◇
コーヒーを飲むとき、俺はいつもブラックで飲んでいる。
それは別に甘いものが嫌いだとか、ブラックで飲む方が格好良いと思ってるとか、そうではない。
単純にコーヒーを飲むのは気付けみたいな意味があって、わざわざ甘くすることもないかなと思っているだけだ。
だから、飲んでて苦いことは苦い。飲み込むときに少し渋い顔にはなるけど、ガマンして飲むってほどでもない。
俺にとってのコーヒーは、そういう嗜好の飲み物だ。
さて、そんなコーヒーなんだけれど。
どうやら彼女にとっては、すごく興味深い飲み物らしい。
「うー?」
「ああ、うん。これはコーヒーだよ」
真っ黒の飲み物が入ったカップと、それから俺の顔を交互に見比べてから、 彼女は不思議そうに小首を傾げた。
様子を見た限り、ゾンビである彼女は今までコーヒーを目にしたことがないようだ。
果たしてこれは飲めるのかな、といった感じで匂いをかいだり、熱いカップを指先で突っついたりもしている。
確かに彼女が俺の家に来てから、コーヒーを淹れるのは初めてだった気がする。
いつも飲んでいるのは缶コーヒーの方だったし、それも家でなくて他所で飲んでばかりだったし。
「うー、うー」
「え、飲みたいの?」
「でもコレ、すごく苦いけど……」
「うーっ、うーっ」
「わ、分かったよ」
こっちの腕を取ってねだる彼女に負けて、仕方なく俺は自分のコーヒーカップを渡した。
大丈夫かな、と思う俺の目の前で、彼女はニコニコとコーヒーに口をつけるけれど。
彼女のニコニコ顔は、みるみる内に渋い顔に変わっていき。
最後は口からだぁーっと零れ落ちていく、彼女には苦すぎたブラックコーヒー。
「ああ、だから言ったじゃないか」
「うー……」
「ほら、あーんして」
「うー?」
口周りを拭いてあげてから、俺は彼女にコーヒーシュガーを一杯差し出す。
本当はこういう使い方じゃないのだけれど、彼女の口直しにはぴったりだろう。
「今度は甘いから大丈夫。さ、あーん」
「うー」
渋面の彼女が、茶色い固まりの乗ったスプーンを口にすると。
その渋面は、すぅっとニコニコ喜びの笑顔に変わっていった。
「うー♪」
「こらこら、食べ過ぎると虫歯になっちゃうぞ」
コーヒーシュガーが気に入ってしまったのか、ポットから彼女はシュガーをすくっては口に運んでいき。
苦笑しながらその様子を見ていた俺が、自分のコーヒーカップに口をつけ……かけたところで、またも彼女が俺の腕をとって、それを制止した。
「どうかした?」
「うーうー」
駄目だよ、とでも言うように首を振る彼女。
どうも彼女からすると、もうコーヒーは口にしてはいけないもの認定されてしまったらしい。
俺がそんな劇物を飲もうとしてるので、心配になってしまったんだろう。
「いや、俺はそのままで飲むから」
「うーうー……」
まだ不安そうな顔をする彼女の頭を撫でて、コーヒーを口に含む。
ブラックコーヒーの香ばしい香りが鼻を抜けていき、それから舌に残るきつい苦味。
熱い苦味が喉を通るとき、やはり俺は少し顔をしかめてしまう。
「うーっ、うーっ」
「あのさ、俺は大丈夫だって――」
それを見ていた彼女は、一大事だとばかりに俺のことを揺すってから。
コーヒーシュガーを口いっぱいに頬張って、そして俺の両頬を掴んで。
「んぅっ!」
「――っ!?」
――俺の口の中に砂糖が流し込まれていった。
舌の上の苦味が、強烈なコーヒーシュガーの甘味にかき消されていく。
驚きで身が固まってしまった俺にお構いなしに、たっぷりと彼女は甘い甘い口付けを味わって。
「うーうー?」
そして、長いキスを終えてから、無邪気な笑顔で首を傾げる。
『大丈夫?』、なんて気軽に言うみたいな仕草で。
俺の心臓の鼓動なんて、まるで分かってないような仕草で。
……ああ、もう、本当に彼女ってゾンビは。
「……ありがと、苦くなくなった」
「うー♪」
胸から溢れる愛おしさに、彼女をそっと抱き寄せて頭を撫でる。
彼女は優しく俺を抱き返して、また嬉しそうな声を上げる。
すっかり甘ったるくなってしまった口の中は。
けれど全く嫌なものなんかでない。
幸せな甘味を、俺にいつまでも残していた。
◇
男を堕落させる女性、といって人はどんな女性を想像するのだろうか。
それはきっとこんな女性のことをいうのだろうと、俺は今思っている。
「あなた、お茶が入りましたよ」
「……ありがとう」
お盆に湯呑みを乗せて現れた女性……自称は『俺の妻』なのだけれど。
彼女は美しい微笑を浮かべながら、ちゃぶ台の上にお盆を置くと。
スルスルと、その真っ白な蛇の下半身を俺に巻きつけ、隣にぴったりと寄り添った。
ふわりと香るほの甘い香りと、柔らかな女性の感触に、俺の中で気恥ずかしさが湧いてしまい。
「……君はどうしていつも、俺に巻きつくんだ?」
「あ……お嫌、でしたか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「ふふっ……なら良かったです」
しゅん、と悲しそうな表情が一転、彼女はまたも優しい微笑みに変わる。
彼女はいつだってこうだ。儚げに泣きそうな顔をされると、俺もそれ以上何も言えなくなってしまう。
参ったな、とため息をついてから、俺が淹れてもらった湯呑みに手をかけると。
ひょい、と。何故か彼女は、湯呑みを俺から遠ざけた。
俺が手を伸ばすと、ひょい。ひょい、ひょい、ひょい。
「なんのつもりだ?」
「いけません、あなた。熱いお茶ですから、あなたが舌を火傷しては大変です」
「いや、それぐらい自分で気をつけるけど……」
「いけません。私が冷ましてさしあげます」
そう言って彼女は、優しい笑顔のまま。
俺の湯呑みの口をふぅふぅ、ふぅふぅと冷まし始めた。
いくらなんでも甘やかし過ぎじゃないか、と俺の顔に熱が集まっていく。
「あのな、流石にそんな真似をされると俺だって……」
「あ……お嫌、でしたか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「ふふっ……なら良かったです」
しゅん、と悲しそうな表情が一転、彼女はまたも優しい微笑みでふぅふぅ。
しばらくそうしてから、「はい、あなた」と俺に湯呑みが手渡され。
俺はなんだか複雑な気分で、その湯呑みを受け取り、お茶をずずっと口に流し込む。
……俺の好みの適温なのが、ちょっと悔しい。
「はぁ……」
「あなた、どこかお加減でも?」
「……いや、大丈夫だ」
「何かあれば仰ってくださいね。全部、私がやってさしあげますから」
「はぁ……ありがとう」
その台詞がため息の原因なんだ、とは言えなかった。
彼女はいつも嬉しそうに、あれもこれも俺に世話を焼き、何をするのも全部「私がやってさしあげます」と返し。
それでいて、隙あらば常に俺と身を寄せ合うという生活を送っている。
そんな日常に困惑しつつも……その毎日が段々と当たり前に、そして心地良く感じる自分がいるのが、妙な気分で。
……ついでに、堕落の道にまっしぐらに進んでいる気がするのも、悩みの種ではあるけれど。
「……あなた」
「どうかしたか?」
「ふふっ……すみません、呼んだだけです」
ただ、どこか儚げで、ふとしたら簡単に消えてしまいそうな彼女が。
俺と一緒にいることで、幸せそうに笑ってくれるから。
「……お茶、おかわりを持ってきてもらって良いかな?」
「もちろんです、あなた。少し待っていてくださいね」
「あぁ、うん。ありがとう」
俺は今日も彼女に甘やかされ。
ふぅふぅされたお茶を飲んでいる。
◇
「…………」
「お兄様、どうかなさいましたか?」
「おかしい……俺がパフェを食べようとしてるのに、妖怪『小さじ奪い』が出てこない」
「もう、お兄様……ウチだっていつまでもお兄様に甘えてばかりでないんですよ?」
「いやだって、お前はいつも俺の小さじを取って『やぁです、お兄様が食べさせてくれないとやぁですぅ』とか言ってたし」
「ウチも大人になってきたんです」
「なら、良いんだけど……」
「さぁ、お兄様。早く食べないとアイスやチョコが溶けちゃいますよ?」
「あ、うん……そうだな。いただきまーす」
「うふふ……いただきます」
「んむ……美味い」
「美味しいですねぇ」
「ほら、こっちのチョコはお前にやるよ」
「まぁ、ありがとうございます。ならこのクッキーはお兄様がどうぞ」
「おう、ありがと」
「んー♪ アイスも冷たくて美味しいです」
「あ、こら。俺の分も残してくれよ」
「はぁい、お兄様」
「俺はアイスと下のフレークを合わせて食べるのが好きでなー」
「ウチはプリンのカラメルとクリームが好きですー」
「美味いなー」
「うふっ……うふ、うふふっ」
「どうした、ニマニマして。そんなにパフェが美味いか?」
「だってお兄様、こうやって一つのパフェを二人で一緒に食べるなんて……まるで本当の恋人同士みたいで♪」
「…………」
「……お兄様?」
「ごちそうさま。残りのパフェはお前にやる。たらふく食うが良い俺は行くぞじゃあな」
「やぁっ! お兄様、やぁです! どうして食べるのを止めてしまうんですか!」
「小さじ奪いが出てこない衝撃ですっかり油断してたわ! 当たり前みたいに自分の小さじ用意して一緒に食べ始めやがって!」
「やぁです、ウチはお兄様が一緒に食べてくれないとやぁですぅ!」
「ええい、離せぇ! 俺はお前とバカップルごっこに興じるつもりはない!」
「やぁです、絶対に離しませんっ!」
「ならば弱点を突くのみ! 食らえ、尻尾付け根わしゃわしゃアタック!」
「やぁっ! やぁっ、お兄様、そこは優しくしてくれないとやぁですぅ♪」
「この、しつこい奴め! うりゃうりゃっ!」
「やぁっ♪ やぁっ♪ やぁーーーーっ♪」
◇
「ほら、絶対大丈夫だから! がんばってきてね!」
そう言って私は、明るく彼の背中を押す。
すると彼は緊張でぎごちない笑顔を浮かべて、一言お礼を残して、教室を後にした。
これから彼が向かう先は夕日が照らす屋上だ。
そこには彼が想いを寄せるあの子が待っている。
彼はあの子が好きで、あの子も彼のことが好きで。
でもお互いに想いを伝えることはできなくて。
だから私は、彼とあの子を引き寄せるために、今日まで色々とお手伝いをしてきたのだ。
彼には映画のペアチケットをあげて、あの子を誘うように仕向けたり。
あの子とは彼へのプレゼントを一緒に考えてあげたり。
二人はゆっくり、だけど確実に距離を詰めていた。
告白はもちろん成功するだろう。
明日の教室には初々しいカップルが誕生しているに違いない。
「あー! 長かったなぁ、もうっ!」
誰もいない教室の静寂を突き破るように、私は少し大きな声で独り言をぶちまける。
「二人とも両想いなのバレバレなのに、どうしてこんなに手間かかるのさっ!」
そうだそうだ。お互い奥手だからとは言え、もう少し積極的になっても良かったんじゃないか。
私の手助けがなかったら、お弁当を一緒に食べるぐらいのことすらできなかったのだから。
「まーでも、これで私もお役御免だよねっ! 明日から二人でイチャイチャしてるに決まってるんだしっ!」
誰も聞いていない教室に、私の声がむなしく響く。
「二人でお弁当を食べて!」
「二人で手を繋いで帰って!」
「二人でデートもして!」
「二人でラブラブ幸せはっぴーはっぴー!」
「そのうち結婚とかしてさ! 私も式に呼ばれたりとかして……!」
「そうやって、二人ずっと幸せに……!」
ああ、もう。
私、何を言ってるんだろう。
涙流しながら、一人で、何を言ってるんだろう。
「幸せで……さっ……!」
決めてたのに。
彼が好きなのは私じゃなかったから。
私じゃ彼を振り向かせることはできなかったから。
だから、彼とあの子を応援するって。
すっぱり彼が好きなのは諦めて、二人のことを応援しようって。
大好きな彼と、大好きなあの子を応援しようって。
そう決めてたのに。
「うぅ……ぁ……」
何でだろう……
ぼろぼろぼろぼろ、泣けて仕方ないんだ。
胸が痛くて、ズキズキって、痛いよ。
こんなところ誰かに見られるわけにいかないのに。
涙……止まってくれないよ。
「ひっく……ぅぁっ――うぁああああああああああああっ!」
もう声を押し殺すことなんてできなくて。
私はまるで赤ん坊みたいに泣き叫んでしまう。
神様がいるなんて、嘘ばっかり。
いたとしても……きっと意地悪だ。
私の願いを。私のこの胸の痛みを。知らん振りしてるんだから。
素敵なハッピーエンドを、用意してくれないのだから。
ねえ、悪魔さん。
神様じゃなくて、悪魔さん。
いるならお願い。
私の声を聞いてください。
どうか私を、彼と幸せにしてください
私と、あの子と、それから彼と。
3人で、幸せにしてください。
勝手かもしれないけれど。虫が良いって言われるかもしれないけれど。
でも、幸せが良いんです。
みんなが笑顔の、幸せが良いんです。
ねえ、悪魔さん。
私の声を聞いてください。
「――ねえ」
「聞こえたわよ、あなたの声」
「もう泣かなくて良いのよ」
「ハッピーエンド――用意してあげるわね」
◇
汚いケット・シーを見つけたので虐待することにした。
他人の目に触れるとまずいので家に連れ帰ることにする。
嫌がるケット・シーを風呂場に連れ込みお湯攻め。
充分お湯をかけた後は薬品を体中に塗りたくりゴシゴシする。
薬品で体中が汚染されたことを確認し、再びお湯攻め。
お湯攻めの後は布でゴシゴシと体をこする。
風呂場での攻めの後は、全身にくまなく熱風をかける。
その後に、乾燥した不味そうな魚を食わせる事にする。
そして見るからに怪しい牛女のラベルが貼ってある白い飲み物を買ってきて飲ませる。
もちろん、温めた後にわざと冷やしてぬるくなったものをだ。
その後は俺の股間に屹立するグロテスクな物体を中に散々出し入れして
ケット・シーの生殖本能を著しく刺激させ、体力を消耗させる。
ぐったりしたケット・シーを何年も使用しているせいでくたびれた布団の中に放り込み、寝るまで監視した後に就寝。
◇
いったいどんな言葉を紡いだら。
彼女にこの想いが届けられるんだろうか。
「どうかしたの?」
そう言って僕の隣で首をかしげる彼女。
その真っ赤な単眼に、夕日の光が重なるように輝いて。
触手についた目玉の一つ一つが、眩く煌いている。
ふわふわ浮いて、そのまま飛んでいってしまいそうな彼女の柔らかな手を、そっと繋ぎながら。
夕焼けの街並みを二人、家路についている最中。
ただ、この瞬間。
幸せという単語じゃまるで表現できないぐらいの、幸福。
そしてこの胸から溢れそうなほどの、愛おしさ。
彼女が好きだという、この想い。
それら全てを、いったいどんな言葉にしてみたら。
どんな形にしてみたら。
僕の想いが、彼女に届くんだろうか。
「えっと……」
うまく、声が出てこない。
初めて彼女に想いを告げた時のように。
咽がかすれて、鼓動が信じられないぐらい強くなって。
そして、何も言えないことが、もどかしくなって。
思い切って、そのままに。ただ、不器用に。
「君が、好きで」
不格好に、つかえながら。
「今、幸せで」
僕の口から、言葉が零れていく。
「だから……っ!」
だからこの想いを、どうにか君に届けたくて。
必死に言葉を探していたのに。
それが、うまくいかないんだ。
「……ねえ」
彼女がすっと、地面に降り立った。
それから僕を、ほんの少し見上げるようにして、小さく微笑みながら。
「キミが好きで」
僕と同じ言葉の欠片を。
「今、幸せで」
ゆっくりと紡いでいった。
「だから、ありがとう」
そう言って、彼女はちょっと背伸びをして。
僕と彼女の、唇が触れ合う。
そっか。
それが全てで良かったんだ。
ありがとうの言葉で、それで。
唇同士から伝わる温もりに。
さっき、僕では言えなかった「ありがとう」が。
ほんの僅かでも含まれることを、祈っていた。
おしまい。
18/02/08 20:54更新 / まわりの客