読切小説
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おねつはかり
 わが家には妖怪『お熱測り』が住んでいる。


 お熱測りは、俺が風邪のせいで寝込んでいると嬉々として現れて。

 そして熱のせいで動けない俺のおでこに、自分のおでこをくっつけるという、非常に面倒な妖怪だ。

 しかも、風邪を引いている期間中は何度も。

 何度も何度も、飽きもせず、おでこをぎゅ〜っとくっつけてくる。

 そのため俺はお熱測りの奇行を阻止すべく、自分の部屋からさっさと退避……したいのだが――



「うぐぅ……お熱測りめ、その手を離せぇ」

「めぇです、お兄様」

「いいから離せぇ」

「めぇです」

「離せって言ってるだろぉ……」

「めぇです、お兄様。動いたらめぇです」



 布団から這い出そうとする俺を制止し、首を横にフリフリする、狐耳と尻尾の生えた美女。

 これがお熱測り――別名「俺の妹の稲荷」だ。

 お熱測りはこんな風に、俺がヤツの魔の手から逃げ延びようとする度、そうはさせまいと布団の中に押し込めるのである。

 更に性質の悪いことに、この時ばかりは真面目な顔で。


 負けじと重い身体を引きずって立ち上がろうとしても、弱った俺には妖怪を押しのける力が残されているはずもなく。

 お熱測りは俺に何枚もの布団をかけ、冷えた氷枕の上に俺の頭を乗せ。

 重なった布団の、ちょうど俺の胸の辺りに手を置くと。

 その場所を、ポンポン。

 ポンポン、ポンポンと、手で叩く。


「ぐおぉ……やめろぉ……」
「こっち、です。お兄様は、こっち、です」


 これはお熱測りの予備行動だ。

 お熱測りは俺に対して様々な屈辱的行動……世間一般では『看病』と言われる行動を取るが、そのために俺を寝床に拘束する。

 なのでお熱測りが現れてしまうと、俺はせいぜいトイレに行くぐらいしか一人でいられる時間がない。

 必ずお熱測りが傍にいて、ありとあらゆる手段で俺を辱めていくのである。

……まるで俺は、幼児にでも戻ってしまった気分だ。


「くぅ……貴様はなぜ風邪を引かんのだぁ」
「それは、ウチが魔物娘だからです」


 そう。こいつは魔物娘であり、身体が人間より遥かに丈夫なのである。

 昔から風邪一つすら引いたことなく、俺はお熱測りを看病した記憶は存在しない。

 これがまだ小さな頃だったら、寝床で俺を心配そうに見詰めていることが多かったのに。

 段々、段々と。成長するにつれて俺に対しあれやこれやと世話を焼くようになっていき。

 今ではもうどんな高熱でも、医者にかかることすらなくなった。

 刑部狸さん経由で購入した薬と、こいつの看病で治ってしまうからである。

 その事実がまた、俺に強烈な敗北感を植え付けていくのだ。


「お兄様、ここで大人しく待っていてくださいね。今お粥を持ってきますから」
「やぁです……お兄様はお粥ぐらい一人で作れるんですぅ……」
「めぇっ。めぇです、安静にしてないとめぇですからね」


 過去、俺もお熱測りに頼らず自力で風邪から復帰しようと、懸命に気力を振り絞ったことがあった。

 その結果はご覧の通り、完全なる失敗の歴史の上に俺は立っている。

 インターネットで購入した薬を飲んでみた時など、熱を冷ますどころか体中にみなぎる獣欲で、危うく大事な妹の貞操を踏みにじるところであった。

 ちなみにそのピンチは鉄の意志と鋼の強さにより、自分の急所に渾身の空手チョップをくらわせたことで危機を脱している。


 まあ代償として俺は泡を吹いて数日動けなくなり、結局はお熱測りに看病をしてもらうことになったわけだが。

 もっと言えば尿瓶のお世話にもなり、「こんなお馬鹿な真似は二度としないでください!」ときつく叱られてもしまい。

 俺の生きてきた中で最低最悪の黒歴史として、今も燦然と輝いている。


「はぁい、お兄様。ウチの特製お粥を持ってきました」
「あぁ……鰹節の匂いと溶き卵の色合いが食欲を刺激するぅ……」
「ウチがあーんして食べさせてあげますからね」
「実は食欲が湧かないんだ……そこに置いといてくれぇ……」
「お兄様、口移しの方がよろしいんですか?」
「あーんの方が良いですぅ……」


 分かれば良い、とばかりにお熱測りは頷くと、小鍋からお粥を一口分すくって。

 ふぅふぅと息を吹きかけてから、それを俺の口へと差し出すと。


「お兄様、あーん♪」
















「……あーん」



 脳内で『やぁです! 妹にあーんされるなんてやぁですぅ!』と喚くプライドを羽交い絞めするのに、ちょっとばかし時間がかかった。



「ふぅ、ふぅ……あーん♪」
「あーん……あむっ、はふっ」
「うふふっ……お味の方はいかがですか?」
「あぁ、うん……美味い」
「まぁ♪ 良かったです♪」


 未だに脳裏ではプライドが跪いて『やぁです、やぁですぅ……』と嗚咽を漏らしているが、ヨシヨシとその頭を撫でてやりながら。

 俺はお粥を大人しく口の中に収めていく。

 ……我ながら、よく我慢しているなと思う。


「ん……ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。ウチは食器を片付けてきます」
「おぉぅ……」


 そうこうしている内に小鍋の中身も空っぽになり。

 ご機嫌な様子のまま、お熱測り尻を振って部屋を出ていった。

 ようやく屈辱の時間は終わりを迎えたかと思われるが……そんな甘い話は幻想なのだ。

 なぜかと言えば、それは。

 それはヤツがその名の通り、『お熱測り』だからなのである。



「お兄様ぁ……良い子で待っててくれましたかぁ?」


 片づけを済ませて戻ってきたお熱測り。

 その顔はこれから始まる行為への喜びのためか、ほんのり紅潮しており。

 高熱に苛まれているはずの俺の背筋に、一瞬寒気のようなものが走る。


「止めろぉ、来るなぁ……」
「ふふっ……めぇですよ、お兄様。ご飯を食べたらお熱を測らないと……」


 ゆっくりとした足取りでお熱測りはこちらに寄ってきて。

 俺は力なくイヤイヤをしてから、布団の中に潜り込んで最後の抵抗を図る。

 しかし、布団はヤツに容易くめくられてしまい。


「離せぇ、離せぇ……」
「さぁ、お兄様。ウチがお熱を測ってさしあげますから……」
「うあぁ……」


 お熱測りは、仰向けにした俺の両頬に手を添えると。

 その美しい顔を、そっとこっちに近づけてきて――



「んん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ♪」
「ふぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」



 ぎゅっ〜っと、俺のおでこに自分のおでこを押し付けてきた。

 パタパタと、俺の手足とやつの尻尾が布団を叩く音。

 お互いの鼻先がくっつくぐらいに近く。

 ともすれば簡単に、二人の唇同士が触れ合ってしまうぐらいの距離で。

 ぎゅうぅぅぅう〜〜〜〜〜〜、っと。

 おでことおでこが、互いの体の熱を伝え合う。


「ん……お兄様、まだお熱が高いみたいですね」
「おのれぇ……この屈辱は忘れんぞぉ……」
「ウチが一緒に添い寝してさしあげますから、安心して眠ってくださいな」
「くそぉ、お熱測りめぇ……人の話を聞けぇ」


 ひとしきり満足するまで、おでこをぎゅ〜っとすると。

 俺の怨嗟の声を聞き流し、お熱測りは布団にいそいそと入り始める。

 そして俺の頭を抱えるようにして、その柔らかく豊かな胸に引き寄せ。

 熱で浮かされた俺の頭を、ポンポン。

 ポンポン、ポンポンと、手で叩く。


「やめろぉ……やめてくれぇ……」

「やぁっ……お兄様、しゃべるとくすぐったいです」

「なら離さないかぁ……」

「やぁですぅ、お兄様のお熱はウチが治してさしあげるんですぅ」

「治ったら俺を辱めたことを後悔させてやるからなぁ……」

「はぁい、ウチは楽しみに待ってますからね」

「くそぅ……」


 これ以上何を言っても仕方ないと、俺は観念してお熱測りの胸に顔を埋める。



 こうして今日もまた、お熱測りは俺の熱を測って。

 結局俺はお熱測りと添い寝をすることになり。

 そして、最後に。

 お熱測りの口から、必ず出る言葉。



「お兄様……」



「……なんだぁ?」



「……早く良くなってくださいね、お兄様」



 俺から返事することはなく、ただ黙ってヤツの身体を抱き返す。

 ちょっとして、俺の意識がまた深い眠りに落ちるまで。



 ……まったく、本っ当に。


 お熱測りという妖怪は。


 お節介で、健気で、やっぱりどうしようもない甘えん坊で。


 いつまでも手に負えない、困った妖怪だなと。


 俺は温かな気持ちになるのであった、













 おしま――
















「完治したぞ」

「うふふ、お兄様が元気になって良かったです♪」

「……さて、俺が言ってたことは覚えてるな?」

「え……?」

「俺を辱めたことを後悔させてやるって、言ったよなぁ……?」

「お、お兄様……?」

「よくも俺にあんな恥辱を味わわせてくれたなぁ……」

「やぁ、やぁっ……!」

「逃がすか、このやろっ!」

「やぁっ!」

「散々熱を測りやがって、ほらほらどうだっ! すっかり熱も下がっただろ、こんにゃろっ!」

「やぁっ♪ お兄様ぁ、そんなにウチのおでこをグリグリしないでくださいぃ!」

「覚悟しろよ! この後は俺の特製油揚げ入りおじやを口に放り込んでやるからな! しかも熱々のやつを!」

「やぁです、お兄様ぁっ♪ お兄様がふぅふぅしてくれなきゃやぁですぅっ♪」

「それから風呂場で揉みくちゃにして、最後は一晩中抱き枕代わりにしちゃるっ!」

「やぁっ♪ 許してください、お兄様ぁっ! そんなことされたらウチもお熱が出ちゃいますぅっ!」

「許すもんか、こんにゃろめっ! 看病してくれてありがとよっ、このっ! このこのこのこっ!」

「やぁです、お兄様ぁ! やぁっ、やぁっ、やぁっん♪」


















 おしまい♪
17/11/06 20:00更新 / まわりの客

■作者メッセージ
風邪を引いた瞬間に脳裏に浮かんだネタでした。

今回はノドに優しい甘さですよね!
もうこのSSを読めば咳なんて一発で止みますよね!

 ◇

 オマケ


「お兄様……」

「……なんだ?」

「もしウチにお熱が出たら、お兄様はウチのことを看病してくれますか……?」

「……なに言ってんだか」

「ふみゅ……」

「お前は風邪なんて引かないんだろうに」

「でも、ウチも風邪を引けばお兄様に甘えられますから……」

「はいはい、これ以上俺に甘えちゃめぇですぅ」

「やぁ……お兄様ぁ、やぁですぅ……」

「……あのな」

「お兄様……?」

「……俺は、お前が元気でいてくれるのが一番だから」

「お兄様……」

「分かったらもう寝なさい。抱き枕が話してたら俺も眠れないだろ」

「ふふ……はい、お兄様。お休みなさいませ……」

「ん、お休み……」


 おしまい♪

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