くびわをはめて
アヌビスというのは、突発的な事態にものすごく弱い種族だ
何もなければ冷静で理知的で、理路整然と物事を進められるのに、計画が崩れると途端に取り乱して慌てふためく。
終いにはお目々グルグル、その場でグルグル、犬に先祖がえりしたように「きゃんきゃんきゃんきゃうんッ!」。
それはもう、傍から見てると面白いぐらいの慌てっぷりだ。
いつもだったら俺もそのことを承知で、できる限りの範囲で彼女の計画通りになるように行動したり。
逆に、どうしたって上手くいかないだろうなって時は、彼女が大慌てすることを前提に、裏でこっそり俺が予定を組んでおいたり。
何事もそんな感じで、俺と彼女は今まで一緒にやってきたのだけれど。
だけど、今日は。
今日という今日ばかりは。
俺の想定が甘かったというか、浅慮だったというか、なんというか。
とにかく……自分の考えが至らなかったと、心の底から反省している。
「……えっと、落ち着きましたか?」
「くぅん……」
彼女は俺の問いかけに、まるで子犬が鳴くような声で答えた。
それも、ソファーに座る俺の膝の上に擦り寄り、上目遣いで顔を見上げているという、これもまた子犬のするような体勢でだ。
「俺の言うことは分かります?」
「わんっ」
お目々のグルグルは戻ったけれど、どうやら頭の中身は戻ってこれていないらしい。
切れ長の目からは理性的な鋭さは消え失せ、代わりに宿っているのは無邪気な輝き。
尻尾も勢い良くブンブンと振られて、彼女の感情がダイレクトに表現されている。
彼女がこんな『子犬状態!』になってしまった原因は俺にある。
ついさっき、俺は彼女にプロポーズをした。
いや……しようとしたのだ。
緊張ではち切れそうな胸を必死に押さえ、彼女と俺のために用意した結婚首輪を取り出して。
何日も何日も悩んで考えた一世一代の台詞を、絶対に間違えないようにと自分に言い聞かせて。
ところが、俺の緊張っぷりと首輪を見た途端に、彼女は全てを察してしまったのだ。
そして予想外の出来事に、あっという間にパニックになった。
『あの……貴女に大事な話があるんです』
『おおおおおおお、おまっ、おま前っ!? そそそそ、そそそそそそ、それはもしやっ!?』
『はい、そうです』
『けっ、けこっ、けっここここここ!? ぷぷぷぷぷぷ、ぷろっ、ぷろっ、ぷろぽ――はわわわわわわわわわわわわわっ!?』
『……あ』
『はわわわわわわわわわわわわわっ! きゃ、きゃうんっ! きゃうきゃうきゃうきゃうん! きゃいんきゃいんっ!』
俺がしまったと思った時にはもう遅い。
彼女は目を回しながら四つん這いになり、自分の尻尾を自分で追い掛け回していた。
「失敗……だったかなぁ」
「くぅん?」
自分の浅はかさが恨めしかった。
事前に匂わせることもなく急にプロポーズをしようものなら、彼女が混乱するなんて分かりきっていることのはずだった。
だけど俺は自分のことばかりに気が行ってしまって。
ただ、彼女がプロポーズを受けてくれるだろうかとか、そんなことしか考えてなくて。
結果として俺は、彼女にちゃんとしたプロポーズもできずにいる。
膝の上の子犬状態な彼女の頭を撫でるという、後から怒った彼女にマミーの呪いをかけられても仕方のないことをやっている。
「失敗に決まってるよなぁ……」
「くぅん……」
俺の脇に置かれた、結婚首輪の箱。
今日のところはもうコイツの出番はやってこないだろう。
明日になったら土下座して、それから彼女が落ち着けるタイミングを見て渡すことにしよう。
こんな失敗をしてしまったから。どうせ格好なんて付くはずもないのだし。
「結婚首輪は、また今度にしましょうか――」
そう思って、俺が首輪の箱を仕舞いに立ち上がりかけた、その時だった。
「わうっ! ぐるるるるるるるるっ!」
「えっ……?」
彼女は俺の膝を抑えつけると、唸りながら腕に噛み付いてきた。
もちろん痛いことなんてないのだけれど、さっきまで機嫌の良かったはずの彼女の行動に、俺はあっけに取られる。
「あの、どうかしました……?」
「わうっ、わうっ!」
彼女が鼻の先で首輪の箱を指し示す。
それを俺が手に取ると、目を細めながら元気良く吠え、ぐいぐいと頭を俺の胸に押し付けた。
まるで、首輪を嵌めてくれと子犬が主人に甘えるみたいに。
「これ……良いんですか?」
「わんっ!」
本当に今、これを渡してしまって良いのだろうか。
躊躇いがないわけでもなかったけど、それでも彼女の嬉しそうな表情を見ると、このまま断るなんてできそうもない。
彼女は子犬状態だけど、それでも彼女は彼女だ。いつもと違ってちょっと中身がワンコに戻っているけど、その分自分の気持ちにも素直になっている。
そんな彼女が、首輪を嵌めてくれようと……俺のプロポーズを受けてくれようとしている。
その気持ちが、俺にはすごく嬉しかった。
「それじゃあ……」
「くぅん……」
もう一度箱から、ピカピカの金色に光る首輪を取り出して。
二人で居直って、お互いのことをまっすぐ見詰める。
練習してたプロポーズの台詞は、ゴタゴタのせいですっかり飛んじゃったけれど。
それでも構いやしない。
拙くてもとにかく、俺の気持ちがなんとか、彼女に伝わるように。
「まず……すみませんでした。何も相談無しに、急すぎる話で」
「くぅん」
「俺は馬鹿な男です。貴女のことを気遣えない、どうしようもない男です」
「くぅん……」
「そんな駄目男ですけど、貴女のことが大好きです。愛しています」
「きゅぅん……♥」
「だから、貴女の一生を俺にください。つりあわないでしょうけど、俺の一生を貴女にあげますから」
ああ、やっぱりな。
用意していた台詞の、十分の一もサマになってないプロポーズになってしまった。
だけど、それでも。
たった十分の一でも。
俺の気持ちは。俺の愛は。
俺の一生を差し出す、最愛の人に届いただろうか。
「きゅぅん……♥」
彼女の細い首に、結婚首輪をそっと嵌めて。
カチリと音を立てて、首輪が留まり――
「――わうううっ!」
「うわっ!?」
彼女は満面の笑みを浮かべて、俺に飛び込んできた。
慌てて彼女を抱きとめて、プロポーズの成功に、目頭が熱くなるぐらい込み上げて来るものがある。
「ありがとうございます。俺、絶対に貴女のことを幸せに――」
「わうううっ! きゃんきゃんきゃんきゃんっ!」
「あ、もう俺の言葉は届いてないな」
頭の中が安堵と幸せでゴチャゴチャになっているところだけれど。
まだ自分の方の首輪をしていないので、なんとか彼女を引き剥がそうとして。
だけど最早、彼女の頭の中は愛の言葉でいっぱいで。
理性の一欠けらも残されていない彼女に、俺はまるで太刀打ちできない。
「きゅうんっ! ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺぺろぺろぺろ!」
「わぷっ、ちょっ、まだ俺、自分の首輪が……っ!?」
「へっへっへっへっへっ! がうっ! がうがうがうっ!」
「あっ、服は駄目ですって! 自分で脱ぎますから、爪立てちゃ――」
――ビリビリビリビリッ!
「ああああっ! 俺のお気に入りの服がああぁぁっ!?」
「がうがうがうがうっ! がうぅーっ!」
「だめっ、ちょっ、待ってください、せめてパンツだけは許してくださ――」
――ビリビリビリビリッ!
「あああああああああああああああああああああっ!」
「わおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーんっ♥」
俺は子犬から獣(ケダモノ)になった彼女に、一晩中搾り取られることになるのだった。
◇
それから次の日。
案の定、俺は冷静になった彼女に真っ赤な顔でこっ酷く叱られてしまい。
あれだけ絞られた後にも関わらず、マミーの呪いでメチャクチャにお仕置きをされて。
おまけに準備していたプロポーズの台詞もきっちり言わされて。
最後にはしっかりと彼女から、自分の分の首輪を嵌めてもらいましたとさ。
おしまい♪
何もなければ冷静で理知的で、理路整然と物事を進められるのに、計画が崩れると途端に取り乱して慌てふためく。
終いにはお目々グルグル、その場でグルグル、犬に先祖がえりしたように「きゃんきゃんきゃんきゃうんッ!」。
それはもう、傍から見てると面白いぐらいの慌てっぷりだ。
いつもだったら俺もそのことを承知で、できる限りの範囲で彼女の計画通りになるように行動したり。
逆に、どうしたって上手くいかないだろうなって時は、彼女が大慌てすることを前提に、裏でこっそり俺が予定を組んでおいたり。
何事もそんな感じで、俺と彼女は今まで一緒にやってきたのだけれど。
だけど、今日は。
今日という今日ばかりは。
俺の想定が甘かったというか、浅慮だったというか、なんというか。
とにかく……自分の考えが至らなかったと、心の底から反省している。
「……えっと、落ち着きましたか?」
「くぅん……」
彼女は俺の問いかけに、まるで子犬が鳴くような声で答えた。
それも、ソファーに座る俺の膝の上に擦り寄り、上目遣いで顔を見上げているという、これもまた子犬のするような体勢でだ。
「俺の言うことは分かります?」
「わんっ」
お目々のグルグルは戻ったけれど、どうやら頭の中身は戻ってこれていないらしい。
切れ長の目からは理性的な鋭さは消え失せ、代わりに宿っているのは無邪気な輝き。
尻尾も勢い良くブンブンと振られて、彼女の感情がダイレクトに表現されている。
彼女がこんな『子犬状態!』になってしまった原因は俺にある。
ついさっき、俺は彼女にプロポーズをした。
いや……しようとしたのだ。
緊張ではち切れそうな胸を必死に押さえ、彼女と俺のために用意した結婚首輪を取り出して。
何日も何日も悩んで考えた一世一代の台詞を、絶対に間違えないようにと自分に言い聞かせて。
ところが、俺の緊張っぷりと首輪を見た途端に、彼女は全てを察してしまったのだ。
そして予想外の出来事に、あっという間にパニックになった。
『あの……貴女に大事な話があるんです』
『おおおおおおお、おまっ、おま前っ!? そそそそ、そそそそそそ、それはもしやっ!?』
『はい、そうです』
『けっ、けこっ、けっここここここ!? ぷぷぷぷぷぷ、ぷろっ、ぷろっ、ぷろぽ――はわわわわわわわわわわわわわっ!?』
『……あ』
『はわわわわわわわわわわわわわっ! きゃ、きゃうんっ! きゃうきゃうきゃうきゃうん! きゃいんきゃいんっ!』
俺がしまったと思った時にはもう遅い。
彼女は目を回しながら四つん這いになり、自分の尻尾を自分で追い掛け回していた。
「失敗……だったかなぁ」
「くぅん?」
自分の浅はかさが恨めしかった。
事前に匂わせることもなく急にプロポーズをしようものなら、彼女が混乱するなんて分かりきっていることのはずだった。
だけど俺は自分のことばかりに気が行ってしまって。
ただ、彼女がプロポーズを受けてくれるだろうかとか、そんなことしか考えてなくて。
結果として俺は、彼女にちゃんとしたプロポーズもできずにいる。
膝の上の子犬状態な彼女の頭を撫でるという、後から怒った彼女にマミーの呪いをかけられても仕方のないことをやっている。
「失敗に決まってるよなぁ……」
「くぅん……」
俺の脇に置かれた、結婚首輪の箱。
今日のところはもうコイツの出番はやってこないだろう。
明日になったら土下座して、それから彼女が落ち着けるタイミングを見て渡すことにしよう。
こんな失敗をしてしまったから。どうせ格好なんて付くはずもないのだし。
「結婚首輪は、また今度にしましょうか――」
そう思って、俺が首輪の箱を仕舞いに立ち上がりかけた、その時だった。
「わうっ! ぐるるるるるるるるっ!」
「えっ……?」
彼女は俺の膝を抑えつけると、唸りながら腕に噛み付いてきた。
もちろん痛いことなんてないのだけれど、さっきまで機嫌の良かったはずの彼女の行動に、俺はあっけに取られる。
「あの、どうかしました……?」
「わうっ、わうっ!」
彼女が鼻の先で首輪の箱を指し示す。
それを俺が手に取ると、目を細めながら元気良く吠え、ぐいぐいと頭を俺の胸に押し付けた。
まるで、首輪を嵌めてくれと子犬が主人に甘えるみたいに。
「これ……良いんですか?」
「わんっ!」
本当に今、これを渡してしまって良いのだろうか。
躊躇いがないわけでもなかったけど、それでも彼女の嬉しそうな表情を見ると、このまま断るなんてできそうもない。
彼女は子犬状態だけど、それでも彼女は彼女だ。いつもと違ってちょっと中身がワンコに戻っているけど、その分自分の気持ちにも素直になっている。
そんな彼女が、首輪を嵌めてくれようと……俺のプロポーズを受けてくれようとしている。
その気持ちが、俺にはすごく嬉しかった。
「それじゃあ……」
「くぅん……」
もう一度箱から、ピカピカの金色に光る首輪を取り出して。
二人で居直って、お互いのことをまっすぐ見詰める。
練習してたプロポーズの台詞は、ゴタゴタのせいですっかり飛んじゃったけれど。
それでも構いやしない。
拙くてもとにかく、俺の気持ちがなんとか、彼女に伝わるように。
「まず……すみませんでした。何も相談無しに、急すぎる話で」
「くぅん」
「俺は馬鹿な男です。貴女のことを気遣えない、どうしようもない男です」
「くぅん……」
「そんな駄目男ですけど、貴女のことが大好きです。愛しています」
「きゅぅん……♥」
「だから、貴女の一生を俺にください。つりあわないでしょうけど、俺の一生を貴女にあげますから」
ああ、やっぱりな。
用意していた台詞の、十分の一もサマになってないプロポーズになってしまった。
だけど、それでも。
たった十分の一でも。
俺の気持ちは。俺の愛は。
俺の一生を差し出す、最愛の人に届いただろうか。
「きゅぅん……♥」
彼女の細い首に、結婚首輪をそっと嵌めて。
カチリと音を立てて、首輪が留まり――
「――わうううっ!」
「うわっ!?」
彼女は満面の笑みを浮かべて、俺に飛び込んできた。
慌てて彼女を抱きとめて、プロポーズの成功に、目頭が熱くなるぐらい込み上げて来るものがある。
「ありがとうございます。俺、絶対に貴女のことを幸せに――」
「わうううっ! きゃんきゃんきゃんきゃんっ!」
「あ、もう俺の言葉は届いてないな」
頭の中が安堵と幸せでゴチャゴチャになっているところだけれど。
まだ自分の方の首輪をしていないので、なんとか彼女を引き剥がそうとして。
だけど最早、彼女の頭の中は愛の言葉でいっぱいで。
理性の一欠けらも残されていない彼女に、俺はまるで太刀打ちできない。
「きゅうんっ! ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺぺろぺろぺろ!」
「わぷっ、ちょっ、まだ俺、自分の首輪が……っ!?」
「へっへっへっへっへっ! がうっ! がうがうがうっ!」
「あっ、服は駄目ですって! 自分で脱ぎますから、爪立てちゃ――」
――ビリビリビリビリッ!
「ああああっ! 俺のお気に入りの服がああぁぁっ!?」
「がうがうがうがうっ! がうぅーっ!」
「だめっ、ちょっ、待ってください、せめてパンツだけは許してくださ――」
――ビリビリビリビリッ!
「あああああああああああああああああああああっ!」
「わおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーんっ♥」
俺は子犬から獣(ケダモノ)になった彼女に、一晩中搾り取られることになるのだった。
◇
それから次の日。
案の定、俺は冷静になった彼女に真っ赤な顔でこっ酷く叱られてしまい。
あれだけ絞られた後にも関わらず、マミーの呪いでメチャクチャにお仕置きをされて。
おまけに準備していたプロポーズの台詞もきっちり言わされて。
最後にはしっかりと彼女から、自分の分の首輪を嵌めてもらいましたとさ。
おしまい♪
17/10/09 13:33更新 / まわりの客