読切小説
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矜持の選択
 とある山の奥深く存在する古城に、一匹のドラゴンが棲んでいた。
 そのドラゴンは極めてプライドが高かった。
 鋼鉄を容易く切り裂く屈強な爪も、天空を翔ける大きな翼、数多の英知詰まった頭脳も――全てを自分は備えている。そう自負していた。

 だから、魔王が代替わりしたことにより、その自慢の巨躯がほとんど奪われてしまったことは、屈辱以外の何物でもなかった。地上の王者たる自分が他者に支配されているという事実が許せなかった。
 そしてなにより、自分の身体が卑しい淫魔のそれと近しいものに変化したことが、最も受け入れられないものだった。その身を見られることを嫌い、古城に篭るようになったのも、それが理由であった。

 ドラゴンは男と出会いたくなかった。
 もし出会ってしまえば、淫魔の魔力にあてられた雌の身体が発情しかねない。
 男に媚びた声をあげ、種付けをねだる――それは想像する中でも最低の悪夢だった。
 幸いにも、棲家の古城は人が絶えて久しく、誰も訪れるものはいなかった。
 ドラゴンはそこで、過去集めていた金銀財宝に囲まれながら、かつての栄光に思いを馳せる日々を過ごしていた。



 そんなある日、棲家の古城に初めての来客が現れた。
 来客は、全身を血だらけにして今にも死にそうな様子の、鎧姿の青年だった。
 ドラゴンは自分の住居を血で汚すものがいることに、そしてその無礼者が男であることに、大きく顔をしかめた。
 男は出血多量で息も絶え絶えだ。放っておけば何もしなくても、この男は死ぬ。
 いくら男が来たとはいえ、このまま見殺しにしてしまえば問題は起きないだろう。そうドラゴンは考えていた。
 だが、ドラゴンは男を治療せずにはいられなかった。寝床になっている宝物庫に戻ろうと踵を返したところで、胸の辺りを猛烈な不快感が襲ったのだ。
 それが魔王の魔力の影響であることがまた不愉快であるのだが、何もせずにいると胸の不快感は際限なく増していく。
 仕方なしにドラゴンは、男に秘宝の中にあった治療薬を与えた。
 たちまちに傷の癒えた男を、古城の部屋の一つに引きずり、適当な食べ物を投げ入れておくと、あとはもう平気だろうと宝物庫へと帰っていった。
 寝床の中で、ふと男の匂いが身体についてしまったことに気付き、再び顔を大きくしかめて、近くの湖にまで水浴びに飛び立っていった。
 男の匂いは、よく身体を清めないと取れなかった。



 翌日になって、宝物庫の門を叩く者がいた。
 きっとあの死に損ないに決まっている。
 ドラゴンは無視を決め込むつもりだったが、男は門をこじ開けようとしているらしく、施錠口に鈍い金属音が鳴り響き始めた。
 最悪の目覚めだとうんざりしつつ、ドラゴンは門を開けようとするのを止めろと怒鳴った。
 自分を助けてくれたのはあなたか。男の声が聞こえた。
 違う。二度とこの城に足を踏み入れるな。
 それだけ答えると、ドラゴンは耳を塞いで、口を噤んだ。
 男はしばらく門の前に立っていたようだが、一言ありがとうと答えた後、小さな足音を響かせてどこかに去っていった。
 どうして自分が隠れるような真似をしなくてはならないのか。
 それに腹を立てつつ、ドラゴンは男が城から去るまでもう少し寝ているかと目を閉じた。暗闇の中で、耳に男の声が残っていた。まだ年若く、気の優しそうな声だった。



 数日後、男の姿が見えなくなったことに安堵していた矢先に、ドラゴンは城の中を歩いている男と出くわしてしまった。
 男はドラゴンを見て少しばかり驚いたようだが、すぐに微笑んで自分を助けてくれたことのお礼を述べ始めた。
 ドラゴンは、二度と城に入るなと言ったはずだと叫び、その身を巨大な竜の姿に変えて、男を追い払った。
 男が城門から走り去ったところで、身体を元に戻し、城の中へと帰っていく。
 気分は最悪の度合いを更新していた。なにしろ、自分のこのひ弱な身体を見られてしまったのだ。それに、男がまた戻ってこないとも限らない。
 まったくもって事態が悪化していることに苛立ちながら歩いていると、脳裏にさっきの男の笑顔がよぎった。声と同じく、人の好さそうな笑顔であった。



 あの男は来ないようだな。そんな風に思い出す程度にまで時間が経った頃、またも男は城にやって来た。
 激怒するドラゴンを前に、男は命を助けてくれたほんの心ばかりのお礼だと、宝石のあしらわれた指環を一つ置いていき、また吼えられては敵わないとばかりに、慌てて駆け出していった。
 あんな男が置いていった指環など誰が受け取るものか。
 最初はそうやって指環を床に捨て置いていたドラゴンだったが、指環のことがどうしても気にかかってしまうため、しぶしぶ指環を拾い上げ、宝物庫に持ち帰った。
 あの男はもう来ないのだろうか。寝床で、男の残した指輪を明かりにかざして眺めながら、ふとそんなことを考えた。



 それからまたしばらくの時間が経った頃、ふらりと男が現れた。
 立ち寄った遺跡で綺麗な王冠が手に入ったと、笑顔でドラゴンに差し出してくる。もう顔を見せるなと口走ったところで、自分の口調が以前よりもかなり柔らかくなっていることに気付いた。
 ドラゴンは、男に心を許し始めていることに愕然として、王冠をひったくると宝物庫へと一目散に帰っていった。
 息が荒くなっている。それが男の笑顔のせいであることが受け入れられず、お気に入りだった宝物をメチャメチャに荒らし始めた。
 しかし、男から貰った指輪と王冠は、傷つけようとしてもできなかった。



 それからドラゴンにとって地獄のような日々が始まった。

 男は定期的に現れては、ドラゴンに宝物を置いていくようになった。
 どうやら男は元勇者であるらしく、助けてもらったときは追っ手を振り切って逃げ続け、満身創痍な状態であったそうだ。
 今は人助けをしながらあちこちを廻っていると、次第に交わし始めた会話の中で知るようになった。男は今後もドラゴンの元に通い続けるようだった。
 
 対するドラゴンは、男がやって来るのを待ちわびるようになってしまった。
 城に引き篭もっていれば、男がくれた宝物を飽きもせずに見詰めている。
 それではいけないと城から出れば、こうしている間にもあの男が来ているのではないか、自分と行き違いになってしまわないかと、たまらず城へと引き返すはめになるのだ。
 自己嫌悪に陥っても、頭に浮かぶのはあの男のことばかり。
 一度は自分を奮い立たせ、男を追い払おうと牙を向けたこともあったが、やはり魔に侵された身では人間を傷つけることもできなかった。
 さらに厄介なことに、男は勇者としてもかなりの実力があったようで、その時の勝負は互角。
 結果としてドラゴンの本能はますます男のことを“オス”だと認識し始めてしまった。
 
 高慢なドラゴンにとって、毎日が耐えがたい苦痛の連続だった。誇り高き地上の王者である自分が、あろうことか人間の男を想い胸を痛めている。

 ――あの男に傍にいてほしい。

 ――あの男の傍にいたい。

 ――あのオスの子どもを孕みたい。

 自分が薄汚いメストカゲに堕ちていく恐怖で気が狂いそうだった。
 しかし身体はオスを想って耐え難い疼きをもたらす。
 自分を慰めて、仮初めの絶頂に身を浸し、そして正気に返り嗚咽を漏らす。
 ドラゴンの矜持と本能の狭間で、心が壊れる寸前であった。

 

 ――もういっそのこと、死んでしまおうか。



 焦燥し切ったある日、遂にドラゴンはその最後の手段に思い至った。

 そうだ、死ねば良い。
 自分が死ねば良いのだ。
 あの男を殺すなんて今の自分には考えられない。
 それなら自分で自分を殺せば良い。
 そうすればこの身はドラゴンとして、最後の誇りを守ることができる――

 早速ドラゴンは城から飛び立ち、自分を殺せるだけの猛毒を探し始めた。
 ドラゴンの強靭な肉体のせいで、物理的な自殺はできなくても、毒を飲むくらいのことなら可能だろう。
 毒が見つかったらきっと、男の目の前で飲んでやろう。
 まず男に聞くのだ。自分のことが好きかどうかと。
 ああも頻繁に自分の元に通っているのだ。それに自分は男にとって命の恩人である。好意を持っているに違いない。
 そして男が答えたところで、言ってやるのだ。

 自分はドラゴンだ。
 誇り高きドラゴンだ、と。

 そして毒を飲み、死のう。
 その後を見届けられないのが残念だが、これでドラゴンとしての矜持を全うできる。

 程なくして、グリフォンが守護している遺跡にあるという毒薬の存在を聞きつけ、その遺跡を襲撃した。
 毒薬を入手し、遺跡を後にしながら、ドラゴンは思った。

 それにしても、なんとあのグリフォンの情けないことか。
 オスを手に入れた個体らしく、自分のことをまるで相手にせず、簡単に薬を明け渡した。
 元来グリフォンは誇り高い魔物であったはずなのに、ああまで堕するとは情けない。

 しかし、自分は違う。 
 自分はドラゴンだ。
 誇り高き地上の王者だ。
 死する最期までドラゴンだ。
 ドラゴンに相応しき死を選ぶのだ。

 ドラゴンの心の中は満足感で一杯だった。



 そして、その日がやって来た。
 いつものように宝物の土産を携えた男を、ドラゴンは宝物庫にまで連れていく。
 普段なら客間に案内されるところなのだがと、男は首をかしげている。その様子にドラゴンは思わず笑みを漏らした。
 間抜けな男め。これから自分が何を見せられるかも知らずに。
 寝床に連れ込んだところで、高揚した表情でドラゴンは男に尋ねる。
 
 自分のことが好きか。愛しているか。

 男は顔を赤らめながら、しかしドラゴンを見据えてはっきりと答えた。

 好きだ。愛している。

 ぞくぞくとドラゴンの背が震えた。
 想像していた通りの答えが返ってきた。

 さあ、答えてやれ。
 あの男が期待する言葉でなく、ドラゴンとして最期の返答を――



 ドラゴンは言った。



 残念だったな。
 
 自分はドラゴンだ。
 
 誇り高きドラゴンだ。

“死ぬまで”貴様に身も心も捧げるつもりはない。



 そして、用意していた毒薬を一気に飲み干した。










 ◇



 とある山の奥深く存在する古城に、一人の青年と、一匹のドラゴンゾンビが住んでいる。

 そのドラゴンゾンビは極めて愛情深く、青年に身も心も捧げ、幸せな日々を過ごしている。


17/03/28 21:28更新 / まわりの客

■作者メッセージ
魔王様の影響があるため、ドラゴンさんの自殺は無意識下で『死んだらドラゴンゾンビになって素直に彼とイチャコラできる!』と気付いていた故の発想である……という解釈です。
まさか蘇る保障もなしに魔物娘が愛する人を残して自殺するなんて考えられないですしね。
まあしかし、我ながら皮肉なネタになりました。
次はクー・シーちゃんとモフモフるようなほっこりネタにしたいなぁ。

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