読切小説
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終わってくれますか。

 鬱蒼と茂る木々が月明かりを覆い隠す、山林の奥深く。
 残酷に過ぎ去った年月の名残を受け、今にも崩れ落ちそうなほどに建材を腐らせた廃屋の中を、恐る恐る歩を進める少女が一人。

 ぎしり、ギシリ。

 夜の帳もとうに降り切った、真っ暗闇な室内。
 電気などはとうの昔に通わなくなっているのだろう、やけに頼りない懐中電灯の明かりのみを頼りにして、見目麗しい可憐な少女はあてもない様子でさまよっていた。

「――……」

 ふと、誰か知らない女の人の声が、か細く、そしてすぐ近くから聞こえた気がして、少女は不安げに辺りを見回した。
 少女は当然のように思考する。こんな真夜中、こんな山奥のボロボロに朽ちた廃墟に、自分以外の人間なんているわけが無いのに。

 しかし、その女の声は確かに。
 悲しそうで、辛そうで、苦しそうな。
 どこまでも不気味に濁ったその声は間違いなく、少女の耳に届いていた。

「はっ……はぁ……っ」

 震える吐息が、虚空に消える。

 少女は視線を、行く先のみに固定した。
 歩を進めることで、僅かな勇気を振り絞ろうと。
 余所見をしないことで、恐怖から目を背けようと。
 聞こえなかったフリをすることで、『声』など元より無かったのだと。
 少女の脳裏にちらつき続ける『そんなもの』など、この世に在ってはならないのだと。
 思い込もうとするかのように。

 少女の目的……この地域で行方不明となった姉の所在を確かめること。ただ一人の肉親である姉と、生きて再会すること。その決意と願い、それだけを心の支えとして。少女は一歩、弱弱しいながらも確かな力を込めて、脚を前に踏み出した。



 青白い手が、はっしと、無慈悲に、少女の肩を鷲掴んだ。
 病的にやせ細り、骨と腱の浮き出たそれが、見た目と違う強靭な力で肉と骨を軋ませる。



 少女は息を呑んだ。目を大きく見開く。
 声は上がらない。上げられない。心臓の鼓動と一緒に駆け上がってきた怖気が喉を締め付け、悲鳴を上げることすら許してくれない。
 身体は金縛りにあったように……否、本当に金縛りにあっているに違いない。指先一つすらも動かすことができない。ただ一つ、滲み出た涙だけが一粒の雫となって、頬をつうと流れ落ちていった。

 生気の欠けた顔が、真横に迫る。
 ひたすらに冷たい息遣いが、耳元をなぜる。
 ドス黒く澱んだ剥き出しの瞳が、少女の整った横顔をまばたきもせずに睨め回す。

「ぃや……」

 ようやく、少女は言葉を絞り出した。

 だからどうしたと言うのだ。
 血の気の失せた唇は、少女の一切に構うことなく、先ほど聞いた女の声で。
 苦痛と怨嗟、殺意に満ちた声色でもって、たった一つの言葉をぽつりとこぼした。



「一緒に、終わってくれますか……?」










「きゃー、きゃーっ!!♪」

 おどろおどろしい声で物騒な台詞を吐く怨霊。
 テレビ画面の中から響くそれを聞いて、僕と一緒のソファに座る女の子は甲高い悲鳴を上げた。……ただしこちらは、怨霊を振り切って脱兎の如く逃げ出した架空の少女とは違い、至極楽しそうな表情で。

「逃げろっ、にげろぉーっ!♪」
「ひぇえ……っ!」

 ノリノリ気分で指示を放つ女の子。
 対して、額に脂汗を浮かべながら必死になってゲームコントローラーのボタンを乱打している僕。

 血の気の薄い青白い素肌に、人魂のような形をした半透明の下半身。
 『ゴースト』という魔物である彼女は、僕の恋人のレイコさんだ。
 種族名の通り、正真正銘の『お化け』である。

 見た目やその内面からは一見して幼い女の子にしか思えないけど、あくまでそれは彼女が昔死亡したときの年齢に則っているというだけで、実年齢は僕より十何年も年上らしい。僕が彼女の幼げなキャラクターに反してさん付けをしているのは、そういう理由からだ。

 レイコさんは、『お化け』という明確な共通点を持ち得るからか、ホラーな作品に登場する怨霊や悪霊の類に何かしらの親近感を覚えているらしい。
 そのためか、ヒトが何かしら犠牲になる創作物をあまり好まない魔物にしては珍しく、こうしてしょっちゅう怖い映画やゲームをレンタル、購入してきては、黄色い声を上げてはしゃいでいるのだった。

「あっ、そっちは確か行き止まりだよっ! インド人を右に!」
「何さインド人って!?」
「ゲーメ○トでググれ! ……ああっ、後ろ! すぐ後ろに来てるよ! このままだとカワイコチャンがレ○プされちゃうよレ○プ!」
「怨霊とのレズプレイなんて見たくないなぁっ!」
「あ、捕まった」
「ノォオオッ!?」

 ……しかし。しかしだ。
 そのたびに、彼女のホラー趣味に付き合わされる僕の身にもなってみてほしい。
 今このときも、ゲーム自体は好きだがその腕前は致命的なまでのゲーム音痴であるレイコさんのために、こうしてホラーゲームの操作を肩代わりされているわけなのだが、ビックリイベントや心霊現象に出くわすたびに、僕の魂までもがあの世に旅立ちそうになるのだ。

 今だって、怨霊に捕らえられてガシガシと体力を吸い取られているデジタルな少女の悲鳴を聞いて、こちらの精神ポイントまでガリガリと着実に削られていっている。正直言って、かなり泣きたい気分だった。
 僕自身のゲームの腕前が言うほど大したことがないという事実も、精神ポイントの減少に拍車をかけている。レイコさんとゲームに興じる楽しさが恐怖を上回ってなければ、とっくにコントローラーを放り出していることだろう。

「で、出口! 出口はどこだっけ!?」
「その前に回復しなきゃ! メニューを開いて回復アイテム!」
「さっき全部使っちゃった!」
「あ、これはもう死にましたね。レ○プされちゃいますね」
「諦めるの早ーい!?」

 ……それほどまでにホラーの苦手な僕が、こともあろうにゴースト、幽霊であるレイコさんと恋仲になっているだなんて。世の中、どんな因果が働くか分かったものではない。

 ……もうそろそろ、恋人より『上』のステップに進んでもいいんじゃないかなーと、同棲して二年が経過した今現在、思わないでもなかったりする。コントローラーを乱打する傍ら、ズボンのポケットの膨らみを指でこっそりとなぞる。

「あ! ねぇねぇコースケくん! こっち見て見てっ!」
「え、急にどーしたの!? 今わりと忙しいんだけど!」

 体力の残量を示すゲージが残り一ミリにまで減り、大いに焦るなか、突然レイコさんが僕の名前を呼びながら腕をグイグイと引き始めた。
 一緒に楽しんでいるゲームプレイの邪魔を進んでするような彼女ではない。恐らくは、もはやゲームオーバー一直線に違いないと諦めているのだろう。その口調自体もかなりあっけらかんとした様子だった。次の主人公は上手くやってくれるでしょう。

 しかし。僕はまだ、諦めていない。
 何故ならば、こまめにセーブするのをうっかり忘れていたせいで、ここで少女が死んでしまったらかなーり前のセーブポイントまで戻されてしまうからだ。怨霊入り乱れる廃屋を一時間もかけて探索してきた努力が無かったことにされてしまうのは、何としてでも避けたかった。

 とはいえ、ここでレイコさんを無視してしまうのも忍びない。
 髪をぼうぼうに伸ばし放題の、全身水浸しでぐっしょぐしょな怨霊との追いかけっこで忙しなくはあるが、レイコさんの声の調子的に、恐らくは大した案件でもないのだろう。

 僕はちらりと、彼女のほうを見て。

「……私と一緒に、終わってくれますか〜〜?♪」

 口の端を釣り上げてニヤニヤ笑いながら、両手を『うらめしや』の形にプラプラさせて、レイコさんは言った。
 魂を引っこ抜かれてしまいそうな可愛らしい仕草に取り憑かれているあいだ、怖い方のお化けに取り憑かれた画面の中の少女が、力なく倒れ伏して絶命した。

 同じ台詞でも、言う者が違うだけでこうも印象が変わるものなのか。
 二年ほど前からどっぷりと取り憑かれているくせに、何ともないどころか与えられる幸福をすこぶる享受させてもらっている身としては、悪い輩に目を付けられてしまった件の少女に同情の意を禁じ得なかった。

「あ、女の子死んじゃった」
「……レイコさんのお陰でね」
「……うふー、もしかして、可愛かった? 可愛すぎて、見とれちゃってたぁ?♥」
「……っくぅ」

 図星を言い当てられた気恥ずかしさと、言い逃れできない悔しさと。
 端正なしたり顔がズィと眼前に迫り、僕の顔がカァッと熱くなる。

(……私と一緒に、終わってくれますかー?)

 ゲームデータを巻き戻された徒労感は、意外にも湧いてこない。
 ただ、少女の死の原因となったレイコさんの笑顔と台詞だけが、延々と脳内でリフレインしていた。





 ピシャリ、と。





 ふいに。まさしく、突然に。
 僕の脳天から脊髄の端にかけて、稲妻のような衝撃が走り抜けた。
 ポケットの膨らみが、急に熱を持ったようにジンジンと自己主張する。

 それは、一世一代の好機に思えた。
 まさしく、天恵と呼ぶに相応しいものだった。
 この数ヶ月、幾度となく「やってやろうやってやろう」と目論見つつ、しかし結局は勇気が出ずに、またはことごとく好機を逃して、ぐだぐだと先延ばしにしてしまっていたこと。

 頭の中で何十回と繰り返される彼女の言葉が、絶好のチャンスを運んできてくれていた。

「……おーい、どしたのー? ちゃんと生きてますかー?」

 君がそれを言うのか、というツッコミとともに我に返る。
 同時に、僕はこぶしをグッと握り締め、元々足りてない勇気を無理矢理に振り絞った。さぁ言え。逃げ場はどこにも無いぞ。ここでやらなきゃ何時やるのだ。さっさと男を見せろ、コースケ。

「えっと、ですね」
「うん? なぁに?」
「レイコさんに、折り入ってお話がありまして」
「え、どうしたのそんな改まって」

 不審な表情で僕を見るレイコさん。
 それも当然だ、今の僕は自分でも分かるくらいに挙動がおかしい。
 落ち着け、こういうときは深呼吸だ。すぅー、はぁー。

「……ホント、急にどしたの? 熱でもある?」
「ある意味お熱……いや、何でもない。そうじゃなくて、えっとね……」
「……あ! もしかして!」

 変わらずまごついている僕を尻目に、レイコさんはポンと手を打った。

「何か、プレゼントがあるんでしょ〜〜! 告白のときに花束くれたときも、そんな顔と仕草だったもんね!」

 察しが良い。ドンピシャである。
 もっとも、あの告白のときとは比べものにならないくらいには緊張するプレゼントであるのだが。
 僕は、いつ渡せてもいいようにここ最近はずっと衣類のポケットに常備していたソレを、ポケットの膨らみの根源を。覚束ない手付きで引っ張り出すと、もう一度深呼吸。

 覚悟を決めて、レイコさんの眼前に差し出した。
 心臓はバクバク、しかし表面上は何でもない風を装いつつ。

「……え」

 からかうような笑みを、呆気に取られた真顔に変えて、彼女は小さく声をこぼした。

 柔らかな色合いのベージュ。スベスベとした肌触りの外装。
 僕の手の内に収まっているそれは、小さな立方体の箱だった。
 付き合いの長い恋人に送る小綺麗な小箱の中身など、あえて言わなくとも誰だって想像できてしまうだろう。現にレイコさんは大きな目をさらに丸くして、小箱をまじまじと見つめていた。

 ええい、ままよ。
 唾を飲み込み、心の中でそう叫びながら、僕は小箱を静かに開ける。

 その中に入っていたのは……もちろん、一つの指輪だった。
 プラチナ製のシンプルなもの。宝石などは付いておらず簡素ではあるが、それ故に銀白色の輝きを美しく際立たせている。

「……突然だとは、自分でも思うけど」

 僕は、決意の言葉を。

「……僕と一緒に、終わってくれますか? ……何十年先になるかは、わからないけど」

 プロポーズを、口にした。

「……」

 依然、呆然と口を開けたままのレイコさん。
 決め台詞を放ち終え、やや精神的に余裕の出てきた僕は……

(……しまった)

 しかし、今更ながらの後悔に苛まれていた。
 何故なら、よくよく考えれば、いやよく考えなくともこの現状、ムードもへったくれも無い。

 住み慣れたアパートの、生活感溢れる部屋の中。
 テーブルの上に並べられるは高級料理とはほど遠い、間食用のお菓子とジュース。
 テレビの画面には息絶えて床に倒れ伏した少女と「GAME OVER」と綴られた血文字。スピーカーからは重苦しいBGMのおまけ付き。
 控えめに見ても、プロポーズのシチュエーションとしては最悪だった。

 REALまでOVERなことには、ならないでほしい。
 もはや決め台詞まで放ってしまった手前、他に出来ることもなく、そう心の中でひたすらに祈りながら、レイコさんの瞳を凝視する。ここで目を逸らしてしまったら、彼女と自分に関わる全ての運命が悪い方向に捻じ曲がってしまいそうな、そんな気がしたから。

 そんな僕の不安を余所に。

「……コースケ、くん」

 彼女は一つ、僕の名前を呟いて。
 みるみるうちに、青白かった顔面を血色良く染め上げながら。
 左手の指をめいっぱいに広げて、薬指を正面に、僕の方へと突き出したのだった。

「レイコ、さん」

 僕の手は考えるより前に、自然と動いていた。
 箱から指輪を摘み上げ、空になった小箱はテーブルに。
 レイコさんの左手を下から支えて、真っ直ぐに伸ばされた白くて細い薬指に、指輪をそっと嵌め入れた。
 彼女が寝ているあいだにこっそりと指の径を測るという、人生始まって以来のミッション・インポッシブルが功を奏したらしく、指輪はぴったりと付け根まで収まった。

「……どう、かな。付け心地は」
「……」

 レイコさんは応えず、代わりに顔を近づけてくる。
 キスでもされるのだろうかと僕は目を閉じて、しかしそれは成されることなく、額にコツンと固いものが当たった。思わず目を開くと、眼前いっぱいに上気した顔が写り込み、当てられたのが彼女の額だったのだと理解した。

 次の瞬間、僕の頭の中に流れ込んできたものは。
 幸せな、そう、とても幸せな、結婚式の『妄想』だった。

 色とりどりに光輝くステンドグラス。
 あちこちにレースの散りばめられた純白のドレス。
 同じく純白のスラリとしたタキシード。照れ笑いの新郎新婦。
 牧師が仰々しく誓いのキスを促すなか、普段とは別人のように着飾った僕たちは、ゆっくりと唇を近づけて……



 瞬間、リアルな感触のキスとともに、彼女の『妄想』が解けられた。
 十秒ほどの長く触れ合わせるだけのキス。柔らかな唇が離れていき、ほぅと息継ぎをした彼女は、にっこりと、照れ臭そうに笑って。

「取りころされても、知らないんだから……♥」

 やたら物騒な台詞回しに、しかしながらとても幸せな気分になって、僕は小さく笑い返した。










「あー、何かもう、幸せすぎ。生きてて良かった。私もう死んでるけど」
「あはは。それは、なによりだよ」
「まー、ムードは欠片も無かったけどねー?♪」
「うぐ、それは、反省しています……」
「きゃはは♪」

 ケタケタ笑う彼女に釣られて、僕もひとしきり笑う。

「幸せすぎて、いっそ成仏しちゃいそう。していい?」
「いやいやいや。僕たちの道のりはまだこれからで……」

 冗談を重ねる彼女を窘めようと、改めて彼女に目を向ける。
 そして、気付いた。

「……うん!?」

 彼女の頭上、電灯も何もないはずの天井から、眩い光が射していることに。
 心なしか彼女の身体が、光に向かってふわーっと浮かんでいっているような。

「……あれ? 何だか、身体がすごく軽く……」
「……うわぁああっ!!? ちょ、待った! 逝っちゃダメだぁあああっっ!!?」

 プロポーズを受けて昇天しつつあった彼女の身体を全身全霊でもって引っ掴み、極楽浄土行きを力の限り阻止した。


16/10/05 19:51更新 / 気紛れな旅人

■作者メッセージ
このあと、一晩に渡る幸せックスにより、現世に繋ぎ留めることに成功しました。

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