ケンタウロス一家の日常
時は年末。多くのご家庭が一様に大掃除へと挑む時期。
とある田舎の片隅に、人間の胴体に馬の下半身を持つ種族、ケンタウロスの一家がのんびりと暮らしていた。父、母、娘の三人家族だ。普段は穏やかで平々凡々とした生活を送っている彼女たちも、この時期ばかりは一家総出でバタバタと慌ただしい日々を過ごしていた。母親はそれぞれの部屋の掃除、娘は掃除で出たゴミや使わない荷物の運搬、そして父親は押し入れやクローゼットの整理に、持ち込まれた荷物の仕舞い込み。各々が各々の役割を担いつつ、忙しなく家の中を動き回っていた。
「おっ?」
そんななか、廊下の壁沿いにある押し入れの中を片付けていた父親は、ふと何か面白いものを見つけたかのような、好奇心に溢れる声を上げた。一抱えほどもある段ボールを押し入れから引きずり出し、いそいそとその中身を掘り返し始める。……早い話、彼の行動は明らかなサボタージュだった。
彼の頭頂部には、真面目でしっかり者の妻に叱られた証だろう、見事なたんこぶがそこかしこに膨らんでいたが、その程度は何のその。一目見ただけで遊び好きのお調子者であることが容易に分かってしまう楽しそうなその表情は、まるで悪戯げな子供の心を持ったまま大人になってしまったかのような、ある種の関心を抱いてしまうほどに煌びやかなものだった。
彼のような人種が、興味を引かれるものといったら。
仮に彼の妻が見ていたなら、あからさまな嫌な予感に顔中を引き攣らせていたに違いない。
「……何してるの? お父さん」
「……んー?」
ふとリビングの方から、まだ幼さの残る高い声音が聞こえてきた。
怠慢に耽る父親の背中に声をかけたのは、彼の娘だった。
フローリングの床に蹄の音を響かせながら、彼女は廊下へと顔を覗かせていた。荷物もゴミ袋も手にしていないところを見るに、どうやら自分の仕事が一段落して手持ち無沙汰になったらしい。廊下のど真ん中で何やらゴソゴソしている父親を見て、ブロンズの長い三つ編みを揺らしながら、訝しげな表情で首を傾げていた。
「おお、丁度いいところに我が娘よ。見ろよこれ、お父さんがまだ学生だった頃の思い出の品々だ。懐かしいなぁ。何処かにちゃんと仕舞ったはずだよなーとは思ってたけど、まさかこんな所にあったなんて」
こっちこっちと手招きする父親。ジト目で腰に手を当てる娘。
「……もー、まーたそうやってサボってる。いい加減にしないと、またお母さんにゲンコツ喰らわされるよ? 殴られすぎて、これ以上頭がバカになっても知らないんだから」
かなり失礼な物言いも、父親は涼しい顔で軽くいなし、依然興奮気味に段ボールの中身を漁り続けている。
「まぁまぁ、片付け自体はちゃんと進んでるから問題無いって。……ほら、こっちに来て、近くでよく見てみろよ。面白いものがいっぱいあるんだ」
「……はぁ。全くもー……」
大げさに溜息をついて呆れる娘。
……しかし何だかんだ言いながら、彼女も父親の思い出の品々とやらが気にはなっているようで、いささか興味ありげな様子で父親の手元を覗き込んでいた。計画通り。母親と同じ真面目な性格でありながらも、食いつき自体はいい娘の反応を見て、流石は自分の子供だちょろいと悪辣な笑みを浮かべる父親。これ幸いと、一つの物品を段ボールから取り出した。
父親が手にしたもの、それは、やたらリアルに形作られた馬の被り物だった。
カッと見開かれた目に、モヒカンの如きたてがみ、白い歯を剥き出しにした半開きの口。それぞれの要素が組み合わさることで絶妙なまでのシュールさを醸し出している。
「うわぁ、なにそれ……」
「確か、高校の文化祭の時に使ったやつだなー。クラスで演劇をやることになったんだけど、満場一致で馬の役に抜擢されて、コレを被らされた」
「ぶっ、な、なにそれぇ!」
どうしてそうなったと、思わず吹き出す娘。
肩を小さく震わせる娘を尻目に、父親はおどけるように言葉を続けた。
「お父さん、実は馬のモノマネが得意でな。迫真の演技にみんな夢中だったんだぞ? どれ、見てろよー……」
そう言って、父親はおもむろに被り物を掲げると、自分の頭へガッポリとはめた。
お気楽そうな男の顔が、瞬時にシュールな馬面へと変貌する。鼻先を微調整しがてら、すっくとその場に立ち上がった彼は、ゆっくりと背後の娘の方に振り向いた。
「お、お父さん……?」
そこに居たのは、言うなればケンタウロス(逆)。
急に漂い始めた只ならぬ雰囲気に、後ずさりする娘。
ソレはしばしの間、何も言わぬまま直立していたが……不意に、大きく深呼吸したかと思うと。
「ぶるっひひひいいいいん!!」
「ひゃっ!?」
突如、家中に響き渡るような大声で、吠えた。怯え慄きザッと身を引く娘。
仮にこれが漫画の一コマであるならば、馬面の周囲には漫画的表現である集中線が書き込まれていたことだろう。直後、ケンタウロス(逆)はその場に屈み、床に手を付いてクラウチングスタートの構えを取ると、まるで短距離走の選手のようなとても綺麗なフォームで脱馬の如く駆け出した。娘に向かって。
「ぶひっ、ぶるっひひひいいぃぃいいぃいいんっ!!」
「ぎゃーーーーっ!?」
目を見開き、さながら狂乱の境地といった様子の馬面が奇声を上げながら迫ってきて、堪らず娘も駆け出し逃げた。咄嗟にリビングへと転がり込んで、一人と一匹はテーブルを中心にぐるぐると部屋の中を駆け巡り始める。
身体の大きいケンタウロスの住まうこの家は、一部屋一部屋の間取りが通常の人家よりも広く取られている。そしてそれはもちろん、このリビングも同様だ。彼女たちはさながら体育館を駆け回る子供のように、奇声に悲鳴、ときには笑い声も上げながら、ただひたすら楽しそうにかけっこに勤しんでいた。大掃除のことなどすっかり忘れて。
馬の蹄が床を叩く騒音は、当然ながら、家の中にいるもう一人の人物の耳にも届いていた。
「こらあっ! お前たち、何をやっているか!!」
リビングの入り口から叱声が響き、ギクリと肩を跳ね上げた二人は咄嗟にブレーキをかけて立ち止まった。振り向けば、掃除用のエプロンに白い三角巾、両手にぶら下げた掃除機にはたきというステロタイプな格好をした母親が、眉根に皺を寄せていた。とても不機嫌そうに、後ろ足で床を鳴らしている。
「ぁあ全くっ! 親子揃ってふざけおってからにっ! ちっとも掃除が進まないじゃブフゥッ」
母親は我慢できずに吹き出した。
某有名RPGに出てくるサボテンモンスターのような姿勢のまま、ジーッとこちらを見つめてくる馬面を認識してしまっては無理もないだろう。娘も父親の姿を見るなり、腹を抱えてうずくまる始末だった。数秒間口元を押さえてそっぽを向き、どうにか笑いを押さえ込んだ母親は、改めて言葉を放つ。口の端が緩み切っているせいで、最初にあった威厳は影も形も無かったが。
「さっさと、くふっ、掃除に戻れっ、ばかものっ!」
「く、くひひ……っ。は、はーい。ほ、ほら、お母さんもうすっごいお怒りだから、掃除にもどろーお父さ」
目尻に涙を浮かべつつ、娘がしぶしぶと父親に背を向けた。
その瞬間。
「あだっ!?」
「あっ」
身を翻すと同時に大きく振られた尻尾が勢いよく父親の顔面を叩き、その拍子に馬面がすっぽ抜け、高く高く宙を舞った。美しく、それはそれは美しく弧を描いて飛翔する馬面は、咄嗟に伸ばされた父親の手をすり抜け、天井に下がる照明のスレスレを通り抜け。
結局笑いを殺しきれずに俯いていた母親へと、真っ直ぐに飛んでいき。
「お母さん! 危な――」
「ん、なに――わぷっ!?」
娘の呼びかけも虚しく。
投げられた輪投げの輪っかが、狙いの棒へと入り込むかのように。
顔を上げた母親の頭に、吸い込まれるかの如くスッポリと収まった。
「「ぶはっ!?」」
瞬間、二つの吹き出す音。
盛大に唾をまき散らした父と娘の視線の先には――
――馬が、いた。
何かの前触れのような沈黙を置いて。
大爆笑が、リビングの壁をビリビリと揺らした。
「み、見たまえ娘よ! 我が家に馬が、馬がいる!!」
「ち、違うよお父さん! 普通の馬は首から腕なんて生えてないよ!!」
「くびから! うでえあはははははははは!!」
「くひ、ひぃひ、いき、できなっきゃはははははははは!!」
一緒になって床に倒れ伏し、手足をバタバタ暴れさせてのたうち回る二人。
しばし爆笑したのち。
ビキリ、と。
どこからか、破滅的な音が聞こえた気がした。
ただひたすら無言のまま、ゆっくりと、どこからともなく弓を取り出す母親。それは普段野山での狩りに使っている狩猟用の弓だった。その表情は被り物のせいで窺い知ることは叶わなかった……が、彼女が一体どんな顔をしているのかなど、見なくとも否応なしに分かるというものだった。
「あ、待って、ごめんなさい。それは不味い。死んじゃう」
途端に緊迫した表情になって立ち上がり、命乞いをする父親。オシオキされても、精々がまた頭にゲンコツされる程度だと考えていたらしい。
「安心しろ、例によって魔界銀製の矢尻だ、死にはしない。全身に開けた穴から精が漏れ出て、ぶっ倒れることにはなるだろうがな。そうだ、ついでだから、貴様のその腐れた性根も矯正してやることにしよう。私の矢で蜂の巣になったあと、ベッドの上でたっぷりとな」
目をひん剥いた馬面はもはやシュールさを飛び越えて、阿修羅か仁王像、はたまた般若のお面の如き、見る者が思わず土下座したくなるような威圧感を醸し出していた。当然父親はダッシュで逃げて、直前まで彼のいた床に数本の矢が突き立った。
高速で放たれ続ける矢が、父親を追って次々と壁や床に突き刺さる。そのどれもが家具や窓、家族写真を器用に避けているあたり、流石はケンタウロス、武具の扱いに長けた戦士の末裔といったところだった。
ドタバタと嵐が過ぎ去ること、数分後。
「あー……やっばい、この家族オモシロすぎ」
今の今まで足をバタつかせながら笑いこけていた娘は、よいしょと起き上がり、ようやっと静かになった家の中を見回す。リビングの出入り口ではちょうど母親が、尻から矢を何本も生やした痛々しい姿の父親を背に乗せて、ベッドルームへと直行しているところだった。どうやら大掃除は後回しにして、父親の折檻に専念するつもりらしい。
「……」
娘は、まるで矢の雨でも降ったかのようなリビングをもう一度見回した。嵐の余波は隣のキッチンや廊下にまで及んでいるようで、彼女一人で始末を付けるには大変な労力が必要そうだった。そのまま、両親が姿を消したベッドルームの方を見、三度室内に目を遣って。
「……お父さんたちの見学にいこーっと♪」
惨状を見て見なかった振りをしつつ、両親の後を追って夫婦の寝室へと忍び込むのであった。
どっとはらい。
15/09/01 22:44更新 / 気紛れな旅人