読切小説
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或る男の日記


 三月一日(日) 晴れのち曇り 

 今日から日記を付けてみることにする。
 大した理由は無い。こうして日々の記録を付けることで、朝早くから仕事に行って定時を過ぎて帰ってくるだけの毎日にわずかでも彩りを添えられれば、と考えた次第だ。仕事以外にやりたいこと、例えばなにか趣味でもあれば見えるものも違ってくるのかもしれないが、あいにくとこの世に生を受けて三十余年、まともに続いた趣味は一つたりともありはしない。仕事、仕事、そして仕事。改めて考えてみればこれまでの人生、いったい自分は何をやっていたのだろうと心底思う。

 ……のっけからネガティブな話になってしまったが、ともかく。折角始めたことだ、たとえいつか飽きがきてしまうのだとしても、そのときまでは続けていこうと思う。今日は他に特筆すべき出来事も起きなかったので、この辺りで区切る。





 三月二日(月) 曇り

 仕事日。毎度ながら定時を大幅に過ぎて帰宅。疲れた。

 職場に着いて早々、なにやら部署が騒がしいなと思ったら、どうやら後輩の男女が職場結婚をしたらしい。平時のピリピリせかせかとしている室内は一転してお祝いムードに包まれていた。

 とはいえ自分には全く関係の無い話なので、適当に祝いの言葉を送り、すぐさま自分のデスクに直行していつも通りに仕事を始める。同じ部署とはいえワンフロアの大半を使っただだっ広い部屋だ、件の男女とも席は遠く離れているし、当然ろくに会話したこともない。そんな私が無理に割り込んでいったところで華々しい雰囲気に水を差すだけだろう。向かいの席に座る年配女性たちが「愛想が悪い」だの「いい歳して独身云々」だのとあからさまに聞こえる声で陰口を叩いていたが、まぁ、いつものことだ。

 ……正直な話、別に私だって女性とお近づきになりたいと思わないことも無い。
 だが、今の今まで女性と関わる機会の無かった私には、お付き合いにまで至る方法がまるで分からなかったし、そもそも、こんな行き遅れの三十代平社員相手に伴侶ができるという事態そのものが全く想像できなかった。恐らくは今後の人生、一生女っ気とは無縁に生きてゆくに違いないと妙な達観すら覚える始末だった。せめて童貞だけは卒業しておこうかとは何度も考えたが、水商売に手を出してしまうのだけはどうにも不純に思えて、結局、未経験歴は経年劣化したゴム紐のように伸びていくばかりだった。

 いっそ向こうから寄ってきてくれれば、苦労は無いのだが。
 そんなこと、ありえるはずが無いだろう。

 ……つらつらと下らないことを書き連ねてしまった気がする。
 今日はここで区切ろう。





 三月八日(日) 雨

 約一週間ぶりに日記を書く。
 前回から随分間が空いてしまったが、仕事が忙しく、日記を書く気力が湧かなかったため仕方がない。突然病欠した後輩の穴埋め、上司による大量の書類整理の押し付け、行きたくもない飲み会の強制参加。その他もろもろ。一週間毎日のようにこのレベルの面倒事が重なれば、どんな人間でも疲れ果てるというものだ。

 つい先ほどまで美味くもない発泡酒を煽りながら、私はこれまでの人生について考えていた。
 将来のことなど何も考えずにただ漠然と過ごした少年時代。実家の農業を継ぐのが嫌で、都会への憧れのみを指標に家を飛び出した高校卒業時の自分。両親の援助無しに、そしてただ一つの目標も無しに都会人として生きることの無謀さを、嫌というほど思い知った一年後のあの日。けれども、「こんな田舎で生きてられるか」と啖呵を切った手前、のうのうと実家に舞い戻ることもできず、くだらない意地とプライドだけで二十年近くをこうして生きてきてしまった。

 ……やり直すには、何もかもが、遅すぎる。

 今更ながらに痛感する。
 私は、都会で生きるのには向いていない。

 無機質にそびえ立つビル群に、有象無象による無数の喧噪、くたびれた風貌の私に対して向けられる、憐憫の入り交じった視線。その何もかもが私を無性に苛立たせる。そのたびに思い出すのは、子供のころの古ぼけた記憶だ。周りを取り囲む山と緑、広大な田畑に、まばらな人家。ゆっくりと過ぎていく時間。恐らくは私の半生においてもっとも心穏やかだった、かつての日々の記憶。漠然としてはいながらも、目に入る全てが輝いて見えていた。

 本当は、ずっと前から分かっていたのだ。
 私という人間に本当に似合っているだろう生き方は、今この場所には、どこにも無いのだということを。

 できることなら一刻も早くこの場を逃げ出し、ビルも人ごみも何も無い田舎へと引っ越したい。仕事や人々の視線に振り回されることなく、日々を生きていきたい。そして小さな畑を耕して自給自足をしながら、のんびりと慎ましやかな生活を送るのだ。

 ……そんな好き勝手な生き方を実行に移せる勇気が私にあったなら、どんなに良かったことか。

 社会という決まった枠組みのなかに捕らわれて生きることに、雑多な人波が形作る潮流に流されて生きることに。長年に渡る都会暮らしは、私の心身をすっかり慣れさせてしまっていた。今の生き方を変えてゆける気力など、とうの昔に枯れている。両親への反発心と一時の衝動だけで実家を飛び出すことを選んだあの日の私を、いっそ死ぬまで殴りつけてやりたかった。

 ……こうして書き連ねていくだけで、ネガティブな感情ばかりが吐き出されていくのが分かる。「ポジティブ」という言葉自体が、今の私には存在しないのだ。「ネガティブ」に押し潰されて指一本すらも動かすことができない私は、自分で自分を貶めているその事実を理解しておきながら、そこから這い出す力を出せずにいる。

 一体どうすれば、私はこの地獄から抜け出せるのだろうか。
 ……分かるはずが、ない。

 ……今日は酒をもう一つ空けたら、寝よう。
 これ以上は考えても何一つとして生まれるものはない。そんな気がする。





 三月九日(月) 雨

 風邪を引いた。高熱が出ている。疲れが取れない。何もする気がおきない。寝る。










 九月十一日(金) 曇りのち小雨

 本当に久々に日記を開く。
 この半年間、この日記によって改めて浮き彫りになってしまった自分の情けなさに心を砕かれ、くわえて病み上がりのあと延々と続いたやる気の無さも相まって、改めて日記を書こうという気が全く起きなかった。しかし本日、にわかには信じがたい出来事に遭遇してしまったため、状況が落ち着いた現在こうして書き記している。

 早い話が、女の子を拾った。
 いや、拾ったという言葉には語弊がある。正確には、保護したというべきか。

 終業後、小雨に降られて急いで帰宅するさなか、ふと自宅近くの小さな公園に違和感を覚えて目を凝らしてみると、弱々しい外灯の真下に女の子が倒れていた。歳の頃は十歳前後、あと十年もすればモデル顔負けの美女になるに違いないと確信させられる、そのくらい可愛らしい女の子だった。外傷や着衣の乱れは特になく、呼吸もやや薄弱ながらしっかりしていたが、ずっと夜風と雨に晒されていたのだろう、その小さな身体はすっかり冷え切ってしまっていた。このまま放置していれば確実に凍死してしまうだろうと判断したため、早急に自宅へと連れ帰った、というのが、事の次第だった。

 ……本来であれば、こういったものは警察や消防に通報するべき案件なのだろうが、あえてそうせず自宅に匿ったのにはわけがある。

 女の子は、明らかに「異形」だったのだ。

 おおまかな身体的特徴は普通の人間の少女と変わらないのだが、特異な箇所が数点。頭部からは山羊か羊のように曲がりくねった角が生え、耳は細長く尖っている。そして腰のあたりからはコウモリに似た翼と、太く長い尻尾が伸びていた。その容姿からは、ファンタジー系の創作に登場する悪魔を連想させられた。

 初めは今流行りのサブカルチャー、コスプレの類と思っていたのだが、その質感は作り物にしてはあまりに生々しく、おそるおそる触れてみれば、筋骨特有の弾力や固さが指先に返ってきた。どう考えても普通の人間とは違う彼女を公的機関に引き渡してしまうのは、なぜだかとても危険なことだと思えた結果が、今の私の行動というわけだ。昔観たSF映画(地球にやってきたエイリアンが捕らわれて研究対象にされる)に、今になって影響されでもしてしまったのだろうか。下手をすれば子供に話しかけただけで通報されてしまう今日日、思えば大胆な真似をしたものだった。

 女の子は今、私のベッドでぐっすりと眠っている。
 凍えて青白かった血色も、だいぶ元の色を取り戻してきたように思える。
 少し迷ったが、女の子の着ていた衣服(イマドキというか、やたら肌色の多い格好だった)は脱がせ、軽く身体を拭き、私の普段着のTシャツに着せ替えておいた。大の男が小さな女の子の服を脱がせる構図からは犯罪的な匂いを禁じ得なかったが、雨や泥でぐしょ濡れのままベッドに横たえるわけにもいかなかったため、致し方ない。一応記しておくが、女の子の裸体はなるべく見ないように着替えさせた。誰かがこの日記を見るわけでも無いのだが、念のため。

 ……こうして書き記すなか、ふと、女の子の髪の色に目が向いた。今まではてっきり黒色だと思い込んでいたが、よくよく明るい場所で見てみれば、それは一見して黒と見間違う、しかし確かに深い蒼色だ。かなり自然な色合いで、染色の類ではないだろうと思える。

 今更ながら、なにか未知なる領域に踏み込もうとしているようで言い知れぬ不安を抱かずにはいられない。……が、乗りかかった船であるし、なによりこのまま女の子を見捨てることなど私にはできない。

 ともかく。あとは、女の子が目覚めてから考えることにしよう。
 明日は都合良く休日だ。今後のことを考える余裕くらいはあるだろう。
 ベッドが使えないので、今日は床で寝る。はるか昔に買ったまま押入れの肥やしとなっていた敷き布団が、まさかこんな形で再び世に出てくるとは思わなかった。





 九月十二日(土) 曇りのち晴れ

 ぎしりと金属が軋む音に目を覚ますと、女の子がベッドから身体を起こすのが目に入った。しばらく寝ぼけたようにきょろきょろと辺りを見回している彼女を見て、無事に意識が戻ったことを安堵する。

 しかし彼女は、同様に起き上がろうとする私と目が合った瞬間、両目を見開き、小さく悲鳴を上げてベッドの奥へと後ずさってしまった。一瞬、私の顔はそれほどまでに怖いのかとショックを受けそうになったが、考えてみれば何のことはない。女の子からすれば、気が付けば見知らぬ部屋の中、すぐ近くの床には得体の知れない男が寝転がっていて、そいつが自分のことをじっと眺めているのだ。年端もいかない少女に怖がるなというほうが無理があった。

 万が一叫ばれでもしたら大事なので、慌てて状況を説明しようとした、が、彼女の使う言語は明らかに日本語ではなく、言葉では上手く伝えることができなかった。仕方なく身振り手振り、ジェスチャーで意志の疎通を図ろうとしたのだが……どうやらそれが功を奏したらしい。大の男が必死な様子でわたわたしている姿がよほど滑稽だったらしく、しばらくして女の子はくつくつと笑い出してしまった。……なんだか釈然としないものがあるにはあったが、警戒を解かせることには成功したため、よしとした。

 その後は丸一日、お互いを理解することに時間を費やした。
 言語が違うため断片的な情報しか得られなかったが、女の子の名前が「リリィ」であるということ、案の定彼女が人間ではなく、「サキュバス」という種族であるということ(確か悪魔の一種かなにかだったと記憶しているが、どんなだったか……)。……そしてにわかには信じがたいことだったが、彼女がこことは別の世界、いわゆる異世界の出身であろうということがそれぞれ判明した。リリィが何故あの公園に倒れていたのかについては、彼女自身もよく分かっていないようだった。だが、窓の外の無機質な景色に対する非常に困惑した様子を見るかぎり、少なくとも自分の意志でこの世界にやってきたわけではないのだろう。

 リリィはしばらく、泣きそうになりながら取り乱していた。
 それでも、見かねた私が手料理(昨晩の残り物だ)を振る舞いつつ、頭を撫でてなだめすかしていると、少しは落ち着いたようだった。お腹が減っていたのだろう、依然涙目ながらもパクパクと美味しそうに食べていたのが印象的だった。一人暮らしの男の拙い料理でしかなかったが、冥利に尽きるというものだ。

 食事後、しばらくこの部屋で暮らしてもよいことを伝えると、彼女は心底安堵したように微笑んでいた。……昨晩「見捨てる」などという非道かつ臆病な選択をしなかった自分を褒めてやりたい気分だった。

 彼女と触れ合うなかで判明したことが、もう一つある。
 リリィはどうやら、とても人懐っこい性格らしかった。心を開いてくれたのだろうか、取り乱した彼女をなだめてからというもの、なにかと私の傍に寄りたがる。こうして日記を書いている今も、私の背中に寄りかかって肩越しに、興味深そうに手元を覗き込んでいた。……背中に伝わってくる彼女の体温が、暖かい。こうして人肌の温もりを得たのは、一体何年ぶりになるのだろうか。確実に十年は越えているように記憶している。

 異世界などという得体の知れない幻想、その体言者であるリリィ。もしかしたら彼女の存在は、ただでさえ不安に満ちた私の人生に新たな困難を呼び込んでしまうのかもしれない。……しかし、人並みに暖かな彼女の身体からは、それがもたらす柔らかな安心感からは、異世界だの異形だのという思考は些細なことのように思えた。……今は彼女の居場所になってあげられればそれでいい。そんなふうに思える。

 自分の内にそのような殊勝な感情が未だ存在していたことに驚きを抱きつつ、今日はもう寝ることにする。普段寝ているベッドは、リリィのために提供することにした。慣れない布団ではやや疲労が残ってしまうが、女の子を床に寝かせるわけにもいかないだろう、致し方ない。



 追記:一緒のベッドに寝るようリリィに催促されたが、辞退させてもらった。





 九月十三日(日) 曇り

 この日もリリィとの情報共有に努めよう、そう考えていたのだが、あいにくと上司から連絡が入り休日出勤を言い渡されてしまった。尊敬できる要素の欠片もない横暴な上司の命令だ、当然出勤などしたくなかったし、まだこの世界に慣れていないリリィを一人にしてしまうのは不安が残った。だが、所詮平社員の家庭事情など大した言い訳にならないのが、人間社会の常というものだった。

 急きょ近くのコンビニで間に合わせのパンやおにぎりを買い、それをリリィに与えて家を出る。彼女の不安そうな顔が私の心を苛んだが、後ろ髪を引かれる思いで玄関のドアに鍵をかけた。なんだかんだ言っても、トイレや水道、その他主要な家電の使い方は昨日のうちにある程度教えてあるから大丈夫。……そう何度も自分に唱えるも、もし、好奇心に負けて一人で外に出て、そのまま迷子になってしまったら。もしくはなにかの拍子に事故でも引き起こしてしまったら。様々な懸念が常に頭をよぎって、仕事中も気が気ではなかった。

 結論から言うと、リリィもそこまで馬鹿ではなかったらしい。
 見知らぬ場所で勝手な行動を取ることの危険性はしっかり把握していたようで、終業後、急いで帰宅した私の心配を余所に、座椅子に座ってのんびりとテレビを眺めながら買い与えたコッペパンをかじっていた。まだ彼女が幼いからと、疑ってばかりで信じてやれなかった自分を悔やむ。……少々、順応性が良すぎる気がしないでもないが。

 余談ではあるが。
 リリィには、女の子としての自覚、主に羞恥心が足りていないように思える。
 テレビとコッペパンにかじり付いている彼女の姿は、首から下げたフェイスタオルに、面積がやたらと小さい自前の下着のみという、なんともあられもない格好だった。シャワーを浴びたばかりなのだろう、蒼色のショートヘアが艶やかに湿り気を帯び、本来真っ白であるはずの素肌はほんのりと上気していて、相手が子どもとはいえ正直目のやり場に困る。しかしそれを咎めようにも言語が違うので上手く伝えることができず、彼女はきょとんと首を傾げるばかりだった。……思えば彼女は昨日一昨日、濡れた服を着替えさせたことについても特に気にしていない様子だった。できるだけ彼女の半裸体を見ないよう、こちらが心がけるしかないだろう。



 今しがた声をかけられたのでそちらを見遣れば、眠そうに目をこするリリィが、今日もベッドに手招きしていた。
 家主を差し置いてベッドを占有していることを、申し訳なく思っているのだろうか。それとも、こうしてたった一人で見知らぬ土地にやってきてしまったせいで、人肌が恋しくなっているのだろうか。……どちらにせよ、私のような中年男が親類でもない女の子と同衾するなど考えられることではない。残念そうにしているところ申し訳ないのだが、今日も床で眠らせてもらうことにする。

 未練がましく腕に絡みついた尻尾が、地味に痛い。



 追記:仕事の合間、サキュバスが何者なのかについて調べてみた。結果として、性的な快楽をもたらす代わりに人間から精を搾取する悪魔、「淫魔」の一種であることが判明した。……まぁ、リリィがこちらの世界で語り継がれるサキュバスと同種であると決まったわけでもなし、この結果は見なかったことにしておこう、そうしよう。そもそも、目の前で不満そうに頬を膨らませる少女からは、男を搾取するような邪悪さは一切感じ取れない。姿形こそ確かに異質ではあるが、その本質はそこらへんにいる女の子となんら変わるところがない。私にとっては、そうとしか思えなかった。

 追記二:……ただ、流石にその格好のままくっついて来られると、色々と勘ぐってしまうものがあるにはあるので正直勘弁してほしい。色仕掛けの真似事かは知らないが、耳元に息を吹きかけられたり薄い胸を腕に押しつけられたりしても、私は強硬手段には屈しない。

 今日は、眠るのに苦労しそうだ。





 九月二十日(日) 晴れ

 一週間ぶりの日記。
 例のごとくの忙しさに休日出勤を添えて。
 もはや週末限定で書き記すのがこの日記の恒例になりそうな気もする。

 昨日の会社での業務中、「最近のあなたはやけに元気そうで気持ち悪い」と、向かいの席の年配女性に罵られた。余計なお世話である。彼女も休日に駆り出されてイライラしていたのかもしれないが、八つ当たりはまっぴら御免だ。

 しかし確かに言われた通り、以前と変わらない忙しい日々にあっても、ここ最近の調子は心身ともに良好だと言える。その理由は考えるまでもなく、リリィのおかげだろう。こんな気分になれたのはいつぶりかも知れない。

 誰かが傍にいてくれるだけで、誰かが私の帰りを待ってくれているだけで、これほどまでに心安らぐものだとは思ってもみなかった。リリィは、私にとても懐いてくれているようだった。彼女は早寝早起きが得意で、私は毎朝優しく肩を揺さぶられることで目が覚める。私の作った洒落っ気のない料理も彼女と一緒に食べれば心なしか美味しく感じるし、仕事を終えて帰宅した際には、溜まった疲れが吹き飛ぶような笑顔を浮かべて迎えてくれる。ここ数日は彼女に日本語を教えるのがマイブームであり、遊びがてら物の名前を一つ一つ口に出しては、オウムのように言い合って楽しんでいる。そして寝るときには、一緒に寝るか寝ないかの小競り合いを毎夜のように経たあと、心満たされるままに寝床につくのだ。

 ……独りきりだったときには決して有り得なかった、確かな温もりを感じていた。
 こんな生活が、いつまでも続けばいいのに。そう、心から思う。

 しかし。リリィにとってはどうなのだろうかと、ふと考えもする。
 異世界出身の彼女にだって家族がいるはずで、そして恐らくは、穏やかで優しい家庭のなかに暮らしていたに違いなかった。捻くれたところのない明朗快活な彼女の様子を見ていれば、良い環境でまっすぐな育ち方をしたことは想像に難くない。本来在るはずだった場所から無理矢理に切り離され、決して広いとは言えない部屋に軟禁状態となってしまっているこの現状に、彼女は不安や不満を感じていないのだろうか。家族の元に早く帰りたいと、考えているのではないだろうか。……もしかすると心の奥底では、私のような冴えない男と一緒にいることに、辟易しているのではなかろうか。

 もしそうだとしたら、私は彼女を元の世界に還す努力をしなければならない。その方法は現時点ではさっぱり思いつかないが、彼女が望むのであればそうしてやる他はない。

 しかし、もし。もしも、本当に彼女を還す方法が見つかってしまったとしたら。
 ……リリィが存在しない世界が、また訪れるのだとしたら。彼女の在る温もりを知ってしまった今の私は、無機質で空虚な独りきりの世界へと逆戻りしたそのとき、果たして耐えることができるのだろうか。心を崩さずに、いられるのだろうか。こんな感情が、彼女の気持ちを切り捨てた極めて自己中心的な考えでしかないのは分かっている。それでも……どうしても、そう。



 ……そんなことを書き記していると、おもむろにリリィが私の傍にやってきて、そっと身を寄り添い、顔を見上げてきた。たどたどしい日本語で、大丈夫かと聞いてくる。どうやら私は知らないあいだに険しい表情になっていたらしく、彼女はとても心配そうな様子でこちらの両目を覗き込んでいた。

 ……ふとしたことをきっかけにどんどん悪い方向へと考えが及んでしまうのは、私の悪い癖だ。この不思議な共同生活をリリィが一体どういう風に考えているのかは、エスパーでもない私がいくら思考を巡らせたところで分かるはずもない。だが少なくとも、リリィが私との生活を苦にしているわけではないのだろうということは、なんとなくだが察することができた。私を気遣ってくれている彼女の優しさそのものが、その事実を証明しているような気がした。

 私は、自分で自分をとても情けない人間だと扱き下ろしてしまうような、そんな程度の低い人間でしかない。だがそれでも、リリィの前でくらいしゃんとできなければ、男ではないだろう。彼女をこれ以上心配させたくない。不安にさせたくない。……私は、強い人間で在りたい。蒼く小振りな頭をゆっくりと撫で付けると、安心したように笑顔を浮かべた彼女を見て、そう、願いを込めた。

 

 追記:最近、リリィをとても愛おしく思えている自分に気が付く。我が子を想う父親の気持ちというのは、もしかしたらこういった心持ちのことを言うのかもしれない。女性経験の皆無な私が父性を感じるというのも、おかしな話ではあるが。





 九月二十一日(月) 晴れ

 良い匂いで目が覚める。
 匂いに誘われ台所に顔を出すと、なんとリリィが朝食を作ってくれていた。料理にはあまり慣れていないらしく、出されたのはベーコンを下に敷いた目玉焼きという簡素かつオードソックスなもの。端のほうが少し焦げていてやや歯応えはあったが、黄身のほうは良い感じの半熟となっていて、とても美味しかった。固唾をのんで見守っていた彼女にありのままを伝えると、羽と尻尾を嬉しそうに揺らしながら、恥ずかしそうに、けれども得意げな様子になって微笑んでいた。

 たまにはこうして作ってもらうのも、新鮮でいいかもしれない。そう思った。





 九月二十四日(木) 曇り

 一つだけ、気になることがある。

 二日ほど前から、リリィがあまり食事を摂らなくなった。
 味気なさそうな様子から、もしかすると私の手料理が不味いのではと思いスーパーで買った出来合いものを与えてみたのだが、そちらも同じく食欲を示さない。
 なぜ食べないのか訪ねてみても、どうしてかしどろもどろな素振りを見せるばかりで教えてくれなかった。普段から明朗な態度を取る彼女にしては珍しい反応だった。体調が悪そうには見えず、全く食べないわけでも無いのだが、やはりどうしても心配は募る。ヒトとは違う生き物である以上、そこらの病院に連れて行くわけにもいかないため、これが体調不良の兆しでないことを切に願う。



 追記:食欲不振と平行して、何故かリリィが私の身体の一部を頻繁に口に含むようになった。主に指先。まさか普段の食事の代わりに私の肉が食べたくなった、などと考えているわけでは無いだろうが、それでもまるで美味しい飴を舐め尽くしていくかのように、一本一本執拗にしゃぶり付いてくる。正直言って、彼女が一体何をしたいのかがさっぱり分からなかった。幼い子供のすることと思って好きにさせてはいるが、どうにも気恥ずかしいので悪戯ならやめていただきたい。





 九月二十五日(金) 快晴

 帰宅するなり、リリィが泣きながら飛びついてきて何事かと思ったが、どうやら室内にゴキブリが湧いたらしい。曲がりなりにも農家の出身、虫には慣れているため可及的速やかに退治をする。が、それでもリリィは怯えたまま私にしがみついて離れず、彼女が安心するまでひたすらになだめすかしていた。今はだいぶ落ち着いてきているが、依然として右腕に絡んだままだ。日記が少々書きにくい。

 いつも私に元気と勇気をくれる彼女が、こうして私を頼りにしてくれていることに、言いようのない誇らしさを感じている。たかがゴキブリ退治とはいえ、私は彼女を守れたのだ。ほんの些細なことかもしれないが、普段誰かの役に立つということのない私にとって、その事実はかけがえのないほどに大事なものだった。



 リリィが私の服を摘み、不安そうな顔でベッドへと誘ってきている。
 ……今日くらいは一緒に寝てやってもいいだろうか。彼女と一緒に寝るのは倫理上考えられないとは以前にも書いたが、怯えて眠れない少女を放置して一人先に床につくというのも、人としてどうかと思う。今日は潔く観念して、ひとつ添い寝でもしてあげるべきだろう。

 嬉しそうにはにかんだその表情に、少しだけドキリとしてしまったのは、恥ずかしいから黙っておこう。





 九月二十六日(土) 曇り時々晴れ

 一体、どうすればいいというのか。

 リリィが最近食欲が無かった理由が、本日、判明した。
 ……だが正直、心の整理がつかない。未だに頭が混乱しているのが分かる。一体私はこの事実を、彼女の行動を、どう受け止めればいいのだろうか。少なくとも私の中で、彼女への見方が決定的に変わってしまったのは確かだろう。これから彼女とどうやって接していけばいいものか、分からなくなってしまった気がする。こうして日記に想いや感情をぶつければ、少しは心も落ち着いてくれるだろうか。

 今朝私は、股間から今まで感じたことのない快感がせり上がってくるのを感じて、ハッと目を覚ました。
 思わず布団をまくり上げてみれば、そこには……私の股間にその小さな頭を埋めて、夢中になって亀頭を舐めしゃぶっているリリィの姿が、あった。何が起こっているのか分からず呆然とする私のことなど気にも留めず、朝立ちなんて生温いほどに猛々しく勃起したペニスを、小さな口いっぱいに頬張っていた。紅くとろけた雌の表情で、淫らな水音を立てながらフェラチオに熱中する目の前の少女と、いつも無邪気に笑っている天真爛漫な女の子とを合致させることは、混乱極まる当時の頭では不可能に近かった。

 リリィは自分を凝視する私に気が付くと、「おはよう」などと、ペニスを頬張りながら脳天気に挨拶をしていた。その言葉に我に返った私は当然、咄嗟に彼女を押し退けようと試みたのだが、彼女に触れようとするたびに柔らかな舌と唇が絶妙な力加減で性感帯を擦り上げ、伸ばす手は彼女の頭を撫でつけるだけに終わってしまう。目の前にいるのは確かに見知ったはずの少女、まだ性に目覚めてすらいないような女の子だったはずなのに、あまりに的確なその責めからは、まるで男の身体を知り尽くした熟練の娼婦が、初めての客を相手に弄んでいるかのような、そんな錯覚を抱かずにはいられなかった。

 結局のところ、私は最後まで、リリィの行為を止めることができなかった。今まで一度も女と致したことのない童貞に、フェラチオという未知の快楽に抗う術などどこにも無い。情けなく腰を震わせ、いとも呆気なく射精してしまった私の瞳には、小さな口の中に注ぎ込まれた大量の白濁を、どこか恍惚とした表情で飲み下す少女の姿だけが、朧げながらもしっかりと写り込んでいた。

 これはお礼なのだと、ワケを問うた私に彼女は言った。見知らぬ相手に衣食住を提供してくれたばかりか、いつも優しく接してくれるうえ、昨日などは怖い虫からも自分を守ってくれた、そのお礼なのだと。そして、こうも言った。「コレ」が自分にとって、なりよりのご馳走なのだと。最近食が細かったのは病気でも食欲不振などでもなく、あなたの「コレ」が欲しくて欲しくて堪らず、食事が喉を通らなかったからなのだと。

 何のことはない。結局のところ彼女はまさしく「淫魔」……「サキュバス」だったのだ。男の精液を貪り、快楽を与え得ることにどうしようもない悦びを覚える、淫らな悪魔。……私という男を魅了して止まない、小悪魔。

 背徳感、快感、幸福感、そして罪悪感。それらの感情がごちゃまぜになるなか時は過ぎ去り、気が付けば姦しい雀の声は鳴き止み、つまらないワイドショーが垂れ流され、太陽が西の方角に沈んでいた。そのあいだ、いつものように三食の飯時が過ぎ、当然のように三食分の白濁がリリィの胃に流し込まれ、起き抜けを含めた四度目の強烈な罪悪感が私の心を苛んだ。



 ベッド上のリリィが、コッチコッチと手招きしている。
 ほんのりと頬を染めて、照れくさそうに微笑みながら。
 このままあのベッドに入り込んでしまえば、明日の朝も今日と同じような始まりを迎えることになるのだろう。耐えようのない快楽によって目が覚める、今日と変わらない朝が。

 あの心地良さが、頭と、腰と、股間から、抜けてくれない。





 十月十日(土) 曇り

 思い悩むまま、なあなあに日は過ぎていき、いつしか二週間が経過してしまった。
 あれからというもの、お礼と称して、そして食事と称して、リリィにフェラチオされる日々が続いている。

 目覚ましがてらに一発、朝食時に一発、夕食時に一発。休日であれば昼食でも一発。計三〜四発。三十路を過ぎて以降すっかり性欲が減退していた私が、毎日これだけ射精しても量も濃さも体力も衰えないことに驚愕を禁じ得なかったが、これもサキュバスという人外の存在が及ぼす影響なのだろうか。

 彼女の行為を止めさせるべきか否か、一向に結論を出せないままこの二週間、同じサイクルを延々と繰り返していた。倫理的に考えるならばこのような不埒な行為は、今すぐにでも止めさせるべきなのだろう。……しかし、彼女が食料としての精液を必要としている以上、こちらの都合で拒んでしまうの憚られることだったし、なにより……私自身が、彼女にこうされることを心のどこかで望んでいた。

 改めて言うが、この関係が間違ったものであることは重々、承知している。
 だが、リリィにフェラチオで起こされたあの日から、彼女のことが気になって仕方がないのだ。
 所々の可愛らしい仕草も、無防備な格好から覗かせる真っ白な素肌も、無邪気ゆえに振る舞われる人懐っこさも。以前はさして気にしていなかった……否、内心で必死に気にしないよう努めていた、その全てが私の心をざわつかせる。父性などでは明らかに無い、あくまでも一人の男として私は彼女を見つめていた。今では彼女の姿が目に入るだけで、下半身が疼いてきてしまう。竿を優しくしごく小さな手のひらが、ペニスに熱烈なディープキスを見舞う唇が、上目遣いでこちらの反応をうかがうつぶらな瞳が、勝手に想起されてしまう。自分がまさかここまでどうしようもないロリコンだなんて、思ってもみなかった。

 彼女の全てが恋しくて堪らない。願わくば、このまま彼女の身体を、私の好きに

 ……限度は、弁えているつもりだ。
 これはあくまで私へのお礼、そして食料の提供なのだ。性的な行為には違いないが、その意味合いはまるで違う。私は彼女を、襲ってはいけない。犯してはいけない。本番行為には決して至ってはいけない。例えどんなにリリィのことが愛おしくとも、下心を抱いてしまおうとも。彼女が望んでいないことを、するわけにはいかないのだ。

 リリィが私を呼んでいる。今日はここまで。





 十月十一日(日) 曇り

 ついに、やってしまった。
 リリィを、犯してしまった。
 あれだけ限度を弁えろと、自分自身に言い聞かせていたはずなのに。

 でも。仕方がないじゃないか。あんなものを見せられたら。

 昨晩日記を書き終えたあと、私を呼ぶ声に視線を移してみれば、ベッドの上で毛布に全身を包んでいるリリィの姿があった。どうしたのだろうかとそのまま眺めていると、彼女はおもむろに、はらりと毛布をベッドに落として。

 ……露わになったその身体は、一糸纏わぬ全裸体だった。両脚をはしたなく広げて、女の子の大事な部分を蛍光灯のもとに晒す小悪魔が、そこにはいた。彼女は平然とした体を装いつつ、けれども顔は真っ赤に染めて、びらびらも黒ずみも無い未発達な秘裂を両手で左右に割っていた。入り口に薄膜の張るサーモンピンクの粘膜を見せつけながら、期待と不安が入り交じった表情を浮かべて、こちらの顔を潤んだ瞳でジッと見上げる愛おしい女の子。

 そんな彼女に、「ココにご飯が欲しい」と、「もっとお礼がしたい」などと、懇願されてしまったら。……彼女自身が、そういう行為を望んでしまったなら。……もう断りようが、ないじゃないか。

 襲ってはならないと決意した身でありながら。結局私は、生まれて初めて女を抱く興奮に突き動かされるまま、処女を喰い散らかし、童貞をかなぐり捨て、抜かず三回ほど奥底にむけて吐精した。二人分の荒い吐息をBGMに、本当に私のモノが入っていたのかと疑問に思えるほどに小さな膣からは、到底収まりきらなかった獣欲がごぷりと溢れ出していた。

 ぐったりとベッドに沈むリリィは、愛おしげに下腹部を撫でながら、幸せそうな顔で微笑んでいた。

 ついに私は、こんな小さな女の子に手を出してしまった。彼女自身が望んだこととはいえ、心の底から守ってあげたいと思えた相手を、あろうことか自分が真っ先に穢してしまった。欲望に忠実に、まるで発情した獣のように、一切の容赦なく。血と白濁が混じり合うピンク色の液体を認識した瞬間、あまりに酷い罪悪感に全身が押し潰されそうになった。

 ……にもかかわらず。華奢な少女を組み敷き、蹂躙し尽くした達成感のほうが、私のなかで圧倒的に勝っていた。そして、彼女も悦んでいるのだからなんの問題もないじゃないかと、自分自身を納得させようとしている私もいた。少女を傷物にすることを良しとするとは、なんて最低な人間なのだろうか、私は。



 日記を書いているさなか、いつものようにリリィが寄ってきた。
 物欲しそうに頬を赤らめて、私の腕に絡みついてくる。はやくはやくと急かすように、小刻みに跳ねる心音を、小さくも柔らかな乳房を、熱く蒸れた股間を、私の腕に押しつけている。荒く甘い吐息がこちらの頬を撫ぜるたびに、今日も幾度となく吐精したはずのペニスが、条件反射的に大きくなっていく。

 ああ。もう、勘弁してくれ。
 この淫らで愛くるしい小悪魔のことを、犯したくて、穢したくて、堪らない。





 十月十六日(金) 曇り

 あれ以来、日々の「食事」のサイクルは、フェラチオからセックスへと変化した。
 浅く狭い膣肉が生むとろけるような感触に目を覚まし、朝食の代わりにリリィの身体を食卓に載せ、帰宅するなり発情しきった顔で飛びついてくる彼女と、夕食兼入浴プレイに勤しむ。そして、このたび新しくサイクルに加わった「夜食」の時間を、布団の中で眠くなるまで繰り返すのだ。
 
 手櫛を通せばサラサラと砂のように零れ落ちる、蒼色の髪。
 快楽を与えた分だけ紅く可愛くふやけていく、幼い顔つき。
 感極まると事あるごとにディープキスをねだる、薄桃色の唇。
 まるで真珠のように白くすべすべと触り心地の良い、素肌。
 綺麗な桜色の突起が眩しい、ふくらみかけの乳房。
 全体として華奢なのに、抱き締めればそれだけで分かる、柔らかさ。
 達するたびに小刻みに羽ばたき、甘い香りを風にのせて届けてくれる、小さな翼。
 押し寄せてくる快感が怖いのか、すがるようにぎゅっと腕に絡みついて離さない、長い尻尾。
 そして、毛も生え揃わない見た目通りの未熟さでありながら、それでも必死に私自身を受け入れようと頑張り続ける、幼く健気な女性器。

 リリィを抱くたび、その小さな身体の何もかもが私を天国へと堕とし込み、私の心を、肉体を、際限なく魅了して止まない。

 好き放題に犯されているあいだの可愛らしく淫らに悶える姿は何度眺めても飽きがこないし、奉仕の際の献身的な様子からは庇護心を感じずにはいられない。コトを始める前に見せる照れ臭そうな表情は胸がときめくほど魅力的だし、全てを終えた後のふにゃりととろけきった笑顔は、思わず抱きしめて口を塞いでしまうほどに可憐だった。

 セックスは案外大したものでは無いなどと、インターネットの掲示板に書き込まれているのを見かけたことは多々あったが、あんなものは未経験者の僻みが生んだ虚言妄言、もしくはいわゆるリア充と呼ばれる人種が放つ余裕綽々な自慢でしかないと、今の私なら断言できる。リリィがもたらす快楽は、そんなくだらない嘘を払拭するに十二分な代物だった。なにせ、犯せば犯すだけ、愛すれば愛するだけ、感度も反応も中の具合も比例するように良くなっていくのだ。まるで膣の構造が、私のペニスの形へとぴったり馴染んでいくように。もっと彼女と交わりたいという欲望が日増しに積もって脳髄を圧迫し、本当にどうにかなってしまいそうだった。

 どうすればもっとリリィが悦んでくれるのか、その探求に夢中になっている自分がいる。
 彼女を犯す罪悪感は、そうしてとろける姿を見ているうちに、いつの間にか薄れてきていた。

 誰か私を止めて欲しいと、願う。
 ……どうか私を止めないで欲しいと、切に願う。





 十月十九日(月) 大雨

 クソッタレ ふざけるな 私が一体何をしたというのだ 畜生

 リリィに、ぞんざいな態度で接してしまった。最低だ、私は。 





 十月二十日(火) 雨

 先週の土日は、これまでの生涯で最も素晴らしいと思える、最高の二日間だった。
 珍しく休日出勤の要請が無いなか、本来であれば一人暮らし用の狭苦しい室内に、一日中、サカリのついた男女が二人きり。これまでは「食事時のみ」となっていた暗黙の了解は有って無いようなモノと化し、まるでタガが外れたように丸二日間朝から夜まで延々と、私たちは行為に耽っていた。排泄と寝るとき以外食事も摂らず、年端もいかない女の子とセックス三昧。土曜の昼を迎えたあたりで、私たちの行為がもはや「食事」という名目に収まりきらなくなっているだろうことは理解していたが、そんなくだらない縛りに振り回されるより先に、幼い女の子を犯すことへの罪悪感が煽られるより先に、私はリリィとの繋がりを深めたかった。

 何度だって言える。先週の土日は最高の二日間だったし、最高に幸せだった。

 ……おそらくは。リリィと出会って一ヶ月と少し、そしてこの二日間で私が得た幸せ、その反動が、ついにやってきてしまったのだろう。人間が一度に持ち得る幸せの総量はあらかじめ決められていて、それを使い果たしてしまった先には絶望や不幸が待ち受けている、そうであるに違いない。仮に神様とやらが本当に実在していて、そいつが私たち人間を創造したと仮定するならば、きっと、人間が決して幸せに成りきらないようにと、そんな悪意をもって作り上げたに違いなかった。仮に出会えたなら殴り殺してやりたかった。

 昨日。後輩のミスを全て押し付けられた。

 それは、明らかに重大と言えるミスだった。部署中がてんやわんやで動き回り、その甲斐あってミス自体は相殺することができたのだが、すぐに上司主導で始まった犯人探しの結果、白羽の矢が立ったのが、何故か私だった。ふざけた話だった。リリィのために、リリィとの生活をこれからずっと守っていくために、ここ最近の私はミスを犯さないよう慎重に仕事に取り組んでいたのだ。当然今回のミスなど身に覚えがないし、そもそもミスの大元とも言える作業をしていたのは後輩だった。しかしそんな抗議も、「人のせいにするな」「お前ならやりかねない」という上司の怒声によってあえなくかき消された。

 その後輩は仕事はあまりできないが、愛想が良くてとっつきやすい、社内でも人気のある人物だった。対して私の方はといえば、社内の誰とも関わりが無く、気味悪がれ、皆から疎まれている存在だった。後輩のミスが原因だと察していたやつは他にも大勢いただろうに、誰一人として私をフォローしようとはしなかった。……人望を得ようとしなかった私の自業自得とはいえ、ここまで周囲に嫌われているとは、流石に思っていなかった。あとで分かったことだが、件の後輩は私に罪がなすり付くよう、周囲に根回しをしていたらしい。

 それからというものずっと、私は周りから冷めた目で見られていた。嫌がらせだろうか、面倒な仕事は優先的に私のところに回ってきた。今日の出勤時など、私のデスクの上には至極丁寧な文体で罵詈雑言の並べられた「嘆願書」が、十何枚も置かれている始末だった。いい歳して小学生のガキか、貴様らは。

 もう、うんざりだった。どうして私だけがこんな目に会うんだ。これまで積み上げてきたネガティブという名の石塔が、今更になって崩れてきたとでも言うつもりか。折角リリィのおかげでポジティブな思考になり始めてきたというのに、それすらも帳消しにされてしまうのか。何もかも、自分のせいなのだと。そういうことなのか。



 リリィが傍に寄り添ってきた。今まで見たことが無いくらい心配そうな顔で、私を見上げている。昨日は酷いことを言ってしまったのに、それでもまだ私を気にかけてくれるのか。でも、頼むから今は近寄ってこないでほしい。君をまた傷つけそうで、八つ当たりをしてしまいそうで、自分自身が怖いんだ。










 自暴自棄になり、リリィを無理矢理に求めると、彼女は何も言わずに押し倒された。
 悲しみや苦しみを性欲に変えて叩きつけても、嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。
 流れる涙を、そっと拭ってくれた。あれだけ乱暴に犯してしまったのに、ただ黙って私を抱き締め、頭を優しく撫でてくれた。言葉が溢れた。本音がこぼれた。仕事なんてしたくない。どこか知らない遠くへ行きたい。君と一緒に。愛している。ずっと。文脈もへったくれもない支離滅裂な告白を、それでも彼女は熱心に聞いてくれていた。二周りも歳の離れた子供に甘えてしまうような情けない男なのに、愛想を尽かされたって仕方のない男なのに、それでもリリィは私を見捨てないでいてくれている。

 「私もあなたを愛している」と、彼女は言った。
 ……彼女さえ傍にいるならば、もう、どうだっていい。





 十月二十五日(日) 晴れ

 あれからずっと、私とリリィは食事も寝る間も惜しんで昼夜問わずひたすらに、セックスに明け暮れていた。まるで日常を忘れるかのように、交わり以外の全てをこの空間から排斥するかのように。部屋の中は饐えた臭いと熱気が充満し、寝床は体液でぐちゃぐちゃ、私たちの身体も唾液やら汗やら精液やらで大変な有様になっていたが、しかしそんな悪辣な環境すらも今の私たちにとっては興奮を促す材料にしかならなかった。リリィとの行為の証に包まれながら、リリィを求め、求められ。リリィに甘え、甘えられ。彼女とともに延々と快楽を貪る、ただそれだけのために、今の私は生きていた。

 仕事にはもう何日も行っていない。行く意味すらも見出せない。
 今更私になんの用があるのか、会社からのコールが携帯電話からしつこく鳴り響いている。あまりにもうるさいので、画面を金槌で叩き割って燃えないゴミに投げ捨てた。頼むから、私とリリィの蜜月を邪魔しないでくれ。迷惑だ。



 リリィが今しがた目を覚ましたようで、起きて早々、物欲しそうな視線をこちらに向けている。抜かず十連続で中出しされて失神したあとだというのに、子供の体力というのは全くもって底知れない。その視線を受けて股間を膨れ上がらせている私も、人のことは言えないだろうが。夜も更けてきたことだし、もう一度彼女の意識を飛ばしてから、ゆっくりと眠ることにしよう。リリィの可愛らしい寝顔を眺めるのが、今から楽しみだ。





 十月二十六日(月) 曇りのち晴れ

 今日も朝からリリィとのセックスを楽しんでいたのだが、玄関のドアが激しく叩かれる音で現実へと引き戻された。所詮安アパート、そこまで壁は厚くない。ここ最近ぶっ続けだった性行為の音に、周囲の住人が辟易していてもおかしくはないだろう。面倒事の予感を感じながらしぶしぶ覗き穴から外を窺うと、しかしそこに居たのはアパートの他の住人ではなく、私に罪をなすり付けた件の後輩だった。別の意味で面倒だった。防犯用のチェーンをしっかりと扉にかけ、わずかなドアの隙間から応対する。万が一にも、私たちの城にこの男を入れたくはなかった。

 いかにも早く帰りたい、という表情を顔面に張り付けた彼の話を聞くところによれば、例の上司に私の様子を見てくるようにと命令されたらしい。会社から電車で三十分も離れたこのアパートまで、わざわざご苦労なことだった。もちろん同情はしないが。私としてはもう二度と出勤する気のない会社だ、さっさと解雇にでもしてくれればいいものをと思ったが、社員として正式に契約している以上、そう単純な話では済まないようだった。

 のらりくらりと話を避けようとするも、後輩はどうにか私を出勤させようとしつこく食い下がってくる。手ぶらで帰れば、今度は彼が上司にどやされてしまうのだろう。仕舞いには私の態度にイライラしてきたらしく、口調が徐々に荒くなってきた。

 さっさと帰ってほしいのに。どうしたものか。
 そんなことを考えていると、ふと後輩は顔をしかめ、鼻をつまんでドアから一歩離れた。どうやら室内から漂う退廃的な匂いに気づいたらしい。そしてその抜群のタイミングで、部屋の奥からリリィの呼ぶ声(おなかすいた)が飛んできて、彼はあらかたの事情を勝手に察してくれたようだった。二言三言、言葉を詰まらせると、そそくさと逃げるように去っていった。ドアを厳重に閉めて、リリィに向けて感謝の言葉を送ると、彼女はきょとんと首を傾げながら私のペニスにむしゃぶりついていた。

 この日は、面倒事を退けてくれたリリィに精一杯のご褒美をプレゼントすることにした。幼い秘裂からおびただしい量の精液を溢れさせ、幸せそうな表情で惚けているリリィの顔を眺めながら、今日は寝ることにする。





 十一月一日(日) 快晴

 また一週間が経った。
 相変わらずの、リリィとまぐわい続ける日々を過ごしている。
 これだけ毎日同じことを繰り返しているのに全く飽きる気配が無いというのも、不思議な話だ。それだけリリィが魅力的なのだという証でもあるのだろうが。

 本日、数戦を交えたあと。リリィに膝枕されながらの休憩中、普段は物が入ることのない郵便受けに何かが投函される音が響いた。自分に郵便とは珍しいと思いながら確認してみれば、表には勤務先だった社名、中身には「解雇通知」と記された封筒が一通、そこにはあった。……何だかんだで十年は働いた会社だ、こうして紙きれ一枚で用済みだと暗に言われてしまうと流石に感慨深いものがある……かと思えば、思い返しても大して良い記憶や心象が蘇るわけでもなく。中身を適当に流し読みして、早々にゴミ箱へ投げ捨てて、リリィの膝の上へと戻った。

 現時刻は真夜中。さてこれからどうしようかと、日記を手に考えている。
 この世界では、ただそこに在ろうとするだけでもお金がかかる。家賃、水道代、光熱費、その他諸経費。リリィとまぐわってさえいれば不思議と腹が減ることは無かったが、仮に食事代を差し引いたとしても、この世界で生きるために必要な経費だけはどうやっても削ることはできないのだった。

 一応、働かずともしばらくのあいだ暮らせるだけのお金は、ある。趣味と言える趣味がこれまで無かったおかげ、と考えるとかなり虚しいものがあるが、ともかくもこれまで趣味に費やさなかった分の貯金がそっくりそのまま、通帳には残っている。しかしそれでも、十年先を考えただけでも明らかに足りない額なのは間違いなかった。

 やはり、嫌でも再就職するしかないのか。



 そうして悩んでいると、ふと、リリィが眺めているテレビの番組に目を惹かれた。

 『田舎暮らし』『スローライフ』『自給自足』。都会から離れた田舎で生きる人々を紹介するその番組は、私がかつて想像し、けれども勇気を持てず行動にすら移せなかった儚い夢を思い起こさせてくれた。あの時の私に、それは不可能だった。今の私であっても、おそらく独りでは不可能だろう。けれども彼女と、リリィと、一緒であるならば。

 リリィに、事のあらましを説明する。
 説明を理解した彼女は、即座に頷いてくれた。

 そうと決まれば、早速行動に移さなければならない。
 田舎での暮らし方、住む場所、必要な費用。調べること、考えることはたくさんある。当然、思うように行くことは決して無いだろう。けれども、この無機質な環境に縛られない生き方、周りに流されず自分の足で歩いていける生き方、そしてリリィとのこれからを軽く想像してみるだけで、年甲斐もなくワクワクさせられている自分がいた。

 リリィと一緒なら、なんだって出来る。そう思えた。

 さぁ、これから忙しく










 ピシリ、と。

「……?」

 ガラスにひびが入ったような異音が小さく、しかしはっきりと鼓膜に届いてきて、私は日記を書く手を止めた。空耳かとも思いつつ、音のした方向に視線を移す。

「……ッな!?」

 そのまま、目の前の光景に驚愕した。

 部屋の壁の一部分が、まるでハンマーで叩いたかのようにひび割れている。否、正確には「壁」ではない。よくよく注視してみれば、そのひび割れが走っているのは壁の手前の何もない「空中」だ。「空間そのもの」が砕けている、と言い換えたほうが表現的にはしっくりくるだろうか。蜘蛛の巣が中心から外側へ向かって形作られていくように、それはミシミシと破壊的な音をたてながら徐々に徐々に範囲を広げていく。

 常軌を逸した光景に、なすすべも無く唖然とする。
 背景色の欠片がパラパラと床に落ちていき、一際大きな破片が床を叩いたその音で、私はようやく我に返った。

「り、リリィ……!」

 テレビに飽きるやいなや、私のペニスに夢中になっていたリリィの腕を引っ張り、咄嗟に自分の背中へ隠す。行為を中断されて憮然とした様子の彼女だったが、そこでようやく室内の異常に気付いたらしい、小さく息を呑む音が背後から聞こえてきた。手の届く範囲に武器になるようなものは無い。せめてリリィだけは守ろうと、全身に力を込める。

 ひび割れはあっという間に大人の背丈ほどの大きさまで拡大し、次の瞬間、全ての破片が一斉に床へと落下して、空間に大きな穴が開いた。それは何かの資料室、もしくは研究室だろうか。おびただしい量の書物や紙束が散らばる乱雑な風景が、まるで丸く切り抜かれた写真のようにそこに存在していた。そしてその中心には……純白の長髪から太い角を覗かせ、髪と同じく真っ白な翼と尻尾を腰のあたりから生やす、すらりとした体格の女性がただ一人、直立していた。

「……リ、リィ……?」

 女性の姿を認めた瞬間、もしや成長したリリィが未来からタイムスリップでもしてきたのではなかろうかという、妙な錯覚に囚われた。そう思わせるほど、その女性からはリリィの面影をそこかしこに感じさせられた。リリィのものとほぼ同じ形状の角、翼、尻尾。顔の輪郭や表情までもがどことなく似通っている。髪や翼の色を除けば、仮にリリィが大人になったならこうなるに違いないと容易に想像できてしまう、そんな紛れもない絶世の美女がそこには居た。

 一瞬だけ見惚れ、しかしすぐに意識を警戒へと移す。
 鮮血のように煌めく真紅の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 女性は、静かに口を開いた。

「……無事、だったのですね、リリアーナ。良かった……」

 鈴を鳴らしたような清らかな声音が、しかし微かに震えていた。
 心底安堵をしたような深い溜息がその口から漏れ、端正に整い過ぎた顔に柔らかな笑みが浮かぶ。

 不思議な感覚だった。女性の発している言葉は明らかに日本語では無い別の言語のはずなのに、私はそれを確かに日本語として認識していた。まるで頭の中に直接思考を流し込まれているような、そんな漫画や小説の中でしか味わえないような感覚を体験していた。女性が発した言葉と表情の意味、リリアーナとは一体誰のことなのか。状況に一切追いついてこれない頭で、私は与えられた情報を元に必死に考えを巡らせようとして。

 リリィが、声を上げた。

「……お母さん!」
「お、お母さ……っ!? あ、ちょ、リリィっ!?」

 リリィから発せられた驚愕の一言、リリィの叫んだ単語が日本語ではなく、しかし確かな日本語として聞き取れたこと、リリィが私の背後からすり抜けて、止める間もなく女性の元へと飛び込んでいってしまったこと。それら不測の事態が一度に訪れ、私の頭は更なる困窮を極めてしまった。

 飛びついてきたリリィを、女性は優しく抱き留める。
 その目尻には、うっすらとした涙が浮かんでいた。

「お帰りなさい、リリアーナ。怪我は、ありませんでしたか……?」
「うん、大丈夫だよ! マサヒコが助けてくれたから!」

 私の名前を呼びながらリリィが振り返り、つられて女性……リリィの母親が私を見遣る。

「彼は……?」
「えっとね? マサヒコは、とっても優しいヒトでね? 倒れてたところを助けてくれたり、おいしいご飯を作ってくれたり、このお部屋に泊めてくれたり、一緒に遊んでくれたり! いっぱいいっぱい、わたしに親切にしてくれたんだよ!」
「そうだったのですね。ああ、なんとお礼を……」
「あと、あとね? ……えへへ、コイビトにもなってくれたー! わたしのお口とお腹の奥にね、あったかくてあまーいセーエキをたっっっくさん、ごちそうしてくれるんだー!♪」
「……そう、だったのですね」

 興奮気味に、何か聞き捨てならないことを母親に報告するリリィ。
 そこでようやく私たちの有様に気付いたのだろう。一瞬硬直したあと、ほとんど全裸である私とリリィの格好を見比べる母親。重大な犯罪行為が露見してしまったようで、何とも言えない薄ら寒いものが私の背筋を走ったが、今はそんなことに気を使っている余裕は全く無い。何もかもが急展開すぎて、事態が全く把握できていないのだ。

 リリィの母親は変わらず娘を抱き締めながら、咳払いを一つ。
 まじまじとした顔を正し、改めて私に向き直った。

「こほん。……初めまして。わたくしは魔王の娘が一人、第五十三女『リリーミア』と申します。この度は我が大切な愛娘、リリアーナを無事に保護していただき、本当にありがとうございました」
「あ、ええと、これは、ご丁寧に」

 頭を下げ、礼をされる。つられてこちらも頭を下げた。
 『魔王の娘』とかいう物騒な単語について考えを巡らせる暇もなく、母親は沈痛な面持ちになって話を続ける。

「わたくしの失態が招いたこの事態、その解決の一端を担っていただいたあなたには、どれだけの感謝を申し上げればよいか……分かったものではありません」
「……失態、というと?」
「……研究中の事故、と申しましょうか。従来のものより格段に運用限界距離を延ばすことを目的とした『長々距離ポータル』の実験を行っていたのですが……術式のわずかな誤りにより、まさか異世界へのポータルが開いてしまうとは、当時その場に居た誰もが想像だにしておりませんでした。……そのとき、たまたま夫と一緒に研究の見学に来ていたこの子を、事故に巻き込んでしまったのです」

 そこに在ることを確かめるように、母親はリリィの頭を撫でつける。

「名も知らない異世界へと消えてしまったリリアーナを救出しようと、私を含めた皆が必死でした。しかし、あの事故の余波でこれまで記録していたデータや資料の大半が破損し、異世界に接続された当時のポータルの状況を再現できなくなってしまい……結局ここに至るまでに、一ヶ月半も要してしまった。……正直なところ、この子の生存を半ば絶望視すらしていました」

 顔を上げ、リリィからこちらに視線を移した。
 こちらの目を真っ直ぐに見つめてくるその仕草は、リリィのそれとそっくり同じだった。

「ですから、娘を救ってくれたあなたには。……無事な姿で、この子と再会させて頂いたあなたには。……どれだけ感謝しても、しきれる気が致しません」

 ゆっくりとした口調で説明し終えた母親は、再三の感謝を口にし、もう一度礼をした。
 母親の背後をよくよく見てみれば、魔女のような帽子を被った少女や山羊のように大きな角を生やした少女らがこぞって穴の縁から顔を覗かせていて、それを見つけたリリィが小さく手を振ると、彼女らは顔いっぱいに喜びの笑みを浮かべていた。

 リリィが無事であったその事実を、この場にいる全ての人物が、心から嬉しがっていた。
 ただ一人。ある事実に気づいてしまった、私を除いて。

(……)

 母親の話を聞いているうちに、だんだんと頭が冷静になってきた。

 はっきり言って、「ぽーたる」だの何だのとSFのような専門用語を述べられても、門外漢の私にはさっぱり理解ができない。しかし、分かったこともいくつかあった。リリィがこの世界にやってきたのは、やはり不可抗力の出来事であったこと。この母親がリリィのことをどれだけ案じていたのか。リリィは周囲にとても愛されているのだということ。目の前の彼女たちにとって、全てが大団円を迎えつつあるのだということ。

 そして、もう一つ。

「また一緒に娘と暮らせるかと思うと、嬉しくてたまりませんわ。つきましては、あなたには心からのお礼を……」

 この女性は、リリィのことを連れ戻しにきたのだ、ということ。

「お、お願いします! どうか……どうかリリィを、連れて行かないでください!!」

 気がつけば私は土下座し、リリィの母親に乞うていた。
 リリィが私の傍からいなくなる。いつかあり得るかもしれないと想像し、けれどもずっと考えないようにしてきた可能性にこうして直面したことで、これまでの生涯で感じたことのない恐怖が私の身体を駆け抜けていた。リリィがいなければ、私はもはや生きてはいけない。リリィがこの場に在ることこそが、私がこの世に存在する理由となっている。彼女を連れて行かれることはすなわち、私という存在の全否定を意味していた。

 もちろん私だって、リリィの母親の気持ちは分かっているつもりだ。
 大切な者が突然いなくなる。おそらく事故を起こした当時の母親は、今の私と同じ、もしくはそれ以上の絶望を味わっていたに違いない。先ほどまでの母親の様子を思い返す。目の下にはっきりとした隈を作り、隠しきれない疲労をそこかしこから滲ませる彼女の様子を見ていれば、ここに至るまでの心労のほどが分かるというものだった。しかし、それでも。折角得られたリリィという名の幸せを手放すことを、易々と了承するわけにはいかなかった。

 リリィの傍にいられるのなら、この魂を明け渡したって、構わない。

「頼む、お願いだ……リリィを失ってしまったら、私は……!!」

 絞り出すように言葉を吐ききり、母親の返答を待つ。

 しばし待つこと十数秒。返答は、いつまで経っても返ってくることはなかった。ただただ、沈黙のみが場を支配する。もしや既に私のことなど放置して、リリィを連れて元の世界に還ってしまったのではなかろうか。そんな想像が一瞬の内に私の思考を浸食していき、焦った私は慌てて顔を跳ね上げて。

「……あれっ?」

 そこには、ポカンと口を開けて呆けている親子の姿が、変わらずあった。
 二人は顔を見合わせると、母親が困ったような顔で口を開いた。

「……ええっと。何か、とても大きな勘違いをされているようですが……」

 半歩横に逸れ、『ぽーたる』の入り口を目で示して。

「あなたにも、一緒に来て頂きたいのですが」
「……は?」

 思ってもみない台詞が聞こえてきて、私は間抜けな声を上げてしまった。

「わたくしの娘が心から愛し、そしてその愛に立派に応えてくださった相手を無碍にすることなど、わたくしにはできませんよ。むしろ、この子にこうして雌としての悦びを教え込んでおきながら「責任を取るつもりはない」などと言われようものなら、一人の母親としてどうしてやろうか、という話です」
「む。お母さん! マサヒコはそんなことするヒトじゃないよ!」
「ええ、分かっていますよ、リリアーナ。あなたを守ろうとし、そして他ならぬあなた自身が選んだヒトですもの。今更疑ったりなどしませんよ。……つまりですね、マサヒコさん。あなたには、この子の『夫』になって頂きたいと。そういう話なのです」

 しばり呆然とする。早とちりしてしまった自分を恥じると同時に、こんな幼い子との婚約云々へと話が飛躍したことに困惑する。もちろん、私としては未来永劫リリィの傍に在り続けたいと願ってはいるが……リリィの傍に居ていいのか。彼女と一緒でも、構わないのか。共に在ることを、許してくれるのか。

「……正直な話、一度私たちの世界に来てしまったなら、またこちらの世界に戻ってこれる保証はありません。このポータルも急ごしらえ、依然不完全な代物ですし、閉じてしまえばもう二度と、こちら側には戻ってこられないかもしれない。ですが、あなたがこの子と離れたくないとおっしゃられるのと同じように、わたくしも二度とこの子を失いたくはないのです。……こちらの都合を押しつけてしまい大変身勝手だとは思いますし、あなたにもこの世界への未練があるだろうと存じておりますが……」

 まるで、試すような口調で。

「来て、頂けますでしょうか……?」

 私にとってその言葉は、当然、願ってもないことだった。
 この母親は知らないだろうが、私にはこの世界への未練など、もはや毛頭無い。私の世界は既に、リリィと共にある。リリィが傍にいてくれさえするのなら、何がどうなろうと構わない。

「サァ、イッショ、イコウ? マサヒコ!」

 覚えたての拙い日本語で、リリィが私に手を伸ばす。
 私はその小さな手を、迷うことなく手に取った。










 稔りの月 十五日目 快晴

 私が異世界の住人となってから、一年ほどが経過しただろうか。また随分と長い間が空いてしまった。
 とはいえ、この日記を書き始めた当初のように、やる気も気力も全く無かったというわけではない。むしろその逆だ。忙しいながらも毎日が変化に富み、とても充実した日々を過ごせている。もちろん、リリィと一緒に。

 あれから色々なことが起こった。こちらの世界の文化や生活に慣れるのに結構な苦労があったし、『異世界からやってきた人間』ということで物珍しい目で見られたりもした。リリィの母親のリリーミアさんには何故かやたらと気に入られてしまい、リリィとその父親に露骨に嫉妬されたこともあったし、更に父親には、突然沸いて出てきた中年男である私をリリィの夫として認めてもらえず、許してもらえるまで紆余曲折を繰り返したりした。とはいえ同じ美人の妻持ちということで、今では気の知れた酒飲み友達のような関係になろうとは、当時は夢にも思わなかったが。

 何気に一番驚いたのは、自分の肉体がいつのまにかインキュバスという、精力に特化した人間とは別の生き物へと成り代わっていたことだろうか。どおりで丸一日リリィとセックスを繰り返しても枯れ果てたりしないはずだと、乾いた笑いを漏らしたものだった。

 現在は私たっての希望を受け、リリーミアさんが斡旋してくれた農場の一角をお借りして、リリィと共にそこで住み込みをさせてもらっている。覚えることが意外と多く、毎日が力仕事で大変だし、良いことばかりではもちろんないのだが、周りは皆優しい人たちばかりでとても良くしてくれるし、何より、リリィが私の帰りを待ってくれていることを思えばどんな苦労も大した問題足り得ない。こちらでの生活や文化にも慣れてきたことだし、この農場でノウハウを学んだらいずれ安い土地と家を買い、かねてからの夢だったスローライフを満喫しようともくろんでいる。

 ここまで来れたのも、未来に希望を持てたのも。全ては、リリィのお蔭だ。
 今ではあの夜の公園でリリィと出会えたことが、運命であると確信している。
 私に出会ってくれてありがとう。そう心から感謝をして、これからもリリィと共に生きていきたい。



 リリィが、私を呼んでいる。物欲しそうにとろけた目で、私のことを見つめながら。
 さぁ、今日もいつもどおり、リリィという幸せに満たされるまま、眠ることにしようか。




















「ねぇ、マサヒコ?」
「ん、どうしたい? リリィ」
「……出会ってくれて、ありがと」
「……それは、こちらの台詞だよ。ほんとどうしたの、藪から棒に」
「いやね、クローゼットの中を片づけてたらね? 昔マサヒコが書いてた日記が出てきてさ」
「……ああー。それは懐かしいものが出てきたもんだ。確かリリィが妊娠してすぐに書くのをやめちゃって、そして今ウチの子が十歳だから……もう、そんなに経つのか」
「長かったようで短かったというか、あっという間だった気がするねー。……でさ、それをちょいちょいって、魔法で翻訳して読んでたらさ、当時のマサヒコの想いが伝わってきて、すっごい嬉しくてさ……」
「……昔の日記を読まれるってのは、流石に恥ずかしいな……」
「ごめんごめん。でさ、これは私だけが読むのはもったいない、もっと色んな人に読んでもらいたいって思って、翻訳したのを全部書き起こして街の出版社に持って行ったんだけどさ」
「うん。……うん?」
「そんで販売してみたら、思った以上に売れちゃって、なんとベストセラーにもなっちゃって。結構な印税稼げたから、これでたくさん子供が生まれてもウチの増改築やり放題、教育費に悩まなくてもいい! ばんじゃい!!」
「……うん!?」
「そしてその製本版がこちらになります」
「ちょっとおッ!?」
「じゃ、早速ウチの子に読み聞かせてくるねー♪」
「いや待って! ホント待って! 最近街の方に出るとやたらジロジロ見られるのはそのせいか! ……リリィ? リリアーナさーん!? せめて子供に読み聞かせるのは待って! 私恥ずか死しちゃうから! リリィーーっ!?」


16/09/24 02:02更新 / 気紛れな旅人

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