らっぶらぶゲイザーちゃん
一体、どうしてこうなったのか。
背から目玉付きの触手を無数に生やす、世にもおぞましく醜悪な姿をした一つ目の化け物、ゲイザーであるところのあたしは、ひたすらその文面だけを繰り返し思考していた。現状、それ以外を考える暇は無い。もしもその一文から意識を逸らしてしまったなら、今もこの心身を苛む衝撃によって、あたしの理性は容易く狂わされてしまうだろうから。
事の発端は、ある一人の男だった。
外見を見る限りでは、少年から青年へと移ろう辺りといったところか。どこか気弱で頼り無さそうな仕草と、ともすれば軟弱とも取れる柔和な笑顔だけが特徴的な優男だ。ソイツがあたしの前に初めて姿を現したとき、開口一番放った台詞は、
「一目見たときから好きでした! 僕とお付き合いしてください!」
……などという、頭のネジが宇宙の果てまでブッ飛んだとしか思えない二言だった。
その発言を耳にしたあたしはもちろん、ソイツのケツを思いっ切り蹴り飛ばすことで対処した。
あたしみたいな怪物を好きになる、ましてや見初める物好きなんているわけがない。どうせ、性根の腐れたクソガキ共が興じる罰ゲームか何かの矛先が、あたしに向いただけの話だろう。そのときはそう考えた。地面の上に突っ伏して、砂まみれになりながら悶絶するソイツの有り様を、あたしは冷笑と嘲笑をもって見下ろしていた。
「舐めんな、馬鹿が」
一言吐き捨て、その場を後にする。
これに懲りて、この馬鹿な男も今後一切あたしに関わろうとはしなくなるだろう。これまであたしのことを胸糞悪い眼差しで眺めていた奴らは、全員同じように、あるいはもっと酷い目に合わせて追い払ってきたのだから。
……そうなると、思っていたのに。
「こ、こんにちは! あの、美味しいお菓子持ってきたんですけど、これから一緒にどうですかっ!?」
「……は?」
次の日も、そのまた次の日も。コイツはあたしの前に現れた。
それこそ、蹴り飛ばしても、撥ね付けても、罵声を浴びせかけても、懲りずに何度だって現れた。初めて遭遇したときと同じ軟弱そうな笑顔に、全身が痒くなるような甘ったるい言葉を相変わらず引っさげて。お菓子だの、野原で摘んだ綺麗な花だの、こないだ体験した面白い話だののおまけ付きで。
(……ぁあ、しつこいっ!)
正直、気味が悪かった。生まれてこの方存在しなかったからだ、こんな一つ目の化け物相手にここまで絡んでくる人間なんて。正体不明、得体の知れなさに内心恐ろしくなったあたしに出来たことといえば、差し出されるお菓子や花を片っ端からはたき落とし、何か口を効こうとするたびに鋭い蹴りを見舞ってやり、ひたすらに拒絶する、ただそれだけだった。それら以外の対応方法を、あたしは知らなかった。
そんな日々が、一ヶ月。一ヶ月も続いた。
……どれだけ拒絶しても、コイツはあたしに会いにくるのを一日だって止めなかった。
流石のあたしだって嫌でも察する。コイツはその台詞に嘘偽り無く、本当にあたしに好意を抱いているのかもしれないと。何をどう間違えたのか、こんな化け物のことを心底好きになってしまったのだと。毎日毎日、あたしの元に通い詰めるほど、熱心に。もしその推測が当たっているのだとするならば、それは……それは、独りぼっちのあたしにとって、とてもとても、嬉しいもので。
(……でも)
だけど。
あたしは、やっぱり不安だった。怖かった。今までが今までだったから。
心の内では何を考えているのか分からないのが人間だ。分かりやすい視線や表情を向けられるならまだいい方で、何食わぬ顔の裏でドス黒いことを考えている可能性があるぶん、まるで信用ならない。突然現れたこの男も、もしかしたらそういう類の人間なんじゃないか。本当は裏に何らかの打算を抱えていて、いつか土壇場で裏切るんじゃなかろうか。……彼との時間を重ねるほどに、そんな不安と恐怖は、相乗的に強くなっていった。
だからあたしは、強行手段に出た。
あたしは適当な理由をつけて、彼を自分の住処へと誘い込んだ。
人里から離れた森の中、人気なんて全くない小さな洞窟を整えただけの自宅にホイホイと足を踏み入れた彼、その両目を、真正面から覗き込む。
『一つ目を好きになれ。あたしのことを好きになれ。何があっても、あたしを捨てるな』
そうして、強く強く、『暗示』をかけた。
あたしはいつの間にか、彼に深く依存していた。彼の傍に在り続けたいと願っていた。彼があたしの傍を離れたときにこそ、耐えがたい孤独を感じるようになっていた。……いつか捨てられる妄想を抱いては、それを必死になって思考から掻き消していた。
仮にあたし達の間柄が、打算と策略に満ち満ちた紛い物であるとしたならば、そんなもの、あたしの能力たる『暗示』によって捻じ曲げてしまえばいい。打算も策略も全てを粉々に叩き潰して、彼を本当にあたしだけのモノにしてしまえばいい。あたしには、それだけの力がある。彼を手に入れることができるのならば、何でも良かった。そうして彼の本心を無理矢理に作り変えてしまうことこそが、欺瞞と偽りに満ちたものであるのだとしても。
結果はもちろん、成功に終わった。
彼の心は『あたし』で満たされ、あたしから離れていく可能性は潰えて、あたしは独りぼっちから解放された。めでたしめでたし。
……なんていう風に、そのまま終わってくれれば良かったのだけれど。
たった一つだけ、誤算があった。
強硬手段に出たときのあたしは、あまりの不安と恐怖ゆえに、そして他者を信じる経験の乏しさゆえに、『彼が本気であたしのことを好きである可能性』を、完全に失念していたのだ。
あたしは、考え続ける。
一体どうしてこうなってしまったのかと、分かり切っている問いを自分自身に投げかけ続ける。
あたしへの一途な『好意』と強力な『暗示の魔力』が混ざり合って暴走し、内なる欲望を炸裂させた彼の姿を。ドロッドロの白濁に沈むあたしの股間に、赤黒くグロテスクな肉棒を一心不乱に叩きつけている一匹の獣の姿を。……快楽に霞んだ一つ目で、ぼんやりと眺めながら。
太陽が沈んで昇って、もう一度沈んだ二日目の深夜。
それだけの間、休む間も無く犯され続けて、未だ思考能力を有せているのは奇跡に近かった。
「はぁ……っ! はぁあ……っ!!」
猛獣のような荒い吐息が、飛び散る汗や涎と一緒にあたしの全身に降りかかる。生暖かいそれらが淡灰色の肌を染める間に、実に四、五回ものピストンが膣内を蹂躙し、仰向けに転がる小柄な体躯を上下に揺さぶっていく。粗末なベッドがギシギシと軋んで、今にも分解しそうだ。天井に釣られた携行ランプのオレンジが、一連の獣じみた行為に似つかわしい退廃的な色に、あたしたちの身体を彩っていた。
昼夜問わずの陵辱は暴力的なまでの快楽で全身を苛み、あたしの身体は微細な痙攣を繰り返すばかりの肉人形と成り果てていて、もはや見る影もない。だというのに、依然あたしを犯し続ける彼の身体は萎える気配の無い活力に満ち満ちていて、そのひょろっちい肉体の何処からこれほどのパワーが溢れてくるのかと驚愕せざるを得なかった。もしかしたら彼の存在は、既に精力の権化、インキュバスへと変容しているのかもしれない。
その影響だろうか。彼のペニスは、あたしの処女を散らした昨日と比べても、その貧相な肉体には不釣り合いなほど太く大きくなっているように感じられた。体感的に言えば、五割増しほどにはなっているだろうか。膣内をみっちりと満たすペニスの直径が肉壁をこそぎ、凶悪なまでにエラ張ったカリ首がGスポットを削るたびに、常軌を逸した快楽が脳髄を蝕む。目の前の雌を貪り尽くしたいと願う雄の本能が、ひしひしと伝わってきていた。
突如、ゴスンと。
「ふひゃっ!?」
一際強く、亀頭の先端が奥底へとめり込む。
「ふぁ、ぁああああんっ♥」
間髪入れず、灼熱のごとき塊を子宮内に注ぎ込まれて、あたしの身体は無理矢理に絶頂へと引き上げられた。堪らず上げた甘ったるい声音が洞窟内を反響し、あたしはカァッと頬を燃え上がらせる。自分を慰めるときだって、こんな恥ずかしい声を漏らしたりはしないのに。
でも、正直それも仕方がないとも思う。
なにせ、もう幾度目になるかも分からない注精が、どれだけ呑み込んでも美味しくて美味しくて飽き足らない彼の精液が、あたしの身体を満たそうとしている真っ最中なのだから。流石はインキュバスというべきか、全く衰えを知らない量と濃度のそれは子宮の中身を攪拌しつつ、一切の容赦無くあたしを孕ませようとしてくる。内側からぷくりと膨らまされた下腹部は、まるで彼との赤子が本当に宿っているかのように錯覚させらて、得も言われぬ幸福感にあたしの心は温められた。
こんなことをされて、悦ばない雌なんているわけがない。歓喜の嬌声を上げない魔物なんて、いるわけがない。あたしはぶるりと身体を震わせて、一方的に種付けされる雌としての享楽を、ただただ一身に受け止めていた。
「はあ、あぁぁ……っ」
「……ふぅ〜〜っ、ふぅ〜〜〜〜……っ♥」
ペニスの痙攣は次第に治まりを見せ、実に三十秒ほどの時間をかけて、長い長い吐精はようやく終わりを迎えた。猛る欲望を吐き出した彼は、深く満足げな溜め息を一つ。しばらく呼吸が止まっていたあたしも咄嗟に深呼吸を繰り返し、朦朧とした頭に酸素を行き渡らせようと試みる。
……が、しかし。こちらが息を整え終わる前に、彼はのそりとした緩慢な動作で身体を起こすと、まるで何かに突き動かされるように、こちらの腰を掴み直した。徐々に膣内から喪失していくペニスの存在感は、決してこのまま抜き去ってしまうためのものでは無いだろう。
まだ、ヤる気は満々のようだ。
(……いつまで、続くんだ……っ♪)
そうは思いつつ、あたしは虚ろに霞む自分の瞳に、期待の色を差し入れずにはいられなかった。まだまだ沢山シてもらえる。もっともっと気持ち良くなれる。膣口からペニスが抜けきる直前まで腰を引き、組み敷く女体を再び喰らうための助走をつける彼の仕草を見て、あたしもう一度犯し抜かれる覚悟を決めた。
今か今かと、再挿入を待ち構えるなか。
ふと、彼の顔が迫り、眼前を一杯に満たした。
「……んむ、ちゅぅ……っ」
そして何の躊躇も無く、彼の唾液にまみれた舌があたしの半開きになった唇を割り入った。一瞬目を見開き、直後、嬉しさに薄く細める。
それは、たとえ逃れたくとも逃れる気すら削がされる、舌を濃密に絡ませ合う深い深いディープキスだった。舌の表面を思う存分にしゃぶられる快楽と、どろりとした甘美な唾液の風味に、あたしはひたすらに脳髄を蕩かせる。
こうして突然見舞われるベーゼは、一体何回目になるだろうか。どうやら彼にとっては性交前の挨拶のようなものであるらしく、時折こうして甘えるような口づけを交わしてくる。最初は驚いたものだったが、今ではもう慣れたものだ。虚脱する身体から尚更に力を抜いて、彼の愛撫に身を任せた。
(もっと……もっとぉ……っ♪)
心に浮かぶ熱烈な想い。しかし当然、こうして口を塞がれている以上は言葉として表すことが出来ず、必然的に、胸の内に抱える想いは舌の動きに変えて届けるほかない。自然、あたしたちの口づけは、洞窟内に淫靡な水音が響き渡るほどの熱狂的なものへと変わっていった。
(ひゃぅんっ!♥ ……きたぁ……っ♥)
あたしの気持ちは、どうやらしっかりと彼に伝わったらしい。引かれたままだった彼の腰が、勢い良くあたしの腰へと叩きつけられる。それをきっかけに、再び淫らな律動が開始された。
既にあたしの身体を、髪の先から足の先までの一切を白濁に染めているというに、ペニスの堅さは未だ衰えることを知らない。彼も興奮しきっているのだろう、始まったばかりのそれは、すぐに脳天まで突き抜けそうなほどに激しく、しかしそれでいて確かな優しさをも感じさせる情熱的なセックスへと成っていった。口づけとたった一本の肉棒、ただそれだけで、あたしの心と身体はドロドロに融かされていく。
(怖いよぉ……っ、たすけてぇ……っ♪)
これまでの半生で一切手にすることの無かった、純粋な愛情。それを肉体的に具現化したこの行為。あたしの『これまで』の一切を変えてしまうだろう、ある種の破滅へと突き進んでいる現在の状況に対して、本能的な恐怖が心の内にもたげた。それは、『愛情を初めて手にしてしまう』ことへの漠然とした不安でもあり、『こんなに幸せで大丈夫なのか』という自身に対しての疑念でもあり。
いてもたってもいられなくなったあたしは、力の入らない腕と触手に、それでもなお有らん限りの全力を込めて、彼の身体を抱き締めた。両腕で後頭部を掻き抱き、触手全部を使って彼の細身の胴体をぎゅぅっと包み込む。どうかお願い。この愛情を、この幸福を、疑いようの無いくらいに刻み込んでくれ。あたしを苛む全ての恐怖を、苦しみを、このままぐちゃぐちゃに塗り潰してくれ。切実な想い願いの全てが、熱い口づけと抱擁の強さに変換されていく。
そんななか、それらの根源となる感情、この言葉だけは、表現せずにはいられなかった。息継ぎのために口と口を離す、そのタイミングを狙って、あたしは掠れた声を必死になって絞り出していた。
「……すき、すきなのっ。だいすきぃ……っ♥」
あたしの大きな一つ目で、彼の小さな二つ目を、真っ正面から見つめながら。
彼は一瞬、きょとんと呆けた表情を見せて。しかしすぐに表情を引き締めると、どこまでも真っ直ぐで迷いの無い……出会ったときから常に一貫していたその感情を、即座に言い放った。
「僕も、あなたを愛している……っ! 絶対に、あなたを離さない……っ!」
あたしの脳髄を甘く甘く痺れさせたその言葉は、心の奥底までじんわりと染み渡り、しつこくこびり付いていた恐怖や不安という負の感情をまっさらに塗り潰した。泣いたり笑ったりでくちゃくちゃになったあたしの顔が、彼の瞳の中に映り込んでいたのが、少し恥ずかしかった。
それきりあたし達は再度舌を絡ませ合って、無言のままセックスに熱中した。
抽迭のスピードが加速度的に増していき、肉と肉のぶつかり合う音と淫靡な水音だけが洞窟内に木霊する。様々な熱い想いが弾けて融けてドロドロに混ざり合い、その奔流に耐えきれなくなったあたしはより強く彼を抱き締める。
そうして必死にしがみついているにも関わらず、彼の腰はそれに負けない力強さであたしの身体を貪り続けた。まるで、あたしの想いに片っ端から応えようとするかのように。互いの勢いは決して衰えることなく、あたし達はたった数分間、されど数分間の永遠を、絶対的な幸福の中に沈めていた。
「きて、キてぇっ♥」
彼の表情が、息遣いが、切羽詰まったものに変化する。ペニスがビクビクと痙攣し始める。それを感じて、あたしは来る衝撃に身構えた。また、あの素敵な瞬間がやってくる。美味しくて、気持ち良くて、狂おしいほど愛おしい瞬間が。
「……くあっ!!」
「ぁはあっ!!♥♥」
密着する肌越しに、二つの衝撃が交叉した。互いにキツく抱き締め合って、はち切れんばかりの幸福の波に耐える。強すぎる抱擁は骨と骨がぶつかり合って痛く、息が出来ないほどに苦しく、しかしそれが彼の存在をより確かにしているようで、心地良かった。あたしの中で跳ね続けるペニスは相変わらずおびただしい量の精液を放っていて、子宮に収まりきらなかった分が膣壁とペニスの隙間を逆流し、マットレスに新たな染みを作っていた。
「だい、すきぃ……」
心のつかえが取れて安堵したせいだろう、急激に意識が遠くなっていく。気絶する前にもう一度だけ伝えたくて、あたしは最後の力を振り絞り、真横にある彼の耳に一言、囁いた。彼も余裕が無いらしく、あたしの頭をそっと撫で付けることで、その囁きに応えていた。
生まれて初めての安寧に心を満たしたあたしは、人肌が生む暖かな闇の中へ、ゆっくりと墜ちていった。
「あ、おはようございます」
「……ふぁ?」
洞窟の入り口から差し込む朝日で目を覚ましたあたしは、どうして開眼一番にコイツの顔が目の前にあるのかと、朧げな思考を混乱させた。ああそうか、あたしはきっと寝呆けているに違いない。頭をしっかり覚醒させようと、肩まで掛けられた毛布から身体を起こす。
その瞬間、肌寒い朝の冷気が上半身を刺し、驚いたあたしはハッと視線を下げて……普段胸や股間を覆い隠している黒い皮膜すらない、完全に生まれたままの姿の自分を認識した。
同時に、昨晩までの出来事が次々とフラッシュバックを起こす。
気温とは真逆、身体中の体温がみるみる内に高まっていくのを、はっきりと自覚した。
「ぎゃっ!? わ、み、見るな、ばかっ!」
「うわ寒っ!?」
咄嗟に彼から毛布を奪い取って、自分の身体をぐるぐる巻きに包み隠した。ついでに彼に背を向けて、真っ赤になった顔も隠す。彼が悲鳴を上げるも、そんなことは気にしない。……というか、そんな余裕は無い。なにせ、粘液でぐちょぐちょになったマットレスを、周囲に漂う饐えた匂いを知覚するたびに、行為中の記憶が蘇ってくるのだ。心も身体も、あたしの全てを曝け出してしまった羞恥心には、到底抗えるものではなかった。
「あ、あの」
「う、うるさいっ、寒さぐらい我慢しろ男なら!」
彼がおずおずと口を開いて、当然あたしは怒鳴りつけた。今オマエの声を聞かせるんじゃあない、記憶が余計にぶり返すだろうが。
「いえ、そうではなく……昨晩のこ」
「あー、あーーっ!! 聞こえない! 聞こえなーい!!」
「さ、流石にそういうわけにも」
「だ、黙れ! それ以上喋るな! ばか! アホ! せいりょくまじんっ!」
「せ、精力魔神って……」
「当然の呼び名だろうが、あれだけ散々犯してくれやがって」
「う、その……ごめんなさい……」
思うところがあったのか、意気消沈した声音で謝ってくる。
……流石にちょっと気が引けた。
「そこは。……謝らなくていいんだよ、別に。……嫌じゃ、なかったし」
「そ、そう、ですか……」
それきり、両者共に話すことなく、黙り込む。
最後に余計な一言まで付け加えてしまった気がするが、そこはとりあえず置いておく。
実際それ以上、何を話していいのかあたしには全く分からなかった。
本音を言えば、「うるさい」なんて不躾な言葉なんかじゃない、話したいことが沢山あった。今すぐ全身で彼を抱き締めて、その存在感を確かめたくもあった。
……でも、一晩経った今となっては、あの行為の最中に見られた止め処ない素直さは、すっかりどこかへ飛んでいってしまったようだった。彼の困った顔が目に浮かぶようで申し訳ないとは思いつつも、今のあたしでは頭の中身をぐるぐると回転させる以外に、出来ることを思いつけなかった。
「あの、その……」
「……なんだよ」
結局、先に口を開いたのは彼の方だった。
「正直、何だかよく分からないまま、あんなことしちゃったわけですけど……いいん、ですよね? その、僕たち……恋人同士ってことで」
「……」
『……すき、すきなのっ。だいすきぃ……っ♪』
意識を失う直前の言動が思い起こされて、あたしは尚更に体温を上昇させた。素直にもほどがあるだろう、昨夜の自分。体温に比例して強くなる羞恥心はあたしの口を固く閉ざし、対する彼もそんなあたしの答えを待つかのように、沈黙を保っていた。
至極当然の話だが、あたしは彼の好意を受け取ることに関して、全く持ってやぶさかじゃあない。……ないのだが。現在進行形で真っ赤なこの顔を彼の前に晒すのはとてもとても難易度が高く、なにより言葉にして気持ちを伝えること自体、今の自分には圧倒的に勇気と素直さが足りていない。そのため、どうやってこの気持ちを伝えたらいいものか、しばし悩んだ。
時間にして、恐らくは数十秒。
勇気を振り絞って声に出す。抱きつく。キスをする。いっそ交わる。
まともなものから突拍子の無いものまで、ありとあらゆる手段を提案しては、却下して。
「……んっ」
あたしは彼に背を向けたまま、片手だけを差し出した。
二人の間に漂う雰囲気、自身の内に在る素直さの残量、行動に対する彼の反応予測その他もろもろを含めた、それはあたしの最善解だった。この臆病者め。
数秒の間を空けて。
意外に大きな彼の手が、あたしの割りと小さな手を、優しく包み込んだ。
「……これから、よろしくお願いします」
「……よろしくされる」
まぁ、上手くいったようだから、良しとしよう。
「……ふふっ」
彼が静かに笑い、あたしはちらりと後ろを振り返る。彼は、心底嬉しそうに微笑んでいた。釣られてあたしも同じように微笑んで、けれども何だか気恥ずかしくもあって、思わず照れ隠しの言葉を口にする。
「こんな化け物相手に、酔狂な奴だよ、全く……」
突如。あたしの肩が強く掴まれた。あまりに突然な彼の行動に驚いたあたしには抵抗のしようがなく、強引に彼の方を向かされる。瞬間、必然的に目に入った彼の表情は。
「あなたは化け物なんかじゃない。そんなんじゃ、ない」
普段情けない顔で笑っている彼からはとても想像が付かない、凛々しく真剣な表情が網膜に焼き付いて、あたしは心臓をドキリと跳ね上がらせた。初めてみた。蹴っても、怒鳴っても、ただ困ったように笑うだけだった彼の、こんな表情。
不覚にも凄く格好良く見えて、恥ずかしくなったあたしは咄嗟に顔を逸らす。
直後、両手で顔の側面を押さえられて、強制的に顔の向きを正された。彼の顔が、目前にある。
「あなたが街の馬鹿共に貶されたときの、悲しそうな目を知っている。そいつらを追い払ったときの、寂しそうな目も知っている。あんな目をする人が、化け物だなんて、そんなわけあるものか」
あたしは呆気に取られながら、彼の言葉を聞いていた。そんな現場を一体何処から見られていたんだとか、彼も「馬鹿共」だなんて汚い言葉遣いをするんだなとか、些細な思考が浮かんだ端から消えていく。そんなことよりも、彼があたしのそんな細かなところまでを見てくれていたことが、何処か嬉しかった。
「……一つ目で、触手で、肌の色とかおかしくても?」
「だから」
卑怯なあたしは、彼がどう答えるのかを分かっている上で、そういった問いを試みる。
案の定、彼はより一層の力をその瞳に込めた。
「目とか、触手とか、肌とか。そんなの関係ない。僕は、むしろ……」
ふと、急に恥ずかしそうな顔になって、一瞬だけ視線を逸らす。
しかし、意を決したようにまたあたしを見つめ直すと、途端に早口になってまくし立てた。
「その一つ目を見た途端、その、ときめいたというか、その……惚れちゃったんですよ!」
最後はやけくそ気味に声を張り上げ、顔を赤らめた。
口の端が釣り上がるのを必死で抑えながら。
あたしはここに来てようやく、一つの合点がいった。
コイツは、頭がおかしいのだと。それもあたしにとって、とても都合が良い形で。心臓の鼓動が加速する。
「……やっぱり、おかしいよ、オマエ。普通生き物は、その生き物と同じカタチのモノに惚れるもんだ。人間に一つ目は、いない」
暗示をかけた訳でも無いのに、あたしの一つ目に惚れる、だなんて。
「……好きになっちゃったものは、仕方ないでしょう。ともかくあなたは今、僕の、その、恋人、なんです。それ以上でも、それ以下でもない。だから今後一切、そんな酷いことを考える必要は……んっ」
もうそれ以上、聞きたくなかった。
これ以上こんな甘ったるい台詞を聞かされ続けたら、蕩けた脳みそが鼻から溢れて悶死でもしてしまいそうな、そんな予感しかしなかった。
だからあたしは彼の言葉を遮るために、勇気を出して、「ちゅっ」て、自分から彼の唇に口づけた。触れ合う程度の、ささやかな口づけ。
「……そんなの、信じられないな。あたしが化け物じゃないとそこまで言うのだったら、その証拠が欲しい。……もっと」
「……どうすれば、信じてくれますか?」
解ってるくせに。ギラギラと怪しい色を灯し始めた彼の瞳を見つめながら、そう思わずにはいられない。でもまぁ、知りたいのなら、答えてやることにしよう。期待に目を潤ませながら、腕と触手を彼の元に伸ばしながら。あたしは、口を開いた。
「これから毎日、ちゅーしながら抱くことを、誓え。そしたらその言葉、信じてやるよ」
もちろん早速、態度で示された。
15/05/16 00:54更新 / 気紛れな旅人